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2005年11月

2005.11.24

夕刊フジにこういう記事が出た。

 「アングラの意地、唐十郎さん紫綬褒章辞退していた (夕刊フジ)」。この件、9月からずっと秘密にしていたが、これで堂々と話せる。とてもよくできた記事であり、これに付け加えることはないが、唐さんとしては単に紫綬褒章ばかりではなく、文化功労者、文化勲章というコースのすべてを辞退するということで大きな覚悟をした上でのことだった。当然のように思う人もいるかもしれないが、まだ小さな子供たちを育てなければならないこともあるし、それなりに悩み抜いた上での結論であった。天皇制に反対しているわけでも何でもない。ただ、「お上」からの賞を受け取らないという形で、これまでやってきたことに筋を通しただけのことである。だから、こういう形で世の中に知られるようになるのは悪いことではない。こういう人もいるのだということをやせ我慢しても示していくことは大切なことなのだ。

2005.11.23

徒然

 20日日曜日はシアターコクーンの「調教師」の千秋楽だった。唐さんと会場で顔を合わせる。唐さんは木曜からソウルで開かれていた日本現代戯曲ドラマリーディングに鄭義信、別役実と共に招かれていて、呉泰錫(オ・テソク)による「泥人魚」のリーディングに出ていた。水槽まで用意した本格的なものであり、来年韓国で本公演の予定があるということでとても機嫌が良い。韓国版「泥人魚」も見てみたいものだ。「調教師」は最終日ということで皆声ががらがらだったが、それでも二幕の最終部分はテンポが良く流れ、その二日前に見た時には及ばないがまあまあの出来だった。カーテンコールでは演出・内藤さんに続いて唐さんも舞台に呼ばれて挨拶をした。そのまま、またしても打上げに連れて行かれる。内藤さんとも少し演出上の話が出来たし、RUPの菅野さんには今度二人だけで飲みたいと誘われる。RUPプロデュースの唐十郎作品というのがシリーズ化しそうなので、今後も協力して行きたい。実際、商業演劇の大劇場での成功作と言えば、82年蜷川幸雄の「下谷万年町物語」くらいしかないのだ。それがどういう形なら可能なのかという問題には、ぼく自身も大きな関心がある。そういえば、唐さんから朝刊(20日)の読書欄に「教室を路地に!」の中条省平氏による書評が掲載されていたということと、雑誌『テアトロ』に唐ゼミ★の「黒いチューリップ」評が載っていたと教えてもらい、朝日を買いに行く。ネットでもここの「2005年11月20日」を開けば見られるはずだ。他にも、「週刊読書人」に堀切直人さんが、共同通信配信の地方紙の読書欄には衛紀生さんが好意的な書評をだしてくれている。とりわけ、衛さんのものには余りにも熱い書評で驚いたけれど、ネットで参照できないのが残念だ。
 菅野さんに唐さんを押し付けて9:30くらいから道玄坂で二次会。内藤さんと話し込んでいたが、椎名桔平、萩原聖人、峯村リエさんたちや南河内万歳一座のメンバーやバックに出演していたダンサー出身の女の子たちに混じって談笑し、途中で抜け出して帰った。ゲーノー界っぽい華やかな打ち上げで楽しかったがあまり長居していると疲れそう。
 22日は多摩美に行った後、東中野の満天星へ。映画「ガラスの使徒」が12月17日からロードショー公開される前のキックオフ・パーティ。話が動き始めてから二年近くたっているが、ようやく公開までこぎつけられた。金さんと中野と三人で全州大学演劇科公演についての打ち合わせをしてから会場へ。唐組、梁山泊の出演者組はもちろんアートン関係者や新聞記者、音楽関係者まで幅広く集まり、身内の温かい雰囲気のパーティだった。梁山泊の唐十郎書き下ろし新作「風のほこり」も22日に初日を開ける。こちらも併せて、とても楽しみだ。
 いま一番力を入れているのが、全州大学演劇科受け入れである。1月の最終週に30数人を受け入れなくてはならない。公演は横浜いずみ中央のテアトル・フォンテ公演が1月25日午後7:00、池袋の豊島区民ホール公演が27日午後7:00である。今のところ両方とも入場無料のイベントになる予定。この件についてはまた近いうちに告知させていただくことになると思う。

