2009.11.18

追悼:大里俊晴君のこと

11月17日朝、起きると1:40分過ぎに携帯電話に着信が入っていた。マナーモードにしたままだったので気づかなかったようだ。パソコンを開くと深夜にメールがいっぱい入っていた。

大里君は前日の月曜日、授業をしに馬車道・北仲スクールに来ることになっていた。直前に、また出血し入院したということで中止になっていたのだ。気にはなっていたが、静脈が破裂するのはこのところ頻繁だったし、危篤になるようなことはないだろうと思っていたのが、静脈瘤破裂でそのまま帰らぬ人になってしまった。呆然としながら、朝からいろいろな人に電話をし、自分が責任者になっている委員会を休めないので、とりあえず大学から何人かに病院に行って、葬儀の相談に入ってもらった。

死因は、本人もよく言っていたが「不摂生」である。大里君は酒もタバコも全く受け付けないが、肉や魚を食べないベジタリアンであり、しかもそれはどちらかというとかつて生きていた動物を食べるのは嫌だという一種の思想からの菜食主義ならぬ菜食趣味であり、そのため甘いものやチーズ、卵、アイスクリーム、スナック菓子など高脂肪なものばかり食べていたこと。それで、大学に来てからはひたすら肥り続けていたが、極度の照れ屋で人前で体を曝け出すのが堪えられないということで、一度も健康診断を受けていなかった。病院嫌いで、この二年程はかなり体調が悪そうであるにもかかわらず、結局は喀血するまで病院に行くことはなかった。病気は、放置していた大腸がんが肝臓に転移してしまったというものである。昨年、大腸がんの摘出手術は行ったが肝臓は手術できる状態ではなく、血管のバイパス手術を行ったり抗がん剤の投与をしたりしていたが、好転する兆しはなく、この段階で医者から余命2-3ヶ月と言われていたらしい。無理にバイパス手術をした血管はよく破れ、何度も緊急入院しなくてはならず、とりわけこの一ヶ月はその頻度が高かった。だから、直接の死因はがんではなく静脈瘤破裂となっている。もしも健康診断を受けていたら、大腸がんの段階で簡単に快癒していただろうにと思うと、悔しいが、それもまた大里君らしいので悔やんでも仕方ない。

大里君との出会いは偶然だった。教育人間科学部の改組をしている時に、他の大学ではできない人事をやろうということで、ユニークな活動をしている人を幅広く捜していた。唐十郎さんを呼んだのもその時だ。大里君はその頃「ユリイカ」や「現代詩手帖」、「ジャズ・マガジン」などに音楽評論を書いていて、梅本洋一さん周りの若い人から「この人が最近一番面白いのではないか」と推薦されていた。その自伝的な著書『ガセネタの荒野』(洋泉社)を読んでとても面白く、ガセネタやタコの音楽もとても面白かったので、是非呼びたいということになったのだ。大学に助教授として呼ぶ条件が全部揃っていたわけではない。なぜなら、大里君はバンド活動を終えた後、パリ大学に留学していたのだが、博士論文に着手することもなく途中で帰国してしまったので、研究者のキャリアとしては早稲田大学学士でしかない。だから、ロック音楽のキャリアを無理矢理研究者としてのキャリアに置き換えて、いわば音楽家として取るしかなかったのだが、そのため給料の査定が低くなってしまった。この時に同時に着任したが、唐十郎さんと大里君、それから現在は慶應大学に転任した許光俊君の三人で、あまりにもユニークな新任教員ということで、歓迎の懇親会にこの三人が現れると保守的だった学部の人たちはかなり驚いていたようだ。

大里君はとても純粋な人であり、音楽活動以外のアルバイトはしたくないということで、いつも貧乏だった。友人の家に居候をしたり、あまりにも金がなくなると高層ビルの窓拭きのアルバイトをしたりしていたが、予備校とか塾とかといった仕事はけっしてしようとはしなかった。その頃40歳手前だったのだが、一度も「風呂付きのアパートに住んだことはない」と言っていて、着ている服はダイエーの特売の黒いジャケットとズボン、靴下ははいておらず、底に穴があいたサンダルを履いていた。その彼は、97年10月の就任の時には、「母親が、ちゃんと靴ぐらい履いていきなさいとうるさいので、秋葉原の露店で一番安い革靴を買ってきましたよ」と、もちろん皮ではなくビニールの安物の靴を履いてきたが、その後もずっとサンダル履きを通した。

極度に気が弱いというか気が優しいので、学生たちの目を直視することができず、授業ではいつも黒いサングラスを着用していて、よれよれの着古した黒づくめの服にサンダル、サングラスと長髪というのが彼のスタイルで、入試などに監督をさせると、それを見た受験生が目を白黒させるのが面白かった。その頃、うちの講座には佐藤東洋麿さん、木下長宏さんも居て、それに梅本さん大里君の四人がフランス語を担当しており、『現代フランスを知るための36章 エリア・スタディーズ』(明石書店)というロングセラーも生まれた。

彼との12年間の思い出は数限りない。98年春のマルチメディア文化課程の開幕から、一年生向けの「メディア基礎論」という名物授業を10年間ずっと一緒に担当してくれて、いろいろな話を交わした。また、劇団唐ゼミ☆も当初からずっと応援してくれて、とりわけ06年の新潟公演の時には両親と一緒に見に来てくれた上に、新潟新聞に宣伝文まで書いてくれた。学生たちにも慕われていたが、照れ症で感情を露にすることを嫌がるので、厳しい教員のフリをしていた。以前、学生の一人が交通事故で亡くなった葬儀で埼玉県のベッドタウンに行ったときに、吐き気がするほど衝撃を受けていたが、同時に団地の集会所で行われた葬式に集まったその学生の同級生たちを見て、「こんなところで生活していたのでは、文化なんて接することができるわけがない」というよく分からない怒りと焦りを覚えたらしく、「大学で一から教養を叩き込まないといけない」とその後、妙に教師としての使命感に燃えるようになっていったのも印象深い。最後まで授業をすることにこだわって、先々週からは車いすで北仲スクールや大学に来ていた。

西荻窪の2DKアパートに住んで通勤をしていたが、CDや本が風呂場にまで進出し、アパートの床が落ちそうになっているほどだったが、4年前に新宿駅南口前の古いマンション屋上にある事務所スペースを購入。全く貯金がないのに、引っ越し代までローンを組んで、貸し付け詐欺に近いのではないかなどと言われた上に、税金の知識も全くなく、翌年60万円の固定資産税を請求され青ざめていたが、それでも自分の城を構えたと満足して喜んでいたようだった。着るものや食べるものに関しては極度にけちでお金を使わないが、本やCD、DVDなどには湯水のように金を注ぎ込み、そのためカードを止められたり、電気やガスを止められたりすることもあった。屋上にペントハウスのように独立して立てられているこの家は、もとは本当にヤクザの事務所だったようなのだが(だから都心にしては格安?)、約100平米の事務所スペースにひと一人がやっと通れるような通路とベッドを除けばびっしりと作り付けの棚が並び、まるで巨大な古本屋のようにモノが氾濫していた。引っ越しの直後に、リフォームしてあったフローリングの床が割れてしまうほどの物量である。引っ越してからはさらにモノが増え続け、ちょうど狭い古本屋の主人のようにそれらのモノに囲まれて、大音量で音楽を聴いている彼はうれしそうだった。

大里君は北仲スクールの企画に大きな関心をもってくれていて、体調が悪いにもかかわらずここで授業をするのをとても楽しみにしてくれていた。北仲スクールのオープニング・イベントは19日にYCCで開かれる。その二日前に逝ってしまうなんて、悲しくて仕方ない。とりあえずは葬儀などでバタバタするが、きっとこれらのイベントが終わったあと、またどっと悲しみが襲ってくるだろうと思う。またその頃にでも仲間たちと彼の思い出を語り合いたいと思う。そして月並みだけど、彼の魂に安息が訪れますようにと祈ることしか、いまとなってはできない。

