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2006年10月

2006.10.24

回帰する日常

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 帰国してからもう10日以上が過ぎた。
 その間、週末は新潟、京都と唐ゼミ★のツアーに顔を出し、他にも三鷹の森の唐組「透明人間」、MODEの「秘密の花園」と、久しぶりに皆様にご挨拶。大学の方もとりあえず一週分の授業をこなした。

 唐ゼミ★の「ユニコン物語」の出来が果たしてどうなのかということは、ヨーロッパにいた時も気になって仕方がなかったが、新潟でようやく初見。

 唐さんが書き換えたために、幼児期と母胎的な夢魔的水平性に対して、それらを垂直に切り裂く「一角獣」の超越性というきれいな図式が壊れ、カタルシスがなかなか生まれにくい構造になっているのを、中野がうまく三幕を作り上げていた。ただ、戦後の下町の子供たちの遊び(チャンバラ、海ほうずき、多羅尾伴内ごっこ)は80年代生まれの彼らには遠い昔だし、牛乳瓶やリンゴ箱への郷愁などもあろうはずがなく(但し椎野裕美子がそれらを見事に具現していたのは流石だった)、リリシズムやノスタルジー的表現が少し苦手な演出家は、それを力押しで乗り切ろうとしたため、一幕、二幕がやや緩急のリズムがなくなり、感情移入しにくい作りになっていたようだ。八房という、初演で小林薫が演じた「怪物的道化」役を「八つの乳房を持つ両性具有」に作り替えてしまったのも展開がやや苦しくなった原因だが、しかし禿恵はそのプレッシャーから前代未聞の不思議に魅力的なキャラクターを造形してしまい、それだけでも見てもらう価値はあったと思う。何よりもメンバーの成長に目を奪われた。少ない人数での二週間以上にわたる地方公演でだいぶ鍛えられたようである。まあ、これからもっともっと成長してもらわなくてはならないのだが‥‥。

 中野と話し合いながら、京都公演では大幅に手直しをして、土曜日にはかなり満足できるものが出来上がったが、なぜか日曜日の千秋楽は役者のリズムが合わずもうひとつ。なかなか難しいものである。上に時計が掛けられた小学校の古い建物のアーチ型のゲートに消えていくエンディングはなかなか美しかった。
 まあ、彼らなりに今回は反省点が多かった公演だったようだ。次回にその悔しさを爆発させてくれるのを期待したい。

 唐組の「透明人間」も、カタルシスのないエンディングに書き換えられ、十貫寺梅軒さんが中二の少年役を演じ、唐さんの白川先生と絡むという一種のメタシアター的な構成。そこが唐さんの面白いところだが、わざとノイズを取り込み、構造を破壊し、観客をケムに巻くところがあり、今回の「ユニコン物語」の改訂にもそうした意志が反映していたように思われた。台本として固定されたものを再現するのではなく、いかにして構造を破壊して、役者の肉体と演劇の現場性につなげていくかということを常に考えるのが唐十郎が凡百の演劇人と異なっているところだと思う。

 そうやって、元通りの生活に戻ったのだが、約100日間のヨーロッパでの移動生活がいろいろなところに影を落としていることも事実である。世界は言うまでもなく「ひとつ」ではない。その多層性、重層性をどのようにして自分の生活の中に取り入れていくか‥‥というようなことを考えている。

2006.10.10

旅の終わり

 さて、6月30日からの旅も今日で終わり。明日シャルル・ドゴール空港から帰国便に搭乗する。まあ、また南回りだから到着は明後日の夜だけどね。mixiの日記もそれで終わりです。ずっと読んでくれた人たちには感謝いたします。

 結局パリに延一ヶ月滞在、のこりの二ヶ月ちょいはイタリアとオーストリアを中心にしてずっと旅をしていた。

 なんだろうなあ。新しい発見も多々あったが、基本的には自分の記憶や経験と向かい合うような旅だったと思う。ようするにそれだけ長く生きてきてしまったということだ。各地で初めて会った人たち、20年来の友達、2,3年ぶりで再会した人たちも、またそれぞれ、自分自身の位置確認に役立ってくれた。

 現代という時代は、新しい「中世」なのだと改めて思った。

 「指輪物語」が流行るのは偶然ではないのである。

 その中でどのように生きていくのかということが今一人一人に問われている。逆に言うと、もはや近代の「大衆民主主義」の理念が全く機能不全に陥ってきていること。支配層の言う「普遍的価値としての民主主義」対「その敵」、「自由と人権を守る側」と「それを軽んじる間違ったイデオロギーや信仰を持つ側」いうような、嘘の二項対立に捉われず、異なる価値観、異なる言語を相互に結びつける知識の交流の必要性を痛感した。

 だが、柄谷さんが失敗したように、そうしたコミュニケーション回路を固定した制度として現実に立ち上げることは不可能に近い。それは個別の活動のひとつひとつの積み重ねの中で模索していくしかないのではないだろうか?

