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2006年3月

2006.03.25

唐ゼミ★の公演予定など

 22日にはインターコンチネンタルホテルで学部の退職教員を送る会。24日には卒業式と謝恩会。毎年の行事だが何だか知らないが毎回体調が悪くなってしまう。横浜駅東口で開かれた謝恩会には木下長宏さんも顔を出していて、終わった後、唐ゼミの中野と椎野を呼び出して中華街善隣門近くの「馬さんの店」で二次会をした。そこになぜか2年前に卒業したゼミ生が顔を出したりして、結局はタクシー帰りになった。
 ところで、唐ゼミ★は春にテントで「お化け煙突物語」を公演する。まだ仮の日程ではあるが、一部に既に仮チラシが出ているのでここでも宣伝をしておきたい。
 まずは、4月26日(水)、27日(木)、28日(金)の三日間は大学内でプレ公演。連休中の5月3日(水)、4日(木)、5日(金)は東京・東向島の「新東京タワー予定地」でのテント公演。浅草に近く、東武の業平橋駅や半蔵門線の押上駅から近い。一週間空いて、5月19日(金)、20日(土)、21日(日)には横浜・吉浜町公園。ここはJR石川町駅裏で駅からは徒歩2分。大学公演だけは、前売1000円、当日1500円、他は前売2000円、当日2500円となる。チケットの予約開始は4月5日の予定。新国立劇場公演の後ということで、相当気合いの入った作品になることが期待される。詳しくは劇団唐ゼミ★サイトへ。
 一方、唐組の春公演「紙芝居の絵の町で」は関西公演から戻る5月6日、7日の花園公演を皮切りに、5月19-21日の水戸公演を挟んで(ここが完全に唐ゼミ★とバッティングしている)、6月18日まで花園・雑司ケ谷鬼子母神で土日に公演があります。こちらには、このところ毎回恒例化している唐ゼミ★からの客演に、新堀航が参加しています。さらには、昨年関わることになった三枝健起さん演出、高橋康夫さんプロデュースでRUPも制作に入っている「秘密の花園」が、4月15日から30日まで北千住のシアター1010で行われます。98、99年に唐組も上演しているこの80年代最高傑作の戯曲に、唐十郎がさらに筆を入れ、三田佳子、大澄賢也、松田洋治らに加え、大久保鷹、金守珍、十貫寺梅軒といった旧状況劇場メンバー、さらには唐さんの愛娘大鶴美仁音まで出演するという最強の陣容で、これも現在稽古中。
 まだまだそれから先も唐十郎作品の上演が続いていくと思われますが、とりあえず春シーズンはこの3本。どれも楽しみです。そう、さらには岩波書店から『教室を路地に!』に加えて唐さんのエッセー集『劇的痙攣』、河出書房新社からはシリーズ「道の手帖」の一冊として『唐十郎 紅テント・ルネッサンス!』(仮題)が、右文書院からは新宿梁山泊の紹介も含めた戯曲『風のほこり』が、それぞれ公演に合わせて出版されます。河出本には唐ゼミ★の中野やぼくも文章を寄せています。そういえば今月号の『悲劇喜劇』(早川書房)にも文章を書きました。来月頭までは書店に置いてあると思います。