2009/11/18 : 09:47 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.10.24

劇団唐ゼミ☆「下谷万年町物語」開幕

 劇団唐ゼミ☆の「下谷万年町物語」は、いまから一年以上前から始まった企画だ。立ち上げから劇団を支えていた男性劇団員が離れて、テント公演どころか劇団継続も危ないと思われた時に、この1981年に初演され、あまりもの規模の大きさに誰も再演しようと思わなかった幻の作品の上演に向けて、まずは出演者を募るところから始まった。初演を見た人、初演に役者やスタッフとしてかかわった方々、新しいことを経験してみたい演劇人など、いろいろな人が集まった。去年の「ガラスの少尉」、今年の巨大バッタパフォーマンスなどの流れを経て、今回のこの合同プロデュース公演とでも呼ぶべき規模の大きな公演が実現したのである。いやあ、ここまで来るまで長かった。座長の中野敦之も、椎野裕美子、禿恵、安達俊信らの幹部俳優もこの日のために長い旅路を歩んで来たし、唐ゼミ☆の劇団員たちもよくここまで一緒についてこれたと思う。
 その初日が、23日、浅草の花屋敷遊園地の北東部にある駐車場に設置された、これまでの倍以上の広さと高さを持つ、巨大な新・青テントで幕を開けた。予想もしなかったいろいろな事態をもくぐりぬけて、こうしてこの舞台が幕を開けることができたのは感慨深い。
 場所の規制上、夜9:00頃までしか音を出すことができない。普通にやると3時間半以上はかかってしまうこの大作をそこに突っ込むためにはどうしても開演時間を早める以外にない。その結果、夕方6:00開演ということになってしまい、平日にはありえない早い開演時間になったこともあり、観客数はいまひとつであったが、それでも初日としては力の入ったいい舞台を見せてくれた。言うまでもなく、劇中ただ一人の女性である椎野裕美子の「お瓢」はこれまでになく力強く美しい、圧倒的な存在感を見せており、唐ゼミ☆の水野香苗が稽古の時とは見違えるような力のこもった熱演を見せ、水野の文ちゃんと入れ替わる大人の文ちゃんを演じる安達俊信もいい味を出している。杉山雄樹はいつもにもまして、誰にも真似できない不思議な存在感と、客の心に台詞のひとつひとつがぐさりと突き刺さる迫力を増している。今回客演の形で入っている洋一役の尾崎宇内は、まだ完全とまでは言えないが、一日一日、著しい成長を見せており、いい初日を迎えることができた。何しろ、100人まではいなくても5-60人もの出演者が登場する芝居なので、一言で言い表すことはできないが、おかまの一人一人や一瞬しか出て来ない役のものも含めて、ぴんと張りつめた緊張感がずっと保たれていくような素晴らしいアンサンブルである。
 この芝居、これから週末や祝日を中心に3週間にわたり全12回行われるのだが、こうして初日を迎えて走り出してしまったらもう千秋楽まではほとんど一直線で走り続けることだろう。
 
 通常の演劇ではあり得ない、出演者数と物量を集め、作品の舞台となった浅草で、しかもラストにはもう消えてしまった万年町の幻が観客の前に本当に出現するこのめったに出会えない奇跡的な舞台に、是非足をお運び下さい。但し、テント内部はありえないほど寒いので、過剰だと思われるくらいの防寒対策をお勧めします。5:30から開場しますが、早めに来て頂いた方にはチケットで花屋敷遊園地に無料入場ができるなどの楽しみもあります。昼過ぎからの浅草観光を交えて、是非どうぞ。

 もう、こんな大掛かりな「出来事」それ自身とも言える演劇には二度と出会えませんよ!Shitaya_a3omote_karazemi

2009/10/24 : 10:15 午前 文化・芸術 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.10.04

国際記号学会@A Corunaとか、北仲スクール開校とか、いろいろ

というわけで、もう10月になってしまった。

9月中はずっと、北仲スクールの準備を進めながら、開国博のバッタの公開も再開。さすがに後半になって観客数も増え、小学生限定のバッタ体内探検ツアーを始めたところ予想以上に盛り上がり、忙しかった。

その間、横浜市が主催する国際会議の期間中の5日にBankArt-NYKで開かれた「集まれ!アートイニシアティブ」に参加。東京芸大、筑波、広島市立大、神奈川大、首都大学東京、倉敷芸科大などの参加者たちからいろいろと教えて頂けて有益だった。15日には七大学の学長と市の代表者を揃えての調印式+記者会見。

21日から28日まで、スペインのア・コルーニャで開かれている第十回国際記号学会に参加。スクール準備とか、開国博のグランド・フィナーレとか、いろいろ慌ただしい時期に申し訳なかったが、スペインの西海岸、フランスとポルトガルの間に位置するガリシア自治州の中心的な都市、ア・コルーニャに。前もって調べていた気象情報では20度以下と肌寒いのかと思いきや、南部のアンダルシアやカスティーリャ程ではないものの、スペインの強烈な太陽に恵まれて日中には汗ばむほどの連日の好天だった。

初日には、オープニングセレモニーの後、作家サルマン・ラシュディの講演、インターネットTV電話でのウンベルト・エーコの挨拶などがあり、ランチを挟んですぐに全体セッションとラウンドテーブル。ぼくは、この両方に顔を出さなくてはならなかったのだが、会場となっている大学のカフェテリアでのランチ・サービスの手際がきわめて悪く、全体の進行が1時間遅れになってしまった。それでも、夜予定されている市庁舎でのレセプションには間に合わせなくてはならないので、全体会議で10分しゃべった後、そのままラウンドテーブルの会場に抜け出して司会をするという忙しい展開だった。ラウンドテーブルでは、吉岡洋、小池隆太、小野原教子、大久保美紀の四人の日本からの参加者及び、リトアニア在住の高馬京子さんも参加して「ジャパン・クールの記号論」と題して、オタク文化、ゴスロリ、キャラ弁、「可愛い」文化などというテーマで、かなり「コア」な日本文化論が繰り出された。聴衆は期待していた若い世代というよりも中高年のまじめな聞き手が多かったのだが、熱心に耳を傾けてくれた。ただ、日本人ですら知らないことの多い、オタク文化のかなり深い話題について、日本語の分からない聴衆に向けて語っていると何かとても変な気持ちになる。国際学会に出るたびに感じることだが、誰が誰に向けてどのような場所で語るのかという「言説の磁場」のようなものにどうしても意識的にならざるをえない場なのだ。

エストニアのタルトゥ学派の頭領Kalevi Kulや、トロントのご隠居Paul Bouissac、中国の大ボスLee Youzheng、韓国や台湾のグループ、久しぶりに復帰したウィーンのJeff Bernard、現会長のTarastiや事務局長のPaz Gago、前会長のR.Posnerなど、この学会の度に顔を合わせるなつかしい面々との再会や、パリのFrancois Jost、ブリュッセルのAndre Helboなど今大会で勢力拡大しているフランス系の「ヴィジュアル記号学会」の人々(このグループはsemiologieではなくてsemioticsを名乗っている)などとも交流する。

市庁舎でのレセプションの後、すぐに帰ってしまうパリの大久保さん、リトアニアの高馬さんを交えたフルメンバーで会食。この地域は海産物の料理が有名。と言うよりも、海産物とハムの店しかないと言ってもいい。オリーブ油で揚げたタコやイカ、小さなトウガラシを揚げて塩を振って食べるおつまみなど、すべてがとても美味しい。特に甘くて柔らかいタコは絶品で滞在中何度も食べた。

会期中24日には会場を抜け出して、電車で40分ほどのサンチャゴ・デ・コンポステーラに小旅行。中世以来のカトリックの聖地だが、観光化されていてちょっと拍子抜け。何だか善光寺とか浅草寺とかに行った気分だ。ここでも何人か記号学会の参加者と会う。

理事会ではさんざんもめた末に、結局は副会長を何人か入れ替えて、タラスティとパズ・ガーゴの現体制がもう一期続くことになった。次回は二年後に南京が予定されている。

さすがにハードスケジュールで体調はいまいちだったし、最終日にはちょっと風邪気味だったのだが、連日夜は中心部付近で食事とワイン。楽しかったが、帰りの飛行機は相当にこたえた。

帰国後、唐ゼミ☆の中野が川崎まで迎えに来てくれ、いろいろと報告を受ける。10月1日には、いよいよ北仲スクールの開校。家主の森ビルさんと契約関連の打ち合わせ、家具類・什器類、ネットや電話の敷設、会議や打ち合わせなどが続き、来週も続く。その間、3日には唐組の秋公演「盲導犬」が開幕。初日には、石橋蓮司・緑魔子、新宿梁山泊、劇団唐ゼミ☆をはじめ多数の招待者が訪れ、賑やかに宴会。蜷川演出、連司・魔子さんの主演で1973年に初演されたこの作品は、その後新宿梁山泊、唐ゼミも手がけてきた因縁の深い作品だが、舞台上からは一歩退いた唐さんの、即物的でリアルで乾いたきわめて知的な演出で、全く新鮮な演目に生まれ変わっていた。とりわけ、これまでの上演とは全く異なる意想外のラストには胸を打たれた。秋公演は、唐十郎による唐十郎作品への批評的再接近といったメタシアター的な要素が含まれると前にも書いたが、今回の演出には、70歳を目前にしてまだまだしたたかで、剃刀のように研ぎすまされた鋭敏な感覚をうかがうことができる。

