2017.08.29

Krzysztof Wodiczkoとの出会い―サバイバル・プロジェクション2011

以下は2017年8月26日(土)に、韓国ソウルにある国立ソウル現代美術館で行った基調講演の全文です。


 私の名前は室井尚(むろい・ひさし)です。横浜国立大学の教授をしています。専門は哲学や文化理論で、何冊かの本を書いています。今回のツアーもそうですが、普段は学生たちと一緒にアートプロジェクトをプロデュースしたり、沢山のワークショップをしたりしています。

 ですが、私はアーティストでもあります。少なくとも一度はアーティストでもありました。

 2001年に日本初の国際芸術祭である「ヨコハマトリエンナーレ2001」が開かれましたが、その時に私は、ディレクターの1人であり、京都国立近代美術館の学芸部長だった河本信治さんに声をかけていただき、ほぼ同年代のアーティスト椿昇(つばき・のぼる)さんとのユニットを組んで、「The Insect World」というプロジェクトを行いました。これは複数のユニットからなる複合的なプロジェクトだったのですが、その中の一つとして設置した全長50mのバッタの形をしたバルーン「飛蝗(The Locust)」が余りにも大変で、それにばかり力を奪われていました。

 このバルーンはとても遠くからも見ることができ、横浜の町のシンボルでもある船の形をしたインターコンチネンタルホテルに設置されていました。私たちのコンセプトは21世紀にはこれまでの人類の文明とは全く異なる、いわば「昆虫的」な論理が世界を支配するだろうということで、「The Insect World Operating System will govern the World」という言葉をキーコンセプトにしていました。

 冷戦が終わり、新しい世界秩序が生まれようとしていました。私はそれを、人類を含む脊椎動物からもっともかけ離れた昆虫の目から見た世界を提示することによって、新しい文明の誕生を喚起しようとしたのですが、実際にはそれは2001年9月11日の同時多発テロ事件によって簡単に乗り越えられることになってしまいました。

 クシシュトフ・ヴォディチコ氏と会ったのはこの作品の準備をしていた時です。彼はティファナで行っていたプロジェクションを展示するために横浜トリエンナーレに参加していました。ある機会があって、この時私は彼と二人で、バーで飲む機会がありました。

 その前から私はヴォディチコ氏の作品を知っていて、とりわけ京都国立近代美術館の展覧会「Project for Survival」で最後の展示室に出されていた「Polis Car」にはとても大きな衝撃を受けていました。都市に溢れるホームレスを排除したり、収容したりするのではなく、彼らに移動できる最強のツールを与え、むしろ町の中で誰よりも自由に活動できる存在に変えるというアイディアは、常識を完全に覆すものであり、この作品を作ったアーティストに会ってみたいと思っていたのです。

 彼にこのバッタのCGを見せると、彼は愉快そうに笑って、こう言いました。「アメリカの深夜映画でシカゴの町を巨大なトノサマバッタが占領するB級SF映画を見たことがある」。

 その後、私はこの映画を探しました。それは1957年に作られた白黒のアメリカ映画で、ピーター・グレイブス主演の「The Beginning of the End」という映画でした。とても安っぽいSF映画ですが宇宙からの謎の光線で巨大化したトノサマバッタの群れがシカゴの町の高層ビルを襲うというストーリーでした。

 それからちょうど9年後の2010年3月に、私はヴォディチコさんと再会しました。京都国立近代美術館で、ヴォディチコの作品を紹介し続けてきた河本信治さんの定年退職を記念する展覧会のオープニングパーティに彼は参加していました。

 多分私のことなんか忘れているだろうと思いましたが、せっかくなので話しかけてみました。

 「9年前にあなたが教えてくれた映画のタイトルは”The Beginning of the End”でしたが、あの後すぐに9.11が起こりました。私たちのバッタのバルーンもトラブル続きで71日の展覧会期間中23日しか展示できなかったのですが、その中でワールドトレードセンターのビルが崩壊するのを見て、私たちは底知れない敗北感に捕らわれていました。今から考えるとまさしくあの年は”Beginning of the End”の年だったのです」。

 ヴォディチコさんはとても鋭い目で私をじっと見つめていて、私は何か彼を怒らせてしまったのかと思い、「失礼しました」と早々に彼から遠ざかりました。

 ところがパーティの終わり頃になって、彼はまっすぐに私のところに歩いてきて「時間があるのなら、コーヒーでも一緒に飲まないか?」と向こうから声をかけてきたのです。

 雨の降る中、京都の町を二人で長いこと歩いて喫茶店に入りました。彼はちょうど「9.11」に関する著書”The City of refuge”を出版したばかりで、9.11を記憶するためのメモリアルをニューヨーク湾の海上に作って、そこを世界平和センターにするという構想を提案していたところでした。

 「日本では誰も俺のこの提案に耳を傾けてくれないし、あのパーティでも誰もまじめな話をしてくれないのに、お前に会えてラッキーだった」と彼は言い、それから二人でミシェル・フーコーの「パレイジア」概念や、犬儒派(キニク派/Cynic School)の哲学について議論を交わしました。

 彼はちょうどパリの凱旋門を「戦争を永遠に廃絶するためのメモリアル」に変えるというプロジェクトに取り掛かっていて、スケッチブックを出してまだ構想中のこの作品「The Abolition of War」のデザイン画を目の前で書いてくれました。

 「お前、どう思う?」と聞かれて、「そうですね。でも、これができたからと言って本当に人類が戦争を廃絶するようになるかどうかは疑わしい」と曖昧な返事をした私に彼は少し怒ったようで、「俺はこれをやっているのに、お前は何をするんだ? たとえば、お前は靖国神社のことをどう思っているんだ?」と言いました。

 私は即座に「靖国神社はまずい。あれは一種のタブーのようなもので、右翼も左翼も靖国のことになると正気を失う」というようなことを言うと、彼はさらに激高して、「何を言っているんだ。パリの凱旋門だって右翼とナショナリストの魂の象徴で大きなタブーになっている場所なんだぞ」と言います。これは本当のことで、この一年後、パリの画廊で「The Abolition of War」のオープニングにはフランスの有力メディアは左も右も一切取材にきませんでした。彼らは凱旋門をタブーにしていて記事にするのを恐れたのです。

 しばらく彼と議論して、私は横浜に帰りました。新幹線で深夜に家に着くと、さっき会ったばっかりのヴォディチコさんからメールが届いていました。

 それは「俺は明後日の朝の飛行機でボストンに帰るのだが、明日土曜日は一日オフだ。俺が新幹線で東京に行くから、一緒に靖国神社を見に行かないか?」という突然の申し出だったのです。

 次の日、東京駅で待ち合わせて二人で靖国神社に行きました。私は子供の時に観光バスで靖国神社を訪れたことはありましたが、大人になってから行くのは初めてで、ヴォディチコさんの方が詳しい知識を持っていることを恥ずかしく思いました。

 靖国神社が、戦後はただの新興宗教団体になっていること、アメリカの占領軍が最初は廃止しようとしたのを結局は残すことにしたこと、A級戦犯を祀って中国や韓国の激しい反発を呼ぶようになったのは1970年代後半からであることなど、それまで全く知らなかったのです。またいくら右翼や自由民主党の一部が靖国神社を国有化しようとしても絶対にできない理由もこの時に学びました。

 靖国神社の隣には付属の博物館があって、そこにはゼロ戦や人間魚雷回天など旧日本軍の兵器が展示されていますが、ヴォディチコさんは「誰があんなにきれいな兵器を保管していて提供できたと思う? アメリカ軍以外ありえないではないか? 日本と韓国・北朝鮮と中国が仲が悪くて一番得をしているのはアメリカなのだ。靖国はそのためにある」と言いましたが、まさしく私の目を開かせてくれる言葉でした。

 その後、私たちはメールやSkypeで連絡を取り合って一年後に横浜で国際会議を開催しました。「アートと戦争」という会議で30名以上の研究者、アーティスト、キュレーターたちを招いて三日間の議論を続けました。

 実はこの時にせっかくヴォディチコさんを呼ぶのだから会議だけではなくて、作品も出したいということで「War Veteran Vehicle」の日本版をやろうと準備をしていました。

 ところがその準備期間中の2011年3月11日に東日本大震災と福島の原発事故が起こったのです。私もヴォディチコさんもこの大災害に大きな衝撃を受けました。そこで、二人で相談してこの災害の被災者の声を作品の中に組み込むことにしました。私はスタッフを連れて6月初旬に気仙沼や塩竈などを訪れて、津波の被害者やその関係者の取材を行い、War Veteran Vehicleの形でデータを編集しました。

 その成果は横浜で2回、被災地の仙台で1回のプロジェクションとして公開されました。このプロジェクトの名前は二人で相談して「Survival Projection 2011」としました。


 時間も不足していたこともあって、この作品に対する評価はあまり高いものではありませんした。震災のショックがまだ生々しかったのか、公開現場では何人もの観客から「こんなことをして不謹慎だと思いませんか?」と非難されました。Wodiczkoさんも、日本語部分に関しては全部私に委ねた形になったこともあって、二人共心残りが多い作品になりました。

 その後、彼と私は世界中のどこかで、あるいは日本で1年に一回くらい会い続けていました。一番、記憶に強く残っているのは2013年の夏にポーランドのクラコフで開かれた国際会議に彼と私が参加していて、クラコフの中央広場でポーランド版の「War Veteran Vehicle」を公開した時です。一週間ほどの滞在中、彼はずっと私と一緒に居て、展示中も私とビールを一緒に飲んでいました。クラコフは彼が育った町で、そこで私とさまざまなことを語り合ったことが、私との絆をさらに強めました。

その一年後の2014年。彼が東京に滞在していた時に、彼は私に向かってにやりと笑い「お前、もう一回俺と何かをやってみる気はないのか?」と言いました。

 それから三年になります。その後、私がニューヨークに行ったり、彼を日本に呼んだりして日本で行う二人の作品について話を進めていました。本当はいま日本で開催されている横浜トリエンナーレ2017に合わせて発表する予定だったのですが、昨年になってこのソウル現代美術館での大規模な回顧展が決まりました。

 ソウルと日本は時差もないし、とても近いのでその後私は三度ソウルを訪れ、彼と話を進めてきました。当初は横浜での展示も同時にやろうということだったのですが、その後、ポーランドの政治状況の変化、イギリスのEU離脱、トランプ大統領の当選といった彼にショックを与える出来事が次々に起こり、また昨年12月にはソウルでの百万人デモを目の前にして今回のキム・クーの新作を作るまでに沢山の時間を要しました。3月にも私はソウルで彼と会っていますが、その時に私たちの共同制作は来年以降に延期することにしました。

 ヴォディチコさんは、バンカーヒル(Bunker hill)の戦争記念碑のプロジェクションを扱ったドキュメンタリー番組の中でメモリアルは人々の記憶を運ぶ乗り物(Vehicle)だと言っています。メディアもまたそういう意味では乗り物です。乗り物はそれに乗る人をどこかに連れて行ってくれます。彼はポーランド時代に乗る人を無理やり一つの方向に連れていくヴィークルを作っています。考えてみれば、彼の作品はパプリックな場所にヴィークルを作り上げるという点ではずっと共通しているのかもしれません。

 今回のソウル展で、彼はキム・クーという「乗り物」を作って、彼が1年間見続けた韓国の人々をどこかに運び出そうとしているのではないかと思います。これもまた乗り物のひとつなのではないでしょうか?(了)

2016.10.30

地方から見た「アートフェス」のリアル。

山形大学准教授の貞包英之氏によるネット版「現代ビジネス」の記事を読んだ。


国家や行政に「動員される」、「元々自らの中に国家や権力に対抗する姿勢を持っていなかったアーティスト」という視点は耳に痛い人が多いのではないだろうか? 大阪万博の時とは、国家と個人の関係は違うとは思いながらも、確かにオリンピックに向けて更に乱立していくアートフェスを見ていると、その光景がだぶって見えてくる。ディレクターがいつも、北川フラム、南條史生、芹沢高志といったような同じ人の名前が出てくるのにも、誰も批判すらせず、黙っている。

80〜90年代に地方活性化の目的で、観光用の「◯◯太鼓」がどんどん作られていった。指導していたのはみんな同じ人達。伝統も、背景も何もないところにどんどん地域おこしのための「◯◯太鼓」が生産されていった。子供たちが一生懸命太鼓を叩いているのは確かに美しいが、結局は彼らは大人たちの政策に「動員」されていたのだ。今のアートフェスはそれと同じ臭いが確かにするし、「目玉」の傍らで、いかにも口実として展示されるしょぼい「地元作家」や「その地域の風景や町並み」に対するこの人の眼差しも共有できる。確かに、まるでアートフェスが開かれていなければ、この地域は来るべき何の価値もないと言っているようなものだからだ。

その一方で、この人も疲弊する地方のために「アートフェス自体には反対」できない。やはりそれを肯定しながらも、こうした大きな流れに「敵対する」アーティストの登場に期待するしかないというのがいかにも苦しい。

しかし、そこまでアーティストに期待するのは酷かもしれない。彼らにできることはせいぜい参加しないことくらいだけれども、招かれたのにそれを断るというのは、特に活動の場所が少ないアーティストにとっては難しい上に、問題を起こしてもう二度と呼ばれなくなるリスクをおかすことはもっと難しいだろう。

唐十郎はけっして「演劇祭」や「演劇フェスティバル」に参加しようとはしなかった。「なぜですか?」と聞いたら、「だって芝居はそれ自体がお祭りなのだから、お祭りが沢山集まっちゃったら面白くなくなっちゃうじゃない」というようなことを言っていた。

自分の作品のことしか考えないアーティストと違って、唐さんはいつも観客の視点で物事を見ていたことが、今なら分かる。確かにお祭りばかり沢山集めたって、一つ一つの意味は弱められてしまう。あるいは「沢山一度に見られて面白い」というようなアートの消費者たちとは異なる観客を求めるアーティストにとっては、アートフェスはむしろ敵対しなくてはいけないものだということにはならないだろうか?

アートフェスに参加することで新しい発見が生まれ成長するアーティストは確かにいるし、この人が書いているように、ようやく文化にお金が流れるようになった今の状況を全否定することは、ぼくにもできない(第一、最初の横浜トリエンナーレで共犯者になってしまっているし)。しかし、同時に腑に落ちないことや、「空気を読める」人たちによる大政翼賛会的ないまのアートフェス流行りに対して、胸の奥にどんよりと溜まる違和感はいつまでも消えないのである。

2016.10.28

大麻は本当にそんなに悪いものなのか?

 以前、武田邦彦さんが出した『大麻ヒステリー―思考停止になる日本人』(光文社新書)を読んで感心したことがある。武田さんはその後も『早死したくなければ、タバコはやめないほうがいい』(竹書房新書)を出したり、放射能被害に関する誇張についても発言している。そのどれもがとても真っ当な議論だと思うが、マスコミや反対論者の総攻撃を浴びている。

 ぼくの『タバコ狩り』もそうだけど、きちんと読まずに感情的に攻撃してくる人たちの合言葉が「データ」とか「エビデンス」だ。基本的にこういう言葉を楯にして嵩にかかって少数者を排除しようとする人たちは、何を言っても意見を変えようとしない。そしてその背後には必ず誰かの利権が絡んでいるのである。
 
 ぼくは余りナチュラリストやエコロジストは好きではないけれども、鳥取の大麻解禁論者と今回の高樹沙耶さんの事件は警察と厚生労働省の陰謀にしか見えない。マスコミの叩き方も異常だ。誰も大麻そのものを問題にしようとはしない。

 この動画はとてもよくできているが、武田さんの前掲書から付け加えるべき情報としては、精神に何らかの作用(鎮静作用や集中力を高める作用)をもたらす成分を持っている大麻草はインド大麻だけであって、日本などで古来から栽培されている大麻にはそもそもそうした成分は含まれていないということである。

 つまりは栽培用の大麻(さまざまな利用法がある上に、精神作用はもたらさない)と、高樹さんたちが主張している医療用大麻(鎮静・鎮痛作用などがある)の問題は分けて考えなくてはならないし、またすべての大麻が「もっと強力な麻薬の入り口になるから」という乱暴な論理も批判されなくてはならない。

 そんなことを言うのなら医者の処方する抗うつ剤をはじめとする神経間伝達物質を含む薬剤の方が、もっと強力な薬物への導入剤になったり、あるいはどんどん量を増やしていき薬漬けになる危険性が高いはずだ。

 実際に精神科の診療を受けて抗うつ剤を処方された学生が「この薬は一生飲み続けることになるでしょう」と医者に言われたという。こっちの方がもっと問題なのではないだろうか。

 ちなみに70年代までは日本の警察は大麻取締にあまり厳しくなく(覚醒剤がヤクザの収入源になっていたのに比べて、大麻はヒッピーやバックパッカー経由で安価で入ってきていたからだと思う)、何度か経験したことがあるが、集中力が高まり鎮静作用があるのは事実だ。ただ独特の臭がするし、何よりもタバコよりも胃に悪いらしく、何度か腹を下したことがあるので個人的には好きではない。

 取締は徐々に厳しくなり、とりわけ1990年に勝新太郎がパンツに隠していた件で逮捕されてからは、ちょっと尋常ではないくらいに大麻の取締が厳しくなっている。今回の事件はそんなことを考えるいい機会だと思う。

 タバコの件もそうだけど、とにかく「思考停止」にならないためにも。

2016.10.13

飲食店の「喫煙席」がなくなる見通し:科学的根拠って?

 問題のニュースがこれである。オリンピックに絡んで随分きな臭い動きが続いていたが、結局そこに踏み込むらしい。しかし、そこには全く科学的根拠はない。いつでもそうだが、「エビデンス」とか言い立てる連中が一番いかがわしいエセ科学者たちなのだ。

 『タバコ狩り』の著者としては、もう既に「2010年までに居酒屋も全面禁煙になる!」と予告していたので、それが10年延びたところで別に今更驚きはしない。疫学化する社会がますます窒息しそうな息苦しい状況を強めていく。

 『タバコ狩り』は2009年に出版された。アマゾンでは醜悪なレヴューに埋まっている。誰一人、論破などされたことはないのに。

 国立がんセンターが「受動喫煙の健康被害は確実」とかわざわざ今の時点で発表した裏が読めた。これもヒステリックなもので、メタアナリシスによる受動喫煙者の肺がんにかかるリスクが「約1.3倍」であり統計的に有意であるということから、受動喫煙の害は「確実」というものである。ちなみにここに出ている数値は「1.28倍」だ。何も切り上げて発表する必要はないと思うが...。


 年間の肺がん死亡者数は10万人あたり男85.0人、女32.4人という統計がある。


 これは全肺がん死亡者の数字だが、このうち受動喫煙による死者の割合はきわめて低い。あまり当てにはならないがこんな統計が発表されている。

 とすると、10万人あたりにざっくり換算すると、男で4.5人、女で10.4人程度だということになる(人口一億として。正確に1.29億にすればもっと少ない)。あ、違った。一億で割ってはいけない。男女半分として5千万で割らなくては。すると男10人、女20人ということか。やっぱりこの統計おかしいな。多めに出しているとしか思えない。女32人のうち20人が受動喫煙者のわけないもの。それともぼくの計算がおかしいのか?


