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2005年8月

2005.08.31

唐ゼミ★の新国立公演まであと四週間

 唐ゼミ★の新国立劇場公演が大変なことになっている。一般発売日の8/27に週末分すべてが売り切れ、そして現在はすべての公演日が完売になっている。確かにすごいことかもしれないが、考えてみたらわざわざ座席数を200に減らしていること。新国立が演劇関係者や役人用にあらかじめ押さえている分もあるし、一週間前に新国立劇場会員向けに先行発売していることを考えれば、元々そんなに沢山の枚数が出ているわけではないのだ。唐十郎作品初登場ということもあるが、他の公演のチケットが軒並み6,7千円もの高値であることを考えると「お得感」があるのかもしれない。
 いずれにしてもわれわれ関係者にさえもチケットが手に入らないのには困った。まだまだこれから予約すればいいと考えているであろう、唐ゼミ★の元々のお客さんにはこのままでは来てもらえないことになる。何とか座席数を増やすか追加公演をしてもらうしか手がない状況だが、何と言ってもお役所のことでなかなか融通がきかない。最新情報は「唐ゼミ★」の「ゼミログ」に掲載されるのでそちらを見てもらうしかない。たとえ追加公演が決まってもまた数時間で売り切れることも考えられる。
 西新宿の芸能花伝舎(元小学校)で稽古を続けていた唐ゼミ★は、今日から新国立劇場のCリハーサルルームに移動する。いよいよ敵の本拠地に乗り込んで行くわけだ。そう、どんなに親切にされていても「敵」であることを忘れてはならない。その前に、30日には「黒いチューリップ」の通し稽古が行われ、唐さんや唐組の稲荷卓央、岩波書店の編集者樋口さんらが見に来た。劇団唐組の秋公演「カーテン」の稽古も佳境に入っているらしく、唐さんは多忙の中にも充実しているようで、いろいろなことを話してくれた。終わってからは前回と同じように稽古場で宴会。唐ゼミ★の現状は悪くはないし、みんなよくやっているのだが、全体的にやや余裕や「遊び」がなくなっているのが気になる。自分のやるべきこと以外に関心が持てなくなってしまうのは余りよくない。周囲にもう少し目を向けて欲しいし、あまり禁欲的・閉鎖的にならずにいま自分たちの周囲で起きていることにもう少し目を向けて欲しい。ゼミログで安達が少し過剰に書いているが、休みなしで二ヶ月働き通しで疲労がたまっている−−それはよく分かるが、世の中にそんな人たちは沢山いるし、過労死に追い込まれるくらい働いている人だって沢山居るのだ。そんなことが問題なのではない。でっかい遊びに向けてみんなが面白がっている時には休みなんてなくたっていいし(ゆっくり寝た方が良ければ別に一日くらい休めばいい)、いまやっていることを極限まで楽しめればそれでいい。同じことでも自分自身が面白がってやっていることなら寝なくても頑張れる。義務感でやっているようでは、それはそれなりの結果しか生まない。明日のことばかり考えて目標達成型に自分を閉ざしてしまうと、スケールが小さくなってしまう。ひとつのことに打ち込むのが美しいという体育会的・禁欲的な考え方だけでは、自分たちの枠を打ち破ることはできない。前と同じことをやったって仕方ないし、相対的に少しくらい良くなったって、それでは負けなのだ。まあ、これはぼくのただの老婆心でそれほど心配しなくてもいいことなのかもしれないが、何人かと話していてちょっと気になった。仕事量を減らして自分を守ろうとするのではなく、こういう時ほど逆に新しい思いつきをどんどん膨らましてくような過剰性や、明日のことを全く考えない無謀さのようなものが必要になってくるのではないかと思う。特に以前体調を崩したり、声を潰したりしたことのある者は自分を守ろうという防衛的な方向に向かいがちになってしまうが、それでは今回のような勝負に勝ち抜いて行けないのではないかと少し心配になった。

 二つの本、アートンの「巨大バッタの奇蹟」岩波書店の「教室を路地に! 横浜国大vs紅テント2739日」の準備が進行中。前者は9/2に見本刷りが出て11日に一般発売、後者は再校ゲラが戻りあとは画像や表紙デザインだけが残されている。こちらは唐ゼミ★公演に合わせて28日発売予定。ちょうどその頃、梁山泊の韓国公演のことも含めて原稿を書いた岩波の宣伝誌「図書」10月号ができあがる。

2005.08.30

全州訪問(その3)

 それにしてもテントが張られたソリ芸術村という施設はとてつもなく巨大だった。劇場、美術館、資料館など大きな建物が広大な敷地に広がっている。そればかりではなく、全州市内にはさまざまな芸術文化施設がある。初日に聞いた道立伝統音楽団もそうだが、舞踊団や、劇団なども数多くある。これらをすべて行政がサポートしているのだ。この背後には、朝鮮民族の伝統文化を守ろうというナショナリズム的な文化政策があることは言うまでもない。ある意味で興味深かったのは、町の繁華街でもテレビでもそうだが、若い人たちは髪の毛を染め、最新のファッションやポップミュージックに敏感だし、ドラマやワイドショーを見ていても、日本とあまり変わりがないようにも見える。だが、彼らにしても伝統文化や民族舞踊を本気で尊敬しているようだ。朴さんが演出する音楽劇も伝統文化に基づいた歴史劇のようなものが多い。要するにこうした文化は彼らの「鏡」として機能しているようなのである。ミュージカルのプロデューサーをしている女の子と話したが、鼻にピアスを入れて、胸元が大きくあいたトップスを来ている彼女が、私は民族ミュージカルが一番好きだと酔っぱらっているにもかかわらず真剣に言っている様子を見て、これが建前でも押し付けられたものでもないことを納得せざるをえなかった。
 考えてみれば、日本人が歌舞伎や能に対してもっている感情と、彼らがパンソリやマダン劇に対して抱いている感情は似て非なるものなのである。つまり、後者においては17世紀頃以来外からの文化的、政治的侵略の中で失われ、破壊され、奪い取られてしまった民族的伝統の「再構築」が問題なのだ。受け継ぐことではなく、作り出すことが問題なのである。日本の支配から解放された戦後の韓国では、こうした民族的アイデンティティの拠り所を、まるでずっと昔に無くなってしまったお祭りを復活させるようにして、新たに見出し、それを現代の世界につなげていくことが重要な課題だったのだ。したがって、韓国の民族主義やナショナリズムとは単なる復古主義ではなく、未来に向けられた構築主義的なものなのである。それは日本のナショナリズムや伝統主義とはその方向性において全く別のベクトルをもっているのだ。もっとも最近の日本の「プチ・ナショナリズム」はまたちょっと異なっているかもしれない。その辺りの微妙なニュアンスが、たとえば韓国人や中国人の反日感情や民族主義を大雑把に抽象的に捉えて、それに反発したり非難したりするようなメディアでよく見られる論調には欠けている。要するにこうしたナショナリスティックな動きは観念やイデオロギーではなく、実際に「生きられた」ものなのだ。
 だが、たとえば日本で「韓国の文化芸術」を紹介するといったときに、こうしたことは理解されにくい。古典的な伝統文化に対する敬意はもつことができても、それが現代においてアクチュアルな意義をもつという感覚が日本人にはない。ましてや、それを現代風にアレンジしたり、伝統楽器で西洋風の音楽をやるというようなことになると、何だかセンスの悪い紛いものを見せられているような気分になることも確かである。中国に行った時に民族衣装を着た女性たちが編鐘(銅鐸のような古代の楽器)を使って、カーペンターズやサイモン&ガーファンクルを演奏した時に感じたような奇妙な気持ち(編鐘は実際にどうやって演奏されどういう音楽に使われたのか分かっていない。音階順に吊るしてバチで木琴のように演奏している)、たとえば女子十ニ楽房が中島みゆきの曲のカバーを演奏していると何かしらキッチュな感覚を受けるわけだが、それは要するに我々日本人が「国際的」(ということは、アメリカ的)な文化市場を暗黙のうちに受け入れているからにほかならない。YMOがかっこ良かったのは英米のヒットチャートに入ったからだし、ハリウッドに進出できれば、グラミー賞や国際映画祭にノミネートされれば一流という感覚でしかわれわれは異文化を受け入れようとしない。韓国映画や韓流ドラマはその壁を突破した訳だが、伝統ミュージカルのようなものはそのままでは難しいだろう。そうなると全州大学の公演を成功させるためにはどうしたらばいいのだろうか。そんなことを考えていた。あのパワフルで熱い気持ちをもった若い学生たちに日本に失望して欲しくないし、受け入れる日本の観客たちにもそれを伝えるにはどうしたらいいのだろうか? 朴さんからのメールを読みながら考えた。
 新宿梁山泊の三浦信子さんから、もう接待はしないと言っていたにもかかわらず、結局翌日のバラシの後も朴さんが焼き肉をおごると言いだして学生たちとカラオケまでして盛り上がったというメールがきた。朴さんはおそらくへろへろになりながらも、パワフルにホームページに動画や写真を続々とUPしている。彼がやっている伝統ミュージカルとはどういうものかは、もう一つのホームページを見るとよく分かる。

