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2005年5月

2005.05.30

先週末のこと

 まずは早速「はまことり」のblogに、椿昇のインタヴューぼくの「バッタ」についてのインタヴューが乗りました。一応目は通したんだけど、長過ぎる。ほとんど編集されていないので、椿もぼくもヤバいこと言いまくりなのが面白いかもしれません。これよりはだいぶ短いけれど、紙版のフリーペーパーにも掲載されていますので、そちらもご覧ください。

 金曜日は、会議のために春の大学祭準備で休みの大学へ行き、びっちり二時間強会議をする。そこから新宿へ。新国立の打ち合わせが終わった唐ゼミの中野と待ち合わせて、新宿二丁目にあるタイニーアリスで行われている「劇団犯罪友の会」東京公演「手の紙」を観劇。主宰者で作・演出の武田一度さんには、唐ゼミが2003年冬に大阪阿倍野で公演をした時にいろいろ親切な助言をいただている。武田さんが事務局長をつとめる大阪野外演劇祭に一度「唐ゼミ」を参加させてみたいものだ。「手の紙」は、昭和36−7年に実際にあったクーデタ未遂事件をめぐり元戦闘機乗りの心情に焦点を当てたドラマだが、意味が漂白されていくようなところが微妙におもしろかった。先日中野と見た少年王者館の「くだんの件」となぜか時代設定と舞台設定がとてもよく似ている。両方とも蝉の声が鳴り響き、時間から取り残された孤島のような時空を描いている。どうも昭和36−7年にそうした時間のエアポケットを見ているらしい。そう言われればそんな気もしないではない。「手の紙」では死んだ少年航空兵の幽霊が出てきて、「くだんの件」では「シャボン玉ホリデー」のテーマ曲が流れている。そんな両義的な時間が舞台の上に流れている。
 土曜日は、唐組アトリエでの劇団飲み会に招かれる。豊田、鬼子母神、西新宿とあと三カ所、7回の公演を残すばかりになった。唐さんの頭の中はもはや秋公演、そして来年の春公演のことで占められている。唐ゼミの「煉夢術」とかぶる七月初めに松本修+近大学生による「唐版・俳優修行」が大阪で、七月八月の二ヶ月にわたって新宿梁山泊の「風又」の韓国ツアー、9月終わりに唐ゼミの新国立劇場での「盲導犬」「黒いチューリップ」が始まり、それが終わると唐組秋公演「カーテン」(仮題)が始まるとともに、近大版「唐版・風の又三郎」の東京公演、11月には南河内万歳一座の内藤裕敬によるシアター・コクーンでの「透明人間」、12月には新宿梁山泊が下北沢の「すずなり」で唐さんの書き下ろし新作を上演することになっている。他にも韓国で「泥人魚」のリーディングもあるし、要するに夏から秋にかけて9−10本の唐十郎作品が連なっている。それは頭も沸騰することだろう。
 「唐ゼミ」を見て衝撃を受け、是非唐さんの大学との出会いを本にしたいという岩波書店の樋口さんが来ていて、ぼくの原稿と唐さんとの対談、唐ゼミの公演資料などを合わせた単行本を出すことがほぼ決まる。結構忙しくなるが、この企画ならぜひともいい本に仕上げたい。
 メキシコで記号論・コミュニケーション学会をやっているPablo Espinosa Vera教授から10月に開かれる世界大会で講演をしてくれないかというメール。メールをやりとりしただけで面識はないので、何となく日本人を呼んで国際性をアピールしたいというような意図なのだろうが、Jeff Bernardも来るようだし、一度メキシコに行ってみたいので多分受けることになるだろう。メキシコシティではなくて、北東部の工業都市モンテレーでやるというのも面白い。

