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2006年9月

2006.09.30

パリ日記-9/30

オペラ付近
 前から気付いていたのだがオペラの裏の方がリトル・トーキョー化しつつある。

 元々「京子」という日本食材屋やラーメン屋が多い地区だが、St.Augustin通り奥には寿司、ラーメン、うどん、そばは言うに及ばず、焼肉、雑貨、ほか弁、居酒屋などが立ち並び、他にも日本食偽装した韓国人やカンボジア人の店もある

 なにより、町を歩く日本人の数が異常に多い。

 今日びっくりしたのは、あのBook Offを見つけたからだ。結構大きくて基本的には日本の店と同じ。ただ、値段は高いね。日本で100円均一がここでは2ユーロ均一、1700円の講談社選書が17ユーロだから新刊よりはるかに高い。それでも商売が成り立つのだからたいしたものだ。

 これだけ日本食レストランがあるのでどれにしようかと悩み、ラーメンチェーンの「ひぐま」とどっちにしようかと迷った挙句「なにわや」という関西風うどんの店にした。きつねうどんと巻き寿司のセット、8.5ユーロ。...高い。ちょっと化学調味料のあと味が残る昆布だしはまあまあだったが、ほかはキッチュな味。やっぱりラーメンにしておけば良かったかと後悔する。ちなみにラーメンは6.5ユーロから8ユーロ前後。

 別にそれほどまで食べたいわけではない。

 近くの映画館でオリヴァー・ストーンの「World Trade Center」を見る。

 9.11で生き埋めにされた警官二人が救出されるだけのドラマで拍子抜け。もともとだめな監督だが、どうしようもない。別に炭鉱事故でも、飛行機事故でもなんでもいいじゃないか。最後の「この事件は人間の邪悪さを証明したが、同時にその素晴らしさも証明した」みたいなメッセージがどうしようもなください。

 そういえば、こっちにくる飛行機の中で最近リメイクされた「キングコング」も見たが、これまたどうしようもなかった。最近のハリウッドはへんてこな国策映画か気の抜けた子供だましの特撮物しかないのか? こういう時こそ外国人やマイノリティの監督を起用するときなのに。


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2006年09月24日
18:33

猫平
お久しぶりです。お元気そうでなによりです。
昨日、唐ゼミ見てきました。
皆、見るたびにどんどん成長して、親戚のおばちゃん気分の私としては楽しいです。台詞まわしも声も安定してるし、演技は堂々としてるし、、ものすごいスピード感のある舞台で、3時間半あっという間でした。
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初日
と言う訳で今日から語学学校通いが始まった。昨日はホテルを変わる。

今度はJules Joffrinという地下鉄の駅近く、モンマルトルのサクレクールの丘の裏に当たる。この周辺も適度ににぎやかで庶民的でなかなか悪くない。ホテルもJardins de Parisというパリに10軒ほど系列があるチェーンで、最近リフォームしたばかりできれい。部屋も広いし、有料だったけどWiFiも使えて申し分ない。

ちょっとお腹の具合が悪くなって、1日ヨーグルトばかり食べていたが、朝にはなんとか持ち直して、地下鉄12号線でアリアンスへ。クラスには12,3人居て、国籍もアメリカ、イギリス、スペイン、イタリアと多様で日本人はぼくしかいない。僕を入れた約二名を除いてみんなすごく若い。まだ学部の学生がほとんどだ。レベルは多分昔やったクラスより低く、中級の中か上くらいだが、なにしろ色々忘れているので丁度いい。女の子たちも上品で可愛い子が多いし、このクラスで続ける事に決めた。

本当はテキストを買わなくてはならないところ、先生の好意でコピーカードを借りて本館までコピーしに行く。ここには立派な図書室やマルチメディア室、レストランやネットカフェなどあって、自習する学生たちで一杯である。学食もなかなか充実している。

87年に来たときには、ここには移民してきたアジア系やアラブ系の人が多かったのだが、多分物価が値上がりしたせいか、白人か日本人しかみかけない。その分品は良くなって、ハイブラウな雰囲気なのだが、これはいいことなのか、悪いことなのか? ちなみに二週間で500ユーロ前後だから、日本の感覚だとかなり高い。

コピーしたテキストを閉じるファイルを買いに、サン・ミシェルのGilber Josephへ。ひさびさの学生気分でうきうきである。長いこと学校にいるせいか、学校にいるとなぜか落ち着く。困ったものである。

てなわけで、ちゃんと予習して明日も頑張ろう。と、言いながらほかにやらなくてはならないことや、例の本の方も帰国までに読み終えなくてはならないのだが。

唐ゼミ★の東京公演が、まあいろいろと波乱万丈で終ったようである。いろいろ心配な事もあるが、なにせ僕自身は現場に行けないので、まあ自力で何とか解決し、乗り越えてもらうしかない。唐ゼミには「演劇業界」とは全く違うところで、世界規模での新しい芸術実験をやってもらいたいので、そのためにはみんなでじっくりと話し合ってもらいたいし、自分たちのやってきたこと、やりたいことを(僕が居ないというこの絶好の時期に)みんなで見直してほしいと思っている。
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常の風景

さて、学校がよいの日常であるわけだが、いま滞在しているJules Joffrin地区は18区の区役所がある場所で、結構町はにぎやかだ。大きなスーパーも、肉屋や魚屋も、要するに何でもあってとても便利である。店の人たちも下町っぽくて、とても親切だ。

ちょうどサクレ・クールの裏側にあるので、昨日は周辺を散歩してみた。

テルトル広場からサクレ・クールに行ったことは何度かあるが、裏側は初めてだ。

モンマルトル美術館とか、パリで唯一のブドウ畑とか、芸術家の溜まり場として有名なキャバレー・ラパン・アジルとか、いろいろあって面白い。町並みも渋い。

なによりも裏側の方が、観光地と言うよりもちゃんと生活に根付いて、活きているという感じがした。サクレ・クール自体も熱心な信者でいつもあふれている「活きている」教会なのである。

さて、今日はギメ美術館を覗いてみた。何か思ったよりこちんまりしたコレクションでちょっと拍子抜けした。インド、南アジア、中国、日本、韓国と階ごとに分かれているのだが、網羅的・体系的というよりも、なにか寄せ集めの感じだ。

まあ、ナポレオンはアジアまでは来なかったし、フランスの植民地も少なかったしね。

昔、木下長宏さんが「敦煌遠望」という本で、20世紀の始めに敦煌を調査したぺリオのコレクションがギメにあるというのを読んだので、てっきり洞窟のひとつふたつまるごと盗んできたようなのがあるのではないかと思っていたが、全然そんなことはなく、こじんまりしたものである。もちろん中にはとてもいいものもあるのだが、全体像を見渡すにはほど遠い。これでは、アジアの事がよく分らなくても当然だ。

なお、無料の音声案内はなかったが、ガイド付きツアーで沢山の学生が来ていた。それと市立近代美術館は昔から無料だったというのが、ぼくの記憶である。


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2006年09月28日
03:44

れちな
音声案内はあったけど無料でなくなっていたのでしょうか?堂でも良いことですが・・・以前から近代美術館は無料でしたっけ?有料の特別展の記憶と混じってしまったのかもしれません。気になって91年のミシュランガイドを見てみると入館料15フランなんて書いてありましたが、あてになりません。
ところで、サクレ・クールの裏側のあたりを散策している様子ですが、すぐそばにトリスタン・ツァラの家があります。アドルフ・ロース設計によるもので1926年につくられたもの、15.av.Junot 18e です。
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明日はジュネーヴ
一週間の語学学校通いもひと段落。来週、このクラスに残るのはぼくともう一人だけで、ほかの級友達はそれぞれの国に帰ったり、別の町に移ったりするので、今日でお別れの人も多い。短い期間ではあるが、言葉のリズムや勘のようなものは取り戻せるので、なかなか有意義。来週からようやく20年前のレベルの一つ下のクラスになる。まあ、クラスのレベルと本当の語学力は必ずしも一致するものではないが。

さて、ジュネーヴには古い友人で写真家のアラン・ユムローズが居る。最初に会ったのはやはり21年前、彼が京都の画廊で作品展をやったときに、一緒に大阪の画廊を紹介して回った時だ。木下長宏さんの紹介だった。その後、87年にやはりアリアンスに通っていたときにジュネーヴの彼の家に数日泊まった。この時は楽しかった。まだ彼も暇だったので、夜遊びしたり、彼の生まれたジュラ山脈近くにある村を訪ねて、彼のお父さんにあったりした。すき焼きを作ってあげたりしたが、薄切り肉を売っていないので、硬くて噛み切れないすき焼きになってしまい失敗した。

