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2007年6月

2007.06.28

劇団唐ゼミ☆『鐵假面』始まる

 『鐵假面』は72年秋、名作『二都物語』と『ベンガルの虎』、そして『盲導犬』に挟まる時期に、上野不忍池で初演されている。それから35年間、一度も再演されたことはない。

 『鐵假面』は新潮社から『二都物語/鐵假面』という一冊の本になっている。以前、唐ゼミ☆の中野敦之が「二都物語」をやってみたいと唐さんにお願いしたことがあった。長いこと待った末に「やっぱり、やれないよ。あれは李のものだから」というのが返事だった。そう言えば年末に李麗仙さんとお話しした時にも、「二都は特別だから、再演は許せない。やるなら私たちが死んでから50年くらいしてからにして欲しい」というようなことを言われた。どこかで無許可でやってしまった学生劇団もあるのかもしれないが、そういうわけで少なくとも唐ゼミ☆に関しては封印されてしまった「二都物語」の代わりに中野が目をつけたのが同じ本に入っている『鐵假面』だったのだ。とりわけ、姉妹が出てくることに惹かれた。椎野裕美子と禿恵という対照的な二人の看板女優を持つ唐ゼミ☆ではあるが、なかなかこの二人ともに魅力的な役のある戯曲となると難しい。初演では李さんと田口いく子さんがやったこの姉妹をやらせてみたいということ。そして、72年という唐十郎が最もエネルギッシュだった時期の荒々しくも豊穣な言語空間に触れてみたいというのが理由だった。

 ところが、これにもなかなかいい返事がもらえなかった。悪い思い出しかない、と言うのである。それと「怖すぎる」。何しろ、生首をボストンバッグに入れて逃亡する話だし、最後にはヒロインが残酷な殺され方をする。この時には、天幕だけ張った野外劇だったので、屋台崩しもないし、何しろ観客論をやるということで、一幕の途中までは本物の公衆便所でやった後、客がぞろぞろ舞台に移動するというような一種の異化効果を狙ったものだった。とにかく唐さんには失敗作というような悪いイメージしかないらしい。だが、実際に関わった人、例えば大久保鷹さんなどは『鐵假面』に強い思い入れを持っており、実際新宿梁山泊で再演したいという話もあった。また扇田昭彦さんも『鐵假面』を高く評価していて、その劇評が『唐十郎の劇世界』にも収録されている。

 そんなことがあったからだろうか、一月の山中湖で中野がもう一度『鐵假面』をやらせて下さいと頼んだら、唐さんはようやく許してくれた。そんな経緯があったのである。

 そこで川崎市民ミュージアム前広場で先週末上演された劇団唐ゼミ☆の『鐵假面』。

 場所柄を考えて普通より一時間早い6時開演としたため、一幕は照明が効かずやや散漫にはなるも、素晴らしい幕開けを迎えた。ゲネプロ、初日、二日目と中野と一緒に議論しながらもの凄い勢いで演出を変えて行ったが、二日目で何かが見えてきたように思われる。初日に来てくれ大絶賛してくれた唐さんの話からも沢山のものを頂いた。

 これは、唐ゼミ☆史上最高傑作になりそうな予感がする。

 絶対に見逃さないで下さい。おそらくは二度、三度、四度見ても飽きることの無い大傑作です。

 思った通り、椎野と禿の掛け合いのドライブ感が凄いし、初演で大久保鷹が演じた満州帰りの叔父をやっている杉山雄樹、彼もまた群を抜いていい。久々に椎野と組む土岐泰章の純粋なひたむきさも悪くない。他の役者たちもその後を追い上げており、これから池袋、関内とどんどん調子を上げて行くことだろう。また10月にはこのまま京都公演に突入していくことが予定されている。燃え上がる夏秋のテント公演の行方が楽しみだ。