2005.11.19

横浜トリエンナーレ2005、ようやく行ってきた。

 9月28日から12月18日までやっている「横浜トリエンナーレ2005」だが、唐ゼミ★の新国立劇場公演やメキシコ行きと続いて、やっと行くことのできる時間が取れた。山下公園の氷川丸横の入り口から入って、ダニエル・ビュランの紅白の小旗のトンネルのようなプロムナードを一キロ近くも歩いた二つの巨大倉庫がメイン会場になっている。このプロムナードは天気がいいととても気持ちがいい。横浜港の眺めが目の前に広がり、頭上の小旗が祝福するように風でパタパタとはためいている。バッタの時もそう思ったが、とにかくいつも浜風が強い場所なので、これだけでもとても成功している。もしぼくがまた何かやったとしたら、きっと風車とか、幟とか、風船とか、とにかくそういう風と絡んだ作品を考えたことだろう。
 倉庫の内外はブルーに塗られた大量のコンテナや掘建て小屋、デッキチェアーなどで綿密に構成されていた。さすがに川俣正ディレクションだけのことはある。その中に、さまざまな作品が展示されているのだが、わざと導線を混乱させ、回り込まなければ何の作品か分からないように置いてあるのだ。全体が一望できない構造になって配置されているのだ。来ている観客は思い思いにこの空間を楽しんでいた。周囲の環境もとてもいい。ベイブリッジがすぐそばに見える。子供連れも多い。ヴィンター+ホルベルトの光のブランコは、乗っている人間が揺れているのを外から見ていると楽しいし、サッカーゲームにしても、卓球にしても、キュレーターマンの参加型ゲームにしても、観客がいることによって成立しているようなものが多い。また、不思議なことに観客もあらゆるブースや座席スペースを「体験」したがるので、これは観客の多い土日に見に来るのが正解だろう。会場では学生たちを連れて来ていた東大の西村清和さんや、ミニFM放送局に参加中の熊倉敬聡さんと会った。
 細川周平に「バッタの居ない(物足りない)トリエンナーレ」と言ってもらえたが、ぼく自身はこの展覧会はこれはこれでアリだと思う。横浜という場所でやることの意義や、市民参加という役割は十分果たしている。昨日で観客動員数10万人突破ということだから、これからますます寒くなっていくことを考えると動員数は35万人という前回には及ばないだろうが、おそらく展覧会場での観客の滞留時間は前回より長いはずだ。前回はみなとみらいという資本主義の中心のような場所で開催されたわけだが、今回の場所全体は(悪天候だったらちょっと事情が別だが)海に囲まれておりのんびりとしてとても気持ちよく、非日常的な時間に浸れる。デッキチェアを沢山並べていたり、コンテナで風除けを作っているなどの心遣いもいいし、作品としても成立しているアンブレラ型の暖房機なども心憎い。その意味では短い準備期間中にここまでやることのできた川俣正チームはたいしたものだと思った。いろんなアイディアが持ち込まれている。
 だが、それを前提とした上で述べれば、これは「展覧会」にはなっていないのではないかと思った。ここに本当にアートの「場所」があるのだろうか? 「日常からの跳躍:アートサーカス」という「場所」を作り出すと言っているが、せいぜいのところこれは「アート縁日」であり、「ラーメン博物館」や「なんじゃタウン」のようなテーマパークのような「場所」にしかなっていない。全体が屋台村みたいな配置になっていてアーティストたちはメニューに載せられた素材にすぎず、彼らのメッセージは断片化された記号としてしか発現されない。堀尾貞治+「空気」のような継続的な活動(まさしくワーク・イン・プログレス)は、あの場所でのあの配置の中ではその凄さやそのプロセスがうまく伝わらない。つまり、キュレーションや編集の不在が屋台村のような活気を作り上げているのだが、その結果として、今度は全体性を求める作家の声の存在がきわめて希薄なものとしてしか感じられなくなってしまうのだ。縁日の屋台では、祭りの主催者はテキ屋の親分に場所を貸しているだけであり、屋台を出す業者は自分たちの商売のことしか考えない。つまり、縁日という場所はいくら楽しくてもけっしてアートにはなりえないはずである。その意味では、川俣の「アートレス」という考え方は川俣個人という作家の範囲を超えだしてしまえば、単なる「アートの自殺」「アートの自滅」にほかならないことになるのではないか? 「ナンチャって、アート」みたいなものが目立つのもそのせいなのかもしれない。そこには社会や自己自身やこの「トリエンナーレ」という場所に対する毒も批判もアイロニーも何もない(正確にはたとえあったとしても、かき消されてしまう)し、終わった後も何も残らず、さあ次の文化的大イベントは何かなというような文化消費の回路に飲み込まれてしまうだけのではないだろうか。というわけで、自分ならどうするだろうかと考えてしまった。前回だって似たようなものだったし、バッタだってプロセスを理解されることはなかった。だからこそ、ぼくは「巨大バッタの奇蹟」を四年もかけて書いたのだ。
 その「バッタ本」はショップでは二冊だけ平置きもされずさびしく並べられていた。前回と比較されたくないという運営側の意図もあるのだろうが、せめてポップくらい置いてくれてもいいだろうと少しムッとする。そう言えば会場と入り口を結ぶ横浜トリエンナーレのブルーのシールが貼られたシャトルバスは、あれはぼくたちが「バス・デザイン・プロジェクト」で作った「はまりんバス」なのだが、確かに横浜市交通局に著作権等の権利は全て譲ってはいるが、上からかぶせてデザインを隠すようにシールを貼るのならせめてぼくたちに前もって知らせておいてもらいたいと思った。巨大バッタバスの方はいまもきっとみなとみらい付近を元気に走り回っているはずだ。