2005.05.26

内田樹「ためらいの倫理学」を読む

 記号学会以来、何だかここのアクセス数が激増している。やはり「大学人blogの王者」内田樹効果なのだろうか?
 まことに怠慢なことであるが、ぼくは内田樹さんの本をこれまであまりまともに読んだことがなかった。blogを読んでいるのでだいたいのことは分かっているつもりでいたが、今回一緒にセッションをしてみて改めて面白かったので、早速一気に「ためらいの倫理学」(角川文庫)と「先生はえらい」(ちくまプリマー新書)を読んでみた。読んでみて、なぜ内田さんが最近になって急に読まれるようになったか、その理由がよく分かった。
 90年代は思想にとってきわめて不自由な時代だった。それをもたらしたのは80年代における広い意味でのポストモダニズムである。すべてを相対化してしまう「何でもあり」のポストモダニズムに対して、フェミニズムやポストコロニアリズムなどの「政治的な正しさ」を主張する原理主義的イデオロギーが力を持つようになり、それは「従軍慰安婦問題」や「ショアー」論などの「記憶と表象と責任主体」論のような不毛で退屈な論争へと展開していった。カルスタ系の「ディアスポラ」論や国民国家論が沸騰したのも記憶に新しい。ぼく自身はこうした90年代の流れに全くなじむことができなかった。自分でも「マルチカルチュラリズム」についてのセッションをやってみたり、吉見俊哉さんたちが組織した「カルスタ」研究会に参加したりもしたが、全く面白いと思えなかった。その理由は何となく分かっていたものの、まだ少しもやもやしていたのだが、「ためらいの倫理学」を読んで、なるほどそういうことだったのかと、すっきりした思いになった。他方、ジャーナリズムの世界では社会現象を「意味」に回収しようとする社会学系や心理学系の「現場思考」の人々が大量に登場し、映画やロックの「解放的な流れ」を引き出して文化的ヘゲモニーを変革しようとするカルスタ論者も現れたが、結局は経営学者や弁護士や政治評論家のような時事問題について皮相な見解を述べるだけのさらに「現場寄り」の人たちが「知識人」ならぬ「コメンテーター」として生き残った。「現代思想」のような思想雑誌が全く面白くなくなり、それと同時にぼくのところにも原稿の依頼がほとんどこなくなったのもそうした時代状況を反映していると思う(もちろん、お前がつまらないからだと言われればそうなのかもしれないが、ぼくとしてはそうは思っていないのだから、やはりここは時代のせいにしたいところである)(笑)。
 つまり、どこにも「思想」や「批評」の居場所がなくなってしまったのである。なぜ、そうなのかということについては、大澤真幸が一連の著作で明らかにしているように、思想や論理的思考が、「相対主義/原理主義」という相互依存的な「袋小路」の中に閉じ籠められてしまったからだ。この対立を止揚したり、統合したりすることはあらかじめ論理的に禁止されている(大澤によれば、それは超越的な第三者の審級の不在として語られるが、これはこれでまた息苦しい立論の仕方だ)。そのため、一方では一貫した「主体」としてある立場を引き受け、違う立場の人々をことごとく断罪するフェミニズムのような息苦しい言説空間が支配的なものとなり(内田の言う「審問」のディスクール)、他方ではすべてが言語ゲームにすぎないという底なしの相対主義が拡散して、個別的で具体的な問題にプラグマティックに対応していくしかないというシニシズムを拡大させていったのではないだろうか。こうして、ひとは巨大な暴力を前にすると何も語ることができなくなってしまった。何かの組織や立場を共有する人々の中でしか、自由にものを語れなくなってしまった(フェミニズムの内部でどんな発言をしても、それはなんらラディカルではありえないし、どの立場につくかということだけが重要な事柄であるとしたら、知的な自由などは存在するはずがないし、インサイダー取引のような形で株で儲けてしまった人には経済システムの批判はできないし、泥棒が犯罪を告発することはできない‥‥というような形で、人々は「立場」の上でしか思考することができなくなってしまったのである)。
 内田さんの言説はこの「息苦しさ」からぼくたちを解放してくれる陶冶的な効果をもっているように思われる。そもそも、知的な言説というものが何のために必要だったのかをぼくたちは忘れていたのではないだろうか。それは誰かをやりこめるための道具でもなければ、自分を固定した立場や視点に縛り付けるものでもなく、ましてやある社会的なグループの中での自分の相対的な位階を上げるための武器でもなかったはずだ。自己目的的なゲームでもなければ、唯一の「正しさ」に漸近線を描いて接近していく探求などでもない。そうではなく、それは一つの意味や一つの立場にけっして解消されることのない揺らぎやずれや不確定性の中に自らを解き放っていくことによって、自分の立っている地平が変容し、自分自身の固定した世界観からゆるやかに解き放たれることから生まれる「自由」の感覚に結びついていたはずだ。内田さんが「自分が正しいと言い張る知」ではなく「自分が間違っているのではないかと疑う知」の側に立つと言っているのは、こうした「息苦しさ」や「自己正当化」に閉ざされてしまった90年代の思想環境に対するラディカルな異議申し立てになっているのであり、その意味でこうした本来の知の愉悦に満ちたテキストが求められるようになったのではないかと思った。だから、これは確かに「秘密の花園」に住む人文学者にしか書けないような特異なテキストなのである。

 ところで、早速内田樹さんから変な宿題をもらってしまった。

>世の中には「悪童系」というカテゴリーに属する学者がおられる。

>その知性の最良の資源の一部を惜しみなく「人をからかうこと」に投資するタイプの人々である。

>森毅先生とか養老孟司先生とかはおそらくそのタイプの先達である。

>室井先生もなんとなく「ご同類」のような気がしたので、「先生の企画する面白そうなプロジェクトがあったらお声をかけてください」とお願いしておく。

>私はほかにたいした取り柄はないが、「人を怒らせる」ことに関しては人後に落ちない。

>室井先生であればきっとこの「使途不明」の才能の功利的活用の道をお考えくださるような気がする。

 ふむ、いやあそうなのだろうか?  それにしても「人をからかう」タイプと「人を怒らせる」タイプの人間がその才能を「活用」するとなると、それはどんなケースなのだろう?  そこには、からかわれ、怒らされるという最悪の立場の人間が誰か居なければいけないことになる(そうでないとこの二人が才能を発揮できないものね)。となると、それは強大な権力そのものであるか、どんな批判にも動じない原理主義者ということになるよなあ。うーむ、考えても分からないので、とりあえず何か企画がある時には、いつでも内田さんの名前を最初に候補に挙げておくことにしようと、いい加減に決める。

