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2006.05.16

日本記号学会「記号としてのテレビ」終了

 東大駒場で開催された第26回大会は石田英敬実行委員長の下に、テレビ関係者及び社会学系のテレビ研究関係者など多くの学会以外の観客を集めて大盛況のうちに終了した。一日目は石田氏、F.ジョスト(パリ大学)、朴明珍(ソウル大学)の三人の基調報告に原由美子氏、小林直毅氏がコメンテーターとして参加、続いて東海大学の水島久光さんの司会で、増澤洋一、原宏之、和田伸一郎各氏によるテレビ・コンテンツに関するラウンドテーブル、7時からは懇親会が開かれた。こちらも大盛り上がり。9時過ぎに終わってからは、吉岡洋、坂本百大、磯谷孝さんらと共にジョストさんと滞日中彼の世話をしているロドリーグ・マイヤールさんと一緒に渋谷の焼き鳥屋へ。終電で帰宅。
 翌日は朝から研究発表の分科会。ラウンドテーブル2は技術部門からのセッションでサーバー型放送に関わる川森雅仁氏、TVMLをやっている林正樹氏、ワンセグ放送の仕掛人佐野徹氏。三つ目が水島さん、西兼志氏の報告に続き、桜井均、金平茂紀、港千尋氏らによる討議‥‥と、まあ盛り沢山でいいかげん疲れた。予定終了時間を1,5時間もオーバーして7時に終了。そのまま花園神社の紅テントに顔を出し、終電。
 さらに月曜日は大学に出てから恵比寿の日仏会館で行われた「日仏テレビ分析の最前線」。ジョストと伊藤守、小林直毅氏らによる3時間の討議。終わってから、ジョスト、マイヤールと新宿ゴールデン街へ。ぼくの学生のチンツィア・コデンも一緒だったので4人のうち3人はヨーロッパ人という変な顔ぶれで店を二回変わる。なぜか別な店で飲んでいた宇野マサシさんご夫妻とバッタリ顔を合わせたりして面白かった。当然この日も終電‥‥。というわけで、ようやくハードな3日間が終わった。金曜からはまた唐ゼミ★の横浜公演で終電が続くことになるわけではあるが。
 ジョスト氏との関わりや飲み会のことは別のエントリーに回すとして、学会のことについて記せば、普段とは違う社会学系の参加者やテレビ関係者などを集め、盛り上がりを見せた大会になった。石田研究室のおかげで大変感謝している。他方、余りにたくさんのゲストを呼び込んだために全体としては詰め込み過ぎでテーマがよく見えてこないというきらいもあった。正直言ってテレビ研究というのがまだまだ低いレベルの議論に留まっており、とりわけそこに自らの鏡像や「進むべき道」を求めているテレビ関係者と、専門領域としてテレビを対象とする「テレビ研究者」が入ってくると、何だか業界政治の談合のような感じも否めなくなる。ソシュール系の記号学ではだめだと言いながら、バースの記号論の解読格子を適用したり、カルスタ系のイデオロギー批判と商業主義にあえぎながらテレビの「公共性」を訴える「マジメなテレビ人」の愚痴など、いろいろなものがそこに陳列されたが、それが統一されたバースペクティヴの下に配置されるわけでもないので、やや散漫な議論に終始したように思われる。
ぼく自身は、「テレビ」というメディアはとうの昔に終焉した/変質したものだと思っている。デジタル情報処理が普及する中で、テレビは汎情報空間の中に取り込まれ、テレビ局は数ある「コンテンツ・プロバイダー」のひとつになっていく。すべてがデータベース化され、これまでフロー型で消尽されてきた映像コンテンツもすべてストックされ管理されるものになっていく。そこで重要なのはそうした情報を引き出し、編集し、「文脈化」する権力である。これまでテレビ局にのみ付与されて来たこうした権力が、デジタル技術の普及によってどんどん分散化され、複雑な映像=権力(文脈化する権力)の政治学が生じていくことになる。その意味では技術セッションが一番面白かった。一ヶ月分のすべての放送をハードディスクに蓄積し、好きな時にそこから好きな番組を選んで見るようなサーバー型の視聴形態や、時間に関係なくすべての番組を引き出して見るオンデマンド型の視聴形態、誰でもワープロで文章を書くように簡単にテレビ番組を作れてしまう林氏のTVML のような個人映像制作ツールの開発、家ではなくどこでもテレビが携帯電話で見れるワンセグ放送などの流れは、テレビというメディアを内側から崩壊させていくだろう。こうしたより開かれた文脈で論じられなければ、テレビ研究は単なるテレビ文化研究となってしまい、それはマンガ研究がそうであるように、従来の「文学研究」や「美術史」の反復に堕してしまうように思われるのである。そうではない新しい視点を作り出すことができるのは、今回の学会で壇上に登場した古いタイプのテレビ人やテレビ研究者ではなく、フロアで話を熱心に聞いていた若い世代の研究者たちに違いない。現状の継続の中からは新しい潮流は生まれないのではないか。確かにアーカイブ作りは重要かもしれないが、本当に重要なのはテレビを古い枠組みから開放して、情報空間、もしくは情報環境の中に捉え直すような新しい理論的枠組みなのではないだろうか。
 そんなことをずっと考えていた。20060513003

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