 ムンバイの鉄道テロやロンドンやドイツのテロ未遂事件、突然のイスラエルのレバノン爆撃と、それに追随するアメリカや国連の反応、アフガン/イラクでの「戦争」の激化と、この三ヶ月間いろいろなことがあった。こちらの「民主主義陣営」の報道を見ても、どうして他者に対する想像力がここまで欠けているのだろうという暗澹たる思いに捉われる。人類はこの数万年間、何も進歩していないに違いないと改めて思う。

 ヨーロッパでも吹き荒れる禁煙イデオロギーの法制化の問題もまた然りである(もっともこっちでは屋外禁煙なんて発想はそもそもないけどね。アメリカもやっていない。そんな過剰な攻撃性を持っているのは日本の嫌煙運動だけだ)。善か悪か、合意か不同意かをはっきり選別し、その線を認めない人たちを、単純に反社会的と決め付けるような神経症は世界的にも広まっている。だが、そうではない人たちもおり、そうではない生き方もある。多様性を認めるということは結局「自己」とは「他者性」の織物なのだと認めることからしか始まらない。現代の「科学」とか「民主主義」とかいった御旗を振りかざす、金融資本と手を結んだ「グローバリズム=新しいカトリシズム」に、何とかして抵抗していかなくてはならない。そして、その答えは身の回りの実践の中にしか見出せないと思う。

 いろんな課題を頭の中に蓄えながら、また日本でがんばろう。もっと、頻繁にこっちの人たちと交流しなくてはとも、あらためて思った。

 というわけで、また日本の戦場に復帰です。

今日で最終日です。

 結局、フランス、イタリア、オーストリア、ハンガリー、チェコ、ポーランド、ドイツ、スペイン、スイスの九カ国、25都市を訪れたことになる。

 ちょっと長い夏休みのようなものだが、自分の記憶や経験とじっくり向かい合うことができた。いやあ、それにしても随分長く生きてきたってことである。

 ここを読んでくれたみなさんありがとう。

 こんなに毎日書く予定ではなかったのですがいろいろ励まされました。多分、ここはまた開店休業になります。blogもまた続けるけど、もうこんなに毎日書くことはないだろうなあ。そういう意味でも思い出深い三ヶ月でした。

 昨日今日と映画見たり、行きそびれたところに行ったりのんびりと過ごしました。水戸芸のバッタ公開も好天で無事に終わったようでよかった。

 明日朝出て、日本時間では水曜日の夜に帰宅します。
 それでは!239918779_213

2006.10.08

La Nuit Blanche

 アリアンスの二週間のフランス語コースも昨日で終わり、あとは帰国するだけだ。

 とりあえず、映画を見たり近所を散歩したりして過ごしている。

 パリは映画全般に対する文化助成があるせいかどの映画館もきれいで立派だ。だいたい映画館は固まってあるので、ロードショーならどの時間帯でも見ることができる。入場料も6-10ユーロくらいで安い。フランス映画がはじめて扱った題材ということで話題の「Indigenes」(植民地の原住民のこと)は、第二次大戦にフランス開放のために参加したアルジェリア兵やモロッコ兵たちの話。一番危険なことをさせられ、差別され、報われなかったという話だが(フランス政府は彼らの独立後なんの保障もしなかった)、ある意味ではただそれだけの映画。フランス映画だがアラビア語会話が多く字幕が出るのでだいたい分かった。

 溝口健二の「近松物語」をソルボンヌの近くで見たが、こちらは昔見たときはさほどだったが、面白かった。長谷川一夫と香川京子の「おさん・茂平」。見ているフランス人観客の反応も面白い。

 さて、今日10月7日は「La Nuit Blanche」(白夜のこと)と呼ばれ、パリ市内や郊外で一晩中さまざまなイベントがある。美術館や映画館も無料になり、無料コンサートやアートイベントが開かれ、メトロも一晩中止まらずに動く。

 知らなかったが今回が五回目らしい。ローマやマドリッドなどでも真似して、どんどん広がっているようだ。日本でどこかやるところはないかな?


