« 大垣、山中湖、大学 | トップページ | 補足するなら‥‥ »

2005.08.06

やるせない

 5日と6日は、大学のオープンキャンパスだった。一年のうち一番暑いこの季節に、しかもごていねいに二日間もやっている。何だか知らないが、親子連れとかカップルとかの受験生がわさわさ押し掛けてくるのである。国立大学も独法化してさすがに学生確保に真剣に取り組まざるをえないのかと思われるかもしれないが、実はそうではない。たんに「他もやっているからやっている」にすぎないのだ。7,8年前に、新学部を作った時に、大学の広報体制の余りの不備にあきれ果てて学長や大学本部に乗り込んでいろいろな働きかけをした。その後、広報予算は格段に増え、広報室も作られ、4,5年前にはぼくが手作りに近い形で作っていた「大学案内」も業者委託になった。印刷代を別にすれば八十万円しか出してくれなかった制作費もいまや何百万円にも膨れ上がっている。だが、中身はと言うと、信じられないことにその時よりもむしろ「悪くなっている」のだ。金をかけることと「ちゃんとやる」こととは全く違うのである。もちろん、これはぼくが騒いだからではなく、単に営業努力をしていますというポーズを取りたいから自然にそうなったにすぎない。
 どうせ何人かはここに見にくるのだからはっきり書いておくと、とにかく今回のオープンキャンパスの企画に関わったウチ(マルチメディア文化課程)の学生はダメダメだった。浴衣を着てやったのが悪かったわけではないし、分担を決めて受付や案内をきちんとしたことも悪かったわけではないし、リハーサルをやったにもかかわらず一日目に機材の不調で予告していたストリーミングができなかったのが悪かったわけではない。どうせなら、就職や進学なんてしないで夢を追い求める学生も半分は入れて欲しかったが、有名企業に内定した四年生たちの「就職内定自慢座談会」だって、つまらなかったけれど何とか我慢することはできる。そうではなくて、ことに当たる根本的な「構え」が全然だめなのだ。テレビの公開放送の中途半端な真似事がしたくて、必要もない6台ものカメラをつなぎ、ちっぽけなプラズマディスプレイに画面を切り替えて見せるというようなどうでもいいシステムにばかり凝った挙げ句、どこにでもありふれた凡庸なイベントになっている。その志の低さが情けないのである。ストリーミングなんていうのは、どっか隅の方でやりたい奴がこそこそとやっていればいいことで、そんな専門学校の奴らがやりそうなことを得意げに見せてどうするのだと言いたい。そこには知性やセンスのかけらもない。こういうのを本末転倒と言う。要するに企画そのものがダメダメだし、「他にはないものを作りたい」という真っ当な意欲と気概に欠けているのである。この程度でいいだろうという甘えが目立ち、テレビ中継の真似事をしていることに何か意味があると思い込んでいるので、ただの文化祭的な学生イベントに終わってしまった。
ぼくはマルチを作った時から、ここでは日本のどこにもないようなことをやりたいと思ってきた。それは、バッタをやった時にせよ、唐ゼミ★にせよ、ラッピング・バスのデザインにせよ、最近の基礎演習の成果にせよ、ある程度は実現できてきたと思っている。学生たちもよくそれに応えてきてくれたし、ぼくが逆に目を見張るような経験も数多くしてきた。それだけに一部の連中にこういう中途半端なことをやられると本当に腹が立つ。美大の真似っこや映像学科の真似っこや放送局の真似っこみたいなことをやってほしくない。もっと大きな志をどうして持てないのかと思うし、その次にはそんな学生を作ってしまった自分自身に腹が立ち、情けなくなってくる。
 二日目まで我慢して、直接中心になって動いたと思われる学生を叱ったのだが、信じられないことに彼らは何を言われているのかよく分からないらしい。その上に、自分たちは企画の責任者ではないと責任を回避しようとする。技術的な失敗は予算が足りなかったからだと言い訳をする者もいた。そこまで自覚がないとは信じられないことだ。手伝った一年生たちも含めて、関係者全員が結果に対して責任を感じるのが当たり前のことではないか? と言うよりも、責任を取らないことには最初からいっさい手を出すなと言いたい。それじゃ、小役人や官僚と同じではないか? そんな自分の尻も拭けない奴らに面白いことなどできるはずはない。そんな中途半端なことをしてもいいのが大学だなどと思っているならとんでもない。
 ‥‥と、ひとしきり、怒りまくった後、少し冷静になって他の何人かとも話をした。多少はショックを感じてくれているようである。要するにどうすれば面白いことができるのかが分からないのだ。基準軸がない。集団の作り方もプロジェクトの進め方もきわめて下手だ。結局、みんなが不満と疑問を解消できないままでここまでずるずると来ていることが分かった。だから、誰も責任を取ろうとしないのだ。でもね、テレビ局とか広告業界とかサブカルとかエンタメとか、要するにその場しのぎの商売で食っている「現場思考」みたいなものしか「クリエイティブなこと」として参照できないという状況が根本的に「貧しい」と思わないまま、そんなものの真似事をすることに何か意味があると言い切る学生を相手にしていると、本当に何でこんなに長いことかけて、ぼく(たち)がずっと言ってきたことが分からないのだろうといい加減情けなくなってくる。
 どうしてこうなるのだろ? うーん、何だろ? 無知かな、やっぱり。こないだ永山則夫の「無知の涙」を読んで感動しましたという一年生と話したけれど、永山が向かった方向があれで良かったかどうかは別とすれば、いまあの本はもっと若い人たちに読まれてもいいのではないかとも思う。
 たとえば、その連中の一部が無邪気に腕にホワイトバンドをしているとかね。こう言っても分からない学生のために説明すると、この運動の中心となっているアムネスティ・インターナショナルやその他の国際的NGOが基本的にアングロ=サクソン系の政治団体であること。彼らの偽善的な「慈善」活動の資金としてホワイトバンドは利用されているということ。第三世界の貧困の原因は主としてアメリカ合衆国を中心とするグローバリズムと拝金主義の支配する世界市場経済によって人為的に生み出されているものであること(たとえば大国の都合による貨幣の交換レートの一方的な押しつけが極度の貧困を生む)。彼ら、そして日本人である我々の市場経済そのものの歪みがこのような格差を生み出している原因なのであり、それはけっしてODAとか「善意の」寄付金とかによっては償うことも解決することもできないこと。さらにODAでダムやプラントを作って日本企業が現地での暴利を得るだけでは足りずに、それらを巨額な借金としてそれらの地域に押し付けていること‥‥などなどの事実をすべてなかったことのように隠蔽し、要するに悲惨な貧困状態を生み出している当の本人が「みんなの善意で貧困をなくそう」などと唱える不気味で非道な「慈善」運動であることなどが、全く分かっていない。今年からオープンキャンパスに参加した新任の彦江君が、横からしきりに「余りに視野が狭すぎるから、やっぱり政治哲学の授業を新設しましょうよ」などと話しかけてくる。そういうものでもないだろうとは思うが、とにかく、J−POPやマンガや広告や放送などといった自分の身の回りの狭い世界の外に広がる広大な現実が全く見えていない。
 そう言うと、すぐに今の子は「情報が溢れているのですからすべてのことを知ることなどできないし、少なくとも別な意見をもっている人も多いのですから、一概にそれが正しいとも言えないのではないですか」みたいなことを言う。そうではない。もちろん「一概に」正しいものなどは存在しない。「真実」とは、相手に対してそれを全力で主張し、説得するという個別の「行為」の中でしか存在できないのだ。そういう努力もせずに、価値相対主義にやすやすと逃げ込んでいくだけなのなら、そこには「正しさ」もなければ「面白さ」も存在しえない。「知らない」ことや「見えない」ことが「無知」なのではなく、「知ろうとしない」「見ようとしない」ことが「無知」なのだ。「すべてを知ることはできない」とあきらめるのではなく、「すべてを知りたいという欲望をけっして放棄しない」という姿勢をもたない人ばかりになれば、世の中はつまらない「プロ」や「専門家」だけの世界になってしまう。そして、「専門家」とはいくら偉そうな顔をしていても結局のところは「洗練された自動車修理工」のようなものにすぎず、人間の能力の一部だけを社会に組み込まれる形に肥大させた奇形的存在にすぎない(そして、まさしくそんな世界がグローバルな貧困を生み出している犯人そのものなのである)。そんな存在でしかないことは根本的に貧しいことだし、やりきれないことなのだ。「それでどこが悪いんですか」とかたくなに言い張る学生たちを見ると、本当に情けなくやるせない。お前らがつまらないわけではないと信じたいが、とにかくお前らが今やっていること、これからやろうとしていることはやっぱりとてもつまらないことなのだとはっきりさせておきたい。

