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2006.09.12

セヴィリヤとアンダルシア

 町を歩くとき方向が摑みやすい町とそうでない町がある。トレドもそうだがセヴィリヤもとても方向がつかみにくい町だ。狭い路地と広い通りが複雑に絡み合い、見通しも悪く道が曲がりくねっているので、とんでもない所にたどりついてしまう。

 それでも町それ自体が小さいせいか、回り道をした末に最終的にはたどりついてしまうのが不思議だ。

 博物館などは月曜日で休みなので、セヴィリヤの町を歩き回る。中心部には昨日とは打って変わってたくさんの人が歩いている。グアダルキビル川を渡る橋にも沢山の車がひしめいている。この川はなぜか南から北へとコルドバの方に流れているのだが、思ったよりもずっと澄んでいてきれいな川だ。

 ここだけはあいていた「ピラトの家」という16世紀に建てられたイスラム風の宮殿に行く。キリストに死刑宣告をしたピラトの邸宅をイメージして作られたという奇妙な建物だが、明らかにアルハンブラ宮殿を意識したイスラム風の建物や庭である。まだ行っていないがここのアルカサルもそうらしい。レコンキスタ以降のキリスト教の王にもイスラム文化の愛好者が多く、中でもこれを建てたベドロ一世はわざわざ全国から職人を呼び集めて、この宮殿を作り上げた。この王はアラビア語を宮廷内で使わせたらしい。

その後、コロンブスが新大陸を発見した1492年、イザベル女王は全く勢力が衰えないアラビア人とユダヤ人を「異教徒」として国外追放を命じた。この追放されたユダヤ人たちが新大陸に移住し勢力を固めたことが、現在のアメリカ文明のあり方を決めたのではないかというのが、西垣通の小説「1492年のマリア」だと思う。旧スペインのユダヤ人たちはセラフィムと呼ばれ、独自の文化を形成していた。カバラも彼らが作ったといわれている。

 考えてみれば、イスラムは800年にもわたってこの血に君臨していたのである。同じ「聖典の民」に寛容で、キリスト教もユダヤ教も共存していた。民族的にも先住のイベロ人、ゲルマン系の西ゴート族、ケルト人、ユダヤ人、アラブ人、そして後から移住してきたロマ(ジプシー)と、ここにはさまざまな人種と文化が混在している。それがアンダルシアの魅力なのではないだろうか。不思議な事に、異教徒を追放したカトリックもまた、この地ではイスラムの美術や建物は尊重して破壊しなかった。

 異端審問と魔女狩りを繰り返したローマン・カトリックに比べて、ムスリムをすべて「テロリスト」扱いする現在のピューリタニズムがどうなのか。今日は9.11から五年目だが、あの事件の直後思わず「新しい十字軍」と口にした現在のアメリカ大統領のことまで、思いをはせてしまう。

 ここでもほとんどがシエスタで2,3時間も店を閉めてしまう中で、マクドナルドやバーガーキングも店を出す、アメリカ系とドイツ系のデパートだけは営業を続けていた。

 明日はコルドバに日帰りで行ってみる。写真は「ピラトの家」。

#TVで「ドラえもん」をやっっているが、のび太はスペイン語でも「Nobita」、ドラえもんもそのままだった。こういうのも文化の混合ね。218035145_212
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