全州訪問(その2)

 翌26日、午前中周辺を散歩して回り12時にホテルに戻ると金さんと馬さんが来ていた。すぐに朴さんが迎えにきて車で郊外の宮廷料理屋へ。そこに全州大学芸体能カレッジの学部長・金容善さんと学務主任が待っていてくれて、ごちそうになる。めったに食べられないが、要するに唐辛子がアメリカから伝わる前の伝統料理なので辛くないし繊細でまるで懐石料理のようだ。肉ではなく魚と野菜と木の実が中心でおいしかった。そこで、早速姉妹校協定書にサインをしてもらい記念撮影。直リンクできないのでハングルが分からないと難しいかもしれないが、全州大学演劇学科のホームページに写真や動画が載っている。横に並べられているうちの右から三番目のメニューを開けると写真が見られる。ここのサブメニューの一番右が動画メニューで、26日の芝居の打ち上げの様子がかなり長く収められている。この後、金さんたちはまた大学の施設や伝統音楽団の見学に連れて行かれたが、ぼくは退席して町を1人で見て回る。朴さんはいろいろなところにぼくを連れて回りたいらしくて残念がっていたが、ぼくとしてはこの方が気楽だ。夕方に梁山泊のテントへ。この日は晴天でとても気持ちがいい。客席もほぼ満席となる。芝居も昨日に引き続き素晴らしい出来だったが、何と言ってもこの日一番心に残ったのは終わった後の打ち上げだった。jeonju5
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 89年に、新宿梁山泊は初の韓国公演「千年の孤独」でこの全州に来ている。その頃はまだ日本文化は禁制で、着物を着た日本人が出てくる演劇などはそれだけで石を投げられるような雰囲気だったらしく、実際に梁山泊の公演に協力して職を追われた人もいたらしい。そんな中でも朴さんを始め何人もが献身的に公演に協力してくれた。その公演で日本が好きになり日本に留学した人もいる。そんな人たちが何人も舞台に上がって思いをこめた話をしてくれた。ずっと手伝っていた全州大学の学生たちも口々に「日本人に情が移ってしまった。別れるのがつらい」と涙を浮かべて話す様子を見て思わず感動してしまった。演劇の公演を通してこんな風にいろいろな人の人生が交錯しているのである。
 素晴らしい舞台を務めた近藤結宥花さんが眼に涙を浮かべながら珍しく雄弁にこんなスピーチをした。「みなさん、本当にありがとうございました。みんなの気持ちが純粋に伝わってくるのがとてもうれしかった。私は一月に結婚しました。この韓国公演はそれで休団させて下さいと言って、本当は参加する予定ではありませんでした。でも古くからずっとやっている仲間や後輩たちや金さんから、これはぜったい歴史に残るいいツアーになるから一緒にやらないかとみんなの応援を得て、私はこうして舞台に立つことができました。いろいろあって、ツアーが始まって、こうして全州に来て今日お昼を食べた場所のそばにある、17年前『千年の孤独』をやった会場の芸術会館の長い階段を見て、ああここをみんなで重い垂木を持って上がったなあと、初めて韓国に来た時のことを全部思い出しました。そして、私は休団をすると言っていたのですけれど、みんな演劇の仲間を通じて感じたことは、これが私が生きる道、選んだ道なんだと実感して、そうして古くからの仲間やこうして手伝ってくれたり、応援してくれたりしてくれたみんなのパワーを受け取ってやっと舞台に立つことができました。この気持ちは私のとても大切な宝物になりました」。これまでの経緯を考えると、彼女のこんなスピーチを聴くことができてとても感動した。席に戻ってきた彼女は、私は演劇を続けて行くしかないし、これからも続けて行きたいと目をきらきらさせて言う。梁山泊の立ち上げから18年続けてきたことを改めてこれしか自分の生き方はないと再確認したと話してくれた。この夜があったことで、彼女はこれからもきっと素晴らしい舞台を作り出していってくれるに違いない。そんな瞬間に立ち会うことができてとてもうれしい。jeonju7
 黒沼さん、弐吉さん、大貫君もそれぞれ心のこもったスピーチをする。みんなとてもうれしそうだ。ぼくも呼び出されて、金さんに「室井さんに去年大阪の初日から厳しいことを言われて、何とかそれをはねかえそうと思って、ぼくもずっと苦しんでこうやってここまでやってこられた」と感謝とも嫌みとも取れるような紹介を受けて、朴さんと金学部長からお土産に百済時代からの工芸品をもらったりもした。さまざまな人生が交錯するこうした感動的な時間が一時間近く続いた後、最後のハイライトは朴さんの演出で、手伝っていた全州大学の学生たちが風又の主題歌を舞台で唄うパフォーマンス。二番は梁山泊のメンバーも舞台に上がって全員で肩に手を回しながら歌い、最後に三三七拍子と万歳三唱。みんな感激してお互いに抱き合っている。幸福感に満ちた素晴らしい千秋楽となった。
 その後またまた宿舎で大久保さんや弐吉さん、手伝いに来ていた劇団1980の上原さんや韓国人の女の子たちとワインと焼酎を飲み、結局全州市内のどこら辺にあるのかさっぱり分からないで終わってしまった宿舎からタクシーに乗ってやはり三時過ぎにホテルに帰った。それからは朝10:00のバスに乗ってまたまた長い道のりを移動して夜の10:00前に帰宅。長かった。いろいろなことを考えた。
 とにかく、1月の終わりに全州の学生たちを日本に呼ぶ。もしかしたらその前に全州にまた行くかもしれない。韓国や韓国の現代文化について改めて考えてみたいと思った。朴さんからはメールが三通も届いている。16年ぶりに新宿梁山泊が訪れた全州で起こったことは、何かとてもすごい事件だったのだと思う。こんなことをやり遂げた金守珍と新宿梁山泊はやはり凄い集団だ。それは演劇の海外ツアーというだけのものではなく、さまざまな人生がそこに集中して炸裂したような特権的な時間を作り出したように思われる。そして、それはまだ終わっていない。まだまだこれからもその先のストーリーが続いて行くひとつの途中経過なのだ。そして、ぼくもそのストーリーに参加する機会を与えられたことをとてもうれしく思っている。
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2005.08.28