今日は、北仲にも参加してくれる望月六郎さんを迎えて、劇団唐ゼミ☆による「下谷万年町物語」の一・二幕の通し稽古。明日は、唐組久保井研による舞台芸術論のガイダンス。ちょっとばかし体調不安だが、まあ楽しいことばかりなので何とか乗り切れるだろう。
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2009/10/04 : 11:38 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.08.26

8月ももう終わり

とりあえず、あったことを思いつくまま列挙しておくと

1, 7月17日には三田にある建築会館で建築学会主催のイベントに唐ゼミ☆の一日限りのテント公演「恋と蒲団」が行われた。4月に大学でやった小品のテント版だが、建築学会に訪れている人を中心に大盛況。
 二回目にはテントの側面シートを完全に持ち上げて、半分野外演劇状態となる熱気。その後、唐さんとぼくと中野が登壇して、主催者の伊東さん、大塚さんを加えたシンポジウム。こちらも面白かった。
 テントで軽く打ち上げをして、近所の居酒屋で二次会。その後25,26日に劇団唐組アトリエでの試演会「拾った恋文」(鳥山昌克脚色・演出)もあり。今年の夏の山中湖試演会はなくなった。
 秋公演に「盲導犬」をやることを決めた唐さんは、早くも来年春の新作準備に入っているようだ。
 今年で最後になる近畿大学の「唐十郎演劇塾」では初期作品「腰巻きお仙−義理人情いろはにほへと篇」に取り組んでいる。唐ゼミも初期に試みたことのある作品だ。
 こちらは、12月初めにまたフェスティバル・トーキョーの企画で東京公演も行われる予定で、楽しみである。大阪では11月に試演会が予定されている。

2. 週末は開港博Y+150のヒルサイド会場でずっとバッタ公開。
 毎週、収納テントから引きずり出して、ふくらまし、またしまわなくてはならないのでハードだ。
 土曜の朝7:30から日曜の夜9:00過ぎまで、とにかく炎天下の中時間がやたらゆっくり過ぎていく。
 あのバッタはなぜかここの会場の緑ととても合っていて、これがない平日はさびしいだろうなあとは思う。
 実際、7月にはだいぶクレームがあったようで、シャトルバスの乗り場に「本日は巨大バッタは公開していません」という看板まで立てたそうだ。
 申し訳ないことではあるが、これを出すのは本当に大変なのだ。老朽化もしているし、布目をシリコンで潰したり、壊れたジッパー(今回3カ所も壊れた)を取り替えたりしなくてはならない。
 ジッパーと言っても5メートルのジッパーを取り替えるのは実際大変なのだ。現場に来てもらえれば分かるが、今回触角をピンと立てるのには相当苦労した。
 そんなわけで、8月は土日だけ。それなりに好評で、伸び悩む入場者対策としても多少は貢献できたのではないかと思う。先週からはさらに一時間ごとに小学生10名限定での「バッタ体内探検ツアー」も始めたところ、大好評。
 くじ引きに何度も破れる子供が泣き出したりして、何とかみんな入れてやれないものかと頭を痛めている。
 これもあと一週やって九月下旬までお休み。いろんな人が訪ねてくるし、それなりに面白いのだが、とにかく体力を奪われる。
 クロージングの最終週だけはは、ぼくはスペインの国際記号学会に行くので休むが、今週末、9月19,20は両日とも居ますので、是非来て下さい。
 劇団唐ゼミ☆と市民ボランティアの共同パフォーマンス(19:00-19:30)も好評で、とりわけ回を増すごとに市民の方々のダンスシーンが面白くなってきている。
 テクニカルな問題もたくさんあったのだが、それもだいたい解決して安定してきている。ダイジェストの映像はこちら。
 ちなみに、この時にはパフォーマンス中に突然左あごのジッパーが爆裂したために、あまり「復活」できなかった。何だかキャンプファイアのような雰囲気だ。
 8月8日には椿昇もやってきて、一緒にトークショー。中華街の路上で遅い夜食をとり、一日中楽しんだ。椿の展覧会を横浜にもってこようという話で盛り上がる。これは是非実現したい。

3. その間、7月31日と8月1日にはオープンキャンパス、8月5日には教員免許更新講習、18日には環境情報研究院の入試補助など大学の業務も結構あり、バッタ疲れを引きずったまま結構働いた。
 平凡社新書の『タバコ狩り』も、読売新聞読書欄共同通信配信のコラムなど、書評も沢山頂いたし、ろくに読みもしないで文句をつけている一部のネット住民を除けば、おおむね好意的に受け止められているようだ。
 一部、グラフの表記間違いなどもあるので、早く増刷が決まって欲しいところである。思いがけない人から感想のハガキやメールを頂いたりしているのもうれしい。

4. と言っても、この夏一番忙しかったのが、新しくぼくたちが始めるサテライト・スクールの件。
 内定が来るまで秘密だったのだが、実は春に文部科学省の大学教育支援制度の一つである「戦略的大学連携支援」という枠に応募していたのである。
 これは複数の大学が横浜市と連携して共同事業を行うというものだが、三年間、毎年一億円程度の支援金が支給される。
 いろいろな経緯があった末に、横浜国大、横浜市大、東京芸大、神奈川大学、関東学院大学、東海大学、京都精華大学の七大学共同で、横浜都心部に「都市文化創成/都市デザイン」の人材養成を行うサテライトスクールを設置し、さまざまな文化イベントや公開講座などを送り出していこうという企画が採択された。その立ち上げ準備にかなりの労力が費やされた。
 ちなみに初年度は9月から3月までの間に、来年4月の開校を目指してさまざまなイベントを繰り出していく。上述の椿昇展もその企画のうちの一つだし、その他映画祭、連続シンポジウム、公開講座などをどんどん送り出して行く。そのための打ち合わせや会議で忙殺されていたのである。
 そのサテライトの場所も決まった。北仲の元帝蚕倉庫本社ビルである。通称名も「北仲スクール」(横浜文化創造都市スクール)と決まった。9月から借り入居し、10月からは事業が始まる。みなとみらい線の馬車道駅の真上で、桜木町や関内からも至近なので、とても便利な場所だ。しばらくはここに活動の拠点を置いていろいろなことを仕掛けて行きたい。

2009/08/26 : 09:32 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.07.11

新刊『タバコ狩り』平凡社新書

どうせまた読みもしないで、いろいろな攻撃を受けるのでしょうが、まずは読んでみて下さい。読んでみれば分かります。

パイプをくわえて下さいと注文されて撮られた写真がかなり悪人面ですが、読売新聞の読書欄に紹介もされました

この本を書くきっかけとなったのは、いろいろ根も葉もない誹謗中傷の標的となった4年前に書いたこのエッセイ。。元々大学のパンフレットに掲載され、その後日本体育学会の機関誌『体育の科学』に転載される時に改訂版を出し、さらにもう一度ヨーロッパ滞在の印象を書き加えて字句訂正を施したもので、この頃からぼくの主張は何も変わっていません。

個人的には前半のタバコの話題よりも、第六章と「あとがき」に本当に言いたいことが書かれていますので、そちらを読んでいただきたいと思っています。


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2009/07/11 : 08:49 午後 書籍・雑誌 | | コメント (3) | トラックバック (1)

2009.07.08

ヒルサイドと巨大バッタ

横浜の開港150周年記念イベントの「ヒルサイド会場」が7月4日にオープンした。

主催者イベントのひとつとして招聘された「飛蝗」は、6月11日に水戸芸術館の収蔵庫から運び出され、リハーサルを何度か繰り返し、16日にはメディア・プレヴュー、20日にはベイサイド会場でLa Machineの巨大蜘蛛と対面し、8年前に飛び立ったインターコンチネンタル・ホテルへと舞い戻ってきたのだが、その日、ジャック・モール裏の空き地、TVKハウジングセンターと三カ所で展示。さらに25日には劇団唐ゼミ☆と市民ボランティアによるショート・パフォーマンスの公開リハーサル、28日にはやまない雨の中、緑区の要請で中山で展示、2日はメディアと市民向けの内覧会で約4000人の観客の前で初舞台と、オープニング前にずいぶんといろいろな場所を回った。

あれを設置するのはとても大変なのである。なにしろ自重1トンもある、重い布を広げ、空気を入れ、足を持ち上げ、回収するのにはとてつもない労力がいる。特に28日の雨の後の撤収はつらかった。雨合羽が全く役に立たず、下着までびしょぬれになる上に、水を吸い込んだ布の重さは倍以上に感じられる。その上、今回触角を立てるための新しい仕掛けや、痛んだ布やジッパーの補修などの作業も加わり、オープニング前に疲労が積み重なっていた。