 がんセンターの言う「約1.3倍」をそのまま適用しても、7人対10人とか16人対20人程度にしかならない。10万人あたりである。多分実際にはそんなに違わないだろう。

 普通の人はこういう数字は「誤差」と考え、そんなに気にするほどではないと考えると思うのだが、これを根拠にしてすべての飲食店の喫煙席をなくすというのは、どう考えても暴力以外のなにものでもないと思うのだが、どうだろう? 酒や排気ガスとくらべても、タバコの受動喫煙の害はほとんど問題にならないレベルである。臭いが嫌いな人や煙に敏感な人は、それはいるだろうが、喫煙席すら禁止するというのは、これはもう発狂しているとしか思えない。まあ欧米先進国は室内全面禁煙が多いので、全世界的に発狂しているのだが、ほとんどの国で屋外はどこでも喫煙できるようになっている。今回こんなことをしたら日本が世界一発狂していることが証明されることになるだろう。

 しかしまあ、屋外の喫煙規制が世界一厳しい国なのに、こんなことをしたら、雑居ビルのスナックやバーは死活問題になるだろうな。本当に社会全体がどんどん悪い方向に進んでいる。

 喫煙率全体の数字は確かに下がっている。だが30代、40代に絞ると男性では約4割(がんセンター方式。本当は38%程度)も喫煙者がいる。この人たちの総人口は少数者として排除される規模をはるかに超えていると思う。異常に遠くに設置された明らかに狭すぎる喫煙エリアや喫煙室に、入りきれないで群がっている働き盛りの羊の群れを追い立てて何が楽しいのだろうか?

2016.03.16

NHKスペシャル「原発メルトダウン危機の88時間」を見て

  3月13日に放送されたNHKスペシャル「原発メルトダウン危機の88時間」を見た。今のNHKでよくこれが放送できたと感心し、現場の番組製作者の優れた仕事に最大級の敬意を表したいが、それとは別に驚くべき事実がそこでは明かされていた。

  結局のところ津波で全電源が喪失して、稼働していた1号、2号、3号のすべての原子炉が完全にコントロール不能になり、すべてがメルトダウンしていたことになる。

 そのうち、何とかベントができた1号機、3号機は格納容器の破壊こそは免れたが、3号機の大爆発で、付近に全く近づけなくなり、2号機の内部圧力が限界以上まで上がり格納容器の破壊直前まで来ていたこと。被爆線量が致死量になるため決死隊が派遣されていたこと。それでも内部温度を下げることはできなかったため、全員避難命令が出ていたこと。そして、格納容器破壊が起これば半径約200km圏内(東京全部から新潟、山形まで含む)が高濃度汚染による避難地域となり、東日本の機能が完全に麻痺していたことが初めて明かされている。そして日本は広大な立ち入り禁止地域を挟んで北と南に完全に分断されるという国家存亡の危機に瀕していたことになる。さらなる大混乱で日本全体がもう立ち上がれないまでに追い込まれていたことであろう。

  さらに、亡くなった吉田所長は確かに立派に振る舞ったが、それでもさまざまな指示のミスや、東電本社や首相官邸の混乱した介入もあり、かなり致命的な沢山の失敗を現場で犯していたこと。とりわけ、3号機への消防車からの注水がパイプの分岐による漏れによってまったく機能していなかったことや、2号機の危機的な状況において、消防車のガス欠(!)で注水が全くできておらず、格納容器破壊を防ぐ手段が何もなくなっていたこと。そうならなかったのは単に偶然、格納容器壁に入った亀裂から放射性物質が勝手に漏れていたからであることなど、初めて明かされる事実に驚かされた(正確には後からの検証によって立てられた仮説で、まだ実証されてはいない)。けっして、現場の頑張りで危機が回避されたわけではなかったのである。

 繰り返すが「偶然」である。この時に撒き散らされた高濃度の放射性物質が現在の福島の悲惨な状況を作り出したのだが、実際の危機はそのレベルではとても済まないものだった。付近の原発(福島第二や女川原発、新潟の刈羽原発)にも人間が近づけなくなり、完全に制御不能になった複数の原発が次々にメルトダウンすることを防げなくなっていた。そうなれば「FUKUSHIMA」は福島県ばかりではなく福島、宮城、山形、新潟、栃木、群馬、埼玉、東京、茨城、千葉などを包摂する広大な地域となっており、そこに住む住民はすべて財産を放棄して避難民とならざるをえなかったはずである。この緊急避難が起こっていたらどんな阿鼻叫喚、地獄の混乱が起こっていたか、想像するだけでも怖ろしい。

 したがって、福島の半径数10キロだけが避難地域となったのは単なる幸運にすぎないのだが、だからと言ってラッキーだったと言うだけではとても済まされないことだと思う。たまたま直撃した爆弾が不発弾だったというだけのことであり、現場にいたすべての人が最悪の事態を予測したということの意味は重い。震撼せざるをえない事実である。1号機、3号機の大爆発をテレビで見ていた時の一体これからどうなってしまうのだろうという腹の底から湧き起こってくるような重い不安感をまざまざと思い出させてくれた。本当にぎりぎりのラインまで来ていたのだ。

 この番組を見れば、原発の再稼働がいかに狂気に満ちた無謀な行為であるかということを誰しもが再確認せざるをえないのではないだろうか? その意味でもこの番組が放送されたことの意義は大きい。

 核エネルギーの研究や開発を否定しているわけではない。しかしながら、いとも簡単に完全にコントロール不能になる怪物を、火山活動や地震と切り離すことのできないこの島国が沢山抱えているということから生まれる危険性は、エネルギー不足や経済効率などでは誰も説得できないほど圧倒的な脅威であることを、この番組は改めて教えてくれる。

 これは想像力の問題だ。地域に豊かさをもたらすから、エネルギー不足を解決するから再稼働するというような理屈はもっと大きな公共性の観点から見れば成り立たない。したがって滋賀地裁での高浜原発運転停止の仮処分は原理的に見ても完全に正しい。

2016.01.19

【国立大学改革】いくつかリアクションしておきます。

TwitterやFacebook上で直接議論することはしません。不毛だし。裏で色々勝手に言っているだけですからね。

一つめは前のエントリーで書いたことに対するFacebook上でのネガティブな反響についてです。

たとえばこういうの…。

>うーん…「国立」大学は運営費の半分は税金投入されてるのにねえ。
>それを「大学は教員と学生のもの」って…職員は入らんのか…
>そして、こういう主張が社会で共感されているとは驚き。
>そんなに好きにしたければ、自分たちで資金集めて
>自分たちの好きなようにできる大学を作ればいいのに。
>そしたら誰も文句言わない。なぜ「国立」にこだわるのか。
>国の関与が嫌なのに、国立にこだわる理由が不明と言えば不明。

「国のものなのに、単に雇われている奴らがごちゃごちゃ言うな。嫌ならやめろ」とでも言いたいのか?

こっちの方が「驚き」です。まあ、こういう人たちはよく居るので、もはやそれほどは驚かないですけれどね。

大学も学校も「株式会社」のようなモデルでしか考えられないから、こういう意味不明の発言になるのですね。

「国」が大学のオーナーで、経営方針もオーナーと社長が決めるのが当たり前。そして株主は俺たち「国民」。(俺たちの)税金で雇用されているだけの者はごちゃごちゃ言うな…。嫌なら自分で会社=大学作れ。ブラック企業のオーナーとかがいかにも言いそうですね。確かに「法人化」というのは、株式会社をモデルにしている法改定でした。だから、労働基準法が適用され、教職員は社長にあたる学長をトップとする「国立大学法人」の雇用者という形にされている。学生とその保護者が「顧客」。教育や研究は「業務」で、したがって研究内容や教育方法についても学長があれこれ口を出すことができる…と、まあこういうモデルなわけです。これを根拠に「学長のガバナンスの強化」とか、「意向投票の廃止」とかいう暴力がまかり通っている。

そして、こういうモデルを大学に適用するのは完全に間違っていると私はずっと言っている。

たとえば、慶應義塾大学というところには金子勝というガチガチのマルクス主義経済学者と、竹中平蔵という小泉構造改革のブレインだった新自由主義経済学者がいる。これをマルクス主義は反政府的だから発言させないとか、新自由主義者はムカつくから首にするとか言ったら、それはもはや大学とは呼べない。学問の自由というのはこういうことを言うのだ。大学は多様性を失ったらいけないというのはこういうことなのである。大学教員が時の政府におもねった発言しかできなくなったらもうおしまいだ。

ちなみに前回問題にした福岡教育大学では、授業中に「安保法案反対デモ」の「安倍はやめろ」コールを学生に言わせた先生が(オチは「学長もやめろ」だったらしい)、学生のTwitterから問題になり、何と執行部によって停職処分にされている。もはや、こんなところは大学の名に値しないと思う。他の先生たちはどう思っているのだろう?

たとえばこれが逆だったらどうだったのだろう? 授業で安倍内閣を絶賛したり、大学の入学式で君が代を歌うのは当たり前だという話を授業でした先生は「処分」されていただろうか?  

どちらも教員が自分自身の思想として語っているのであれば、たとえそれで不愉快な人が一部いたとしても「処分」の対象にしたりすべきではない。それをたとえば単位の条件にしたり、賛同しない学生を差別したりすれば問題だろうが、教壇では教員は自由に自分の考えを堂々と述べる権利があるのだ。学生はそこから自分で事の是非を考えればいいのである。

「学習指導要領」に完全に準拠することを強制されている小中高校と大学はそこが根本的に違う。

中には大学にも「指導要領」的なものを作るべきだと主張する人たちもいることはいるが、そんなことになってしまえば大学はただの「教習所」になってしまう。自ら考える力など身につくはずはないのだ。

話を続ける。

言っとくけど、運営費の半分ではなく「ほとんど」すべてが国の税金です。「国立大学」ですからね。それがどうした?

「国」や「国家」という概念は、現在政権を握っている政党や国会議員の集合体よりももっとずっと上のレベルの抽象的な概念です。「理念型」と呼んでもいい。今の政府や政権が言っていることに従わないことが理念としての「国」に従わないとか、愛していないということではない。なぜ国立大学があるのか? それは知識や学術の最高機関をきちんと運用できないような国はいずれ滅びるからです。政府が間違ってる時にそれを糺すことができないような大学など存在する意味がない。

もう一つ。職員は教員と学生の共同体としての大学の運営をスムーズに機能させるために手伝ってくれるありがたい人たちです。その意味ではもちろん「仲間」です。ですが、「学知の場所」としての大学の主たる機能それ自体には直接は関わっていません。ですから、大学は学生と教員のものと言ったのです。

最後に、「自分たちで資金を集めて自分たちの好きにできる大学を作ればいいのに」ということに関してですが、私立大学を含めて、大学設置基準法に適合し、設置審議会で承認されなくては「大学」として認可されません。そして「大学」である限り、文部科学省の支配からは自由にはなれません。私の知る限り、むしろ私立大学の方が文科省の顔色を窺って、ガチガチで窮屈な状況に陥っています。つまりはまともな「大学」などどこにも存在し得ないのです(だから、私塾しかありえないのかと嘆いているわけです)。

これを脱け出すには、国の大学に対する政策を変えなくてはなりません。そのためには、まずは国=文科省のこの数十年間の大学改革がいかに根本的に間違っていたかということを訴え続けなくてはなりません。私が言っているのはそういうことです。

たとえば、昨日(1月18日)公表されたインターネット上のメディア「nippon.com」に文科大臣補佐官の鈴木寛氏による「人材育成・日本の大学の何が問題か」という記事が出ています。

#しかし、この記事のタイトル、凄いね。日本の大学の現場の方が問題なのであって、文科省はその問題解決に努力してきたとでも言いたいのか? 文科省の大学改革政策の方がずっと問題なのに...。

この記事で鈴木氏は、文科省のこれまでの教育政策は15歳の学力向上など成功したものも多いが、大学政策では失敗したものもあると述べ、その例として法科大学院とポスドク問題(だけ?)を挙げている。また理工系人材づくりもノーベル賞受賞者を多数輩出するなど成果を上げているが、ドクター進学率の低下など今後の不安要素も高い。さらに文系教育に関しては長い間貧弱なままで放置してきたことのツケを何とかしなくてはならない。緊急に必要なのは文系のST比(教員一人あたりの学生数)の適正化である。またアメリカに学んで一層の「戦略的大学経営モデル」を確立しなくてはならない…大体こんなようなことを言っている。

全くピントのずれたことを言っていると言うしかない。少なくとも91年の大学設置基準の大綱化以降の文科省による大学改革はそのほとんどすべてが間違っているし、失敗しているというのが、ぼくの認識である。ST比の適正化などよりも、やるべきこと―というよりも、ただちにやめるべきこと―は無数にある。

だいたいこの鈴木という人は独法化の時に反対していたはずなのに、いまや文科省によるソビエト的な大学支配の総元締めみたいなことをしていて、恥ずかしくはないのだろうか?

まず、アメリカ型の大学経営モデルを導入すればよくなる(はずだ)という思い込みからして間違っている。会社経営だってそうだが、グローバルスタンダードを導入すればそれでよくなるというのは幻想にすぎない。90年代に日本の会社を合理化すると言って、さまざまなアメリカ流の経営改革を持ち込み、元々の企業風土を破壊して、組織をぐちゃぐちゃにしてしまった反省をそろそろすべきなのではないか? アメリカと同じことをしても、二番手、三番手どころか世界の五番手、六番手、あるいはそれ以下に後退するだけということを学んでいないのだろうか。そうじゃないと海外で対等に戦っていけないなどと言うが、その前に国内の教育環境や大学風土がめちゃめちゃに破壊されてしまう。自分たちの持っているいいところを伸ばしていこうとせずに、「アメリカ流」の経営改革によってそれを立ち直れないまでに破壊してしまうことが全然わかっていない。何よりも現場のやる気を著しく失わせてしまったのが、こうした文科省流の「大学改革」なのではないか?

こうして、五流・六流のアメリカ型大学のようなものを日本に沢山作り出そうとしているだけなのだ。日本各地、固有の地域性に基づく独自の文化を育んできたさまざまな地方大学に、まるで大型ショッピングモールにような(しかも規模はけっして大きくせずに)一律の経営手法を押し付けて改革しようということがそもそも間違っているのであって、文科省は地域や大学の主体性を認め、多様性を破壊する大学改革政策をやめるべきなのだ。それは一律に「地域創成学部」とか「地域デザイン学部」とかいうフォーマットを押し付けることとは根本的に違う。とりあえずは、あなたたちが余計な「改革プラン」を全部取り下げてくれるのが現在のところでは最善の策である。度重なる干渉や押し付けられた「ミッションの再定義」によって、どれだけ現場の教員や学生たちの努力が踏みにじられ、めちゃくちゃに混乱させられているかということを全く分かっていないのではないかと思う。

「大学人は、政府がそうした議論の場を設けるのを、待つのではなく、自ら論点を洗い出し、世論を啓発し、熟議を起こしていく必要がある」などと書いているが、全くどの口で言っているのかと呆れてしまうしかない。自分たちの政策に都合がいい御用学者や財界人だけで審議会を構成するような「政治主導」が続いていく限り、何も変わるはずがない。せめて、理系の学長経験者や財界人だけではなく、まともな教育哲学者や教育社会学者たちを入れて、大学教育に関する歴史的、文脈的な議論から始めていかなければ、もはやどうにもならないと思う。企業の論理を大学に持ち込んではいけないのだ。第一、百年以上続く企業なんてほとんどないが、大学はうまく維持できれば数百年は続く息の長い組織なのである。それらは全く別種のものだ。文系の研究というのもまた、場合によっては五十年、百年の時間をかけて初めて成果が生まれるものもあるのである。すべてにおいて、視点が短絡的過ぎると思う。

今日はとりあえずここまで。

2016.01.16

全国の国立大学をこのまま国(文科省)の奴隷にしていいのか!

さて、どこから書き始めようか? ここでは久しぶりの「国立大学改革」の話である。

とりあえず、このblogから生まれた角川新書『文系学部解体』が12月10日に公刊され、全国大学生協の新書部門1位になるなど沢山の人に読まれているようである。全国の大学教員から共感や励ましの声が送られてくるのはある程度は想定内のことだったが、意外だったのは大企業の人事担当の役員の方はじめ、企業や経済界からの好意的な反響が多かったことである。中には是非室井先生のゼミ生のような学生を取りたいというようなものまであった。残念ながらぼくはゼミという制度があまり好きではないので、うちのゼミ生はほかのゼミを落ちこぼれたかなりダメな子ばかり(笑)なので、あまりご期待には添えないと思う。


1e434979114fe1507f5b435a9f704841

それはともかく、この本を執筆してから現在までの短い期間に、全国の国立大学からはさまざまな不協和音が伝わってくる。

ひとつは学長選出をめぐるトラブルだ。

滋賀大学や福岡教育大学では、学長選考会議が指名した4月からの次期学長に対しての不満が渦巻いている。

滋賀大学の場合は教職員による意向投票で得票率が一番低い、前監事だった人(監事は文科省が指名することになっている)が学長になった。かなりあからさまな人事である。

福岡教育大学では、前回やはり下位の候補者が学長になり、そこで教職員の意向投票自体が廃止されてしまった。そして次期学長として学長選考会議が(勝手に)決めた学長の選考プロセスに関する情報開示請求が行われている。この大学では現学長の振る舞いに対して教職員からさまざまな不満の声が出ているようだ。

さらには岡山大学の学長による薬学部長と副学部長の強引な解雇が問題となって法廷で争われている。これは、医学部の論文不正に対する告発を行った薬学部長・副学部長を別件で処分したという事件で、学長が医学部出身であることから不正をもみ消そうとして、いわゆる学長のガバナンス、強化されたリーダーシップを濫用したのではないかと批判されている。

元々、学長はその大学の教職員の投票によって選出されてきた。2004年に国立大学法人化が行われて以来、外部のメンバー(過半数入れなくてはならない地元の財界や教育界の代表)を含めた経営協議会と学内の教育研究評議員会から選出された委員による「学長選考会議」を組織して、そこが指名する制度に改定された。その意図は意向投票で選ばれた学長では、強力なリーダーシップや経営力を発揮できないからということだったのであろう。

それでもこれまでは95%以上の国立大学では教職員の意向投票を行っており、学長選考会議の決定も概ねその投票結果を尊重したものてあったのが、とうとう意向投票を完全に無視した恣意的な学長選びが始まったのである。今後このような大学がどんどん増えてくることが予想される。それにしても官僚出身の前監事が指名された滋賀大のケースはかなりひどいと思う。この馬鹿げた学長選出のプロセスは法律に書き込まれてしまっているので覆すことは難しい。だから福岡教育大学のように「情報開示請求」しかできないのである。もっとも法律にはないが、勝手に教職員がリコール請求をすればいいとは思うけど。

もちろん、「民主的」に選ばれたこれまでの学長が常に良かったかと言えば、必ずしもそうは言えない。全国の国立大学の学長の経歴を見れば一目瞭然であるように、医学部出身や工学部出身の学長が圧倒的に多いのは、教員数が多い学部から自動的に学長が選ばれてきたという流れがある。少なくとも、これらの人々は大学の内部をよく知っている人たちであったのは間違いないが、それでも岡山大のように文科省が推進する「学長のガバナンスの強化」を履き違える人物が今後も出てくるにちがいない。ましてや、大学のことを知らない官僚出身や経済界出身の学長が、今後は乱発されてくることも懸念される。これらの事件はこうした暗い未来を予感させるものである。

さらに平成28年度から始まる「第三期中期目標中期計画」の概要がだんだんと明らかになってきた。

【あまりにも、ひどすぎる!】

法人化と同時に、各国立大学は六年ごとに「中期目標中期計画」というものを策定して、その達成度合いによって評価が行われることになっている。これらは最終的には文部科学大臣名で公表されることになっている(だから、全然大学の独自性などは発揮できない)。今年で第二期が終わり、来年からの六年間「第三期」が始まるわけである。もともとホップ・ステップ・ジャンプという三段階モデルで、文科省の国立大学改革がステップアップするとされていたのだが、概要を見ただけでこの「第三期中期目標中期計画」が国立大学の首を完全に絞め落として死に追いこむようなものであることがわかる。