« 大垣、山中湖、大学 | トップページ | 補足するなら‥‥ »

「大学」カテゴリの記事

コメント

>そんな存在でしかないことは根本的に貧しいことだし、やりきれないことなのだ。

なんていうか、悪意はないと信じたいですが
もしくはかかる言葉を読み違えたか。
専門家お嫌いですか?

専門家がつまらないのではなく、専門以外を知ろうとしないことが駄目なのだと思うのですが。

貴方の文章だと、「プロ」「専門家」は知ることを諦めた人間なのだとしか読めませんし。

ご自身が何らかの専門家として自嘲したというのなら結構なのですが、正直どうかと。

突然失礼しました、では。

マルチの人と話してると、あまりの常識のなさに唖然とすることがあります。あまり人のことは言えないけど・・・・・・

なんか最近のマルチの学生は悪意が足りないですね。教官の陰口たたく程度の悪意しか持ってないみたい。健全だなあ。どこでストレス発散してるんだろ。

大学いきたかったな。
最近は情報が溢れているが故に知った気になっている若者が多いという事ですな。
出る杭は打たれる世界で主体性なんて育つわけナイナイもう時代が違うのですな。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/5341435

この記事へのトラックバック一覧です: やるせない:

» 「つまる」ことをしたい [Radical Dreamer]
短信 :: やるせない ほんと、その通りだと思う。... [続きを読む]

» LIVE8についての徒然。 [yt's blog]
メッセージの正しさは分かるんです。そして正しければ、それを誰が唱えても良いのかも知れません。でも、ロンドンで、ベルリンで、東京で、熱狂的に声をあげる観客と、彼らを舞台から見下ろす出演者は、経済的には違う位置にいるのです。それは搾取じゃないのか?なぜ我々が... [続きを読む]

« 大垣、山中湖、大学 | トップページ | 補足するなら‥‥ »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31