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2004.11.21

山崎哲+新転位21の「齧る女」と崔洋一の「血と骨」を

 観てきました。山崎哲さんの作品や演出作品は何本か観たことがあるのですが、新転位21の公演を見に行くのは初めて。久しぶりの中野の光座で当日券を買おうとしていたら山崎さんが現れその場で招待扱いにしていただいておおいに恐縮しました。
 「齧る女」は、97年に話題になった「東電OL事件」を題材にした作品。恵まれた家庭に育ち、慶応大学を出て父親も勤めていた東京電力に就職したOLが六年間の長きにわたって毎日退勤後、渋谷円山町で売春をしていてついに誰かに殺されてしまったという事件。犯人として客だったネパール人が逮捕されたが冤罪の疑いも残る謎の多い事件である。
 山崎さんはこのOLにいまの日本人の状況を重ね合わせる。食べる物もあり、住むところもあり、お金もあるのに満たされない日本人。自分が何者であるか、何のために生きているかが実感できないで、いつも満たされない心の飢えに襲われている日本人。それが、出稼ぎに来ていて故郷に自分の戻るべき場所のあるネパール人たちの人間らしさと対比されている。このOLは米を食べずいつもおでんの汁とするめを齧っている。舞台には時々現れて石を齧っている女と、自分が誰かを忘れてUFOを探し求めている女が登場するが、最後にはこの二人もこのOLと同一の存在になってしまう。つまり、東電OLはあなた自身だし、いまの日本人だというわけだ。舞台上の格子の向こうに隠れているバーがあって、そこでは別の物語が語られる。心の病をもつ母親に近親相姦され、ついには母親を殺して自分も自殺してしまう息子とその内面の声の物語。これらの深い心の病を抱えた日本人たち−−私とあなた−−は最後に全員が円山町の頂上に現れる巨大なUFO目指して向かっていく。こんな話だ。
 役者たちは全力で叫んで、全身で演技しており、千秋楽も近い今日は最初からすっかりがらがら声になっているが、それでも訴えようとする迫力は伝わってくる。終始イライラしていて怒ってばかりいる主役のOLが、ネパール人たちの喧嘩によって心を開かれ、ダンスを踊り始めるシーンはなかなかいいし、表と裏で進む二つの物語が最後に収斂していく作劇術も鮮やかだ。だが、三つほど問題が残る。一つは日本人はみんなそんな深刻な「心の病」を抱えているのかということ。確かにそうした人たちは沢山居るし、鬱病に逃げ込む人も増えてはいるが、むしろ社会の病理はそんなことを考えない思考停止状態の多幸症にあるのではないだろうか。終わった後若い女性客二人が「すごい迫力なんだけど、何が言いたいのか分からないのよねえ」というような会話を交わしていたが、何が言いたいのかは明確なのだ。ただ、「あなたも東電OLと同じなのです」というメッセージが伝わらなかっただけのことにすぎない。だから、社会の病を敏感に内面化している人々にとってはこの作品は魅力的で衝撃的なのかもしれない。だが、そうだとして、もう一つの問題はこの作品での解決はオウム真理教と同じなのだ。光り輝くUFOに向けてなだれこんでいくというこの「救済」の物語はどうなのだろうか? ちょっとジャンルは違うが、しりあがり寿の「真夜中の弥次さん喜多さん」にも共通しているこの「安易」で「思考停止的」な「リアルの喪失」はどうなのだろうか? 最後にこのエンディングにも関係があるが、ネパール人たちだけを「本当の人間らしさ」を失っていない存在として描いていることにも違和感がある。昔ヨーロッパで出会った能天気なネパールの芸術家たちのことも思い出すし、グローバリゼーション状況下の世界でそんな特権的な場所があるのだろうかという疑問も残る。最大の違和感は、やはり無頓着で思考停止した多幸症こそが一番大きな問題だという視点が欠けていること。単に鬱病と幼児のトラウマから逃れられないことは問題ではないのではないかと思う。やや表層的にすぎないか。「みんな不幸なんだ」というやわな共通感覚に淫してはいないかという疑問だ。
  「血と骨」−−原作者の梁石日さんと、この映画に出演している寺島進さんとこの映画の話をしたのが2月頃。ビートたけしと鈴木京香、オダギリジョーという人気俳優を配した松竹の大作「血と骨」だったが、残念ながら駄作と言わざるを得ない。これと比べると、二年前に公開された金守珍監督の「夜を賭けて」の素晴らしさが際立つ。すべてにおいて「夜を賭けて」に及ばない。金をかけたセットや豪華なスターたちの演技も物足りないし、何よりも人の持つ暗闇に踏み込んでいく力に欠けている。昭和20年代、30年代を再現した細部が多少面白かったにすぎない。原作のうち、前半を省いた構成にも問題があるかもしれないし、まるでマンハッタン島に近づくアメリカ移民のように主人公を描くところに崔洋一の政治センスが多少は感じられるものの、原作のもつわけのわからないエネルギーにも接近できていないし、すべてが中途半端なのだ。役者の迫力も「夜を賭けて」に全く及ばない。ビートたけし、鈴木京香、オダギリジョー……すべて力を引き出しきれていない。脳梗塞になる主人公の愛人役を演じた新人だけはちょっとよかったけど。新宿コマ劇場広場の映画館で観たが土曜の夜最終上映にもかかわらず客席の三分の一にも満たなかった。この出来映えでは当然だと思う。

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