全州訪問(その1)

 さあ、全州から帰ってきた。四日間留守にするといろいろなことがたまってしまって対応に追われている。やらなくてはならないことの締め切りがいくつも重なっているので、旅行について書こうと思っても、書かなくてはならない印象的なことが多すぎて一度にはとても無理だ。とりあえず、一日目と二日目のことだけ書いておこう。
 もう少し頑張れば良かったのかもしれないが、羽田便の予約が取れなくて成田発になってしまった。仁川空港から直行バスが出ているのでそれでもいいかと思ったのだが、結局バスは金浦空港と汝牟島も経由して行くので同じ事だった。やはり成田は遠い。空港まで二時間、チェックインから二時間、機内で二時間、バスが四時間半、乗り換えやホテルまでの移動を入れると全州までまるまる半日かかる。移動に疲れてしまった。
 日本を立った日はバスの終着駅の全州コアホテルについたのが夜の九時半。地図を見て宿泊先まで歩こうかとも思ったが、周囲をぐるぐる回ってみるととても複雑そうな街に見えたのであきらめてタクシーに乗る。宿泊先の全州観光ホテルは、全州で最初にできたホテルだということだが、ごちゃごちゃとナイトクラブやバーが並ぶ路地にあって、簡素なホテルだった。全州の中心部は古い町並みなので道が狭くとてもごちゃごちゃしている。その周辺に新しく開発された高層の団地や広い郊外道路が広がるといった構造だ。部屋もシャワーと洋式トイレがついた浴室と、オンドルの床になっていてあまり柔らかくないダブルベッドが置いてある。テレビと冷蔵庫とエアコン。ソウルで泊まったのもだいたい似たような感じだったが、今回は給水機も魔法瓶もないのでお湯が洗面所のものしか使えないのが誤算。これではカップラーメンも作れない。近所のコンビニで買い物をしてテレビを見ているうちに就寝。
 翌朝九時半に朴炳棹(パク・ビョンド)さんが、美人の韓国人女性を連れて来訪。彼女はパク・ヒョンヨンさんと言って、全北大学大学院で日本語の勉強をしている。全州大学ともパク・ビョンドさんとも演劇とも全く関係なくただ単にぼくの通訳として連れてこられたらしい。彼女を通してホテルのカフェで打ち合わせ。実は、金守珍さんから頼まれて全州大学の演劇科の学生たちの公演を日本でやりたいので協力してくれないかと言われている。そのために学部間の姉妹校協定を結びたいというので、その手続きをしにきたのだ。ぼくが関心をもったのは金さんの推薦もあるが、彼らが呉泰錫(オ・テソク)の「春風の妻」をやりたいということ。「韓国の唐十郎」と呼ばれ最近は欧米での活躍も目立つこの作家の作品に関心があったからだ。ソウルで呉泰錫さんにはパク・ビョンドさんと一緒に会っている。それを三十人近くの学生たちが日本でやりたいということに関心を持ったのだ。パクさんの車で全州大学へ。山裾に広がる巨大なキャンパスだ。演劇・映画学科は現在新しい建物を建築中で、工事中の施設を見せてもらった。七百人入る立派な大劇場、三百人規模の小劇場、大小のリハーサル室、コンピュータ室、スタジオ、野外の巨大テント劇場まである。もの凄い財力だ。聞いてみると、政府から何百億ウォンの助成金が出たらしい。施設の自慢ばかりでちょっと反発も感じたが、お昼をごちそうしてもらった韓定食屋で話を聞くと、パクさん自身も長い間演劇で食べられずフランス語教師の奥さんの収入に頼っていたが、八年前にこの大学に勤めてさまざまな賞を取るまでに育て上げてようやく評価を得られるようになったところらしい。パワフルだし野心的だ。彼の特徴は伝統楽器を使った音楽や伝統文化を現代に合わせた新しいスタイルにアレンジしていくところにあるらしい。日本公演の時には連れてこられないが五十人規模の民族音楽団と一緒によく仕事をしている。そこで、是非とも聞いてもらいたいということで、わざわざ道立芸術館に連れて行ってくれて、そこで五十人のオーケストラがわざわざぼくのために演奏してくれた。これがなかなか素晴らしい。笛類、打楽器類に加えて、さまざまなタイプの琴や胡弓類のストリングスがきわめて不思議なハーモニーを作り上げている。ちょうど「女子十二楽房」を何倍にも膨れ上がらせた感じだが、それよりもっと複雑でモダンで迫力がある。これには驚いた。
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 そして、本番前の梁山泊テントへ。ソリ・アートセンターという郊外の巨大な複合文化施設の駐車場にテントが張ってあった。パクさんの学生たちが二十人以上ボランティアで入っていて、現場は若やいでいて賑やかだった。全員とても充実した元気そうな表情だったので安心した。ソウルでは疲れていた大貫君も元気そうだったし、近藤結宥花さんの顔色がとてもいい。
 木曜日だったし雨だったこともあって客入りはいま一つだったが、関係者が多いこともあって観客は大盛り上がりで舞台もとても充実していた。今回初舞台なのに天然で目立っている淫腐役の米山君などは、いろいろ小技を開発していて笑える。というか、今回は教授と三腐人が異常に受けている。黒沼さんの怪演もますます冴え渡っているし、近童弐吉さんの高田三郎はソウルの時よりもずっと凄みを増していた。とにかくダンサーや航空兵役まで全員生き生きとしているのがいいのである。ソウルでは唐さんのそばにいなくてはならないので後ろの席で見るしかなかったが、前から四列目辺りの八百屋の裾でじっくり見ることができてうれしかった。近藤結宥花さんの表情の変化がとても良い。まるで上質のジャズのライブのように、彼女の中の感情と身体の動きや表情が台詞と完全にシンクロしながらどんどん相乗的に高まって行く様子がよく分かる。それが伝わるようにして後ろの航空兵や三腐人たちの動きのキレがどんどん良くなって行くのにも興奮した。今回の零戦は後ろの空間がせまくすぐに森になっていたのが残念だが、やはり観客は総立ちで大歓声が起こっていた。
 ソウルとの違いはいろいろあるが、幕前の粗筋のナレーションの量が増え、それをプロデューサーの馬政熙(マ・ジョンヒ)さんが読み上げるようになっていた。できるだけわかりやすくという配慮だろうが、それでも三幕の頭でエリカが死んだと思って織部がショックを受けるというようなシーンの衝撃力が落ちてしまう。二幕でエリカが刺されるところ、エリカが死んだと思い込むところ、織部が刺され、エリカが石で歯を折られるところなど、あらかじめ粗筋を伝えておくとどうしてもインパクトが落ちてしまう部分が惜しい。
 宴会が終わった後、一緒のバスに乗せてもらい彼らの宿舎の学生寮。近くのサウナにつきあうということだったのだが、結局は大久保鷹さんの部屋で二人で三時前まで焼酎を飲んでしまう。大久保さんの話をいろいろ聞きながら、いずれにしてもとても大きなプロジェクトをこの劇団が現在成し遂げていることがよく分かった。どうして、もっと日本からメディアが取材に来ないのだろうか。ここで起きていることは、どんな「文化交流」よりももっともっと凄いことのはずなのに‥‥。流石に二人とも眠くなって、どこか町の北の方だと思うが全然自分がどこに居るかわからない場所から何とかタクシーを捕まえてホテルに戻った。