それでもようやく4日のオープニングを迎え、5日には天気も悪くなく、プレヴューが一段落するはずだったのだが……、残念ながら強風のために5日の午後4:00に予定されていたパフォーマンスは中止となってしまった。協会が用意していた風速計が10mを越えたのと、目の前でバッタを支えていたペグが抜けたり曲がったりして、バッタが横倒しになってしまったために、仕方なく中止するしかなかった。傍目に見れば、それほど大した危険もなさそうに見えるが、火を使うパフォーマンスをやるには無理な状態だった。ずいぶん沢山の苦情やクレームがきたようだが、風にはさからえない。

本番は8月の1,2から月末までの毎週土日である。クロージングまでの二週間もやはり土日に行われる。朝10:00からバルーンの展示が始まり、夜7:00からは照明を入れたパフォーマンスが行われる。これまでのは飽くまでリハーサルにすぎないので、是非こちらに来て頂きたいと思う。

実際にやってみて、あの会場にバッタのバルーンはとてもよく似合っていて、あれがないと寂しいだろうなあと思うが、予算の面でも、体力の面でも、とても毎日展示するわけにはいかない。是非、8月の土日に来てください。隣の動物園ズーラシアとのセット・チケットがお得です。実は初めてズーラシアを見たのだが、日本の気候と自然環境に適応する動物を見せるという、こだわったコンセプトの動物園でなかなか面白かった。恥ずかしがりやで人目につきたくないオカピはどうやら交代で出されているようだし、多分一二匹では地味な存在である「ヤブイヌ」(BushDog)やアカカワイノシシとかが群れているのもなかなか風情があって面白い。ここを見て、昼サイド会場で昼・夜のバッタを見て980円はけっして高くないと思います。駐車場は遠いけど一日千円だし、横浜線の中山、相鉄線の鶴ヶ峰からは無料のシャトルバスがひんぱんに出ています。
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2009/07/08 : 09:06 午後 旅行・地域 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.26

20日はじまりの森におけるプレヴューの動画です。

Youtubeより。
あらためて見てもとても不思議な光景ですね。

2009/06/26 : 08:36 午前 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.17

バッタも外に出てきました。

開港博ヒルサイド会場でのメディアプレヴューに登場した巨大バッタと竹の海原。
今回はパフォーマンスが面白い。音と照明で盛り上げます。それから、触覚も本番では立つ予定。
20日の朝にはベイエリアに降りて行って、La Machineのクモとのツーショットを実現します。その後、お昼頃には高島町のジャックス・モール裏〈スーパー・オートバックスの向かい〉の空き地で公開予定。
さらに天気がよければ、西横浜駅近くのTVKハウジングセンターの線路沿いに21日まで設置予定です。電車に乗っていると突然巨大なバッタが現れて驚くことでしょう。
本番は7月4,5日からですが、それまでに思いがけないところに出現するかもしれません。
その後はしばらくお休み。8月の土日に再登場します。
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2009/06/17 : 08:53 午後 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.06.08

だいぶ、サボってしまった

というよりも四月終わりから怒濤のような毎日で、立ち止まる余裕がなかったというのが本音である。

「怒濤」は連休明けまで続いたが、そのことは諸事情によりあまり具体的に書けないので、まずは五月の二・三から始まった、劇団唐組「黒手帳に頬紅を」。もう後一週、花園神社で千秋楽を迎えるわけだが、唐さんの底力は凄く、最後まで無事に乗り切れそうだ。台本は七月号の『悲劇喜劇』に掲載されている。ここでもまたいろいろなことがあったのだが、これまた諸事情により明らかにすることができにくいことばかりだ。とにかくここも波瀾万丈。会場と紀伊国屋書店で購入できる、読売新聞社による3枚組のDVD「ロングインタヴュー・演劇曼荼羅・唐十郎の世界」はなかなか秀逸なできばえで、これまで語られなかったさまざまな事実が明らかになっている。また河出文庫版『完全版・佐川君からの手紙』も刊行。単行本未収録の短編小説もいくつか含まれている。こちらは、このところ毎公演、毎日足を運んでいる河出の編集者・新井学氏によるもの。

また、ついでではあるが、同じく紀伊国屋書店『戦後日本スタディーズ〈2〉60・70年代』には、ぼくの書いた唐十郎論が掲載されている。タイトルは〈「唐十郎」という視点から見る戦後日本演劇―「アングラ」から遠く離れて〉となった。

また、五月十六〜十七日は東海大学主催の日本記号学会大会が、伊勢原にある東海大学医学部で開催されている。大病院の中で医療やメディアの問題を討議するという刺激的な企画だったが、結局は宿を取り毎晩若い人たちとわいわい議論できたのが楽しかった。何人かの卒業生たちとも会うことができたのもうれしい。みんな元気で頑張ってくれているようだ。

二六日から一週間はウィーンで開かれた「Coded Culture」という展覧会とシンポジウムを合わせた企画に参加。横浜に来ているGeorg Russeggerが頑張って実現まで漕ぎ着けた国際会議である。先にウィーン美術大学で集中ワークショップをやっていた京都大学の吉岡洋の泊まっている普通のアパートに滞留。広い部屋を独占できた上に、台所も充実していて楽しい。日本からはメディアアートのアーティストたちのほかに、草原真知子さん、四方幸子さん、住友文彦さん、そして住友さんと一緒に横浜で開かれる国際映像フェスティバルの企画をしている、元室井ゼミの遠藤水城君たちが来ていて、文字通り五日間みっちりと日奥の交流が行われたわけだ。シンポジウムの方は聴衆が少なくてやや残念だったが、それでも充実した五日間だった。ウィーンの街はしっとりと落ち着いていて、あまりグローバル資本主義に浸透されてはいないように見える。驚いたのはタバコの規制がほとんどなく、みんなどこでもタバコを吸っていること。美術館の中でも平気で吸っているのには驚いた。セッションは午後からなので、昼までの自由時間にいろいろなことをする。今回は美術史美術館の向かい側にある自然史博物館を見ることができたのが楽しかった。シンポジウムで発表した原稿は、「無限プチプチ」や「Wiiシステム」を例に挙げて、それらによってはけっしてカバーすることができない身体性の問題を扱ったものであるが、近いうちにここにも公開したいと思う。

そのまま六月二日の朝に帰国して、そこからはすぐさま開港博のヒルサイド会場で行うバッタの地上置きのための折衝に入る。ヒルサイドでの公開は7月4,5と8-9月の土日だけなのだが、その前のマスコミ用の内覧会や、宣伝のために20-21に行うベイエリアでの顔見せのための折衝など、ひとつひとつクリアしておかなくてはならないことが数多く、朝から晩まで駆け回る日々が続いて少し疲れた。その間、一般募集で集まったボランティアの人たちとの顔合わせ、8-9月の夕方からバッタの前で行われる劇団唐ゼミ☆企画のパフォーマンスのリハーサルなどもあった。2001年の時のバッタチームから生まれた唐ゼミが成長して、どんどん現場を作り出して行ってくれるのが頼もしい。

去年から一年越しの難産となった平凡社新書のタバコ本『タバコ狩り』もようやく見本刷りが出来上がり、来週の15日からは書店に並ぶ。単なるタバコ本ではなく文明論として読めるように書いたつもりだが、どうせまた一部だけを取り上げてのバッシングの嵐に見舞われるのだろうなとは思うが、現在の時点では最も客観的で冷静な視点で書いているつもりなので、タバコ問題に関心のない人にも是非読んで頂きたいと思う。それにしても、四月になって新しい新書がどんどん現れてきて、もはや新書ブームというよりも新書ラッシュといった体である。書店の新書コーナーを見ていると、まるでインターネットのポータル画面を見ているような気分になる。

インターネットのニュースが新聞の代わりにならないのは、一行の見出しだけで記事を読ませなくてはならないということでも明らかである。記事の大きさや配置といった編集はそこには介在できず、ジャンルごとに均等にならべられたindexだけが読者の関心を引かなくてはならない。そこで、ちょっと奇抜な見出しや読者の気を引く思わせぶりな記事が最も読まれることになってしまう。いわば従来の新聞やマスコミがPush型のメディアであるのに対して、インターネットニュースはPull型のメディアで、読者がクリックしないと記事の全文を読ませることはできないわけだが、それが必ずしも重要な情報であるとは限らない。新書もそうで、タイトルと帯のキャッチコピーだけでそれが手に取られるかどうか、そして購入されるかどうかが決まる。新書ラッシュが意味しているのは、書店という場所がまさしくポータルサイトに変わりつつあるということのように思われる。地味な単行本やロングセラーはどんどん店頭から撤去されて行き、結局はamazonのようなネット書店で買われるようになっていく。昔ながらの出版社や書店がこうした状況ではどんどん生き残りにくくなっていくのは防ぎようがないように思われる。