そこには、昨年6月に明らかにされた(実態としてはその二年近く前に既に策定されていた)「国立大学改革プラン」を、具体的な数値目標をつけてすべて実行することが求められている(今更ではあるが、これは各大学が自主的に作るものではなくて、最初から文科省によって大筋決められて押し付けられているものなのである)。

国立大学に突きつけられた改革プランは以下の8項目であった。


1.「ミッションの再定義」を踏まえた組織改革
2.各地域における知の拠点としての社会貢献・地域貢献の推進
3.国境を越えた教育連携・共同研究の実施や学生の交流等、グローバル化の推進
4.学長等を補佐する体制の強化等、ガバナンス改革の充実
5.年俸制・混合給与の積極的な導入など人事・給与システム改革の推進
6.法令遵守体制の充実と研究の健全化
7.アクティブ・ラーニングの導入等、大学教育の質的転換
8.多面的・総合的な入学者選抜への転換

新聞などのメディアでは、すぐに目につく1, 2, 3, 4などを中心に報じられたが、これらの項目に関する目標を書き込むのはもちろんのこと、他の項目に関してもきわめて細かい指示が与えられている。

とりわけ5.の人事システム改革に関しては、

● 年俸制の導入を10%を目標値として実施すること。
● 混合給与制(クロス・アポイントメント制度)を推進する。*要するに別なところから給料をもらえということ。

などについて書き込むことが求められている。

そもそもが人件費の配分が大幅に不足しているのだ。

平成28年度の各大学への運営費交付金は取り敢えず前年並みということが発表されているが、恒例の追加配分が行われないということで交付金額はますます厳しくなっている。
そこに景気浮揚策なのか何なのか知らないが、アベノミクスで好景気になった(??)ということで、公務員の給与引き上げと地域手当の引き上げに関する人事院勧告が出ている。
これに合わせて給料を払うと各大学では既に今年度から赤字に転落することが予想されている。

人事院勧告に従わないという選択を選ぶ大学もあると噂には聞く。
それこそ普通民間の会社であれば収入が減れば当然給与引き下げを考えるだろうが、ここでは逆に上げろと国から脅されているのだ。そのくせ、お金は出さない。

そこで言ってきているのが、この年俸制とか混合給与制とかの導入なのである。五十五歳を過ぎた教員からこの年俸制移行への「肩たたき」が始まるらしい。

それどころか、既に新潟大学などでは「早期退職」志願者の募集が始まっているようである。しかしながら、そうでもしなければとても人件費が賄えなくなっているのだ。

ところが、これだけでは全然足りないのだ。

横浜国立大学では今後五年間に七十名程度の人員削減案が検討されている。もちろん現職教員のリストラではなくて、定年退職者の後任ポストの不補充で人員削減をしようとしているのだが、領域によっては専任教員数が不足して満足な教育活動ができなくなるおそれがある。既に非常勤講師用の人件費が足りなくなって開講できない科目があったり、隔年開講に移行したりしており、どんどん教育環境が悪化しているのだ。これはどこの国立大学でも同じ状況のはずである。

つまりは財務省の圧力で、もう充分な人件費が配分されなくなりますよ、だから給与制度を改革して下さいというわけなのだが、そのことがあたかも各大学が自主的に立てた「目標・計画」であるかのようにさせているところが、何ともグロテスクなのである。

さらにはFDやカリキュラム改善に関してもこれまでに増して細かな要求が書き込まれており、たとえば「ルーブリックを活用したカリキュラム改革」をやれ! と押し付けられている。この「ルーブリック」というのは近年アメリカで開発された教育工学の手法で、どうも政策決定者たちはこれを無理やりすべての国立大学に押し付けたいらしい。とにかく書類仕事を増やすことしか考えていない(ちなみにこの「ルーブリック」という英語の元々の意味は、単なる見出しとかヘッダーとかにすぎないが、もっとめんどくさいシステムである。今、大学関係者が必死に勉強しているようだ)。その他、入試にしても既に手間暇がかかる上にあまり成果がぱっとしないAO入試が無理やり押し付けられており、あらゆることが細かく規定されている。

こんな無理やり押し付けられた「中期目標・中期計画」を達成するためだけに六年間が費やされることになるわけであって、絶望的な気分にならざるをえない。

ああ、そうそう。こんなのもあった。

Late specialization(レイト・スペシャライゼーション)を導入せよ。

何だ、これ? 要するに専門を決めない入試をして、入学後に所属学科を選べるようにしなさいということらしい。

これは九州大学が計画中の文理融合の「新創生学部」案や新潟大学が計画中の「創生学舎」のようなモデルをどうやら全国の国立大学に広げようということらしい。さんざん文理融合型の大学院を作って失敗を重ねた末に、今度は学部にまでわけのわからない文理融合を持ち込もうとしている。それも全国の国立大学にまで広げようとしているのだ。本当に一体誰がこんなにくだらない「改革プラン」を作ったか、できることなら作ったアホの顔を一回見たいものだ。これらは春には文科省のサイトで公開されることになっている。

そして、我々国立大学の教員は、これに対して何の抵抗もできないのである。抵抗したら、金を打ち切るぞ、という単純だがどうしようもない脅しに屈しざるをえないという情けない状態が現状なのである。

いや、そんな中でも各地で抵抗運動が起こり始めている。

既成の教職員組合には何の期待もできない。だって、上のような状況を百も知りながら「人事院勧告を完全実施して給与をupせよ!」と主張しているような旧態依然とした組合に何を期待できるだろう? どんどん組合離れが進むだけのことである。

普通の学生が、そして組織されていない普通の教職員が抵抗の声を上げることが唯一の希望の灯火なのだ。そして、お互いにこうした小さな抵抗の火をつなげていくようなネットワークを作っていくべきなのではないかと思う。

新潟大学では、廃止される教育学部の新課程や研究科の学生たちが大学執行部とのやり取りを続けてる。この学生たちの主張は正当なものだ。

=> 新潟大学教育学部有志学生の会のページ参照。

また、ちょっと遅かったけれど横浜国立大学の学生たちもまた行動を始めた。
#言っとくけどぼくが裏から扇動したわけじゃないからね。

=>人文社会系学部の縮小に抗議する集団行進

今更ではあるが、大学は教員と学生のものである。

教員と学生の意志を踏みにじるような、こうした全体主義的な大学破壊に対して、大学に関わる者たち一人ひとりが抵抗の意志を示していくことはとても大切なことなのではないだろうか?

また長くなってしまったので、ひとまずここで筆を擱きます。

2016.01.04

2016年のはじまり

長いこと更新をしていなかった。

もっぱらFacebookとTwitterでの発信ばかりになってしまった。

もう一つはずっと契約していたNiftyの有料サービスを全部解約したということも大きい。

光電話サービスも、Cocologの有料サービスもそれに伴って止めた。
そのためにデザイン面とかでできないことが多くなった。無料サービスの範囲でのことしかできない。

NIftyのアカウント自体は残してある。なんと言っても1987年以来ずっと付き合ってきた会社だから縁を完全に切ることは難しい。

これまでマンションの光ケーブルをNTTとNiftyを通して使っていたのを、地元のケーブルTV一本にしたからである。

そう言えば1996年からずっと使ってきたbekkoameのサービスもほとんど使っていないなあ。解約しようかなあ。

2016年という数字を見ても今更何も思わないが、最初にホームページを開設してから20年目である。
そう言えばちょうど十年前の2006年に三ヶ月半だけではあるけれどもヨーロッパを一人で放浪していたことを思い出す。

2回も盗難にあったり、結構大変だったけど、色々な出会いもあり楽しかった。
また、ああいうことをしてみたいけど、体力がいつまで持つのかということもそろそろ少し気になるようになった。

昨年11月にニューヨークに行った。ニューヨークは2001年2月以来で、WTCのツインタワーの見えないニューヨークを訪れるのは初めてだった。

ロウワーマンハッタンのイーストヴィレッジでクシシュトフ・ヴォディチコと会って、今年二人でやろうと思っているプロジェクトの打合せを初めてやったのだが、戦時のワルシャワで生まれた73歳になるこのポーランド出身のアーティストとこんなに仲良くなって、また一緒に仕事をすることになるとは思ってもいなかった。

彼は3月に10日程度、ぼくが招いて来日することになっている。そこから一体何が始まるのか、とても楽しみだ。

今更ではあるが、人生は一期一会の連続である。とりわけ、これだけ年齢を重ねると、昔のさまざまな出来事が縁となって、それから時を経て一見重なりそうになかったことが突然重なりあってくることが多い。
年賀状やFacebookの繋がりを見ていてもそう思う。

12月に出した角川新書『文系学部解体』の評判が良い。もっとも、これから色々な火の粉が降りかかってくることになるのだろうが、ずっと過ごしてきた大学の危機とあってはもう立場とかどうとか言っている場合ではないと思う。

今月末には日本記者クラブで講演をさせてもらうことになっている。社会がどのように受け止めてくれるのか確かめてみたい。それもこれも始まりはこのblogだった。

というわけで、多分これからはFacebookがメインにはなると思いますが、時々はこうしてここに戻ってきたいと思っています。

どうぞ、今年もよろしくお願いします。


2015.05.24

日本記号学会第35回大会「美少女の記号論」終了

突然blogを再開する。
大学のことは諸事情もあり、しばらく書かない(書けない? いや、そんなことはない)。

5月16日と17日の二日間、秋田公立美術大学で第35回日本記号学会大会「美少女の記号論」が開催された。
13521_364486937094583_3026174938956


たまたま去年秋田を訪れた時に、「あきたこまち」をはじめとするあらゆる秋田の名産品のパッケージに萌え系のアニメ画風美少女が溢れていることに衝撃を受けて、「なぜ美少女なのか?」「なぜ人は美少女に救済を求めるのか?」「美少女とはどのような記号なのか?」というような問を立てることから、この企画が始まった。もちろん「秋田美人」というイメージもあるが、いずれにしても人を集めることが難しいこの土地での集客狙いのコンセプトであり、それほど深い意味があったわけではない。Photo

ただ、元々日本では少女や幼女に対するファンタジーが強く、手塚治虫や宮﨑駿のような少女志向の文化的傾向が強いのだが、それでもこの10年間のように、同じコスチュームを着た美少女アイドルに中高生だけでなく、社会人の男が群がるのは異常事態と言ってもいいと感じてはいた。記号学会ではいろいろな議論が出たが、ぼくなりにまとめたり、考えたりしたことを列挙すれば以下のようなことになる。

・美少女は実在しない。

・美少女とは構造的に与えられる役割であって、その意味では誰でも美少女になれる。

・性的に宙吊りにされた観念としての美少女は救済のイメージと結びついている。

・そのため「萌え要素」のような紋切り型やクリシェが安易に用いられるが、それらは美少女の本質的要素ではない。

・その意味で美少女はいわゆる「データベース型消費」とは何の関係もない。

・そもそも美少女は市場における消費の対象ではない。

・そのことを隠蔽するために「グッズ」という役に立たないガラクタが交換される。グッズとは贈与経済に属するもので、グッズに市場での交換価値は存在しない。そこで行われているのは象徴交換の儀式である。

・美少女が救済のイメージにつながるのは、それがあらゆる経済連関や政治的文脈から切り離されている「宙吊り」の不安定な表象だからだ。それが不安定な十代の少女の身体によって、「演技」や「技術」ではなく、全力で「実在」に近づこうとしていく意志によって、美少女の表象は一種のイコンとして機能し、崇拝や献身の対象になるのではないか?

・もちろんAKBのような軍隊型、ももクロのような戦隊型、きゃりーぱみゅぱみゅのような男を必要としない自足型、BabyMetalのような企画物型のようなさまざまなヴァリエーションがあるし、単にピンクでふわふわした衣装をまとって笑顔を振りまいているだけの無数の凡庸な美少女アイドルが氾濫している。

・美少女のイメージ造形は男性のプロデューサーの妄想によってまるでプラモデルを組み立てるように作られる。受容者はこのプロデューサーが自分たちの欲望を引き出してくれていることに対して自覚的であり、「運営」側とのインタラクションを重視している。メカと美少女はどちらも工作物であるという点において共通しており、その工作物としての完成度を競うことが出来る。

・少女たちがなぜそれを自ら進んで受け入れようとするのか? なぜそうした男性の妄想の押し付けから自由になろうとしないのか?

・それはいまや、女性たちばかりでなくすべての世代を含めた男性までもが自分も「美少女になりたい」と欲望しているからなのではないか? ヲタ芸をするアイドルのおっかけたちは、アイドルのライブと一体化することを求めており、最終的にはメンバーと同一化することを欲望している。

・こうした「美少女願望」が社会に蔓延しているために、もはや男子中高生のみならず家庭を持つ成人男性たちや女性たちにまでアイドル文化が浸透しているのではないか? そして、本来は市場経済とは関係のない美少女表象が、資本によって経済に組み込まれ、いわば市場経済の潤滑油のような働きをしているのではないか? そういう意味では、やはりあんまり健康なことではないのだろうな。

こんなようなことを思った。

ところで、この学会でぼくが担当したのが、クロージング・セッションで秋田のご当地アイドル(地元アイドル=ジモドル=ロコドル)pramoのミニライブを含む「美少女vs記号学会」という、アイドルと学会のコラボという無茶振りの企画であった。全体を3つのコーナーに分け、最初の30分が黒板前でのpramoのミニライブ、第二部がpramoメンバー一期生3人と仕掛け人の浅野社長とのトーク、最後が学会員によるディスカッションという構成になった。その後玄関付近での物販とpramoによるファンとの交流もあった。メンバーとのトークに関しては、もう少しやっておきたい点が残ったものの、全体としてはまあまあ無事に終了し、ほっとした。

11288976_374914626051814_3104027412

このpramoの子たちが素晴らしかった。一期生の子たちは2011年からもう足掛け5年活動をしているのだが、ピュアで真剣で礼儀正しい(もちろん、それが彼女たちの「素」だと素直に思っているわけではないが、少なくとも処世術とか営業の戦術とかいうことではなくて、真剣に彼女たちが「アイドル」と一体化しようとしているというようなことだと思う)。終わった後にも早速公式ホームベージでの活動報告が掲載され、トークショーに出てもらったメンバーのせれんちゃん、こむぎちゃん、まゆちゃんもblogで文章を書いてくれた。それぞれ素直に感想を書いてくれてとてもうれしい。高校生くらいの女の子からこういうようなまっすぐな言葉をもらうのは新鮮な感じだ。6月6日に東京に出てきてライブをやるらしいけど、学生たちを連れて応援しに行きたくなった。

こういうのは、周りの大人達がしっかりしていて、ちゃんとしているからこそのことだと思う。事前にpramoについてはいろいろ調べてはいたのだけど、終わった後もずっと見て行きたくなる。

少女たちがこういうことに本気で向かい合うと凄い力になる。リーダーのせれんちゃんは高3なので今年で引退するということを決められていて、その一年間という定められた期間を全力でやりきろうとしているのがよく分かる。確かに、高校で部活に賭けている(高校野球とかバレーボールとか)子たちのもっている不思議な迫力と真剣さにも似ているのかもしれない。甲子園に出られるのも、またその中でプロ野球や大学に誘われたりするのもほんの一部で、大半の子はこれをやれるのは一年か二・三年の短い期間だけだということが分かっていて、まるで二週間で死んでしまうセミのように自分の持っている以上の力をそこにつぎ込もうとする。基本的に少女アイドルというものは少女じゃなくなれば終わるのだから、時間とともに成熟することはなく、少女時代の不安定な心と肉体のままで時間が止まったような瞬間=永遠の中でしか成り立たない幻影である。ゲーテが「時間よ止まれ、君は美しい」と書いたように、永遠と瞬間が重なり合う中に「救済」の幻影が浮かび上がってくるのが、少女アイドルの魅力であり、それは夏の線香花火のように儚い一瞬の幻だ。もちろん大半のアイドルは紋切り型と凡庸なクリシェで安易に作られていてとても安っぽい感じがするものであるが、pramoは違った。

こういう話をすると、すぐに「先生、すっかりはまっていますね」とからかい気味に言われる。前に「ももクロ」のことを書いた時にも、「ぼくと同じですね」とか「誰推しですか?」とか「ぼくはAKBです」とか、急に馴れ馴れしく話しかけてくる学生が多い。悪いけど君たちと同じと思ってほしくはない。はまっているのはもしかすると本当なのかもしれないが、しかしそれを口にするのは少し恥ずかしい。またすぐに「可愛いものには誰でも惹かれますからね」とか、「仔猫と同じで、みんなが癒やされますね」とか言われるのも少し違うと思う。

秋田という地方都市から全国へ、世界へと何かを発信していこうとすることと、ぼくが横浜都市文化ラボでやろうとしているように、もはや何も生み出せなくなってしまった国立大学から文化を発信していこうというのは何か似ているような気がしなくもない。何かまだ読み解かなくてはならない何かがあるような気がしている。もう少し考えてみたい。

11245366_10207010580604086_11578843

5/17活動報告
http://pramo-akita.com/news1/2280/

リーダーのせれんちゃんのblog
http://ameblo.jp/prm-srn/entry-12027754566.html

こむぎちゃんのblog
http://ameblo.jp/welcom-smile/entry-12027955506.html#cbox

まゆちゃんのblog
http://ameblo.jp/pprraammoo/entry-12028240049.html

早速YouTubeに投稿された当日の映像。よくもこんなに狭いところで踊ってくれたものだ。

2014.10.08

国立大学がいま大変なことになっている(その3)

前のエントリーに対して、身近な人たちや外の世界の信頼できる人たちから共感のメッセージを多数頂いた。だからと言ってそう簡単に解決されることではないのだが、同じように現状を憂いている人たちが沢山いることが分かって勇気づけられた。

それに対してネット上の表側で返ってくるレスポンスのほとんどが否定的なものばかりである。別に同意を求めているわけでもないのだが、前回もそうだったが、たとえば「はてなブックマーク」に返ってくるコメントは相変わらず邪悪で罵倒に近いようなネガティブなものが目立っている。

まあ、分からない人には分からないのだろうなと思うしかないのだが、しかしこういう脊髄反射的なレスポンスをネットで返してくる人たちは一体どういう人たちなのだろうかと考えこんでしまった。彼らは何に対して苛立ち、何に対して怨嗟の声を向け、誰に向けてコメントをしたがっているのだろうか? まず、ネットというものが元々そういう性質(匿名であるがゆえに攻撃性が露わになりやすい)を持っているということはもはや明らかだが、彼らは対象についてあまり深くは考えようとしないで、一瞬の印象だけで何かを決めつけるレスポンスを書き込んでくる。そのことに関して自分が判断する権利を持っているという一種の全能感のようなものを行使することに満足しているのだろうか? 安易にぼくが反応して論争に乗ったり、あるいはそこが炎上したりすればそこにしばらく留まり、そうでない場合には次のターゲットを探し求めて移動していく。いずれにしても、ぼくが書いている問題それ自体や、ぼくがどういう人物であるかということに関しては基本的には全く関心を持ってはいないようだ。

彼らのコメントをまとめてみると、要するに、

「(俺が知っている)国立大文系なんて全く社会の役に立たないで遊んでいるだけなのだから潰されて当然だ」<=ぼくがどこの誰で、具体的に何をしているのかは知らないし、また知る必要もないが、どうせどこだって似たようなものだろうと決めつけている/その判断を下せる側にいる自分に優越感を感じている。

「税金でまかなわれている国立大学の行く末を決めるのは納税者(俺たち)だ。」<=(俺たち)納税者(?)という多数派の中に自分の身を置いて、そんな自分には文系の学問など何の役にも立たないと言っているようだ。自分を(ちょっと信じがたいことだが)「国民」と言う人たちもいる。自分を多数派側だと考えたがり、どうも現在の政権を大多数の納税者の意志を反映しているものと思いたがっているフシが見える。また、国立のみならず私立大学も多額の税金からなる運営補助金によって経営されているのだが、とりあえず私立大学のことはどうでもいいようだ。そもそもぼくたちが給料をもらっているのはそういうシステム全体からなのであって、税金は一旦国費になった時点でどう使われるかは一人ひとりの納税者の意志とは全然関係ないところで動いているのだが、彼らは「俺達納税者の税金でまかなわれているくせに生意気だ…」と言いたいらしい。少なくともぼくは「税金で食わしてもらっている」のではなくて、もらっている金銭よりは明らかにそれを上回る労働をしているつもりだ。前にも書いたように、いまやとても安いよ。

「論文も書かず? 外部資金を集めようともせず、業績もない奴に限って、そんな社会性のないことを言う」と決めつける<=調べたのか? と言うだけにとどめよう。ホント、日々どんだけ苦労しているか知らないくせに…。

「成果を示せない以上、リストラされるのは当然」<=教育の成果はどのように数値化できるのだろうか? 授業アンケート? そんなのはどこでも「成果があった」という結果しか出ていない。研究? 中身を数値化することなどできるのか? 著書の売上? 数値化できないものがあるということを認めず、すべてを数値化しようとする手続き型合理性の支配こそがもっとも問題なのに。

「大学人なら対案を出せ!対案のない批判は無効だ」(対案などいくらでもあるが、blogやネットで発表したところでしょうがない。そもそも現在の政府の政策に反している対案を採用される可能性もないところで言っても無駄である)。<=「対案がない批判は無効だ」というのは、橋下大阪市長の常套句だが、行政責任者でもなく政策決定者でもない相手に向けるのは不適切だし卑怯だと思う。

「おっさんの気持ち悪いプロフィール写真をやめろ!」<=ほっとけ!

