2008.08.19

唐組秋公演は「ジャガーの眼2008」

この時期恒例の山中湖乞食城での唐組稽古場公演。
中野、椎野、禿と四人で車で出たのだが、お盆の渋滞で遅れそうになり、焦ってぎりぎりに到着する。

「ジャガーの眼」は、85年初演。83年に亡くなった寺山修司へのオマージュであり、「唐版臓器交換序説」と呼ばれる。初演では李礼仙さんは離れ、田中容子、六平直政、金守珍らによって演じられ、この時の映像はNHK衛星放送で何度か放映されている。唐組になってからも何度か再演され、不二稿京、桜井ひとみ、飯塚澄子らがヒロイン「くるみ」を演じた。百本以上になる唐十郎戯曲の中でも傑作のひとつである。

ホフマンをモチーフにしながらも、人から人へと移植される詩人寺山修司の「ジャガーの眼」を追い求める「くるみ」と、人形サラマンダに取り憑かれている田口(=唐)とが複雑に交錯する、交換と代行の物語。それと知らずにジャガーの眼の角膜移植をされた平凡なサラリーマンしんいち、死んだ犬の「ちろ」を生き返らそうとする中学生の少年、体中が他人の臓器や機械に置き換えられている外科医「ドクター弁」、人の思考を遮る(無意識の検閲官)トビラ、と魅力的なキャラクター満載で、観客の脳髄にずかずか入り込みかき乱す、まるで脳内撹拌装置のようなあの傑作がこの秋帰ってくる。

ちょうど唐さんを大学に招いた97年の秋に、ぼくはこの作品に出会った。水戸芸術館と雑司ケ谷鬼子母神の紅テントの中で頭をガーンと殴られたような強烈な経験をした。あの時の、飯塚澄子のくるみと鳥山昌克のしんいち、金井良信のトビラ、稲荷卓央のドクター弁、藤井由紀の少年、そして言うまでもなく唐十郎の田口も素晴らしかったが、今回稽古場公演で見た、赤松由美のくるみと藤井由紀のサラマンダ、そして秘密の少年役(秘密!)のキャスティングは、もしかするとそれを越えるのではないかといううれしい予感をもたらしてくれた。

唐十郎が田口を降りたのがちょっと残念だが、その代わりに稲荷が唐の「ジャガーの眼」を引き継ぐかのように新鮮な田口を演じていることと、今回新たに書き加えられた唐のための新しいキャラクター闇坂が登場するのが楽しみ。今回見た稽古場公演に、客演中で欠場している丸山厚人と久保井研が重要な役で加わる今回の「ジャガー」はもしかすると唐組の歴史の中でも伝説の舞台になるのではないかという期待が高まる。

寺山の「ジャガーの眼」の中でしか生きられず、寺山の死後もその角膜を移植された男を探し求める「くるみ」(くるみは脳味噌に似ている)と、田口=唐の眼の中でしか生きられないサラマンダ(火喰いトカゲであり、不死の象徴)という「脳内美人」に取り憑かれた人々が繰り広げるオペラの中で、田中容子、桜井ひとみの路線を引き継ぐ赤松由美が白いスーツをまとって宝塚の男役のように歌い踊りながら登場するシーンの陶然とするような美しさと、完璧な人形のような手足をもつ藤井由紀のサラマンダはまさしく唐十郎の脳内美人として、これまでで最高の出来だった。それともう一つの隠し玉の少年(秘密!)を演じる新人女優にも刮目した。

そんなこんなで終わった後の宴会も盛り上がる。唐さんはまだ二幕・三幕の書き直しがあるので、緊張感に満ちてはいたが、うれしそうだった。公演は十月一杯の週末、井の頭公園ジブリの森で始まって雑司ケ谷鬼子母神も回る。

そんな余韻の残る中、久保井研が客演している「庭劇団ペニノ」の『星影のJr.』を見にザ・スズナリに行くと、偶然、唐組屋台村公演バージョンでくるみを演じた桜井ひとみさんも来ていて、終わった後いろいろその頃の思い出話を聞けたのもシンクロニシティというもので面白かった。その他、前の週には流山寺事務所の「由井正雪」も本多劇場で観劇。原稿などでいろいろ追い込まれてはいるのだが、夏休みっぽい八月前半であった。

2008/08/19 : 01:08 午前 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.07.27

七月から猛暑が止まらない。

一ヶ月ぶりの更新になってしまい、いろんな人から突っ込まれる。
基本的には学期末で、授業、会議、会議、授業という感じで追い込まれていた。その間、二度程、野毛の都橋にある唐ゼミバーに。連中の横浜公演の場所探しにもつき合う。いろんな人が尋ねて来て、盛り沢山な七月であった。
映画や芝居ちょこちょこと。それから、本も書かなくてはならない。結局、夏休みにいろいろなことを押し込んでしまうことになる。今年の夏は大変だ。
後期の授業計画、来年のイベントなど、いろいろと課題が山積みだが、ひとつひとつこなしていかなくてはならない。
今日は、川崎市民ミュージアムの市民コンサートで唐ゼミ☆の宣伝のためのショートパーフォマンスにつき合う。来週は、夏休み前の最後の週で、二度程の飲み会とオープンキャンパス。それでようやく一息つける。080727155743

2008/07/27 : 10:00 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.06.30

帝塚山学院大学美学美術史科同窓会

 29日は、大阪心斎橋のホテル日航で、帝塚山学院大学美学美術史科の大同窓会が開かれた。
 ここには88年から非常勤講師を始め、89年から92年の3月まで専任講師を務めた。初めての専任勤めでいろいろな思い出がある。パーティは130人を超えて、とても賑やかだった。結局、四次会までつきあって、心斎橋に泊まったのだが、本当になつかしかった。雨がちな曇り空の大阪は、亜熱帯を思い起こさせるほど、とても蒸し暑く、その湿った、体にまといつくような暑さの中で、あのころの記憶が鮮明に浮き上がってきた。

 小さな女子大で、学科の専任教員が6人、一学年60名のとても贅沢な学科であり、ぼくを呼んでくれたのは、日本美術史の大長老、故・源豊宗先生の愛弟子であり、30-40代にかけて華々しい業績を挙げておられた吉田友之さんだった。この吉田さんと、現在同志社大学に移られた太田孝彦さん、京都精華学長の島本浣さんとは、毎週のように難波で飲み歩いていた。他の学科スタッフや学生たちは言うまでもなく、他学科の先生たち、事務の人たちとも、しょっちゅう飲んでいた。奈良などへの遠足を兼ねた現地講義、ゼミ旅行、ヨーロッパ研修旅行など、学生たちと一緒に行くイベントも盛りだくさんだったし、講演会の企画も多く、ぼくも栗本慎一郎さん、山口昌男さん、中沢新一さんなどをお呼びしたことがある。

 吉田さんは1966年の大学設立以来のスタッフで、美学美術史という超マイナーな学科を一人でこつこつと作り上げてきた。非常勤講師も、関西の優秀な若手たちを集めて、その頃は、帝塚山の非常勤に選ばれることをみんな目標にしていたし、とても名誉なことだと考えていた。だから、神林恒道さんも、岩城見一さんも、加藤哲弘君も吉岡洋君も、他にもとても沢山の人たちが非常勤を経験しており、みんな吉田さんにお世話になっている。それなのに吉田さんは定年をはるか前にして60になる前に大学を辞めてしまった。ちょうどぼくが辞めたのと同じ年で、二人合同の送別会をしてもらった。その会は学生、教員を合わせて100人を超す盛大なものだった。あの三年間の間に、しかも実質週三日しか行っていなかったのに、なんだかとても沢山のことが起こったような気がする。

