« 今日で最終日です。 | トップページ | 回帰する日常 »

2006.10.10

旅の終わり

 さて、6月30日からの旅も今日で終わり。明日シャルル・ドゴール空港から帰国便に搭乗する。まあ、また南回りだから到着は明後日の夜だけどね。mixiの日記もそれで終わりです。ずっと読んでくれた人たちには感謝いたします。

 結局パリに延一ヶ月滞在、のこりの二ヶ月ちょいはイタリアとオーストリアを中心にしてずっと旅をしていた。

 なんだろうなあ。新しい発見も多々あったが、基本的には自分の記憶や経験と向かい合うような旅だったと思う。ようするにそれだけ長く生きてきてしまったということだ。各地で初めて会った人たち、20年来の友達、2,3年ぶりで再会した人たちも、またそれぞれ、自分自身の位置確認に役立ってくれた。

 現代という時代は、新しい「中世」なのだと改めて思った。

 「指輪物語」が流行るのは偶然ではないのである。

 その中でどのように生きていくのかということが今一人一人に問われている。逆に言うと、もはや近代の「大衆民主主義」の理念が全く機能不全に陥ってきていること。支配層の言う「普遍的価値としての民主主義」対「その敵」、「自由と人権を守る側」と「それを軽んじる間違ったイデオロギーや信仰を持つ側」いうような、嘘の二項対立に捉われず、異なる価値観、異なる言語を相互に結びつける知識の交流の必要性を痛感した。

 だが、柄谷さんが失敗したように、そうしたコミュニケーション回路を固定した制度として現実に立ち上げることは不可能に近い。それは個別の活動のひとつひとつの積み重ねの中で模索していくしかないのではないだろうか?

 ムンバイの鉄道テロやロンドンやドイツのテロ未遂事件、突然のイスラエルのレバノン爆撃と、それに追随するアメリカや国連の反応、アフガン/イラクでの「戦争」の激化と、この三ヶ月間いろいろなことがあった。こちらの「民主主義陣営」の報道を見ても、どうして他者に対する想像力がここまで欠けているのだろうという暗澹たる思いに捉われる。人類はこの数万年間、何も進歩していないに違いないと改めて思う。

 ヨーロッパでも吹き荒れる禁煙イデオロギーの法制化の問題もまた然りである(もっともこっちでは屋外禁煙なんて発想はそもそもないけどね。アメリカもやっていない。そんな過剰な攻撃性を持っているのは日本の嫌煙運動だけだ)。善か悪か、合意か不同意かをはっきり選別し、その線を認めない人たちを、単純に反社会的と決め付けるような神経症は世界的にも広まっている。だが、そうではない人たちもおり、そうではない生き方もある。多様性を認めるということは結局「自己」とは「他者性」の織物なのだと認めることからしか始まらない。現代の「科学」とか「民主主義」とかいった御旗を振りかざす、金融資本と手を結んだ「グローバリズム=新しいカトリシズム」に、何とかして抵抗していかなくてはならない。そして、その答えは身の回りの実践の中にしか見出せないと思う。

 いろんな課題を頭の中に蓄えながら、また日本でがんばろう。もっと、頻繁にこっちの人たちと交流しなくてはとも、あらためて思った。

 というわけで、また日本の戦場に復帰です。

« 今日で最終日です。 | トップページ | 回帰する日常 »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/12221132

この記事へのトラックバック一覧です: 旅の終わり:

« 今日で最終日です。 | トップページ | 回帰する日常 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30