 人ごみに出るのは面倒だし、別に朝まで遊んでみたくもないのだが、今日だけの特別なイルミネーションもあって、たとえばコンコルド広場のモニュメントが一晩中、クライン・ブルーの照明で青く染まる。というわけで暗くなってから出かけてみた。

 8:00になっても暗いままで、ほぼ満月に近い月に照らされていたが、ようやく8:35に点灯。周囲の噴水や彫刻も青くなって、なかなかきれい。他にも市役所で無料コンサートなどがあるのだが、市役所まで歩いてはみたものの、どこに行っても凄い人ごみで、雰囲気は面白かったが10時前に撤収。

 明日は水戸芸でのバッタの展示と、唐組の「透明人間」の初日があるね。天気が回復したようで両方ともうまくいくといいね。


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2006年10月09日
16:49

猫平
初日は素晴らしい秋晴れで、夜は月はとてもきれいでしたよ。
明日、唐ゼミの皆さんは新潟入りだとか、新潟は大変だよと、いっぱい脅かしておきました、でもテント好きで、唐さんファンの方々が沢山いるので、きっと暖かく迎えられるでしょう、
こちらも浅草の稽古に入ります。浅草で御会いするのを愉しみに!ではではパリ暮らし満喫してきてくださいませ、
2006年10月28日
00:55

ぢゃこ
お邪魔します。
「白夜のこと」同様のイベントが昨年プラハでもありました。
今年もあったのかな?
プラハに3年程住んでいましたが、その間美術館に勤めており、最後の年(去年)、もう少し早い時期でしたが(7月だったでしょうか)、市内の美術館、博物館など無料で公開、さらにコンサートなども催されていました。(映画館はどうだったかな?)
私の勤めていた美術館もそのイベントに組み込まれていて、手伝いに行ったことをashさんの日記を読んで思い出しました(笑)。
2006年10月28日
09:50

ash
ぢゃこさん。
唐ゼミ★京都公演の感想を拝見しに伺いました。
8月にプラハにも寄りましたが、元気な町でしたね。泯さんの公演の折込にいらっしゃったんですね。
唐ゼミ★がまた京都に行く時にはよろしくお願いいたします。
2006年10月29日
11:49

ぢゃこ
私も先月、公演のツアーで久々にプラハへ行きました。
プラハはEUに加盟して以降、かなり西寄りな感じになりましたが、それでもまだ堅ブツで融通のきかない、でも、真面目で素朴なところが残っているなあと実感して帰ってきました。
唐ゼミ★面白かったです。
また是非、拝見したいと思っています。
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2006.10.06

セーヌ左岸での宴

 昨夜はソルボンヌの近くのレストランで、ソルボンヌ大学のフランソワ・ジョストと、同じくパリ大学の映像やポップカルチャーのように新しい領域を扱う「ヌーベル・ソルボンヌ」で教えている、ピエール・フレスノ=デュリュエルと一緒に食事。

 二人とも7月にパリとウルビノで会って以来だ。ぼくが、「セーヌ左岸(リヴ・ゴーシュ)で飲もう」とフランソワ宛のメールに書いたので、最もそれっぽい場所を選んだんだと言うだけあって、とてもお洒落でスノビッシュなレストランだった。

 ピエールは次の日が63才の誕生日で、来年の6月に定年退職だという。フランスでは退職後に別な大学で教えることはできない。これでゆっくり本の執筆に時間をさけると言っていたがさびしそうだった。だが、彼は、漫画をはじめとするヴィジュアルカルチャーの雑誌の編集長でもあるし、フランス語圏ではとても有名なので、世界中から講演依頼も多い。そのうち日本で会いたいものだ。

 会話が弾み、あっという間に11時を過ぎ、全員同じ方向だということでタクシーで送ってもらった。申し訳なかったが、すべて二人のおごり。

 パリは急速に秋になりつつある。朝晩の冷え込みは厳しくなり、リュクサンブール公園のマロニエも栗に似た実を落とし、遊歩道も枯葉に埋もれるようになってきた。明日でアリアンスの授業も終わり。いよいよ帰国の日が近づいてきた。236778495_230