 今回も久しぶりに吉田さんにお目にかかれるかと楽しみだったのだが、数年前から目の具合が良くないらしく、残念ながら欠席。ていねいな葉書を頂いて、二次会の時に電話をかけ、みんなに代わってもらって話ができた。こんなにみんなが大切な思い出にしているこの学科が存在していたのは、ひとえに吉田さんの力の賜物であり、この学科は吉田さんの最大の作品のひとつなのではないかというようなことを、みんなで話した。

 たった4年しか勤めていなかったし、ぼくの直接担当していた元学生たちは、大半が遠くに住んでいたり、まだ子供が小さいこともあって、4-5名しか来ておらず、少しさびしかったが、他のゼミの卒業生や、一二年で授業を受けてくれていた人たちも多く、声をかけてくれる人も沢山いてうれしかった。美学美術史科と縁の深い元教員も駆けつけてくれていて、それもまたなつかしかった。90年前後の思い出に浸りながら、心斎橋から難波付近を飲み歩き、最後はあのころの定番のカラオケ。

 帝塚山学院は、小学校からあって、その歴史は大正時代にまで遡る。大学の歴史は比較的短いが、「お嬢様大学」として知られるここの学生たちはとても強い個性があり、それは特に下からあがってきた学生たちがそうなのであるが、大阪の良家の子女といったもの。それも、単なる箱入り娘なのではなく、ずっとこの地に根付いている育ちの良さというか、優れたバランス感覚と強靭なコモン・センスに支えられたものであり、学ぶことが多かった。こういうのはいわゆる受験偏差値だけではわからないもので、卒論などでも思いがけない粘りを見せたり、卒業後も美術に関連する仕事についている者も多い。一種の生活知に長けており、現実感覚などは、そのころのぼくよりもずっと上なのだ。彼女たちは、美学や美術史という、現実にはまったく役に立たないことに打ち込む研究者や学者を本当に尊敬してくれていて〔もちろん、本当は大して立派ではないし、彼女たちにも薄々はわかっていたんではないかと思うけど、とにかく「立てて」もらっていて〕、付き合っていると本当に楽しかった。今でも卒業生たちとはたまに会うことがあるし、年賀状だけのおつきあいにしても、ずっと続いている人も多い。もちろん、女子大ゆえの難しさもあるし、ぼくも今よりもさらに未熟だったので、不必要に彼女たちを傷つけてしまったりしたし、後悔することも多いのだが、それでも楽しかった思い出や感謝の気持ちの方が強い。

 辞めた後も、しばらくは集中講義に呼んでもらったり、イベントに招いてもらったりしていたのだが、残念ながら大学の経営が徐々にうまくいかなくなり、その打開策として短大を改組して作った新学部-ここには松岡正剛さんや椿昇が一時居た-に力を入れたことで、元々の文学部の方が弱体化し、しばらく前には美学美術史科自体がなくなってしまい、昨年からは男女共学となり、また来年からは改組して文学部自体が新しい「リベラルアーツ」学部に縮小化されるという。もはや、ぼくたちが共に学び、「卒業」した学科自体がこうして消えてしまったわけなのだが、それでもあの時代に関わった人たちにとって、帝塚山学院大学の美学美術史学科というのは、人の結びつきの記憶としていつまでも消えないのだということを、改めて感じた。だから、こういう大同窓会もそうだし、元のゼミ生たちとも、またこんな形で集まることがきっとあるに違いない。ぜひまたやってください。

 なつかしい難波や心斎橋の辺りを長いことうろついて、横浜に戻る。ここが今のぼくの戦場である。

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2008/06/30 : 11:01 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.06.15

唐組「夕坂童子」千秋楽

4月から続いてきた劇団唐組の「夕坂童子」が本日で終了する。
今回も大阪初日から、花園神社、雑司ケ谷鬼子母神と通い続けた。

この作品は、読売新聞夕刊で連載中の小説「朝顔男」がきっかけとなって書かれた下町もの。
鴬谷の坂道をめぐって、「朝顔男」の登場人物たちが「坂に沈む夕日にかざす手袋は何がふさわしいか?」をめぐって賑やかに暴れ回る。

通常、唐十郎の劇作品で小説をベースとしている場合には、小説のモチーフを大きく膨れ上がらせたり、複数の小説を組み合わせた複雑な構成になるのだが、今回はその逆。連載中の複雑な物語とは関係なく、登場人物や背景だけを借りてシンプルな小品に仕上げている。

何せ、物語は単純。ドラマとしては人間同士の対立というよりも、舞台半分を占める「坂」と人々(子供たち)の対立しかないし、物語としては「夕日にかざす手袋」しかない。さまざまな細かい下町的なオブジェが散乱する舞台の上で、朝顔−夕顔、山の手−下町、夕方と夜といった二項対立的なイメージがいくつも重ねられ、夕顔のイメージはビクターのトレードマークの犬が耳を傾ける蓄音機の「ラッパ管」へとつながていく。それらの「ブツ」の連鎖は隠喩ではなく、それら自身のアウラ的な存在感と物質感を主張し、役者の身体と張り合っている。

グローバル資本主義の時代に、鴬谷という場末の下町で、夕日にかざす手袋だけをめぐって展開するこの作品は、しかしながら、微細なものに無限大の想像力を注ぎ込むこの作家の作劇の魔術によって、この時代の空気を鮮烈に切り裂いていく。坂上から差し込む夕日を浴びて道路で遊んでいる子供たちが、ひとりひとり帰っていく。黄昏から夜へと向かっていく夕空を見上げる、最後に残された子供の孤独のようなものが、誘い坂に攫われた「暮之介」の話と、ラッパ管を取り出そうとする時にみんなが立ち去り、一人だけぽつんと舞台に取り残される主人公が鮮やかに響き合い、そして最後にまるで夕日の残照を観客に分け与えるかのように、巨大なラッパ管を客席に向けてゆっくりと動かすエンディングは、言葉と「ブツ」のマジックを自在に操る作家の真骨頂であり、見事としか言いようがない。極小の世界の中に極大の宇宙が出現する瞬間である。

構成的には役者たちが次々と現われ、キャラクターと持ち芸を披露するというイタリア喜劇や浅草軽喜劇的な展開であり、丁々発止の役者同士のやり取りによって、客を乗せていくスタイルなので、前半ではまだタイミングが合わずぎくしゃくしていた舞台も、後半になって見事なアンサンブルを作り出すようになってきた。とにかく出演者全員がのびやかに楽しそうに演じている。これを見せられると、一幕の軽妙でスピーディな展開に腹の底から笑い、二幕の「夕顔」と「手袋」をめぐる協奏曲のような展開に引きつけられ、最後に蓄音機のラッパ管に、もどってきた全員が手袋をかざすシーンでは、胸が締め付けられ涙が流れてしまい、なぜこんなことにこんなに単純に深く感動してしまうのだろうかと、唐流のマジックに魅了される。

