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2006年11月

2006.11.27

韓国遠征

 劇団唐ゼミ★と一緒に韓国に行って、今日帰ってきました。

 今年の一月に全州大学演劇科公演「春風の妻」のお世話をさせてもらったそのお返しということで、予算も時間も足りなかったために本公演ではありませんが仮舞台と仮照明で唐ゼミ★の「ユニコン物語」の短縮版を見てもらうことになったのです。

 22日昼に羽田を出発して、ソウル金浦空港へ。メンバーの中にはこれが初海外旅行という者も沢山居ました。金浦からは全州大学から迎えに来てくれたバスに乗って4時間かけて全州へ。朴炳棹教授はじめなつかしい顔が沢山揃って、ぼくたちを迎えてくれました。その日は歓迎パーティ。学内の宿舎は新しくきれいで何よりも部屋が広い。独り部屋のぼくの部屋が二次会ルームということになって、結局滞在中この部屋で毎日1時、2時まで宴会ということになりました。食事も学生たちが用意してくれ、酒も豊富。とにかく外国からのお客さんを手厚くもてなそうという心で、過剰な程に面倒を見てもらいました。全州名物のビビンパや韓定食、もやしスープなど、食事はどれも驚く程のおいしさで、食べきれない程の量を提供してくれました。日本で僕たちがしたことの10倍は返してもらった気がします。

 23日は舞台や照明の仕込みをしながら、夕方は全州大学の卒業公演、ゴーリキーの「どん底」を見て、全州の町に繰り出してまた飲み会。24日は朝からテクリハ、午後はゲネプロと本番。本番が終わった後はシンポジウムとお客さんを交えた飲み会。大半のメンバーは全州大学の学生たちと朝4:00のバス出発の時間まで飲み会。あんなに学生ノリで飲み食いして楽しそうに酔っている連中は初めて見た。

 公演は段ボールのパネルと裸電球にアルミホイールを巻いた照明という原始的なものでしたが、好評でした。大学の総長や学部長も来てくれて喜んでくれたし、全州の演劇関係者も招待してくれて、知的な反応が沢山返って来て良かったと思います。また、通訳でついてきた留学生の朴淵成(パク・ヨンソン)が素晴らしい働きをしてくれて、もともと日本の観客より反応のいい韓国人のお客さんたちは笑ったり、泣いたり、全く退屈することなく舞台を見てくれてとても良かった。韓国側の学生たちも外国人のお客さんをもてなそうという心がとても深くて、うちのメンバーたちはとても楽しい思いをしたことだろうと思う。
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 もちろん、裏ではもっと色々と複雑なことがありました。ぼくと朴炳棹さん、中野敦之は毎晩かなりディープでホットな議論をしていました。時には意見が食い違って論争になることも度々あった。文化の違いや演劇観の違いはけっして小さな壁ではないという部分もあります。それでも彼らの心とぼくたちの志とが基本的には通じ合うことができたのではないかと思う。今後この関係がどう育っていくかということは今回訪問したメンバーたちと話し合ってみないことにはまだ分からない。じっくり時間をかけて整理しなくてはならないことが沢山あります。

 みんなが帰った後は、ヨンソンと中野、椎野と僕だけが残って、25日は全州観光。いろいろな珍しい場所に連れて行ってもらい、また全州名物のもやしクッパをはじめ珍しい食べ物をごちそうしてもらいました。また、夜にはパンソリを用いた伝統ミュージカル公演にも連れて行ってもらいました。26日には朴炳棹さんたちに見送られて高速バスでソウルへ。孫振策さんがやっている体育館を円形劇場に改造したマダン劇を鑑賞。あらかじめ紹介してもらっていたためとても親切に話をしてくれました。西堂行人さんの「韓国演劇への旅」などで勉強はしたものの、改めて韓国の「伝統演劇」の特異性にびっくり。まさしく「イタリア喜劇」(コメッディア・デラルテ)と一緒で、主要なキャラクターは「春風の妻」を含めて、ぼくたちが見た三本は全部同じなのです。また、前日に全州で見た作品とソウルで見た作品は、ストーリーというか話の構造そのものも全く同一だった。それが演出や音楽や役者によって全く違ってくるということがとてもよく分かりました。「春風の妻」の時には分からなかった韓国の現代伝統演劇の特殊な形がよく分かってきた。とても不思議な演劇ジャンルだと思います。