そういえば、4月からのTBSの事業展開を見ていると、どうもこのテレビ局はテレビ局であることをあきらめて、さまざまな映像コンテンツをさまざまなメディアを通して配信する「映像情報のキオスク」になろうとしているのではないかと思われる。速報性のあるスポーツ中継やニュース。ポピュラリティのあるドラマなど以外は、インターネットやワンセグなどの別のメディアに配信して行こうとしているように見えるのだ。確かに、このまま従来の地上波放送だけにこだわっていたのでは広告も取れなくなるだろうし、テレビ局に未来はない。だが、そうなるとさまざまメディアに対して映像コンテンツを配信する映像の総合商社になろうとしているように見えて、もはやオリジナル・コンテンツを自ら作ることはますますなくなり、たぶんアウトソーシングによるコンテンツを売りさばくだけの会社になっていってしまうのだろうなあと思うと複雑な思いがある。

2009/06/08 : 10:39 午後 文化・芸術 | | コメント (1) | トラックバック (0)

2009.04.19

開港150周年記念プレイベント

四月も半分を過ぎた。新学期が始まり、一年生が入ってきている。

来週から始まる新歓イベントを準備している唐ゼミ☆の舞台稽古につきあい、そのまま赤れんが倉庫付近へ。

月末から始まる「横浜開港150周年記念テーマイベント」の一つの目玉である、フランスの巨大ロボット・パフォーマンス集団「ラ・マシーン」のパレードへ。高さ12m、重さ37tの巨大な二匹の蜘蛛が日本大通から新港埠頭まで歩いている。何万人かの観衆が、ぞろぞろとその後をついていく。

そして、埠頭では巨大なクレーンに吊られたスピーカーから大音量の音楽が流れ、大量の炎、水、照明を惜しみなく導入した水際での大スペクタクルが展開される。これだけ物量(とお金)を投入したスペクタクルはなかなか見られない。堪能した。

ところで、これがひとごとではないのが、同じテーマイベントでバッタもまた登場することになっているからだ。

詳しくは、こちらにプレスリリースがある。

「ラ・マシーン」の会場で出会った総合プロデューサーの小川さんによると反応は上々なようである。ただ、予算的にはおそらく数百分の一であろうなあ。こっちは7月からスタートです。オリジナル・バッタチームでもあった唐ゼミ☆がこれを盛り上げてくれる。

そんなこんなで、今年はイベント続きになる。

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2009/04/19 : 11:00 午後 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.28

別れの季節

定年で職場を去る人たち、卒業していく学生たち−−この時期はいろいろな人との別れがある。毎年繰り返していても、それなりにいろいろな思いがわき起こりメランコリックな気持ちになる。

今年の場合、それに加えて14年間一緒に暮らしてきた飼い猫の死に立ち会わなくてはならなかった。

1994年に大学の美術棟の周辺をうろついていた黒いさび色の子猫。人懐っこく、ただし喉を鳴らすこともなく、ただボーッとしているような猫を、いろいろな経緯があって家で飼うようになったのが95年の1月。
それからずっとこの猫は家に居た。二日以上家を空けるわけにいかず、大阪に長逗留するときとかはそのまま車に積んで連れていった。どんな環境も受け入れ、けっして騒がず、自分の関心の外のことにはほとんど無反応でいる猫で、空気のように家にとけ込んでいた。

その猫の下あごにしこりができて、扁平上皮がんの診断を受け、末期で手の施しようがないと宣告されたのが去年の10月。がんが広がって食べ物が摂れなくなり、一二週間で死ぬでしょうと言われたのを、最初は新年を迎えるまで、その次は誕生日がよく分からないので仮の誕生日にしていた2月22日の「猫の日」まで、それを生き延びた時には3月24日のぼくの誕生日までと目標を定めて介護してきた。何度も死にかけていたのを、これまた何度も復活を遂げ、全体的には体力がどんどん落ちていき、ミイラのように痩せてしまったのだが、24日の晩に、誕生日ということで買ってきた鰻とまぐろをすり潰した餌を、注射器からではあるがおいしそうに食べた後、そのまま死んでいった。

体温が極度に下がっていたので、ドライアーをかけて暖めようとしたら、急にカッと目を見開いて、四肢を意外なほどの強い力で動かし宙を掻き、何とも形容しがたいような鳴声を挙げてから、そのまますぐに途絶えた。「断末魔」というのは本当にあるのだなあということがわかった。その後は要するにコンセントを抜かれた機械のような脱け殻が残り、最初はぐったりとしているが、小一時間もすると硬直してきて、今度は剥製のように変わる。それを土の中に埋めると、今度は地中のバクテリアが分解して、きれいに土に還っていく。小さいながらに、生き物としてのサイクルを全うしてくれているような気がして、別れは悲しいが、いろいろなことを教えてくれた。

さて、それから卒業式。もう来週は四月だ。これまた毎年のことではあるが、桜が咲き、新しい出会いが生まれる。桜の木には毎年同じ花が咲き、すぐに散っていく。それもサイクルなのであるが、同じ花であって、それでいて同じ花は二度と咲かない。この川を流れる水のような、差異と反復の繰り返しの中に、ぼくたちの生き物としての生があるのだ。

2009/03/28 : 11:41 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.03.10

今年の国際記号学会はコルーニャで開催されます

フィンランドでの第九回国際記号学会があったのは、2007年。

それから2年後の今年はスペイン。本当は3,4年置きだったはずなのに今年早くも開催される第十回の国際会議。

公式websiteは、
http://www.semio2009.org

副会長になったJose Maria Paz Gagoは、まるで「カルメン」に出てくるホセのような色男。俺は女好きだけど、それはスペイン人だから仕方ないんだ、というようなことを平気で言う軟派系学者なのだが、意外とてきぱきと仕事をしている。前回は彼がほとんど英語が話せないので、ぼくのかなりいい加減なフランス語で話をしていたのだが、国際学会の責任者になって英語を猛勉強したらしい。英語でメールが来た。

それはいいのだが、一両日以内にラウンドテーブルの企画と参加者リストを作らなくてはならないことになった。というのは、彼に言わせると何度もメールをしたのに、ぼくからの返信がなかったからというのだ。英語ができない彼から直接メールが来るとは思っていなかったし、何しろ毎日数百通のスパムメールが届くので見落としていたのかもしれない。一応、前回頼まれて、この学会の学術委員というものになっているのだが、何も知らないうちに第一回目の登録締め切りが終了し、立派なウェプサイトとプログラムまでができあがっていたのには驚いた。しかも全部ネットで手続きができるようになっている。こんなに完璧な学会サイトを見るのは初めてだ。どうせスペインのことだからと少しなめていたのが間違いだった。登録の最終締め切りは四月二十日である。なんだか、日本よりもきちんとやっているではないか?

ようやく連絡がついたのは、彼の秘書からポスターの送り先を尋ねてきたからだった。それに返事をして、Paz GAGOから何の連絡もないけどとこぼしたら、本人から返信が来て、二日以内にラウンドテーブルの企画と、お前の履歴を送れ。そしたら、ちゃんとプログラムに載せてやるという話。あわてていろんな人に相談した。

そういえば、ここを読んでいる人にも宣伝しよう。国際記号学会は本当に世界中から変な人たちが集まってきて面白い学会だ。アメリカ人やイギリス人が少ないのもその特徴。しかも、今回はスペインの港町。整地サンチャゴ・デ・コンポステーラやポルトガルにも近い不思議な地方だ。これを逃す手はない。ということで、日本記号学会の会員じゃない人も誰でも参加できるので、来てみませんか? 発表締め切りは四月二十日だが、単に参加するだけならぎりぎりに決めても大丈夫。記号学会なので、文化に関することなら何でもOK。生命記号論や認知科学系のセッションもあり、哲学系のセッションもあり、芸術系・文学系のセッションもあり、何でもありです。公用語は英語・フランス語、スペイン語の三つ。

かなり面白いし自由な学会なので、日本の学会発表に飽きた人は参加してみたらいかがでしょうか?
そう言えばまた10月にはメキシコであの「マスコミュニケーションと記号論学会」があるらしい。今回も招待状が来ている。なつかしいなあ。

2009/03/10 : 01:07 午前 | | コメント (0) | トラックバック (0)

定期更新?