「国は金がないんだ。俺達は前からもっと悲惨な状況にいる。これまでぬくぬく生きてきた報いだ」<=怨嗟を向ける相手を完全に間違っている。自分たちの不幸の原因をなぜかこちらに向けている。これはバブル世代や団塊の世代に向けられる怨嗟にも共通している。君たちに富を再配分しないのはぼくでもなければ、彼らでもないというのに。

この人たちの発言動向は「ネトウヨ」と呼ばれる人たちと共通している。別に左翼でも同じことだ。反原発や反安倍内閣の立場に立つ人たちの中にだって同じような人達もいる。彼らは現状の自分の生活や政治に不満を抱いている。そして、どうやらその原因を既得権者、貯金を貯めこんでいる先行世代、中国や韓国などの外国、左翼インテリ、共産党、日教組などに見出そうとしているようだ。実際は生産拠点を海外に写している大企業や金融・経済界、新自由主義の恩恵に浴している(た、かつての)ホリエモンのようなヴェンチャー企業家たちこそが富の再配分に不均衡をもたらした彼らの敵のはずなのだが、見事なくらいに敵の姿を見誤っており、ナショナリズムと日本人(=主流派の国民、納税者)であるということを自己を強化する鎧のように思い込みたがる錯誤の中にいる。とりあえずは攻撃したい相手を探しているだけだ。安倍首相がなぜ再登板したかと聞かれて「インターネットの声に勇気づけられた」と言っているように、いまやこうした勘違いしたナショナリスト=ネトウヨ=新自由主義の被害者たちが世論を動かすまでの大きな勢力になっていることは否みがたい事実である。

宮台真司は、2000年のアメリカの大統領選において知能指数がきわめて高いと言われたゴアに対して、きわめて知的能力が低く知能指数100以下と言われたブッシュがインターネット上の多数の支持を集めて当選したことを例にあげて、何人もの家庭教師をつけても東大には入れず、ようやく成蹊大学に入学できた安倍を、だからこそ俺達が支持するというインターネット上の勢力(B層の大衆)が安倍を総理大臣にまで持ち上げたのではないかと指摘し、エリート嫌悪、感情劣化による衆愚政治が続くことは避けられないと言っている(KADOKAWAのウェブマガジン「ちょくマガ」(2014.9.30)における発言より)。かつてのような優秀なエリート層と、四年制大学を卒業した教養と知性をもちさらに上を目指そうとする層の厚い中間層の大衆が、この数十年の新自由主義経済の中で解体され、教育の機会も満足に与えられず、非正規労働者の群の中に埋没している、彼の言う「感情劣化したB層」の大衆を生み出し、インターネットで参加機会を与えられた彼らと、彼らの感情的な世論を誘導するメディアや広告代理店によって政治が動いているのではないかというような話である。相変わらずソーシャル・マーケッティング的な社会のマッピングであって、その論調には余り共感はできないが、しかしながら確かに中間層と呼ばれてきた層が完全に解体されて、一部の富裕層と数多くの低所得者層の格差が広まりつつあるのは世界的に見ても共通している現象だと思う。ヨーロッパの複数の国で極右政党や排外主義的勢力が拡大しているのも同じ流れとして理解できる。

だからこそ国立大学が必要だし、文系教育、あるいは広い意味での「教養」が必要なのではないかと思うのだ。崩れかけている日本の優秀な中間層の崩壊をさらに進めて一体どうしようというのか? さらに言えば国立大学の授業料を大幅に値下げするかあるいは無料化する政策こそが、この国の民主主義を正常に戻すためにも必要なのだとも言いたいのである。授業料が高過ぎる。ヘイトスピーチに流れる人々や、みんなが反対している原発再稼働を安倍が進めているからという理由だけで支持する人々の姿を見ていると益々そう思わずにはいられない。

一部の人に批判されたように、確かにかつてのような「高等遊民」的で社会から隔離された「秘密の花園」に対するノスタルジーと取られるようなことを書いたことは少し反省している。だが、それでも広い意味での批判的なリテラシー教育の機会をできるだけ多くの人に提供することは、この国の未来にとってとても重要なことであると思えるのだ。比較的安い授業料で、また一部のマンモス私大のようなマスプロ教育ではなく、学生一人ひとりと密接に接することのできる国立大学のいまの環境が失われることによって、この国の高等教育が被ることになるダメージは単なる効率性追求の政策によって得られる一時的な効果よりもはるかに大きいのではないかと言いたいのである。

知は力である。知識と教養を軽んじ、知識を効率と競争の道具としてしか考えないような国家に未来はない。現在の苛烈な状況の中でも、人類の歴史とこれまでの文明の流れ、先人たちがどのように思考してきたかを知り、自分が生まれてきた時代を超えた巨大な生命潮流の流れの中に自分が生きていることを知ることは、とても重要なことなのだと改めて言いたい。大学教育は守られなくてはならない。実際に若い人たちの昔も今も変わらない知識に対する純粋な欲求を間近に見ている現場の人間として切実にそう思う。

それでも、きっとまたネットでは罵倒されるのだろうなあ。勉強することができるということは、それでもすごく素晴らしいことであり、ネットを見ているだけよりはずっといいことがあると思うのだけど。

2014.10.03

国立大学がいま大変なことになっている(承前)

黙っているからと言って何も考えていなかったわけではない。

5月15日付けのエントリー「国立大学がいま大変なことになっている」を書いてから、いろいろな人に引用されたり、言及されたりしてきた。

国立大学関係者なら誰でも知っていることだが、一般の人たちにとっては驚くべきことだったようである。

その後、国立大学法人評価委員会が各大学に通知した「国立大学法人の組織及び業務全般の見直しに関する視点」について(案)の発表を受けて、東京新聞が9月2日付けの記事「国立大学から文系消える?」を掲載したり、またぼくの記事を引用した村田哲志氏による10月1日付けLivedoorNewsの記事「国立大学から文系学部が消える!安倍首相と文科省の文化破壊的『大学改革』」が出たことによって、またまたぼくの周辺が騒然としてきた。かと思えば今月号の『現代思想』の特集は「大学崩壊」というショッキングなものだった。だが、ざっと目を通したが大したことは書かれていない。

内田樹さんがツイートしているように、実はもうとっくの昔に国立大学ばかりではなく、新自由主義的な政策を採る政府の「教育改革」によって大学は死にかけていたのである。この二十年間で文部科学省はまさしく内田さんが言うように「『死にかけた大学』しか延命できないようなシニカルな仕組み」を作り上げたのだ。各大学には文科省から出向してくる理事や、産業界や行政から経営に参加する半数以上の経営協議会委員が送り込まれ、もはや大学の内部にも文科省には逆らえない構造ががっちりと組み込まれているのである。今回のことをとってみても、確かに安倍政権になってからその傾向は急速に推し進められてはいるが、90年代の自民党政権や民主党政権も本質的にはちっとも変わらない教育政策を推し進めてきた。それが変わらない限り、この方向性を停めることはできない。ストライキや抗議行動をしたところで何も変化させられないところにまで国立大学は追い込まれている。

前にも書いたように、「民間企業と同じような競争原理を持ち込む」というのが政府と文科省の最初の方針であった。しかし、政府から支給される運営交付金の金額が最初から決まっている国立大学では、横並びの同じような改革しかできない。そもそも改革の方向そのものが中教審の答申や文科省の政策に従うものだけしか認可されない仕組になっていたからである。そこで、文科省は00年代に入って大学振興課や大学改革推進室といった窓口を通して各大学に「競争的資金」を獲得するように求めることとなる。自分たちが気に入るような改革を行う大学にはご褒美で資金を提供するという形によって、各大学の競争を煽ろうとする試みである。代表的なものとしては世界的に通用する研究に対して与えられる数億円単位の「21世紀COEプログラム」(現在はグローバルCOEプログラム:COEとはCenter of Excellenceの略語らしい)と大学教育を支援する数千万円単位のGP(「特色ある大学教育支援プログラム(特色GP)」、「現代的教育ニーズ取組支援プログラム(現代GP)」及び「質の高い大学教育推進プログラム(教育GP)」:Good Practice)などがある。そして他にも沢山このような「競争的資金枠」を作り、運営交付金額の減額分をここで取り戻そうとする「やる気のある大学」だけを選別しようとした。

さらに、文科省は2004年の国立大学の独立行政法人化によって国立大学を「国立大学法人」として民間企業と同じように労働基準法管理下の組織に改変し、運営交付金を毎年減額させながら競争的資金枠を増やしてきており、さらに今回示された「国立大学改革プラン」においては平成28年度には運営交付金を3〜4割に減らし、競争的資金を獲得できない大学には支援を打ち切るという方針を示している。勿論、文部科学省だけが悪いのではない。その裏には年々財政状態が悪化している中で財源を確保しようとする財務省の厳しい要求があるのも事実である(たとえばこのような資料を見ると、文科省が彼らなりに大学を守ろうとしてきた経緯が読み取れるだろう。だからと言って彼らに責任がないわけではないが)。

平成28年度には国立大学への運営交付金を3〜4割に減額する! これはほぼ大学の人件費だけを残して他には一銭も配分しない額になると聞く。もしそうなったとしたら、国立大学はもはや何もすることができず、生き残ることはできない。各大学が必死で「競争的資金」を獲得しようとするのは当然であり、またそれ以外の選択肢は経営陣には残されていない! というのが、現在の国立大学が置かれている状況なのだ。しかしながら、大学改革と言ってもそれは文部科学省が唱導する「改革プラン」に沿っているものでなければ認められない。それがどういうものであるかはこの表を見れば推察することができるだろう。各大学は教職員一丸となってこのような方向性に沿ったお仕着せの「改革プラン」の申請書類を毎年大量に作成し提出しなくてはならない。そうしないとお金が足りなくなるからだ。だが、だんだんそれが習慣化していくと、お金がもらえるような計画書類を作ることの方が先行するようになって、改革の中身や、それが本当に自分たちの大学にとって必要なことなのかどうかというようなことを誰も考えなくなっていってしまう。中身はどうあれ、資金を獲得できなければ何もできなくなってしまうからだ。内田樹さんが言っている「死にかけた大学しか延命できないようなシニカルな仕組」とはまさしくこのようなことなのである。

ここ数年はさらにここに「グローバル人材の育成」とか「大学のグローバル化」という主として漠然とした財界からの要請に則した「競争的資金」の割合が増えてきた。このため留学生の倍増とか、大量の学部学生の海外への短期派遣留学、外国人教員の増員、英語による授業科目の増加などといった、果たして本当に教育の質を上げるのに有効なのかどうかわからない横並びの「改革」を取り入れざるをえない大学が増えている。ぼくの働く横浜国立大学も例外ではない。最近発表された「スーパーグローバル大学創成支援」に採択された大学では今後数年間数億円ずつが配分されることになっているが、結局は今年も落選してしまった。採択された大学と似たような申請内容だったのだが、まだまだ「積極的な姿勢が足りない」と評価されたようだ。元々それなりの努力をしている上にこの資金に応募するために少し無理をして英語による教育カリキュラムなどを導入してしまっているので、今後予算面でますます苦しくなることが予測されるが、それでもこの資金獲得レースから下りることはできないのである。こうして大学はどんどんと破滅の道を転がり落ちていく。

これが深刻なのは、こうした大学政策が単に日本国内だけではないということだ。グローバル資本主義の広がりの中で世界中の大学が似たような形で無理やり競争を強いられている。とりわけヨーロッパの大学の凋落が激しい。手続き型の合理性と、数値だけが重視され、中身よりも形(論文数、引用数、特許数など)だけで評価が行われるというのは、全世界的な趨勢である。したがって本当の問題はグローバル資本主義そのものなのだ。

こんなことを書いていると、同僚たちから非難されるかもしれない。なぜなら、年齢相応にぼくも管理職についており、もし大学が会社であるとしたらこのような内情を内部の人間がさらけ出すことは好ましくないと考える大学教員も少なくないからである。だが、大学は会社ではない。また、いくら形としては独立法人化され労働基準法管理下に置かれた組織であるとしても、教員は通常の意味での労働者ではない(「聖職」だとか言いたいわけではない)とぼくは信じている。自分の思うことや信条を口にすることができないとしたら、それこそ大学と大学人には何の存在価値もなくなってしまうと考えているので、同僚たちに直接の迷惑がかかることでない限り、好きなように発言させてもらう。

しかし、言うまでもなくこのような「改革」が正しいと本気で信じ込んでいる人たちが現実の政策を決めているのも事実である。それでは、それはどのようなものなのだろうか? ちょうどここに格好の材料になる記事があるので、それを読んでいこう。YahooJapnNews10月2日付けで木村正人という人が書いている「世界大学ランキング(1)東大23位死守も、日本は大幅後退」という記事である。ここでは外国人雇用については疑問を呈しているものの、ランキング100位以内に10校を入れたいという文科省がスーパーグローバル大学創成と呼んでいるような政策がは基本的に不可欠であるかのように書かれていて、これだけ読む人は思わずなるほどと納得してしまうのかもしれない。このような論理が政策決定者たちを動かしてきたことは事実であるように思われる。

そもそも「大学ランキング」とは何で、それは何を指標に作られているのかと言えば、主に研究論文数、被引用件数、取得特許数といった数値を中心として作られているのであり、当然のことながら工学系、医学系を中心としている。だから一位がカリフォルニア工科大学であり、スタンフォードやMITが上位に入っているのだ。そしてそのほとんどは英語圏の大学である。最初から英文の論文しかカウントされていないのだから当然である。名前を聞いたことのない大学も多い。ランキングに入っているから素晴らしい大学だということはないし、また学生の立場に立ってみれば、実際に自分がどんな教員や友達にめぐり逢えるかということだけが問題なのだから、何の参考にもならない。根本的なことであるが、なぜ日本の大学がこうした「ランキング」を指標にして改革しなくてはならないのかがぼくには全く理解できない! 少なくとも文系にはもともと何の関係もない話なのだ!

授業を英語化することに関しても、外国人教員の雇用を促進することに関しても、それ自体は良くも悪くもないが、数値目標を定めて―しかも全体の1/3も外国人教員にするなどという極端なものも多い―国際化するなどという改革は狂気の沙汰としか思えない。人文科学や日本史などの授業まで英語で行うことにいったい何の意味があるというのか? 単に日本語能力と日本語による思考能力が著しく低い、そして言語の奥に広がる豊かな文化的広がりに全く触れることなく英語を実用的な道具としてのみ考えるような学生しか生み出さないカリキュラムや教育システムを作り上げて一体どうしようというのか? こういう記事を書いたり「スーパーグローバル大学」とか本気で言っている人たちには全く分からないことなのに違いない。勘違いもここまでくればもはや狂気と呼ぶしかないのだが、政府も文科省も財界も全くそれに気づこうとしないのである。

かつて、ぼくたちが大学に何を求めていたのかと言えば、世の中の趨勢とは離れたところで自由な知性の可能性を極限まで突き詰めることのできる空間であった。考えてみれば蓮實重彦も柄谷行人も、ぼくたちが憧れていた思想家や哲学者、批評家、文学者はみんなただの語学教師や教養部の教員で、大学の評価を高めるとか、資金を獲得するとかといったくだらないことにかかわらないで、世間を気にせずにいられたからこそ自由な仕事ができたのだ。時間を忘れて若い人たちと一緒に思索をめぐらせたり、異なる意見を戦わせたりする自由な空間こそが大学に最も必要なものなのに、この度重なる大学教育改革は根こそぎそれを奪い取ってしまったのである。

大学とは人である。素晴らしい教員と素晴らしい学生は自由に議論ができ、自由に意見を言い合える、実社会からはある程度遮断された空き地のような空間の中でしか育たない。くだらない改革資金目当ての書類作りに忙殺され、何が本当に必要で、何が大切なことなのか、誰も分からなくなってしまったこの国の大学に、再び言うが、もはや未来はない。

2014.08.28

三輪眞弘「59049年カウンター―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」について

 8月30日のサントリーホールでの「世界初演」に向けてリハーサルが続いている三輪眞弘作「59049年カウンター ――2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」は、同日に上演されるカールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)の「暦年」(洋楽版)に対する「21世紀からの応答」として新たに三輪眞弘に委嘱された作品である。横浜都市文化ラボ「桁人チーム」として学生10人がパフォーマンスに参加している。6月から三輪眞弘が何度も横浜に来て練習を重ねてきた。いよいよ本番である。

 この曲が作られた裏には、とても複雑で味わい深い物語がある。

 この物語は、今回の企画のプロデューサーであり、長年国立劇場の演出室長を務められた木戸敏郎氏(ぼくも記号学会で面識がある)が、ケージやブーレーズとともに20世紀現代音楽を代表する作曲家と言われるシュトックハウゼンに雅楽の楽器を用いた新曲を依頼したことから始まる。こうして作られた「暦年」(雅楽版)は1977年に国立劇場において初演された。

 だが、国内での評価は酷評に近いものだったようだ。誰もこの音楽劇を理解することができなかったのである。

 その後、この曲はヨーロパで洋楽器を用いて上演され、そこでは対照的にきわめて高い評価を獲ることになった。シュトックハウゼンはこの「暦年」をきっかけとして、彼の生涯を代表する上演時間29時間に及ぶ超大作オペラ「リヒト」を作ることになり、そして「暦年」(洋楽版)はそこに「火曜日」として組み込まれた。今回30日に佐藤信による新演出で日本で初めて演奏されるのがこの曲である。


 この曲を作るにあたって、木戸敏郎氏とシュトックハウゼンは長い対話を行った。一度は作曲を断念しようとしたシュトックハウゼンに、木戸氏は粘り強く説得を続けた。ほとんど2人による共作と呼んでもいいくらいである。そして、この雅楽版の「リヒト」は8月28日に37年ぶりに演奏されることになったのだ。そう言えば、2001年の「9.11事件」の時に、「リヒト」を上演予定だったシュトックハウゼンが、「暦年」での大天使とルシファーの戦いに言及して「あれはルシファーのアートだ」と発言して世界中からバッシングされ、「リヒト」の上演が中止になった事件も思い起こされる。洋楽版では年を数えるゲームを邪魔しょうとするルシファーと大天使ミカエルの戦いが描かれていたからだ。