その後、89年には大阪の現代美術センターで彼の作品展を開くのを手伝った。事前の準備から展覧会の準備や受付などまで手伝ったので疲れたが、茨木のぼくの家や京都の吉岡洋の家に泊まって、日本に長期滞在して帰っていった。

さらに、スイスの雑誌編集者と日本に講演やインタヴューをしにきたときに、水戸芸術館を紹介してそこで開かれた講演会につきあったり、一番最後は95年にフィンランドで国際美学会があったときに、吉岡洋と一緒にボエージュというフランス側にある彼の山荘に泊まって、一緒に旅行をした。

それから会っていない。90年代に二回会ったときに、話の中でかなり考え方の違いにこだわり論争になってしまったりしたのもあるし、お互いに急速に忙しくなってきたりしたこともある。

だから、会うのは11年ぶりである。さっき電話で話したが、印象は昔のまま。再会を楽しみにしてくれている。明日の午後ジュネーヴに着いて、明後日の夕方またパリに戻ってくる。彼の家族たちも歓迎してくれるようだ。どういう人かというと、こういう人である。
http://www.humerose.com

2006.09.23

パリ日記-9/23

アリアンス・フランセーズ

 今日は午前中からリュクサンブール公園の近くにあるフランス語学校「アリアンス・フランセーズ」に入学手続きをしに行った。そう、これから帰国まで、フランス語のブラッシュ・アップをしようと思うのである。

 とりあえず、帰国まで小旅行以外はパリで過ごすつもりだし、時間は十分あるが、それでも例の「セミオティカ」の論文を書くために、ずっと持ち歩いていたPetrilli+Ponzioの "Semiotics Unbound"を読み終えなくてはならないし、例の吉岡との対談のテープ起こしもしたい。そう考えると残された時間はとても少ない。

 語学学校に行くのは好きである。いろいろ学べるし、いろいろな階層や年齢の人と触れ合える。74年にパリで三週間通ったあとは、87年に二週間弱、やはりアリアンス・フランセーズに通った。最近では98年にロンドンの語学学校に一週間だけ、しかもホームステイで通った。ほとんど自分の教えている学生たちと同じかもっと年下の子と一緒になることもある。こと語学だけのレベルでは同じクラスの人と完全に平等である。それも面白いね。それに可愛い女の子と知り合えるかもしれないし(それかよ!)。

 というわけで、レベルテストを受けてクラス決めをするんだけど、テスト受けるのが超久しぶりなので緊張する。周りでやってる黒人たちがおしゃべりを始めてうるさいし。結果クラスが決まるが前とシステムが違うのでどのレベルかよく分らない。前は上から二番目のクラスだったんだけど。なんかレベルが落ちてるような気がする。ま、とにかく決まって学生証ももらったので(美術館や映画館で学割が使える!)満足。

 アリアンスの建物が前と違うと思ったら拡張してラスパイユ通りに新館ができたのだった。ぼくが受けるのは以前と同じフルリュス通りの旧館。なつかしい。写真左から旧館、新館の入口と19年前毎日通学したリュクサンブール公園。

 さて、明日はオルセーにでもいってみようかと思う。

オルセー美術館

 ここも何度か来てるがゆっくり観覧。19世紀フランス美術の教科書のような美術館だが、以前最上階にあった映画関連の展示が無くなっているのに不満。ゾートロープやマレーの写真銃、エミル・レイノーのプラキシノスコープなどの小さな展示が無くなっている。シャイヨ宮の映画博物館が新しいベルシーのシネマテークに吸収されて、建築関係の博物館を建設中なので、あれらの行き場所がわからない。

 リンツでエルキ・フータモと話したように、エミル・レイノーは映像メディアの歴史の上で欠かせないと思うのだが、余りに本国フランスでも冷遇されているのではないか。

 てなことに腹を立てながら、帰りの便の変更のためにトロカデロ近くのシンガポール航空パリ支局へ。ついでに、トロカデロ公園からエッフェル塔を眺める。あざといと言えばあざといのだが、相変わらず見事な景色だ。早めにホテルに帰って、事務仕事と読書。

 こんな感じでのんびりやっています。明日は市立近代美術館に、これも21年ぶりに行ってみよう。映画も見たいな。


ミュージアムめぐりは続く

 というわけで、今日はイエナのパリ市立近代美術館。

 入ってみて、昔の記憶とは全く展示内容が違うので驚いた。よくよく考えてみれば85年にも87年にも来てなかったのかもしれない。実はここでモンドリアンのとても出来のいい肖像画を見た覚えがあるのだが、じゃあれは74年だったのだろうか?

 いずれにしてもいわゆる近代絵画はフォーヴィスムとキュービスムとエコール・ド・パリくらいで、後は戦後から現代までのコレクションになっている。昔はタブローばかりだったのに。

 特別展のダン・フレヴィンは、誰でも知っている蛍光灯を使う作家だが、場所がいいので楽しめた。まあ、こういうのはどこで展示をするかによって見え方が違ってくる。

 そして橋を渡って最近オープンしたブランリー博物館。要するにおしゃれな民族学博物館である。

 アフリカとオセアニアとアメリカとアジアのコレクションと言っているが、要するにエジプトとか、中国とか、インドとか日本とかを外した博物館である。

 それらには他にギメとか別な施設があるからねということなのだろうが、博物館の別称は”le musee des arts premiere”と言う微妙なものである。これはどう訳すんだろう? 多分「根本芸術」とでも言うのだろうか。premier(e)には初歩のとか未熟なという意味と、第一級のとか根本のとかいう意味があるが、要するにこれは昔"des arts primitif(原始美術・未開美術)と呼んでいたものの読み替えなのである。

 「れちな」さんが書いていたようにT.ミンハのエントランス・メッセージも「他者に関する知/非ー知」と、90年代ポストコロニアリズム的だが、展示は逆にニュートラルで単なる収蔵庫のような愛想のなさ(中立性の見せ掛け)。元々フランスはこういうのが弱いのだ。今は賑わっているが、それこそ大阪の民博のように閑散としてしまうんじゃないだろうか。

 そうなると、元々のギメは今はどうなってるのかちょっと気になってくる。

 ところでまたblogの方にグラナダの写真を追加しましたので見てやってください。"


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2006年09月23日
01:12

ピクシーパパ
たまたま、自分の日記でモーツァルトのリンツ交響曲のことを書いたので他に書いている人はいないかなと思い検索した結果、たまたま訪問させていただきました。美術好きの私は興味を引かれて、かなり読ませていただきました。出張でこのような旅ができるとは羨ましい限りです。
ちなみに、小生はご同僚の茂木先生の指導で合唱をやっております。
2006年09月26日
00:32

れちな
室井さんこんにちは、パリ市美に少し反応しますと、今回行ってみて常設展示が無料になっていることに驚きました。また小学生のグループがぞろぞろやってきて、教育普及の学芸員の話を聞いている姿をみると、ここはロンドンのテイトかと思いましたよ・・・ポンピドゥーには独自に子供のアトリエをもっていても、常設展示における子供向け教育は熱心でない。それはルーブル、オルセーも同様なのですが、これはあまりにも観光客が多くて対応出来ないともいえそうだが、一方イギリスでは観光客が多くても熱心にやっている。とにかく、変わったと感じた次第です。
2006年09月26日
00:37

れちな
ギメのこともふれていたので追加しますが、ここも暫くしまった後再開され、とても見やすい美術館になっています。入り口で日本語も含むイヤホンガイド(無料だと思う)も親切、それを最後まで聞くと、水道局かガス会社か?のCMとなって(あやふやな記憶)終わりということに・・・


ルイーズ・ミシェル辺り
いま滞在しているホテルは地下鉄3号線の北西の終点、ルヴァロワの二つ手前のルイーズ・ミシェル駅がもよりである。最初はこんな場末にと思ったが、パリの地下鉄の駅間の距離はとても短いので、中心部からたいした距離ではない。

なによりも商店街が充実している。あらゆる店やレストラン、バー、スーパー、薬屋、美容院、不動産屋、車やコンピュータの代理店もあるし、寿司屋やマクドナルドまであってとても便利。昨日今日はカンボジア人のお惣菜屋で食事をしているがとてもおいしく充実している。

