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2005.06.18

反響

 先週上げた「美学の喪失」に対して、いろいろな反響があってうれしい。言及していただいた方、どうもありがとうございました。
 ただ、皆さん共通しているのは、ぼくが現状をきわめてペシミスティックに捉えているという印象であった。実際にはそんなことはないのだ。
 まあ、「喪失」と言えば「喪失感」ということになるから、ぼくが「深い喪失感」に肩を落として、「長い黄昏」の中を歩いているというイメージにどうしてもなってしまうのだろうが、ここに書いているエントリーからもお分かりのように、そんなことはないのだ。むしろ、人生の「夜明け前」のようなつもりで前向きに生きている。それを支えているのが、社会システムや制度ではなく、具体的で個別的な生き物としての人間たちであるというようなことを書いていたつもりだし、それが根源的に抱えている過剰に満ちた「カオス」に注目して行きたいと考えたのだ。
 というようなことを書くと、かつて、「戦後の思想」に拘っていた論壇に対して「戦前の思想」を対置させてみた柄谷行人さんの戦略を思い出す。これが、歴史観の問題である限りにおいて、柄谷さんは失敗していると思う。そこから先の柄谷さんは迷走するばかりだ。なぜそうなったのかと言うと、要するに歴史理論の内部での視点の取り方を変えただけだっただからではないだろうか? そうではなくて、「歴史」や「世界史」の枠組みそれ自体の「外側」に行かなくてはならないのではないかと思う。
脳梗塞から復活した栗本慎一郎さんの新刊「パンツを脱いだサル」(現代書館)を読んだ。これと一緒に81年にカッパサイエンスから出た名著「パンツをはいたサル」も再刊されている(本当はもう一冊87年頃出た「パンツを捨てるサル」というのもあるのだが、なぜかここでは無視されている。ウィルス進化論を極端に推し進めたものだったので、本人もなかったことにしたいのであろうか?)が、ところどころ論旨が破綻しているところはあるものの、栗本さんのこうした外部からの挑発的な思考は好きだ。ただ、今回のものでは、人類を根本的に進化の方向が破綻した生き物として捉える見方が強すぎて、国家や言語に対してとてもペシミスティックになっている。まあ、人間の「文化」が「脱ぎ捨てる快感のために作り出された」パンツであるというのは本当だと思うが、その「快感」を外から観察するのと「内側」から体験することの「意味」は違うだろうと思う。
 卒業生についてのエントリーについても三人の「卒業生」からメールをもらった。みんな頑張ってくれ。

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