« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

2006年8月

2006.08.31

リンツも寒い

Linzも寒い
とにかく中部ヨーロッパは天気がぱっとしない。
ミュンヘンから普通電車を乗り継いでリンツに到着。駅がガラスのモダンな建築。

ホテルは駅前のイビスを取ってあった。
ここで頼んであった日本からの小包を受け取る。

そう、小型のVAIOを頼んであったのだ。これも小さいけど、WZero−3よりは画面が四倍大きい。キーボードもちいさいけれど両手で打てるし親指打ちもしなくていい。

というわけで、写真も復活できそうです。

ただし、設定が大変、今晩なんとかして明日からはまた再開します。

ミュンヘン

 ベルリンからミュンヘンへ
 あさ10:50発のICEでミュンヘン着が17:13。新幹線のような高速列車でしかもルートがライプチヒなど旧東独経由で近いはずなのだがそれだけかかる。

 このところずっと天気が悪く雨が多い。ポーランドよりはましだが寒い。その上列車の中はがんがん冷房がかかっていて寒い。こんな国に住んでいると太陽が恋しいだろうし、南欧にリゾートに行きたくなる気持ちもわかる。

 ミュンヘンは想像以上に行き届いた街。駅近くのホテルで便利だし何でもある。何よりも街自体がとても行き届いた感じで、明るい。

 当然のようにホテルにはWiFiサービスがあるので更新中。

 今日は日曜なので美術館が安い。
 ミュンヘンの場合、ただにはならないが入場料が1ユーロになる。日本の場合土日の売上に頼っているのでそうはならないが、平日でもいいから無料デーとか100円デーとかを作ればいいのに。

 そんなわけで、アルテ・ピナコテーク、ノイエ・ピナコテーク、ピナコテーク・デア・モデルネと並んで立っている三つの美術館に行く。過去、近代、現代と時代別に分かれていて、ある意味とても保守的、というか古典的な美術館だ。

 ポーランドでも感じたがルネサンス期の絵の発色がとても鮮やかに残存している。イタリアやフランスでみると色あせている。これは気候のせいだろうか、保存技術のせいなのだろうか。多分気候のせいなのだろう。ここにも巨大なルーベンスの間があって下絵もたくさん展示されている。この画家の途方もない生命力には本当に驚かされてしまう。新絵画館の方にはゴッホのひまわりとオーベールの麦畑があった。

 現代美術館は、ほかの街とは違って(絵画館と名乗っているからだろうか)映像展示はほとんどない。ヨーロッパとアメリカの戦後美術だけで、日本やアジアのものはない。(デザイン部門に展示されていたソニーのvaioとアイボくらいか)。

 ほかの街とは違って街や美術館では日本人の姿をよく見かける。どうも日本人はミュンヘンが好きなようだ。

 それにしても天候が不安定で寒い。上着を着ていても風が寒く襟を立てておさえながら歩いた。


 寒いから部屋でテレビを観れば
 相変わらずミュンヘンは寒い。時折雨も降ってくる。一応セーターは持ってきているが更にその上に上着のボタンをしっかり締めておかないとならないとまでは思わなかった。天気図をみるとヨーロッパ全域に雲がかかっていてそこから外れているのは中南イタリアとイベリア半島だけだ。あの暑さがなつかしい。旧市街を寒さに凍えながら歩く。

 思えばムンバイの列車爆破、ロンドンとドイツの未遂テロ、トルコの爆弾事件と、こちらに滞在中、立て続けに事件が続き、イスラエルのレバノン爆撃、アメリカとイスラエルの意向に沿った国連軍の派遣(なぜヒズボラの武装解除をレバノンに押し付けるのか?)、イラクの内戦、イランや北朝鮮に対するアメリカの強い脅しと激動の予兆に包まれつつあるように思われる。その一方で、アメリカとヨーロッパの株式の好況もますます進み、世界は再び混迷の時代に突入しそうである。もはや外の敵ではなく内側に深い闇をかかえた新しい中世が始まっているようだ。

 こういうことは日本のメディアではあまり伝えられないが人ごとではない。小泉の靖国参拝や総裁選の情勢はこうしたアメリカと反グローバリズム運動との根深い対立構造と無関係ではない。

 もちろん全体的な見取り図を描くのはとても難しいかもしれない。だが重要なのはテロも爆弾も何かに対する<抵抗>であるということだ。それを力で押さえつけ、宗教的偏見を植えつけるのが間違っていることくらいは普通の想像力があればだれでもわかることである。メディア王が牛耳っているといわれるアメリカのCNNがどんなに偏向した報道をしていても、その背後で抵抗者たちが何を目指しているのかを読み取る想像力が必要だ。最初から関心も意欲もなく消費に明け暮れている日本の大学生たちに欠けているのがそうした想像力なのだが、なーに人間なんていつでもどこでもそう変わらない。街の物乞いをみていてもやはり赤ん坊を抱えた母親がダン突に強い。

 文化もまた闘争の結果ではあるが、それと同時に爆撃で丸焼けになった廃墟の青空や、焼け残って咲いているちいさなタンポポに目を向けることのできるのも人間なのであり、文化なのだ。

 10センチの小さな端末であまり長い文章を書くことはできないが、CNNを観ながらそんなことを思った。

 明日はリンツに移動する。


コメント コメントを書く

2006年08月31日
13:10

Studio
アメリカは、イランをやる、と決めたと、とある情報筋から聞いた。それも、早い時期にたたくらしい。(そういえば、2週間くらい前の読売新聞の朝刊にキッシンジャーが寄稿していて、その中でもイランのプルトニウムがある程度のレベルに達する前に何とかしなくてはならない、とかいていた)室井の言う「予兆」には、駆け足の音がふさわしい。

2006.08.25

ベルリンから

 ベルリンに来たのは91年の夏だった。壁が壊されたばかりでホテルが足りないということで、100キロ近くはなれたフランクフルト オーデルというポーランド国境の街に泊まって、バスでベルリンに通った。

 ワルシャワから汽車に乗ってくるとそのフランクフルトを通過する。国境の橋はあの頃はポーランドからの買い出しの車で混雑していたが、いまはドイツ側から物資を運ぶ大型トレーラーで渋滞している。

 このオーデル川には思い出があって、旧東独の田舎町でなにも見るものはないのだが、早朝河岸に降りて橋を眺めていたらがさごそ音がして、見ると朝霧の中に大きな鹿がこちらを眺めていた。

 シャルロッテンベルク城はバスで行ったし、ブランデンブルク門もバスで行った。新旧の美術館と、バウ・ハウスにも行った。

 今回もポツダム広場から、ブランデンブルグ門にかけて歩いた。東ベルリンのシンボルだったテレビ塔も健在。新国立ギャラリーではちょうど"ベルリン東京"という日本をテーマにした展覧会。近代のベルリンと東京の関係をテーマにしているが、MAVOなどの展示はおもしろいが草間弥生とか宮島達雄とか、まあそんなもんだろうという展覧会。伊藤豊雄が木材で曲面の展示スペースを設計していたのが面白かったが、その中にあるのは小沢剛のブルーシートハウスとか、まあがらくたが多かった。

