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2004.10.05

社会情報学会 at 茨城大学

 2日の土曜日は二週間ぶりの水戸へ。茨城大学での社会情報学会で基調講演をしてきた。西垣通さんから頼まれたからだ。断れない。社会情報学会というのは二つあるが、こちらが旧新聞学会系で社会学系の人が多く、もう一つが経済・経営系の人が中心になっているらしい。東大の社会情報研究所(旧新聞研)は情報学環と併合されたが、この情報学環自体が日本で最初に総合学としての「情報学」というのを立ち上げたにもかかわらず早くも工学系、社会系、人文系の三コースに分断されてしまい空洞化されつつある。
 ぼくが「協力教官」として組み込まれている横浜国立大学の環境情報学府などというのは最初から文理融合などとは名ばかりで、要するに第二工学部の大学院を作るためだけの方便だから、逆に何の期待もないし、何の未来もない駄目な大学院なのだが、日本版メディア・ラボなどと喧伝され、学ぼうとする若い人たちの大きな期待を集めた東大情報学環が結局は工学系主導になってしまったのはとても残念だ。一番悔しい思いをしているのは西垣さん本人に違いない。国立情報学研究所などというものもようするに工学屋の集まりだし、e-JAPANだとかユビキタスだとか著作権ビジネスの振興だとか、国の政策もロクでもないものばかりだ。
 こうしてなし崩しに駄目なものになってしまった「情報学」の周辺にある学会が「社会情報学会」というわけだが、要するに社会学者と工学系で社会に関心ある人たちの集まりと見た。そしてここでは上に書いたこととは逆にこんな学会にちゃんと期待してくれている工学系の人の方が幾分かましで、中核にいる社会科学系の人の駄目さと無気力さが目についた。それにしても、若い人に専門は何ですかと聞くとみんな「社会情報学です」と答えるのには驚いた。実際知らないうちに社会情報学研究科とかが日本中にどんどんできてきているらしい。講演は「文化の気象学」の話とグローバリゼーションの中で学問や科学や芸術がすべて均一な経済原則に飲み込まれつつあるというような話をしたが、そんなに多くはない聴衆の中でも若い人たちの目が輝いていたので、やって良かったと思った。三十以上の連中はもう既に専門家で--と言うことは要するに洗練された自動車修理工みたいなもので、他のことには何の知的関心もなく、利益やルーティンワークの効率を上げることにしか関心がもてなくなっている人たちだ。しかし、おそらく十数年ぶりにあった西垣さんは相変わらずで、聞いてもいないのにいろいろな愚痴をこぼしたりさかんに言い訳をしていたが、それでも再会してみて二人とも基本的に変わっていないのでうれしい。
 西垣さんはぼくに言うこととは別に「情報学」を担う立場を結構重く受け止めているらしく、少し硬直したところもある「基礎情報学」(NTT出版)を最近出しているがそれとは別に三冊目の小説「アメリカの階梯」を出している。この小説は面白い。多感な科学少年の夢が破れていく過程がよく分かる。こういうのを見るとぼくもやっぱり小説を書いてみたくなる。吉岡洋に先を越されそうではあるがいつかやってみたい夢だ。
 最終まで水戸で西垣さんと話をしたいと思っていたのだが彼が家庭の事情で帰らなくてはならないということで、講演が終わって会場で話しかけてくれた大学院生の松本さん、後藤さんと淑徳大学の阿部さんの四人で近くの焼き鳥屋で個人的な打ち上げ。学会自体が何となく制度的で業績やキャリア生産的な面がありもう一つだったこともあって、ぼくの話が面白かったと言って話しかけてくれるだけでもとてもうれしい。松本さんが二三日に前に居た信州大学人文学部のOGだったり、後藤さんが水戸一高の後輩だったり、阿部さん、松本さんがぼくの学生も縁があり、僕自身も集中講義に何度か行った名古屋大学人間情報研究科出身だったりしたこともあって楽しい飲み会だった。
 翌日3日は雨の中、唐ゼミに客演していた東大大学院の清末浩平君がやっている「サーカス劇場」の公演に顔を出し、見に来ていた唐ゼミメンバーや出演者と渋谷で飲む。荒削りだし弱いところもたくさんあるがが情熱はみんな本物だ。
 西垣さんはぼくの講演後のトークで、自分は大手の企業に居たが、いまや企業よりも大学の方が息苦しく駄目になっていると嘆いていた。このところの国立大学の環境はひどい。どこでもかしこでも人間の自由な知性や思考が封じ込められようとしている。逆に言うと大学の中にはもはやその程度の人たちしか働いていないという悲惨な現実もある。それでもこういう若い人たちと同じ平面で話ができる状況は相対的には幸せなのかもしれない。ぼく自信もいつもそこに戻らなくてはならないと改めて思った。
今の日本はひどい。いまのぼくの職場を含めて大学もひどい。政府や文部科学省が悪いだけではなく、実は大学教員が一番悪いのだ。だけど諦めてはいない。たった二十年や三十年でこんなに違ってくるのだから、逆に十年後には全く今の常識が覆されることもあるかもしれない。やはり言論というものがあるのだということを信じていかざるを得ない。西垣さんの絶望も大きいのかもしれないが、それでもたとえ一人でも話を聞いてくれる人が居る限りは、何ごとにも屈せずに自由に物を言っていく覚悟と勇気が必要だと再確認した。
 今になって「反ブッシュ」を言っているマスメディアや大衆は全く信用できない。2001年から2002年の暮れにかけて、全くアメリカ政府の批判をせずに、むしろ言論統制を敷いていた連中が今頃になって何を言っても信用できない。要するにアフガン攻撃のときにブッシュを支持していた90%のアメリカ人と反ブッシュの日本人とは同じ連中なのだ。大事なのはいつだって「王様の耳はロバの耳」と言うことを、何者にも屈せず穴の中ではなく、正々堂々と世界に向かって語る勇気であり、批判精神なのだ。だが、それは同時に受験体制と離れたところで落ちこぼれの生徒のたまり場になっている美術室でタバコの煙をふかしているRCサクセションの「僕の好きな先生」みたいな美術教師とどこが違うのか。結局ぼくはそうなってしまうのか--それはよく分からない。だが、このところの大学行政や、何よりも大学人自体の頭の悪さと卑小さを目の当たりにしていると目の前が暗くなってくる。せめて自分の周りだけでもロウソクの光で明るくしていくしかないようにも思っている。
 西垣さんからは自分はこれからも一匹ネズミ(一匹狼ではなく)でやっていくというようなメールが届いた。だけどネズミは意外と獰猛なのかもしれない。それに獰猛なネズミが複数だとそれはいつの日か狼になれるかもしれない。そんなことを信じてやっていくしかない。

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