入試とかもあり、いろんな会議続きで忙しかったけど、一番面白かったのは2月28日にやった、劇団唐組・久保井研指導による「舞台芸術論B」の発表公演「少女都市からの呼び声」である。これは、2003年に唐ゼミが初めて学外公演を行った作品でもあり、近畿大学も二年前にやっている。今回も420教室を劇場に改装してヒロインだけを交代した二バージョンで行った。唐十郎は前日のゲネプロに来てくれて、「ギヤマン組」と「ビー玉組」と名前をつけてくれた。今年も去年に続いて、学生たちがなかなかがんばった。いい出来の公演だったと思う。それにうれしかったのは、近畿大学・唐十郎演劇塾からリーダー格の小林徳久君、中田有紀子さん、そして前回の「フランケ醜態」役をやった高坂君、前回の「少女仮面」の春日野八千代をやった久保田さんの四人が深夜バスで駆けつけてくれたことだ。

彼らの「少女仮面」の素晴らしさは11月のエントリーに書いた通りであり3月28-29日にはフェスティバル・トーキョーの特別企画として池袋の東京芸術劇場で再演されることになっている。これは本当に素晴らしいので早めに予約してみんな行くべきだ。そう言えば、15日までは唐ゼミ☆の中野敦之がサーカス劇場の清末浩平と組んで上演している「カラス」もあるし、望月六郎とDogaDoga+が参加している「桜SAKURAサクラ」もある。ので、なかなか忙しい。

2009/03/10 : 01:03 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.02.18

もちろん、あれからいろいろあったけど…

あまりに沢山ありすぎていざ書こうと思うと、はじめからめげてしまうなあ。

まあ、「今日は風邪っぽい」とかいうことばかりの日記を書きたい訳ではないので仕方ない。

あれから、望月六郎監督の指導する舞台芸術論の上映会を黄金町にある古い映画館Jack&Bettyでやったり(詳細は省くがまたまた一波乱あった)、車検前の車を買い替えたり(今度はHONDAのストリーム)、唐組の久保井君の客演する芝居を見たり、銀座のル・テアトルでやっていた唐さんの77年の名作「蛇姫様」を「北の国から」の杉田成道さんが演出、エグザイルのUSAと山口紗弥加主演というのを二回ほど見に行ったりしながら、それとは別に山のように立ちふさがる会議や書類作りの連続の日々だった。そう言えば「タバコ本」に関してはちょっと希望が見えてきた。猫もまだ死なないでがんばっている。

久々に書いてみようという気になったのは、今週の月曜日、京都国立近代美術館でオープニングがあった、椿昇の展覧会、「GOLD/WHITE/BLACK」に行ったからだ。

2003年の水戸芸術館での「国連少年」以来、六年ぶりの気合いの入った展覧会。館長の岩城見一さん、学芸課長の河本信治さんも本気でこの展覧会に取り組んでいる。河本さんは本当にバッタの最終日以来、約8年ぶりに会った。ほかにも京都や大阪の久しぶりに会う人たち沢山と、東京や水戸からやってきた人たち。椿が賑やかなのが好きで自分の学生たちも呼んだので500人近くが集まるオープニングになった。

今回の展示はまるでピラミッドのような、永遠の時間がそこで回帰する巨大な墳墓のような展示で、「国連少年」のまるで子供のおもちゃ箱をひっくり返したような賑やかさとは好対照である。それ自体が墓碑のようなずっしりとしたカタログと、展覧会に合わせて完成したDVD「Radikal Monologue」(Radikalのスペルはこれで正しい)の両方を見ないとなかなか椿の意図は通じにくい。ただ、平日の人の少ない時間帯にこれをじっくり見に行けば、何かしらずっしりと伝わってくるものがあるのではないかと思う。

テーマは永劫回帰する宇宙の時間と人類の営々と続いてきた営みであり、それがまるで人類の墳墓のように、静謐な円環をなす空間に整然と配置されている。もっとも、ペインティングや映像、一回に置かれたまるで去勢されたペニスのようにぐんにゃりと横たわる、「実物大ロシア製ミサイル」のように、展示自身を内部から相対化し、嘲笑するユーモアも忘れられていない。椿はこれで一つの自分の墓碑を作ったのではないか、そこからもう一度自分の歩んできた道を歩み直そうとするのではないかと思われた。

どうも、これは3月29日までで終了してしまうらしく、それ以降、東京ももちろんどこにも巡回しないらしい。こんなに力の入った展覧会を放置してしまうこの国の美術業界はいったいどうなっているのだろうか? 心ある人には是非とも京都まで見に行ってほしい展覧会だった。

オープニング終了後、打ち上げで椿と話して、最終の新幹線で帰宅。その一日前の春のような暖かさとは一変して、京都では雪が舞うような寒さ。横浜もまた寒くなった。090216154105

2009/02/18 : 10:08 午後 文化・芸術 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2009.01.12

もろもろのものを失う

何だか去年もそうだったような気もするけれど、年末から正月にかけて寝込む。
休みになるとどっと疲れが出てくるものらしい。それとともに、気持ちも落ち込み、何だか気力もなくなり、ただただ寝込んでしまった。このところ寒くなると血行が悪くなり体温調節がうまくいかなくなりがちなのは、やはり年齢なのかもしれない。

考えてみれば、気がかりなことが多い。
同僚のO君の病状も気になるし、我が家の猫は末期ガンで時々血を噴き出して死にかけている。こいつのターミナル・ケアも気分的にもなかなかつらい。いまは少し持ち直したが、先週は硬直して完全に死にかけていた。
頼まれている新刊の執筆も遅々として進まないし、去年土壇場でキャンセルされてしまった「タバコ本」の出版先探しもなかなかうまく行かないし、かと思えば大学の雑用もどんどん積み上げられる一方。こうして、ひとつひとつ挙げていくと悪いことだらけにも見えるが、しかしそうとも言い切れないし、いろいろ面白い計画も進んでいるのではある。ただ、体力がなくなるとどうも悪いことばかりが気になって、どんどん気持ちが落ち込んでくる。

そういえば、年末に立て続けにパソコンの中のデータを失ったのだった。最初は研究室においてあるMacサーバーのハードディスクが壊れたこと。これは、昔のkonchuu.comやバス・プロジェクトのデータが入っていたのだったが、何せ古いMacG3に入れてあったので、ハードディスクの寿命が来たらしい。いろいろ手を打ってはみたのだが、結局「バッタ・プロジェクト」と「バス・プロジェクト」のウェブ・データは全部消えてしまった。これを読んでいる当時の関係者でバックアップがある者は是非送ってほしい。ちなみにこのサーバー(http://hmuroi.edhs.ynu.ac.jp/)は、これを機会として新しいMacMiniとOSXserver10.5に変えたので今後手を入れていく予定。まるで、それに合わせたように自宅のiMacのハードディスクが壊れた。それとともに、2005-2006年のメールのデータや写真・動画データの一部が消えた。こまめにバックアップしていなかった報いではあるが、落ち込む。こちらもハードディスクの具合が良くない。システム10.5になってから、こういうことがよく起こるのでAppleのせいかもしれないと疑っている。そういえば1,2年前の正月にもメインマシンのハードディスクが壊れたような気がする。考えてみれば手帳も94年くらいからは使わなくなって、全部パソコンの中に記録も記憶も入っているので、その一部が消えてしまうというのは何だかすごく喪失感があるように思える。昔はよくデータを飛ばしたけども、その頃とは何しろデータの量が全然違うものね。

それでも正月休みも連休も終わり、この辺りで気持ちを切り替えて、またがんばっていかなくてはならない。今年は、5月にウィーン、9月にスペイン、10月にメキシコに行く予定があり、その準備も大変。7月から9月にかけては大きなイベントがある。そろそろ身体を動かして、気力を持ち直していかなくては。

2009/01/12 : 10:28 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.12.24

年末

先週で授業期間が終わり。

その間、吉岡洋の二回目の集中講義、恒例のマルチメディア文化課程カルチュラル・アセンブリを含む数回の忘年会、二年生のゼミ選択ガイダンス、観劇や演劇関係のイベントなどがあり、昔の学生でいまは放送番組の構成作家などをしている谷崎テトラ君に誘われて、FM東京の生番組でしゃべったりもした。

舞台芸術論の久保井組(演劇)、望月組(映画)の日程も固まり、それぞれ稽古や撮影に入って頑張っているのも楽しみだ。

全学教務委員長の仕事も結構忙しく、22日には東京学芸大学と東京農工大学という二つの大学に学務情報システムの視察に日帰り出張。武蔵小金井から国分寺、府中と忙しくかけまわった。当たり前のことだが、昔短期間に関わりのあった武蔵小金井や国分寺ももうあれから三十年以上が経って駅前の雰囲気は一変している。

21日は日本記号学会の理事会・編集委員会の打ち合わせ。いろいろな話をするが、一番気がかりだったのは、また10月に倒れられたという山口昌男さんの病状。ずっと調子が良くないのに、演劇、映画やイベントに、そして学会などのにも足繁く訪れていたが、やはり無理がたたったらしい。