2006.03.21

パパ・タラフマラの「三人姉妹」

 昨年末、パパ・タラフマラの「百年の孤独」に招待して頂いた(http://www.pappa-tara.com/)。主宰の小池博史さんは、ぼくが子供時代に住んでいた日立市出身で学年も近いということで何かしらの同質性のようなものを感じている。妹島和世も書いているように、日立製作所の城下町であり、山地から海に向かってまっすぐに傾斜しているこの町では、水平線が空の中程までせりあがっていて、まるで擂り鉢の底に世界から切り離されて生きているようで実に息苦しいのだ。世界中から切り離されていて、何一つここでは重要で真実なことが起こりそうにも無いように思われるその町で、海外文学や映画だけを見ながら、いつかそこから脱出する日を夢見ている少年時代を過ごしたというのが彼とぼくとの共通項である。ほら、これってチェーホフの「三人姉妹」と全く同じようなシチュエーションではないか? ぼくや妹島が中学や高校を日立ではなく水戸にしたのに対して、小池さんは中学だけ水戸に通ったが面倒くさくなり高校は日立一高にしたと言っていたが、それはほとんど東京に留まらず外国での活動を中心にしているというパパ・タラフマラの今のスタンスまでつながっているのかもしれない。要するに小池さんは「反中央」とか「反中心」というわけではないが、どこにも「中心がない」、もしくは「中心から遥かに離れている」という世界を一貫して生きてきているのではないかという気がする。あるのは遥かに遠い「中心」についての神話、または「物語」だけなのだ。世界文学と「地球の歩き方」を愛読していたという彼の話は、どこかの何億光年も離れて別の太陽系の植民星に住んでいて、けっして近づくことのできない地球文明の「中心」と「現在」との「隔たり」の意識に貫かれているような気もする。そして彼らのパフォーマンスには、その惑星で起源も忘れられてただ風習として時々演じられる子供の遊戯のような独特の希薄性が感じられる。
 京都から直行して、中野の早稲田通り裏にあるダンススタジオで二日だけ上演されている「三人姉妹」を観に行った。風塵(風のほこり)舞い散る大風の吹く中を歩き、前回の世田谷パブリックとは対照的な小空間で70人くらいの客席に身動きできないほどにぎゅうぎゅうに詰め込まれて見せていただいた。
 女性三人によるダンスなのだが、見かけは全然違っていても前回の「百年の孤独」とほとんど同じような構造を強く感じた。要するに「百年の孤独」や「三人姉妹」をプレテキストにして、その濃密な物語や19世紀ロシア貴族の没落とは何の関係もなく、「世界文学」に憧れ、何も起こらない退屈な日常の中で、そうした希薄な物語の助けによって励起させられるままごと遊びを繰り返している「子供の領分」を映し出しているのだ。ここでは、ガルシア=マルケスやチェーホフに「接近」することが目指されているのではなく、最初からその「遠さ」を主題化することだけが目指されている。「百年の孤独」の場合には外国人のパフォーマーも何人か出ていたが、全体としてはやはり「子供」の身体をした日本人パフォーマーが、その文脈も歴史的根拠も欠落している南米の神話的世界にまつわる「まがいものの物語」を、洗練の極まで推し進めようとしたものであった。最後に巨大なオブジェが出てくるスペクタル的な場面ですらも、それは目の前に起こっていることではなく、拡大された子供の遊びであり、そこには何一つ真正なものなどなく、すべては子供たちによるブリコラージュ(間に合わせのものを使って作られる器用仕事)なのであり、その「隙間」や「隔たり」を見せることだけが重要なことであるかのようであった。
 「三人姉妹」の場合は、よく考えてみれば原作戯曲自体がそのような「距離」や「隔たり」と向き合う未成熟な子供たちをめぐる作品である。小池は昭和三〇年代の日立の家庭を設定したと言っているらしいが、それは日本という場所に生まれてピアノやバレーを習ったり、海外文学や映画、音楽に憧れているすべての田舎者に当てはまる風景である。昭和三〇年代の日本家屋の中で子供たちによって演じられる、「大人の世界」や「セックス」や「文学」や「西欧」にまつわる憧れや妄想は、何も重要なことは起こらず、徹底して日常的で退屈な「こちら側」の世界へと回帰していくことが宿命づけられている。それが、バレエという19世紀ヨーロッパで生まれた一地方文化を「中心」と思い込み、子供の頃からトウシューズを履かされた徹底して日本人の身体をした女性たちによって演じられるというところに、小池さんの冷めた視線を感じた。この希薄さが批評性に変わることがあるとすれば、それはそれでとても面白いことなのだが、そのためにはこの「中心の喪失」というフランカステル的な感情に対して、もっと自覚的に正面から対峙しなくてはならないのではないかと思った。ぼくたちの世代とは違って、ここ数十年の若い世代はこの隙間を膨大なサブカルチャー的イメージを挿入することで強引に乗り切ってきているように思われるのだが、この埋めても埋めても埋まらないすかすかと希薄な空間性がどこまで通じるのだろうか? ぼくは逆にいつもリアルなものがいまここに生起しているような空間性に惹かれるようになってきたのだが、それは彼らのパフォーマンスのように、リアルなものがどこにもなく、常に遥か遠くに遠ざけられているような疎外感や距離の感覚と根を同じくしているものなのだということを再確認させられた。