 この近くには新しく作られた、クンストフォーラムという施設や、劇場、コンサートホールなどができ、整備されつつある。ブランデンブルク門でも地下鉄の駅の工事をやっていた。

 やはり、ポーランドから来るとベルリンは歩きやすい。治安もよく街自体が落ち着いている。日本とほとんど変わらない感覚で見て回れる。逆に言えばあまり目新しいものには出会えないということでもあるが。


コメント コメントを書く

2006年08月25日
20:39

ERI
ベルリン-東京はこの間まで、森美術館でやっていたものが巡回しているんだと思います。
2006年08月25日
21:36

ash
ああ、完全にそういう感じの展覧会だね。なるほど。

2006.08.24

ワルシャワから

クラコフからワルシャワへ
ワルシャワについた。高速列車で2時間45分。

しかし駅前がだだっ広いだけでさびしい。車や人は多いんだけど、まだまだ濃厚に社会主義のにおいを残している。クラコフが旧市街はしっとりしていただけにギャップが大きい。

ホテルは駅前にある31階建てのNOVOTEL。本来はとても高いのだろうけど、ネットで安くとれた。部屋は30階でキングサイズのベッド。ひさびさにバスタブもある。

しかしこまったことに無線LANのあるところで使っていたWZEROー3の中身が壊れて接続できなくなった。ネットカフェに頼るしかない。幸いここでもものすごく安いネットカフェがすぐ見つかったのでこうしてつないでいるけど。

ここでぷらぷらしてから、 ベルリン、ミュンヘンを回りそれからリンツのメディアアートの祭典アルスエレクトリカだ。そこでは一週間以上のんびりする予定。日本人も多いだろうしね。

クラコフで泊まった郊外もそうだが、なんとなく日本の70年代初頭の新興住宅地のようなにおいがする。資本主義が急速になだれ込みさまざまな社会的なきしみがそこここに見られる。


コメント コメントを書く

2006年08月22日
09:03

SVP222
WZERO-3の中身が壊れてしまったということは具体的にはどういうことでしょうか?
ぼくもWindowsmobile5をつかっています。
2006年08月22日
21:27

ash
何度か再起動したら、中身のファイルがいくつか壊れてしまったんだよね。
この場合重要なのはInternetExplorerが使えなくなったことだ。有料の無線LANサービスの場合ウェブのパスワードで使えるようになるのだが、Operaではこの認証ができないのだ。

直すチャンスとしては完全無料のWifiの時にExpxorer戻すしかないのでは?
昔のbackupファイルもしっかり壊れているしね。
2006年08月23日
16:15

ash
ネットカフェでいろいろ調べて初期化したら使えるようになった。いくつかファイルは消えたけど。
というわけでうまく行きました。
Wzero-3は本当いいマシンだよね。またこの不完全なところがいい。

ワルシャワの印象
駅前の文化科学宮殿は50年代にスターリンのプレゼントということで、建てられたそうだ。ちかくには社会主義時代の無愛想な高層住宅が何棟かと、最近建てられた高層のホテルやビルが景観を無視して立てられている。

要するにソヴィエトとアメリカの両方がしたい放題した結果が、この駅前なのだ。

僕の泊まっているNovotelもそうとう変な建物である。30階の僕の部屋の正面に文化科学宮殿が立ってる。なんだか、上の方は新宿南口タイムズスクエアの時計に似ているなあ。

ワルシャワは何しろほとんど焼けてしまっているので、訪れた旧市街や城壁はすべて再現されたもので、規模も小さい。要するにハウステンボスとあまり変わらない。なんとなくばらばらな印象がする街だが、東京や横浜に似ていなくもない。

加須屋さんご推薦の現代美術館ザヘンタギャラリーを見学。写真と映像の展覧会をやっていた。どこでも一緒だ。

ほかに観光客らしくショパン博物館も。

それにしてもここは寒くて、部屋の中でも夜は暖房が欲しいくらいだ。セーター着ている。

ワルシャワ3
毎日30階の部屋から前に広がる広大な駅前と文化化学宮殿を見ながら暮らした。クラコフも入れるともう一週間以上もポーランドに居たことになる。正直そんなに見るべきものがあるわけでもない。ショパンにしてもそうだがヨーロッパの周縁で中央で認められるしかない。そして背後にはずっとロシアが控えている。

今日行った国立美術館の巨大な建物の半分は軍事博物館になっていて、庭には百台ほどの本物の戦車、戦闘機、ヘリコプター、高射砲などが並べられている。ここは警備も軍人がやっているからリアリティがある。

町全体が軍事仕様なのだ。とても300万人ちかくが住んでいる街とはおもえない。暗くなると駅前の人通りもすくなくなる。それでもなぜか24時間営業の店が多いし、繁華街では異常な数のチラシ撒きの若い人たちが群がり、ほかの東欧の街同様、子供を抱いた乞食や、タバコをねだってくる浮浪者が多い。

そうだ。タバコといえばドイツに行く前にまとめ買いしとかなくては。ここは日本よりちょい安いくらいか。ハンガリーはもっと安かった。ドイツやフランスでは約2−3倍になる。

ブランドショップはまだ少なく、商店の品ぞろえもまだ地味だ。結局プラハが一番資本主義が浸透していた感じだ。今後この地域はどうなっていくのだろうか。ここよりも遅れているルーマニアやウクライナから移民が流入しているようだし、さまざまな社会不安の要因に満ちている。

そういえば明日行くベルリンも91年に行ったときには壁が壊れた直後で東側は閑散としていたがどうなっているのだろうか? あそこも東京みたいな街なので、2泊で、まだ行ったことのなかったミュンヘンに焦点を絞ったが、東ベルリンの変貌が気になる。

2006.08.19

クラコフから

(写真は「マイフォト」のAugustInEuropeにいくつかuploadされています。)

その1

クラコフについた。プラハから、長距離列車の旅。またしても遅れで乗換に手間取る。
今回予約したホテルはちょっと失敗で、中心部から4kmもはなれている。ただし、とても安くて豪華。プールやサウナまである。

宣伝では各部屋でPCでインターネット使い放題とあったが、やっぱり英語とポーランド語のみ。日本語表示できず。まあそれでも旅情報の検索はできるけどね。

今日はレセプションで出会った、日本人夫とポーランド人妻のカップルに車で送ってもらいカフェで会話を楽しむ。中西さんという夫婦だが、アメリカでであい、西東京にすんで、英語で会話しているという。

クラコフは安全な街で、旧市街にこじんまりとすべてがおさまっている。町中のネットカフェも雰囲気がとてもいい。

それにしても、奥さんのシルヴィアが言っていたように、日本人観光客の姿はほとんど見かけない。

夕方には昨日電話した、K.インガルデンさんと会う予定。

ここでしばらくのんびりしてから、ワルシャワに月曜に移動する。

クラコフ2
夕べは、クシシュトフ インガルデンさんと飲んだ。哲学者のロマン インガルデンの孫で、お父さんも大学の物理の先生で、育ちの良さがにじみ出ている。年はぼくよりも三つ下だが、身なりも小奇麗で、若々しい。