 この「暦年」が誕生した経緯に関して、サントリーホールのホームページや木戸敏郎氏のインタヴューが複数あり、いずれもとても興味深い。木戸氏が一貫して続けてきた仕事である、古代エジプトや正倉院に残された古楽器を復元する作業にも似て、もはやその本来の音楽が分からなくなってしまった雅楽の楽器(唐楽器)を現代に蘇らせようとする壮大な実験のひとつだった。

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2014/producer.html#rekinen

http://ooipiano.exblog.jp/17313520/

 そして更に木戸氏は今回の「暦年」雅楽版、洋楽版の歴史的な再演に当たって、一柳慧と三輪眞弘という日本人作曲家2人に新曲を依頼してきたのである。

 三輪眞弘の新作「59049年カウンター ―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」はこうして作られた。

 この作品は「暦年」への返歌、もしくはアンサーソングのようなものである。というか、タイトルにも表されているように、桁人と呼ばれる10人のパフォーマーは年をカウントしているのであるから、基本的なコンセプトはシュトックハウゼンと同じであり、年を数えながら人類の歴史を振り返るという構想で作られている。ただ違っているのはそれが三進法の数字でカウントされているということだ。三輪が近年多用している「蛇居拳算舞楽」システムによって曲が作られているところから三進法となった。三輪が提唱する「逆シミュレーション音楽」では、コンピュータ上で作られたものを人間が生身の身体を使って上演するということに重きが置かれている。三輪は録音された音楽を「録楽」として音楽からは区別し、聴衆の前で生身の人間が演奏し、神に「奉納する」ものだけが「音楽」だと主張している。「またりさま」も、フォルマント兄弟が行う人工音声による楽曲も、すべてこのような方法論によって作られてきた。

 10人の桁人は10桁の三進法の数字をそれぞれがカウントしていく。舞台上手側の5人が「LST」チーム、下手側のチームが「MST」チームと呼ばれるが、これは通常は二進法で「LSB( least significant bit )」(最上位ビット)「MSB(Most signiificant bit)」(最下位ビット)と呼ばれている最後を三進法だからと「Trit」に読み替えたものであり、それぞれが下位の5桁、上位の5桁ということになる。そうすると10桁の三進法の数値の最大値は「2222222222」となるわけで、これを十進法に直した数字がタイトルの「59049」になる。

 三輪眞弘自身による解説はこちら

http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/59049.html

 5人2組の「桁人」(けたびと)たちは、横浜都市文化ラボが昨年度実施した「パノラマ・プロジェクト」において三輪が作った「みんなが好きな給食のおまんじゅう」と同様に、サミュエル・ベケットの「Quad」を彷彿とさせる動きを行うが、全員が百均ショップで売っているポンチョ型の雨合羽を着用して、うなだれて移動している。これは、福島原発事故の後テレビなどでよく目にした「防護服」を強くイメージさせる。藤井貞和氏が三輪のために書いた消滅してしまったとされる架空の少数民族ギヤック族の神話「ひとのきえさり」もまた、原発事故を強く想起させる。この言葉は、ルールに基いて対角線を移動する桁人によって手渡されるカードによって伝えられ、テノール歌手とバリトン歌手によって朗々と歌い上げられる。彼らはしたがって「詠人」(よみびと)と名付けられる。

「Quad」の動きはこちら。

 13人の演奏者は「傍観者」と呼ばれる。基本的には洋楽版の「暦年」と同じようにピッコロ、フルート、サックス、チェロといった通常の楽器も使用されるが、シンセサイザーやドレミパイプなども用いられる。また、LSTチーム、MSTチームも全員が鳴り物(桁人はシェイカー、詠人はレインスティック)を持って決められたルールでリズムを刻む。各楽器演奏者はそれぞれの担当する桁人の動きと向きによって異なる音列を演奏する。したがって、桁人が「楽譜」の代わりになっているのだ。また、ドレミパイプは対角線を移動する時にのみ演奏されたり、アンヴィルが叩かれると全員が休み、その間、桁人のシェイカーの音のみが鳴り響く時間帯もある。これもまた、「暦年」のルシファーの介入による中断に対応しているようだ。また、傍観者達は演奏を中断している間、くつろいだり私語をしたりしてもいいという指示がなされている。

 いろいろと説明しても、それでは実際にどういうことになるのか、これは結局全員でリハーサルしてみるまで分からなかった。一応コンピュータ上でシミュレーションはしてあるが、三輪自身にも分からなかったようである。リハーサルで初めて耳にしたその音楽は、まず基本的に雅楽器を用いた舞楽のように聞こえ、また「Quad」を彷彿とさせる打撃音、激しいパーカッションパートや時として激しく響き渡るホーンセクションと、けっして単調ではなく豊かで多彩な音響空間を作り上げていた。不思議なことにエンディング近くではきちんと作られたコーダになっているように思われた。LSTとMSTチームは異なるスピードで移動するが、どちらもゆっくりした動きであることに間違いはない。カッパのフードを目深に下げて俯きながら行進をするその様子は、防護服を身にまといとりかえしのつかない事故を起こしてしまいさまよい歩く様子を思い起こさせ、シュトックハウゼンの元曲が基本的には天使と悪魔の戦いの中から「光=神」の発現を想起させるのに対して、三輪のこの作品の方はより黙示録的な様相を呈しているように思われる。そしてその響きはまぎれもなく三輪眞弘の音楽であり、一人ひとりがみんな異なる身体を持つ若い10人の学生の真剣な動きによってのみ進行するこの儀式はピリピリとするような生演奏の緊張感に貫かれている。

 蛇居拳算舞楽の動きは初期値ですべてが決定される。今回はLSTチームの155ループ、MSTチームの53ループで初期値に戻り、そこが終了地点となる。その時に年カウンターに示される数字に誰しもが衝撃を受けることだろう。上演時間はおよそ24分、登場、退場を入れて約30分の作品である。

 言い忘れたが、舞台上にはさらに「暦年」のルシファーの代わりに、バイキンマンのような衣装をまとった「悪魔」が登場することになっている。悪魔はラップトップ上のシミュレータと舞台の動きを見比べながらもしエラーが起こったら修正を行うことになっているが、「暦年」の悪魔とは違って、年の進行を正しく推し進める役割で登場する。そしてここに大天使ミカエルはいない。あたかも滅びに向けて進む年の歩みを悪魔が事務的に管理しているかのようだ。そしてもしもエラーが起こったら、原発事故と一緒で取り返しのつかないことになってしまう。具体的には無限ループに陥ってしまって終わりにすることができなくなるという、考えるだけでも恐ろしいことになる。だから、悪魔は登場することなくずっと座ったままでいてくれることが望ましい。また、桁人チームの監督であるぼくが、とても平常心では見ていられない理由もそこにある。だが(これを書いている前日時点でだが)、彼らが完璧にやり遂げてくれることをぼくは確信しているのである。

 ということで30日の本番を前にメモ代わりに書いてみた。本番でまた何か気づくことがあれば後で加筆することにしたい。
 

 無事終了しました。コメント欄に感想を追加しました。以下は当日リハーサルの様子。

Img_0592


Img_0595


2014.06.07

ちくま学芸文庫版・R.ローティ『プラグマティズムの帰結』が出ます!

 去年の夏過ぎに、突然筑摩書房の平野さんという編集者から連絡があって、1985年にぼくと吉岡洋、加藤哲弘、浜日出夫、庁茂の五人で翻訳をしたリチャード・ローティの『哲学の脱構築』(御茶の水書房・1985)をちくま学芸文庫から再刊したいという話だった。何か気の遠くなるような感じだった。何せ、30年近く前の仕事である。実際に翻訳作業をした84年と言えば、松田聖子が「Rock’n Rouge」を歌い、中森明菜が「飾りじゃないのよ涙は」、小泉今日子が「ヤマトナデシコ七変化」を歌っていた年である(多分、これでピンとくるのはもうかなりの年齢の人たちだけだ)。さらに翌85年は阪神タイガースの優勝の年で世の中はバブル景気に向かい始めていた時期だ。ただ、83年には浅田彰の『構造と力』をきっかけとしたいわゆる「ニューアカデミズム」ブームがあって、哲学とか思想とかいうものに出版社がまだ大きな期待を寄せていた時代でもあった。1980年に旗揚げをした日本記号学会もまだまだ勢いがあり、その機関誌『記号学研究』に初めて投稿をしたり、美学会の全国大会の研究発表が注目を浴び、ぼくの最初の単行本『文学理論のポリティーク』(勁草書房・1985)を執筆していた頃でもある。とにかく勉強するのが楽しくて仕方なかった時期だ。

 こんな時にぼくたち五人はみんなで一緒にこの長大な哲学書の翻訳に取り掛かっていた。まだみんな30歳前後で大学院を終えたばかりの青二才たちである。室井、吉岡、加藤は京大美学研究室の同窓、浜、庁は阪大社会学の出身で、みんな「人間と言語を考える会」というちょっとダサい名前の研究会のメンバーだった。世の中はまだパソコンどころかワープロすらもまだそんなに普及していない時代。ぼくたちはみんな卒論や修論を万年筆で何回も清書をして書いていたし、新しもの好きのぼくは丸善のカナ・タイプライターや初期のワープロ専用機に手を出してはいたが、基本的にはまだ手書きに原稿用紙の時代だった。ゼロックスコピーはかろうじて普及していた。膨大な量の原稿用紙をみんなで持ち寄り、翻訳の推敲を長時間かけてやった。京都の西山にあるセミナーハウスに合宿し、みんなで大浴場に入り、二段ベッドで一緒に寝たりもした。合宿の費用は出版社が出してくれたので貧乏だったぼくたちは、推敲作業はとても大変だったけど何となく浮かれていた。

 ぼくの京都大学時代の先輩に土居祥治という人が居た。彼は5歳ほど年上で、ちょうど東大の安田講堂事件で東大入試が中止になった年に京大に入学してきた世代である。工学部の土木から文学部の宗教学に学士入学してきた人で、ぼくが大学に入って最初に入った学生サークル「劇団風波」の一番年長の学生だった。香川県出身の彼からすると水戸の高校からやってきたぼくはかなりインパクトのある異物だったらしく、いろいろと面倒を見てもらった。いろんな飲み屋や、東映関係者や、演劇・映画関係者にも紹介してもらった。1974年にはぼくと共同で劇団風波のための戯曲『ムーンライト・セレナーデ』を書いて上演したり、二人で飛鳥や奈良を旅行したり、とにかく彼が在学中にはいろいろお世話になったのだが、流石に歳上なので先に卒業して業界新聞の記者を務めた後、御茶の水書房という出版社の社員になっていた。

 その土居さんから「何か面白い企画はないか」ということで、当時吉岡洋が研究会で報告をしたのをみんなで面白がっていたリチャード・ローティの『哲学と自然の鏡』(日本語訳はその後岩波書店から出ている)を提案したのだった。Img_0563野家啓一さんたちがもう既に翻訳権を抑えていたのでそれは結局実現しなかったのだが、もう一冊同じような本があるという――いまから考えると結構いい加減な理由で――この『プラグマティズムの帰結』という論文集を翻訳することになったのである。このタイトルでは一般受けしないだろうという理由で、当時アメリカや日本で話題になっていたジャック・デリダの「ディコンストラクション」という言葉を入れて邦題は『哲学の脱構築―プラグマティズムの帰結』としたのだった。ハードカバーの大きく重い本で507ページで¥4,600もしたが、それなりに話題になった。

 まさか今頃になって文庫化を考える編集者が居たのには驚いたが、ローティにはまたその頃とは違った文脈で関心が寄せられていたのも事実である。ロールズの正義論やサンデルの政治哲学などとの関連で、ローティの見直しが少し前から起こってはいたのだ。ちくま書房から送られてきた膨大なゲラを前にして少したじろいだが、信州大の哲学出身だと言う編集者の丁寧な校正のお蔭で何とか出版まで漕ぎ着けることができた。Img_0562
共訳者たちも、最初の編集者もほとんど音信不通になっている人たちもいるが、どんな思いでいるのだろうかと思うと感慨深い。当時の自分の文章を読むのは何か不思議な感じだった。今なら絶対にこんな風には書かないだろうと思われる文章ばかりで、いちいち直しているときりがなくなってしまうと思ったので、ほとんど編集者の直してくれた通りにして、余り手を入れなかった。出来上がった文庫本は636ページ、本体価格1,700円。思ったよりコンパクトになっている。

 帯には「哲学〈以後〉の時代にいかにして哲学するか?」というコピーが入り、短いが吉岡洋が新たに「文庫版解説」を書いて、ぼくも「文庫版への追記」を書いた。見本刷りを送ってもらい、こうして手にとってみたり、昔書いた「あとがき」と今回書いた「追記」を交互に目を通しているとやっぱり少し目眩がしてくる。でも、これが新しい読者たちに読まれることを考えると、やっぱり楽しみだ。それがどんなに少数であるとしても、こうして「言葉」を他人に送り込むことができるのはうれしい。こんな奇跡のような企画を進めてくれた平野さんには感謝している。ぼくの「文庫版への追記」は以下のような文章で終わっている。

 「三〇年ぶりに、別々の場所でこの古い原稿と向かい合い、同時期に校正の作業に関わった他の四人の共訳者たちに、遠い時空を越えた挨拶を送りたい。(中略)。書物とは――そして哲学もまた――このようになかなか死なないものでもあるのだ」。

アマゾンのページはこちら!


2014.06.04

雑感---国立大学がいま大変なことになっている(2…かな?)

 ひとつ前のエントリーを書いてから、色々な人にretweetされたりshareされたりしたおかげで、翌日には10万近くのアクセスがここに集中した(やっぱり内田樹さんにretweetされたのが大きい)。blogのアクセス解析によれば、そのうち半数近くはi-OSやアンドロイドOSからのアクセス―つまりはスマホやタブレット端末からのアクセスである(今回も3行以上書くので、もう読むのはやめてね)。しかし、次の日になれば―まだまだぼくのblogとしては多い方ではあるが―一挙に1/10以下に落ち、さらに3日もすると通常通りに500にも満たないページヴューに落ち着いた。つまり、本当に瞬間風速的なアクセス数の増加が起こっただけのことである。

 以前「ももクロ」についての記事を書いた時もそうだったが、毎日ネットにアクセスしている人たちはその日一日のテーマを決め、集団でさまざまなサイトに一挙に移動し、翌日にはまるでそんなことはなかったかのようにまた違うサイトにごっそり集団で移動する。というわけでしばらく放置してみたので、もう余り多くの人に読まれることはないだろう。それに大学のことはしばらくあんまり書かないしね。

 そうなると、前回もそうだったが、どうしてもこのblogやSNSというネットメディアのことについて改めて考えてしまう。

 あれを書いたことで何かが変わるなどとは思っていない。知り合いはもちろん何人もの学内の人たちからも「読みましたよ」と言われたが、それだからと言って粛々と進められている学内改革が止まるわけでも方向性が変わるわけでもない。どうせみんな文科省のせいにするし、文科省は文科省で財務省のせいにするし、財務省は単なる国費節約でやっているだけで改革の方向性については政権や文科省に任せていると言って責任を回避するだけのことだからだ。活動家の方々は、書いたり話したりするだけでは何も変わらないので、集会やデモなどをなぜやらないのですか? とよく聞いてくるが、そのつもりはない。それはぼくのやるべきことではないと思っているからだ。

 ネットのコミュニケーションの特徴はメッセージの発信者が全く予測していなかったような未知の受信者が(ごく限られた数のコンテクストを共有している仲間内での会話だと思っているところに、まるで居酒屋で他のテーブルの客がこっちのテーブルに突然割り込んで来るように)入り込んでくることである。以前、「これは玄関を開けっ放しにしているだけで、けっして世界に向けて発信しているわけではない」と書いたが、ネットの面白いところも、煩わしいところも、ネットのこうしたコミュニケーション構造から生まれている。「玄関が開けっ放しになっているから、発言には気をつけろ」と言うのは正しいが、けっしてマスコミに書くときのようにすべての人に向けて書いているわけではないし、アクセス数を増やすことで何らかの「影響力」を持ちたいなどと思っているわけでもない。”blogos”などのようにblogをマスメディアのように使おうとする考え方はどうもしっくりこない。

 「人気ライター」とか「影響力あるライター」などという言い方はネットメディアにはどうも似合わない。それは結局みんなが「得をする」情報を得られると思っているだけで、ものごとをじっくり考えることとは関係ないからである。blogやTwitter,FacebookなどのSNSは、できれば身近な人にだけ読んでもらいたい個人的な「つぶやき」や「独り言」であってくれた方がぼくにはしっくりする。だが、時にはこんな風に予期しなかった何万人もの人に読まれてしまう、ということが時々起こるのも、このメディアの構造上仕方ないことなのである。

 「予期していなかった読み手」が入り込むことによって、誤読や取り違え、ショートや断線、炎上や暴走が起こる。ネットはローコンテクストなメディアだから、コンテクストまでは短い文章では伝えきれない。だから、ネットを出版メディアと同じように考えてはならない。とは言え、「禁煙問題」について書いた時にも同じようなとんでもない誤読と暴走が生じて、それできちんと本に書いたらもう少し通じるのかと思って『タバコ狩り』(平凡社新書、2009)を出したのだが、だからと言って、それで誤読が消えたり少なくなったわけではない。相変わらずどうしようもない誤読しかできない人たちが多数居る。こういう人たちは放置するしかない。

 「話せば分かる」というのはもちろん嘘なので、むしろ「話しても分からない」人たちとどうやって共存し調整して生きていくのかということだけが重要なのだが、このハーバーマスとリオタールの論争にもつながり、それこそ養老さんの「バカの壁」にもつながる問題はそう簡単に解消されることはない。なぜなら、自分が正しいと思っていることを暴力的に他人に押し付ける人たちと、これまた時間さえかければ「話せば分かる」という理由のない思い込みに囚われている人たちは、そのどちらもこの「話しても分からない」人たちとの共存ということの重要さを認めようとしないからだ。そして、そのためには「言葉」だけでは不十分であり、肌の触れ合いや視線のやりとりなどを含めた身体的な接触や共感が必要なのだが、近代以降のメディアにはこの側面が欠落しているのだ。「誰にでも分かる」ものなんてありえないか、さもなければきわめてつまらなく無意味なことにすぎないかのどちらかにすぎない。実際、直接会えば解消されたり、あるいはそもそも起こるはずもない対立や争いがネットには多すぎる。

 そもそも既成のメディアだって誤読される宿命からは逃れられないのだ。以前、養老孟司さんが『バカの壁』(新潮新書、2003)という本を出した時に(あれが養老さんの本で一番売れたのは、自分の文章ではなくて編集者が「超訳」的に養老さんの独白を「分かりやすい」文体に書き換えたわけで、本当はそこにこそ「バカの壁」があったと思われるのだが…..)、ほとんどその中身とは関係なくタイトルの印象だけでベストセラーになったのには愕然とした。どう考えてもあれは「バカにはいくら話しても通じない」という中身の本ではなかったからだ。西垣通さんが『マルチメディア』(岩波新書、1994)を出した時にもそうだった。マルチメディアは人から思考力を奪い、僭主政治に流れやすくなる(という今のネット時代からすると極めて正鵠を射た)きわめて悲観的な見通しを述べたこの本は、「マルチメディアで世の中はどんどん良くなる」というほとんど正反対のメッセージとして受け取られた。