2005.05.23

日本記号学会二日目終了

 朝早いので前日は早く寝たのだが、今度は起きるのが早すぎた。5時過ぎには目が覚めてしまった。というわけで、やはり今日も眠い。9時前に現場に到着すると岡本さんはまだ来ていなかった。だいたい僕は見かけとは違って極度に神経質なので、約束の時間の30分前くらいに到着していないとなんだか落ち着かない。見かけは傲慢そうで、「何でも来い」という感じに見えるらしいが、世間というのは簡単に騙されるものなのであり、実はこのところずっとこの大会がうまくいくかどうか心配で胃が痛いのであった。
 分科会の準備。またしても、機材関係のトラブル。どうも、この大学は設備は大変すばらしいのだが、あまり日常的に使用されていないらしく、前日はテープデッキにうまく録音できず、本日はPCからプロジェクションすることができず、焦る。結局は10分遅れくらいで終了。ぼくが聞いたのは去年精華大学の大会でお世話になったタン・ズイチン君の「マレーシアの大学変革」に関する報告、京都大学大学院の松本健太郎君の「丸山圭三郎とメディア論」についての報告、途中何度か中座したが東京大学大学院の西兼志さんの「<顔>の記号学」に関する報告の三つである。それぞれに興味深い報告であるし、何よりも聴衆が思ったよりも多かったし、質疑も活発だったのでうれしかった。松本君の発表は記号論=丸山、バルト、メディア論=マクルーハン、ボルツ、フルッサーその他大勢みたいな杜撰な見取り図が気になったが、パワフルで言いたいこともはっきりしていて好感がもてた。ただ、こういうのはもっと研究会みたいなところで微にいり細にいり徹底的に議論してみたいネタなので、そういう意味ではちょっとこれだけで終わるのが残念。どうなんだろう。たとえば、WebやBlogに発表論文を載せてもらって、そこにコメントや議論を書き込んでいくというのは‥‥。そういうのを記号学会のWebでやってみようかな。
 学会というものは、結局は人が一カ所に集まるのが一番の目的であるから、いろいろなコミュニケーションの輪を作り上げていかなくてはつまらない。会長をしていて、偉そうに理事会メンバーやお年寄りとだけ話をしているのでは意味がないので、手伝いの学部学生から、大学院生、中堅のメンバーとなるべく多くの人と話して、さらにはそれぞれのグループをつないでいくのが会長の役割だと考えているのだが、さすがに時間が足りなくてなかなか思うようには動けない。初対面で挨拶しそびれた人には申し訳なかった。それに細かい雑務も結局は人を使うよりも自分でやった方が早いので、メイン会場の張り紙や椅子の配置、マイクの設定なども隙をみてちょこちょこと自分でやってしまった。張り紙の張り方が曲がっていたりして汚いと学生たちに突っ込まれた。それは分かっているけど、じゃお前ら気を利かせてやっといてよと言い返してしまうのが大人げない。こういうことをやっているからいつまでたっても偉くなれないのだと思う。
 で、最初のラウンドテーブル。静岡大学の外山さんと、横国の榑沼君登場。外山さんに国立大学の「惨状」を報告してもらうが、どうもオーディエンスにうまく伝わらない。何よりも、以前の国立大学があまりに恵まれていて、浮世離れしすぎていたために、私立大学や地方の公立大学の人には「何言っているんだよ。そんなこと当たり前じゃないか」という印象を持たれたようだ。だって、研究費が1/3に減らされたと言われても、じゃそれまでどんだけもらっていたんだよと思われるのが当たり前である。他方、榑沼君が同僚のぼくのネタを振りすぎるのも良くない。まあ、彼はメゲない奴なので、こんなことを書いてもどうせ別なところでまたこれをネタにするのだろうが。というわけで、いろいろ微調整しながら何とか筋道をはっきりさせようとして話を進めるが、フロアからも活発な意見が飛び出して助けられた。ゲストの金子郁容さん、内田樹さんもずっと聞いていてくれたようだった。内田さんが見つけられなかったので、とりあえず金子さんだけにしゃべってもらう。いい雰囲気で次につなげることができた。
 そのままわずか10分の休憩で次のシンポジウムに突入。金子さん、内田さんの順番で話してもらうが、どうも内田さんは勘違いしていて、自分だけが場違いで特殊な意見の持ち主だと思っていたらしい。違うんです。ほとんどが人文系の研究者で今どうしたら効果的に抵抗できるかを求めているんです。ですから申し訳ないですけれど、今日の悪役は金子先生の方なんですと説明する。そうすると、金子郁容はすぐに自分の役回りを理解してきびきびと悪役を演じてくれた。こういうところが金子さんの素敵なところである。数量化やデータを示すことが政治的にもたらす効用について語り、努力しないで既得権益にしがみつくような「象牙の塔」をみんなで良くしていかなくてはならないという金子さんの主張は、基本的には現在の支配的なイデオロギーに近い。何よりもアメリカ生活が長い金子さんには、多民族国家で「常識」や「コンテクスト」がばらばらなためにすべてを明文化し、数量化された合理的「根拠」を示せないと社会がうまく機能しないアメリカ型の手続きに対する信頼が強い。昨日の西垣さんの話にもあったように、こうしたアメリカ型のシステムが世界中のあらゆるところにはびこり始めている。その一見すると誰しもが「正しい」と思ってしまうようなシステムの拡大が問題なのだ。さらに、そうしたシステムに従わないと、すぐに「悪の枢軸」呼ばわりして劣化ウラン弾を打ち込む単純さが問題なのである。金子さんの発言の中で一番印象に残ったのは、「そんなことを言ったってリベラル・アーツ教育が何を成し遂げたんですか。