京都の夜、定例会

 京大の岩城見一さんが三月一杯で京都大学美学美術史学研究室を退職されるということで、科研の集まりに参加。とにかくここ数年、空前の京都観光ブームとやらでホテルが取りにくい。今回は八条口近くのR&B。ワシントンホテル系列のエコノミーホテルだ。岩城さんが館長を務めている京都国立近代美術館で元東京大学教授でいまは日大にいる佐々木健一さんの講演会と質疑応答。結局は科研のメンバーだけになってしまったが、一応これからは一般公開ということでこのスタイルでやっていくらしい。
 終わってから前回の紅葉狩りの時と同じく東山安井の中華料理屋へ。12人くらいで結構酔いを回す。終わってから、福井の北村君、甲南大の西君、四月から早稲田に就職の決まった碓井さん、国立国際の加須屋さん、神戸大の長野さんというきわめて珍しいメンバーでホテルの地下のバーで二次会。何だか三世代分の同窓会的な不思議な感じの会で酩酊する。
 八条口付近に泊まるというのはとても珍しいので、朝、新幹線の時間まで周囲を散歩してみた。東寺の境内にまで入ったのは何だか30年くらいぶりのような気がする。そのまま10時台の新幹線で東京に向かった。img026

2006.03.18

「唐版俳優修行」@中野光座

 お蔭様で父は17日に無事に退院した。腰の痛みも消えつつあり順調なようである。かなり元気なのでこれならまだまだ頑張れるだろう。その日は中野の光座で初日を迎えた松本修演出の「唐版俳優修行」に顔を出す。唐さんも来ていたので、隣り合わせで観劇という苦行。何しろ何かというとちらちらとこちらの様子や反応を見られてしまうので緊張する。松本さんは昨年秋に近畿大学卒業生を中心としたmode(小文字のMODE:プチ・モード)を結成して、彼らの卒業公演の「唐版風の又三郎」を新宿まで連れて来て再演している。今回は、大人組のMODE(区別するためにみんな大モードと呼んでいる)とこのプチmodeが同じ作品を上演するのが特徴。自分たちのバージョンではない時にも残りのメンバーは書き割りや端役などをやって協力する。二つの世代やキャリアが違う集団が同じ作品を同じ場所で公演するということと、場所が光座という廃映画館であるということが今回目につくポイントだ。今回見たのは大MODE版である。
 「俳優修行」は唐十郎作品の中では比較的構造がはっきりしており読みやすい作品だ。と言うよりも一幕劇でかなり短い。印象としては書き続けることを断念して一幕で中断した作品のようにすら見える。成田の三里塚鉄塔に立てこもる反対派の一人が機動隊のガス銃の直撃を受けて死んだ事件をモチーフにしているが、夜間高校の演劇部出身の劇団研究生が、いまは警察学校に変わり機動隊を養成している母校を訪れて、街頭劇をしながら俳優修行をするという、珍しく身も蓋もない設定で、政治と演劇、現実と虚構などの二項対立がずらされながらもずっと持続していく。面白いのは、なぜ成田闘争という「対立」の場所に、演劇という「ドラマ」(対立)を持ち込み「俳優修行」をそこに位置づけたかという問題意識と、登場人物たちの語る演劇論だ。シェークスピアに扮して後半では「小劇場の鈴木」(松本演出では「小劇場の鈴木忠志」とファーストネームまで入れてしまうのはやり過ぎだと思う)と名乗る演出家や、おかまの機動隊員、尾行すると鬱病になってしまう警官などキャラクターが立っている。というわけで、久しぶりに読んでみたが、それなりに結構面白い戯曲である。ただ、唐十郎的には一番悩んでいて行き詰まっている感じも濃厚な作品である。何よりも本当にガス銃を登場人物に向けて発射してしまったり、ヒロインの絶叫で暗転というラストシーンもきわめて珍しいし、「らしく」ないのである。70年代から80年代への断絶と、過去への訣別の意識を強く感じさせるし、その三年後に書かれた「お化け煙突物語」(唐ゼミが4−5月に公演予定)と比較してみるとなかなか興味深い。
 松本演出は鉄骨で成田の鉄塔をイメージさせ、障子や書き割りなどが持ち込まれるる簡略なセットと、NHKのプロジェクトXで流れる曲をずっと流して、構図だけを決めてあとは役者たちに任せるという形式。役者たちは戯曲の構造と台詞をきちんとしゃべることを優先させ、余り個性を出させないという演出のように見えた。鉄塔を模した装置の上に「ひとで」を追いかけていった元演劇部出身の機動隊員を追い求めて屋上から飛び降りたという「田口」がポツンと案山子と向かい合って座っていたり、最後には機動隊員が鉄塔の上に登ってしまったりといった辺り、松本がこの戯曲の構造を借りて9.11以降の世界における演劇の位置を浮かび上がられようとしている意志を感じさせられた。
 ただ、光座というある意味で「野蛮」な場所がうまく生かされていない。また、役者たちも初めての唐の世界に違和感があるのかちぐはぐな印象を受けた。風又の時もそう感じたが、いわゆる演劇の世界に深く足を踏み込んでしまった人には唐の世界は途方も無く大きな壁に感じられるのかもしれない。そんなことを考えながら見ているとそれなりに興味深い。松本修はまだまだ唐作品に挑戦を続けていくつもりらしいので、見守っていきたい。20日の月曜日には唐ゼミ★から客演している杉山も出ているプチmode版を観に行く予定。