だからずっとここでもいいのだが、なにせ部屋が狭い。と言うよりもあとから無理やりつけたようなバスルームが狭い。20センチもないような洗面台と、70センチ四方のシャワーと便器があるのだが、このシャワー、あまりに小さすぎて周囲を水浸しにしないで使うのがとても難しい。結局腰を下ろして不自由な姿勢でやっているが、朝食で出会うでかいドイツ人カップルとか、どうしてるんだろう? また、洗濯がしにくいのも大きな欠点だ。

てなわけで、明日からはモンマルトル裏の別のホテルに移る。ここはアリアンスまで地下鉄一本でいける。

昨日今日と天気がよくないので、映画に行く。まずはリヨン駅で来週末のジュネーヴ行きの予約を取ってレ・アール地下のシネコンで「Thank you for smoking」というタバコ規制を皮肉ったアメリカ映画。入場料は9.8ユーロだから、日本よりはだいぶ安い。ただ、昔のロードショー館のように、案内嬢が懐中電灯持って席まで案内してくれるような風情はなくなったけど。

おまけで「MIKADO」割引券というのがついてきて、聞いたらこれは売店で売ってる「ポッキー」のようなお菓子の割引だそうである。そういえばテレビの宣伝でも「MIKADO」を連呼していた。すごいネーミングである。映画館ではよく売れるらしく、沢山置いてあった。

2006.09.19

移動から定着へ

 二日がかりでスペインからパリへ移動。
 昨日はグラナダからマドリッドまでバスで移動した。5時間の旅。高速道路の渋滞がないので鉄道よりも早い。何にもない乾燥した荒野をひたすら走った。

 ソルの近くのホスタルは雑居ビルのワンフロアを共有する形で営業しているタイプで、とても合理的で安くて正解だった。ただしつながるはずのWiFiがどうしてもつながらないのが駄目だったが。

 マヨール広場でパエリヤを食べる。本当はイカスミのパエリヤを食べたかったのだが売り切れという事で牛肉のパエリヤ。雰囲気はとてもいいのだが、なにせ高い。

 のんびりと昼まで部屋で過ごしてから、マドリッド空港へ行き、またeasyjetに乗ってパリのオルリー空港へ。この空港はすごく久しぶりだ。そこからバスと地下鉄を乗り継いで、3号線のルヴァロワ近くのルイーズ・ミシェルという駅近くのホテルへ。

 予約がうまくいかず随分辺鄙なところと思ったら意外とにぎやかな地区だった。ただし部屋はせまい。WiFiが部屋で使えるのはいいけど、ドニャ・ルーペとたいして変わらない。ここに取りあえず一週間いて態勢を整える。

 まあ、いろいろ情報まとめると、唐ゼミ★の公演もうまく行ったようで、よかったね。天気も大きく崩れる事がなくてよかった。

 さあ、こちらも気を引き締めて頑張ろう。

2006.09.17

さらばグラナダ、ドニャ・ルーペ!

 このホテルに朝食はない。だが、スペイン語しか話せないおじいさんが1人居て、頼めば袋入りのパンとコーヒーは出してくれる。昨日の修理でようやくお湯が使えるようになった。二晩水しか使えなかったので、お湯のありがたみが身に染みる。タオルの方はきのうヴィットリアに言ったらバスタオルを二枚貸してくれたので、こちらも解決。

 半分を売ってしまったとはいえ、この建物は奥が広がっていてとても広い。部屋数も50以上あるのではないだろうか? 屋上には日光浴が出来るソラリウムとプールが作られていて、景色がとてもよく気持ちいい。

 ヴィットリアは1人で全てを取り仕切っていて、とても忙しいのだが、夕方少し話が出来た。まずは、昔あげた財布とかのことは、そういうものは全部お父さんに取り上げられてしまったので覚えていない。青いのなら覚えてるんだけど、ということ。ルーペに成田で買ったお土産を渡すと、いちおう喜んではくれたが、どうせお母さんが取り上げるんでしょうと聞いたら「そう」という返事だった。ルーペは昔のヴィットリアと比べるとはずかしがりやでおとなしい。

 ここはお婆さんの代からやっているが、お父さんが拡張して三ツ星ホテルにしたのが失敗したらしい。ちょうどそのころ僕たちが行ったわけだ。僕より一つ年上だというから、若くて夢にあふれていたのだろう。今のヴィットリアの年ともあまり変わらない。

 だが、今はお母さんが深刻な病気でマドリッドの病院に入院しているのだそうである。お父さんもずっと付き添っている。その間ヴィットリアがここを1人で取り仕切っているのだが、彼女にもいろいろなプランがあって、プールを皮切りに次は入口奥のごちゃごちゃ椅子や机が散乱している部屋を外の人も使えるコーヒーショップに改装したいそうだ。

 「ずっとやってるから、次の21年の間に又来てね」と言われた。

 今回よかったことは彼女が本当に喜んでくれたことだ。マドリッドにいるお父さんになんとか会えないかとも言ってくれたし(まあ無理すればできるかもしれないけど、ここでないと意味ないし、お父さんは英語しゃべらなかったし...)、お父さんに言ったら喜ぶと思うと言って感謝された。e-mailのアドレスもお互いに交換した。ここは最近Posada Dona Lupeに名前を変えてホテルでもホスタルでもペンショーネでもなく「旅籠」になったようだ。ネット予約が出来なくなる可能性がある。一応行ってみたい人(いないか?)のために、アドレスも載せておくと、posadadonalupealhambra@yahoo.es と、そのまんまのヤフーアドレスだった。

 今日は前回いけなかったアルバイシンとサクラモンテの丘、そして日の入時のアルハンブラを歩き回った。サクラモンテの丘の頂上の教会まで登ったが、景色が素晴らしい。アルハンブラの後ろのシェラネヴァダ山脈までくっきり見渡せる。

 15世紀にイザベル女王の軍隊がコルドバから押し寄せてきたときの光景を目に浮かべると、それはなんだかアリの戦争のように思える。あまりに広々としたこの風景の中では、何十万人の軍隊が攻め寄せてもちっぽけな点景にしか見えないだろう。最後のイスラムの王はシェラネヴァダに逃走しながら遠くに見えるアルハンブラを見下ろして涙を流したと言う。また、最後まで抵抗したアルバイシンの貴族たちは皆殺しにされて、その血は白い壁を赤く染めたという。そんな500年以上前のできごとが嘘のように、町は昔の姿をとどめている。

 土曜日のアルハンブラはものすごい数の観光客と、結婚式の後記念撮影をするカップルで溢れ返っていた。ナスル朝宮殿の順番を待つ列も昨日の三倍以上ある。アルバイシンの展望台では夕陽の落ちるアルハンブラを見る人たちが鈴なりになっている。サクラモンテの丘の洞窟タブラオの明かりがぽつぽつ付き始める。それでも森と花々にかこまれて、周囲は静かだ。まるで秘密の花園のようなすばらしい夕暮れだった。

 結論としてはここはやはりスペインで最高の場所である。何年後か分らないが、また是非来て見たいと思った。その時ドニャ・ルーペはどうなっているのだろうか。

 今日のお昼はアルバイシンでガスパッチョと魚のフライの定食11.5ユーロというのを食べたのだが、その量に久々にびっくりしたので、その写真もついでに載せてみよう。ちなみにとてもおいしかった。

 明日はまたバスでマドリッド。221739066_253
221739066_10

2006.09.16

デジャ・ヴュ

 朝からアルハンブラ周辺を散歩、と思ったら裏側の道からアルバイシンの麓付近まで降りてしまう。そのままヌエバ広場、プエルタ・レアル、カテドラル、王室礼拝堂、と回る。グラナダは基本的に斜面が多いので、町自体が傾いているような奇妙な感じがする。

 そこからゴメルス坂を上り、グラナダ門。アルハンブラの中を歩き、前に来たとき吉岡夫妻が泊まったホテル・アメリカ、パラドールを抜け、ヘネラリフェ宮殿に入ってしまう。すばらしい光景が多くおもわず写真を沢山撮ってしまう。夕方、行列が出来たナスル朝宮殿に。ライオンのパティオもそうだがどこもかしこも素晴らしい。特に周囲の景色と建築が完璧に溶け合っているところ。これを作った人たちは繊細で天才的な美的感覚の持ち主だった事がうかがえる。

