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2004年9月

2004.09.23

疲れた

 9月16日には大阪難波で行われた近畿大学演劇芸能専攻卒業公演「唐版・風の又三郎」の初日に顔を出した。昨年暮れに唐ゼミが大阪公演をしたことがきっかけとなって、ここの学生や西堂行人さん、松本修さんといった近畿大学のスタッフとも交流が生まれるようになり、いつも唐ゼミを見にきてくれているお礼と、それに何よりも「風又」を松本修演出で半年がかりでやっているということで楽しみにして行ったのだ。
 今年の11月に再演される新宿梁山泊の「風又」を去年見て驚愕した。74年に初演されたこの作品の中には唐十郎作品のエッセンスがすべて含まれており、極小と極大、美と醜、性と死といった二項対立を壮大な想像力の翼に乗って大きな振幅で乗り越えて行く迸るような命の輝きに満ちた傑作なのだ。梁山泊による再演は完全とは言えないまでもこの作品のもつ魅力を引き出すことに成功しており、去年ぼくは紫テントに五六回は通い詰めた。
 近大の学生たちはこの唐戯曲の最高峰とも言うべき作品に全力で取り組んできたという。また、昨年の「アメリカ」で数々の演劇賞を受賞した今もっとも勢いのある演出家である松本修が「監修」ではなくて、全力を傾けて自分の名前を「演出」として押し出す形で上演すると言う。初演のテープを聴いたり、梁山泊の再演を何度も見ているだけに、この無謀と思われる挑戦は心配ではあったが、それでも大きな期待をもって見に行ったと言っていい。会場には松本さんをはじめ西堂さん、「劇の宇宙」の編集長の小堀さん、顔を合わせるのは二十年ぶりになる菊川さんなどが顔を揃えており、近畿大学の教員や大阪の演劇関係者も顔を揃えている。ぼく以外にも唐ゼミの中野や椎野、別な日には唐さんもわざわざ見に行った。凄い観客である。
 その結果はというと、どこに評価軸を置くかによって異なってくる。簡単に言うと、学生たちは卒業公演としてはそれなりに頑張ったのだと思う。台詞は滑らかでほとんど詰まったり飛ばしたりすることはなかったし、動きやタイミングもよく計算されていた。何度も繰り返していねいに稽古したことが見て取れるものだった。また、梁山泊版とは違って無駄な要素を極力回避することで、オリジナルの戯曲をほとんど省略することなく上演していたことも良かった。何人か面白い才能をもった役者も居たし、声をつぶすのをおそれずに全力で演技していることにも好感が持てた。
 松本さんの話を聞くと、これが徹底して松本さんによるテキストとしての「風又」のレクチュール(読解作業)であったことが良くわかる。「台本通り」−−つまりテキストとしての「風又」を文字通りそのまま上演しようという意図が見て取れる。だから、エリカは織部の喉にガラスの破片で切りつけるのだが、なぜか高田の首から血が吹き出るというようなシュールなシーンが生まれる。だが、その代わりにその後のエリカは混乱したままになってしまいエンディングが盛り上がらないまま終わってしまう。状況劇場のテントや「アングラ」というような文脈を全部除外してテキストとしてだけ台本を読むと言う演出家の姿勢が貫かれているのである。それは分からなくはない。だが、そこにこの舞台のもつ一種の退屈さがあることも確かであるように思われる。そこでしか起こらない逸脱やノイズがすべてかき消されてしまうのだ。「風又」というテキストに対する知的な興味はかき立てられても、目の前で起こっている出来事に対する感動や興奮がかき消されてしまう。テキストの中で開かれたままになっている多義性や曖昧さが、上演されることによっても変わらずに両義性のままで提起されてくる。唐十郎という存在、役者の肉体の還元不能性、テント演劇というシステムをそこに持ち込んで行くことでその空隙を埋めようとする唐ゼミや唐組のスタイルとは対照的だ。
 そのこともあって、学生たちはまるで人形のようだった。卒業公演と言うことでダブルキャストの2バージョンあるのだが、キャスティングにはかなり疑問が残った。全員に役を与えなければならないという縛りが明らかに結果に良くない影響を与えていた。何よりも学生たちが松本修という「演出家=神」に依存しきっていることにも疑問が残った。一人一人は演出家の要請に忠実に応えることしか考えていないように見え、そこからはみ出した輝きや魅力をもっていない。この疑問は以前水戸芸で椿昇が「国連少年」をやった時に感じた疑問と似ている。「意味」を別の人間に委託している時に、人はその本来のパワーを発揮することはできないのだ。「国連少年」の時の若いスタッフたちが椿の人形に過ぎなかったように、この近大版風又でも学生たちは松本修や大学の学科というシステムの人形に過ぎない。つい、バッタの時のことや唐ゼミと比較して見てしまうが、これでいいはずがない。近大の学生スタッフたちは相当満足したようだし、多分11月に梁山泊版を見ても自分たちだって同じくらい良かったと思ってしまうんだろうなと思うと、やはりそれは間違っていると明確に言うことが必要ではないかと思う。