#追記
 20日にプチmode版を見た。観客が少なかったが芝居は予想以上に大MODEよりも数倍面白かった。こんなことがあるのだとかえってビックリしてしまった。松本さんは、チェーホフやカフカをやるのと同じ心構えでやっていると言うが、キャリアのある役者たちがあれほど苦しみ、若いプチmodeがそれを軽々と乗り越えているのをこれだけ目の当たりにすると逆に考えてしまう。唐十郎戯曲には「演劇」を退ける部分が確かにあるのだろうと改めて思った。

2006.03.08

父の入院

 5日の朝、母から電話がかかってきて、散歩中の父が突然救急車で運ばれたと言う。慌てて新横浜の病院に駆けつける。急性の心筋梗塞で心臓病専門の集中管理室CCUで緊急手術が行われている。2,3時間待たされて、CCUに入るとベッドに横たわる父が居た。右冠動脈の基部に大きな血栓が出来ていて、カテーテルを送り込み、バルーン付きのステント(ステンレス製の網状のチューブ)を入れて血流を確保したという。なるほどまるで「ミクロの決死圏」のような手術法がいつのまにか普及したおかげで、昔なら即死だった急性心筋梗塞の死亡率は5%程度まで下がったのだと言う。血管の詰まったところに内側からじかにチューブを入れて血流を回復するというのだから確かに身も蓋もなく明白な治療法だ。但し血栓ができる原因そのものが消えた訳ではないから、今後も心筋梗塞や脳梗塞の不安からは逃れられない。父はもう80歳を超え、40年以上入院したこともなかったので、本人もそうだが周りも驚いた。一週間から十日の入院となるが、まあこういうことがあると、いろいろと考えさせられる。急に温かくなったり寒くなったりという気候の変動もあるだろうが、そのせいもあったのか月曜から火曜にかけて風邪気味になり、予定を変えて家で寝込んでしまっていた。その間に確定申告の書類作りができたけどね。

