« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

2007年5月

2007.05.23

バッチギ2

2005年の2月に、京都のシネコンで井筒和幸の「パッチギ」を見て、とても感動した。そこで何となく嫌な予感はするものの、「パッチギ2−Love and Peace」へ。とても普通の日本映画だった。やはり一作目の「パッチギ」は奇蹟だったのかもしれない。何より駄目なのが脚本だ。次に駄目なのが、役者を変えたこと。あれから売れっ子になってギャラが上がったり、引退したりしたからなのだろうが、魅力が半減した。一作目のキョンジャなら西島秀俊に弄ばされたりはしなかったはずだし、プロデューサーのラサール石井に身体を提供して役を取ったりしないはずだ。すべてにわたって全部中途半端だし、芸能界ネタとサヨク的な反戦アピールが退屈。まあ、もはや青春映画じゃないしね。ということで忘れることにしよう。一作目はまぎれもなく傑作であるのだから、続編が駄目でもそれは帳消しにはならない。冒頭の国電での国士舘生を演じた一作目の空手部副将が面白かったのと、寺島進の妻を演じた新宿梁山泊の梶村ともみが意外と目立っていた。梶村さん、儲けたね。

2007.05.22

水戸芸術館の『行商人ネモ』

 米沢学会で一週空いてしまったので、19日、高速バスに乗って水戸へ。水戸は中高時代を過ごした町である。先週の米沢と比べると県庁所在地ではあるが、それでも昔の町はすっかりさびれている。ある意味では水戸芸術館自体が町の空洞化の象徴のようなものなのだが、表通りには虫食い状に空き地や廃ビルが並び、コンビニ、百円ショップ、マンションが目抜き通りなのに沢山立てられている。地方都市が経済によって食い荒らされてしまった典型である。

 変わりやすい天気で時折通り雨で肌寒い。紅テントの裏でいつものデッキチェアーに座っている唐さんに挨拶。前の日飲み過ぎたらしいが、身体は元気なようだ。四方山話をしながら唐ゼミ☆の椎野がずっと探しまわっていた「ジロリンタン」の「歌」について尋ねるとすぐに鼻歌で歌ってくれた。どうも「歌」ではなかったようだ。戦後すぐのNHKラジオドラマで「鐘の鳴る丘」「ジロリンタン物語」「三太物語」「さくらんぼ大将」「新諸国物語」(笛吹き童子、オテナの塔、紅孔雀など)と続くのだが、その「ジロリンタン物語」の主題歌の中に「何でも知ってるジロリンタン」という歌詞がある。ここから、当時の子供たちの間で「嘘だと思ったらジロリンタンに聞いてごらん」という「囃子ことば」が流行ったらしい。それにしても、そんなことを一瞬で思い出してすぐに澱みなく歌えるこの人の頭の中はどうなっているんだろう?

 雨を避けていると、ショップから出てきたのは去年までここの美術部門の学芸員だった逢坂恵理子さん。森美術館に変わったのだが、週4日勤務でこちらにまだマンションがあるのでしょっちゅう来ていると言う。逢坂さんと一緒に学芸員室に入り、森司さんや高橋美都さんにご挨拶。森さんからまた8月31日から三日間程バッタを出したいという話を伺った。

 芝居の方は、広げたテントにほぼ満員の入り。この場所は後ろに池と壁があるので、音が反響して、小さな音もよく聞こえる。役者も後ろから跳ね返る音のディレイで自分の声がよく聞こえるらしく、全体的にとてもいい演技だった。一幕では藤井由紀の動かす足踏みミシンのキーキーいう音がとても暖かく伝わってくると共に、先週の花園からなのかもしれないが、一幕の終わりで久保井研の持つランタンに光が灯るという大きな演出の違いがあった。また最後では本公演唯一の水のある借景。巨大な石のオブジェが吊るされた池の中で、足元の水をバケツで掬いながら、稲荷卓央、十貫寺梅軒、久保井研が子供の水遊びのようにお互いに水をかけあうという幸せなエンディングで、これまでの中で一番素晴らしい出来だった。水戸まで来て良かったし、「唐さん、これってもしかしたら名作じゃないですか?」と思わず口にしたら喜んでくれ、終わった後もずっと作品論をしていた。三回、四回見ないと伝わらない演劇があったっていいじゃないか、というような話である。