東京のポーランド大使館や、去年の愛知万博のポーランド館をはじめ、クラコフでもたくさんの建物を手がけている。売れっ子である。

日本とのかかわりは古く、大学1年生の時に北海道から九州まで旅したり、礒崎新の事務所で働いたりしていたり、日本人の建築家にもくわしい。

中央市場広場の近くで、食事をして、再開発されて地元民に人気のユダヤ地区で、ウオツカを飲んだ。

今日は、"マンガ"美術館と王宮に。この"マンガ"は、漫画のことではなく、コレクターのニックネームで、中身は浮世絵や陶磁器、刀剣類のコレクションである。建物は礒崎新。外務大臣や国際交流基金の感謝場がたくさん張られているが、個人コレクションなのでこじんまりした感じ。

2006.08.16

プラハから

 プラハに着いた。
 ブタペストから七時間列車に乗ってプラハに。ここは雨。
 どうも東欧はぐずついた天気だ。

 ホテルにはすぐに入れたが、さすがにWiFiまではなく、繁華街のネットカフェからである。

 明らかに、ここの方が、ブタペストよりは先進的である。

 ブタペストでは、日本語読めなかったからなあ。

 ここに来たかったのは、言うまでもなくカフカの街だから。それと、修論で扱った、Jan Mukarovskyの街だからである。縁があるし親しみのある場所だからだ。

 ここにはいつもどおり、3泊するので少しゆっくりできる。というよりもポーランドでは、4泊ずつにしようかと思っている。

 国立国際の加須屋さんが紹介してくれた人たちから、連絡も入っている。

 明日はカフカが住んでいた、旧市街を歩いてみたいと思っている。


その2
 カフカとプラハ
 町を歩くと古いものと新しいものが混在していてとてもいい町である。若い世代は英語もよくできるし、元気で資本主義に適応している。

 だがブタペストでもそうだったが、古い世代はそうでもないようだ。ごみ箱をあさる老人や、ベンチで寝ているのはけっして移民や出稼ぎ労働者ではなく紛れもなくこの国で生まれた人たちだ。格差がここでははっきりと目に見える。

 カフカの生家は意外にも旧市街の中心の広場にあった。だがこの家もユダヤ人町も取り壊されて昔のおもかげはないと言う。入り口だけが当時のものだそうだ。

 カレル橋をわたっ対岸には、新しくつくられたカフカ博物館があり、こちらはハイテクを駆使した展示だ。

 カフカの行動半径はとてもせまく、ほぼこの周辺でくらしていたことになる。働いていた保険事務所もすぐそばだ。

 思わずカフカのTシャツを買ってしまった。

 町は観光客だらけ。前からきづいているが団体ツアーが多い。昔は日本人の専売特許のようだったがフランス人やドイツ人も目立つ。まあ2カ月以上も休みを取れて遊び回っているアメリカ人ばかりではなく、つましい生活の中で短期集中の旅行をしている人たちも多いということだろう。

 その後WiFiが無料のカフェを発見。WZero-3で快適にアクセスしている。

その3

 プラハといって忘れてはならないのが、フルッサーである。
 彼もまたユダヤ地区で生まれ、ドイツ語で書いた。
 ユダヤ人ばかりでなく、チェコでは長い間自国語をしゃべることがゆるされなかったのだ。

 そうした中からスメタナやドヴォルザークのような国民音楽が生まれ、カフカやフルッサーのようなマイナー作家も生み出した。

 そんなことを考えながらユダヤ地区を歩いていると、何だか王宮とかにはいきたくなくなってしまった


2006.08.13

ブダペストから

 こりずに更新
 ずっと電源切ってしまっていたWillcomのWZERO−3(ぼくのPHS)を復活。ホテルのWIFIサービスが、使える。無線LANのあるところなら大丈夫になった。

 結局ブタペストについたのが五時過ぎ。盗難騒ぎで予定が狂って観光できなくなった。

 ちょっと予約したホテルが高いし、それほどたいした町でもないか、と二泊にしたのが今からすると残念だ。

 仙台、いや金沢のような渋い町で、夜ちょっと散歩したらとてもいい感じ。店が、どれもこれもとてもセンスがとてもいい。文化度が高い感じがする。それに女の子がすごくかわいい。しっとりした町だし静かだ。

 ホテルもすごく広くていい感じでくつろげる。
 月曜日にはプラハに移動の予定。

 大丈夫、PC盗られても何とかこれとネットカフェでやっていけそうです。

 写真もそのうち復活します。
 WZERO-3のパワーを使い切ってやる。

PS と思ったら、町中のネットカフェがハンガリー語と英語だけで日本語使えず、浮浪者も異常に多いし、やはりいろいろ問題かかえている町かも。


2006.08.12

いろいろあるもので.....

 今度はPCを盗まれた。ウィーンのえきで、車中でだ。荷物を席に置き、外でタバコを吸っていた。貴重品は全部着ている上着の中。席の前で、よく車中が見える場所で一服。危険はないはずだった。

 そこにひとりの男が喋りかけてきた。これはどこへ行くのかとかそういうどうでも良いことだ。どうやら、その間に仲間が、僕の視線がそれた隙にやったらしい。
 二人で、組まれたら、防ぐのはなかなかむずかしい。

 盗られたのはPC本体だけ。カメラも、航空券も、電子辞書も無事だった。あっというまの早わざだ。

 警察にもいったので、保険はおりると思うが、うしなったものはおおきい。

 まあ、開き直ってネットカフェめぐりでもすることにしよう。

ちょっとドキュメンタリー

PC wo Nusumareta!!
Wien no Eki de Honno chotto shita Suki ni Laptop wo Nusumaremashita.

Hoken ha kiku kede, Wooo...n, Maitta.

Hokaniha Nanimo Torarete Inai shi Daijoubu nanodesuga,

Imamade Tsukai Taoshite Kitakara na....

Romaji Nikki ha tokiori Tsuzuketai to Omoimasuga, Mail ga Tsukaenai noga Kitsui.


コメント コメントを書く

2006年08月12日
18:33

SVP222
愛着のあるもの取られるのは・・・ぼくもパリで大事なものをなくしてこたえました。でも身軽になれたり、例えばクォヴァディスのノートを使う機会ができますよね。

ローマ字の日記なんですが、Webベースの日本語入力サービスがありますので、これを利用すれば日本語でできると思いますがいかがでしょうか?
http://ajaxime.chasen.org/
2006年08月12日
18:44

ash
本当だ。これは凄い。
どうもありがとう!

これで、ネットカフェでも更新できそうです。
2006年08月12日
18:50

ash
それにしても、あまりにPCが便利なので、こわれたら どうしようとは、思っていた。ぶつけて、蓋のあけしめも変だったし。
しかしまさか、盗まれるとは!