2005.08.23

明日からまた韓国へ

 今度は全州に。おいしいものが食べられそう。
 20日は西新宿の芸能花伝舍で、劇団唐ゼミ★の「盲導犬」の第一回目の通し稽古が行われた。
 唐十郎と舞台監督の鳥山昌克、美術の久保井研、「黒いチューリップ」のオーディション組(17名)、新国立の制作、広報、技術のスタッフ総勢45名近くが顔を揃えた。禿恵、渡辺幸作バージョンでの通しが終わると、全員で宴会。過酷な韓国訪問から帰ってきた唐さんは、さらに二日間にわたるテレビ番組のロケで炎天下10時間も仕事させられたということで相当疲れている。それでも、機嫌良く8時過ぎまで飲み続けて、中野と鳥山とぼくの三人で高円寺の自宅まで送って行った。しかしまあ、しゃべっていることが何しろ元気である。今週から「黒いチューリップ」の稽古に入り、九月からはいよいよ敵の総本山・新国立劇場のCリハーサル室に移動する。
 韓国ツアー中の新宿梁山泊の三浦信子さんからメールで、大入り袋用の五円玉が足りなくなったので、日本から持ってきてくれないかと言う。どうやらテグ公演も客入りが良かったようで結構なことだ。大塚さんも日記形式で早速レポートしてくれている。
大学では学長と面談。唐ゼミの新国立公演への支援を取り付ける。
 帰国は土曜の晩になる。

2005.08.18

リンクしまくり、画像貼りまくり

 「劇団唐ゼミ★」の新国立劇場のチラシが完成した。表がこんな感じ。
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昔の紙芝居の絵だが、唐十郎が選んでくれた。群がる敵の頭上に鞭をふるって襲いかかる謎の仮面男と少年のイメージで新国立に立ち向かって行く。今日は午前中にDMや招待の袋詰めをやって、西新宿芸能花伝舍の稽古場へと戻って行った。暑いせいもあるが、みんな寝不足なのか疲れ気味。何とかここを乗り切って欲しい。チラシの裏側には、西堂行人、堀切直人、松本修、皆川知子各氏とぼくのテキストが掲載されている。みんな勿体ないほどのいい文章を書いてくれた。このチラシは唐ゼミ★のDMで送られるほか、新国立オフィスに置かれる以外、あまり外に出回らない。大学内にだいぶバラまいたが、一研の1F,5Fに少し置いておいたので学生は取りにきてほしい。
 そう言えば、このあいだ取材に来た「代ゼミジャーナル」の「研究室紹介」の記事が送られてきた。こんなものも予備校生以外には出回らないものだろうから、ここでもちょっと紹介。大書店の受験生コーナーには置いてあるらしい。
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ついでに、「教室を路地に!」の書籍データがアマゾンに出ている。それから編集の樋口さんが書いてくれた岩波書店の紹介コーナーの文章がこれ
 ついでに、山田真介さんが送ってくれた「巨大バッタの奇蹟」新表紙案のイメージ。実際にはもっとすっきりとシャープなものになる予定だがこんな感じになる。
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 両方ともぼくの本としては珍しく2000円を切る予定で、楽しみだ。教科書指定にはしないが(そういうタイプの本ではないが)大学生協にも少し配本してもらえるように連絡をした。
 来週訪れる全州にある全州大学校のパク・ピョンドさんとメールのやり取りで、学部同士の姉妹校協定を結ぶための準備を進める。新宿梁山泊のサイトでは韓国ツアーの中間レポートが出ているが、どうなっているのか楽しみでも心配でもある。いつもここを読んでくれているらしい大塚聡さんたちが今週大邸に行くらしいので、是非、来週の「阿佐ヶ谷日報」で状況を教えていただきたいものだ。大貫誉君の秘密blogはいつもチェックしている。ここここ。「余りバラさないで下さいよ。内輪の愚痴とか書けなくなるじゃないですか?」と言われているので、最後にさりげなく書いておく。