 たとえば、「ネモ」が唐十郎の分身であることは誰でもすぐに気づく。だが、ネモが75本の白いズボンと共に行商しているのは、唐さんの演じる舌巻が「銀シャリ」と呼ばれる白い上着を着ているのと照応しているなどということは、一度目ではほとんど気づかない。白いズボンに白い上着、そしてアイパッチと白い帽子と言えば、これは「カンテン堂シリーズ」の灰田そのものではないか。それが、技術を身につけた現在の唐組の劇団員たちに向けての当て書きでどんどん増殖しているのではないかというような話である。カンテン堂もまた複雑なイメージの増殖した物語の中で、ハルシオン、あるいは「脳内麻薬」で廃人になってしまったジャンキー探偵灰田が活躍する話だった。二年前の秋にやった「カーテン:電子城2より」もそんな話で、イメージのまるで熱帯雨林のような増殖に頭がウニのようになってしまい、もの凄いエネルギーを照射を受けたが、今回も、たとえば「豆腐を顔にぶつけて押し付ける」というようなイメージが、けっして「脳散らす、だから白い脳味噌に似た豆腐をぐちゃぐちゃにする」というような言葉による「意味」にはけっして回収されない。それでも頭の中にこびりついてくるほとんど物質化したイメージと「物質的恍惚」が次から次へと繰り出されてくる。

 次の日、水戸から戻ろうと歩いていたら、携帯に唐さんから電話が入り、興奮した声で、「昨日室井さんと話をして、いろいろ眠れないで考えていたんだけど、秋にカンテン堂シリーズで行くのもいいかなと思っちゃったんだけど、どうかな?」と言ってきた。「ああ、それは面白いんじゃないですか?」、「室井さんだったら何がいい?」、「さあ、いろいろ見ていない物があるので急に言われても分からないですけれど、<裏切りの町>なんか面白かったってみんな言っていますね」、「<裏切りの町>かあ‥‥、他には?」。どうもお気に召さなかったらしい。それに、いつものことで結局はまた全然違ったものになることも多いのであるが、まあ、しかしまたまた頭が活発に働き始めたようで、とりあえずは良かった。

 公演では高校の同級生の富岡君、栗原夫妻も一緒に来てくれて終わった後、プチ同窓会。次の日もランチを御馳走になって帰宅。まあ、一泊二日ではあるがいろいろ盛り沢山な小旅行だった。

Dsc07263

2007.05.15

米沢での第27回日本記号学会大会

 米沢に行ってきた。金曜の晩に到着。
 山形新幹線に乗るのは開業した頃から二度目。春から「全面禁煙化」したJR東日本のせいで旅の楽しみは半減してしまったし、東京駅の犬小屋並みに小さな「喫煙室」周辺の混雑ぶりに腹を立て(あれほど多くの乗客が困っているのに、それを放置する公共交通機関とはいったい何なのだろう?)、またまた反嫌煙論を始めたくなってしまった。とりあえずJR東日本のご意見コーナーに抗議をする。こういうところにクレームを入れるのは嫌煙者ばかりで、喫煙者が黙っていたことが今のめちゃくちゃな状態を作っていると思ったので、余り趣味ではないが、こういうこともたまにはする。

 実行委員長の小池隆太さんが車で迎えに来てくれて中心部の東京第一ホテルへ。周辺を散歩するが、金曜日の夜なのに人が少なく活気がない。何よりも暗い。古くてとても素敵な町並みなのだが、東京周辺のプチバブル的な状況はまだ地方にまでは届いてこないようだ。板塀や木造の伝統家屋、咲き乱れるタンポポなどの草花がそこかしこにあって、自分の生まれた頃の日本の町並みを思い出す。周囲の圧倒的な自然も含めて、こういうものが残っているのはうれしいが、その反面ここで暮らすのは少し退屈かもしれない。翌日は、上杉神社や博物館をぶらつきながら、会場の県立米沢女子短期大学まで歩く。古い町並みがなつかしい。ここには山形大学の工学部とこの短大の二つの大学しかない。学内は土足厳禁でスリッパ履き。そしてやはり学内全面禁煙と居心地の悪い大学だが、学会期間中だけ外に灰皿を用意して頂いたので助かった。