2006.03.07

羽田事件解決

 これは何のことかというと、全州大学の訪日の時に羽田空港国際ターミナルで起こった事件のことであり、みんなで抱擁し合いながら送り出した羽田の出国検査場で、ただ一人団長の朴炳棹教授だけが過度に執拗な取り調べを受けたという出来事である。金属探知機に引っかかった教授はベルトと靴を取り上げられ、心配して見守る学生たちの前で執拗な取り調べを受けた上、持ち物も再検査され、アルバムの写真の一枚一枚までチェックされたという。教授は学生たちの前で恥をかかされたと怒り、検査官には明らかに朝鮮民族に対する差別感情があったと手紙を送って来た。ぼくもアメリカなどで似たような経験をしたことがあるので、それはたまたまそうなっただけで別に日本人の韓国人差別ではないと返事を書いたが、韓国ではベルトを外されるというのは犯罪者の現行犯逮捕の時にやることであって、それを学生たちの面前でされるという屈辱は帰国しても尚忘れ去りがたいと言う。多少は朴教授が過敏すぎるとは思ったが、しかしそこまで怒っているし、もともと羽田の国際ターミナルの係員の態度があまり良くないと感じていたので、問い合わせをすることにした。
 最初は入国管理局の羽田出張所に手紙を出した。すると出張所長からすぐに電話がかかってきて、「金属探知」は入管の担当ではないという。あれは各航空会社が共同で警備会社に外注していると教えてもらい、今度は日航のカスタマーズ・サービスの電話窓口に問い合わせる。すると、クレーム処理の専門家とおぼしき担当者は今度はきわめて腰が低く、それは重要な問題なので当社としては徹底的に調査してお詫びしたい、つきましては文書で当該部門であるCS(カスタマーズ・サービス)推進センターに問い合わせて欲しいというので、問い合わせと抗議の文書をセンターに送った。そこから一週間待たされて、センター長のH氏の名義での返信。これにちょっとカチンときた。
 監視カメラの映像が残されていて、それと当該警備会社の担当者からの聞き取り調査で、警備会社側には何の落ち度もなく、金属探知に引っかかった人すべてにやる調査を行っただけである。それどころか、激昂され暴力さえふるいかねなかった朴教授の方に問題があるというような返事だった。要するに警備会社+日航には何の落ち度も無く、悪いのは客の方だというのである。これにはあきれ果てた。「お客様の視線で考える」というのが日航グループのスローガンの一つだが、「CS推進センター長」という肩書きを持つ人の発言とは思えないと、更に抗議文を送った。何の犯罪とも関係のない顧客、しかもこの場合には国際交流団体の代表者を不愉快な気持ちや「激昂」させるような検査体制に本当に不備がないのか、またその結果から生じるさまざまな影響に関してどのような見解をお持ちなのか、必要ならば社長(この後すぐに解任されてしまったけれど)から法務省にまで内容証明付きの抗議文を用意しているというような手紙を送ったところ、今度はH氏の上司でありCS推進部長であるY氏から電話がかかってきた。掌を返したように日航側の不備を詫び、謝罪と今後の金属検査におけるサービス改善を約束する手紙を作ってくれた。さすがに人の上に立つ人は違うと、Y氏の対応に感心すると共に、それまで単に自分たちには非が無いと言いはっていた日航や警備会社の体制はどうなのかと思った。以前にApple社のカスタマーズ・サポート体制について触れたように、クレーム処理が日常化している大会社では、とにかく自分たちの責任を問われないことにばかり腐心して、サービスの根幹を忘れ果てているような気がしてならない。今回も、こちらが本腰を入れて徹底的に追及する姿勢を見せなければ、木で鼻をくくったような返事でおざなりな対応ですまそうというのが明白である。日本ばかりではなく、世界中の空港でロクでもない検査官たちが、乗降客の旅の気分を台無しにするようなことを日常的にやっている。あいつらは役人でも出入国管理官でもなく、単なる外注された警備員なのだ。異文化に関する知識も、人間としての当然の礼節も知らないような連中が世界中の空港のゲートでトラブルを引き起こしている。だから、それに対してはもっと抗議の声をあげなければいつまでも改善されることはないだろう。抗議はだから自分が利用した航空会社にするしかないのだ(ちなみに羽田ではJAL,ANA,JAAの三者が合同でJ**社に委託しているので、航空会社自体の責任も分散されている)。
 とまれ、この謝罪文を昨日朴教授のもとに送った。これで少しは怒りを鎮めてもらえるだろうか?