警察の話では、多分単純に初期化して、売るだけで、組織的なものではないだろうということだけど、世界でぼくだけに重要な情報が満載だったのにね。

でも、当分メールはヤフーメールの、hisashimuroi@yahoo.co.jpだけしか使えなくなります。
2006年08月14日
01:21

龍の子風の子
oo nantekoto!! a, watashi made romaji janakutemo もとい 私もローマでコートを切り裂かれて、その下のかばんの中の物をすられたことがあるので少しはお気持ちがわかるのですけど、何ともいえずや〜な感じですよね。でもお体はご無事で何よりです。旅(研修)の充実と貫徹を、もはや亜熱帯と化した名古屋の空からお祈りしております!! 

ウィーン、記事二つ

 そろそろWifiの時間が切れる。後は電話回線で行くので写真だけ先にあげておいた。

 やはりウィーンと言えばドナウ川。だけど、地図を見るとドナウはなぜか四本もある。運河とか、新ドナウとかややこしい。それでも地下鉄で見当をつけて行ってみた。全然美しくも碧くもないよどんだ川だがやはり広い。西の方には山と「ウィーンの森」が見える。

 思えば子供の頃ウィーン少年合唱団をテーマにした映画「野バラ」とか「ウィーンの森の物語」とかで、ウィーンのイメージは作られている。あとは、「第三の男」の大観覧車ね。これも見に行ったけど、二つある。多分こっちの方だと思うけど。

 それから、フロイトの診療所があった「フロイト博物館」。いきなり道に「フロイト」って看板が出ていてわかりやすい。

 そんなこんなで町をそぞろ歩く。どこもかしこも博物館のようできれいな町だ。

 明日はちょっと観光客っぽく、観光用のモーツァルトのコンサートにでも行ってみようと思う。

その2

 それにしてもここは寒い
 朝晩には10度を切るくらい。日が出ているとマシだけど。
 こうなると、南イタリアが恋しくなるから不思議だ。

 ウィーン最終日の今日は、まずはネットで調べた社会記号論研究所と思われる住所へ。

 前にも書いたように、一応ぼくはイタリアのバリ大学とウィーンの社会記号論研究所で「研修」をしていることになっている。だが、バリでスーザン・ペトリッリが電話してくれて分かったように、社会記号論研究所長のJeff Bernard は重度の「パニック障害」で人に会ったり外に出たりすることが全くできないらしい。そこで、せめて建物の写真でもと思って行ったのだが...違った。

 どうやら、そこはJeffの自宅のアパートのようだった。これじゃ仕方ない。Jeffには一緒に住んでいるGloria Witthalamという同僚がいるので、後から彼女に連絡を取ることにした。中で療養中であろうJeffの回復を祈って立ち去る。

 それからMQ(ミュージアム・カルチエ)という最近できた美術館広場に行き、レオポルト美術館と現代美術館を見物。レオポルトは個人コレクションでエゴン・シーレが大量にある。あとはクリムトとココシュカが少し。現代美術館は写真と映像の展覧会をしていた。ポンピドーの映像展と比べるとやや単調か。面白かったのは、余り期待せずに入った「音楽の家」(Haus der Musik)で、ハイテクを駆使して音の世界を表現している。

 今日はこれから、楽友協会の大ホールに、モーツァルト・オーケストラのコンサートに行く。明日は、ハンガリーのブタペストに移動の予定。そこから、チェコ、ポーランドに移動するが、きっと寒いだろうなあ。大阪の国立国際美術館の加須屋さんから、いろんな人を紹介してもらっている。


 イギリスのテロ謀議発覚騒ぎで、イギリスの空港が大混乱になっていると思ったら、どうやら日本やシンガポールでもセキュリティを厳しくし始めたらしい。鬱陶しいことである。

 アメリカがブッシュの言うように「今でも戦争中である」として、この「テロとの戦い」という悪夢の中に世界中を巻き込むつもりなのだろうか? 見えない敵におびえながら、乗り物の中に何ももちこめないとか、ゴミ箱がどこにもないとかいう状態がいったいいつまで続くのか疑問である。

 ロンドンの爆発騒ぎ、ムンバイの列車爆破、そしてイスラエルのめちゃくちゃなレバノン攻撃と、意外なヒズボラの健闘。2001年から5年目の今年、中東とムスリムへの恐怖感が、アングロ・サクソンの国家間で異様に高まっているようだ。それにしても、国連が全く機能しない上に、米国のトップも舵をうまく取れなくなっているらしい。ヒズボラの問題と、航空機テロの問題は深く関係している。誰だって、そんなに喜んで次から次へと「自爆テロ」をするわけはないのだ。

 「特攻」をやった日本人ならそれはわかるはずである。彼らが「自爆」するには、それ相応の具体的な理由があるからで、それが解決されない限り、いくらセキュリティを強化しようが、「テロリスト」を逮捕しようが、状況が改善されるはずがない。


コメント コメントを書く

2006年08月12日
04:24

ERI
「特攻」やった日本人の具体的理由については、その頃の日本の国家のあり方だったのでしょうか。「お国のため」というところにアイデンティティのよりどころがあったのかどうか、戦後生まれの私にもすでに不明です。だけど、アイデンティティによりどころは無いということを思想的に伝えていく必要はあるのかな。

今日本のニュースでは
・イギリスのテロを企てたのは、移民二世で、自分たちのアィデンティティを求めるために自爆テロに走った。
・靖国の合祀について、大阪の遺族がはじめて違法であると訴えを起こした。

を、やってます。
195295802_1
195295802_62
195295802_66

2006.08.09

1日遅れでウィーン

 フィレンツェを11:14に出てボローニャへ。ここからヴェネチア・メストレに向かい、30分の待ち時間でウィーン行きユーロスターに乗り換えることになっていたがーーーヴェネチア行きが来ない。

 最初20分遅れの表示、待っていると30分遅れ、さらに45分遅れ、結局は一時間以上遅れた。当然、乗り換えには間に合わない。始発がバリの列車だった。どうもバリがらみのものは遅れるらしい。

 結局、ヴェネチアで5時間少し過ごし、8:45発の夜行列車に。朝の8:30にウィーンに到着。クシェットでは韓国人の大学生四人組と楽しく話して過ごした。

 約一月前に訪れた駅をもう一度通ったので、慣れたものではあった。ヴェネチアはようやく日本人の姿が増えてきていた。でも、やっぱり韓国人が圧倒的に多いか。この時間を利用してスーツケースを取り替える。持ってきたものは頑丈だが重くて移動が大変だった。黒い布製のバッグに買い換えて、少し楽になった。

 ウィーンは肌寒い。町の雰囲気が全くイタリアと違い、清潔で合理的。地下鉄の乗り換えも簡単で、あっというまに中心地区にあるホテルへ。少し休んで付近をうろつこうと思う。