現在の政治状況についてまともに発言できる知識人が日本に誰もいないのは、あなたたちの怠慢ではないですか」(正確な引用ではない)、というようなものだった。金子さんが時々そのソフィストケートされて穏やかな装いをかなぐり捨てて、むき出しな怒りを出すことがあるのが面白い。以前「ボランティア」ブームを作り上げた時に、ある席上でぼくが「市民」ネットワークや「ボランティア」流行の弊害についてあてこすり的な批判を連ねた時に、金子さんが急に怒りだして「そんなことを言う室井君は自分で何もやっていないじゃないか」と切れた。気持ちは分かるが、これは言い過ぎだと思った。批判になっていない。ぼくは何もやっていないわけではない。それどころか、ボランティア的な行為は自分の一生の中でかなりの部分を占めている。つまり、金子さんは「ボランティア」という名前をつけ、そのカテゴリーの枠の中にあるものだけを合理的に調整しようという信念をもっている。その外側にある曖昧模糊としたカオスや謎や外部は嫌いなのだ。だが、昔のたとえばサルトルのような「哲人」的でパワフルな知識人や「市民」を魅了する有力な知識人がいないのは、けっして人文系大学人の怠慢などではない。だいたい過去のそうした人たちだって大学が「育てた」ものではなく、勝手に現れたのである。なぜそれが可能だったかというと、社会がそうした存在を求め、許容していたからだ。だから、そうした言論人が相対的に減ったのは、むしろ金子さんがいうような「合理的システム」が社会を浸食し、それらを閉め出したからではないかと思う。
 内田さんの姿勢の面白さは、フランス文化に関する浩瀚な知識や教養はもちろんであるが、その底に「武道」といった人間の身体や生命につながる領域に深く通じているからではないかと思う。それはぼくにとっても重要で、知識や教養が「有意義」でありうるのはそうした生き物としての姿勢や構えがあってのことなのだと思う。逆に言えば、フーコーやレヴィナスやドゥルーズが重要なのではない。彼らの思考を重要だと思える「からだ」を作り上げることの方がずっと重要なのだ。そうでない「からだ」ができていない奴らが増えるとそれはただの「思想オタク」になる。アートにしても、演劇にしても、もの作りにしても、文学にしても、そうした「からだ」を作り上げることに意味がある。そうでなければ、哲学や思想など身につけても仕方ない。ぼくがずいぶん久しくゼミでテキストを使った勉強会や原書講読をやらなくなったのは、そんなことは自分で勝手にやればいい、もっと重要なことは、家畜のようにシステムから与えられた餌や情報に満足することなく、批判的な視点を自分を含めたあらゆる方向に持つことのできるような「からだ」を作ることであると考えるようになったからである。だから、手作りせんべい作りも重要な教育成果なのだ。ただ、内田さんが仏文科の環境と人文系女子大という「秘密の花園」で暮らしているためか、やはり工学系や情報系といった現在の大学制度の中の「主流」に属する人々への理解に乏しく、その意味ではやや狭く閉ざされた主張であることは否めないようにも思われる。「黙って俺の言うことを聞け」と言っても、こうした現在の大学行政の主導権を握っているテクノクラートたちはけっして耳を傾けてはくれないであろう。どうやってそれが可能であるかということに関して、「プチやくざ」としてうまくシステムをだまくらかしていくスキルを身につけなくてはならないというのが、吉岡洋の主張だが、ぼくとしてはむしろ大学がつぶれてしまっても生き残れるパワーをなくさないようにしよう(「失業なんて怖くない」という図太い姿勢を育てていくこと)と言いたい。これは京都精華大学の島本浣が「みんな大学教員が失業してしまってタクシー運転手をやりながら、それでも若い人たちを集めてゼミを続けていく」というような言い方で言ってくれた。そう。重要なのは「大学」という現実の制度なのではない。それを支えているのは授業料でも税金でもなく、大学や知識を必要とするような「からだ」なのである。言い換えれば、それは現存のシステムや社会におさまりきれない人間のもつ「思い」が支えているのだ。ぼくとしてはそうした原点を思い出させてくれるような学会だった。
 会場には横国の同僚や大学院生たち、IAMASの学生たち、内田さんや金子さんに惹かれて来てくれた非会員のひとたちがつめかけ大いに盛り上がった会になった。西垣さんにしても金子さんにしても内田さんにしても、信じられないほど安い謝金額にもかかわらず快く引き受けてくれて、しかもとても面白いセッションになったし、ありがたいことである。また、何かあったらきっとお返しをしようと心に決める。終わった後、岡本さんや吉岡と一緒に高田馬場駅近くで軽く打ち上げ。IAMASの稲川君や群馬大の後藤さんのはぐれものとしての半生を聞いて強い印象を受ける。小説にしてほしいほど面白い。こういう徹底してはぐれてきた人たちは大好きだ。だけど、君たちこのままじゃだめだよ。次に会う時まで上に述べたような「からだ」作りをきちんとしておいてほしい。
 さらに8:00過ぎには南新宿にある同僚の大里俊晴君のところで開かれているパーティに顔を出す。マルチの一期生、唐ゼミメンバー、記号学会から流れた榑沼君や学生たちが集まってわいわいやっていた。大里君は新宿南口駅前の13階建てマンションの14階にある屋上のペントハウスに引っ越したのだが、まるで巨大な学生アパートのようなワンルーム(基本的には事務所スペース)で、これまた巨大な学生コンパのような飲み会を楽しむ。
 ちょっと、内田さんのblogの余りの早さとそのボリュームに影響を受けてめずらしく長い文章を書いてしまった。また、このネタについては継続していくつか書いていこうと思う。