2005.11.13

紅葉の京都

 12日と13日は京都。前回は確か5月の京大L4の同窓会。今回は京都大学岩城見一さんの科研の会合。よく考えたらけっして久しぶりでもないのだが、たいてい一泊帰りなので来る度に新鮮だ。科研の会合に出るのは本当に久しぶり。横浜は朝けっこう雨が降っていたが静岡あたりからはいい天気。梅原賢一郎が来ている。17年ぶりくらいだろうか。というわけで京大美学の同窓会風の飲み会になり三次会まで。おじさんばかりなのだが、何だか時間が巻き戻された感じで楽しい。いつものように島本浣さんの家に厄介になり、13日は近所の真如堂、金戒光明寺、永観堂あたりをぷらぷら。紅葉の東山は美しかったが、どこもかしこも人が多すぎる。どうやらこのところ空前の京都ブームらしく宿がとても取りにくくなっているらしい。もう京都を離れて二〇年になるが、訪れるといつもその当時のままの気分になってしまう。
 明日は唐組のアトリエで唐ゼミ+唐組の共同打ち上げ会。遊びなんだけれど結構忙しい。

2005.11.06

KaraComplex「調教-師」

 シアターコクーンの「調教-師」初日に顔を出す。
 「調教-師」は元々同名の小説として78年に発表され、戯曲化されたものが状況劇場の稽古場公演などで上演されていた。佐野史郎や六平直政らの時代だ。新宿梁山泊の金守珍が初めて演出をした作品でもあると言う。そういうこともあって、新宿梁山泊でもこの未発表戯曲「調教-師」は稽古場公演として何度も上演されたことがあったらしい。それを新たに手を加えたものが91年に劇団唐組が上演した「透明人間」である。単行本も出ている。元々の小説にはなかった「モモ似」というもう1人の女性や、白川先生とマサヤ少年という新しいキャラクターが加わって演劇的な広がりを増している。唐組では1998年に久保井研が稽古場公演用に演出したものが素晴らしく、東京と水戸で特別公演のような形で上演された。鳥山昌克の「合田」と稲荷卓央の「辻」、堀本能礼の「田口」などのキャストも素晴らしかった。 さらに、2001年秋、タイトルを「水中花」に変えて上演されたが、この時は稲荷、堀本を欠き、高橋祐也ら新人を起用した緊迫感のある公演だった。この時の印象は「巨大バッタの奇蹟」の中にも書いている。
 タイトルを小説通りの「調教-師」に戻してはいるが、今回の作品はこの「透明人間=水中花」である。恐水病(狂犬病)の犬の噂をめぐって、人と犬、過去と現在、中国大陸と日本の幻影がゆらめく水を通して溶け合い、生命の源流としての水の中へ世界が丸ごと飲み込まれて行くような、90年代における唐十郎の代表作のひとつだ。
 その作品に南河内万歳一座の内藤裕敬が挑戦している。プロデュースはRUP。つかこうへい事務所に居た菅野重郎さんが、小劇場の名作をメインストリートに送り込もうという情熱で作ったプロダクションだ。これまでも、SMAPによる「蒲田行進曲」など、タレントの集客力を利用して商業演劇の世界に小劇場演劇を根付かせようとしている。今回も、椎名桔平、萩原聖人、窪塚俊介、黒木-メイサらを起用し、木野花、内藤の南河内から荒谷清水らの劇団員、峰村リエら小劇場系の役者たちが脇を固める。ともすると商業主義とも取られかねないこうした形態は、唐さんと目指す方向性がかなり異なっており、企画の段階でもさまざまな衝突があった。それらを乗り越えての初日である。菅野さんは、岩波の「教室から路地に!」を発売直後に読んでくれていて、向こうからぼくに話しかけてくれて、何度か飲み会の席でお話ししたが、その志においてはきわめて純粋で情熱的な人物である。いつしかこの公演の成功を祈るようになった。劇場で売っているプログラムにも唐さんとぼくの対談が掲載されているし、唐ゼミ★の中野の文章も入っている。
 「調教-師」(「透明人間」)は、コップの中の水中花など小さなブツが重要な芝居で、シアターコクーンという大きなハコとはそぐわないかとも思われたが、舞台装置は絶妙の遠近法で作られており、回り舞台と舞台下手の水槽に屋根からつながる雨樋が印象的な空間が作られていた。主演の椎名桔平は少し声を潰していたが、萩原聖人はなかなか素晴らしく、正攻法で正面からぶつかる内藤演出によって戯曲の世界をほぼ正確に伝える舞台となっていた。これから15日間の公演を通してさらに練り上げられて行くに違いない。
 初日ということで客席はほぼ満員。小田島雄志、長谷部浩、西堂行人、大笹吉雄さんたちも顔を見せている。南河内の鴨鈴女さんや奈良さんとも顔を合わせた。終わった後、唐ゼミ★の中野と椎野、唐組の藤井由紀、真名子美佳らと打ち上げの席に。出演者スタッフの皆さんとの乾杯につきあう。唐さんも喜んでいた。ぼくとしては唐十郎作品のあり方として、こういう形が必ずしも最良とは思わないが、それでも初の試みとして是非成功して欲しいと願っている。
 写真は、左から内藤裕敬、唐十郎、中野敦之、黒-木メイサ(17歳!らしい)、木野花という世代を越えた集合写真である。無事に初日を乗り越えたという喜びと安堵感が表情によく出ている。chokyoshi