 ヴェネチアで手持ちの日本円を両替したのだが、13万円がたった750ユーロくらいにしかならないのに改めて愕然とする。1ユーロ=100円くらいの物価感なのだが実際は150円以上するのだ。急にケチになり、夕飯もピザで済ます。ウィーンのホテルのWIFiも一日18ユーロもするので、ビビって電話回線にとりあえずつなぐ。まあ、使うとしても一日だけだな。

 急にケチになってどうする?194218479_74
194218479_105

2006.08.08

月曜は美術館休み

 サンマルコでフラ・アンジェリコをのんびり見て、そのまま歩くと楽しみにしてたアカデミアは休み。ここにはヴェッキオ宮やミケランジェロ広場にコピーのあるミケランジェロのダヴィデ像の本物がある。前に見たときにやはりコピーよりもずっといいと思ったのに残念。

 そこで、仕方なく誰かがしつこく言うミケランジェロ広場に行く。ここは高い丘の上で前回はパスした場所だ。汗をかきながら頂上まで登ると確かに景色はとてもいい。ただ、ここのダヴィデは青銅製だった。ついでに広場の上の教会まで行って、ベンチで昼寝。確かに気持ちがいい。

 昼ご飯は裏通りでスパゲティ・カルボナーラ。結構安くてうまい。麺は乾燥麺だが堅さがちょうど良く、何より卵の具合がとてもよくしつこくない。イタリアで食べた一番のパスタはウルビノの農家風レストランで食べた「お袋が朝から手打ちで作った」スパゲティだった。やはりウルビノで食べたニョッキ(じゃがいものパスタ)もうまかった。何しろ、安そうなところばかり行くのでなかなか手打ちパスタにはお目にかかれない。猫平さんの言うビステッカ・アッラ・フィオレンティーナなんてとてもとても。最高級の牛肉を500gくらい焼いたステーキなんでとても高い。

 CNNが見られるので、つい中東情勢が気になってしまう。レバノンとシリアが国連の決議案を蹴ったが当然だよね。ライスが早々に「ヒズボラの排除まで、アメリカはイスラエルを全面支持する」などととんでもないことを言ったせいで、ヨーロッパでは反米・反イスラエルの風潮が高まっているのに、CNNは(一部のキャスターは複雑そうに話しているが)イスラエル側の情報ばかり伝えている。

 明日はまた一日移動でウィーンへ。ウィーンも初めてである。というよりも実は何も知らない。


コメント コメントを書く

2006年08月08日
01:02

SVP222
いつも楽しみにしています。写真見ると、擬音でギチッという音がしそうです。
2006年08月08日
03:58

ERI
誰かがしつこく言ってすみません。私は車で行きましたけれど、でもあそこってなんかホケーとできたなぁと思って。
外国行って、色々上等なものも食べたけれど結局ホテルの家族と一緒に食べたパエリアとか、そこに住んでいるアーティストが作ってくれた夕食とか、自分でそこの食材使って作ったものが記憶に残っているのはなにかなと思います。
2006年08月08日
04:00

ERI
ウィーンは、なぜだか現代詩の朗読会とか盛んだそうです。聞いたはなしによると。
2006年08月09日
18:33

ななまる
おひさしぶりに先生のサイトを見たら
何か旅行(?)されてるじゃないですか!
というわけで、こちらまで追跡してまいりました。

5末〜6頭までわたしもナポリ>ローマ>カイロに
駆け足旅行してきたので、なんだか身近な感じです。
ポンペイ、いっとけばよかったなあ。
ついカプリ島にいってしまいました。
なかなか長い休みはとれないけれど、また今度にとっておこう。

まだまだ長そうな旅路、お気をつけて、
こちらの旅行記も楽しみにしています。193118836_28
193118836_130
193118836_218

2006.08.07

19年ぶりのフィレンツェ

 昨日は空港に着いたのが12時過ぎで、閑散としていた。仕方なくタクシーでホテルへ。20ユーロくらいだからまあ安いか。

 昨日も書いたように郊外はまるで日本のニュータウンのような感じだ。ということは旧市街部はいわば保存地区なのだ。観光地として完成されている。きれいだし、良くできている。路地を歩くとドゥオモの円蓋が見えるし、鐘の音は響き渡るし、どこもかしこも素敵な場所ばかりだ。やはり、花の都であり世界一美しい都市であると言っても過言ではない。

 だが、その反面、あまりに観光化されている。まずは物価が異常に高い。ジェラートが(多少量は多くても)6.5ユーロというのには驚いた。ビールやコーラですら1.5倍から2倍はする。あとは異常に英語が通じるのにも驚く。掃除のおばちゃんまできれいな英語を話す。南イタリアから来るとびっくりしてしまう。イタリアとは思えない。

 フィレンツェはだから、百倍完成された京都のような町である。ローマは奈良のようなものか。後はみんな鎌倉とか日光とか倉敷とか、そんなようなものではないかと思う。

 19年前に泊まったホテルは今もある。昔は「ホテル・レオナルド」だったが、今は「ホテル・ジョコンダ」。今回のホテルのすぐそばだ。ルーブルから盗まれて2年くらい行方不明になったモナリザが発見されたといういわくつきのホテル。明瞭に思い出した。このあたりのホテルもまた歴史的建造物を使っていて、天井が異常に高い。今回のホテルもとても素晴らしい。CNNをはじめ英語チャンネルがいっぱい(でもあまりにもイスラエル寄りのCNNを見ているとむかつく。イスラエル政府のスポークスマンが沢山出てくるんだぜ!)

 まず、初日はドウオモからヴェッキオ宮、ポンテ・ヴェッキオを渡りピッティ宮まで。今回は内部全部と庭まで足を伸ばした。

 ドゥオモのクーポラ(円蓋)は修理中で登れない。ウフィッツィ美術館は長蛇の列で「二時間待ち」と出ている。隣に予約ブースがあって今日だと火曜日に予約できると書いてあったので、思わず取ってしまった。

 よく考えてみると火曜日は居ないではないか。朝、駅に行ってウィーン行きの席を予約したところだった。しかたなく戻ってキャンセルしようとすると、意外なことに「それなら、今入っちゃっていいよ」と言われて、そのまま中へ。ラッキー。

 当然満員の中を三階の絵画館だけ駆け足で。だいたい見所は分かっている。レオナルドの特別展もやっていた。というわけで、初日にウフィッツィをクリアできてラッキーだった。ちょっと狡かったけど。

 圧倒的なのがアメリカ人と中国人の団体。フランス人、韓国人、日本人の個人客か。だいぶ東洋人の人数が増えてきた。それでも、ショップもレストランも何となくアメリカ化していて、何かここはイタリアじゃないなあ。前来たときにはそうでも無かったし、裏通りには洗濯物や食べ物ゴミが散乱していたような気がするのだけど。

