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2005.02.27

唐ゼミのこと(1)

 唐ゼミが出発した。昨夜トラックに荷積みをして、今日の早朝から鈍行列車組とトラック組に分かれて唐十郎フェスティバルが開催されている大阪の近畿大学に旅立った。今日は唐十郎も駆けつけているはずだ。今回、ぼくは大学の内部のことがあって4日がどうしても都合がつかず、近畿大学には5日と6日しか行けない。初日が見られないのは唐ゼミを始めてから初めてのことなので気になって仕方ない。しかも直前になって二人の劇団員が怪我をしてしまったり、この寒波の中でのテント公演をしなくてはならなかったりといろいろ心配なことがある。
 まあ、しかし心配してもしょうがないし、それに力をつけてきた彼らはもうどんな困難があっても乗り越えられると思うので、ちょうどいい機会だから彼らが留守の間に唐ゼミのことをまとめて書いてみたいと思う。
 唐十郎を呼んだのが97年の10月。派手な「初講義」で迎え入れた次の年の4月にマルチメディア文化課程の一期生が入学した。唐さんは大学になかなか馴染めなかった。というよりも大学という組織には最後まで馴染めなかったと言っていい。大人数の教養教育科目では、野次馬のような600人以上の学生を前に苦戦していた。ぼくも空き時間にして、入り口の前に立って授業の補助をしたが、唐さんの疲労感が見ていてもよく分かった。無理に唐さんを呼んだのは失敗だったのではないかという不安が高まり、唐さんに「もう十分ですから、やめたかったらいつやめてもらっても大丈夫です」と伝えたのもその頃だった。唐研究室は、普通の研究室よりも少し大きいスペースを確保して、ぼくが掃除したりデスクを入れたりして整えた。唐さんが靴を脱いで坐れる方が落ち着くというので部屋の半分には赤い絨毯を敷き詰めた。
 中野敦之はマルチの二期生として99年に入学してきた。名古屋の私立高校演劇部に居た中野は唐十郎を目指してやってきた最初の学生だった。その頃は蜷川幸雄を尊敬していて、朝倉摂の舞台装置の本で目にした「下谷万年町物語」の写真に目を奪われていた位しか、唐に関する知識はなかった。四月に、唐さんの研究室の前で唐さんに会うために立っていた中野に声をかけた。中野を唐さんに引き合わせたが、その時に中野はぼくに反感をもったらしい。何でこの人を通さなければいけないんだと思ったらしく、中野は直接その頃公演をしている唐組のテントに顔を出し、勝手にテント立ての手伝いをしたり、唐組の劇団員と話をしたりして、内部に入り込んでいた。唐組の内輪の宴会にも招かれていて、すました顔でぼくを無視している彼に少し腹が立って、大久保鷹さんが酔っぱらって中野の首を絞めている時にも助けてやらなかった。その頃の中野は学内の演劇サークル「三日月座」にも所属していて、「まずは、三日月座を乗っ取って、次には唐組を乗っ取ります」と、若い野望に燃えて自信たっぷりな傲岸不遜な若者だった。
 一方、椎野裕美子も同じ年に入学した学生だった。椎野は一年浪人していて、大学に入って学生生活を楽しもうとしていたのか、積極的に学科のイベントに参加したり、沢山の友達を作ったり、ぼくのオフィスアワーによく顔を出したりしていて、社交的で明るいけれども、少し軽薄な感じもする女子学生だった(今の椎野とは全く違う印象だった)。クラブに顔を出したり、友達とスノーボードに行ったりする普通の学生だったが、頭がよく妙に大人に話を合わせるのがうまかったので、ぼくは気に入っていた。夏休みに朝日新聞で受験生向けの企画をするから学生を紹介してくれと言われた時に椎野を推薦して記事になったりしたこともある。

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