 その日はヨンソンに鐘路に連れて行ってもらい、焼肉を食べた後マッコリを相当飲んだ後、さらにホテルで椎野たちと朝三時まで語り合い、明日の朝まで残る彼らとは違って僕にとっての最終日だった今日は、二日酔いと寝不足で頭がガンガンする中、新村にある劇場に洪元基(ホン・ウォンギ)さんに会いに行った。稽古中の中とても親切に3時間近くつきあってもらい、韓国の状況についていろいろ伺うことができたが、驚いたのは稽古場の下にあるカフェ「スッカラ」は、バッタの本を出してもらった郭充良さんのアートンが経営する店だったこと。まるで青山か西麻布のようなおしゃれな町を案内してもらった。まだまだ一部しか見えてこないが、韓国の演劇人たちと実際に話すことができ、また彼らの公演に触れることができて、僕もいろいろ勉強になったし、中野、椎野、ヨンソンそれぞれ毎日大きな刺激を受けたことだと思う。これが彼らの今後の活動にどうつながっていくのか、それはとても楽しみではあります。
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 韓国を見ることは、ある意味で日本を見直すことでもある。ローカルな文化とグローバルな状況の関わりや、歴史的で偶然的な状況と普遍的で共通な問題との関わりなど、いろいろと考えさせられることの多い旅だった。

2006.11.13

いくつか告知

第九回の国際記号学会の日時が決定しました。フィンランドのヘルシンキとイマトラで来年の6月11日から17日まで開催されます。研究発表申し込みの締切は11月30日。まだ先だろうと思ってたかをくくっていたので、ちょっと急すぎますが、何とかひねり出さなければなりません。この大会は参加者も多く、面白いです。エーロ・タラスティ新会長になって初めての大会ですしね。日本からも沢山参加してくれるといいな。

・一方日本記号学会は、来年の5月12-13日に山形県米沢で開かれます。大会テーマはこれからですが、「写真」関連になる可能性が高いです。温泉付きかも。6日の夕方にその打ち合わせをしてから、新宿梁山泊の「風のほこり」に行ったら、偶然山口昌男さんご夫妻が来ていてびっくり。山口さんは少しだけ元気になっていたようでした。南会津の昭和村にある別荘を整理したいと言っていた。十数年前に昭和村にある喰丸小学校という廃校を文化センターにしていた時に作った広々とした別荘なのだが、山口さんがいろいろ設計のアイディアを出して3000万円かけて作ったにもかかわらず、もう行けそうにないので500万円程度の格安価格で譲りたいという。日本にまだこんなところがあったかと思うくらい、いいところです。近くに温泉もあります。誰か買い手はいませんか? 連絡していただければ山口さんにご紹介します。

「嫌煙という神経症」(原題:「嘘まみれの嫌煙キャンペーンを大学人はどう考えるのか?」)を再改訂しました。未だに外からリンクをたどってこの記事だけを読みにくる人が多いためです。但し誤字の訂正と、いくつかの補足以外に基本的には何らの変更もありません。この記事を外で取り上げて議論している人たちは、データがどうしたこうしたではなく、まずはこの文章の主題を正しく読み取っていただければと思います(今まで山形*浩生氏によるもの以外に取り上げる価値のある批判はひとつもありませんでしたし、山形氏の批判に対しても以前のエントリーで十分反論できていると思っています)。
 嫌煙が「非科学的」だと言っているのではなく、ましてや「喫煙」が「無害だ」と言っているわけでもなく、単に現代の「嫌煙キャンペーン」が非理性的であり、その底には文明論的な病理(「絶滅の思想/浄化の思想」)があり、それが問題だと言っているのが元からのぼくの主張ですし、「医学」とか「科学」とかを他者を封じ込めるために盲目的に持ち出すのはとても危険ですよと言っているのです。カール・ポッパーやパウル・ファイアーアーベントを引用するまでもなく、「科学」とは「反証可能性」によってのみ可能なものであって、けっして反論を封じ込めるために使われてはならないのです。ぼくにとって「煙草」自体はそれほどたいした問題ではありませんので、個人的には「嫌煙派/喫煙派」の不毛な議論にもうこれ以上関わるつもりはありません。世界的にもこうした異議申し立てが盛り上がり始めているようですし、日本国内のWebsiteやblogでもいくつか面白い動きが始まっていますので("Go Smoking"のサイト、SadManさんのblogなど)、今回の更新で最後にして、あとの議論はそれらに委ねたいと思います。

・来週は劇団唐ゼミ★を伴って韓国に行きます。全羅北道の中心都市・全州での演劇を介しての異文化交流。行ってみなければ何が起こるのかわからない。楽しみです。
 

2006.11.04

最近の唐十郎について

 前のエントリーで、「ユニコン物語」と「透明人間」で、唐十郎が「わざと」完成された構造をぶち壊しているというようなことを書いたことで、ある人から質問された。どうしてそうなのか、と。