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 18日の早朝から中野と新堀、杉山を連れて、水戸芸術館のバッタの地上展示に行った。その晩の打ち上げで水戸芸の若い学芸員の高橋さん、窪田さんと椿を交えての大論争になった。彼女たちは「カフェ・イン・水戸」という町中を使った大規模な展覧会で、参加する作家チームたちと作業をずっと続けてきた。たとえばアトリエ・ワンという建築系のチームが旧小松歯科で行った「リノベーション」プロジェクト−−これをぼくが余り評価できないと言うと激しく反発する。半分建物を解体して、その中に土を入れて草を植えるという土木作業に彼女たちはずっと一緒に加わってきて、それを完成させた時の喜びは大きかったと言う。なぜそれを認めないのか。室井さんたちのバッタだって全く同じじゃないですかと言うので、論争になった。そうではないのだ。確かに、さまざまな困難なプロセスを経て何かをやり遂げた時の喜びは大きい。だがそれならダムや橋の建設現場に入ればいいのだ。そこに表現としての「意味」や「価値」を求めることはできない。もう一つはどのような形でそこに参加しているかである。誰かリーダーが居てその人の頭の中にあるプランを実現するためだけに手伝っているのなら、それは単なる「作業」にすぎない。バッタはそういう形で始まったものが途中から形を変えて、参加した人たちすべての知恵と努力が相乗的に働いて、最初のアイディアと全く違うものが生成してきたから面白かったのだ。現にこうして最初は誰も考えつかなかった地上に置くという設置法をしていて、子供たちがそこに群れているというのがその結果ではないか。
 論争は決着がつかず深夜まで続いたが、要するに「意味」に依存しているだけでは駄目なのだと思う。「理論」はそんなアリバイ作りに利用されるようなものではなくて、実践と相乗的な形で組み合わされるためにあるのだ。また「頑張った」らそれだけでいいわけではけっしてない。プロセスの中で新しい形態や意味が他者との出会いの中で生成していくようなものでなければ、人を変えることはできないし、人を動かすこともできないのではないだろうか。そうした生命的なパワーの発生現場をあくまで表現という場所の中で作り出すことが重要なのであって、たんに困難な作業をやり遂げることに意味がある訳ではない。そうでなければ土木でもスポーツでも何でも一緒になってしまう。確かに演劇にしろ美術にしろ、かつてのようにあらかじめ与えられた意味や存在価値を前提とすることはできない。それを見つけようとして不安神経症になるのではなく、権威や理論に依存すること無く自らが自らの身体を通して意味を作り出して行く「場所」を作り出さなくてはならないし、また一人一人がそのような「場所」となっていくしかないのではないだろうか。問題はそうした「特別」な場所に何度立ち会えるかだ。ガラクタまみれの中に居て相対的に「まし」なもので満足しているようなことでは何も面白いことなんてないし、生きていてもつまらない。
 三日間バッタ展示につきあって、いろんな人と会えて面白かったが、さすがに体力的に疲労困憊した。大学に中野たちを夜8時過ぎに送り届けると、唐ゼミのメンバーたちがまだ作業をしていた。こいつらはぼくの人形ではない。そういう場所を作ってこようとしたことがぼくがずっと試みてきたことなのだ。というわけで「黒いチューリップ」楽しみに見にきて下さい。

 26から30まで、松本の信州大学に行ってきます。

2004.09.11

久しぶり

 ここもずっと更新してなかった。それは分かっていたのだが、読んでいる人はちゃんといるもので何人かからいろんなところで怒られた。ずっとひきこもりで原稿を書いていたので余りネタがない。バッタ本、というか三年前の「横浜トリエンナーレ」の時の顛末記を書いている。500枚以上を一気に書き下ろすのは初めての経験だ。しかも論文じゃなくて小説スタイルだし。結構神経を消耗した。
 9月18日から20日まで水戸芸術館の広場で久々にバッタの地上置き公開をやることになっている。もちろん天気次第ではあるけれども、これも久しぶりなのて楽しみ。
 バッタの時の相棒、椿昇もこのところblogをずっとやっていて(境界植物園)、ゼミの学生たちが毎日コメントしてくれるのを見ていると楽しそうだ。ぼくのところは「短信」からの流れなのでトラックバックは少しあっても誰もコメントはつけない。狙っている奴もいるようだが、つけた後の仕返しが怖いので遠慮しているのであろう。ま、椿は学生にもblogをつけさせているようだから教育的配慮というものだろう。でも、本当にみんなよく毎日blog書くよなあ。信じられない。
数週間の間、このところずっと無かった本当の夏休みだったのですっかり惚けていた。夏休みは必要だ。結局サラリーマンにはならなかったけれど、自分で自分の時間をコントロールできなければきっと気が違っていたことだろう。こんな時間が持てるのは失業者か学生か大学教員くらいだ。全部やったことがあるし、逆に言えばそれ以外はやっていない。それも9月に入ったのでもう終わりだ。
9月27-30日は松本の信州大学で集中講義。
10月2日(土)は西垣通さんから頼まれて、茨城大学で開催される「日本社会情報学会」で基調講演をすることになっている。その頃から慶応大学出版会から出す「ケータイの記号論」の編集作業も始めなくてはならないし、他にもいくつか出版の計画がある。
10月は唐ゼミから4人客演する唐組公演「眠りオルゴール」、11月は唐ゼミ公演「黒いチューリップ」、同じく11月には新宿梁山泊による決定版「唐版・風の又三郎」の公演なども目白押し。

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