 要するに言葉というものはけっして正しく伝わるものではないのである。それは宿命的に「誤読」されるのであり、しかも読み手はそれが誤読であることに気づかない。それでもたとえ1~2割程度の少数でも、正しく読み取ってくれる人がいる限りあきらめることはない(もちろん、あと1割程度の予想もできないような「創造的な誤読」をする人たちに対してもそれを伝える価値はある)。

 最近のジャーナリズムが全く信用できないというのは本当のことで、とりわけ2001年の「9.11」以降はまるで治安維持法の時代のように、いわゆる「国益」に縛られた偏向報道がごく当たり前になってしまっている。言うまでもないことだが「3.11」以降の原発事故やその後の放射能汚染問題、原発再稼働問題、憲法改正問題に関しては、テレビや新聞が全くジャーナリズムとしての機能を果たしていないことに唖然とするばかりだ。佐村河内さんとか小保方さんとか、別に誰にも迷惑をかけていない人たちをバッシングしている裏では、とんでもない法案とか条例とかが勝手に作られていて、マスコミはほとんどそれらを報道しないという事態がもう20年近くも続いているので、もうそのこと自体には不感症になってしまっている。

 人間の作る世の中の仕組みは基本的にほとんどすべて間違っているというのが、ぼくの中にはずっとある。「失われた20年」などと言うが、そんなのはデタラメだと思う。結局戦後70年のすべてが間違っていたのだとしか思えない。そう考えると、基本的にほとんどが間違っているのだから、一つ一つのことにいちいちこだわっていては生きられない。そして、それでも間違っているという認識をずっと持ち続けることは結構大変である。ともすると、間違いが無数に重なりあった状態が当たり前になってしまって、自分が間違っていることさえもいつのまにか分からなくなってしまうからだ。間違わないというのが最良であることに決まっているが、それが不可能である以上、とりあえず重要なのはいま自分たちが間違ったことをやっているという自覚を持つことである。それは自分たちが「間違っていない」と主張する人たちの側にはけっしてつかないということだ。こうした「側(がわ)の論理」からできるだけ自分を遠ざけることが大切なのである。

 だがそのためには、現状から目を逸らすことなく過たず認識しなくてはいけない。たとえ、現状において自分が間違ったことに関与してしまっているとしても…。だから、ほとんどすべてが間違っていても少しずつ間違いの数が減っていけばそれでいいのだが、時代の流れによっては取り返しがつかないほど間違いが積み重ねられてしまうこともありうる。今がたまたまそんな時代なのかもしれないが、それでもどちらにしても前にも言ったように、基本的にはどの時代もダメなのだからあきらめる必要はない。

 大学がどんどんダメになっていることが事実だとしても、それでは昔は良かったかというとそれもまた疑わしい。ぼくたちの頃は、まだ欧米の学問を盲目的にありがたがり移入することばかりが文学部の仕事だと考えられていた。それが国家の成長にとって必要だと考えられていたから放置されていたにすぎない。仏文とか独文とかに区分けされ、外来の文物を輸入するだけで事足りた時代と比べると、今の方がまだしもマシな部分は確かにある。「学問」という砦に立てこもったり、そこに寄りかかって生きたりすることはもはや難しい。だが、効率や短期的な成果ばかりを追い求めるようになるのは、少なくともこれまで長い時間をかけて蓄積されてきた知的な積み重ねを無にする自殺的な行為にほかならない。

 要するに大学は今も昔もずっと間違っていたのである。だが、ひとつだけはっきりしていることは大学は社会の要請に対しては中立であり自由でなくてはならないということだ。学長と教員の関係は、けっして経営者と従業員の関係になってはならない(こんな基本的なことさえ、最近は分からなくなってしまっている人が増えてきている)。学生の学びの質が、その時の政権や権力の意志によって制御されたりしては絶対にいけない。自由に考えるとは、自分がいかに不自由な状態にあるかを認識することからしか始まらない。そういう意味で、一人ひとりの教員と学生は思想の自由、学問の自由を保ち続けるべきであり、全員が国策や学長の意志に従わなくてはならないような大学はもはや大学ではなく、工場か、さもなければ軍隊にほかならない。教員がたとえ極右思想の持ち主でも、極左でもアナキストでも、その両方の存在を認めることができるのが大学の価値であり、社会や直接的な国家の利害からは距離をとった「空き地」のようなものでなくては、大学が存続していく意味がないと思う。

 但し、そういう時代はこれまでもなかったわけではないし、大学には所属せずに自由に考えることのできる人たちがいなかったわけではない。そしていま大学教員にできることは、そういう「穴」や「空き地」を、こんなになってしまった大学の中に自分たちの力で作り、確保していく努力を続けることだと思う。もはや制度に守られたり、制度が保証してくれる場所などはどこにもない。一人ひとりの教員が(そして学生たちもだが)大学とは何かをもう一度考え、自分たちで本来の大学を自分たちの周りに作っていくことしかないのではないかと思う。そして、本当にそれができなくなって、大学を去らなくてはならなくなったとしても、それならそれで自由な「大学」を既成の大学の外側に作っていけばいいだけのことである。

 理系学部になるのがいやなわけではない。そもそも歴史的には何の根拠もない理系/文系の区分けを内側から解体していけばいいだけの話である。そして、どんなに社会が変わっても若い生き物である学生たちは自分たちをがんじがらめに縛り付けている枠組みを乗り越えていく力を失わないだろうし、失うはずがないとぼくは思っている。そう思っている教員と学生さえいれば、それがたとえ10人程度の人数であったとしても、大学は守っていくことができるのだ。その限りにおいて、大学はけっして死なない。

 あれ? やっぱり少し熱くなって大学について書いてしまったが、まあ今日のところはこのくらいでやめておこう。
 いま、ちょっと他に面白くなりそうなことがあるからね。

2014.05.15

国立大学がいま大変なことになっている

 新聞やテレビなどであまり報じられることはないのだが、現在国立大学は安倍内閣による大変な「改革」の波に曝されている。

 「スピーディな意志決定」を売りにするこの「ヤンキー政権」は、自民党が過半数を握っているこの時期に一気に彼らの言う教育「改革」を進めるつもりらしい。

 ろくな議論も反省も洞察もなく「気合さえあれば何でも解決できる」という斎藤環が言うところの社会の「ヤンキー化」は、憲法解釈の変更ばかりでなく、ついに大学教育の現場まで飲み込もうとしているのだ。その戦略的に畳み掛けるような政策の押し付けはある意味見事ですらあるが、根本的に間違っている政策なので、これによって国立大学、もしくは日本の大学教育全般が受けるダメージも半端なものではないだろう。元々腐りきっていてかろうじてふらつきながらも踏ん張っているような日本の国立大学が、これで最後の支え棒を奪われて崩壊してしまう危険性も高い。

 ひとつはこれである。

 学校教育法と国立大学法人法の改正だ。既に閣議決定されたこの法案は、すんなりと国会を通過して来年の4月から施行されることになっている。各大学の教職員組合などを中心に反対運動もいくつか起こっているがそのこと自体がほとんど報道されていない。

 これによって、教授会からは大幅に権限が奪われ、人事権もすべて学長に委ねられる。経営協議会も外部の委員を過半数入れなくてはならないことになる。

 産業界から「経営のプロ」を招き入れ、大学教育の民営化・効率化を通して「グローバルな競争力」を高めるのがその目指すところらしい。

 すべての「ガバナンス」を学長に集中させるとなると、国立大学の営利企業化、あるいはブラック企業化を危ぶむ声も出てきそうだが、実はそうではない。

 こんなに権限を集められた「学長」はとてつもなく不幸な人なのだ。あるいは、とてつもなく頭の悪い人でもなければ、これからは学長なんて務まらない。なぜなら国立大学がこれからやらなくてはならない「改革」はあらかじめ政府/文科省によって最初から道筋が決められているからだ。権力が集中させられた「学長」や経営陣に求められているのは、政府が決めたこれらの「ミッション」を忠実に履行することにすぎない。これをうまく成功させられなかった学長は責任を取って辞任することを求められるかもしれないが、ミッションを決めた文科官僚およびその事業をアウトソーシングされたどこかの総研(いまや政府の仕事はほぼ金融系などの総研にまるごと委託されている)は一切責任を取ることはない。その頃には退陣してしまっているだろう現在の首相や閣僚も同様である。誰も責任を取らないままにすっかり廃墟化した大学の死体だけが残るのではないだろうか? まあ、その頃にはぼくももう現役ではないだろうが……。

 だから、実はこの法改正に対する反対運動もピントがずれている。問題は大学の自治や教授会の自治の破壊などではないのだ。なぜなら、そんなものはもう20年前にとっくの昔に破壊されている。国立大学が政府や文科省の言いなりの奴隷になるという基本的な流れはこれまでもこれからもちっとも変わらない。(ちなみに僕は電子版の署名運動という手続きは信頼していませんのでこれに電子署名はしません)。

 昨年度6月に閣議決定された「国立大学改革プラン」に従って、呆れるほどスピーディに平成25年秋にはほとんど決定された「ミッションの再定義」によって各国立大学や各学部が目指すべき「ミッション」が、文科省によって一方的に各国立大学に通達された。「各大学との意見交換によって」と書かれてあるが、実際にはそうではない。文科省からすでに文言がほとんど書き込まれ、自主的な数値目標だけが空欄になった「ミッション」が一方的に各大学に突きつけられたのである。あまりに迅速であるために国立大学の教職員が唖然としているうちに、続く矢が次から次へと飛んできた。たとえば、これ。

 「ミッションの再定義」に基づいて改革プランを申請した大学には補助金を与えて(最初に東大・京大といった強化大学が指名され、うちのような弱小国立大では第三次補正予算で2月末という年度ぎりぎりの時期に示された)、それを遂行することを強く求める。一般運営交付金が毎年縮減されているので、国立大学はこのような補助金なしには生き残れないようにされている。横浜国立大学の場合、3億数千万円の補助金を毎年与えられここに書かれている「ミッション」を迅速に遂行するように求められた。逃げ道はどこにも残されていない。
 
 この表の2,3,4には埼玉大学、千葉大学、横浜国立大学と関東一円の地方大学が並んでいるが、文科省がこれらの大学に求める「ミッション」は共通している。
つまりは理工系か医療系に力を注げということだ。実際、文科省の担当者からは多数の私学がある神奈川県では、教育コストがかからない文学部系は私学に任せて、理工系に集中させないと税金を投入する意義を問われると財務省から言われているとの発言があったそうで、その結果ぼくたちが所属している「人間文化課程」は、実態は全く異なるのに単なる教員養成系の「新課程」と一緒くたにされて「廃止」と告げられてしまった(リンクの後ろの方に書いてあります。ほんの二行だけ。これも最初っからこう書き込まれていた)。文科省が国立大学の課程・学科を直接「廃止せよ」と言ったのである。

 ちなみに人間文化課程は人気も上々で、学生の満足度も高く、普通なら廃止させられるようなことは絶対にありえない優良学科である。それでも私学の多い関東一円には国立大学文系の学部や組織は必要ないので廃止せよということなのだ。文学部なんて一種の贅沢品なのだから私学の高い授業料を払える学生だけで十分だと言うわけである。そこに大学の意見を差し挟む余地は一切ない。今回の国立大学法の「改正」はこういう道筋で進められているのである。だから、学長の独裁が心配なのではない。そうではなく、その背後にある政府・文科省そして彼らの政策に影響を与えている新自由主義系の政策決定者たちによる大学教育や大学文化の暴力的な破壊が心配なのだ。そして、その裏には国立大学どころではなく学生減少で経営そのものが危うくなってきている私立大学の圧力があったこともうかがえる。まあ、少子化に苦しむ私学も必死なことはよく分かるが、それにしてもこの極端な「ミッション」によって国立大学から人文系の学部や学科はどんどん縮減され、最終的には横浜国立大学は東工大に吸収合併されてしまうのではないかと危惧される。

 考えてみれば、ぼくが国立大学に来た92年、いやその前の80年代後半から、この国の大学教育政策は一貫して間違った道を歩んできた。87年に設置された大学審議会が91年に出したいわゆる「大学教育の大綱化」は、各大学独自の教育・カリキュラム改革を推進させ、その結果約五年で教養部・一般教育部はほとんどの大学から姿を消した。80年代のレーガン、中曽根政権が推し進めた新自由主義経済学の影響が強いこの改革は、要するに大学教育に競争原理を持ち込むことにより、お互いに切磋琢磨することによって教育の質や効率を高めるという効果を狙っていた。だが、なかなか思い通りにはならなかった。教養部廃止にしても隣がそうするのを見て一律に同じことをしただけのことである。

 改革が思い通りにいかない文科省はさらに締め付けを強め、そして2004年に国立大学法人化が実施され、国立大学は企業の形態を取ることになった(のくせ、文科省による運営交付金を武器としての国立大学支配は強まる一方である。公務員ではなくなったはずなのに、震災時の国家公務員の給与の一斉引き下げには強制的に参加させられた。またいつの間にか年金も一元化され、ぼくが65歳になるころには「ねんきん特別便」の試算によれば文科省共済だけだと30年弱務めても月15万円程度しかもらえない。もはや公務員イジメですべての特権が奪い取られて、安い給料・低い年金という末端知的労働者でしかないのだ。もちろん、更にそれより悲惨な退職金すらもらえない非正規職員や年俸制年期付き教員がどんどん増やされる)。こんなに長い間間違い続けてきたので、もはや何が間違いなのかすらも見えなくなってしまっている。

 これまでも複数の論者によって論じられてきたように、大学に対するこのような政策は根本的に間違っていた。短期的な数値目標の設定や、競争原理の導入は、大学教育の質の向上に一向に結びつかず、大学教員は無数の計画書や評価書の作成に忙殺され、研究を行う時間を大幅に奪われ、科研費や競争的資金を獲得するための申請書づくりに追われるようになった。民間企業の論理を大学に持ち込むことが間違っていたばかりか、この数十年の世界を見れば分かるように根本的に新自由主義経済学の予測自体が間違っていたのである。大学は年期付きの非正規労働者を大量に雇用し、教職員間の格差が広がり、大学で働く誇りさえも奪われていった。財界、産業界の要請に応え「日本経済発展のため」に奉仕しなくてはならない都合のいい若年労働者供給機関にされてきたのだ。

 だが、余りにこうした考え方が広がってしまったために、共産党や社会民主党のような弱小政党を除けばそのことを認めようとしないで、「改革の不徹底」をその不成功の理由だと考える人達ばかりがこの国の政治を動かしてきた。経営学の用語がどんどん大学経営に持ち込まれ、それがうまく行かないのは大学教員や教授会が抵抗しているからで、学長のガバナンスの強化によってうまく行くようになると考える、ぼくたちから見れば根本的にポイントがずれている人たちが「大学改革」を牽引してきたのであり、このままではもう立ち直ることが困難になるまでに大学を駄目にしてきたのだ。

 というわけで、ぼくたちの大学では我々文系教員の組織は解体され「グローバルな理工系人材」を目的とした新学部作りをしなくてはならない状況である。細かいことは一応当事者なので秘密にしなくてはならないが、現在進行形で色々なことが進められている。もう少し昔なら、学長と団交するとか、霞ヶ関でデモをするとか、署名運動するとかいう抵抗もあったのかもしれないが、これらの度重なる「改革」にすっかりうんざりして牙を抜かれた同僚たちは諦め切ってしまって気力を失っている。それはそうだろう。敵は文科省の奴隷にされて苦労している学長ではないし、実際にプランを作った総研の社員や元社員は霞ヶ関にはそもそも居ないし、署名が集まってもそれを出したらそれ専門の処理班に回されるだけなのだから、どうしていいのかすら分からないのである。基本的に、自分の頭で考えずに国が与えた「ミッション」を忠実に遂行する者だけが大学教員に求められているような場所で、教員が良心を持って生きることなどできようもない。

 2004年の独法化の時には全国的な反対運動も起きたし、怒って辞職する教員も多数居た。ぼくも含めてその時に辞めなかった教員は最初から敗北者なのかもしれない。それ以降、ぼくは自分の身の回りだけのことを考えてきた。自分の回りだけに「本来の大学」の砦を作れればいいと割りきってやってきたのだ。幸運なことにその願いは部分的には実現することができた。だが、これからはそうも行かないのかもしれない。自分の定年も近いし、もう少し自由な私立大学に移ることも本気で考えなくてはならないのかもしれない。もはやこんな「改革」が完遂された国立大学に知的な自由などが存在できるはずがないではないか?

 もちろん、それじゃどんな大学改革が有効か? と言われてもそう簡単ではない。制度や枠組みから考えても、各大学にはそれぞれの個性と特性もあるし、地域性もある。だが、要するに大学とはいつでも具体的な「人」が作るものであり、教員と学生と職員という個別的な「人」の力によって成り立っているものだ。つまり、多様性を活かすことこそが大学の持っているポテンシャルなのではないかと思う。それを、これからはこうなるから、英語で教育しろとか、学長の(ということは、その学長を操り人形にしている政府の)言うことを聞けとか、一律のFDやカリキュラム改革をやれとかいうような政策の押し付けだけで何とかできるというような発想が根本的に間違っていると思うのだ。

 それよりも優れた大学教員や大学人から提案される新しい発想やイノベーションを政策に取り入れればいいのではないかと思うが、それにはだいぶ時間がかかるだろう。そういう切り替えをするには、既に遅すぎるのだ。なぜならそんな創意や工夫などを自分たちがいくら考えても仕方ない、政府が決めた「良い大学」に近づけなければ運営交付金を減らされると脅かされてきた大学の中には、もはやそんな自由な発想やダイナミックな発信力を持った教員はいないか、あるいは本当に少数派になってしまっているからである。もしかすると片隅でExcelやWordなどを絶対に使わないようにして隠れている逸材がまだ居るのかもしれないが、日常的に求められるExcelファイル作りに自動的に反応している教員たちにはもはや望みはない。

 さらに問題なのは、独法化や国立大学改革が間違っていなかったと本気で信じている新自由主義的な立場を奉じる(競争的資金を大量に獲得してきた、申請書づくりにだけ長けた)教員の数も実際に増えてきていることである。まあ、生まれた時からこんな感じなのだから、もはやこれがおかしいとすら感じられなくなっているのだろう。リストラによってしか日本は生き残れないと思っている人たちから見れば、国立大学の文系なんて単なる税金の無駄遣いにしか見えないのかもしれない。すべての人がシステムや制度ばかりを考えるエンドレスなゲームに巻き込まれてしまい、具体的な人が動かしている個別の現場をきちんと見る思考ができなくなってしまっているのだ。こんなことをやっている政府を信じている人たちが教員にも学生にも増えていることが本当の不幸なのだが、彼らは自分たちをどんどん不幸にしているのが誰かということが全く分からないので、二重三重に不幸なのである。

 だから、最低の時代と最低の社会の中でいかにしてめげずに生き抜いていくかということだけが問題なのだ。もう大学という制度や社会システムに何かを求めることなんてできない。まあ、よく考えてみれば、程度の違いはあれすべての時代は最低だし、すべての社会は駄目なのだから、そんなにこの時代だけが特殊なわけでもないのかもしれない。しかし、教育が破綻し、無知で金儲けにしか価値を見いだせない国民ばかりになっていく――最近はマジに「日経新聞」さえ読んでいれば世界を知るのに十分だと口にするような、とんでもなく知性の低い学生たちが増えてきた!――この国にこのままでは未来はない。

2014.02.17

劇団ドガドガプラス、浅草版『ロミオとジュリエッタ』、22日から始まります!

