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2005.11.19

横浜トリエンナーレ2005、ようやく行ってきた。

 9月28日から12月18日までやっている「横浜トリエンナーレ2005」だが、唐ゼミ★の新国立劇場公演やメキシコ行きと続いて、やっと行くことのできる時間が取れた。山下公園の氷川丸横の入り口から入って、ダニエル・ビュランの紅白の小旗のトンネルのようなプロムナードを一キロ近くも歩いた二つの巨大倉庫がメイン会場になっている。このプロムナードは天気がいいととても気持ちがいい。横浜港の眺めが目の前に広がり、頭上の小旗が祝福するように風でパタパタとはためいている。バッタの時もそう思ったが、とにかくいつも浜風が強い場所なので、これだけでもとても成功している。もしぼくがまた何かやったとしたら、きっと風車とか、幟とか、風船とか、とにかくそういう風と絡んだ作品を考えたことだろう。
 倉庫の内外はブルーに塗られた大量のコンテナや掘建て小屋、デッキチェアーなどで綿密に構成されていた。さすがに川俣正ディレクションだけのことはある。その中に、さまざまな作品が展示されているのだが、わざと導線を混乱させ、回り込まなければ何の作品か分からないように置いてあるのだ。全体が一望できない構造になって配置されているのだ。来ている観客は思い思いにこの空間を楽しんでいた。周囲の環境もとてもいい。ベイブリッジがすぐそばに見える。子供連れも多い。ヴィンター+ホルベルトの光のブランコは、乗っている人間が揺れているのを外から見ていると楽しいし、サッカーゲームにしても、卓球にしても、キュレーターマンの参加型ゲームにしても、観客がいることによって成立しているようなものが多い。また、不思議なことに観客もあらゆるブースや座席スペースを「体験」したがるので、これは観客の多い土日に見に来るのが正解だろう。会場では学生たちを連れて来ていた東大の西村清和さんや、ミニFM放送局に参加中の熊倉敬聡さんと会った。
 細川周平に「バッタの居ない(物足りない)トリエンナーレ」と言ってもらえたが、ぼく自身はこの展覧会はこれはこれでアリだと思う。横浜という場所でやることの意義や、市民参加という役割は十分果たしている。昨日で観客動員数10万人突破ということだから、これからますます寒くなっていくことを考えると動員数は35万人という前回には及ばないだろうが、おそらく展覧会場での観客の滞留時間は前回より長いはずだ。前回はみなとみらいという資本主義の中心のような場所で開催されたわけだが、今回の場所全体は(悪天候だったらちょっと事情が別だが)海に囲まれておりのんびりとしてとても気持ちよく、非日常的な時間に浸れる。デッキチェアを沢山並べていたり、コンテナで風除けを作っているなどの心遣いもいいし、作品としても成立しているアンブレラ型の暖房機なども心憎い。その意味では短い準備期間中にここまでやることのできた川俣正チームはたいしたものだと思った。いろんなアイディアが持ち込まれている。
 だが、それを前提とした上で述べれば、これは「展覧会」にはなっていないのではないかと思った。ここに本当にアートの「場所」があるのだろうか? 「日常からの跳躍:アートサーカス」という「場所」を作り出すと言っているが、せいぜいのところこれは「アート縁日」であり、「ラーメン博物館」や「なんじゃタウン」のようなテーマパークのような「場所」にしかなっていない。全体が屋台村みたいな配置になっていてアーティストたちはメニューに載せられた素材にすぎず、彼らのメッセージは断片化された記号としてしか発現されない。堀尾貞治+「空気」のような継続的な活動(まさしくワーク・イン・プログレス)は、あの場所でのあの配置の中ではその凄さやそのプロセスがうまく伝わらない。つまり、キュレーションや編集の不在が屋台村のような活気を作り上げているのだが、その結果として、今度は全体性を求める作家の声の存在がきわめて希薄なものとしてしか感じられなくなってしまうのだ。縁日の屋台では、祭りの主催者はテキ屋の親分に場所を貸しているだけであり、屋台を出す業者は自分たちの商売のことしか考えない。つまり、縁日という場所はいくら楽しくてもけっしてアートにはなりえないはずである。その意味では、川俣の「アートレス」という考え方は川俣個人という作家の範囲を超えだしてしまえば、単なる「アートの自殺」「アートの自滅」にほかならないことになるのではないか? 「ナンチャって、アート」みたいなものが目立つのもそのせいなのかもしれない。そこには社会や自己自身やこの「トリエンナーレ」という場所に対する毒も批判もアイロニーも何もない(正確にはたとえあったとしても、かき消されてしまう)し、終わった後も何も残らず、さあ次の文化的大イベントは何かなというような文化消費の回路に飲み込まれてしまうだけのではないだろうか。というわけで、自分ならどうするだろうかと考えてしまった。前回だって似たようなものだったし、バッタだってプロセスを理解されることはなかった。だからこそ、ぼくは「巨大バッタの奇蹟」を四年もかけて書いたのだ。
 その「バッタ本」はショップでは二冊だけ平置きもされずさびしく並べられていた。前回と比較されたくないという運営側の意図もあるのだろうが、せめてポップくらい置いてくれてもいいだろうと少しムッとする。そう言えば会場と入り口を結ぶ横浜トリエンナーレのブルーのシールが貼られたシャトルバスは、あれはぼくたちが「バス・デザイン・プロジェクト」で作った「はまりんバス」なのだが、確かに横浜市交通局に著作権等の権利は全て譲ってはいるが、上からかぶせてデザインを隠すようにシールを貼るのならせめてぼくたちに前もって知らせておいてもらいたいと思った。巨大バッタバスの方はいまもきっとみなとみらい付近を元気に走り回っているはずだ。

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コメント

突然お邪魔してすみません。ホームページのリンクからこのブログに入ってしまいました。私も横浜トリエンナーレに行きましたが、だいたい同じ感じを受けました。しかし、このような結論は行く前から分かることではないでしょうか?ビエンナーレやトリエンナーレといった場所は「アートのスーパー」又は一般来客を楽しませる「遊園地」としか考えられないんですが。見た限り、南米で行われるビエンナーレやヨーロッパでも同じような気がするんですが。。。

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