« それから‥‥ | トップページ | 水戸芸術館の『行商人ネモ』 »

2007.05.15

米沢での第27回日本記号学会大会

 米沢に行ってきた。金曜の晩に到着。
 山形新幹線に乗るのは開業した頃から二度目。春から「全面禁煙化」したJR東日本のせいで旅の楽しみは半減してしまったし、東京駅の犬小屋並みに小さな「喫煙室」周辺の混雑ぶりに腹を立て(あれほど多くの乗客が困っているのに、それを放置する公共交通機関とはいったい何なのだろう?)、またまた反嫌煙論を始めたくなってしまった。とりあえずJR東日本のご意見コーナーに抗議をする。こういうところにクレームを入れるのは嫌煙者ばかりで、喫煙者が黙っていたことが今のめちゃくちゃな状態を作っていると思ったので、余り趣味ではないが、こういうこともたまにはする。

 実行委員長の小池隆太さんが車で迎えに来てくれて中心部の東京第一ホテルへ。周辺を散歩するが、金曜日の夜なのに人が少なく活気がない。何よりも暗い。古くてとても素敵な町並みなのだが、東京周辺のプチバブル的な状況はまだ地方にまでは届いてこないようだ。板塀や木造の伝統家屋、咲き乱れるタンポポなどの草花がそこかしこにあって、自分の生まれた頃の日本の町並みを思い出す。周囲の圧倒的な自然も含めて、こういうものが残っているのはうれしいが、その反面ここで暮らすのは少し退屈かもしれない。翌日は、上杉神社や博物館をぶらつきながら、会場の県立米沢女子短期大学まで歩く。古い町並みがなつかしい。ここには山形大学の工学部とこの短大の二つの大学しかない。学内は土足厳禁でスリッパ履き。そしてやはり学内全面禁煙と居心地の悪い大学だが、学会期間中だけ外に灰皿を用意して頂いたので助かった。

 一日目は二組の写真家たちによるアーティスト・トーク。最初は美術家の池田朗子さん写真研究家・小林美香さんという二人の三十代女性による対談。澱みなくおしゃべりが弾み、池田さんのこれまでの作品を紹介するというものであったが、なかなか面白い。池田さんは写真家というわけではなく、たまたまスナップ写真に映っている人物やものをカッターで切り取って立たせるという作品(webの"works"ページを参照)を作っているからだが、マテリアルにこだわるわけではなく、自分の前に現れるさまざまなものを組み替え、並べ替え、配置しなおしていくという行為を展覧会でスマートな形でプレゼンしてみせるというきわめて現代的な美術家であり、頭も良く、感心した。こういう人は別に美術ではなくて編集者としても生きられるであろうし、微細なものではなく、もっと大きなものを扱っても面白いかもしれない。余り美術とか写真とかいう文脈に縛られることなく活躍してもらいたいものだ。一方の小林さんは元気な女性。池田さんの作品が紙の写真の「モノ性」に依存しているという指摘はやや空振りだったが、勝ち気でなかなかよろしい。全然知らなかったが、京都精華大学の島本浣さんの話によると、小林さんは二日目に登壇する神戸大学の前川修君や大阪成蹊大学の青山勝君、1月の科研で話を聞いた京都精華大学の佐藤守弘君たちと写真研究会というのを組織していて活発に活動しているらしい。
 二番目は写真家の石内都さんのトーク。吉岡洋のリードで70年代からの作品を紹介した。「傷」の写真で知られ、2005年のベネチア・ビエンナーレ日本館で展示された母の遺品を撮った「mother's」の連作でも知られる石内さんの初期からの軌跡。自分の「見たくない現実」を定着し続ける石内さんは、池田さんとは正反対のモダニズム的というか実存的なアーティストであり、文字通り現実の「痕跡」としての写真の上に自分の「傷跡」を刻印する作家である。好対照な二つのセッションだった。

 この日は懇親パーティで、素材自体がとてもおいしい料理を食べながら、近所の居酒屋で深夜まで二次会。聴衆は「多い」とはとても言えないが、それでも関西東京方面から学会の内外を問わず主として三十台の若い研究者たちが何名も駆けつけてくれた。国立国際の加須屋明子さんや、内野博子さんも学会員ではないのに参加してくれ、山口昌男さんも、4,5人一緒に車で初日から参加。元気そうだった。

 二日目は朝10:00からアメリカの分析哲学者K.L.ウォルトンの写真論をめぐる二つの研究発表の司会。11時過ぎからは、学会のメイン・セッションである「写真研究のトポロジー:写真の語り難さについて」が午前/午後の二部に分けて開催。上述の前川君、青山君、小池さんに加えて大阪芸大の犬伏雅一さんによる熱いセッションだった。会場には映像学会の武田潔さんも来ていて(学会員だということだが多分10年以上顔を出していない)、少ない聴衆ながらも実質的な議論ができたと思う。中でも前川修君のよく勉強しているところと、問題の切り取り方の鮮やかさには強い印象を受けた。昔、いじめてごめん。なかなか今後が楽しみな写真研究者です。
Dsc07261
 最後は、米沢出身の写真家・細江英公さんによるアーティスト・トーク。やはり自作のスライドを見せながら、弾丸トークで二時間近く一人でしゃべり続けた。山口昌男さんが聴き手という役割だったのだが、最後のコメントだけで終わり。細江さんとなると50年以上の仕事を語ることが、自分の人生を語ることとすっかり重なり合ってしまい、何と言うかもはや名人芸の域である。以前、山口昌男さんと一緒の時に偶然会ってビールを飲んだことがあるが、フルッサーを読んでいるなど、知的な関心を失わなず、身体もきわめて壮健な達人である。

 帰りは東海大学の水島久光さん、内野博子さんと駅前のそば屋で軽く飲み、6:30の新幹線で帰る。その間、ぼくが山口さんを送り出そうとスリッパで玄関に出たままタクシーに乗ってしまい、また会場までタクシーでとんぼ返りするというハプニングもあったりした。菅野盾樹さん、金光陽子さん、前川君たちも同じ列車だったので、大宮で席が空いてからは、前川君たちとも話す。石内さんや細江さんという展覧会や写真集という形で活躍してきた写真家たちが、DVDやパワポのデジタル画像をプロジェクターで映し出したものを、「本物」の自分の作品としてプレゼンしているかのように見えたのが面白かった。特に細江さんは自分の写真が拡大されて投影されているのをむしろ喜んではしゃいでいるかのように見えた。一見すると、彼らは池田さんのような「操作的」な作家とは全く違っているように見えながら、「装置」、「操作」ということに関わっているという点では全く同じように見えたのが面白いと、彼らと話す。写真をその「出力形式」の違いや形式ではなく、「装置」や「操作」という概念で捉えることによって、さまざまな混乱が解消されるのではないだろうか?

 小さいながらも実質的な議論ができたいい学会だったと思う。昨年の東大での学会の記録『テレビジョン解体』がまもなく書店に並ぶ。今回の記録もまた来年公刊される。楽しみだ。

さ て、これで春の一通りのことが終わり、来月のフィンランドでの国際記号学会の準備に入るだけだと思っていたら、西垣通さんの紹介で、NTT出版から単行本を出すことになった。どうするか考えなくては‥‥。

« それから‥‥ | トップページ | 水戸芸術館の『行商人ネモ』 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/15083341

この記事へのトラックバック一覧です: 米沢での第27回日本記号学会大会:

« それから‥‥ | トップページ | 水戸芸術館の『行商人ネモ』 »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30