先日通し稽古を見に行かせて頂いた時に、主宰の望月六郎さんから当日お客さんに渡したいのでと応援メッセージを頼まれた。これは書いてある通りに、本当に面白いです。ニッパチと言って2月にはお客さんが来ないと言われているけど、こんなに面白いものを見ない手はない。会場は、かつて渥美清、井上ひさし、萩本欽一、ビートたけしらを生み出した元ストリップ劇場「フランス座」! いまは「東洋館」という寄席になっている浅草六区のど真ん中です。掛け値なしに面白い。大々的に宣伝しますので、是非足を運んで自分の目で体験してみてください。

詳しい公演情報はこちらのサイトをご覧下さい。

また、望月さんのblogはこちらです。

----------------------------------------------------------------------------------

望月版『ロミオとジュリエッタ』の見所!

        劇団ドガドガプラス応援団/横浜国立大学教授 室井 尚

 劇団ドガドガプラスの公演を初めて見たのは、立ち上げから1年後の2007年のことである。あれからもう7年も経つ。その間、この劇団と望月六郎はものすごい勢いで進化してきた。日本中見渡してもこんなにオリジナルな劇団は見当たらない。作家性とエンターテイメント性、さらには歴史に対するしたたかな批評意識を併せ持っているだけではなく、そこにレヴュー形式の華やかな歌とダンスシーンまでが加わる。終わった後には爽快な解放感と沈殿する深い悲しみの両方が胸に残る、そんな不思議な演劇なのだ。
 今回の望月版『ロミオとジュリエッタ』は、劇団ドガドガプラスのこれまでやってきたことの集大成と言ってもいい傑作である! 心して楽しんで頂きたい。
 舞台は元禄時代の吉原/浅草。そこには赤穂浪士を含めた支配階級たる武士たちと、吉原を仕切る忘八者や花魁・女郎たち、中国人、河原乞食=芸能者たちといったさまざまな階級と集団が登場する。それぞれがぬぐいきれない宿業を背負っており、とても魅力的な群像劇に仕上がっている。ゆうき梨菜、前田寛之、そして劇団唐組からの客演・赤松由美、岡田悟一がしっかりと脇を固め、他の客演陣、若手たちもみんな力一杯演じていて気持ちがいい。
 人間は本来的にはただの生身の生き物である。本能が少しばかり壊れてしまってはいるが獣(けもの)であることにかわりはない。文化とか制度とかいうものは、その皮膚の上っ面に張りついた薄っぺらな構築物にすぎない。それなのに、人はいつもしきたりやお金の方がリアルで、恋や性愛は一瞬の幻想、まやかしだと思いたがる。国家とか社会とか経済という自分たちで勝手に作り上げたフェイクの世界にのめりこみ、みんなそれらに押しつぶされてしまう。もっともっと、ぼくたちは生き物として輝かなくてはいけないんじゃないだろうか?
 望月六郎の作品では、いつも「女」と「性愛」こそが、こうした「地獄」から脱け出すための唯一の「媒介」装置となっている。言うまでもなく性愛こそは「交わり=交通」の場であり、本当にリアルなものであり、人間界のしきたりや経済や歴史を垂直に切り裂き、渦巻きのように上昇する旋風なのだ。ああ、生まれてきて良かった、と思わず口に出してしまうのはそんな時だ。普通には「倒錯」と呼ばれるこのような非時間的な性愛こそが本当のもので、人々がリアルだと思い込んでいる制度や社会の仕組の方が実は倒錯なのだと望月は言おうとしている。
 この『ロミオとジュリエッタ』ではそうした人間社会から逸脱した二人の男女が描かれている。主君の仇討ちで死ぬためだけに生きている赤穂浪士・毛利小平太(別名・狼の目を持つ男「狼眼男」)と、忘八者の組織を継がなくてはならない宿命を持つ犬神一家の一人娘「樹里恵」である。最後に二人はさまざまなしがらみをすべて断ち切って「犬」と化して情愛の嵐を作り上げていく。
 この二人を演じている丸山正吾と中田有紀が凄い! 犬のように吠え、獣のように互いの体臭を嗅ぎ合いながら二人が繰り広げる果てしない道行きの場面は、たとえようもなく美しい! 何度でも見たいし、皆さんにも何度も見て頂きたいと思うほどに素晴らしい。
 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』という今では紋切り型と化した戯曲が、望月六郎の魔術によって現代に蘇り、ロマンティックな純愛劇を遥かに超えた、美しい二匹の犬の「性愛の暴風雨」を引き起こす。それは、見る者すべてを巻き込み、頭を痺れさせ、上方へと連れ去り、上空から人の世の不自由さと卑小さを改めて見せてくれることだろう。
 そして、最後に(近松)門左衛門が登場する。虚構の中の美しい結晶として二人はいつまでも生き続けていく—-そして、それが望月六郎の選んだ「演劇」の永遠なのだ。
 さて、それではもうそろそろ幕が開きます。
 お楽しみはこれからだ!

2014.01.16

パノラマプロジェクト東京篇、いよいよ24日から始まります

前回のエントリーが8月で、そこで復活宣言をしたものの、88歳の父が緊急入院、89歳の誕生日の一日前の10月21日にとうとう力尽きました。それから葬儀だとか、お墓の手配とかバタバタしていてタイミングを見つけられず、ここまで放置してしまいました。何回かエントリーを書きかけたのだけど、全部中途半端なままになってしまっています。やはり去年は人の死と向き合う巡り合わせの年だったのでしょう。年賀状を頂いた方には失礼をいたしました。結局、寒中見舞いを出す時間もなくなりそうです。

それでも「パノラマプロジェクト東京篇」は着々と準備が進められていました。

一年以上前の2012年9月のエントリーにも書いてありますが、この時ぼくは鳥取市の「鳥の劇場」で上演されたやなぎみわさんの「パノラマ」を見に行きました。日清戦争から日露戦争にかけて台東区の上野と浅草で大人気を果たし、京都や大阪にも出現した「パノラマ館」を題材にしたこの演劇作品は、2011年から突然演劇の世界に登場したやなぎさんがずっとテーマにしている「メディア」「戦争」「芸術」そして「日本の近代」というすべての問題に関わっています。新しい国民国家としてスタートした日本の最初の戦争である日清戦争のパノラマ画は「日本国民」という新しい意識を生み出し、そこから日本は大陸進出の道を歩んでいくのです。そして、その度にそこには新しいメディア、映画、ラジオ、テレビ、そしてインターネットなどが深く関わっていくことになります。もう一人、そこには子供の頃見たパノラマ館の偽物の「青空」の余りにも鮮烈な「青」を語る詩人ハギワラも登場します。ハギワラは、パノラマ画を描いた画家と詩や美術について語ります。2012年の7月に世田谷美術館で上演されたやなぎさんの「1924三部作」の「人間機械」を見て、余りにも感動したぼくはこの作品を見るためにはるばると鳥取まで行ったのですが、その時にはやなぎさんが単独で初めて演劇台本を書いたこの作品が様々な深い洞察や印象的なシーンを生み出してはいるものの何かもう一つ物足りないような気持ちになりました。そして、すぐにやなぎさんにこの「パノラマ」を一緒に再演しないかという提案をしたのです。

「人間機械」の劇評  ==>

元々のきっかけは演劇を始める決意をしたやなぎさんが浅草・花屋敷で上演中の劇団唐ゼミ☆のテントに見に来てくれたことでした。やなぎさんは学生時代に京都下鴨神社で見た状況劇場の紅テントでの「少女仮面」(おそらくは87年の再演)を見て大きな衝撃を受け、憧れの人である唐さんの芝居を見て回っていたらしい。そこから、やなぎみわと劇団唐ゼミ☆のコラボレーションという話になっていきました。詳しくは唐ゼミ☆のチラシの文章などをご覧下さい。 ===>

さて、そういうことでやなぎさんと劇団唐ゼミ☆の中野、椎野たちと台東区のロケハンをしたのが昨年の1月下旬でした。我々としては横浜でやるのが一番力を発揮できますし、本当はテントでやりたいという話もあったのですが、お互いのスケジュールが合うのが今年の1月〜3月。やなぎさんは昨年の6月、8月に新作「ゼロアワー〜東京ローズ最後のテープ」の予定があり、今年は横浜トリエンナーレに向けての準備がある。流石に冬のテントは寒すぎる。ということで、場所を探していたのです。それにはかつて唐十郎が育ち、「パノラマ館」がかつてあった台東区がいいということで、さまざまな場所を見て回りました。その時に、ファミコン草創期に日本初のゲームのサードパーティ会社「ハドソン」を立ち上げ、いまは浅草で隠居(といってもさまざまな活動を繰り広げている)三遊亭あほまろ(工藤裕司)さんにご紹介して、今回私財を投じて作られた映画『ゆめまち観音』のかつ弁士による上映会もすることになりました。

次に、下町の人たちとのおつきあいが始まり、入谷交差点前にある「焼鳥たけうち」や超近代的な葬儀場、葬想空間スペースアデューを始めとする下谷一丁目界隈の人たちとの交流が始まった。入谷朝顔市にも、盆踊り大会にもみんなで足を運んできました。

さらに古くからの友人である小杉+安藤、吉岡洋、稲垣貴士さん、そして「SPACY」などで有名な伊藤高志さんによる「BEACONプロジェクトチーム」による「BEACON」シリーズの新作を作ってもらうことになった。BEACONとはくるくる回るプロジェクターによる映像インスタレーション作品で、一種のパノラマ装置になっています。

さらにさらに、ぼくがこのところ急速に関心を持ち始めている作曲家/パフォーマーである三輪眞弘さんによる「逆シミュレーション音楽」の新作パフォーマンス「みんなが好きな給食のおまんじゅう」がそこに加わり、もう何だか盛り沢山に過剰な凄いアートイベントにまで話が膨らんできてしまいました。これ、学生チームが頑張って練習していますが、相当面白いです。初日の24日には演劇ユニットのアフタートークのゲストに東京大学の木下直之さんが来てくれます。木下さんの『美術という見世物--油絵茶屋の時代』という著書がやなぎみわ版「パノラマ」のインスピレーションの源になりました。25日にはBEACONのアーティストトークが2:00から、26日にはやはり2:00からあほまろさんの『ゆめまち観音』上映と活弁トークショーが無料で行われます。

助成金などの枠が違うので、演劇ユニット「パノラマ〜唐ゼミ☆版」と、それ以外の複合アートイベント「パノラマプロジェクト」はそれぞれ関連はしているけど別々のイベントと言う形になってはいますが、もちろんこれらは一体で切り離せないイベント=出来事です。

それを今回は複数会場や路地そのものを舞台とした「移動型演劇」として提示したいと思っています。つまり、それぞれの作品がバラバラではなく、下町を歩くという一つの行為の一部として相乗的に重なり合っていければいいと考えています。ですので、焼鳥たけうちへに集合してから地図を受け取り複数の場所を巡って頂く趣向になっていますので、どうぞ防寒の準備だけはよろしくお願いします。三日限り、下町の路地が異次元世界へと生まれ変わります。

そうそう、今回学生チームがすごい働きをしてくれています。ウェプもそうですが、こんな派手な煽り映像も作ってくれました。
「パノラマ〜唐ゼミ☆版」も見違えるよう面白くなり、重要な役を演じることになる椎野裕美子もこんな風にblogで宣伝してくれています。

さらにさらに凄いことがあります。実はぼくも今回はメイクをしてある重要な役割をすることになりました。五十数年の生涯の中で初めての経験です。もう二度としないでしょうから、見逃さないでください。演劇ユニットだけは有料イベントで他の単独のイベントは無料ですが、上にも書いたようにこれはまあ一体のものですので、是非予約をして集合場所にお集まり下さい。それだけの価値はあるとお約束できます。3月末には京都の元立誠小学校でもやりますが、路地の迷宮世界は東京篇だけです。ちょっと遠くてもこっちに見に来る価値は十分あると思います。

というわけで、久しぶりに書きましたが、とにかくこれは来てほしい。Wodiczko以来の最も大きなイベントになります。よろしくお願いします。

Pnr_kz_a4omote


2013.08.11

復活するぞ!

 身近だった人の追悼文のようなものを二本書いてから、すっかりここを放置してしまった。
 ここだけ見ている人からすれば、ぼくがあれからずっと落ち込んで何もしていなかったように見えてしまったかもしれないが、そういうことでもない。

 ただ、単純に忙しかったということだけである。何本か文章も書き溜めてあったのだが、いずれも時間がなくて最後まで書き上げることができなかった。あとは、Facebookのような断片的な書き込みの方が圧倒的に楽だったからだが、やはり時々は長めの文章を書いておかないと、頭の中がまとまらなくなってしまう。

 とは言え、今年の春から夏にかけて、これまでになく体調が悪かったことも事実だ。5月に風邪をこじらせて咳が止まらなくなり、喘息の発作からなぜか左後背部の筋肉が痛くなり、一時は左手でものを握ることができなくなってしまった。18年ぶりくらいに病院に行ったり、人生で初めて整体をしてもらったり(ほとんど効果はなかった)、タイ古式マッサージを受けたり(善光寺門前町で突然入ったここはなかなか良かった)、綱島温泉に通ったりしたが、結局完全に症状が消えたのは7月中旬のヨーロッパ旅行中だった。だから、5月から7月までずっと調子が悪かったことになる。こんなのは初めてだ。ここぞとばかり、周囲から「年齢(とし)なんだから気をつけてください」と言われてムカついた。それでも一つも予定をキャンセルすること無くなんとかやり過ごすことができた。

 その間、演劇関係ではまずは横浜国大での野外劇「腰巻きお仙--忘却篇」、劇団唐ゼミ☆の「夜叉綺想」の大学、長野市権堂、浅草花やしきでのテント公演、シアターコクーンでの蜷川版「盲導犬」(プログラムに原稿を書かせてもらった)。それから、全体的にはあまり感心しなかったが、13年ぶりに緑魔子さんが舞台に復帰した渡辺えり「赤い壁の家」も本多劇場に見に行った。唐組の稲荷卓央と大鶴美仁音も頑張っていた。そうそう、唐組の「鉛の兵隊」も望月六郎dogadoag+の番外公演「問わず語り」もあったけど、体調悪く今回は回数は少なかった。リハビリ中の唐さんは「鉛の兵隊」の初日と千秋楽、唐ゼミ☆「夜叉綺想」の初日に舞台挨拶にたったが、とりわけ「鉛の兵隊」の初日は感動的で涙が止まらなくなった。

 去年5回、約30時間近く語り下ろしてもらった大久保鷹さんの口述記録「俳優・大久保鷹という生き方」(仮題)のデータ起こしも進み、11月のKAATでの唐ゼミ☆公演「唐版・滝の白糸」の会場で冊子体で販売するほか、電子ブック版も作成作業を進めている。この中身が面白い。これまでどこでも語られることがなかった状況劇場初期の煮え立つような日々が大久保さん自身の口から余すことなく語られている。期待していて下さい。

 しかし何と言っても今年の春頑張っていたのは、来年の1月と3月に東京と京都で開催予定の複合アートイベントやなぎみわ+唐ゼミ☆「パノラマ」の準備である。これは台東区の旧復興小学校と京都会場(場所未定)で、昨年鳥取と大阪でだけ部分的に上演された演劇作品「パノラマ」をめぐって、劇団唐ゼミ☆、三輪眞弘、吉岡洋・Kosugi+Ando、伊藤高志、稲垣隆士によるユニット「Beacon」らとのコラボレーションによりアートイベントを実施するというプロジェクトだ。横浜都市文化ラボのセミナーとして実施し、何度かこれらのゲストに来て話をしてもらったりした。そのことがあって、台東区には足しげく通った。入谷の町内会の人たちとも親しくなり、浅草の唐ゼミ☆公演の時には何人かお客さんとしてきてくれたりした。これはもう間もなく詳細が発表できる予定である。

 その間、7月18日から29日まではポーランド、クラコフで開催された国際美学会に参加した。日本からの参加者は多く、いろんな人と親交を温めることができたが、何と言っても2年ぶりに合うクシシュトフ・ヴォディチコとの再会はうれしかった。国際美学会の会期に合わせてクラコフの中央広場でWarVeteranVehicleのプロジェクションをやるという企画だったのだが、レセプションからプロジェクションが終わった次の日まで毎日二人で語り合うことができた。横浜のプロジェクションにはいろいろな批判もあり、自分でも反省する点が多いが、クラコフの現代美術館MOCAKが主催した今回のプロジェクションと比べても、日本でのプロジェクションはヴォディチコの人生の中でも特別のものだったと本人の口から伝えられたのもうれしかった。

1016286_10200393804389802_231498887


 もどってきて都市文化ラボでの三輪眞弘さんのレクチャー、オープンキャンパスなどバタバタしながら、かろうじて取れた文化庁の助成金の予算編成や、Beacomチームの会場下見などが続いているが、これからいよいよ「パノラマ」プロジェクトの日々が始まる。暑いけど頑張っていきたい。