 その間、シエスタ時にホテルに戻ったのだが、ヴィットリアが居たので写真を撮らせてもらう。するともう少しすると娘が戻るから一緒に撮ってと言うので、また行くと、昨日も見かけた可愛い少女。6歳で名前はルーペだと言う。これで本当の「ドニャ・ルーペ」になったわけだ。「また21年後にこの写真を見せに来てね」といわれる。うーん、確かに似たような経験だ。ルーペはちょっとおとなしくはにかみやだが、昔のヴィットリアを思い出させる。

 お父さんはここではなく、今マドリッドに居るというので、よろしく言ってくれと頼む。基本的にここは彼女が取り仕切っているらしい。

 ところで、ヴィットリアは昨日お湯が出なかったのを知らなかったようだ。スイッチがoffになっていたから、今夜は大丈夫というのだが、やはり駄目。報告しに行ったら、修理屋を呼んでいて、どたばたしていた。それにしても他の客の誰からもそれまでクレームがつかなかったのが不思議。こんなものかとあきらめているのだろうか。

 1日、グラナダの魅力を再確認した一日だった。ただ、店がすぐ閉まってしまうのと、レストランが夜遅くならないと開店しないのには、相変わらず閉口するけど。

 今日は頑張って写真を二枚載せてみよう。


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2006年09月16日
04:28

ERI
21年前も、なんか栓が壊れていてお湯とか出なかった覚えが有る。
それでも、あそこはなぜだか快適だったなぁ。
あの頃、ヴッイトリアにイギリスで買った二階建てバスのお土産のピニールの財布をあげたと思う。

ルーペちゃんにも、何かあげるものない?
2006年09月16日
04:43

ash
そうそう、赤い財布ね。ちょうど成田で買った変な岐阜の人形ストラップと和紙人形しおりがあるからあげとくね。

絵里さんにも変なアラブの袋物買った。
2006年09月17日
03:08

ERI
変なものは、要らないけど・・・。笑。
高価な香水欲しいとか、エルメスのスカーフほしいとかも思わんれけど。

ポンに外国のキャットフード買ってきてやって。221022510_108
221022510_98

アルハンブラの思い出

 ワシントン・アーヴィングの「アルハンブラ物語」の邦訳が文庫版であってそれを読んでいたのがきっかけで、21年前に初めてグラナダを訪れた。マドリッドからの特急タルゴは夜の11時頃に到着する。

 もう既にホテル紹介所などは閉まっていて、仕方なくタクシーの運転手に紹介してもらったのが、アルハンブラ宮殿の一番奥の坂の上にある三ツ星ホテル「ホテル・ドニャルーペ」だった。山の中をずいぶん上って不安になった頃到着したそのホテルは、それでも小太りの気のいい主人が親切にもてなしてくれ、部屋も何もないけれど広々してくつろぐことができた。周囲の山の雰囲気も気持ちよかった。

 だが、あまり流行っていないらしく、他の客を見かけない。夜戻るとご主人がひとりでロビーでテレビを見ていたりして、あまり英語をしゃべれない彼と身振り手振りで話したりもした。うちの奥さんは、ここの家族のお昼ご飯に誘われて、パエーリャをごちそうになったそうである。7,8歳の可愛い女の子がいて、人懐っこく、写真を一緒に撮ったりもした。

 もともとはすぐに移動するつもりだったが、気持ちいい環境とアルハンブラ周辺の雰囲気に魅了されて4日も延泊してここに滞在してしまった。

 それが21年前だ。出発する前に、「二三年したら必ず又くるからね」と約束したのだがかなわなかった。

 今回ネットで探したら、ドニャ・ルーペは見つかったが、バック・パッカー専用の簡易旅館になっていた。値段の安さが売りである。若干の不安とともにたどり着いてみると、随分ごちゃごちゃしたエントランスと要領を得ない従業員。おまけに改装工事をやっていてところどころ壁がむき出しになっている。昔エントランスだった右側の建物はどうやら売ったらしい。坂ノ下の別のホテルの別館になっていた。

 だが受付で買出しに行く娘さんにあった。29歳で結婚していないという。どうやら、この人がいまはここを取り仕切っているようだった。話を聞いてなつかしがり是非写真を見たいというので、日本に電話してmixiにアップしてもらった。

 その間、ずっとロビーにほったらかしにされ、出てきたお兄ちゃんに通された部屋が改装工事をやっている半野外の部屋。三畳間くらいの広さでトイレと小さなシャワーとベッドがあるだけのまるで独房のようなところで、お湯も出ない。タオルもなければ机もない。
これはあんまりだろうということで、部屋を変えてくれと言いに行ったが、ヴィットリアが帰ってくるまでわからないと言う。娘さんの名前らしい。で、またロビーに放置される。

 帰ってきた彼女たちは飲み物とかトイレットペーパーとかホテルの備品を大量に買いだしてきたようだった。荷運びを手伝い、ロビーにおいてあるPCでアップしてもらった写真を見せると大喜びでみんなを呼んで、大騒ぎに。

 なんだか、そのどさくさで、机もあるかなり上等な部屋に移る事が出来た。ただしやはりタオルはないし、お湯も出ない。ヴィットリアは、なーに8時くらいなったら出るわよ、と言ったが、結局出なかった。ただ、ダブルサイズのベッドの寝心地は良く、周辺は静かで、何よりも思い出に包まれて、十分滞在に耐えられる。

 今朝はロンドンから帰国するというメールを送ってきた金光陽子と電話した。
 今は、ちょっと値段は張るが、vodafoneの端末に繋いで電話接続している。


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2006年09月16日
01:06

ERI
なんか、写真の雰囲気には覚えがあるような・・・。
前に立っているの娘さん?220483964_22

2006.09.14

アルカサルと美術館

 最終日の今日は月曜日に入れなかったアルカサルと美術館に行く。

 アルカサルの入口でびっくり。並んでいる。こんなことはセヴィリヤに来て初めてだ。団体と個人に分かれて30メートルくらい行列が出来ている。もっとも、チケット売り場まで行くと、一つずつしか窓口がないから、まあそれは並ぶよなあ。

 ここのアルカサルは見ごたえ十分。広大な宮殿と広大ないくつもの庭園がある。
 とりわけ例のアラブ好きのペドロ一世の宮殿はすごい。びっしりと細密模様やアラベスクで覆われた部屋がいくつも連なるし、中庭や噴水もすごい。さすがに、西ゴーと王国とカスティーヤ王国の首都だったことはある。

 現在のセヴィリヤはただの田舎町だけどね。

 そのあと橋を渡り、対岸からの景色を楽しみ、美術館へ。ガイドブックには2.5ユーロと書いてあったが、なぜかただ。2.5でも安いし、たいして期待していなかったら、すごい美術館でまたびっくり。

 元宮殿風の建物の2フロアにびっしりと、スルバラン、リベラ、ムリーリョらが何十枚も並んでいるし、19世紀のものもある。とりわけ、ムリーリョはさすがセヴィリヤ出身の画家だけあって、1階の大広間と二階の一室と質量共にすばらしい。

 ムリーリョも、そしてまたゴヤもそうだが、スペインの17-18世紀の絵は独特である。いずれも光と影のコントラストが強いが、暗い部分は徹底的に暗く描かれ、人物は紗がかかったようにぼんやりと闇に溶けている。ムリーリョは無数の赤ん坊風の天使を描くが、その天使たちはところどころぼやけて、背景に溶け込んでいる。現実の再現というよりも、画家が見ている幻視なのである。

 また、人物がいかにも生々しく、聖母子など、その辺にいる普通の親子にしか見えない。ただし、それが絵の中では聖化されているのである。演劇的なシーンやおおげさなポーズも共通している。妙に人間くさく、芝居がかっている。

 というわけで、おなかいっぽい堪能して外に出ると、突然の通り雨。まるで熱帯のスコールのようにバケツをひっくり返したような大雨になるが、雲がなくなるとまたしてもカンカン照り。それでもだいぶすずしくなる。

 明日はバスでグラナダに移動する。アルハンブラは入場制限するので予約しといた方がいいというので、ネットで予約。本当に予約が一杯で18時しかとれなかった。昔着たときはそんなでもなかったのにね。

 もっとも予約しなければならないのは人気のあるライオンのパティオのある宮殿だけで、ほかは自由に見られるらしい。

 ネットはつながらないと思うので、ネット喫茶が見つからなければ、日記の更新は日曜のマドリッドまでできなくなります。まあ、たぶん出来るんじゃないかとは思いますが。

 唐ゼミ★の東京公演。雨と寒さで苦戦しているようですが、今週末始まります。

blogの方の写真にキャプションを入れておきました。 219531699_220
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2006.09.13