 その後、教会で開かれているオルガンの無料コンサートに。
 明日はアカデミアとサンマルコに挑戦してみよう。


コメント コメントを書く

2006年08月07日
04:05

ERI
そっか・・・ウヒッチでもボーとできないのか。でも、今入っちゃっていいよ、はいいかも。(タダで入れてもらえ~)。ユーロっていくら?
2006年08月07日
04:31

ash
為替レートだと1ユーロ=150円くらいだけど、こっちの生活実感では100円くらいだと思う。だから、円は弱いんだよ。

ホテルでぼーっとしているし、ボーッとするところは沢山あるから大丈夫。
2006年08月07日
13:57

猫平
ああ、今の時期はそうなのですね、私は真冬に行きまして、その時は観光客が私を入れて5人くらいしかいなくて、なんと、美術館の係員が私たちのいるところだけ電灯をつけて他の部屋は薄暗いままでした。閉館前だったからでしょうか、暗い倉庫の中のような場所で観たプリマヴェーラは不思議な感じでした。192482757_4
192482757_194
192482757_197

2006.08.06

パレルモ空港から

 不注意で飛行機の時間を間違えてしまって、無駄に空港で時間をつぶしている。
 海側のデッキから、きらきら光る地中海の水面や、行き交うヨットを見ていると、時間があっと言う間に過ぎては行くのだが、結構人が多くてうるさいし、やはり暇なので、久々にこちらに書いてみる。

 今回、旅行に持ってきて(持たされてきて)良かったもののベスト3は、1.粉末青汁、2.プチタオル、3.空気枕である。1.はどうしてもサンドイッチやピザが多くなる食事の栄養面の不安を解消してくれる。2.はさまざまな局面で便利。両方とも奥さんに持たされたものだが、文句言ってごめん。すごく役に立つ。3.は公園や空港のベンチで仮眠する時に重宝している。今現在、とても便利。

 昨日までのホテルでは久々にネットつなぎ放題で、改めて驚いたのが、YouTube( www.youtube.com )である。ユーザーが勝手に動画をアップロードすると自動的にFlash動画に変換されて全世界に公開されるという仕組み。元々はユーザ個人が自分で撮ったオリジナルビデオ用だったものが、テレビ番組や個人のビデオコレクションのuploadに使われるようになって、たとえばジダンの頭突きシーンや亀田のインタヴューのようなものがどんどんUploadされるようになった。先日も日テレが昼のワイドショーの映像を無断に使われたと提訴して、削除騒ぎになったし、サイト側でも10分間以内に制限するなど、著作権侵害への対策を取ってはいる。

 だが、匿名で投稿できる仕組みなので、一向に投稿はやまない。また、話題の事件などの報道で朝や昼のワイドショーを見られない人にはとっても便利。だから、こうしてヨーロッパにいても、話題の番組やシーンなどの日本のテレビをネットで見ることができるわけだ。全世界でそれぞれの国の話題になったシーンがこうして無償で公開されているのである。

 まあ、そうしたことは前から知っていたし、アメリカのサイトであるにもかかわらず日本の若い世代に人気があるのは前から知ってはいたのだが、今回驚いたのは、そうした現在の話題ではなく、過去のヴィデオコレクションを公開している人たちのことだ。たとえば、七十年代後半から八十年代に家庭用ビデオで録画されたアイドル歌手の映像や、お笑い番組などがアップロードされていて、キャンディーズ、ピンクレディ、松田聖子、中森明菜等々の映像を見ることができる。実になつかしい。昨日はこうしたなつかしの映像を大量に見てしまった。死蔵されていた個人のビデオコレクションがこうして生き返るのである。しかもフラッシュのファイルはブラウザのキャッシュに残るので、こうしてパレルモ空港で昭和52年に録画されたキャンディーズの「年下の男の子」を見ることができるという、かなり時空間意識を混乱させる出来事が起こるのである。こんなことなら昨日もっと検索かけて集めておけば良かった。

 こういうのも正確には著作権侵害になるのだろうが、しかし誰もこれでお金を儲けてはいないはずだ。完全にボランタリーな行為であり、沢山の人が喜んでいる。テレビ局だって、すべての映像やCMをコレクションしているわけではないし、それらを放送で使う機会だってそんなに多くないだろう。

 正確にはこういう事態が生じることをこれまで誰も予測できなかったと言うべきだろう。これがどういう具合に解決されていくのか。これは、映像配信の世界におけるひとつの革命である。携帯TVや動画配信とは全く異なるユーザー中心の自発的な映像ライブラリー化であり、既存のメディアの敵であると同時に、これまで誰も考えつかなかった大きな可能性もまた秘められている。YouTubeがこれからどうなっていくのか目が離せない。

あーあ、やってしまった

 と言っても、命や体には別状無いんだけどね....。
 今回あまり大きな失敗はしないで、無事にやってきたのに、ここでちょっとポカをやってしまった。

 パレルモに着いて、Wifiが使えるので色々とネットで検索した。EasyTravelというサイト(http://www.discount-airline-tickets.i12.com/site-index.html)があって、これがとても便利。日付と出発・到着都市を入れれば、安い航空券が順番に出てくる。面白いから試しにやってみるといい。

 でもって、パレルモ−フィレンツェで検索したところ、格安チケットがどんどん出てくる。そのまま予約が入れられるのだ。

 一番安いアリタリア航空のはみんな早朝。朝6:30とか7:05とかとんでもなく早い。安くなるわけだ。

 その並びでメリディアナ航空の9:45というのが目に飛び込み、ちょっとだけ高いけどこれならと思い、予約を入れた。サイトには出発2時間前までにチェックインしてくださいとあるので、頑張って朝6:40のバスに飛び乗って空港についた。ところが、チェックイン・カウンターがなかなか開かない。見ていると、だいたい1:30前くらいにならないとオープンしないので、表示が出るまで待っていればいいだろうとのんびり座っていたが、なかなか開かない。しびれを切らして係員に尋ねると...

「9時45分なんて便はないですよ」という答え。

「えっ、そんなはずないでしょ。ここにこうやってメモもあるし」と抗弁すると、彼女はそれを見ながらしばらく考えて、

「あっ、分かりました。これ、AMじゃなくて、PM9:45ですよー。」

「ええええええーっ!」

 何のために頑張って早起きしたのだろうか。遅い便の安売りもあったのだが、この便は早朝便の並びに出てきたじゃないか。あれじゃ間違うよなあ。EasyTravelが余りに便利なのでつい過信してしまったらしい。もっとよく吟味するのだった。

 で、どうしよう? 一度駅かホテルに荷物を置いてどこかに行こうか? しかし、もうパレルモは充分堪能したしなあ...。
 と空港の前を眺めると、そこは海。海から道路一本はさんだところに空港があるのだ。二階に昇るととても眺めがいい。

「 そう言えば、ペトリッリたちの本、まだ途中だったなあ...」

 ということで映画「ターミナル」のように、一日中空港残留決定。それなりに賑やかな空港なので、退屈はしないだろう。

# と思ったがやはり暇なので、もう一つ久々にblogの方にエントリーを書いてみた。


# 猫平さんのコメントとあまり変わらず、飛行機は一時間遅れ。もう空港バスもなく結局タクシーでホテルに。フィレンツェの町の周囲がまるで横浜緑区みたいなのでちょっとショックを受けた。191785716_94

2006.08.05

アグリジェント遠足

 アグリジェントはシチリア島の南西部、海に面した小都市である。ちょうどパレルモの裏に当たる。

 「地球の歩き方・イタリア」によると、かつて古代ギリシァの詩人ピンダロスが「世界でもっとも美しいと歌い上げた町」と書かれているが、紀元前5−6世紀にギリシャの都市が建設され、いまも遺跡としてこの地に残っていると言う。