2013.04.09

梅本さんの死

 このところ立て続けに周囲の人が死ぬ。梅本洋一さんの場合には突然の心臓発作で即死に近かった。以前心臓の手術はしているが普通に活動している途中で、しかも飲み会の時に突然訪れた死。ちょうど60歳の誕生日を迎えてまだ間がない。
 しかし、いくらなんでも何も突然死ぬことはないだろうに、あまりにもあっけない死だった。みんなから「室井さんも身体大事にして下さいね」と言われまくってしまった。去年の小川巧記さんの交通事故死もそうだったが、余りに急すぎる。
 この数年、都市イノベーションという大学院の件で彼とは少し余りいい関係ではなかった。が、考えてみればぼくが横浜国大に赴任してから20年間、ずっと身近な存在だった。彼と肩を並べて一緒に闘ったことも数多い。大体梅本さんと二人で組むとたいていのことはうまく行く(と言ったら誰かに「ヤクザが二人掛かりですものね」と言われた)。逆に言えば一緒にやらないことはたいていうまくいかなかったような気もする。だからこの二年間、彼のやることはすべてうまくいかないことばかりだった。
 一番最初の総合芸術課程(情報芸術コース/比較芸術コース:定員30名)の時に、教養教育のフランス語を担当していた彼に初めて映画の授業をお願いした。そのころうちにはドイツ語の専任でやはり蓮實重彦の薫陶を受けた瀬川裕司さんという人もいて、フランス系、ドイツ系の映画論の授業が二つもあるという贅沢な環境だった。あの頃はぼく自身も映画史の授業もしていたっけ。元々、松本俊夫さんに誘われて京都造形芸術大学の前身の京都芸術短期大学では映画史と映画理論の授業も持っていたし、もうやめてしまったが映像学会の編集委員もしていた(元々昔「イメージフォーラム」の編集長で今は東京フィルムセンターにいるとちぎ・あきらさんの前の代の京大映画部長でもあったし)。大学での映画の講義に関してはだからぼくの方が古いのだが、残念ながら映画という過去のジャンルに対する偏愛がぼくには欠けていた(大体何に対しても粘着質には「偏愛」できない体質である)。梅本さんとは横国に来る前からお互いに書いたもので知っていた。80年代には青土社が出していた『シネアスト』や、90年代、まだ雑誌を出していた『イメージフォーラム』にぼくも映画評論を書いていたのだ。だが、横浜に来てからは梅本さんが居るので、もう試写会に行ったり、年間何百本も義務的に見ることはきれいさっぱり忘れることができた。全く違う対象に関心が移って行ったのである。
 その後、学部改組の時には一緒にマルチメディア文化課程を作った。毎日夜中まで梅本さんも含めた「四人組」と呼ばれた若手メンバーで議論し、コンセプトを練って新しい学部の形を作った。その頃は、唐十郎さんや木下長宏さん、大里俊晴君、許光俊君も居て、充実したスタッフ陣が自慢だった。毎年、一年生必修の名物授業だった「メディア基礎論」は、梅本、室井、大里の3人で始まった(4年目に梅本さんが学生に本気で腹を立てて本当に途中で授業を放棄してしまったが、現在でも室井、清田、平倉、中川の四人で「人間文化基礎論IA」として続いている)。
 その後もずっと協力関係は続き、2009年に北仲スクールを作る時にも熱心に協力してくれた。ただ、その途中から梅本さんは新しく作る都市イノベーションという建築と芸術と土木と社会科学、地域研究というとても馴染みそうにない多領域を合わせた新しい大学院の設置にかかり切りになり、そして初代の研究院長になった。問題なのはこれが学部の組織解体とセットになって行われたということであり、結局理系の教員が新しく理工学部に移り、文系の教員だけが学部に取り残されて寄せ集めの「人間文化課程」が作られた。この人間文化課程の教員は主所属が都市イノベーション研究院(しかも建築系と土木系の二専攻に分断された)、環境情報研究院という二つの大学院、そして教育人間科学部所属という形で教員のコミュニティがバラバラに分断され、学部教育と大学院教育の両方がその土台から破壊されてしまった。梅本さんと前学部長のOさんによって、理念が完全に欠落したこういう設計思想が皆無の改組を強引に通されてしまったので、土台から立て直さなくてはならなくなった。ぼくたちの根っこは学部教育なので学部教育を立て直すためにいま課程長として頑張っている。この点において、この二年程梅本さんとは対立していたのである。本当にセンスのない学部改組、大学院設置だったのだ。だが、センスがない、という事実は絶対にそれをやった本人たちには伝わらないもので、この対立が埋まる見込みはなかった。
 彼とぼくとではその根本の美学と生き方に大きな違いがある。フランスのスノッブな文化(いわば「文化についての文化」)を愛し、実生活でもセンスのいいモノや食事に執着し、細部に宿る美を愛でる傾向の強い梅本さんに対して、世界は最低限の生きるためのセットだけで充分だ(ないと困るものはそんなに数多くない)と考えているぼくとの間には常に大きな違和感が横たわっていた。彼の愛する映画や音楽や趣味に対しても、そのほとんどに関しては全く共感することはできなかった。ゴダールやトリュフォーなんていなくたって世界は充分に完全なのである。もちろん、異なる価値観を認めないわけではない。普段はお互いにそうした対立を抑えて協力することができたのだが、ちょっとしたことでこうした対立が二人の関係の中で表に出てきてしまうこともなかったとは言えない。こんなことを書けるのも彼が死んでしまったからだ。全く、何も死ぬこたないのに...。
 都市イノベーション研究院は彼が愛した建築がその中心となる大学院だった。ぼくたちの芸術文化系のセクションは建築と一緒に「建築都市文化専攻」という不自然な名前の専攻に入れられ、入試も工学部に合わせて8月に実施され、そのため全く学生が集まらなくなってしまった。今年も定員を割り込んでいる。建築はあらゆるものをリソースにしようとする。神殿や大仏殿は神像や大仏がなければ建てられないし、それは必ずあるコンテクストやニーズに応じて作られるものだから、当然既成の芸術や文化理論も取り込もうとする。だが、一方のアートやクリエイティブな理論は建築やデザインを必要としない。それはそれらが作られる前提そのものに関わる活動性だからだ。場合によってはその前提を根底から突き崩すものでなければアートや理論に存在価値はない。かたちにするのが建築やデザインだが、かたちにならないものにアートや思想は関わっている。こんなところでも梅本さんとぼくには大きな隔たりがあった。
 梅本さんはこういう無理な構想を押し通そうとして多くの敵を作ってしまったと思う。そのストレスもこの突然の死に多少の関わりはあるだろう。このあたりのことはぼくの見方が偏っているかもしれないので、これ以上触れないことにする。彼から見るとぼくの方が何でも自分の思い通りにしようとしていたように見えていたらしい。大学の学内政治というものは人事と金の流れに集約されるのだが、彼はそのすべてを密室政治的にすべて自分の手中に取り込んでいた。それが悪いとは一概に言えないが、少なくともそこには周囲の人たちの合意形成が必要だと思うのだ。彼を取り巻いている人たちでさえもこのことには不満を持っていた。有能なので一人で何でも抱え込んでしまったのだろう。この点において彼はボタンの掛け違いをしたと今でも思っている。
 彼が学生を可愛がったことは事実だ。ゼミの学生の面倒はよく見たし、卒業生たちが作っている雑誌/ウェブの"nobody"が未だに続いていることも、その中身は別としてそのこと自体は凄いと思う。また瀬田なつきをはじめ映画製作の道に進んだ卒業生も多い。ただ、自分のところに集まる学生以外にはほとんど関心がなかったのもまた事実である。いい意味でも悪い意味でも彼が「側(がわ)の人」だったことは確かだ。カイエの編集委員だった彼は、フランス人たちの誤解による大島渚に対する過剰な評価の踏襲を貫き通したし、ヒッチコックやトリュフォー、キタノや黒沢、青山といった人を常に擁護し続けた。結論は最初から決まっているのだ。北野の映画に対してもカンヌで激賞された「菊次郎の夏」を一番高く評価するなど作家理論的な無理な評価を押し通したし、イーストウッド映画はどんな作品でもすべて評価するなどという〈側〉の論理を貫いた。日本の映画作家を育てようとはしていたが、それらはすべてカンヌやヴェネチアなどのヨーロッパの価値評価軸に向けられていた。多分それは自覚的なものだった。だけどそれは本当につまらないことだ。つまらないことにずっとこだわり続けたのが梅本さんだった。
 ぼく自身は映画というジャンルは80年代に死滅したと思っているが、何かの折に梅本さんと飲んだ時にそう言ったら、ぼそっと「本当は俺だってそう思っているよ」と呟いたのが印象深く残っている。だとすれば、彼は既に終わってしまった表現ジャンルと、既に終わってしまった「カイエ」的な映画評論やカンヌ的な「批評家賞」といった祭りにすべてを賭けていたのだ。そんなに目をかけてもらっていたとも思えない蓮實重彦さんのことも常に気にかけていた。だから彼は「偏愛」の人である––一度愛してしまったものをずっと愛し続けるという点において尊敬すべき点もあったが、余りに窮屈すぎると思えることもあった。こんな梅本さんのところに集まった学生たちは、結局は梅本さんには勝てないのだろうな。その点で彼自身は一貫してオリジナルではあったと思う。一時期の彼は映画監督になって大学を辞めることを夢見ていた。「俺が映画を撮るとなったらカンヌで賞を取らないとかっこうつかないでしょう?」と言っていたが、ああそれは勘違いだなあと思っていた。そもそも監督になりたいというのが本音だとしたら、何のために映画評論をしてきたのかよく分からない。結局、プロデューサーが資金を集められなくてその話は進まなかったが、その時のやりとりもよく覚えている。本気で映画を撮りたかったのなら、そんなことに関係なく撮ればいいと思うのだが、結構体面にもこだわっていた。組のボスになってしまった宿命かもしれない。ぼくも気をつけるようにしたい。
 死んだ日本美術史の千野香織と駿台予備校時代に一緒だったことをよく話していた。四方田犬彦さんも彼の自伝的著作「ハイスクール1968」の中で触れている。四方田さんとは一緒に映画雑誌を作ったり、また四方田さんが唐さんの「佐川君からの手紙」で唐さんと佐川一政の間をつないだ時に、パリで唐さんがサンテ刑務所で面会するための書類を梅本さんが作ったというようなこともあったらしい。四方田さんとはそのあと大喧嘩をして犬猿の仲だったが、奥さんの垂水千恵さんから四方田さんが病気で明治学院大を辞職した時にそのことを心配したハガキが梅本さんから届いたと聞いている。いろいろと細かいことを気にする人であったことは間違いない。その根底においては優しい孤独な人だったのだろうと思う。
 いずれにしても、彼の存在感が大学の中でも際立っていたことは確かだ。丸坊主で(出会った頃は薄くなった頭頂部を隠すような長髪だったが、丸坊主なのに中山美穂が行く青山の美容院で散髪していると変な自慢をしていた)でかくてガッツリしていて威圧的なのに、意外な優しさや弱さを見せる彼に影響を受けた学生も多いだろうと思う。とにもかくにも、目の前からかき消されるように急にいなくなってしまった、この味方でもあり敵でもあった同僚の死にぼく自身が大きく動揺していることは隠せない。それと同時にこの同年代に近い同僚の死からは、これから何年後か、あるいは数十年後かは分からないがぼくもいずれはそっち側に行かなくてはならないこともまた意識せざるをえない。せめて何かの発作を起こしてから死ぬまでに何かを言い残せるような死であって欲しいものだ。ポックリ死はその本人には理想的かもしれないが、残された者たちにはたまらない。
 卒業生から大里君、梅本さんと相次いで早く死んでしまった人と一緒に3人で「メディア基礎論」をやっていたぼく一人が取り残されて、さぞ孤独だろうというようなネットでの書き込みがあったのを見た。別に取り残されたわけではないし、他にも愛する人たちは沢山居る。まだまだしぶとくやっていくので過去の人にしないで欲しいものだ。やりたいことは山ほどあるし、今だって闘っているのだから。
 それにしても彼が残してしまった巨大な荷物である大学院とボタンをかけ違えられた学部の人間文化課程の修復に関しては何とかしなくちゃいけないな。愛する職場なのだから。
 彼の葬儀の時に書いて、一度アップした文章なのだが周囲の人たちの気持ちを考えて一度削除しました。改めて彼のご冥福を願って再アップロードしておきます。
 

2013.03.10

山口昌男さんのこと

 山口昌男さんが3月10日未明にお亡くなりになった。
 享年81歳だった。

 山口さんに初めてお会いしたのは1988年の明治大学での日本記号学会大会の時。

 この時は中村雄二郎、栗本慎一郎、中沢新一さんにも初めてお会いして、その後それぞれお付き合い頂くことになった。紹介してくれたのは細川周平だった。その後、ぼくの勤めていた帝塚山学院大学に中沢さん、栗本さん、そして山口さんをお招きしたりもしたことがある。記号学会ではパネリストに現東京都知事の猪瀬直樹さんも居て栗本さんと激しくやり合ったりそのちょっと以前から知り合いだった田中泯さんがロビーで踊ってくれたりして、とても豪華な大会だったのだ。その頃は「ニューアカ」ブームは一段落していたが、バブルが始まったところで思想界もかなり華やかな時期だった。

 まだ33歳で生意気盛りだった僕は、山口さんにずけずけと物を言って少しカチンとされたのかもしれないが、二次会にも個人的に誘ってもらって、吉岡洋と一緒に六本木にタクシーで連れて行ってもらった。めったに酒席には出ない中村雄二郎さんと長い時間話したのが印象深い。雄二郎さんとはその後、松岡正剛さんの会や日仏哲学会などで何度もお目にかかり、92年に編集工学研究所研究所が開いてくれた西垣通さんの『デジタル・ナルシス』とぼくの『情報宇宙論』の合同出版記念パーティではスピーチをしてくれた。もう長いこと活動をされていないので余りお元気ではないと思われるのだが88歳になられているはずだ。

 山口さんだがその後、京都造形芸術大学や帝塚山学院大学に来てもらうたびに声をかけて頂いて、祇園にお連れしたり、定宿まで押し掛けたりと親しくお付き合いして頂いた。山口さんはだいたい生意気な若手が好きな人なのだが、とても可愛がってもらったと思っている。その一方、その頃の山口さんは『敗者の精神史』や『挫折の昭和史』といったトリビアルな歴史学に没頭されていた頃で、その方面には余り詳しくもなく関心も薄かったので、むしろバフチンやイワノフらのタルトゥ学派、シービオクといった記号論の動向やメディア考古学的な話をすることが多かった。だから日本記号学会を通してのおつきあいが一番多い。ただ、その後唐さんのところにも再び足を向けてくれ、バッタの時や唐ゼミ☆の公演にもわざわざ駆けつけてくれたりもした。そのことも含めてとても可愛がってもらったと思っている。

 92年に横浜に移った時に、山口さんの還暦記念パーティに参加し、その後山口さんが福島県昭和村で始めた廃校になった小学校(喰丸小学校)を使った文化スクールの立ち上げにも呼んでもらった。北仲スクールや横浜都市文化ラボをいまぼくがやっていることにも大きな影響を与えてもらっている。山口さんとはその後もひんぱんに顔を合わせるようになり、その度に飲みに連れて行って頂いた。西新宿の「火の子」は必ず最後に山口さんが立ち寄るバーであり、新宿駅西口の歩道橋を何度も一緒に渡った。京都の日文研の泊まりがけの研究会でもずっと一緒だった。

 とても印象深いのは99年にドレスデンで開かれた国際記号学会にご一緒したこと。この時、深夜便で空港に着いたぼくが、第二次世界大戦の廃墟がそのまま残るドレスデン駅からホテルまでの2km近くの距離をとぼとぼと歩いていると、白いコートを着た山口さんと誰も居ない道の真ん中でばったり会って、先についた吉岡洋とバーで一緒に飲んで待っていてくれたとのこと。そのまままた引き返して東ドイツ時代のままの寒々としたホテルのバーでまた飲んだ。山口さんは駅の反対側のIbisに投宿していてそのお部屋でも赤ワインを開けて宴会をした。山口さんにはいろいろな人を紹介してもらったが、特に山口さんを国際記号学会に招き入れてくれたトマス・シービオクとの昼食会にも同席させてもらい、貴重な二人の昔話を聞かせて頂いた。あれは、山口さんなりにぼくを後継者として紹介してくれたのだと思ったが、次の年に山口さんは日本記号学会の会長にぼくをとても強引なやり方で指名した。まだ45歳で会長になるのは自分にも周りにもかなり抵抗もあったし、実際にそれが不満で辞めた人も沢山居たのだが、山口さんが徹底的にサポートしてくれたので何とかやり遂げることができたと思っている。

 もの凄くタフで休みなく元気に動き回っていた山口さんだが、2001年に最初の脳梗塞を起こしてから、何度も脳出血で倒れられた。特に2回目、3回目の時にはかなり脳にダメージを負われて、歩くことも不自由になり、大通りの交差点を信号が変わるまでに渡りきれなかったり、言語障害で話せなくなったり、満腹中枢が壊れたのか際限なく食べ続けたりということもあった。信じられないのは、そんな身体の状態なのに、オペラや演劇、展覧会やイベントにすべて参加しようとする。夕方の記号学会の集まりに出て、そのまま下北沢の芝居に行こうとしたりする。つまり絶対に自分の欲望を諦めないのだ。少し調子が良くなるとすぐに海外に行こうとする。ニューギニアに行こうとして、現地では足の不自由な老人は後ろから棍棒で殴られて金を取られますようと言われてようやく諦めたりしたこともあった。自分の行きたいところには必ず行く。そのためには車椅子でも、歩行困難でもどうしても出かけて行こうとするその姿勢は感動的ですらあった。絶対に自分には真似できないと思った。どんな状況にあっても「好奇心の人」だったのである。新国立劇場の出口で一緒になり30分以上もかけてよろよろと歩いて1Fのイタリアンレストランにたどり着き、ほとんど言語障害でまともにしゃべれないのに赤ワインをボトルでオーダーし、一緒にいた細江英公さんと話をしようとしていた(のに、言葉が出てこない)のも印象深い思い出だ。

 2008年の唐組の春公演の時に、休憩時間にテントの外に出ようとした時に入り口付近でぐったりしている山口さんを見つけた。新宿駅からゴールデン街の花園裏までタクシーに乗り、そこからテントまでの数百メートルを歩くのに40分以上を費やし遅れてたどり着いたと言う。そのまま救急車を呼ぼうかと思ったが、大丈夫だというので車で自宅まで送ってもらった。ところが、その一週間後の京大での記号学会には車椅子に乗って上機嫌で顔を出してくれたのである。二日間ずっと楽しそうに学会に参加してワインもしこたま飲んでいた。

 ただそれが最後になった。その数ヶ月後にまた脳の血管が破れ、その後意識不明状態がずっと続いた。それでも時々は意識が戻ることもあったようだが、4年以上退院することはついにできなかった。2年ちょっと前くらいから完全に意識不明の状態で、1年程前にお見舞いに行った時も意識が戻ることはなかった。ただ目は開いているのである。奥さんが毎日手入れしてくれているせいでヒゲも剃られ、血色もよく、胃瘻で栄養を取っているので顎のあたりは痩せていたが、何か山口さんは根をはやした立派な植物としてずっと生き続けるように見えた。今回も一時は危篤状態と言われたのにその後また劇的に体調が戻るなど奇跡的な生命力を見せてくれた。桜の咲く頃まで持つのではないかと思われたが肺炎の状態がひどくてとうとう今日亡くなられたらしい。

 山口さんが日本の思想界に与えた功績ははかりしれない。もちろん「中心と周縁」理論など文化人類学や記号論などの膨大な知識を駆使した理論的な業績、『敗者の精神史』などの日本近代史の闇の部分を掘り起こした歴史学的な業績などが偉大であったことに間違いはないが、何よりもそのフットワークの軽さと行動力において、書斎に閉じこもるものと思われていた知識人のイメージを大きく覆したことが大きい。テニスが本当に好きで、深酒をした翌日も早朝からテニスに興じていた。また、いつも若い世代の仕事に注目していて、中沢新一、細川周平、浅田彰、今福龍太、坪内祐三、平野啓一郎といった人たちを次々に世に送り出して行ったこと。時には煩わしがられたり敬遠されたりするようになったとしても、面白い若手を取り上げ、知的な磁場のようなものを自ら作り上げて行こうとしたことなど、なかなか他の人にはとても真似できないことだと思う。インターネットには関心はなかったが、「週刊山口昌男」をまじめに出そうとしたり、自分自身を「メディア」として捉えようとしていたりといつも時代を先取りしていた。

 いずれにしても、長い闘病生活を終えて、身体から解き放たれた山口さんの魂はいま自由に色々なところを飛び回っているはずだ。山口さん、ありがとうございました。ずっと忘れません。(2013.3.10) 

#写真は日本記号学会結成20周年を記念して、山口さんとの共編で出した『記号論の逆襲』(東海大学出版会)

 51xf4sx4mal_ss500_


#おそらく文化功労賞の時に作られたこんなウェブサイトも見つかりました。

http://masaoyama.web.fc2.com

付記:ネットでの色々な書き込みを見て、どうしてもこれだけは言っておかなくてはならないと思うことがある。それは山口さんが権力的で学界やジャーナリズムの世界でまるで天皇や将軍のような政治力を発動していたという「誤解」に関してだ。
 確かに山口さんは巨大な子供であり、わがままで、マイペースなところはあった。自分の目をかけている若手を売り込むために、文芸誌や出版社の責任者に恫喝まがいの電話をすることもあったし、それを目の前で見たこともある。編集者に対して注文が多かったのも事実だ。そのために山口さんを敬遠する同業者や編集者も確かに居た。
 だけども、それはその場限りのことで、基本的に全く陰険なところのないガキ大将のようなものであり、実際には山口さんが本当の権力者であったことは一度もなかった。むしろ、いつも手痛いしっぺ返しを受けてきた孤独なリア王のようなものだったのである。札幌大学の学長だって追い落とされたし、政治的な状況ではいつも負け組だった。お金にも縁がない人で、財布には二万円以上入っていないことが多かった。いつも損ばかりしている。
 国際記号学会でも役職についたことはなかったし、自分が作ったようなものなのに、日本記号学会でも権力争いに負けて、ようやく会長になったのは設立後20年近く経ってからのことだった。見世物学会とか温泉学会とか、そういう組織を作ってボスになるのは確かに好きだったが、基本的に権力とは全く無縁の人だったのである。
 確かに怖がる人も多かったし、自慢が好きでいばっていたことも事実かもしれないけれど、そのことと人を権力的に支配することとは全然違う。いつも天真爛漫でお茶目な子供のような人だった。


«2月23日

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31