 「透明人間」は1991年に初演された時から、卓越した構造をもった完成度の高い戯曲だった。90年代の唐の代表作のひとつ言っていい。元々これは「調教師」という小説を状況劇場の稽古場公演のために戯曲化したものが原型であり、若手時代の佐野史郎、金守珍、六平直政、石川真希らが取り組み、その後新宿梁山泊の稽古場公演にも受け継がれて来たものを、唐がさらに書き直したものである。とりわけ、この時に書かれたエンディングは、登場人物全てが水槽の中に消えて、舞台上に誰も居なくなるという、この上なく美しく、観客を震撼させる完璧なものだった。

 その後、98年の新人特別公演、2001年の秋公演、05年の内藤裕敬演出によるシアターコクーン版と、このエンディングは基本的にそのまま踏襲されてきた。それくらい完成度の高いエンディングだったからである。

 それを今回の唐組の「透明人間」では全く違う新しいエンディングに変えていた。稲荷が白滝状のものを口から出して唄うシーンでは必ず笑いが起こる。エンディングでは今まで遠ざかっていたヒロインが、逆に手前に歩いてきて、自ら背中のコブと思えた洗面器を外してそれを観客に見せて微笑む。

 作品の完成度や観客に与える感動だけで言えば、この変更は自ら作品を台無しにしているとしか受け取られない。十貫寺梅軒さんに中二の役を振ることだってそうである。だが、それは唐が「わざと」しているとしか思えないのである。これは「同じことをしたくない」というだけのことでは説明がつかない。

 「ユニコン物語」のラストでも同じような操作が唐によって行われた。作品構造からすれば、最後に自転車が出てきては終われないのである。原作にあるように、たとえパワーショベルでないとしても、あそこは「巨大な一角獣」が垂直に立ち上がってくれなくてはならない。そんなことは、唐十郎にはとっくの昔に分かっていることのはずだ。だが、彼はそれをわざと崩した。両方の場合とも、書いたのも壊したのも同じ唐なのだから、十分に自覚的だったとしか思えない。

 兆候はなかったわけではない。去年の秋の「カーテン」は、もともと反構造的で反有機的な92年の「電子城2」を大幅に書き換えた「訳の分からなさ」を増幅した怪作だった。終わった後で頭がくらくらした。あの時には唐組の役者陣が成長したので、初演当時失敗作と言われたあの混沌とした作品をもう一度世に問う意図があるのかと思ったが、同じ時期に書き下ろされたその冬の「風のほこり」、春の「紙芝居の絵の町で」にも同じような「破れ」がかなり露骨に仕込まれている。「紙芝居の絵の町で」のラストもこれまで見たことのない、ヒロインがこちら側に残るというエンディングだった。そしてそこには糸が張り巡らされていた。

 どうやらここには「観客」と「演劇」の関係を組み替えようという、唐なりの新しい観客論的挑発が隠されているような気がしてならない。「ユニコン物語」のラストの変更も、中野演出とは違って、もしかするとカタルシスのないエンディングにもっともっと無数の赤い糸が張り巡らされているイメージだったのではないかという気もする。そして、それはぼくや唐ゼミの中野や梁山泊の金守珍、MODEの松本修やその他、唐を取り囲む人たちが、ともすると唐を「正当に評価されてこなかった天才」として、唐の過去の作品をまるでシェークスピアやラシーヌをやるように固定したものとして捉えようとすることに対する、唐自身の反発であり抵抗であるかもしれないという気もする。彼はまだ過去を振り返りたくないし、過去を固定されたくもないのではないか。新国立劇場で過去の作品が上演されたり、紫綬褒章のオファーが来たり、演劇賞を受賞したり、複数の書籍が出版されていることを喜びながらも、それに全く満足できない自分を隠すことができないのではないだろうか。そんな、現役の芸術家としての唐十郎の「あがき」がこうした、一見自分で自分を破壊するような最近の仕事の中に現れてきているのかもしれない。だが、たとえそうだとしても「天才」ではないぼくたちにはただ見守ることしかできない。唐がこうした本能的な動きの中で向かおうとしている方向を、何とかつかみ取ろうとすることしかできないのである。だから、むしろこの「違和感」を押し隠すのではなく、こじ開け、拡大していく先に何があるのかを見て行かなくてはならない。それは観客の多数を失う危険性も十分に自覚しつつ、唐がもっと遠くへ、もっと先の方へ行こうとしていることにほかならない。