 一日目は二組の写真家たちによるアーティスト・トーク。最初は美術家の池田朗子さん写真研究家・小林美香さんという二人の三十代女性による対談。澱みなくおしゃべりが弾み、池田さんのこれまでの作品を紹介するというものであったが、なかなか面白い。池田さんは写真家というわけではなく、たまたまスナップ写真に映っている人物やものをカッターで切り取って立たせるという作品(webの"works"ページを参照)を作っているからだが、マテリアルにこだわるわけではなく、自分の前に現れるさまざまなものを組み替え、並べ替え、配置しなおしていくという行為を展覧会でスマートな形でプレゼンしてみせるというきわめて現代的な美術家であり、頭も良く、感心した。こういう人は別に美術ではなくて編集者としても生きられるであろうし、微細なものではなく、もっと大きなものを扱っても面白いかもしれない。余り美術とか写真とかいう文脈に縛られることなく活躍してもらいたいものだ。一方の小林さんは元気な女性。池田さんの作品が紙の写真の「モノ性」に依存しているという指摘はやや空振りだったが、勝ち気でなかなかよろしい。全然知らなかったが、京都精華大学の島本浣さんの話によると、小林さんは二日目に登壇する神戸大学の前川修君や大阪成蹊大学の青山勝君、1月の科研で話を聞いた京都精華大学の佐藤守弘君たちと写真研究会というのを組織していて活発に活動しているらしい。
 二番目は写真家の石内都さんのトーク。吉岡洋のリードで70年代からの作品を紹介した。「傷」の写真で知られ、2005年のベネチア・ビエンナーレ日本館で展示された母の遺品を撮った「mother's」の連作でも知られる石内さんの初期からの軌跡。自分の「見たくない現実」を定着し続ける石内さんは、池田さんとは正反対のモダニズム的というか実存的なアーティストであり、文字通り現実の「痕跡」としての写真の上に自分の「傷跡」を刻印する作家である。好対照な二つのセッションだった。

 この日は懇親パーティで、素材自体がとてもおいしい料理を食べながら、近所の居酒屋で深夜まで二次会。聴衆は「多い」とはとても言えないが、それでも関西東京方面から学会の内外を問わず主として三十台の若い研究者たちが何名も駆けつけてくれた。国立国際の加須屋明子さんや、内野博子さんも学会員ではないのに参加してくれ、山口昌男さんも、4,5人一緒に車で初日から参加。元気そうだった。

 二日目は朝10:00からアメリカの分析哲学者K.L.ウォルトンの写真論をめぐる二つの研究発表の司会。11時過ぎからは、学会のメイン・セッションである「写真研究のトポロジー:写真の語り難さについて」が午前/午後の二部に分けて開催。上述の前川君、青山君、小池さんに加えて大阪芸大の犬伏雅一さんによる熱いセッションだった。会場には映像学会の武田潔さんも来ていて(学会員だということだが多分10年以上顔を出していない)、少ない聴衆ながらも実質的な議論ができたと思う。中でも前川修君のよく勉強しているところと、問題の切り取り方の鮮やかさには強い印象を受けた。昔、いじめてごめん。なかなか今後が楽しみな写真研究者です。
Dsc07261
 最後は、米沢出身の写真家・細江英公さんによるアーティスト・トーク。やはり自作のスライドを見せながら、弾丸トークで二時間近く一人でしゃべり続けた。山口昌男さんが聴き手という役割だったのだが、最後のコメントだけで終わり。細江さんとなると50年以上の仕事を語ることが、自分の人生を語ることとすっかり重なり合ってしまい、何と言うかもはや名人芸の域である。以前、山口昌男さんと一緒の時に偶然会ってビールを飲んだことがあるが、フルッサーを読んでいるなど、知的な関心を失わなず、身体もきわめて壮健な達人である。

 帰りは東海大学の水島久光さん、内野博子さんと駅前のそば屋で軽く飲み、6:30の新幹線で帰る。その間、ぼくが山口さんを送り出そうとスリッパで玄関に出たままタクシーに乗ってしまい、また会場までタクシーでとんぼ返りするというハプニングもあったりした。菅野盾樹さん、金光陽子さん、前川君たちも同じ列車だったので、大宮で席が空いてからは、前川君たちとも話す。石内さんや細江さんという展覧会や写真集という形で活躍してきた写真家たちが、DVDやパワポのデジタル画像をプロジェクターで映し出したものを、「本物」の自分の作品としてプレゼンしているかのように見えたのが面白かった。特に細江さんは自分の写真が拡大されて投影されているのをむしろ喜んではしゃいでいるかのように見えた。一見すると、彼らは池田さんのような「操作的」な作家とは全く違っているように見えながら、「装置」、「操作」ということに関わっているという点では全く同じように見えたのが面白いと、彼らと話す。写真をその「出力形式」の違いや形式ではなく、「装置」や「操作」という概念で捉えることによって、さまざまな混乱が解消されるのではないだろうか?