コルドバ

 セヴィリヤもそうだがコルドバもアンダルシアという地方性を色濃く残している。観光施設のはずのアルカサルは2:30で閉まってしまうし、他の施設もシエスタで休み。かと思うとシナゴーグのように入場料0.3ユーロなんて商売気のない所もある(しかも今日はめんどくさいのか無料だった)。日向の気温は38度。空は雲ひとつなく完全に真夏の太陽だ。

 新しいコルドバの駅前は団地と公園になっていて、まるで埼玉県の衛星都市みたい。その中にもう千年以上の歴史を持つ旧市街がある。

 メスギータと呼ばれるカテドラルは野球場ほどもある広大なモスクをカトリックの教会に改装したもの。しかしその前は西ゴート時代の教会だったという。

 またそのとなりの宮殿はコロンブスがイザベラ女王に謁見して、航海のための費用捻出を直訴した場所だ。その北側には細い路地が入り組んだユダヤ人街が広がる。

 白い壁の路地を歩きながら、旧シナゴーグ跡と、観光用に再現した「アンダルシアの家」という小さな博物館に入る。中庭の小さな噴水と、細かい模様のタイルが涼しい。

 写真はブログの方に上げるので、ここには印象的な三枚だけ。

 セヴィリヤもあと明日一日を残すだけとなった。明後日はいよいよグラナダへ。 218806552_196
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2006.09.12

セヴィリヤとアンダルシア

 町を歩くとき方向が摑みやすい町とそうでない町がある。トレドもそうだがセヴィリヤもとても方向がつかみにくい町だ。狭い路地と広い通りが複雑に絡み合い、見通しも悪く道が曲がりくねっているので、とんでもない所にたどりついてしまう。

 それでも町それ自体が小さいせいか、回り道をした末に最終的にはたどりついてしまうのが不思議だ。

 博物館などは月曜日で休みなので、セヴィリヤの町を歩き回る。中心部には昨日とは打って変わってたくさんの人が歩いている。グアダルキビル川を渡る橋にも沢山の車がひしめいている。この川はなぜか南から北へとコルドバの方に流れているのだが、思ったよりもずっと澄んでいてきれいな川だ。

 ここだけはあいていた「ピラトの家」という16世紀に建てられたイスラム風の宮殿に行く。キリストに死刑宣告をしたピラトの邸宅をイメージして作られたという奇妙な建物だが、明らかにアルハンブラ宮殿を意識したイスラム風の建物や庭である。まだ行っていないがここのアルカサルもそうらしい。レコンキスタ以降のキリスト教の王にもイスラム文化の愛好者が多く、中でもこれを建てたベドロ一世はわざわざ全国から職人を呼び集めて、この宮殿を作り上げた。この王はアラビア語を宮廷内で使わせたらしい。

その後、コロンブスが新大陸を発見した1492年、イザベル女王は全く勢力が衰えないアラビア人とユダヤ人を「異教徒」として国外追放を命じた。この追放されたユダヤ人たちが新大陸に移住し勢力を固めたことが、現在のアメリカ文明のあり方を決めたのではないかというのが、西垣通の小説「1492年のマリア」だと思う。旧スペインのユダヤ人たちはセラフィムと呼ばれ、独自の文化を形成していた。カバラも彼らが作ったといわれている。

 考えてみれば、イスラムは800年にもわたってこの血に君臨していたのである。同じ「聖典の民」に寛容で、キリスト教もユダヤ教も共存していた。民族的にも先住のイベロ人、ゲルマン系の西ゴート族、ケルト人、ユダヤ人、アラブ人、そして後から移住してきたロマ(ジプシー)と、ここにはさまざまな人種と文化が混在している。それがアンダルシアの魅力なのではないだろうか。不思議な事に、異教徒を追放したカトリックもまた、この地ではイスラムの美術や建物は尊重して破壊しなかった。

 異端審問と魔女狩りを繰り返したローマン・カトリックに比べて、ムスリムをすべて「テロリスト」扱いする現在のピューリタニズムがどうなのか。今日は9.11から五年目だが、あの事件の直後思わず「新しい十字軍」と口にした現在のアメリカ大統領のことまで、思いをはせてしまう。

 ここでもほとんどがシエスタで2,3時間も店を閉めてしまう中で、マクドナルドやバーガーキングも店を出す、アメリカ系とドイツ系のデパートだけは営業を続けていた。

 明日はコルドバに日帰りで行ってみる。写真は「ピラトの家」。

#TVで「ドラえもん」をやっっているが、のび太はスペイン語でも「Nobita」、ドラえもんもそのままだった。こういうのも文化の混合ね。218035145_212
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2006.09.11

セヴィリヤに到着

 そう、あの「セヴィリヤの理髪師」のセヴィリヤ、「カルメン」のセヴィリヤである。

 ここはアンダルシア地方の中心。赤茶けたというよりも黄色っぽい土の上に、オリーブの木がぽつぽつと生えていて、白い壁にブルーや赤のタイルが、強烈な光を放つ太陽にゆらめくアンダルシアである。

 ここを基地にして、イスラム時代の首都コルドバに日帰り訪問し、後半にはグラナダに移動する予定だ。

 さすがに暑い。36度あり、少し歩くと喉がからからになり、頭がくらくらする。

 小さな町だが、日曜でほとんど店は閉まっていて、眠っているようだった。世界で三番目に大きいというカテドラルの鐘が町中に響き渡る。いきなりリンツのトラムの看板があると思ったら、セヴィリヤはいまトラムの工事中。中心の広場を通るメインストリートを前面封鎖して工事中。何もぜんぶふさぐことはないと思うのだが、一挙に工事するつもりらしい。

 ここは有料だけど部屋からWiFiが使えます。グラナダに行くとちょっときびしいかもしれないので、僕に用事がある人はネット喫茶でも読めるhisashimuroi@yahoo.co.jpの方に送ってください。

 昨日の唐ゼミ★の初日は無事終ったようで、中野と電話で話した。217291472_80

トレド

 朝バスターミナルから高速バスで一時間。トレドの北側に到着した。アルカサルが見える。わくわくしながら坂を登りサンタクルス美術館へ。何気なくエル・グレコの絵が20枚ほど展示されている。

 アルカサルは工事中で入れない。タホ川とその背後に広がる赤茶けた荒野は相変わらずすばらしい。記憶を探りながらカテドラルへ。ここのカテドラルは無料で入れる区画と有料の博物館を含む入場口があるのだが、前回はケチして入らなかったのを大枚6ユーロ払って入ると、博物館にはグレコをはじめルーベンスなどもあり、それだけの価値はあった。
狭い路地をうろうろうろつき、適当に昼食を取って歩くと、グレコの家をはじめ美術館はしっかりシエスタに突入し、入れなくなった。しかたなく広場から橋の方まで降りて景色を楽しむ。

 初めて来た時ほどではないが楽しめた。頭が変になるほどの暑さも前と同じ。温度計には38度と表示されていた。

 行きと違って各駅停車のようにいろんなところに止まるバスの中で、唐ゼミの初日がどうなったかと気にしていたが、戻ると早速宴会で酔っ払った奥様から報告の電話があった。
明日マドリッドをたち、セヴィリヤに向う。それからグラナダを回り、マドリッドに一泊してからはeasyjetでパリに戻る予定。いよいよ旅も終盤に入る。
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2006.09.10

マヨール広場のイカリング

 というわけで、昨夜は町に繰り出してみた。相変わらずすごい人ごみだが、スペイン語が多い。観光客のピークは過ぎたようだ。温度計は32度と表示されているが、肌に感じる空気は昼より涼しげに思える。

 以前来たのは二回とも夏のピークだから、それより人が少ないのは当然だが、それでも何かさみしい。理由は前にも寄ったバルでイカのリング揚げとビールを頼んで分った。値段が高すぎる。中ジョッキとイカ一皿で10.5ユーロ取られた。繰り返すが今のレートは1ユーロ=150円である。少し外れた場所に行くと7ユーロくらいになるがそれでも高い。物価が信じられないくらい安かったスペインは今はもう昔だ。ここまでではないが、イタリアについても同じことが言える。