2005.05.22

日本記号学会大会1日目

 というわけで、始まった。立て看板から、プログラム、めくりまで全部手作り。東京富士大学の岡本さんが実行委員長で、現場ではいろいろ気を回してくれる。
 朝の10:00から金光陽子さん、山口昌男さんの次男で哲学を専攻している山口拓夢君、富士大の井上さん、それからぼくのゼミ生たちと一緒に会場設営や受付準備を行う。横浜国立大学から来たぼくの学生たちは、ぴかぴかで、まるでホテルかペンションのような富士大の建物にかなりカルチャーショックを受けていたようだ。ぼくとしては、いま居る研究棟のような汚くて薄暗いところが好きなんだけれど。
 初日のメインは東京大学の西垣通さんの特別講演と全員でのアフタートーク。世界レベルでの研究水準をとか、ノーベル賞をたくさん取れるような大学教育をとかいう無根拠で一方的で無意味なプレッシャーに取り囲まれている西垣さんは、それでも大学という組織にとどまりつつ抵抗していくしかないと語る。現在の日本社会が最悪の状態であること、金融市場での利益追求にばかり走る「博打打ちの親玉」のような奴らが尊敬され、「知」の空間がどんどん狭くて不自由な場所に追いやられていること、それでも組織の内部にいて戦わないと、その流れに棹さすこともできないこと、といったようなことを語った。そう言いながらも、論文ではなく小説でしか語り得ないことがあると、半身大学から身を引いている姿勢が抜けきれない。それで西垣さんはたいていカオス状の鬱に取り付かれているのだと思うが、それでも今回はずいぶん明るく闊達に話してくれた。大学の中に「すきま」的空間を取り戻すことが重要だと主張する吉岡洋に対して、ぼくは大学が「空虚な神殿」から「キャリア・センター」に変わっただけで、元々大学自体はだめに決まっているのだから、大学と街を横断していくような個人の活動性が重要であり、「大学改革」で揺れる組織の内部で「すきま」を作り出していくというような不毛で成果が見込めない労苦から解放された方がいいのではないかというようなことを話す。
 会場からもいくつも発言が飛び出して、全体としては活気に溢れたイベントになった。終わった後、近くで懇親会。二次会までつきあう体力がなく、吉岡と二人で軽く飲んで帰宅。それにしても夜の高田馬場駅付近は早稲田大学の学生たちなのか、いたるところで群れになっている。あまりの学生の多さに驚いた。
 というわけで、これから二日目に行ってきます。内田樹さんと金子郁容さんとのセッション。楽しみです。