2005.11.02

まだまだ大変

 水島さんから「教室を路地に!」についてのTBを頂いて喜んでいたら、
紀伊国屋bookweb「書評空間」に紅野謙介氏による「巨大バッタの奇蹟」の書評が掲載された。こちらもとてもうれしい。先日唐ゼミで会った坪内祐三さんにも面白かったと声をかけられたし、まだ未見だが「週刊読書人」に堀切直人さんが「教室を路地に!」の書評をしてくれているらしい。これも楽しみだ。朝日新聞会員制サイト「asPara」にもジュンク堂池袋店長の福嶋聡さんが書評を書いてくれたが、こちらは会員じゃないと見えない。なかなか本屋に置かれないと言っていた「巨大バッタ」だが、ジュンクや有隣堂にもようやく並ぶようになったようで、あとはできるだけ多くの人に読んでもらいたいと思う。
 学生たちもちょこちょこ買って読んでくれているらしいが、うちの大学の生協に入れた分がだいぶ売れ残っている。教科書指定とかセコいことをしていないし、マルチのことや大学のことを書いた本が在学中に出るなんてめったにないことなので、是非買って欲しい。研究室に持って来てくれればいつでもサインくらいはしますから、ちゃんと読んでね。そうしないと返本されてしまう。
 何だかやることが山積みでかなりへろへろな状態になりながら、ようやく何とか休めそうだ。積み残した仕事もようやくこれで果たせる。

2005.11.01

やれやれ

 メキシコから帰ってきて、大学とかゲラとか原稿とか殺人的な忙しさでさすがにへろへろになった。疲れが蓄積している感じだが休めない。木曜も唐組の久保井君と唐ゼミの連中と遅くまで飲み、週末は唐組の「カーテン」に通い、やはり飲む。鬼子母神ではここのところ演るたびに観客動員数の記録を更新していて、日曜日には三百超。ここは、テントを広げるにしても後ろにお社があるし、石灯籠は前回からテントの内側に入れられてしまっているが、そのうちお社を丸ごとテント内に入れなくてはならない日が来るのではないか。宴会も大久保鷹、渡辺えり子、金守珍、松田政男、坪内祐三などにぎやかで、結局は久しぶりにタクシー帰りになってしまった。今日は中野といずみ中央にあるテアトル・フォンテを下見に行き、久しぶりに六時頃帰宅できた。ずっと帰りが深夜だったので、たまっていた洗濯物や部屋の掃除をして、ちょっと一眠りして少しだけ落ち着く。週末はシアター・コクーンの『調教師』が始まるし(パンフレットに唐さんとの対談が載っている)、新記号論叢書第二号(まだタイトル未定)のゲラや原稿書きを終わらせなければならないし、新宿梁山泊の「風のほこり」のチラシ原稿も頼まれて今朝メールで送った。忙しいけれども楽しい。メキシコであった人たちからメールがいっぱい届いてきている。

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