そして、23日からは劇団唐ゼミ☆の横浜馬車道での公演「ガラスの少尉」が幕を開けた。BankArt-NYKの倉庫空間を大胆に作り替える冒険であるが、いままでパネルなどを入れて展覧会空間にしていたこの場所が、倉庫本来もっていた荒々しさを取り戻していてなかなかいい。初日には160人超のお客さんが押し掛けて来て熱気に満ちていた。週末の予約も増えてきているが、24日、25日の分はまだ席が余っているらしいので、是非見に来て下さい。運河沿いの岸壁にあるなかなか面白い場所です。入院されているのでなかったら、きっと山口さんも来てくれていたことだろうなあ。

28日にこれが終わるまで全く年末モードになれないけれど、いろいろやらなくてはならないことはたまりまくっている。

2008/12/24 : 11:33 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.18

「湯上がり組」と「行水組」

 15日は、大阪日本橋の近畿大学会館で行なわれた近畿大学・唐十郎演劇塾(卒業生含む)公演『少女仮面』を見に行く。唐組の久保井研と二人掛けでのんびりと新幹線。こういうのもなかなかオツなものだ。
 2005年に横浜国大を定年退官した後、唐さんは近畿大学の客員教授として学生の指導を行なうようになった。招聘してくれたのは同大学文芸学部芸術学科舞台芸術専攻にいる、演劇評論家の西堂行人さんと、演出家の松本修さん。お二人とも現在の演劇における立ち位置は唐さんから随分遠いようにも見えるが、元々唐十郎の状況劇場を体験したことによって演劇の道を志すようになった人たち。2003年頃から既に唐さんを招く準備を始めてくれており、2004年から唐さんは特別講義などで近畿大に行くようになった。ぼくも、唐さんを敬愛し、唐さんのために身体を張ってくれそうな彼らなら、と納得して、唐さんを近大に送り出すことになった。
 2004年には卒業公演として松本さんが演出する「唐版・風の又三郎」を、やはり近畿大学会館で上演。東京公演もした。唐ゼミの椎野や中野と見に行った。そこから何人かの卒業生たちが育ち、松本さんの舞台の常連になった者もいる。その後、学生の演出での「ジョン・シルバー」、唐さんと松本さんの共同演出による「少女都市からの呼び声」と続き、「風又」に出演した卒業生の小林徳久君たちが演出補佐を務め、もはや授業の一環ではなく完全に独立した「唐十郎演劇塾」に発展。一二年生や卒業生を交えての「演劇自由塾」という形になったのが前回の「動物園が消える日」。そして、今回の「湯上がり組」、「行水組」の二組に分かれた「少女仮面」とつながったのである。
 変な話かもしれないが、授業の枠を外れて、松本さんの直接の手を離れた前回くらいから、参加者たちが見違えるように生き生きと動き始めたような気がする。同じくらいの年の小林君や卒業生たちと、単位や授業とは関係なくパワーを発揮する現役の一・二年生たちの若さがうまく組合わさり、そして時々稽古に手を入れる唐さんの突飛なアイディアが彼らを勢いづける。
 そして今回の「少女仮面」、びっくりした。これまで、京大の劇団や文学座研修所の卒業公演で見た「少女仮面」を遥かに越えていた。両バージョンとも素晴らしく、これが学生演劇かとびっくりしてしまった。とりわけ、腹話術師を演じた小林君、春日野役の高橋さん、久保田さんとも素晴らしく、それ以外の役者たちも気合いに満ちてみんな素晴らしく、躍動感に満ちた演技である。「湯上がり組」の春日野はヒステリックで観客を飲み込むような狂気の演技において、「行水組」の春日野はクールな男役の佇まいから、少しアニメ声の「女」に変わるその転換の演技において際立っており、それが徹底した稽古量に支えられていることがわかる。少女「貝」も「水のみ男」も「ボーイ主任」も、いずれもまだ一二年生が中心であると聞いて驚く。うちでやった「愛の乞食」の時もそうだが、二十歳前後の世代の持つ潜在的な爆発力は凄い。というわけで、大満足の出来だった。唐ゼミ☆の立ち上げの時期の記憶が重なってくる。
 もちろん、それを支えているのは小林君の演出力、統率力、そして唐さんのやはり非凡としか言いようのない演出力だ。それは、とりわけ第三場での甘粕大尉の登場シーンに現われている。通常甘粕は春日野の妄想として舞台奥に幻想的に現われるのだが、花道を吹雪の中を行軍する部下たちを引き連れて登場し、そこは一瞬にして満州の野戦病院に変わってしまう。また、防空頭巾を被ったファンの少女の群れはマクベスの魔女よろしく三人の不気味な仮面を被った少女=老女として現われるなど、これまで思っていたこの作品の意味を根底から覆すような画期的な演出だった。掛け値なしに素晴らしい「少女仮面」だったのだ。
 終わった後、唐さん、松本さん、西堂さん、久保井君、唐ゼミ☆の中野、小林君、そして終わったばかりの若い「塾生」たちとの晴れやかな飲み会となる。唐さんが近大に行くようになって四年が過ぎ、ようやくそれがこの「少女仮面」で実を結んだような気がしてうれしくて仕方なかった。松本さんや小林君も思いは同じらしく1:00過ぎまで若い学生たちと一緒に盛り上がった。ぼくにも体験的に分かるのだが、彼らは本番二回でまるで昆虫の脱皮のように同じ人間とは思われないほど飛躍する。18歳、19歳の春日野は宝塚のベテラン女優になり、老女と少女を循環する。それもまた「少女仮面」のテーマにふさわしい出来事である。この作品はまた優れた演劇論、演技論でもあるのだ。
 さて、それはそれとして、困ってしまったこともある。去年、久保井君にお願いしている「舞台芸術論」の学生たちは近畿大学と同じ演目「動物園が消える日」を学内で上演した。問題は、今年はうちでは何をやるかだ。同じ「少女仮面」であれほど素晴らしかった「塾生」たちに勝てるだろうか? それとも何かもっと意想外の演目を選べるだろうか? いやいや、問題はうちの「授業」でしかないと思っている学生たちに、あの自由な「演劇塾」に太刀打ちできるだろうか。これから、みんなで頭を悩ませなくてはならない。何人かが深夜バスで大阪まで来てこれを見ているはずだ。逃亡するのか、それとも戦うのか、主役はやはり一二年生にすぎないうちの学生たちである。

2008/11/18 : 12:29 午前 大学 | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.11.03

あっと言う間に、今年も残り二ヶ月となり‥‥

唐ゼミ☆の京都公演も終わった。

毎年テントに顔を出してくれて楽しんでくれる観客の皆さんがどんどん増えてくれているのがありがたい。ただ、テントを立てる場所の問題や、地元での制作の問題なども数多く、来年実現できるかどうかは分からない。それでも、メンバーもみんな京都が好きだし、ぼくにとっては自分が学生時代を過ごしたこの街で教え子たちが頑張っているのを見ると、感慨ひとしおなところでもある。今年も椎野や禿を連れて錦市場をぶらついたり、彼らが宿舎にしている修学院から歩いて行ける、一乗寺松原町の昔住んでいた文化住宅(まだ人が住んでいる!)などを見て思い出にふける。それにしても、ここに住んでいたのは1977-80年の二年間で、その頃でさえ老朽化してぼろぼろだったのに、それから三十年後でも人が住んでいるってどういうことなのだろうか? 確かにサッシに変わっていたり多少はリフォームしているのだろうけれど。そう言えば京大西部講堂もそういう状態のまま残っているから、京都にはこういう建物がまだまだあるのかもしれない。
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そう言えば、烏丸御池にある国際マンガ・ミュージアムに初めて行った。ここは龍池小学校という学校をリフォームした建物だが、全面ガラス張りの増設部分も人工芝を敷き詰めた運動場部分もとてもよくマッチしていてなかなか素晴らしい。開館2年で入場者数45万人を越えたというのもうなづける。研究者用の資料と、来館者向けのアミューズメントや紙芝居などの出し物、貸本スタイルで自由に閲覧できる漫画のコレクションなど、とてもバランスの取れた構成で感心した。大人も子供も芝生の上で寝転んだり、思い思いの場所で漫画を読んでいる光景も楽しい。何よりも展示がとても上品で好感が持てる。外国人観光客にとっても魅力的な場所だ。但し敷地内全面禁煙と言うのが残念。学校なんだから屋上か裏庭に喫煙所を作ってくれればさらにすばらしいのだが。