 朝8時にパレルモ駅を出発する高速バスで二時間、乾燥した低い山道を走る。灌木以外ほとんど赤茶けた土が露出する貧しい土地だ。オリーヴくらいしか作っていない。そうしてついたアグリジェントは海に面した小高い丘の上にある静かな田舎町である。駅のインフォメーションで地図をもらい、とりあえず遺跡のある海側の低地の方に降りる。見晴らしはとてもいいのだが、誰も歩いていない道を3km。ようやく「神殿の谷」のゲートにたどりついた。見晴らしがとてもいいので、歩いてきた町の中心が向こうの丘の上に見える。こんなに歩いたんだと自分でもびっくりする。

 遺跡がまた広い。道の左右にたっぷり二キロ以上ある。いくつかが補修中で足場が君であるのが残念だった。ここの遺跡は、地震で倒壊したり、後のカルタゴ軍によって完全に破壊されたりと、石組みだけが残っているものが多いが、いくつかの神殿はそのまま残っていて、白い漆喰まで当時のままのものもある。まあ、しかしポンペイやエルコラーノと比べると、石だけしか残っていないという感じがどうしてもする。というよりも、ポンペイやエルコラーノが特別なんだけど。

 ここから見る海はとてもきれいで見晴らしがよい。多分、これらの建物が建っていた時代に海側から見るときっときれいだったんだろうなあと思う。ゼウスの神殿には三体の巨大な人型の柱が残っていて、それぞれ「アジア」「ヨーロッパ」「アフリカ」を意味していたそうである。確かにこのシチリア島からはその三つの地域が等分に見えるのかもしれない。ギリシャやその後のヘレニズムの時代は、ある意味でまさしく「グローバリゼーション」の時代だったのだ。古代ギリシャ語が、現在の英語のように国際語として使用されていた。

 相変わらず暑いし、ここには低い灌木以外あまり木がないので日差しを遮るものもない。1.5Lの水のボトルを抱えて歩く。帰りは絶対バスに乗ろうと思ったのだが、信じられないことにこの町にはバス停の表示がない。多分地元の人には分かるのだろうが、駅の手前までバス停がひとつもなく、結局また3kmの登りを全部歩いてしまった。この調子で旅しているときっとダイエットの問題は解決することであろう。

 3:00のバスでパレルモに帰還。乗っていた人は5人くらいか。往復で11.5ユーロだからとても安い。
 これでシチリア島もおしまい。明日はフィレンツェだ。


コメント コメントを書く

2006年08月05日
02:13

ERI
なんか土産を買ったら、郵便で送ってくれていいですよ。笑。
2006年08月05日
10:55

猫平
私たちも、9日から韓国に行きます。去年とは違って1週間の旅公演ですが、目一杯な旅になりそうです。私も10年前にフィレンツエに行きました。いきあたりばったりの電車に乗って、あまりに田舎に行き過ぎて、戻る電車が無くなり、日本語も英語も全くダメなバスの運転手さんから身振り手ぶりで教えてもらい、深夜の寝台特急に潜り込んで朝の4:00にようやくホテルに戻れたという思い出が、あの時は本当にもう日本に帰れないんじゃないかとさえ思いました。でも素敵な街でした。骨の間のラードを付けて食べるステーキがあって、ものすごく美味でした。
2006年08月06日
17:04

ash
ほほう、そうですか。来てたんだ。ぼくは二回目なんですが印象だいぶ違いますね。韓国、がんばってきてください。去年、全州の巨大なソリ芸術センターで迷子になって、猫平さんが電話に出てくれた時は助かりました。あの前、ものすごく焦って走り回っていたから(裏側だから全然見えないんだよね)。
まあ、そんなことも旅の醍醐味の一つということで、全然迷わなくなってしまったらそれはそれで寂しい。191029615_1
191029615_194

8000体のミイラ

 さて、なぜシチリアにまで来たのかと言うと、理由は二つあって、ひとつは昔細川周平が書いた「トランス・イタリア・エクスプレス」(筑摩書房)という本がある。彼が80年代にボローニャ大学に滞在していた時に書いた旅行記で、それに列車に乗ってパレルモまで行く話が載っていたのだ。それには17世紀から19世紀までの間の死者8000人のミイラが並べられたカプチン派のカタコンベ(墓所)の話が出ていた。ローマにも数千人の白骨で作られたカタコンベがあるが、ここのミイラは髪の毛や髭まで残り、まるで生きたまま眠っているようだと言う。とりわけ少女のミイラは印象深いと書かれている。それが気になっていた。

 もう一つは、それでも余りに遠いので諦めかけていたところ、ウルビノで会ったエミリオやジャンパウロ・プローニが、しきりに勧めてくれたからだ。ブローニは、「シチリアにこそ、本当のイタリアが残っている」と断言する。「ジェラートだって、シチリアで食べなければ駄目だ」(本当かな? 気候的にはそうでも、やはりローマ以北の方がおいしいような気がする)と言われて、その気になってしまったのが、はるかパレルモまで足を伸ばした理由である。

 確かに昔のイタリアらしく、ほとんどの観光施設は12:00-15:00くらいまで閉鎖されてしまう。余り商売をする気がないようだ。カテドラルとアラブ人が基礎を作りノルマン人が作った王宮は見られたものの、あとはみんな閉まっている。どこか一つに絞るとなると、やはり細川が言っていたカタコンベだろうと思って、はるばる郊外まで行ってみたが・・・いやあ、やっぱり駄目だった。

 気持ち悪すぎる!!!

 ミイラたちは晴れ着を着て、二列に立っていて、上の方には崩壊したミイラたちが横に寝させられている。確かに、髭や髪の毛(おさげの女の子)のミイラたちも居るが、何十体かの保存が良く、顔の造作までよくわかるミイラはごく一部で、ほとんどは水木しげるの「死に神」のように、顔は骸骨化して、歯がむき出しになっている。そいつらが、この巨大な地下宮殿に8000体いると思うだけで、窒息しそうになってくる。そうなるとちょっと臭いまでくるような気がして、吐き気を催して早々に逃げ出した。

 他の観光客はみんな平気で、乳母車の赤ん坊や小さな子供連れでどやどやと見物している。あいつらは平気なのかな?