 よく見ると人々はサンドイッチ屋のような店に多く、公園の草の上やベンチで宴会をしているのも多い。やはり物価が高いのだ。考えてみると80年代のマドリッドの方が今よりもずっと魅力的だった。そんな時期に来られたことの方をむしろ喜ぶべきかも知れない。今回はどうも落胆する事が多い。

 それでも町や地下鉄の中で見るスペイン人の表情はとても多彩で魅力的だ。昼間見たゴヤの絵に出てくるようなとても多様な顔や体つきをした人たちが今もなお生きている。

 トレドもきっと高いんだろうなあ。
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2006.09.09

プラドとレティロ公園

 朝日曜日の予約を取りにアトーチャ駅へ。元々でかい駅なのだが拡張してまるで空港のようになっていた。実際に出発ロビーと到着ロビーの階を分けて、出発ゲートでは荷物検査と金属探知をやっているのに驚いた。

 ここは長距離が多く、特にスペイン版新幹線AVEの発着駅だからだろうが、新幹線乗り場で荷物検査やってるような感じである。バスク問題で実際に爆弾テロが多発した経験もあるし、イラクやレバノンにも派兵しているし、警戒を強めているのだろう。

 いたるところに警官と警備員がいる。おおらかに見えるが、カトリックの厳しく陰険な監視思想もあって、もともとスペイン人は権力的でもある。それは侵略や厳しい植民地政策にも現われているし、メキシコの独立戦争をはじめスペインは残虐行為をくりかえしている。中南米はそうしたスペイン人の抑圧から噴出した無意識のようなものなのかもしれない。

 そこから歩いてプラド美術館へ。展示の配置が変わっていたが、一人のせいかほぼ1.5時間ですべての部屋を制覇。ルーブルと比べればだいぶ小さいし、なんとか全部きちんと見ることが出来る。満足して地下のカフェテリアで食事。

 ここの絵画は色鮮やかで、血が滴るようだ。前にイタリアやフランスの美術館に比べて北では絵画の色が鮮やかに残っていると書いたら、馬場健太郎さんにそれは修復をしすぎているからで、イタリアではできるだけ修復を控えているからだと指摘されたが、そういうこともあるのかもしれないが、でもやはり気候の影響も大きいのではないかと思う。15世紀のファン・デル・ワイデンまで色鮮やかに残っている。

 近くに90年代のはじめにオープンした新しい美術館ができているし、ソフィア王妃芸術センターというところには「ゲルニカ」もあるが、もう見ているしパス。85年のときはMOMAから戻ってきたばかりで変な場所で特別公開していた。

 裏のレティロ公園へ。ここは前回グラナダ行きの列車に乗る前の暇な時間を「ホケー」としながら過ごした場所だが、奥まで行くと「ガラスの宮殿」という変なものがあって楽しめる。結局そこから「アルカラ門」、ソル、王宮、と歩いてホテルに戻ってシエスタ。そこでこれを書いている。

 外は快晴で歩くほどに暑い。スペインらしく太陽がこれでもかと言わんばかりに照りつけてくる。だが繁華街にある温度計はせいぜい27度か29度で、以前40度と表示されていた真夏と比べるともはや秋の気配だ。

 明日はトレドに行こうと思う。もう二度行っているから今回はアランフェスにしようかとも思ったが、ロドリゲスの音楽を頭に響かせるだけの庭園よりは、やはりあのアラブとスペインが奇妙に混合した街が見たい。今回はバスで行ってみようかと思う。あのアルカサルをもう一度見られるのが楽しみだ。

 今晩はマヨール広場でイカのリング揚げとビールをやっつけてみようと思う。

 明日は唐ゼミ★初日だが、みんな頑張ってね。


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2006年09月15日
09:09

れちな
昨年はご無礼失礼致しました、実践の椎原です。私もしばらく欧州滞在して、明日帰国する予定です。パリの友人宅のネット環境がよく、久しぶりにミクシの室井さんの日記を読んでいる次第です。マドリッドの話に反応しますと、90年にマドリッドに行ったときレティーロ公園であまりの暑さ(42度ぐらい)にやられ、日陰で寝てしまったことがあります。ほんの15分ぐらいかと思いますが、そのときパスポートサイズと言っていた頃のハンディカムが入ったバックを盗まれました。そのとき「ガラスの宮殿」でカール・アンドレの展覧会をやっていました。宮殿のなかに鉄がおかれていただけなのですが懐かしく思った次第です。今日わたしは、パリ市近代美術館でダン・フレヴィンの展覧会と新しく出来たブランリー岸の博物館を見学しましたが、特に後者は話題の博物館で、入場するのに30分ほどかかりましたが、入り口から展示室までのスロープをトリン・T・ミンハが手がけているのですが、ある種のあざとさに抵抗感を覚えた次第です。スペイン南部は、油断しているとすぐにすられたりしますので注意して旅を続けてください。215760772_162
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2006.09.08

21年ぶりのマドリード

 最初に来たのが81年の夏だったと思う。母親の付き添いでパリからプエルタ・デル・ソル号の狭いクシェットに乗って行った。団体旅行だったので、半日の市内観光はついていたが他はオプションで、トレドとアヴィラ・セゴヴィアのバス旅行に行った。

 この時の印象は強烈で、フランコが死んだ直後だったため町は平和で明るさに満ちていた。物価は以上に安く鶏の丸焼きが500円以下とか、驚いた。シエスタ時には店は全部閉まり、レストランの開くのは9時過ぎとか10時過ぎだった。こんな文明もあるのだし、人間にはこんな生き方もあるのだ、とショックだった。恋と音楽と遊びだけで、生きていることは十分に意味があるというような、そして強烈な光と影に彩られた文化に圧倒され、スペインは随分心に残って、すぐに挫折したがスペイン語の勉強を始めたりした。

 二回目が新婚旅行で85年夏、中心部に泊まった。この時は治安はだいぶ悪化しておりバスク解放運動の爆弾テロもあったりして、町はぴりぴりしていた。明らかに貧富の差も広がり人々の顔つきも少し険悪になっていた。それでも、物価はやはり極度に安く、シエスタの習慣も健在だった。マヨール広場で11時過ぎに行ってものすごい人ごみの中でバルをはしごしたりもした。グラナダやバルセロナに行ったのもこの時である。北の国とあまり変わらないバルセロナと比べてマドリッドにはまだスペインらしさが濃厚に残っていた。

 それから20年以上もたつのだから変わって当たり前。中心部はスターバックスやケンタッキーなどアメリカ資本のチェーン店が占め、ベネトンやスワロウスキーが大きな店舗を構えている。当然シエスタで店を閉めたりはしない。

 何よりも物価が高い。カフェとかビールはまだまだ安いが、バルのタパスもみんな5ユーロ以上が多い。ただよく観察すると手ごろな値段の店も全然ないわけではないが、表通りの店はことごとく高い。ユーロが高いだけに割高感は強まる。

 ホテルは王宮の裏のスペイン広場(ドン・キホーテ像のあるところ)の横なので、とりあえず中心部を一通り歩いた。昨日から雨交じりなので空は曇っていて気温も24度くらいなので何だか調子が狂う。前に来た二度とも真夏で38度とか40度とかの暑さで空はぬけるように青かったのだが、やはり九月だからだろうか? ミラノよりは明らかに涼しい。景色も違って見える。そういえば、昨日マドリッド空港につく前に大きな雷雲が広がっていて、空一面に稲妻が駆け巡るすごい光景を見た。赤茶けた荒地にポツポツと低い木が生えているだけの平野が無限に広がるようなカタルーニャの荒涼たる大地と、まるでキングギドラの吐き出す光線のように四方八方に飛び散る(水平方向や上に向ってひろがる稲妻は初めて見た)稲妻のコントラストがすごかったのだが、その影響かもしれない。それでも午後には青空が顔をのぞかせるようになった。

 王宮からマヨール広場、プエルタ・デル・ソルに抜け、初めて王宮アカデミア美術館に入り、昼食を取ってグラン・ヴィアを通って帰りホテルで昼寝。違う町みたいにきれいで、整然としている。あまり北のほうと変わった感じはしない。通りすぎる人々の顔つきもなんか昔より垢抜けて見える。昼休みで閉める店も半分くらいはあるが、他は開店していて、道を歩く人の数も減らない。去年の12月からイタリアによく似た禁煙法が敷かれたためバルの中もタバコがすえなくなった。昔は床にバンバン吸殻落としてたのに。