2005.05.17

blogに何を書くか

 ときどきWeb日記を読んでいる卒業生に会って、「お前のところの日記は酒を飲む話ばかりだな」とからかったら、「楽しいことしか書かないようにしようとすると結局そうなっちゃうんですよ」と言い返された。そういえば、ここもこのところ、唐さん関係の話ばかりで、誰かと会ったとか飲んだとかいう話ばかりだ。他に何もなかったわけではないし、書きたいことが他にないわけでもないのだが、この場所に何か書こうとするとそういう話ばかりになる。
 ゼミ生にblogをつけさせている手前、自分も無理してでも書かなくてはと思いつつ、ここに書くっていったいどういうことなのかと未だに考えてしまう。学生達も最初は週二回くらいblogつけるなんて楽勝ですよ!と豪語していたが、やっぱり壁にぶつかって行き詰まっている者が多い。
ひとつには、特定の人にしか向けられていない文体で書かれているものが、不特定多数の人にも読まれてしまうという二重性のようなものが、blogやweb日記の独特の居心地の悪さと、文体の不安定さを作り出しているように思われる(ここもなぜかこのところアクセス数が多いのだ)。この不安定さを乗り越えるためには、1.完全に不特定多数向けの公的な文章にする(論説にしても身の回りのことを書くエッセーにしても、そのまま雑誌や新聞の原稿のつもりで書く。つまり、個人ジャーナリズムのような形)、2.完全に特定の「身内」向けのものにする(友達ネタや身辺雑記のみ。それ以外のオーディエンスは、基本的には電車の中での友達との会話に聞き耳を立てている他人と同じと考えて気にしない)。3.知らない人に覗かれるのは嫌だから、メーリング・リストとかSNSのような、閉ざされ方の程度の違いはあるが、結局のところは鎖国した領域に閉じこもる。というような3つの選択肢が考えられるだろう。
 パソコン通信出身だから3のようなオンライン・コミュニティには馴染みがあるし、それがもたらす効用(人間関係のネットワーク化の広がりがもたらすパワーと楽しさ)も知っている。だが、それと同時にWeb上の言説のもっている、まるで暗闇の中でたった一人でろうそくの光を点けるような、誰がそこにいるのか分からないような不安定な状況にも未だに惹かれている。2チャンネル用語で「釣れる」というのがあるが、確かに何も見えない深い海に釣り糸を落としているようなところがある。ただ、それが継続したコミュニティを作っていけるかというとそうではあるまい。そういう意味ではSNSの動向も気になるが、いまのところ仲良しクラブの域を抜けていないようだ。
 いわゆる「人気blog」というものは、多くの固定読者をもっているわけだから、1のようなスタンスのものだろう。それはPublishingという意味で「個人出版」と変わりがないし、一日数千から数万というようなアクセス数を稼ぐものは確かに一種のマスコミ的な価値をもっている。じゃ、自分はどうかと言うと、そんなことになってしまったらきっと書くのはやめてしまうのではないかと思う。そんなことになったらとっても不自由だと思うのだ。そういうことをずっと書いてきたせいもあるかもしれないが、ぼくはネットワークに「出版」とか「放送」とか「広告」というカテゴリーを持ち込むことには反対である。すべてを「数量」の問題に還元してしまうような産業社会の構造とネットワークの可能性とを分けておきたいと思っている。その意味で、ネットワークはプライベートでもパブリックでもない「パーソナル」なメディアになるべきなのではないかと思っている。ネットは「公的なメディアだ」などというのは、とても息苦しい。
 というわけで、紙のメディアに書く文章と、ここに書く文章とは分けて考えていきたいと思っている。言い換えれば、上にあげたような1〜3のどれにも当てはまらないもの−−一番身近なことを、暗闇の中でまるで自分自身に独り言で語りかけるような、それでいて暗闇の中にリンクしていく釣り糸を投げ入れているような、スタンスが定まらず不安定な語りの「場所」に留まり続けたいと思っている。
そうなるとやっぱり、唐組の公演で誰と飲んだというような話になってしまうんだろうなあ(……と、再び、これでいいんだろうかという悩みのループが始まる)。