そんな感じでどんどんのめり込んで行ってしまった。

いつものように色々な人がやってくるが、とりわけ昨日は二十年近くぶりに紅テントを訪れた柄谷行人さんと唐さんとのやりとりが面白かった。極度に緊張しながら話していた唐さんが、泥酔して柄谷さんに絡み、それでも最後は手を取り合い抱き合うといった不思議な光景に同席できたのはラッキーだった。さて、今日は何が起きるのか。

それ以外に、この間、いろいろな人が研究室に尋ねて来たり、出かけて行ったり、なかなか充実した日々。若松孝二「連合赤軍・実録浅間山荘」、望月六郎「JOHNEN−定の愛」、南河内万歳一座「ジャングル」などに顔を出す。唐ゼミの野毛バーもいろいろな動きが出始めて面白くなっている。

2008/06/15 : 12:06 午後 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.05.15

四川省の地震

ぼくのゼミ生の女の子の故郷も震源から50-60kmの近傍であり、ご両親の消息はまだ分からない。おばあさんが小学校に避難していることだけは分かったが、その他の親戚の消息もわからない。もちろん電話もメールも通じない。ボランティアで現地入りできるのなら、今すぐにでも参加したいと言っていたが、武装警察と軍、少数の中国人ボランティア以外、外国からの人的支援はなかなか受け入れ態勢が整わない。とりあえず、募金はできるし、お金なら何とか支援できるが、生き埋めになっている人の救出の時間的期限が迫っているのにもどかしい。それでも今回の台湾人の同胞に対する迅速な支援には驚いた。総選挙以来の大きな事件だからということもあるだろうけどね。震源地がチベット族の自治区であったということもあり、中国をめぐって、ここから何か大きな変化が起ころうとしているのかもしれない。
それでも中国の方がまだ全然マシだ。ミャンマーと比べれば、だけど。

2008/05/15 : 12:51 午前 旅行・地域 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008.05.12

日本記号学会第28回大会「遍在するフィクショナリティ」終了

さて、3日に唐組の初日に顔を出してからそのまま水戸入り。
4,5,6と三日間のバッタ公開も最終日の青空に救われて無事終了。
いろんな人が来てくれていろいろなことがあった。が、それはまた後日。
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そのまま、息継ぎする間もなく週末は京大での日本記号学会の大会

いやあ、今回もいろいろ考えさせられた。
今回は河田学君に企画を任せていたのだが、なかなかまとまらず、四月の初めに日帰りで京都に行き、急遽決めたのが初日の企画、

シンポジウム「すべての女子は《腐》をめざす─BLとフィクショナリティの現在」

だった。

遍在するフィクショナリティということから、携帯小説やblog小説、BLなどを扱おうということになり、「腐女子」に詳しい清田友則君に電話で相談。『やおい小説論』の著者である永久保陽子さんを迎えて、BLや腐女子についてのセッションをやることにした。基本的には永久保さんに30分くらいレクチャーしてもらって、清田君といろいろ事前に準備したことを永久保さんとの一問一答形式で進めて行こうという話だったのだが、結局永久保さんは10分程度で話をやめてしまい、あとは手探りで話を展開していく「メディア基礎論」スタイルになった。これはこれでスリリングで面白かったのだが、会場の一部には不評。「シンポジウム」というジャンルを「お約束通り」やって欲しかったらしい。お約束通りのシンポジウム程退屈なものはないのに‥‥。もちろん、清田君の特異な個性もあり、別な一部にはきわめて好評。手を打って面白がってくれる人たちも沢山居た。これほど正反対の評価が出てくるセッションも珍しく、その意味では最初から荒れ模様だったのだ。

BL(boy's love)と呼ばれる男性同士の性愛を描いた漫画や小説は、「腐女子」と呼ばれるオタク系女性たちに幅広い人気を得ており、いまや一般書店で独立した大きなコーナーをもつほど「一般的」なジャンルになっている。これらは基本的には少女漫画の伝統を受け継ぐ心理小説的「純愛物」スタイルを持ちながらも、過激なセックスシーンを含む倒錯したポルノグラフィなのだが、驚く程パターン化されている。消費者である「腐女子」たちはそのパターンを楽しみながら、密かに自らの抑圧された性衝動を発散させている。

永久保さんの説明するストーリーは、「抑圧された女性たちの性欲を満たす、女性のためのポルノグラフィを試行錯誤で作り上げている、女性による女性のためのセクシュアリティの解放」こそがBLであり、その視点から「作品研究」を積み重ねて行くことが重要であるというもの。

それに対して、ぼくの思惑は、このようなストーリーこそが「フィクショナリティ」であり、そうしたフィクショナリティが一般化され、「有力な商品」として消費の欲望の対象になってしまうという現代的な状況を記号論的に暴き出せないかということだった。確かに以前の「やおい」の女の子たちは複雑な性意識を投影しており、そこには何かしら日の当たるところには出せないうしろめたさのようなものがあったに違いない。だが、現在のあまりにメジャーになった「BL」の愛好家たちはもはやそのような背徳的な暗さとは無縁に、一般に認知された商品としてあけすけにそれを消費しているようにしか思えない。オタクやコスプレに関しても同じようなことが言える。この変化は一体なんなのだろうか?

一方で、清田君の作り出そうとしたストーリーは、自らのセクシュアリティやジェンダーをこのような屈折した回路に注ぎ込んで行く「腐女子」たちの中に、セクシュアリティ一般の向かう方向を見出していけないかというようなものだった。この流れで言えば、すべての「女子」ばかりではなく、すべての「人間」は腐女子を目指しているということになる。そして、そこにはファロス中心主義やゲイ、レズビアン、クイアなどに関するこれまでの議論を超えていく、人間の自らのセクシュアリティとの関わり方を解く鍵があるかもしれないという期待もこめられている。

しかし、話がそうした抽象的な局面に移行しようとすると、永久保さんの顔が曇り、「BLと腐女子の話に戻して下さい」というようなことになる。彼女がついてこなければこのセッション自体が成り立たなくなるので、またその平面まで降りて行って、腐女子たちのセクシュアリティの話に戻る。その繰り返しで、いくつもの面白くなりそうなトピックが中途半端な展開のまま置き去りになってしまった。前半では、セクシュアリティこそがフィクションだ。もしくはセクシュアリティを作り上げているのがフィクションだ、というような事が浮かび上がってきて面白くなりそうだったのだが、なかなかその先に進めない。

休憩後、フロアに質問をしてもらう段階になってくすぶっていた対立が前景化してきた。この手のイベントには異様な程、多数の挙手があったのだ。チラシに惹かれて集まったオタクと腐女子、及びそのシンパたちの大群である。今回は無料で入場できるようになっている(プログラムが欲しい人は二日間の参加費込みで1500円)。しかも、それらの質問者たちの大半は学会員ではなく、永久保さんに(だけ)、BLのジャンル論や重要作家を訊ねてくるといった「データベース型消費」者たちの群れだったのだ。要するに、私もBLが好きである、BL以外のオタクだが、BLの魅力について関心がある、BLと他のサブカルチャーとのジャンル的な相違について、というような質問ばかり続く。中には、永久保さんの話(だけ)を聞きたかったのに、オジサン二人が遮るので駄目なシンポジウムだったと指摘する人まで現われ、失望と怒りが募ってきた。まあ、スーパーマーケットの人気商品の売り場でその商品の悪口を言っているようなものだから、ある意味当然の帰結だったのだ。次から次へとその手のオタク質問が続き、永久保さんもその方が安心するのか、セッション中の途切れ途切れの話し方から一変して澱みなくしゃべり出すようになって、さらに会場からは沢山の手が上げられるようになった。このまま終わらせたのでは、今回の学会の企画意図が完全に潰されると思ったため、こちらからキレて、質問を封じるという実力行使に出ることにした。

