« 大学について、再び | トップページ | 唐十郎最終講義イベント終了(溜息……) »

2005.01.26

文章はやっぱり面白い

 最近読んだもので面白かったものが二つある。
 一つはレポートだ。多摩美の女の子のもので、分裂症患者のテキストだ。正確には本当に分裂症のレッテルを貼られて過去家族から無理矢理病院に入れられたことのある学生が、ぼくの課題に合わせて(気合いを入れて)真剣に書いてきたテキストで、これが凄い。最近は精神科医はすぐに鬱病や躁鬱病のレッテルを貼りたがり、パキシルのような抗鬱剤を簡単に処方するが、自分の精神が安定しているか不安定かというようなことばかり気にしている何人も居るぼくの関わった学生たちの不幸な鬱病患者たちとは大違い。医者が処方するものが間違いないと思いたい気持ちは分かるが、それこそただの神経症なのだ。精神が不安定な方が当たり前なのに、それを薬で調整しなくてはならないという方が神経症なのである。副腎皮質ホルモンを飲まされたアトピー患者たちがどんなにひどい目にあったかを見るがいい。抗鬱剤は飲んではいけない。自分一人の力で生きられなくなる。自分が荒野に一人で取り残されていると思った方がずっといい。鬱は病気ではなく、一緒つきあっていかなくてはならないパートナーだと思わなくてはならない。善意の精神科医とカウンセラーと介護アドバイザーくらい始末に悪い物はないのだ。ところがこのレポートはある意味で本当に病気である人間が必死になって現実と渡り合おうとしている文章で感動した。言葉とはこれほどまでに物質的なものだったのだ。明らかに言葉が彼女のばらばらに走り始める脳細胞の接着剤として、現実と妄想との釣り合いを取るためのカスガイのような役割をしていて、ひとつひとつの言葉がこれ以上はない程に切実なのだ。というわけで、悩んでいるぼくの学生もそうだけど、抗鬱剤やめて言葉を薬にしなさい。ぼくは抗鬱剤治療は合法的な覚醒剤投与と同じだと思っている。60歳を過ぎて鬱症状に悩んで抗鬱剤に淫している人を沢山知っているだけにそう思うのだ。
 もう一つは、ぼくがまだ二十台の頃、初めて先生をしていた頃の元学生で映像作家の送ってきた文章だ。名前を出してもいいのだが、彼女はその頃若くして才能を認められ母校の先生になった。そこで芸術家たち特有の妬みやいじわるな攻撃に精神を病み、逃げるようにして結婚して東京に来たのだが、その自伝的過去を文章にしたものである。ある意味では妄想と執着の言葉の集積だ。最初に電話がかかってきて、これを出版したいと思うので編集者を紹介してくれと言われた時にはちょっと困ったなと思ったのだが、ワープロ打ちで200枚以上ある分厚い原稿を読み始めたらその強度に取り憑かれた。これは凄い。まるでセリーヌみたいだ。このままでは受け入れられないだろうが、こんなに凄いものなら是非出版に持ち込みたいと思った。元々、映像作家である彼女の映画にもそういうきらめきがあるのだが、文章にもこんな才能があるとは知らなかった。
 彼女もちょっとビョーキなのである。感受性が敏感すぎる被害妄想なのだが、それでもそれを相対化する力が彼女の文章にはある。こういうものを読まされると、自分の中の何かがうずうずとうごめき始める。
 じゃ、ぼくはどうなんだ。20代の頃、大学ノートに何冊も書き綴った膨大な文章のカケラ……。ぼくにはそんな力があるんだろうか。先生をやっているのは面白い。唐ゼミをやっていて複数の才能がある学生たちに会えて幸せだ。だけど、先生ではないぼく自身はもうこれで終わってしまうのだろうかと……こんなことを書いてしまうのは余りに情けないのかもしれないが……しかし、こういう凄い文章を見てしまうと素直にやはりそう思うのだ。いつまでもこういう本物の才能と触れ合っていきたいと思うし、これに負けてはいられないと思ってしまう。

« 大学について、再び | トップページ | 唐十郎最終講義イベント終了(溜息……) »

「Non Section」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/2696938

この記事へのトラックバック一覧です: 文章はやっぱり面白い:

« 大学について、再び | トップページ | 唐十郎最終講義イベント終了(溜息……) »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30