2005.05.16

新宿の「穴」

 いま唐組が公演をしている西新宿の「広っぱ」は、ちょっと信じられないような場所だ。新宿ヒルトンの向かい、新宿グリーンビルの裏に広い窪地があり、空き地になっている。今の季節は雑草が生い茂っているが、雨が降るとドロドロにぬかるむ。こういう空き地は昔は沢山あったものだが、それが今も新宿のど真ん中に残っているのは奇跡だ。トイレは仮設トイレを設置しているが、水はある。なぜか公園の水飲み場のようなものがポツンと取り残されていて水道が使える。
 こんな都会の中に取り残されたような場所だが、どうやらもう見納めになるらしい。秋から工事が始まり45階建てのビルが建つという。周囲の民家もほとんど立ち退きが済んだのか電気が消えている家が多い。6月18−19日の唐組の千秋楽がこの場所の見納めになるようだ。2001年から唐組はここを使用しているが、こんな凄い場所がまた見つかるとは思えない。名残惜しい。
 流石に疲れたので14日はパスして15日に顔を出す。長谷部浩さん、山崎哲さんらが来ていた。体調が悪かったせいか、いいちこを飲み過ぎて足元がおぼつかなくなるまで飲んでしまった。伊東しげ乃は骨折した足の治りが早く、誰にも気づかれないように演じていた。松葉杖を使ったのは先週の日曜日だけだったらしい。とりあえず安心した。
 このまま水戸公演に向かうが、今年はぼくは記号学会が重なってしまうので行くことはできない。学会の準備で相変わらずばたばたしている。
 今日は、横浜トリエンナーレの市民ボランティアグループ「はまことり」の取材を受けた。今年のトリエンナーレを盛り上げようということで、ウェブやフリーペーパーを作っている人たちだが、「バッタ」について記事にしたいと言うので話す。ついつい横浜市や運営体制の悪口になってしまい、「何か明るい話もお願いできませんか?」と言われてしまった。何か、「この機会に市民全体で盛り上がりましょう」というような感じにはどうもついていけない。それにどうやら、こういうことをやっている人たちも別に横浜「市民」であるわけではないようだ。「市民」という行政上のカテゴリーと、アート・ボランティアというカテゴリーが重ね合わせているところが何となくしっくりこない。だいたい「市民アーティスト」とか「市民芸術家」って書いてみても、ちょっとかっこわるいと思うんだけど、そのあたりはどうなんだろう? 「市民ボランティア」だって似たような感じだと思うのになあ。まあ、しかし訪ねて来た若い女性二人はとても感じが良かったので、なるべく意地悪しないように心がけて話した。

2005.05.12

記号学会の大会準備をばたばたやっています。

 とまあ、そういうわけで来週末に開かれる大会の準備に入りました。当日のプログラム制作とか、張り紙とか、いろいろ作成中。あとは客が入るかどうかが心配だ。ちなみに日本記号学会は一般に公開されているイベント型の学会で、プログラムは任意で有料だが誰でも来ることができるので、学生諸君など時間があるものは是非見に来てほしい。生の西垣通さん、内田樹さん、金子郁容さんと会うことができます。
 昨年は京都精華大学大会で、京都に一週間滞在して楽しかったが、今年は高田馬場なので、何だか短すぎて物足りない。
今週の週末はどちらか一日になるかもしれませんが、西新宿に行きます。

2005.05.09

雑記

 家のパソコン(iMacG5)の具合がずっと変だ。去年の10月に購入したのだからまだ半年しか経っていない。明らかにハードがおかしい。昔はAppleのマシンではこんなことは起こらなかったのに、やっぱり大量生産体制になってチェックが甘くなったのだろうか。その上、Appleショップが直営店だけになってしまい、修理に出すのもひと仕事だ。修理に出すためにはディスクの中身を別のマシンにバックアップしなくてはならない。それ用に一台ibookを注文したが、新OSチェンジの時期と重なったために納期が遅くなるとかでまだ届かないので、さらに時間がかかる。「セーフモード」でしか立ち上がらないのだが、立ち上がるまでの時間がどんどん長くなっている。これだけでも随分ストレスになる。モバイル用の小さいノートもあるし、もちろん大学に行けば全部処理できるのだが、どうも身体がむずむずして落ち着かない。パソコンの電源を毎日入れるようになってからもう18年になるが、中毒的依存症は深まる一方である。
 そういえば、ぼくの大学のアドレスは昔学部サーバーの連絡先にしていたせいもあるのか、異常に大量のspamが来る。だいたい平日で200、週末で100以上の迷惑メールが入る。だから、毎日のメールチェックで最初にやらなくてはならないのは、「本当のメール」をその大量のゴミの中から拾いだすことである。時々拾いそびれて大事なメールを無視してしまうこともある。これは、smtpメールというメールシステムそのものが変らなければ解決不能のことだと諦めているが、いまのぼくの状態が大多数の人の状態になるのもそんなに先のことではないだろう。こんなことまで身体の中で習慣化してしまうのだから、考えてみれば恐ろしいことだ。

 週末は再び西新宿原っぱでの唐組へ。この高層ビルの中にぽっかりと残された空き地での公演は5年目になるが、どうやら来年は45階建てのビルが建ってしまい、もう使えなくなってしまうらしい。周囲の民家も立ち退きが済んだのか余り明かりがついていない。この新宿の底で見ると同じ芝居でも全く違って見えてくる。正直のところ大阪や花園で見たときよりも数倍面白い。土曜日は読売新聞の記者に連れられて小泉今日子さんが見に来ていて、飲み会にも最後まで残っていった。「黄金の日々」で見て以来紅テントに憧れていたらしい。劇団員も唐さんもあがってしまうのが面白い。この日は辻を背負って出て来るはずの伊東しげ乃が逆に背負われていてびっくりしたが、どうやら裏で足を踏み外してしまったらしい。捻挫だろうと思っていたら剥離骨折だったという。とんだ事故になった。日曜日は松葉杖で出演したが、来週からは少しはマシになるだろう。ちゃんと逃げられないことが分かっていて、ちゃんと舞台をこなしたのは立派だった。かなりバテていたが、そんなこともあったので日曜日も心配で顔を出した。