 かくのごとく、見かけ上はマドリードは随分変わって、他の大都市とあまり変わらなくなってしまった。残念な事である。ただ、スペイン人の気質のようなものがそう簡単に変わるはずがない。町の人たちやホテル、レストランの人たちを見ていても、昔のままのスペイン人気質のようなものは、そのまま残っているように思える。だいたい気付いてみれば、現在のこのマドリッドという町は、スペインが没落期に入ってから、ハプスブルグ家やブルボン家の王が作った町なのだ。もともとスペイン人の町ではないのである。だから、トレドやアンダルシアの町々のように、アラブ人の都市にカトリック文化が溶け合った町こそが元々のスペイン文化なのだ。来週はセヴィリアとグラナダに行くことにしたが、田舎に行って、どうなっているか見てみたいと思っている。 215085930_103
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2006.09.07

ミラノからマドリードへ

 リンツを朝9:00過ぎに出て、夕方7:00にミラノ到着。途中、ザルツブルクから山に囲まれるようになり、インスブルックでは完全にアルプス。「サウンド・オヴ・ミュージック」の舞台になった地方だ。

 乗換えでちょっとだけ駅の周りを歩いたが、目の前すぐに5000メーター級の山が屏風のようにそそりたっている。後ろにも山だから何か距離感がつかめない。くっきりと見える山肌には永遠に溶けない氷河が幾筋も見えている。

 不思議なものでそこから北イタリアに入ると同じ山でも雰囲気が違ってくる。石を切り出す岩山や、杉で覆われた山。もう少し人間を寄せ付ける感じの山である。何よりも太陽が違う。明らかにアルプスを境に気候と自然が変わっている。ゲーテの『イタリア紀行』にもそんなことが書かれていたような気がするが、とにかくいきなり夏に戻った感じだ。ミュンヘンからベネティアに行くECは、ドイツ人たちで一杯だったが、次第にイタリア人たちが乗り込んできて車内がしゃべり声や携帯で大声で話す人たちでにぎやかに(と言うよりも完全にやかましく)なる。ウェローナで乗り換えて到着したミラノは汗ばむほど蒸し暑かった。

 駅裏すぐのホテルにチェックインしてから電話をかけ、8:00に馬場さんと待ち合わせ。駅周辺の中華料理屋へ行く。こっちに来てから中華も日本食レストランも行ってないので新鮮だったが、日本語メニューがあり普通中華にはない焼き餃子まである店で、ほとんど東京とかわらない。九州出身という馬場さんは紹興酒の一合徳利を何度もお代わりして相当早いピッチで飲んでいた。こちらはビール中心だったが、それでも付き合わざるを得ず久しぶりに飲んだという感じ。

 次の日の飛行機の時間まで日帰りでヴェローナにでも行こうかと思っていたが、馬場さんとお昼を食べて空港へ。

 話題の超格安航空会社easyjetはとても合理的なシステムで、エアバスで無駄なものがない。食事や飲み物はワゴン販売だし、椅子のリクライニングすらない。席もチェックイン順に自由席になる。内装もおしゃれできれい。これはヒットするはずだ。

 20年ぶりのマドリッド。すっかりきれいな町になっている。ただ、空からのカスティーヤ地方の乾燥した荒地のつらなりはやはりスペインそのものだ。相変わらず親切なホテルの人の好意で閉店したバーでビールを飲みながら接続中(いい加減なのも相変わらずで部屋には無線LANはつながっていなかった) 214395537_216
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2006.09.05

リンツ最終日

 明日は移動日である。ミラノには夕方の7時に着く予定で、その後7月頭に出会って、ここでも”マイミク”してくれている馬場健太郎さんとちょっとビールを飲む予定。ここに来てようやく北イタリアのBellugaの実家に戻っているチンツィアからメールが来るが、もう遅いもんね。

 今日はたいしたイベントもないが、朝からブルックナーハウスでネットを繋ぎつつ、作家のプレゼンや草原真知子さんの日本のメディアアート状況とか彼女の提唱する”デヴァイス・アート”の話を聞き流す。

 アルスのセンターでは先月メキシコであったISEAというイベントの報告と思いきや参加者の半数以上が関係者で今後の運営体制をどうするかというような、完全に内輪の路線闘争のような展開になってしまったので、途中退出。いずれにしても次回は二年後の2008年の7月末にシンガポールでやるようだ。

 このあと、初日に聞いた哲学系のセッションがあるが、つまらなそうなので、これでおしまいにしようかと思っている。アルスエレクトロニカで一番欠落しているのが思想や哲学であり、あいつらでは明らかに役不足である。

 明日のホテルはネット環境をたしかめていないので、次回はマドリッドについてからになるかもしれない(或いはミラノのネット喫茶か)。

水戸芸術館にバッタ登場!

 10月8日と9日の両日、久々に水戸芸術館の中庭にバッタが登場する事になりました。2年に一度の「カフェ・イン水戸」にはずっと登場し、いつも記録的な観客を集めてきたのですが、今年はカフェがなかったので秋の特別公開になったようです(京都の寺の特別拝観みたい)。

 これまでは展覧会と一緒だったり、椿昇とぼくたち横国バッタチームが現地水戸のボランティアの人たちと一緒に設置作業をしてきたのですが、今回はそういうわけにも行きません。ぼくはその頃まだヨーロッパですし、バッタチームの主力だった劇団唐ゼミ★のメンバーは新潟公演中です。

 どうしようかと思っていたのですが、椿昇も都合をつけてくれるらしいし、元バッタチームで卒業したり就職したりした連中が休みを利用して駆けつけてくれることになったようです。水戸のボランティアの人たちもまた来てくれることでしょう。行きたいですが急に決まった事なのでしかたありません。

 「巨大バッタの奇跡」を読んでくださった方は是非見に来てください。見に来るだけの価値はあります。本当は作った僕たちでもこれを出すたびにそのデカさに驚いてしまうくらいです。秋の青空の下でバッタと一緒にくつろいでください。
 
現在、バッタのサイトはhttp://hmuroi.edhs.ynu.ac.jp にあります。
過去の地上置きの記録などもここにあります。

 水戸行くには東京駅から高速バスが便利です。5人いて回数券を買えばさらにお得。

 それから、これも僕はかかわる事が出来ませんが、劇団唐ゼミ★の公演「ユニコン物語」が、今秋9日のみなとみらいで初日を迎えます。こちらもお忘れなく。

2006.09.04

祭りもそろそろ終わり

 もうアルスエレクトリカも昨日の花火でピークを迎え、イベントも少なくなってきた。

 今日は予約してあったセンターでの「Cave」体験。一種の3Dヴァーテュアル・リアリティ装置だが、立体めがねを装着して箱の中に入りさまざまなヴァーテュアル世界を冒険するというようなもの。

 3Dマウスで係員が操作するのだが、複雑な町や洞窟の中を高速で移動する。ただし、基本的にデータが2Dのものを見せかけて立体化しているので、それほど驚くという事はない。館内でローラン・ミニョノー、岩井俊雄さんらと出会って言葉を交わし広場に出ると草原真知子さんがいて、一緒にOKセンターに行きまたロボット椅子を見る。草原さんはこれがいたく気に入っていたようなのでもしかすると日本で見られるかもしれない。ぼくはさすがに飽きた。

 Freeの無線Lanがあると聞いたブルックナーハウスに行くと、昨日紹介してもらったクリエイティヴ・クラスターというNPOをやっている岡田さんとばったり会って、お茶を飲む。BankARTなどで大掛かりな展覧会をやっているらしい。いろんな人のことを知っている人でしばらく会っていない元学生の動向などを聞くことが出来た。

 この間、ずっと坂根さんや内田まほろちゃんと連絡とろうと電話していたのだが、ずっと繋がらない。どうやら坂根さんは自分の番号をうろ覚えでいったために間違っていたようだ。結局まほろちゃんとは会えてお茶を飲んだが、電話を落としてこわしてしまって坂根さんと連絡取れないという。明日朝四時の列車に乗るので今日中に全部見ておくという元気な彼女に、別れを告げて今日はおとなしくホテルに戻る。

 というわけで写真はないのだが、せっかくなので昨日坂根さんと一緒にとってもらったぼくの写真を載せておく。

 ちょっと長すぎたかもしれないけど、明日一日でリンツも終わりだ。アルス自体は5日まであるが、だいたい見るべきものはすべて見たといえるだろう。次に来ることがあるかどうかはちょっと分らない。212168475_176