そこからは、ネットでの「炎上」のような混乱が。突然会場から学会とは何の関係もない学部学生が立ち上がり司会者の横暴をなじり、室井さんたちは全く面白くなかった。面白かったと思う人、手を挙げてくださいと言いだし、それに便乗して不規則発言する人も出てくる。

ぼくは、ここは記号学会である。みんなが同じ価値観を共有したり、スーパーマーケットの商品コーナーにそれが好きな人が集まって情報交換したりするようなことではなくて、異なる価値観、異なる専門領域を持つ人たちが境界を越えて行こうとする場なのだ。ぼくたちがこのセッションで試みたのもそれであり、そうではないオタク・トークはどっかよそでやってくれというようなことを言ったのだが、明らかに全くそれが通じない人たちがいたし、その一部は次の日のパネリストであった。こういう風景は見覚えがある。タバコの話の時にわさわさと群がってきたネット嫌煙運動家たちとそっくりだ。

ただ、面白いことにその後のパーティでも、二次会でも、むしろぼくたちに共感し支持してくれる若い人たちが多数集まってきてくれたのは心強かった。ある意味、衝突を作り出すことで問題点がかえってくっきりと浮き上がってきたとも言える。また、この手のデータベース型消費者は実は心に深い不安感を抱いていて、同時にフロイトやラカンを読みふけっている者も多く、ひとりひとりきちんと話してみればちゃんと話が通じるのだ。ただ、そのまま四十代前後までなってしまった団塊ジュニア世代の大学教員はもはや話が完全に通じなくなっている。

 そして、その混乱と衝突から一夜明けて、次の日に開かれたもう一つのシンポジウム、

「物語を語ること、フィクションについて語ること」
奥泉光[作家・近畿大学]×岩松正洋[関西学院大学]×石田美紀[新潟大学]

 では、物を作り出す側の作家である奥泉さんと、二人のデータベース型消費者の対比が浮き彫りになってくる。プロットとキャラのデータベースからフィクションのジャンル論を語る二人に対して、作り手の奥泉さんは、「物を書くということは、それだけには留まらないsomthing else があって、それは書いてみないと分からない」と言う。すると、それは直ちに「そのsomething elseというのは、ノリとかグルーヴ感とかいうものですよね?」と、消費者から見た商品特性に変換される。この唖然としてしまうような取り違えには誰も気づかないまま、物を作る側とそれを消費するだけの側とのすれ違いは最後まで続いていく。「奥泉さんの小説を読んで泣いたんです。泣き要素というのは、萌え要素と比べて数は少ないんですが、奥泉さんはそれをちゃんと押さえて書いている」というような発言。読者が泣くのは感動するからではなくて、きちんと泣き要素を取り込んだ優秀な商品だからだと言いたいようだ。自分に充分な「快楽」を与えてくれる商品としてしか「文学」や「芸術」もありえない。そこではサブカルチャーも伝統文学もすべてゲームの規則を備えたデータベースの項目、消費者に個別的で多様なニーズに応えた快楽をもたらしてくれるグローバル・スーパーマーケットに並べられた商品として等価である。データベースの無時間性が、この終わらないワンダーランドを支えてくれている。この、もはやアイロニーとも呼べない程のどうしようもないニヒリズム。フロアからも、オタク的知識をひけらかし、2ch的に「おまいら、まだまだだな」というようなことを言いたがる質問者が次々現われ、もはやあきらめた。「データベース型消費」者たちは気づかないうちにこんなに増殖していたのだ。東浩紀の影響力は思っていた以上に凄い。BLや「ラノベ」の「ユーザー」が蔓延していくわけだ。
 物心がついた頃からネットで育っている世代にとって、世界とはこのようなグローバル・スーパーマーケットに他ならず、生きるとはその中でもっとも自分に快楽を与えてくれる商品やジャンルを選択し、その中で遊ぶことにすぎない。「データベース型消費」の快楽に浸り込む人々は確かに増えてきているし、彼らはこの「窒息感」をネットやコミュニティの中で共同化することによって乗り越えようとしている。だが、それでもぼくたちはスーパーマーケットの「外部」やデータベースやジャンルの規則には取り込めないものがあることにこだわりつづけなくてはならないと改めて思うのだ。全く話の脈絡や構図を理解できずに、その日の晩のうちにぼくたちのシンポジウムのとんでもなく見当はずれな悪口を書き散らしている「ユーザー」たちのblogや日記を見て、情報社会は新しいタイプの心の牢獄を作り出しているのではないかと思った。本当に外部どころではなく、隣の商品コーナー(「関心領域」と名付けられる)すら見ようとしていない「ネットワーク化された心の巨大な閉域」が生まれつつある。

学会とは共感の輪を広げたり、自己正当化を相互確認するような場ではなく、ひとつの場所に人が集まることによって新しいことが生まれてくる場所でなくてはならない(キャリア作りやポストを配分する既成の学会と日本記号学会とでは全く違うけれども)。その意味では衝突と対立を生み出した今回の学会はけっして無駄にはならないだろう(各セッションのつながりや内容は本当に情けないほどバラバラになってしまったけれども)。というわけで、次の本にはこの経験から得たものを取り入れて行きたいと思う。

会場には先週も唐組でご一緒してから、少し元気になられた山口昌男さん、久しぶりに来られた脇坂豊さん、松島征さんらの顔も見えた。山口さんは久しぶりにカッとなったぼくを愉快そうにからかって楽しんでいた。永久保さんに歴史的な文学の系譜やさまざまな文学理論の視点からBL研究に取り組んだらと助言されていたのも、いかにも山口さんらしい。

連日、沢山の友人や若い大学院生たちと飲み会で盛り上がり、最終の新幹線で東海大学の水島久光さんとビールを飲みながら帰った。来年の記号学会は東海大学で開かれる。

2008/05/12 : 09:53 午後 文化・芸術 | | コメント (3) | トラックバック (0)

2008.04.21

バッタin水戸芸術館'08

またしても、水戸芸術館からバッタ公開のお声がかかった。

今回は5月4-6日三日間の展示だ。

今回は芸術館でもいろいろと考えてくれて、お揃いのTシャツ、ビデオ上映やトークショーなど、これまでと違った企画でやる
ことになった。天気が良ければとても気持ちのいい展示になるだろう。

2001年に第一回のトリエンナーレでこのバルーンと出会ってからもう7年‥‥。こいつは、大阪万博公園の太陽の塔と対決したり、金沢の小学校や芸術村、去年はTEXの柏の葉駅前やなんとトロントまでも出かけた。その様子はYoutubeで見られる。


今回はそうやって船便で戻って来たこいつの検品も兼ねた展示で、場合によっては大修理を行うことになるかもしれない。

そんなこんなで、今回も水戸のボランティアの方にお世話になるわけだが、どうも今回集まりが悪いらしい。締切は過ぎているけど、まだまだ募集しているので是非ご参加下さい。今回は椿昇デザインの特製Tシャツのプレゼントもあります。