タバコ本の出版予定がキャンセルされて、別な版元を探しているという話は前回書いたが、11月15日前後に予定されていた中国南京での国際記号学シンポジウムという催しもなぜか行かないことになった。これはひとえに主催者の不手際。まだまだ中国はおかしなことが起こる国であることに変わりはないようだ。その代わり、その期間に予定されていた近畿大学での唐十郎演劇塾による「少女仮面」の公演に行くことになった。

京都から帰ると家で飼っている猫の具合がおかしくなっていた。下顎に大きなしこりができて口が腫れている。病院で抗生物質をもらったが四五日経っても直らない。悪性腫瘍(扁平上皮ガン)だと言われた。手術だと下顎全部を切除しなくてはならないということで、様子を見ながら介護していくことにした。元々大学から拾ってきた猫であるが、もう15歳近く。最近の猫は20歳くらいまで生きることも多いとは言うが、もしこれで弱って死ぬようなことがあっても寿命だと思うことにした。15年も一緒に住んでいると家族同然である。近い将来に別れなくてはならないことがはっきりしてしまったのは悲しい。

まあ、そういうあまり良くない事件もいくつかはあったが、それでも楽しいこともこれから続く。今週末、8日9日には京大の吉岡洋が集中講義で横浜にやってくる。望月組のシナリオ提出日も近く、またドラマが生まれそうだし、近畿大学との交流、マルチメディア文化課程で二年生のゼミ・ガイダンスと同日に開くカルチュラル・アセンブリは12月11日。それまでに学生たちがいろんな出し物を考えてくれるだろう。年末は23-28日までの唐ゼミ☆横浜倉庫公演もある。というわけで、あっと言う間に過ぎ去ったようなこの1年だが、結構いろいろなことがあったし、まだまだいろいろなことは続いて行く。

2008/11/03 : 11:59 午前 日記・コラム・つぶやき | | コメント (1) | トラックバック (0)

2008.10.22

劇団唐ゼミ☆京都公演が始まります。

今週の24-26日、金・土・日の三日間、今年で三年目になる劇団唐ゼミ☆の京都公演が始まります。言うまでもなく『ガラスの少尉・テント版』。これでテント版はおしまい。あとは年末(12/23-28)に横浜馬車道のBankArt-NYKで予定されている「倉庫版」を残すのみ。こちらはこちらで、テント版とは全く違う特別版になります。
公演情報は、ここここに。
今年は三日間とも京都に居るつもりですので、是非足をお運び下さい。京都の観客のみなさんの反応が楽しみです。

ところで、同日程で唐組『ジャガーの眼』も雑司ケ谷鬼子母神で行われ、いよいよ千秋楽を迎えます。残念ながらぼくは行けないのですが、鬼子母神のあの森の中での上演は一味違うものとなるはずです。吉祥寺のジブリの森裏は、横浜からは遠くて大変なのですが、それでも三回は見ることができました。先週の日曜は早稲田大学の演劇博物館の催し「60年代演劇再考」の企画で唐さんと堀切さんの対談に行って、そのまま吉祥寺へ移動しました。唐さんが好きだった浅草芸人「ミトキン」のコントなど興味深い話が沢山あったのですが、会話が噛み合わず、結局は予定よりもだいぶ長く登壇することになった唐ゼミの中野が一番得をしたのかも。

時間軸を逆行しますが、その一週間前は唐ゼミの川崎公演初日に顔を出した後、同志社大学で開かれた美学会全国大会へ。二日連続で飲み会をした後、火曜日は京都興行繊維大学から頼まれた講演会をこなして新幹線で。久しぶりに見る顔も居て、楽しかった。

昨年に引き続き、大学では望月六郎監督による授業「熱血・映画塾」が始まった。今年は中俣暁生さん、平井玄さんとユニークな非常勤講師を迎えており充実している。

もうひとつ。実は夏前からある出版社から頼まれていた「タバコ本」新書の企画がここに来てポシャりました。もう全部出来上がっている段階で、その会社の上層部がもめ事を怖れてNGを出したらしい。こうなると、言論の自由って何だということになります。まだ、後処理は残っていますが、要するにその出版社からは出すことができない。というわけで、どこかこの本を出してくれる新書編集部を探しています。結構、気を入れて書いたのでなかなか面白い本です。但し、もちろん喫煙という習慣を擁護しているわけですが、そればかりではなく「疫学化する世界」という文明論としても充分に面白いと思います。執筆に際しては多くの方のお世話になったので何とか出版したいと思っています。

その他、うまく行っていることもあり、うまく行かないこともあり、なかなか慌ただしいこのごろです。

2008/10/22 : 11:43 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)

2008.10.08

そろそろ更新しておかないと‥‥

月1ペースにしても、あまりにも日々の過ぎる速度が早く感じられ、なかなか余裕がない。もう大学も始まってしまった。

前回がトリエンナーレ開幕だが、その後すぐに唐ゼミ☆の山形公演へ。米沢駅まで車で迎えに来てもらったのだが、そこからの道のり、信号もほとんどなく、車は結構走っているが歩行者の姿がほとんどない典型的な田舎で新鮮だった。

いくつかの村や集落が合併してできた川西町の中心にあるのが、井上ひさしさんが子供のころ住んでいた「小松」地区で、井上さんの蔵書が寄贈されていたり、「こまつ座」が年に何回か公演をしている町民会館「フレンドリープラザ」がある。そこの駐車場にテントを張っているのだが、周りは見渡す限りの田んぼ。鴉の群れとJAの建物だけが目につく。満月の1日前の月がくっきりと空にかかり、車で百人ほどの客が集まってくる。全国大会まで出場したという地元の置賜農業高校の演劇部の生徒たちも20人近く来ている。

唐ゼミ☆の「ガラスの少尉」は1幕物、1時間半の短い作品だ。元々ラジオドラマでイメージのめまぐるしい展開に満ちた作品だが、さまざまな仕掛けで物理的には不可能に思える舞台転換をタイミングよく決めていくと、テント芝居は初めてという観客たちが素直に反応し始め、最後には舞台と客席がひとつになって大歓声で終わることができた。ひとまずは幸せなスタートを切ることができた。特に、高校演劇部の子たちはストレートに喜んでくれて、終わった後で役者の周りに群がってくる。地元で世話をしてくれた人たちも喜んでくれて、打ち上げの宴会も盛り上がっていた。

地元の人はもちろん何らかの形で農業に関わっていて、米も野菜も都会ではとても食べることができないほどおいしい。見た目の悪い枝豆も、ネジ曲がったキュウリもナスも芋もかぼちゃも、子供の頃に食べていた野菜そのもので余りにもおいしく、このもてなしは何よりだった。

次の日は1日に数本しか走っていないディーゼル三両連結のローカル線米坂線でテントばらし中の現場へ。鉄道オタクたちが大きな荷物をかかえて写真を沢山撮っている。車を借りて赤湯方面を一回りして、辛味噌味の赤湯ラーメンを食べて、一人新幹線で帰った。

大学が始まり急に忙しくなる。今年はスペシャルの講師として『極西文学論』の仲俣暁生さん、『ミッキーマウスのプロレタリアート宣言』の平井玄さん、水戸芸術館の高橋瑞木さん、京都大学の吉岡洋さんなど、盛り沢山。もちろん「舞台芸術論B」の久保井研さん、「C」の望月六郎さんも去年に引き続いて来てくれる。いずれも特別の予算や企画満載で力を入れているので、絶対面白いはず。ただ、そう簡単に単位は取れないよとおどかすと最初から逃げ腰になる学生が多いのがさびしい。

横浜トリエンナーレに関連してさまざまな関連企画が動いているが、先週は「急な坂スタジオ」が企画しているアルゼンチンの若手演出家マリアーノ・ペンソッティによる街頭劇「ラ・マレア」が野毛の近くにある吉田町の通り全体を使って行われた。また、来週からはみなとみらいでテントを張って行われる第二回横浜フリンジ・フェスティバルも始まる。このテントは新宿梁山泊が貸し出したもの。そして、言うまでもなく11日から13日にかけては唐ゼミ☆の「関東地区唯一のテント公演版・ガラスの少尉」が川崎市民ミュージアムで幕を開ける。

残念ながらぼくは京都で美学会と自分の講演会があるので、初日しか参加できないですが、是非見て下さい。
24-26には恒例となった三度目の京都公演と、年末には横浜での倉庫公演も予定されています。

劇団唐組の「ジャガーの眼2008」も井の頭公園で4日に初日。このまま週末二回公演で唐ゼミ京都公演と重なるけれども最終週は新しくメトロが開通して便利になった雑司ケ谷鬼子母神へと移ります。

2008/10/08 : 10:35 午後 日記・コラム・つぶやき | | コメント (0) | トラックバック (0)