2005.08.14

「唐版・風の又三郎」ソウル公演

 新宿梁山泊の韓国テントツアーのハイライト、ソウル公演に行ってきた。場所は国会議事堂がある新都心・汝牟島(ヨイド)の漢江沿いに広がる漢江市民公園。いわば中之島だが、スケール感が日本とは全く違う。漢江自体が幅1kmもある大河だ。いつもは大きく見える梁山泊の紫テントが広々とした河川敷の中でぽつんと小さく、心もとなく見えた。DSC06297
初日は雨のせいで客入りはもうひとつだったらしいが、ぼくが入った12日は8割方、13日の千秋楽は席が足りなくなるほどの超満員(500人位か)だった。「朝鮮日報」にも大きく扱われたらしい。唐十郎も娘さんの美仁音(ミニオン)と一緒に入り、12と13の二日だけ幕開きで特別出演を果たした。日本からわざわざ来ている人もほくばかりではなく7,8人はいる。唐組公認ファンサイト「唐ファン」の管理人の〈夜光〉さんのように先週から二週連続で見にきているという凄い人もいる。72年に唐が戒厳令のソウルで「二都物語」の無許可上演を決行したのが、日韓の演劇交流の始まりと言われている。その時に顔を合わせている唐と大久保鷹、金芝河とその弟子で韓国で2000回以上上演されているロック・ミュージカル「地下鉄一号線」のキム・ミンギらが再び顔を合わせるということだから、いわば歴史的な出来事なのだ。その他に、「韓国の唐十郎」と称され、最近国際的な活躍が目立つ呉泰錫(オ・テソク)や数々の演劇・映画関係者もやってきた。DSC06308
 2003年から三年間も続けているこの作品は、演出・金守珍の手によって何度も姿を変えてきた。ほぼ完全版に近い2003年版は上演に四時間以上かかったが、圧倒的な迫力で素晴らしかった。それを縮小して2時間40分にした昨年版では、より洗練を加え分かりやすくなったとは言え、印象的なシーンが随分カットされてしまったのが残念だった。そして、今年の韓国版は3時間版。舞台稽古も見せてもらったが、今までで一番良い。その理由としては、新宿梁山泊旗揚げメンバーである黒沼弘巳、近藤弐吉を加え、1人の客演もない新宿梁山泊独自のカラーを貫き通していること。そして、すべての幕がそうだが、とりわけ三幕を変えることによって、より自然でダイナミックな作品に変貌している。そして、役者一人一人が自分の役割をよく理解しており、無駄のないアンサンブルを作り上げていた。主演の大貫誉と近藤結宥花のせつないまでの気迫に満ちた演技が本当に素晴らしい。こうなると、何しろ100本以上にも及ぶ唐十郎作品の中でも最高傑作と呼ばれるこの作品が素晴らしくならないわけはない。いとも簡単に言葉や国境の壁を越え出ていた。
 そして、韓国の観客たち。一部だけハングルと字幕を入れた上演で分かりにくかったかと思うが、こんなに反応のいい観客は初めてみた。日本では大阪の観客のノリがいいと言われるが、その数十倍はテンションの高い観客たちだ。長い芝居であるにもかかわらず、よく笑い、よく声を出して反応するし、最後の零戦が飛ぶシーンでは大歓声と大拍手。そのまま役者紹介まですざまじい拍手と歓声が続き、12日には観客全員が総立ちになって熱狂していた。また、こうした観客たちが役者をさらに乗せていてくという相乗効果で、千秋楽は大盛り上がりだった。二日とも終わった後は大宴会。結局2:00過ぎまで宴会が続いた。
 そんな中、今回実力をめきめきと伸ばしている大貫君ら4人が腰を痛め、近藤結宥花さんが体調不良、コビヤマ洋一君が原因不明の高熱を出すなど過酷なスケジュールによるダメージも大きいらしいが、しかしそんなことを忘れさせてしまうほどの大迫力で全員が頑張っている。あの拍手と大歓声を受けたら、それは頑張れるだろう。最後の借景は漢江にかかる橋。写真では分かりにくいが夜景に映えるイルミネーションが美しい。
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 でもって、実はもう一度韓国に行くのである。二週間後に全州に行く。金守珍さんに乗せられて、韓国とちょっとつながりをもつことになったので、その打ち合わせも兼ねてまた行ってきます。

2005.08.10

なあるほど、こういう仕掛けだったのか

 昨日は何と5000アクセス超。何をかいわんやである。もちろんいろいろな人が言及してくれたからだが、一番の理由はいわゆる「アンテナ系」あるいは「クリッピング系」blogからのリンクで、しかもエントリーの中でちょこっとだけ触れた「ホワイトバンド」に反応しているものが多い。何だ、そんなことで集まるのか。確かに、うちのオープンキャンパスでの学生の企画がどうこうということに、そんなに関心が集まるわけないものね。
 キーワードやフレーズ検索から見知らぬ人が集まってきて、そこでさらにブックマークをつけてくれる人のフィルターを通して集まって来るわけだ。そうすると、またまた趣旨がねじまがって受け取られ、たとえば「専門家のどこが悪い」とか「専門学校生を馬鹿にするな」とかいう変な反応が広がっていく。こういうのは、ワード検索やフレーズ検索というものが引き起こす悪しき脱文脈化の効果である。一応、ぼくたちがやっている仕事は、「文脈を作り上げて行く」という作業なので、こういう反応を目にするとすごく疲れる。ちなみに補足しておけば、文脈とは、いつ、どこで、だれが、何について、誰に向けて、どのような状況で語っているかということである。それを抜きにして、単なる言い回しや言葉尻だけを捉えられても返答のしようがない。というわけで、やはり100人程度の、いつもここを読んでくれる人たちだけを相手に書いていきたいものだと思った。
 あのね、確かに「現実」の大学は専門学校と大差ないかもしれない。下手したら負けることもあるかもしれない。だけど、一応大学で働いている人間が専門学校よりもずっと高度なことをやっているのだと言えなくなってしまってどうする? 別に中卒でも高卒でも専門学校卒でも、個々の人間として劣っていると言っているのではないよ。そんなのは本人次第に決まっている。だけど、「大学」が「専門学校」よりも「上」なのだとはっきり言えなくなったら、そもそも大学の存在価値はなくなるではないか? じゃ、それは何なのかということを言いたいのだ。
 世の中には専門家であるとか、プロであるとかいうことに変なプライドと誇りをもっている人が多いが、じゃそんな「専門家」による文明(専門分化主義)がいつどこでどうして発生したのかを考えたことがあるのだろうか? マックス・ウェーバーを持ち出すまでもなく、たかだかこの二三百年のことにすぎない。パスカルだって、ライプニッツだって、ケプラーだって、空海だって(‥‥以下略)、専門家などではなかった。専門家とは、近代の生み出した社会システムに対する人間の部分的隷属形態(マルクスなら「疎外」と呼ぶような)にほかならない。要するに歯車とネジのことであり、人間がそうした「役割」や「機能」に限定されることだ。つまり、「専門家でしかない」という条件を引き受けざるをえないのが、近代以降に生きる我々の根源的な不幸なのである。専門家やプロでなければ世の中から認められない—これは、悲しいことなのであって、けっしてうれしそうに語ったり、自慢したりすべきことではないでしょう。ましてや、それに居直って「全然本は読まない」とか「直接自分が体験したことしか信じない」とか言っている人たちは、知的な欲望を中断し放棄していると言わざるをえない。専門家であるということは、だから社会的には尊敬されることであっても、生き物としての人間としては恥ずべきことなのだ。少なくともぼくは哲学や文化理論をやっているのだから(それらの「専門家」にすぎないと見なされる悲しい現実はあるが)、大工の親方や自動車修理工や経済効果の計算をしたり、アンケートの集計をしたりするだけの社会科学者のような「専門屋」ではありたくないと思っている。この人たちはみんなとても「便利」な人たちだけど、それ以上ではない。あるいは、それぞれの個人は必ず「それ以上」の存在であるはずなのに、そのことを自分たちが忘却しているのである。

 昨日は岩波書店の宣伝誌「図書」のための原稿を書いていた。9月には書店に置かれるので是非読んでいただきたい。今日は、唐ゼミ★が稽古場にしている西新宿の芸能花伝舎を覗いてから、アートンで「巨大バッタの奇蹟」の最終校と表紙デザイン会議をする。明日は大学に顔を出して、明後日からはソウルに出発である。こんな感じらしい。一方唐ゼミの方はこんな感じ

 そうそう、忘れていた。iMacG5が預けてから一週間で戻ってきた。やっぱり強いクレームをつけるとすぐに対応するんじゃないか? それでも三ヶ月近くかかっているけどね。とりあえず、これでようやく元の快適な環境に戻れる。