 小さいながらも実質的な議論ができたいい学会だったと思う。昨年の東大での学会の記録『テレビジョン解体』がまもなく書店に並ぶ。今回の記録もまた来年公刊される。楽しみだ。

さ て、これで春の一通りのことが終わり、来月のフィンランドでの国際記号学会の準備に入るだけだと思っていたら、西垣通さんの紹介で、NTT出版から単行本を出すことになった。どうするか考えなくては‥‥。

2007.05.10

それから‥‥

 さて、明日から米沢で開かれる日本記号学会に出かけるわけであるが、前回のエントリーからいろいろとあった。

 まずは29日、30日に大阪・京都旅行。新幹線でのんびりの筈が、唐ゼミ☆の中野、椎野、土岐と一緒だったため、わざわざ連休中の高速道路を走り片道9時間半のドライブ。これはしんどい。何度か事故渋滞もあった。難波の旧精華小学校校庭での紅テント「行商人ネモ」を観劇したものの、楽日で余り人も集まらない宿舎の寺での宴会でちょっとしたもめ事になってしまい、がっかりしてさびしく就寝。翌朝はそのまま京都に向かい、京都精華の島本浣家に立ち寄り、近所の法然院や銀閣寺を観光。そのまま百万遍で飲み、最終ののぞみで帰ってきたのだが、中野たちは深夜まで飲み、次の日京都公演に関わっている人たちに挨拶をして夜中に戻って来た。
 二日目から土岐の具合が悪かったのだが、風邪でもうつされたのか、1日は一日中寝ていても調子悪し。2日は大学で講義をし、3日は柏の葉キャンパスでのバッタの地上置き初日。天気が良く、まあまあ快調だった。水戸から森さんたちも来ており、椿昇とも久々の再会。秋葉原でみんなで夕食を取って帰る。
 翌日は唐さんと仲直りということで新宿の焼肉屋で昼間っから焼酎を飲んだため、ますます調子が悪くなり、土日と花園神社に通ったのだが、体調はずっと悪かった。初日は篠原勝之さんや四谷シモンさんはじめ状況時代の古いお客さんたちで一杯。宴会も盛り上がった。二日目は雨。役者たちの気合いが凄く、見る度に面白い。
 さて、その「行商人ネモ」であるが、久々にいろいろな実験が盛り込まれた野心作である。戯曲の構造はリニアなのだが、いろいろなメタファーが複雑に織り込まれていて、解読するのはなかなか難しい。基本的には「もはや海が見えなくなってしまったジョン・シルバーの物語」なのであり、「ノーチラス号」のスクリューはバケツの水をかけてしか回されることはなく、本当はしょぼくれた話であるところがリアリティを反映している‥‥かのように見せながら、実はスクリューは舞台上では常に勢いよく回っているのではないか? 冒頭の乾燥機の回転から、エリマキトカゲの針金ハンガーのプロペラから、いつもスクリューは勢いよく回っている。だから、それは絶望的な展開のように見えながらも、演劇的には常に力強く、ダイナミックな印象を与えているのである。豆腐を頭にぶつけるという文字にすると全く伝わらないリアリズム、段ボール製の「ノーチラス」の不思議な存在感と、その中に藤井由紀と赤松由美が座っている図の変な魅力、砂の満ちた水槽の中で「ゴカイの戦い」を続ける、疲れきっているのに、妙に切迫し、息せき切っている唐十郎の演技、「超黒フォーマル・セール」の失敗から黒い女性用下着に赤いサクランボをつけて「堕落」する、シャンソンの「暗い日曜日」の歌手の名を持つ丸山厚人‥‥、あまりにも奇妙奇天烈でありながら、妙な存在感を発散している。「そこにある」としか言えない、世界中でこんなものはここにしか存在しないだろうと思われる演劇だ。Dsc07257

« 2007年4月 | トップページ | 2007年6月 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31