2006.03.04

焼肉「安安」へ

 2日は「チュートリアル試行」ということで、一年から三年の十人の学生たちと個別面談をした。これは、学長裁量経費で出している「ジョブ・マッチング」絡みの企画で、毎年全学生と面談して、履修や将来の計画に関する相談をすることで、卒業後の進路をサポートするという、文字にするとかなりつまらない企画なのだが、何しろ全州大学の日本公演などでお金をいっぱい使わせてもらったこともあり、断れない。同じような状況の榑沼君と二人で十人の面談を始めたら、これが結構面白く予定時間をオーバーしてしまった。しかも、ほぼ全員がその後もつきあうということで、結局は飲み会に移行。横浜駅近くの岡野町にある焼肉屋「安安」へ。ここは学生たちには有名な店らしく、何しろ安い。一皿290からで、今品薄で価格が上昇している牛タンですら490円。死ぬ程食べた後は久しぶりに更にカラオケまでつき合わされた。個別で面談するとふだんなかなか聞き出せない一人一人のこだわりや悩みが浮かび上がってきて興味深い。もちろん、すべてに適切な助言ができるわけではないけれど、やることによってぐっと学生たちが身近に感じられるようになる。全員はなかなか大変だけど、後の焼肉もコミでならもう少しやってもいいかもしれない。

2006.03.01

覚え書き

 去年はゼミ生たちにブログをつけるのを課題にしたので、随分こまめにエントリーを更新していたが、そういうのがないとやはりさぼり気味になる。先日、「WALK」の原稿でネットにおける言説史の展開などを書いてしまったために、ますます書くのが気が重くなる。‥‥が、まあ気を取り直して、ここ数日あったことだけ簡単に書いておこう。
 23日は、非常勤講師に来てもらっている劇団唐組の久保井研君が担当する「舞台芸術論C」の発表会。久保井君には三枝さんと共に唐さんの不在を埋めてもらっているが、最初は講義を試みたにもかかわらず結局は実習に変わってしまった。30人以上の受講生を使って唐さんの「少女都市からの呼び声」の前半部を実際に上演する。旧唐研究室の舞台を使い、暗幕と段ボールで遮光し、照明は裸電球にアルミホイールを巻いたものを使う。こうしてここで公演をするのは2001年の1月に第一回唐ゼミ公演「24時53分、塔の下行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている」の時以来だからちょうど6年ぶりか。唐ゼミ★や三日月座で演劇をやっていた子もいるが、台詞を発するのが初めてという子たちもいて、なかなか新鮮だった。
 久しぶりに大学に唐さんが来てくれたので宴会。唐組メンバーや新宿梁山泊の大貫君も来てくれて盛会だった。
 これから入試シーズンに入る。まずは25日には前期入試と採点。さらには定年で辞めていく人の最終講義や送別会が卒業式まで続く。その後一週間後には入学式。大学の春休みは結構忙しい。
 28日はパレスホテルで読売演劇大賞の授賞式。演劇関係者が大勢集まるパーティだった。唐さんはタキシードを着てあがりまくっていたが、喜んでいた。二次会は新宿ゴールデン街の「二都物語」。雨が降り出した中を「トリノ・オリンピック」の特集本を作り上げたばかりの朝日新聞社の近藤さんと一緒に帰った。唐組も唐ゼミも稽古が始まり、三月中旬には松本修版の「唐版俳優修行」の公演、それに合わせて三枝健起さん演出の「秘密の花園」の稽古も始まる。

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