2005.08.09

あれれ

 どうしたことか、昨日のアクセス数が1000を越えている。オープンキャンパスで、Googleで「室井」と検索するとなぜかぼくのサイトが一番上に来るよと言ったせいなのか(あんなこと自慢するなんて先生も大したことないですよ、と説教されて悔しがっている学生に言い返されたが)、トラックバックした人もしない人も自分のエントリーで言及してくれたせいなのか(増田さん、読んでますよ。みすずの本読ませてもらいます。今度美学会で声かけて下さい)、blogではこういうことが起こるのだとよく分かった。内田さんみたいにまじめにやっていると、みんなRSSリーダーに登録して一日の読者数数千みたいなことになるのだろうな。でも、以前のエントリーに書いたように、パブリックなメディアと考えると息苦しくなるので、やはり見放されるようにいい加減に書いて行こうかと思う。今夜も酔っぱらっているし。
 今日は唐ゼミ★の荷積みの日で、美術を担当する劇団唐組の久保井研が大学にやってきて、仮組した舞台装置を点検してくれた。「盲導犬」と「黒いチューリップ」三幕分、計4パターンの舞台装置で、7月20日から唐ゼミが一日の休みもなく毎日15,6時間ぶっ通しで炎天下の中作り上げた装置だ。物量的にももの凄く多く、よくまあこれだけのものを手作りで作り上げたものだと思う。それを初めて組み立てて自分たちが上がる舞台の様子を眺めているメンバーの顔には憔悴は見られるものの、とてもうれしそうだった。近頃の若い者は本当によく働く。結局、自分たちが作っているのだという自覚が全員に行き渡っているから手を抜くことができないのだ。明日から西新宿の新国立の稽古場に移動する。さあて、ここからが勝負で、新国立の権威に取り込まれて打ち負かされるか、一波乱作り上げることができるかという勝負だ。キャパが200位で12回公演なので意外とチケットは売れるらしいが、27日から新国立でチケット発売なので、一度試しに見にきて下さい。日替り公演なので、唐ゼミ的には一度だけ見るなら「黒いチューリップ」がおすすめ。「盲導犬」は誰が何と言っても傑作だけれどね。
 ソウル行きが近づいてきた。「唐ファン」というサイトを運営している藤澤さんは先週末見てきたらしい。実はいろいろな事情で、全州公演にも行かなくてはならず結局今月は二回も韓国を訪れるわけだが、とにかく楽しみだ。観客たちの反応はどうなのだろうか。前出の大貫君がblogを更新しているこれこれ

2005.08.07

補足するなら‥‥

 1. どうして、そんなにそれなりに一生懸命にやった学生に対してきびしいことを言うのかと思われるかもしれない。
 周囲に「ものを作りたい」という学生が増えて行けば当然そういう安易な考え方をするものも増えていく。それは芸大や美大だって同じことだ。分かりきったことだが、芸大だろうが美大だろうが東大だろうが、先生も学生も大半がダメダメな奴らに決まっている。世の中にはそんなに面白いものは存在しないし、ほとんど全部は屑の固まりのようなものだ。だったら、あきらめて「まあ、お前らにしてはよくやった」と褒めて上げた方が人を育てることになるのではないかと思われる方もいるかもしれない。最近はこの「褒めて育てる」教育が流行りだ。受験勉強とか陸上競技とかやることが最初から決まっていることならそれもいいけどね。そう、問題はどっち向いて走るかということなのだ。お前ら走っている方角が違うだろ?とちゃんと言ってあげることは重要だし、それを見ている他の学生たちにもそれを分からせてあげることは重要なのではないかと思う。だから、ぼくは断固として「壁」となって立ちはだかろうと思っている。広告のコピーとか、音楽のPVとか、イラストとか、コミックとか、アニメとか、J−POPとか、DJとか、娯楽映画とか、トレンディドラマとか−−そんな屑の中で育ってきて、そんな屑をおいしい食べ物だと錯覚して、それと似たようなものを作ることが「クリエイティヴ」だと思い込んでいる奴らだって、壁として立ちふさがり、前にも後ろにも進めない「ごきぶりホイホイ」の粘着シートの上に置いてやれば、粘着シートごと持ち上げて飛び上がったり、脚をちぎっても逃げ出して行ったり、見ていて驚いてしまうようなすごい力を発揮してしまうこともあるのだ。嶋本昭三が言っているように、こんな風に人の100の力が200にも300にも膨れ上がる瞬間だけが面白いのである。そういう「場所」を作り出したいと思っているし、そういう活動があれば全力で支援したいと思っている。オープンキャンパスに関してはその完成度やスタイルが問題なのではない。やっている連中の取り組み方や方向性、プロセスが気に入らないのだ。これは絶対に譲れない。もっともこれに関わった四年生の大半は業界や放送局など、そこそこ適当に「クリエイティヴ」な会社に何の疑いも持たず就職していってしまうわけだけどね。まあ、そこでサラリーマンをやってみればいい。

 2. そういえば、オープンキャンパスが終わった後、別の学生が訪ねてきて、「私たちは餅つきをやろうと企画したのですが、せんべいの真似だし、暑いから食べ物はどうだろうと言われて、そうだなと止めることにしたんです」と言う。「やったら良かったじゃん」と答えた。ただ、確かに餅つきだけでは芸がなさすぎる。IAMASの「手打ちうどん」でもそう思ったが、「何をやるか」(コンテンツ)ばかりに目が行き、「どうやるか」(プロセスとメディア)に目がいかない。何しろ世の中が「コンテンツ」流行りだからね。ぼくは、一貫して「コンテンツ」志向の奴ほど「中身がない」奴だと主張し続けている。大学祭が嫌いなのは、やきそばやお好み焼きやラーメンなどを作って「意外とうまい」と言われて儲かることだけを目的にしている奴らばかりだからだ。「食べる」ということをもっとつきつめて考えればいいじゃないか。たとえば、みんなで可愛い子豚と遊んだ後で、そいつを殺害して丸焼きにして食べるとか、地鶏のヴィデオを作って感情移入させまくったあげく、みんなの前でそいつの首をねじ切り、鳥鍋にしてみんなで涙を流しながら食べるとか、商売でやっている人にはけっしてできないような形で、食べるという行為を感動に変えることだってできるじゃないか? 手打ちうどんについてもいろいろな助言をしたけど、どうだったのだろうか? 