「案内チラシ」を見る

椿とのトークショーは初日4日の午後2時から予定されています。どちらも入場無料。

ぼくは三日間ずっと現場にいるので、是非声をかけて下さい。天気が良ければきっと素晴らしい気分転換ができると思います。

それから、その翌週10-11日の日本記号学会大会のプログラムが固まった。今回は京都大学で「遍在するフィクショナリティ」というテーマで行われる。近くの人は是非ご参加下さい。どなたでも入場できます。

2008/04/21 : 08:59 午後 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.04.16

クロード・チアリ45周年コンサート

チアリさんには80年代後半から90年代前半までとてもお世話になった。この64年に「夜霧の忍び逢い」が世界的に大ヒットしたギタリストは毎年の日本ツアーで知り合った神戸の女性と結婚し、日本に帰化し、関西を中心にタレント、音楽家として活躍していた。

付き合いが始まったのは、元々は87年から商用サービスを開始したPC-VAN(現在のBiglobe)でチアリさんが始めたForum"NEC98 by CIARI"(通称チアリSIG)で、Sigop05として彼の手伝いをし始めるようになったことからだ。

その頃、ぼくはアスキーから出ていた「パソコン通信」本にとても惹かれており、当時のぼくの収入ではかなり無理があった16bitパソコンPC9801-UV2を長期ローンで買ったばかりだった。300bpsのモデムボードを電話線につなぎ、草の根ネットで情報を集めていた頃にNECのPC-VANと富士通系のNifty-Serveがほぼ同時に商用サービスを開始したのだ。立ち上げの時の会員数は両方とも2000人くらいだったと思う。まさしくネットの「開拓時代」だったのだ。

当時の主流だったNECの9801シリーズはIBM-PCとの互換性がなく標準OSもMS-DOSではなかったのだが、チアリSIGにはプログラマーたちが徐々に集い、オンラインでソフトウェアを開発する動きが加速された。日本初のオンライン・ソフトウェア運動だったのである。ここはよくも悪くもチアリさんの個性によって彩られたコミュニティだった。規模としてはNiftyのソフトウェア・フォーラムには敵わなかったが、チアリさんの人柄に惹かれた多くの人が集う巨大な広場になっていった。

ぼくもここでいくつかのフリーウェアを共同で制作したり、何と言ってもIBM-PCのソフトを98で動かすことのできるエミュレータ「SIM」というきわめて重要なソフトのプロデュースをお手伝いすることができ、それは日本のソフトウェア文化に大きな影響を与えることになる。この頃はパソコン雑誌によく原稿を書いていた。

草創期のパソコン文化を創った人たちと沢山出会えたし、チアリさんのご自宅にも何度もお邪魔して家族ぐるみでのおつきあいがあった。いわゆるOFF会(チアリSIG用語ではギャザリング)も何度も開催され、とりわけ89年には名古屋で日本全国から会員が集まった大パーティをしたのも思い出深い。あの頃は、98LT(最初のラップトップ)、東芝のJ3100やDynabook、Macintosh Plus、MacII Ciと次から次へと心惹かれる機械が出現し、貧乏なのも忘れて新しい機械をどんどん買っていた。関西のネット仲間たちとはしょっちゅう集まっていたし、日本中に支えてくれる仲間たちがいた。

ただ、初めて体験するオンラインのコミュニティのスピードはもの凄く、急速に親しくなって行く人がいると共に、急速に行き違いが起こって対立や誤解が生まれたり、派閥抗争が起こったりもしていた。それをまとめたのは親分肌のチアリさんの人徳によるものが大きい。

だが、それも93年〜94年頃に起きた内部の対立で、ずっと心を許してつき合って来た人たちとの離反が次々に起こり、ぼくもチアリさんもうんざりするようになってしまい、自然にぼくはSIGOPを止め、チアリSIGも自然に消滅して行った。今になって考えてみるとあの時の対立は、90年代のITビジネス型の文化とハッカー的なアマチュア文化の対立だったような気もする。ギタリストになる前にIBMの大型コンピュータの技師の経験もあったチアリさんにとって、コンピュータはいつまでも夢の玩具だったように思われる。そして時代は進み、インターネットの時代になりPC-VANも終わり、Biglobeは単なるプロバイダになってしまった。

それから14,5年。チアリSIGの黄金期からは約20年が経過した。今回は六本木でのコンサートに奥様からのお招きを受け顔を出した。チアリさんは少し肥った以外は前と変わらず。昔まだ小さかった二人の子供はもう結婚している。二時間近くの演奏を終えた会場にはぼくたちよりも更に古くからの客たちが沢山詰めかけており、チアリさんを囲んでいるので、簡単に挨拶をして握手をし、外国人たちと若者が群がる六本木の町へと退出していった。

それはネットワークにパソコンをつないでいた人が、多分全部合わせてもまだ一万人も居なかった時代の話だ。その頃、このイタリア系=ウクライナ系の南仏生まれのフランス人ギタリストが日本のネット文化の基礎を築き上げたことを記憶から消してはならないと思うし、また自分がその運動に関われたことを改めて誇りに思う。080415202651b

2008/04/16 : 12:35 午前 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.03.30

春休みも終わり

この期間にずっと温めている原稿を進めることができる予定だったのだが、結局は入試が終わってようやくと思った17日にまた父が緊急入院。今度は三泊四日の沖縄旅行の疲れが出て急性肺炎で呼吸困難になり救急車で運ばれた。またしても、処置が早かったおかげで二週間で完治。入院期間中に今度は母が軽度ではあるが肺炎に感染してしまい、結局はそのケアに忙殺された。なかなか思うようにはいかないものだ。
26日には卒業式。27日は日本記号学会の理事会と続き、疲れ気味。このまま今週からは新学年が始まってしまう。今年は全学の教務委員長なので入学式にも顔を出さなくてはならない。いつのまにか桜も満開、また新しい春が始まる。

2008/03/30 : 09:20 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.03.03

韓国版「盲導犬」公演

26日、成田から韓国・全州に向かった。だいたい2005年の夏に初めて全州に行った時と同じようなスケジュール。とにかく全州は遠い。

とは言え、仁川空港からの高速バスはソウルの中心部を避けて通るルートに変わっていて、渋滞もなく休憩も無く3時間ちょっとで到着してしまった。今回、携帯電話を持って行ったのだが、仁川では通話できたのに全州ではつながらない。なぜかメールだけは通じる。これは最後までずっとそうだった。夜になると流石に寒さが身にしみ、コアホテルのロビーに逃げ込み、メールで到着を伝えると椎野と韓国人キャストの一人が車でやってきた。車の中で立派なパンフレット兼ポスターとチケットを見せてもらった。彼らは全員でこのポスターを全州の町中に張りに行ったらしい。

とりあえず歓迎会ということで、サムギョプサルを食べに町に出る。朴炳棹教授はみるからに体調が悪く、去年の初夏からずっと具合が悪いという。無理をせずに飲まないで早く寝てくれと言うが、この日のために体調を整えて来たのだから大丈夫となかなか帰らない。ぼくも今日は早く帰るからと言って11:00頃には終わらせたが、他のメンバーは照明稽古のためにまたホールに戻っていった。前日から、最初に日本に来た時のメンバーであり、現在はソリ文化センターの照明技師になっているキム・ドンファンが徹夜で照明の仕込みをしていて、結局全員で朝方まで照明稽古をすることになったらしい。翌朝、タクシーでホールに行くと日本組全員がまだ装置の手直しをしていた。中野が、あいつら軍隊に行っているといっても、全然根性ないですよ、と傲然と言い放つのがおかしい。そのまま10:00からはメイクさんが来て、三時間もかけて全員のメイクアップ、その間に弁当を取る。予定より遅れて3:00からゲネプロ。当然のように色々な問題が出てきて、6:30の開場時間ギリギリまで手直しに時間がかかった。