 まあ、行かなきゃ分からんけど、行くんじゃなかった。白骨のカタコンベにしても(骨で彫刻まで作っていた)、要するにみんな信仰を抱いたまま神の国に召されたということなのだろうけど、カトリックにはそういう強烈なところが濃厚にある。

 さあ、パレルモはもうこれで終わり。明日は早起きして、アグリジェントに日帰り旅行をしよう。

 なお、カタコンベは撮影禁止なので写真はない。


コメント コメントを書く

2006年08月05日
00:11

龍の子風の子
「ミイラ、みたい!」と思ったわたしは「あいつら」と同類かもしれません。骸骨になっちゃうと、どの人がイケメンで、どの人が超絶美人だったかなんて、わからないもんなんですね。女のミイラが発見されると、すぐ美女になるでしょ。「楼蘭の美女」とか。本当か!?なんて思いますけど。(殺されても美女になれますね。「美人OLの惨殺死体」とか)美醜なんて所詮、数ミリの皮膚の違いなのかも。話は変わりますが、きょう東本願寺でちいさなお坊さんが得度式に臨んだというニュースを読みましたが、くりくり頭だとみんな同じ顔にみえました。こちらはとってもかわいかったですよー。
2006年08月05日
01:49

ash
そういえば、日本でも即身仏のミイラとかありますけど、包帯巻いていて枯れた感じがするが、着物着てポーズ付けられて、髪の毛や髭まであるミイラが数千体というのは、ちょっと悪趣味かと。気のせいかもしれないけど、腐臭もするし。
まあ、龍の子風の子さんは、是非パレルモに来てください。ぼくはもう十分だ。
190392774_99
190392774_102
190392774_190

2006.08.03

フェリーでシチリアへ

 朝荷物をホテルに預けて、ナポリ観光最終日。日曜で閉まっていたヌオポ城や王宮、卵城などを見物しつつ、王宮の芝生の上で昼寝を楽しむ。日陰なので気持ちいい。卵城の上からのサンタルチア湾の景色は、バックにヴェスビオス山が夕焼けに映え、本当に絵葉書みたいだった。この景色昔音楽の教科書で見たなあという感じだ。

 夕方、荷物を取りに行き港へ。フェリーはかなり大型で設備は整っているのだが、椅子席ではどういうものか前方で大音響のテレビがあり、二時過ぎまで消してくれない。これさえなければかなり快適な環境だったのだけど、おかげで余り眠れず。まあ、それでも飛行機よりは全然ましである。デッキでタバコも吸えるし。

 船上から見た朝のパレルモの光景は、まるでタイムスリップして百年くらい戻ったかのような古風な町の姿だった。白黒映画の都市みたい。朝の六時半に着いて、とりあえずホテルに荷物だけでもと思って歩いて行ったら、受付のお兄ちゃんが「今すぐに部屋に入れるよ」と言ってくれ、とても助かった。汗を流して仮眠を取る。

 このホテルは時間制の有料ではあるが無線LANが使える。早速いろいろと調べ物をして、当座の予定を決めた。5日にパレルモからフィレンツェに直行便で飛ぶ。二万円弱の格安チケットがネットで取れるのだ。8日までフィレンツェに滞在し、列車でウィーンに向かう。そこから先は、いろいろ情報をもらっているので、おそらく北上してポーランドまで行くことになるだろうが、まだ未定。

 シチリアというのはとても不思議な島で、最初はギリシャ人、カルタゴ人、ローマ人が住みつき、その後アラビア人、ノルマン人、そしてドイツ人(神聖ローマ帝国のフリードリヒ二世)が支配していた。この時が最盛期だったらしい。そして、その後フランス人やスペイン(アラゴン)人の圧政が続き、それに対抗するためにマフィアのような独特な組織を作ってきたらしい。今日見たいくつかの建物でも、イスラム風、ビザンチン風、ゴシック風などのいろいろな様式が複雑に混じり合ったような不思議な様式をもっていた。

 パレルモ自体はそんなに大きくないので今日と明日でほとんどの場所を回れると思う。明後日は長距離バスで南部のアグリジェントに行ってみたいと思っている。ギリシァ本土以外ではもっとも完全なギリシャ文明の遺跡が残っている場所である。

 そうそう、ここだけではなくココログの方にも写真を追加しておいた。なかなか高速ネット環境があるところは少ないからね。189691784_196
189691784_198

バリから南イタリアへ

バリでペトリッリ、ポンチオたちと合流。
その後、バスでナポリ、ポンペイ、シチリアと旅行を続けています。現在パレルモのホテルで更新中。
写真の方もちょこちょこ更新していきますので、ご覧ください。
詳しい日記の方は、Mixiの方に書いていきますのでそちらもご覧ください。

2006.08.01

ポンペイとエルコラーノ

 朝から、ヴェスビオス周遊鉄道に乗ってポンペイ、それからエルコラーノへ。

 ポンペイは今から1900年前にヴェスビオス山の大噴火によって埋もれた人口15000人の都市だ。エルコラーノはその近くの人口五千人ほどの港町。

 ポンペイは大都市だから広い。広場から大小の劇場、野外運動場、さまざまな神殿と何でも揃っている。遺跡とは言うが町ぐるみだから、端から端まで二キロ近くある。家は基本的には火山岩の石造りに大理石や煉瓦を使い、屋根は瓦葺き。屋根まで残っているものは少ないが、銅像やフレスコ画、竈あとやテーブルなど残っている。劇場も千人規模の大劇場と数百人規模の小劇場があるし、野外闘技場は一万五千人全員が入れたそうだ。上水道も下水道も完備、ガラスはないけれど、蒸気暖房や大浴場まで完備した古代都市。

 彫刻や宝物の大半は昨日行ったナポリの国立考古学博物館に保管されているが、いくつかはそのまま遺跡に残されている。

 ローマ文明とは本当に凄いものだ。最盛期のローマの人口は百万人を超えていたそうである。しかも、イギリスやアフリカにまで同じような都市を建設していたのだからなあ。三年前にリヨンで訪れたローマ遺跡も凄かったが、ポンペイやエルコラーノのように完全に保存されているのはやはりすごい。この近辺のどこからでもよく見えるヴェスビオス山は今はおとなしそうに見えるけど、上半分が吹っ飛ぶほどの凄い噴火だったらしい。

 この時期、中国はそれなりだったけど、日本なんてただの野蛮な土人の国だったわけだから、歴史がどだい違う。しかも、木と紙の文明だから何も残らないしね。イタリアを旅行していると16世紀以降なんて本当につい最近の薄っぺらい文明に思えてしまう。それをずっと引き継いでいると自負しているヨーロッパ人がしぶといのはそういうわけなのだ。アメリカがいくらグローバル化という強引な同化政策を押しつけようと、彼らは生活様式を変えることはないだろう。

 それにしても暑くて大変だった。アメリカ人、フランス人、韓国人の団体が多かったが、後は中国人と日本人の個人旅行者か。あまりに広いので人がたくさんいてもごちゃごちゃした感じは全然しない。濡れたタオルを頭にかぶって歩いた。

 さて、明日は船に乗るので更新はできない。明後日はパレルモで、無線LANが使える(予定)。

188205349_50
188205349_78
188205349_156

« 2006年7月 | トップページ | 2006年9月 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30