2006.10.03

モンパルナス界隈

 お墓の写真ばかりで申し訳ない。

 パリでの最後の滞在地はモンパルナスである。モンパルナス墓地の南の地区。ホテルはモンマルトルと同じ”Jardin de Paris”のチェーンで、手ごろで過ごしやすい。周辺も静かで、便利。なんでもある。パリ市立の「ジョルジュ・ブラッサンス・ビブリオテーク」などというものの近く。ブラッサンスの名前もこうして残っているんだなあ。

 パリでは通りや施設に、こうして死んだ人の名前が付けられていく。町の歴史はこうした死者たちの作った歴史でもあるのだ。こうして、膨大な死者の名前とともに、現代生活が日々営まれていくわけである。

 ここからアリアンスまで十分歩ける距離だが、最短ルートはモンパルナス墓地を通っていくことになる。

 ここにはボードレールの墓もあるが、基本的には20世紀の文化人や政治家、企業家の墓が多い。

 左からサルトルとボーヴォワール、イヨネスコ、ベケットの墓だが、前にペール・ラシェーズ墓地を見たときも思ったが、周辺の普通の人の墓が面白い。モンマルトルはユダヤ人と中国系の外国人の墓が多いが、それぞれすごく主張している。日本のように、周囲の景観を乱すような派手なものではないが、碑文や肖像やレタリングでそれぞれの生涯を物語り、自己主張をしている。

 第二週目が始まり、クラスの人数も減ったが、相変わらず学校は楽しい。食事もお昼は学食で食べることにしたので、栄養面は完璧。残りの日々を楽しみたい。

 水曜日は、フランソワ・ジョストとピエール・フレスノ=デュリュエル夫妻とカルチエ・ラタンで食事をすることになっている。

 そう言えば今日から大学の後期の授業も始まったなあ。戻るとすぐに授業をやらなくてはならない。そろそろその準備もしなくては..234427399_251
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2006.10.02

ジュネーブは雨

 TGVでコルナバン駅に到着し、モンブラン通りにほど近いホテルにチェックイン。4:00にアランが迎えに来てくれた。茶色い髪と髭には白髪が混じり、頭頂部は少し薄くなっている。少し肥って、お腹もちょっとだけだが出てきている。それでも話しているうちにすっかり昔の映像と溶け合った。

 アランにはファビアンという奥さんと四人の息子たちがいる。上のレオナールは25歳でもう自立してイタリアで働いており、その下のアルチュールとトマも大学生。一番下のセザーだけは14歳でまだ学校に通っており一緒に住んでいる。昔ぼくも会ったことがあるアランのお父さんが3年前に亡くなったことと、自由な関係を求めて、籍を入れていなかったファビアンと4年前に法的にも結婚したというのが、最近あった重要な変化だそうだ。

 お互いに起こったことをビールを飲みながら話し合い、すぐ近くにあるアパルトマンに向かい、19年ぶりで会うファビアンと再会。昔はちょっと東洋人が苦手だった彼女も、その後変わり、今では中国語を熱心に勉強していて、来年は中国に行きたいと言っている。家には二年前にバルセロナからトマが拾ってきたという猫「バルサ」。20年前と全く同じ家に全く同じスタイルで住んでいるのが凄い。

 そこから、レマン湖に突き出た艀の上にある元浴場跡でサウナ風呂やプールもあるレストランへ。湖の上でフォンデュを食べる。本場のフォンデュは溶けたチーズにバケットをちぎってフォークでつけて食べるだけの単純なものだ。最後はなべ底に焦げ付いたオコゲヲちょうどお好み焼きのヘラのようなもので、こそぎとって食べる。ここでは白ワインかシャンパンで食べるのが普通だ。

 外に出ると湖面に白鳥や鴨が休んでいてとても静か。少し小雨が降り始め、だんだんと強くなる。その後もバーに移動して真夜中過ぎまで飲んだ。ジュネーブはとても小さいのでどこへでも歩いていけるのがいい。全部アランにご馳走になって、結局スイスフランには両替せずじまいだった。

 アランは最近の花のシリーズが好評で写真集は6000部も売れたらしい。まだ、実現できるかどうかはわからないが、来年日本やアメリカをまわるツアーの計画もあるそうである。
ここまでくると古い付き合いのこうした友達はとても大切に思える。近々、必ず会おうぜ!と、スイス風に抱き合って別れた。

 そして今日、午前中は大雨になったが、少しそれも回復した昼過ぎのTGVで、パリに戻ってきた。

 明日からはまたアリアンス通い。


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2006年10月02日
01:56

ERI
昔アランに撮ってもらったモノクロの写真を、しみじみ見たよ。233555503_227
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