ぼくはと言えば、春休み中で学生たちの姿がほとんど見えないキャンパスで、本当に客が来るのかどうかとじりじり外を見ていた。それは本番前にようやく顔を見せた朴炳棹も同じらしく、じりじりしながらロビーに立ち尽くしている。以前に日本にも来たなつかしい卒業生たちや、入学が決まったばかりの新入生、演劇科の先生たちや学部長らが顔を出してくれるが、400席ほどあるホールに70人程度しか集まらない。遅刻者を入れると100人弱にはなったようだが、それでも広いホールを埋めるには全然足りない。どうやら、日本も2月で年度が終わる韓国と同じで2月中にやらないと助成金が使えないと思っていたようだが、こんなことなら一、二週間伸ばしても良かったのにと思う。こんなことにも異文化コミュニケーションの難しさがあったわけだ。朴炳棹が元気がなかったにしろ、それにしても韓国人学生たちの制作能力の低さにも少し腹が立つ。分業システムが徹底していて、彼らは役者以外の仕事に全く関心もなければ、熱意ももたないのである。
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芝居はと言えば、基本的には新国立劇場での唐ゼミのと同じだが、韓国語の台詞や韓国人俳優のきびきびした演技、日本とは色調の違う照明やメイクなど新鮮な感じがした。とりわけ、婦警サカリノ(韓国版ではヤシ)、タダハル役はとても良く、またパク・サンジュンのやった「先生」やフーテン少年もかなり頑張っていた。全体的にはかなり完成度が高かったのだが、リュウ・ソンモクのやった「破里夫」とパク・ダヨンの「銀杏」は少し重かったかもしれない。キャスティングは向こうの指定なので、二人ともとてもまじめに頑張ったのだが、やや彼らには荷が重かった部分もあった。また、擂り鉢形の幅と高さが大きなホールでの中野敦之の演出にもやや不慣れな部分が多く、とりわけエンディングの展開は少し厳しいところもあった。ただ、それは何度もこれを見ているぼくの感想であり、初めて見る観客たちはそれなりのインパクトを受けたようだ。終わった後、すぐにバラシに入る彼らを残して、大人のゲストだけで朴研究室で話をしたが、どの人も大きなインパクトを受けたようで、質問攻めにあった。また地元の新聞社の記者も来てくれて翌日大きな記事にもなった。さらに11過ぎに片付けを終えたメンバーと前回「ユニコン物語」を上演した大練習室で打上げ。みんな弾けまくっていた。この日もぼくが帰らないと朴炳棹が帰ろうとしないので、名残惜しく1:00にホテルに戻る。結局残った奴らは3:00から4:00、そのまま床で寝た者もいれば、最終居残り組は5:00過ぎまで飲んでいたらしい。
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次の日は轟沈したメンバーを残し、中野と二人で名物のもやしクッパを食べに出て、中心部を散歩する。中野は食べ物に対する天才的な執着心を持っていて、前回ごちそうしてもらった全州一のビビンパ店を自力で見つけ出し、結局昼過ぎに起き出した日本人、韓国人合流組15人で再び全州ビビンパを食べる。ここの店は真鍮の器にいろいろな野菜が入った繊細で極上のビビンパを出してくれる。それを堪能したあと、王宮を見学し、全羅北道南部の春香のテーマパークへ。これは韓国に伝わる春香伝説の場所だったらしいが、要するに観光用のテーマパークだ。そこから戻るとまた朴炳棹のおごりで韓定食。余りに彼の調子が良くなさそうなので、帰るふりをして朴炳棹だけ家に帰して、また大練習室へ。そこで「盲導犬」のことや今回の舞台についてソンモクやダヨンと話し込む。彼らにとっても今回のイベントは大きな印象を残したことがわかり、やった意味があったと思った。
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全州最終日はまたしてももやしクッパ。昨日とは違ったスタイルで更にうまい。そこから大学に戻り荷造りをし、朴炳棹研究室でお茶を飲んだ後、大学正門前から出るソウル行きのバスに乗る。三時間程でソウルのバスターミナルに着き、景福宮の近くにある大元旅館へ。ここは質素で格安な宿として有名だ。そこから中野とヨンソンは日韓演劇交流センターで翻訳をしている木村さんのやっている坂手洋治さんの芝居へ。

残りのぼくたちは小劇場が沢山集まる大学路へと移動。手頃な演劇を探すが、結局インフォメーション・センターで勧められたゴムル・バンド・イヤギ(Junk Band Story)というミュージカル・ドラマを見に行く。これが思いがけず大ヒット。最初は150人程の地下ホールに30人程度しか客が居らずどうなることかと思ったが、時間を忘れるほど楽しくエキサイティングな時間を過ごした。韓国では「ナンタ」(台所ミュージカル)とか「ジャンプ」(格闘技コメディ)など超絶パフォーマンス系の舞台が人気だが、これはそれらとも少し違い、バンドコンテストに出場しようとする若者たちの話。メンバーはリズム音痴だったり音痴だったり、緊張症ですぐに下痢になったりとどうしようもない上に、お金がなくて楽器もない状態なのだが、その辺に捨てられている空き瓶やパイプを使ってコンテストで優勝するというような話。彼らはジャンク楽器や、口ドラム、口ギターなどを駆使して素晴らしい演奏をする。音響技術がすばらしく、後半はコンサートになるものの、きちんと芝居もでき、歌も踊りもすばらしく、すっかり引き込まれてしまう。演出家は「ナンタ」のメンバーだったそうだ。余りにすばらしくて終演後に表に出てきちんと挨拶をしている5人に話しかけると彼らも喜んでくれた。制作の人と話すと、日本語学科の出身らしく日本語も通じる。結局はこの公演に二日続けて行ってしまうことになる。

ソウル最終日は椎野や禿と景福宮、仁寺洞、南大門、明洞、東大門など忙しく動き、6時に中野や他のメンバーと合流。中野もマチネーでJunkBandStoryを見ていたのだが、他の演目も検討した挙げ句に結局はもう一度これを見に行くことになる。今度はほぼ満員で上の方から見たのだが、メンバーに少し疲れが見え、観客のノリも少し重かったのだが、それでも十分満足できるできばえだった。またメンバーとしゃべり、プログラムにサインをしてもらい、写真を撮って帰る。これ、誰か日本に呼んでくれないかなあ。タイニイアリスとかスズナリとかなら絶対に大ヒットすると思うのだけれども。

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2008/03/03 : 11:31 午後 唐ゼミ | | コメント (0) | トラックバック (1)