 その間、5月21,22日に東京富士大学で開く日本記号学会大会「大学はどこへ行くのか?」の当日用プログラムの原稿作成。だいぶ近づいてきたので頑張らなくては。

2005.05.03

新宿花園神社・唐組の「鉛の兵隊」開幕

 4月30日が初日。400人の大入り満員の観客が押し掛け、80人近くの関係者が顔を出す。いろいろな人が居て、終わった後の宴会もやや混乱状態。余りにも人が多すぎる。大久保鷹さん、金守珍さんら新宿梁山泊メンバー、近畿大学の松本、西堂さんたち、新聞社の人たちや演劇評論家の面々。そのまま二日目5月1日にも。日曜なのに客は減らない。やはり400人近い。さすがに関係者は減っていて、昨日の半分。それでも四谷シモンさん、安保由夫さんはじめ旧状況劇場の面々、常連の小田島雄志さん、連チャンの大久保鷹さん、一月に結婚して以来久々に顔を見る新宿梁山泊の近藤結宥花さん、三浦信子さん、梶村ともみさん。いろいろな「事情」が渦巻いているが、まあそれらもいずれにしても唐さんの周りにいろいろな人たちが集結しているということの結果なので、とりあえずは良しとしよう。今年中にそれらの「いろいろ」がいろいろな形で結実して行くことになるのだから。
 芝居の方は大阪、初日、二日目と進化してしっとりとなかなかいい感じだ。唐さんの場合、とにかくスタイルが完全に世界中の他の「演劇」とは全く異なるので、どう受け止めるかは個人によって相当違ってくる。「テーマ」とか「物語」で見ても、一度見たくらいではどうせ全く理解できないだろう。ぼくは一作品あたり十数回は見るが、実はそれでもよくわからないことがある。「問題」の演劇や「表象」の演劇では全くなく、唐の脳の神経回路がそのまま裸線のままむき出しになっているような複雑な戯曲構造なのである。たまたま、それが観客の時代感覚や世代的な記憶とシンクロする時にだけそれはとてつもない「名作」になる。「唐版・風の又三郎」や「盲導犬」や「少女都市からの呼び声」はそうした名作だった。だが、そうでない時にもそのテキストは他の書き手の誰にも真似できない閃光を発している。それを「前のめり」になって唾と汗をはき散らしながら熱演している役者たちの肉体の中に読み取ることができなければ、目の前で起こっていることから生まれるとてもない「快楽」を受け止めることはできない。その「現在」を楽しめなければ、すべては逃れ去って行ってしまう。それを「理解」しようとしたり、他の作品と「比較」しようとしたりしてはいけないのだ。今回の場合は「指紋」の渦巻きがイラクの砂嵐に変り、それが北海道のアイヌ出身の入れ墨師の描く渦巻きに変って行くイメージの流れに身を任せることができるかどうかが重要な分かれ目になる。もう一つはスタントに表される「代行」というテーマだ。「代行」は、何を誰が「代行する」かというこが問題なのではない。そうではなく「代行」というプロセスそれ自体が重要なのではないだろうか。そうした「代行」の中に、いくつかの決まりきったパターンが無数の組み合わせを生み出す「指紋」の不思議さがあり、北海道、朝鮮半島、満州、ガダルカナル島といった歴史上の記憶が渦を巻くように重なり合う記憶の不思議さがある。
 唐の作品を見る場合の一つのヒントは、それぞれの新作戯曲で唐十郎自身が「何の役」を演じ、どのような「現れ方」をしているかということだ。「夜壷」では資本の代表である白皮夫人、「闇の左手」では「偽の代行業者」である微笑小路、「糸女郎」では捨てられたジゴロ、「闇の左手」では「まだら惚け」の詩人、「津波」では「伝説の便器職人」であり、生ける「脳散乱巣号」、そして今回は伝説のスタントマンで生ける塩ジャケを演じている唐が(相変わらず自分が一番目立とうとしながら)、何を言おうとしているのかに耳を傾けなくてはならない。「鉛の兵隊」はけっしてイラクに派遣された自衛隊の話などではないし、その地で「指紋=アイデンティティ」を無くした日本人の話などでもない。「渦」と「代行」が主役なのだ。そして、「トマト」や「銀の匙」や「鉛の兵隊」といった魅力的なオブジェたちがそこに絡まり合い、さらに唐組の役者たちの生きた身体性が重なり合うときに、それは熟したトマトのようなかぐわしき香りを発するのだと思う。そして、その最も完熟した日がいつになるのか分からないが、それまでぼくはここに通い続けようと思う。
 写真は唐ゼミから参加して頑張っている伊東しげ乃と辻孝彦。何だか感慨深い。shigeno

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