旅は続く

 その後いろいろな励ましをいただきましたが、しぶとい性格なのでめげずにやっています。
PCも前より使い勝手は悪いですが入手。MIXIの日記は続けていますし、ここにも写真を追加しています。

 オーストリアのリンツで開かれているメディアアートの祭典「アルスエレクトリカ」に初めて参加しましたが、それも終了。滞在期間ももう半分を終えあとは後半、もっと充実した旅にしていきたいと思います。

2006.09.03

坂根さんと会う

 今日は郊外にあるSt.Florianという村の古い修道院が会場。数百人が参加するとてもおおがかりな遠足だった。立派な教会も付属する巨大な城のような修道院である。ここで30以上のイベント,講演、パフォーマンスなどが同時進行する。

 オルガンコンサートを聴いてからお茶を飲んでると早足で通りすぎる日本人グループと遭遇。岩井俊雄さんと坂根厳男さんたちだった。

 坂根さんは前IAMAS学長で、日本のメディアアートのほとんど唯一の立役者。アルスももう20年以上欠かさず来ていてあらゆるところで顔が利く。

 坂根さんに会わないかなあと思っていたのだが、やはり体の調子が悪いのかと思っていただけにうれしかった。しかも、今回は内田まほろさんという、僕も10年以上前から親しい女性と一緒だというので合流。ひさびさの再会を楽しんだ。

 トークセッションはジョン前田、エルキ・フータモ、岩井俊雄とスターぞろいのせいかいずれも超満員で、特に岩井さんのセッションは立ち見どころか、満員電車状態にまで膨れ上がる。すごい人気だなあと思うと同時に、メディアアートの行き詰まり感を打破するためのヒントを、このある意味でのメディアアートの申し子のようなアーティストに求めているような気もした。だが、皮肉な事に最後は最近娘と一緒に出したような紙や木の工作に回帰しているというような話で終ったのだが。

 フータモと始めて話したが、エミル・レイノーのことで盛り上がる。岩井さんは初期にレイノーのプラキシノスコープ・テアトルのレプリカを作っているが、この「メディアの考古学」の第一人者も動いているそれを見た事はないそうである。今度是非、家から出して見せてもらおうと言っていた。

 坂根さんのおかげでいろいろな人に紹介してもらい、夜はドナウ川の花火大会。花火だけではなくアルスらしく、大掛かりなマルチメディア・パフォーマンスがある。見た事もないような巨大プロジェクターで上空五十メートルほどの高さにある気球(人工の月)や、川を走る帆船に映像を映したり、クレーンや飛行船まで飛び出した。去年などは本物の戦闘機まで動員されたそうである。

 花火になってからは、日本のものよりはそうとう落ちるので、ホテルに帰る。ひさしぶりにレストランで夕食をしたという感じ。211626519_185
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2006.09.02

展覧会を見る

 朝、WiFiの調子が悪くてでかけるのが遅くなり、シンポジウムに顔を出すのをやめて、公募のサイバーアート展と、何箇所かで開かれている展示を見に行く。建設現場のようなOKセンターというところでは公募から選ばれた作品が展示されている。まあ、こんなものかなあと思う中で面白かったのは、キムラ・リョウタという人の「S.U.I」という作品。これはSUICAカードの情報を読み取り、それを画面に表示すると共に作者が撮影した駅前の映像とCGのキャラクターがその場所の説明をするというもの。映像は対応できないが普通にみんながもっているカードを読み取れるという。単純にSUICAの中身の情報が見えて、それが現実の都市と結び付けられている所が面白い。

 もうひとつは単純に馬鹿馬鹿しいものだがカナダ人二人組みが作ったロボット椅子。ばらばらになった椅子が、自動的に自分自身を復元していく。さいごに自力で立ち上がるところが健気である。ただし、せっかく立ち上がった途端十秒もしないうちに作者たちにまたバラバラにされてしまうのだが...

 センターで展示している東工大の青木タカフミ君の「コビト」は、人工知能で動くCGの小人たちが人間が動かせる貯金箱をいっしょうけんめい押して動かそうとするインタラクティヴアート。小人たちの動きがかわいい。公募にだしたつもりがヴィデオが気に入られて突然招待作品になったそうだ。23歳なのだからすごい。

 ところでリンツのあとはやはりスペインに行くことにした。寒いのがいやになってきたし、ミラノからマドリッドだと超格安の航空券が取れるからだ。一万円前後だから通常の十分の一以下の値段である。ミラノで一泊しなくてはならないが、今日交通機関やホテルの予約をした。

 一週間ほど回ってパリにひとまず戻ろうと思う。ちなみにマドリッド−パリも安い。パリから古い友人でジュネーヴに住む写真家のアラン・ユムローズ(ようやく連絡がついた)のところに遊びに行ったりはするが基本的にまじめにパリに三週間ほど腰を据えて残りの期間を過ごそうと思う。


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2006年09月03日
06:52

Studio
室井が「コビト」にコメントするのは、私にとって面白い発見だね。「コビト」は、去年の8月にLos Angelesで開催されたSiggraph2005のET(Emersing Technology)にも出展していた。
http://www.siggraph.org/s2005/main.php?f=conference&p=etech&s=etech3
ジョージルーカスがETの展示の中で一番気に入った作品でもある。青木君のグループは、東工大のロボット技術研究会の所属ですね。彼らを見ていると、受験勉強につぶされずに残っている元気な若者の存在を感じられて頼もしい。
実はETにはうちの会社も作品を出していたのだけれど、ジョージルーカスは一瞥もせずに素通りしていった。210760114_7
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2006.09.01

オープニング

 まずはドナウ岸辺のレントス美術館で開かれている、オープニング・シンポジウムへ。

 「サイバネティクスが美学と出会うとき」ってタイトルで何をやるのかと思いきや、本当に50年代のマックス・ベンゼを見直そうとか言う話でちょっとこけそうになった。過去のサイバネティクスが忘れられているから掘り起こそうというような話。確かにサイバネティクスは人間と動物と機械を同じ見方で記述できると主張したし、心理学や社会学とは全く違うやりかたで芸術についても語ることが出来ると主張してはいる。ウィーナーのサイバネティクスを受けてドイツで「情報美学」を主張したのがマックス・ベンゼだ。日本では川野洋さんが早くから紹介していてぼくたちも読まされた。

 だけど、サイバネティクスそのものを復活させたってしょうがない。しかも、今の時代、僕たちは「通信」と「制御」ということにすべてが還元されるような、まさしくサイバネティクス的な世界に生きているではないか? サイバネティクスをさらに呼び戻してどうする? 質問に立って、現在でもそれがアクチュアリティーをもつとしたらそれは何か、と聞いたが、しどろもどろではっきりしない。どうもオーストリア人である彼らは、いまひとつ自分たちのやっていることに自信がないらしい。と言うか、メディアアートを研究対象にしたためにいろいろなことに手を出し始めたばかりなのかもしれない。

 聴衆もほとんどはアート系で哲学的、と言うよりも文献学的な議論に退屈していた。

 つづいて、ジョン前田、キャンパス部門のヘルシンキの美術学校、地元のリンツ芸術大学のオープニングが立て続けにあった。すべての挨拶でしゃべっているのが、センター所長のシュトッカー。最初若すぎるので違うと思ったが、そうなのだ。吉岡とおなじようなヘアスタイルをしている。とりあえず挨拶をする。

 クリスタ・ソムラーとローラン・ミニョノーがやっているリンツ芸大の展示は面白かった。基本的には先生たちと同じくインタラクティヴで、生命や自然に関するものが多いのだが、大声で叫んだり、飛んだりはねたりしないと反応しないものが多く、会場は叫び声でうるさい。こんなににぎやかな展示も珍しい。また地下の古いバーを改装した会場はとてもよかった。中央広場のど真ん中に20年も使われなかった古いバーが残っているのがまずもって信じられないが...

 どうもIAMASがやったのは去年ではなく一昨年だったようだ。また、クリスタたちはIAMASの前に京都にいて日本には十年もいたそうである。だいぶ勘違いをしていた。大賑わいの展覧会で、また明日以降話しましょうということで今日は別れた。

 毎日シンポジウムやイベントがあるので、いろいろと楽しめそうである。

 そう言えば、blog(http://www.bekkoame.ne.jp/~hmuroi/)の方にたまった写真を追加しておきましたのでご覧下さい。210197534_194
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