 3. 「ホワイトバンド」や「ライブエイド」などの「慈善事業」や「ボランティア活動」に文句をつけると、すぐに「それでもそれで一人でも助かる人がいるならいいじゃないですか?」とか、「何もしなければ世界は変わらないじゃないですか?」とか、「こういうことの積み重ねで世界はもっと良くなるのではないですか?」とか言われる。アムネスティそのものが、新聞記事で見た見知らぬ外国の政治犯を救出しようというイギリスの弁護士の活動から始まっている。その後は、いろいろな利権にまみれた機関から活動資金を得て広がっている。新聞で見た、テレビで見たということから、地球の裏側に住む人たちを救出したいという素朴な衝動が、政治的に組織され「善意」が抽象化され商品化されていくのは醜いと思う。それ以外に、悲惨な状況に置かれている人たちを救う手段はないのだから、募金すればいくらかでも世界が変わるのではないかというような期待には、残念ながら何の根拠もない。どうすることもできない悲惨な世界を「知ろうとする」ことからしか、何も始まらないのだ。もちろん、個別のケースについてまで否定しようとしているわけではない。自分たちもバッタの時にはずいぶん募金者や善意の協力者たちに助けてもらった。だが、それはあくまでも個別の関係なのだ。協力してくれた人たちもまた自分たちの欲望から協力してくれたのだから、対等の関係だと思っている。だが、メディアを通した「募金」や「署名運動」となると話は別だ。「ホワイトバンド」は、駅前で偽の募金を募るいかがわしい団体や、寄付金を集める宗教団体と全く同じ仕組みのものだ。「赤い羽根」もそうだけどね。ああいう「免罪符」を身につけて何かいいことをしていると思いこんでいる人たちはいったい何を考えているのだろう。子供たちに「赤い羽根」を売らせるような(そういえぱ、ぼくも昔売らされたなあ)政治的仕組みの底に隠されているメカニズムが何なのか、そういう人たちはけっして考えようともしない。

2005.08.06

やるせない

 5日と6日は、大学のオープンキャンパスだった。一年のうち一番暑いこの季節に、しかもごていねいに二日間もやっている。何だか知らないが、親子連れとかカップルとかの受験生がわさわさ押し掛けてくるのである。国立大学も独法化してさすがに学生確保に真剣に取り組まざるをえないのかと思われるかもしれないが、実はそうではない。たんに「他もやっているからやっている」にすぎないのだ。7,8年前に、新学部を作った時に、大学の広報体制の余りの不備にあきれ果てて学長や大学本部に乗り込んでいろいろな働きかけをした。その後、広報予算は格段に増え、広報室も作られ、4,5年前にはぼくが手作りに近い形で作っていた「大学案内」も業者委託になった。印刷代を別にすれば八十万円しか出してくれなかった制作費もいまや何百万円にも膨れ上がっている。だが、中身はと言うと、信じられないことにその時よりもむしろ「悪くなっている」のだ。金をかけることと「ちゃんとやる」こととは全く違うのである。もちろん、これはぼくが騒いだからではなく、単に営業努力をしていますというポーズを取りたいから自然にそうなったにすぎない。
 どうせ何人かはここに見にくるのだからはっきり書いておくと、とにかく今回のオープンキャンパスの企画に関わったウチ(マルチメディア文化課程)の学生はダメダメだった。浴衣を着てやったのが悪かったわけではないし、分担を決めて受付や案内をきちんとしたことも悪かったわけではないし、リハーサルをやったにもかかわらず一日目に機材の不調で予告していたストリーミングができなかったのが悪かったわけではない。どうせなら、就職や進学なんてしないで夢を追い求める学生も半分は入れて欲しかったが、有名企業に内定した四年生たちの「就職内定自慢座談会」だって、つまらなかったけれど何とか我慢することはできる。そうではなくて、ことに当たる根本的な「構え」が全然だめなのだ。テレビの公開放送の中途半端な真似事がしたくて、必要もない6台ものカメラをつなぎ、ちっぽけなプラズマディスプレイに画面を切り替えて見せるというようなどうでもいいシステムにばかり凝った挙げ句、どこにでもありふれた凡庸なイベントになっている。その志の低さが情けないのである。ストリーミングなんていうのは、どっか隅の方でやりたい奴がこそこそとやっていればいいことで、そんな専門学校の奴らがやりそうなことを得意げに見せてどうするのだと言いたい。そこには知性やセンスのかけらもない。こういうのを本末転倒と言う。要するに企画そのものがダメダメだし、「他にはないものを作りたい」という真っ当な意欲と気概に欠けているのである。この程度でいいだろうという甘えが目立ち、テレビ中継の真似事をしていることに何か意味があると思い込んでいるので、ただの文化祭的な学生イベントに終わってしまった。
ぼくはマルチを作った時から、ここでは日本のどこにもないようなことをやりたいと思ってきた。それは、バッタをやった時にせよ、唐ゼミ★にせよ、ラッピング・バスのデザインにせよ、最近の基礎演習の成果にせよ、ある程度は実現できてきたと思っている。学生たちもよくそれに応えてきてくれたし、ぼくが逆に目を見張るような経験も数多くしてきた。それだけに一部の連中にこういう中途半端なことをやられると本当に腹が立つ。美大の真似っこや映像学科の真似っこや放送局の真似っこみたいなことをやってほしくない。もっと大きな志をどうして持てないのかと思うし、その次にはそんな学生を作ってしまった自分自身に腹が立ち、情けなくなってくる。
 二日目まで我慢して、直接中心になって動いたと思われる学生を叱ったのだが、信じられないことに彼らは何を言われているのかよく分からないらしい。その上に、自分たちは企画の責任者ではないと責任を回避しようとする。技術的な失敗は予算が足りなかったからだと言い訳をする者もいた。そこまで自覚がないとは信じられないことだ。手伝った一年生たちも含めて、関係者全員が結果に対して責任を感じるのが当たり前のことではないか? と言うよりも、責任を取らないことには最初からいっさい手を出すなと言いたい。それじゃ、小役人や官僚と同じではないか? そんな自分の尻も拭けない奴らに面白いことなどできるはずはない。そんな中途半端なことをしてもいいのが大学だなどと思っているならとんでもない。
 ‥‥と、ひとしきり、怒りまくった後、少し冷静になって他の何人かとも話をした。多少はショックを感じてくれているようである。要するにどうすれば面白いことができるのかが分からないのだ。基準軸がない。集団の作り方もプロジェクトの進め方もきわめて下手だ。結局、みんなが不満と疑問を解消できないままでここまでずるずると来ていることが分かった。だから、誰も責任を取ろうとしないのだ。でもね、テレビ局とか広告業界とかサブカルとかエンタメとか、要するにその場しのぎの商売で食っている「現場思考」みたいなものしか「クリエイティブなこと」として参照できないという状況が根本的に「貧しい」と思わないまま、そんなものの真似事をすることに何か意味があると言い切る学生を相手にしていると、本当に何でこんなに長いことかけて、ぼく(たち)がずっと言ってきたことが分からないのだろうといい加減情けなくなってくる。
 どうしてこうなるのだろ? うーん、何だろ? 無知かな、やっぱり。こないだ永山則夫の「無知の涙」を読んで感動しましたという一年生と話したけれど、永山が向かった方向があれで良かったかどうかは別とすれば、いまあの本はもっと若い人たちに読まれてもいいのではないかとも思う。
 たとえば、その連中の一部が無邪気に腕にホワイトバンドをしているとかね。こう言っても分からない学生のために説明すると、この運動の中心となっているアムネスティ・インターナショナルやその他の国際的NGOが基本的にアングロ=サクソン系の政治団体であること。彼らの偽善的な「慈善」活動の資金としてホワイトバンドは利用されているということ。第三世界の貧困の原因は主としてアメリカ合衆国を中心とするグローバリズムと拝金主義の支配する世界市場経済によって人為的に生み出されているものであること(たとえば大国の都合による貨幣の交換レートの一方的な押しつけが極度の貧困を生む)。彼ら、そして日本人である我々の市場経済そのものの歪みがこのような格差を生み出している原因なのであり、それはけっしてODAとか「善意の」寄付金とかによっては償うことも解決することもできないこと。さらにODAでダムやプラントを作って日本企業が現地での暴利を得るだけでは足りずに、それらを巨額な借金としてそれらの地域に押し付けていること‥‥などなどの事実をすべてなかったことのように隠蔽し、要するに悲惨な貧困状態を生み出している当の本人が「みんなの善意で貧困をなくそう」などと唱える不気味で非道な「慈善」運動であることなどが、全く分かっていない。今年からオープンキャンパスに参加した新任の彦江君が、横からしきりに「余りに視野が狭すぎるから、やっぱり政治哲学の授業を新設しましょうよ」などと話しかけてくる。そういうものでもないだろうとは思うが、とにかく、J−POPやマンガや広告や放送などといった自分の身の回りの狭い世界の外に広がる広大な現実が全く見えていない。
 そう言うと、すぐに今の子は「情報が溢れているのですからすべてのことを知ることなどできないし、少なくとも別な意見をもっている人も多いのですから、一概にそれが正しいとも言えないのではないですか」みたいなことを言う。そうではない。もちろん「一概に」正しいものなどは存在しない。「真実」とは、相手に対してそれを全力で主張し、説得するという個別の「行為」の中でしか存在できないのだ。そういう努力もせずに、価値相対主義にやすやすと逃げ込んでいくだけなのなら、そこには「正しさ」もなければ「面白さ」も存在しえない。「知らない」ことや「見えない」ことが「無知」なのではなく、「知ろうとしない」「見ようとしない」ことが「無知」なのだ。「すべてを知ることはできない」とあきらめるのではなく、「すべてを知りたいという欲望をけっして放棄しない」という姿勢をもたない人ばかりになれば、世の中はつまらない「プロ」や「専門家」だけの世界になってしまう。そして、「専門家」とはいくら偉そうな顔をしていても結局のところは「洗練された自動車修理工」のようなものにすぎず、人間の能力の一部だけを社会に組み込まれる形に肥大させた奇形的存在にすぎない(そして、まさしくそんな世界がグローバルな貧困を生み出している犯人そのものなのである)。そんな存在でしかないことは根本的に貧しいことだし、やりきれないことなのだ。「それでどこが悪いんですか」とかたくなに言い張る学生たちを見ると、本当に情けなくやるせない。お前らがつまらないわけではないと信じたいが、とにかくお前らが今やっていること、これからやろうとしていることはやっぱりとてもつまらないことなのだとはっきりさせておきたい。