2008.02.24

ひと段落したので…

舞台芸術論B,Cの発表会が14日、15日と連続で行われた。

望月六郎組のショートムービー上映会は14日の晩に横浜駅西口の会場を借りて実施。約100名弱が集まった。

一週間前に監督にきてもらってラッシュ上映を行ってから、再編集と簡単な撮り直しで大丈夫と言われたひと組を除いて、残り二組は「手直し不可能」と言われてしまい、そこから戦いが始まっていた。二年の女子学生監督は無理な日程の中でスタッフ、キャストを集めて撮り直しと再編集。毎日徹夜で大学で作業をしていた。一方、単位無関係に参加した一年の男の子は、初めての撮影で音がよく拾えておらず、画質もバラバラで、手直し不可能。全部アフレコしなおすか、いっそ開き直ってメタ・ムービー風に作り直すしかないと言われ、最初は落ち込んだ自分の姿を映すとか、「ニコニコ動画」風に画面をコメントで埋め尽くすとかいろいろ言っていたのだが、自宅で一人でやっていたせいで上映会の三日前にクラッシュ。「上映会には出ません」と言う。呼びつけて話を聞くと、強い自己嫌悪に捕われてテープもデータもすべてめちゃくちゃに破壊してしまったので何も残っていないと言う。手伝ってくれた5,6名に悪いと思わないのかと言うと土下座して謝る。最近の子は追いつめるとすぐに土下座する。テレビか漫画で見ているからだろうか? 本当に謝っているのではない。追いつめると「じゃ、どうすればいいんですか?」と逆ギレる。

どうしようもないのでそのまま帰宅したら、10:30くらいにメール。「お恥ずかしいがカメラケースの中に粗編集したディスクが一枚残っていた。二年の子から一人でやっていないで、一緒に大学でやらないかと言われたのでいま大学に戻った」と言う。さらに女の子から電話がかかってきて、カメラケースは先生の研究室の中にあるらしい。鍵がかかって入れないとのこと。しばらく悩んだ末に、今から鍵を渡しに車でそっちに向かうから、お前も自転車で新横浜方面にできるだけ走ってこい。というと20分後くらいに全距離の半分近くで全速力で風の中を疾走してくる自転車に遭遇。結局、それから4,5人が大学に集まって徹夜で作業をしたらしい。そこまでは良かったのだが、次の日の上映会打ち合わせにことごとく遅刻、欠席。上映会で望月監督に「また次を作れよ」と励まされたのに「当分はもういいです」とヘタレな返事で拍子抜け。打ち上げでは、自分のシナリオが採用されず泥酔した女子学生に力は加減してはあったもののしっかりグーで殴られていた。そんなこんなも今時の学生らしい。でも、もう少しがっちり追いつめておけば良かった。

一方の久保井組はその間も稽古。結局は唐十郎が見にきてしまうことに危機感を抱いた久保井研は連日7時間の猛稽古。三日前までは最後まで行けていなかったのに猛チャージを見せ、15日の本番に。本番の前の日は久保井も泊まりこみ、朝から通し稽古。唐さんが見にきた1時の回と5時の回、見違えるような気迫にこもった演技をした。唐さんも喜んでくれて、同じ日に初日を迎える唐組の鳥山昌克君が柳橋でやった一人芝居「眉隠しの霊」に行く前に結局焼酎を何杯か飲んでしまう。唐ゼミの中野が唐さんと同行したが、結局朝方まで飲んでいたようだ。大学での打ち上げも全員が解放感を爆発させ、泣き出す者もいて大変。それでも、久保井が「来年も手伝ってくれる奴手をあげろ」と言うとパラパラしか手が挙がらなかったり、まだ2年生なのに「大学四年間で今日が一番楽しい日だと思います」とスピーチする者も居てちょっと鼻白む。要するに3年からは就職活動とか何やらでもう楽しい学生生活はないと思っているわけだ。まあ、授業の枠は完全に突き抜けてはいたけれども、所詮は授業やサークルではそこの壁は越えられないのかもしれないが、それでもこのメンバーはいろいろな困難を乗り越えて結束力が強まり、みんなで「動物園が消える日」の舞台となった東京ディズニーランドに行ったり、近畿大学の「動物園」にも8人もがやってくるなど、今回のことは記憶に深く焼き付けられたに違いない。

その間、18日には中野をはじめ唐ゼミ総勢6名が韓国・全州に出発。27日晩の韓国版「盲導犬」公演に向けて準備を始めた。韓国人キャストの風邪と接待攻勢に耐えながら、ようやく舞台のセッティングまでこぎつけたらしい。

そして、22日から24日までの三日間、東大阪の近畿大学での近大版「動物園が消える日」。23日日帰りで行ってきた。鶴橋でお昼を食べ、長瀬のホームに降りると、横国版の動物園職員を演じた二年生と一緒。そのまま大学町を歩いていると、不動産屋のセールスに「お部屋探しているんじゃありませんか?」と声をかけられ、どうやら受験生と父親に間違えられたと分かり気分が悪い。近大は三年前の「唐十郎フェスティバル」以来。駅前商店街の様子は少しさびれていて不景気を感じさせる。キャンパスに入ったら早速チラシをまいている学生に遭遇。土曜のマチネということもあり、100名ほどの客席はほぼ満席だった。エレベータで松本修さんに会い、研究室で西堂行人さんとしゃべっていると、うちのチームから8名が深夜バスなどで駆けつけているとのこと。唐ゼミ副代表の新堀航も来ていた。何しろ、一週間前にやったばかりの芝居であるから、客席でもうちの周りばかり賑やかだ。キャストはみんなキャラが立っていて面白い。全力でやっているので見ていて気持ちがいい。灰牙をやった小林徳久君は、近大版「唐版風の又三郎」の宮沢先生をやった卒業生だが、演出補という役割で唐さん、松本さんの片腕として頑張った。基本的には唐組版の音楽なのだが、やはり久保井版と比べると細部の演出が弱い。今回からは授業ではなくて「唐十郎演劇塾」という自主公演の形を取っているので、参加者のやる気と気迫が伝わってくるいい舞台なのだが、二幕に入るとやや息切れが目立つ。一番の違いは舞台装置で、役者の手作りでひとつひとつのブツが役者と対等に主張してくる唐組系の舞台とはちがってミニマルでリアリスティックな舞台美術がやや物足りない。久保井組では、教室を使うことで断念した本水も使っているのだが、その割にはエンディングの迫力は伝わらず。やはり、主演と演出はなかなか両立させることは難しい。だが、その小林君の灰牙はなかなか頑張っていて、唐さん一押しのオリゴ役、森レイ子さんは、楽屋で見かけた時とは一変して舞台映えする艶やかな姿で大器を感じさせた。あれで場数を踏んで行けば大化けするかもしれない。

久保井組の学生たちは夜の回も見て行くというので、近くの中華屋で早めの夕食をおごる。松本さんに伝えておいたので、どうやら終わった後の打上げにも入れてもらえて楽しく過ごしたらしい。雪も降り出し、身を切るように冷たい暴風が吹荒れる中、ぼくだけ新幹線で帰宅した。明日は入試、明後日から韓国に行ってくる。
Kindai

2008/02/24 : 12:02 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.02.02

一月も終わった

今のところうまくいっていることと、いま一つうまくいかないことがごちゃごちゃと絡まり合い、とにかく慌ただしい一月だった。大学でいろいろ仕掛けていることで、学生たちがここ数年記憶にないほど頑張ってくれているのは楽しい。卒論とかゼミとかなかなかうまく行かないことも多いけど。一番駄目なのが自分の仕事だ。結局、伸ばし伸ばしにしてなかなか手をつけられずにいる。このblogが更新されないのもそういうことなのかもしれない。原稿書いている時には、結構気分転換でここにも書く気になるものね。