 こんなことを思いついたのは新宿梁山泊の「風のほこり」再演で、鳥山昌克演ずる湖斑(コムラ)がトランクの中の義眼を「観客」にたとえるシーンをまた見たからである。唐十郎ブームでこのところ複数の作品がいろいろなところで上演されているし、唐組のテントは連日満員になっている。だが、唐はいまの「観客」に満足していないのではないだろうか。観客を「感動させる」のではなく、破れ目をどんどん作り、その落とし穴の中に観客が落ち込むような罠を演劇の中に仕込もうとしているのではないだろうかと思えなくもない。

 「透明人間」は唐の作品の中でも完璧な構造をもつ傑作であり、たとえば初めてこの作品を見る人にあのエンディングはかわいそうじゃないかとぼくも思う。だが、同時にそうはさせまいとする唐は、現役の演劇人としてあの中で戦っているのである。観客に媚びるのは論外としても、観客を圧倒し感動させるだけでも十分ではない。それを違うところに人さらいのように連れ去るにはどうしたらいいかと、虎視眈々と幕の向こう側から客席を覗いているのである。

2006.11.03

休日

 帰国以来ずっと休みなく動き回っていたが、ようやく休日。
 大学祭期間中ということで、助かる。とりあえずはぐだぐだ遅くまで寝ていた。

 28,29は雑司ケ谷鬼子母神での唐組の千秋楽。相変わらず超満員で、立ち見の出る盛況だった。稲荷卓央が見違える程よくなっていたのに驚いた。観客で来ていた馴染みの人たちと久しぶりにお目にかかる。大久保鷹さんは、足立正生監督の「幽閉者」やテレビ東京日曜深夜にやっている「ライオン丸G」にも出ていて元気。

 ところでこの「ライオン丸G」に大久保さんは「果心居士」(戦国時代の怪人とされていて、山田風太郎の小説にも妖術師として登場してくる)として出ているのだが、例のYoutube(www.youtube.com)で映像が見られる。(言うまでもなく無許可映像なのですぐに消されてしまうかもしれないが、検索窓で「ライオン丸G」と入れると見ることができる)。これが思いのほか面白い。凝り性の監督らしく、いろいろな昭和の映像の記憶が散りばめられた上質のパスティーシュに仕上がっている。キャストもいいし、大久保さんは大久保鷹そのものであるところが面白く、のびのびと画面の中で暴れ回っていた。

 1日は、浅草木馬亭での新宿梁山泊「風のほこり」の初日。去年の暮から正月にかけて下北沢ザ・スズナリで上演された作品の舞台である浅草で再演。もともと浪曲や講談をしている小屋に大掛かりなセットを組み、昼の浪曲が終わってから毎日仕込むというハードな公演である。舞台を見上げる感じになり、テントでの観劇に近く、スズナリの時とは全く違った印象を受けた。唐十郎の作品としては76年前の時空に固定されているきわめて異色の作品であり、とりわけエンディングは不思議な味をもっている。終わって外に出ると、作品の舞台そのものの町を目の前にして軽いめまいに襲われる。オメデタの近藤結宥花さんと久しぶりに会う。元気そうだった。したがって12月の「風の又三郎」メルボルン公演は全く違ったキャストでやることになったらしい。一月にもスズナリで小檜山君の作品をやるらしく、相変わらず怒濤の劇団である。終わった後、唐組、唐ゼミ、たくさんの招待客を交えて盛大な打ち上げ。これはあと1,2度通うことになるだろう。

 唐十郎は春の新作の準備をしながら、11月には明治大学特別栄誉賞受賞イベント、12月には大阪の近畿大学の学生たちを使った「少女都市からの呼び声」の演出(これは一般公開もされる予定)をやることになっている。このところの唐は、よりノイズを好み、安定した構造をぶち壊したいという反構造的な傾向を強めているようであり、こういう時には頭の沸騰するような過剰で、アンバランスな作品が生まれてくるのではないかと思う。

 木曜は唐ゼミの定例会議につきあって、メンバーそれぞれと話し、終わった後には中野、椎野、禿と横浜駅近くの馴染みのタイ料理屋に行く。彼らも反省を踏まえて再び足元を固め、次回に向けてスタートを切ることになる。

 それにしても、たった二週間開講が遅れただけで、今年はぼくの授業の履修登録者が異常に少ない。それはそれで(人数が少ない方が)やりやすいところもあるのだが、単位とかシステムに余りに左右される学生たちにも失望する。前期にいろいろ面倒見てやったお前ら、せめて研究室に顔ぐらい出せよ!

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