2005.08.04

大垣、山中湖、大学

 岐阜県大垣市にある「情報科学芸術大学院大学/岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー」、通称IAMASという不思議な学校がある。メディアアートを中心としててテクノロジーとアートを結びつけるというコンセプトで作られた学校で、ここでは初代学長の坂根厳夫さんの時以来、シンポジウムや特別授業で訪れている。最近は学際領域特講という授業で佐々木正人さん、佐倉統さんと一日ずつ集中講義を担当しているのだが、毎年この猛暑の時期に大垣を訪れている。というわけで、8月1日の晩は吉岡洋、横国の室井ゼミを出てIAMASで働いている植田憲司君、先日の記号学会の時に東京にやってきた山田君、稲川君と大垣駅前の「和民」で再会を祝す。次の日に集中講義をやって夜に横浜に戻るという日程だが、今回面白かったのは、山田君たちが週末のオープンハウスに向けて「手打ちうどん」作りに取り組んでいるという話。メディアアートの学校なのにうどんを作るというのは、ぼくが書いた「せんべい作り」ともリンクしている話だが、なかなか面白い。授業の日の昼ご飯は、試作品第三作目の讃岐うどんを食す。腰が強くてなかなかうまいが、滑らかさと光沢に欠けている。話を聞いて思ったのは、チームワークが悪く、結局は一人一人ばらばらの開発になってしまっていることだ。個人の力を100%出すのではなく、集団の相乗作用で200%,300%にしていくような仕掛けが欠けている。このままだと、素人そば打ち大会に出場する凝り性の親父のようなものになってしまうので、何か根本的に違う仕掛けを作ったらといろいろ助言する。どんなものになるのか楽しみだ。
 うちの大学も明日、明後日とオープンキャンパス。今年は単に「メディア基礎論」を三十分やるだけで中身には全く関わらない(やりたがっている人たちが他にいるので、勝手にやってもらうことにしている)。オープンキャンパスが面白くなるかどうかは、やっている側が、「オープンキャンパスなんて、やる意義など全くない無駄な行事だ」ということをきちんとわきまえているかどうかにある。これが分かっていないと、何をやっても押し付けがましく退屈なものになってしまう。そういう意味では今年のうちのオープンキャンパスも徹底的に駄目なものになりそうだ。自分たちだけ盛り上がってどうする? そもそも、オープンキャンパスに来るような受験生にロクな人間はいないと思っていた方がいい。そんなものを馬鹿にして来ない受験生にいかにして関心をもってもらうか、いかにしてアピールするかということを考えていかなくてはならないのに、ネットでそのまんまストリーミングなんてしてどうする?と思うね。どうせなら、ずっと画面には「放映はできません」とか「ただいま放送事故が起こりました。放送は一時中断します。」とか流していた方が全然面白いのにね。そういうセンスが全くないのだから困ったものだ。駄目だと言われる前にもう少し考えろと言いたい。「リデザイン」展をやっている学生諸君もそうだが、どうせ何かをやるのなら、いったいそれにどんな意味があるのか、誰に認めて欲しいのか、誰からつまらないと言われると悔しいのか、誰が責任を負うのかを徹底的に考え抜いた方がいいよ。そこをなおざりにしているから、なにをやっても中途半端なことになってしまうのだ。まあ、こっちの方はまだ時間があるから間に合うけどね。オープンキャンパス組はもう遅い。
 3,4日は、恒例の山中湖唐組「乞食城」での稽古場公演。秋にやる「カーテン」の縮小版を見せてもらう。今回は外部のお客さんの数が多く、宴会や朝食の準備も大変。91年に初演したロールプレイグ・ゲームをモチーフにした作品「電子城2」のリメイクだが、奇想天外な発想が矢継ぎ早に繰り出される分裂症的な作品だ。毎日炎天下で作業中の唐ゼミのメンバーは来たくてもほとんど来ることができず残念そうだった。山中湖はやはり涼しく、御殿場に降りてくると外の気温が急速に上昇した。もっとも、その前の大垣の方が数倍暑かったけれど。
 さらに、大垣行き前には、岩波書店の「教室を路地に」の原稿追加分を仕上げ、山中湖に行く前にアートンの「巨大バッタの奇蹟」の入稿前のゲラの最終チェックをやる。いろいろ問題があって、ばたばたと指示を出す。もっと大きな事件は、入稿直前で郭さんからの指示で、表紙デザインが変更になることになった。というわけで、前回紹介した表紙は消えてなくなる。もっといいものになるのだから問題はないが、バッタのイラストが可愛かったのでちょっと残念もある。

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