唐さんの流れを組んで、唐組の久保井研に面倒を見てもらっている「舞台芸術論A/B」の発表会。「動物園が消える日」のメンバーが2チームに分かれて日夜稽古に勤しんでいる。去年の「愛の乞食」の件がいい影響を与えているようだ。2月15日に唐研の小舞台で昼夜と試演会を行うが、これが楽しみだ。現在水戸芸術館に客演中の久保井研も来週からは毎日駆けつけてくれるようである。

「動物園〜」と言えば、現在同時進行で唐さんが行っている近畿大学でもやっていて、こちらの試演会は2月22-24日。うちのメンバーも10人近く大阪まで行きたいと言っている。こういう相乗効果があるとみんなのやる気と気迫が違ってくる。92年初演のこの作品は、唐組では00年に盛岡だけで二日間再演、02年と03年に唐ゼミが三日ずつ大学と金沢でやっている。金沢の元サニーランド跡地や県立動物園でカバと対面したりといろいろ思い出深い作品。

同じく去年は三枝健起さんに担当して頂いた「舞台芸術論C」では、今年、望月六郎監督にお願いして20本のシナリオから選ばれた3本のショートムービーの制作中。三人の監督は一月に新小岩の望月宅に招かれて、手作り鍋で激励され、かなり頑張った。こちらは、14日の夜に市内の某所で上映会を計画中。こちらも凄く楽しみだ。

一方、唐ゼミ☆と日韓共同制作を行う全州大学演劇科の学生たち7名が1月21日から訪日。31日に帰国するまで、韓国語版の「盲導犬」の準備に明け暮れていた。こちらは、日本側6名が2月18日から訪韓。27日に全州大学のホール(600席)で、新入生歓迎イベントのひとつとして公演を行う。ちょっと画期的な出来事であり、公演にはぼくも合流する。

その他、卒論発表会とか、大学運営に関する会議とか、入試とか、おつきあいとか二月は何かと忙しい。春休みは毎年どんどん短くなり、3月26日に卒業式で4月2日には入学式だそうである。法人化以来、学長権限を強化し、中央集権化を進めると同時に、個人や各研究部門の自発的な研究計画の策定と外部資金の獲得推進という、いわば事業部制的なネットワーク化という完璧に矛盾しており、絶対に破綻するほかはない大学政策を進めてきた責任者たちはいったいどうするつもりなのだろう。もう、取り返しがつかないほどに、日本の大学は破滅への道を踏み出してしまっている。どうしようもないね。まあ、どちらにしても世界も日本もどんどん悪くなることは確実なので、でも、そんなことではけっして消されることのない生き物の輝きを引き出していくという楽しみは、身の回りにいくらでも転がっているので、めげることはない。負け組にこそチャンスが残されているのだ。

2008/02/02 : 11:35 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.01.09

今年の初エントリー

いやあ、年末年始と体調を壊してずっと寝込んでいた。まだ調子が変だが、もう仕事も始まってしまった。精神的にもかなりダウンしていたのだが、気を取り直して今年も頑張りたい。毎年のことだが、今年も年末〆切の原稿を何とか正月を使って仕上げた。今年は単行本を一冊出したいと思っている。

さて、「月刊リベラルタイム」2月号特集「『禁煙ブーム」に潜むファシズム』に、エッセーを発表しました。このところ日本パイプクラブ連盟のサイトで「煙から世界を読む」という連載をしていたのが編集者の目に入ったようです。フジ=サンケイ・グループから発行されている駅のキオスク売りの雑誌ですので、反響が楽しみです。一応、テレビ・新聞系のマスコミが嫌煙運動のおかしさを初めて正面から扱ったという意味では画期的な特集だと思います。是非手に取って読んでみてください。


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2008/01/09 : 11:40 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.12.15

師走で行事続き

 7日の石森史郎さんとのトークは何とか100名以上は集まってとりあえず成功。終わった後、唐ゼミ☆の協力で鍋を囲んで打ち上げができたのも良かった。石森さんの奥さんの房江さんも一緒でいろいろ楽しいお話を聞かせていただいた。お二人は結婚されてまだ五年程ということだが、まだ四十代の房江さんが、籍を入れた後で初めて夫が七十代なのに気づいて驚いたということである。石森さんはそのくらい若くて活動的だ。来年は初監督作品となる戦後のGHQを描いた映画に取り組むと言っているし、さらにその次回作も書いている。
 その後、8日は日本記号学会の理事会と日本パイプスモーカーズクラブの忘年会と、たまたま両方とも銀座で開かれた二つの会をハシゴ。さすがに次の日はバテていた。さらに13日には二年生のゼミ紹介と恒例のマルチ忘年会。だんだん学生たちが普通になって、元気がなくなっているのが少し寂しいが、まあいつものように二次会までつきあい、次の日はお世話になっている望月六郎監督の撮影現場に。ここに20名程エキストラに行っているのだが、熱気溢れる現場で刺激を受ける。もっと授業を受けている学生たちに参加して欲しかったのだが、バイトだ授業だとなんだかんだとノリが悪く、あげくに遅刻してすっぽかす奴も出たりとこれまた残念。何に対しても驚かず、感動せず、臆病な受信者の位置に引きこもろうとする学生たちをどうやったら引きずり出すことができるか、いろいろ仕掛けはしているんだけどなあ。望月監督は今週で撮影が終わり、来週忙しい中大学に来てくれることになった。学生たちのシナリオは20本程残っている。さあ、ここからどうなるか。

2007/12/15 : 11:24 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2007.11.30

12月7日にトークショー

来週の金曜日、大学でトークショーをやります。
以前のエントリーにも書いたシナリオライターの石森史郎さんをお招きして、映画「約束」の上映会とトークをします。本当は土曜日に広く一般公開でやりたかったのですが、76歳でも現役で精力的に仕事を続けられている石森さんのスケジュールの都合で金曜日の夕方になってしまいました。それでも、久々にぼくが企画するイベントですし、何と言っても35年の年月の記憶が込められているので特別なイベントです。忘れられないイベントになるように学生たちとせっせと準備をしています。幻の名作「約束」が大画面で見られる上に、そのオリジナルシナリオの作者がやってくるのですから、是非たくさんの人に見にきてもらいたい。

1972年にこの映画の映画評が新聞に出ていて、駅の地下道で佇むショーケン(萩原健一)のスチル写真に何かしらぐっとくるものがありました。ショーケンはグループサウンズ「ザ・テンプターズ」のヴォーカルで、「ザ・タイガーズ」の沢田研二と並ぶアイドルでしたが、この作品で役者として戦慄的なデビューを果たします。
また、岸恵子は「君の名は?」で松竹の看板スターとなり、その後フランス人監督イヴ・シャンピと結婚。後に離婚するがこの「約束」の時には四十歳。日本とフランスを行き来して女優を続けていたが、恐らく60年近くになる女優生活の中でもこの「約束」は彼女の代表作と言ってもいいだろう。

元々は二時間以上の分量のあるシナリオを、90分に無理矢理に短くした映画であり、多少切り詰められすぎたきらいもあるが、その分どの瞬間からも目を離せない凝縮した作品になっている。

もう一つ告知。唐十郎と劇団唐組を描いたドキュメンタリー「シアトリカル/劇団唐組の記録」が12月1日から渋谷のイメージ・フォーラムで公開される。唐ゼミの連中やぼくもなぜか映っています。こちらは、「新宿泥棒日記」を撮った映画監督・大島渚の次男、大島新監督の劇場用映画デビュー作。初日は監督と唐さんの舞台挨拶もあります。Photo

2007/11/30 : 12:40 午前