 鐵假面とは「顔の無い民衆」のことだと扇田さんは書いている。それは民衆の「無名性」を指しているばかりではなく、仮面を外しても顔が無い、のっぺらぼうの大衆のことをも指している。乞食から兵隊や大会社の社員まで、民衆は時代と状況に流され、ころころと変質し、どんなことでもやってしまう信用のならない「群れ」である。その彼らの仮面の下には何があるのか? そこにはまた、いつももう一つの仮面があるにすぎない。大衆にはいつも「表層」しか存在しないのだ。キャバレーを渡り歩く「姉妹」もまたそういう民衆そのものである。だが、彼らは「犯罪」というパスポートによってそこを垂直に切り開く裂け目を作り出していく。切り取った首をボストンバッグにいれた旅がそれだ。それが地獄巡りとしての「森」のエピソードとして語られる。水平な大衆論では見えては来ない、大衆の根源的な生命力が、歴史とノスタルジーの闇と猥雑な現実を、まるで鋭いナイフのように切り裂いていく瞬間をどのように作り出すかというのが演出上の最も決定的な問題なのである。そして、中野敦之は川崎の二日間でその答えをどうやら発見したらしい。

 そんなわけで、リハーサル代わりの大学学内公演2日間を経て、唐ゼミ☆はこの作品を抱えて池袋ウェスト・ゲート・パークに進出し、そしてそのまま秋まで駆け抜けて行く。それはひとつの「事件」となることだろう。

2007.06.20

帰国した。

 イマトラには初めて行ったが、ここは湖沼地帯。ロシアとの国境まではほんの10kmくらいしかない。保養地なので余り人がいない。見渡す限りの広大な自然に囲まれて文化施設がある。文化センターと隣のシティホール、さらに3kmほど離れた中心部のホテルの会議会館と三つの場所で分科会が開かれており、これらを結ぶバスが走っている。

 文化イベントとしては金曜日にロシアのパペット・シアター、土曜日にはタンゴ(なぜかフィンランドではタンゴが盛ん)があって、結構深夜まで行事が組まれている。

 ここの唯一の「名物」は「イマトラ・ラピッド」で、「MOV07320.MPG」をダウンロード
「MOV07323.MPG」をダウンロード、湖同士を結ぶ水路に作られた水門を開放して濁流が流れるのを見るのである。夏は毎晩7:00に開門される。音楽が鳴り響き、水が溢れ出すと濁流の上に張ったロープに滑車をつけて滑走するというスペクタクルが始まる。これはちょっとやってみたかったが、35ユーロも取られるというのでやめておいた。

 会長のタラスティはなぜか日本にとても来たがっているし、事務局長のパズ・ガーゴも次回のコルーナでの国際会議にアジアから来て欲しいらしく、次回の学術委員会のメンバーにさせられてしまう。学会それ自体よりも、こうしたロビー活動の方が忙しい。総会でも、理事会でもそんなこんなの議論沸騰。そんな中でイタリア記号学会長のパオロ・ファブリと知り合えたのが収穫。

 日曜日のクロージングには会議をさぼってスウェーデンやラップランドに旅行していた中国人グループが再集結。来年の南京会議を宣伝していた。午後は何もやることがないので吉岡と散歩。フィッシング・パークの釣り堀でニジマス釣りに挑戦するが一時間以上やっても収穫なし。そのまま川沿いに散歩すると韓国人や台湾人のグループにばったり会ったり、前会長のローランド・ポズナーとばったり会ったりする。そのまま、おそらくイマトラ唯一と思われる謎の中華料理店で食事をし、またイマトラ・ラピッドを見て、またまた歩いてホテルへ。おそらくは10-15kmはゆうに歩いたと思われる。

 翌朝は列車でヘルシンキへ。空港に行くとこれまた中国人グループやパズ・ガーゴと再会。パズ・ガーゴと初めてゆっくりしゃべることができてこれまたロビー活動。

 とにかく、同じ記号論研究と言うことでも、世界各地で状況や文脈がバラバラなのが、ある意味では面白い。こういうのはレベルの高低ではなく、徹底的にその社会的政治的機能や、意味合いが異なっているのだ。ぼく自身はこういうことに余り深入りはしたくはないのだが、それでも中に入ってみなくては分からないことも多々ある。圧倒的な世界の多様性とじかに触れ合うのは、時間はかかるがやはり他では味わえない醍醐味がある。

 というわけで、二年後のスペインでの会議にも行きたいと思うし、また今回は学会から4-5人しか参加しなかった日本人にももっと沢山行って欲しいと思う。

 とりあえず終了。大学もちょうどこの期間バカバカしい「ハシカ休講」で休みだったのでギャップ無く戻れた。また多忙な毎日が待っている。
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2007.06.17

イマトラ2

忙しくて書く時間がないが充実している。
これから閉会式で、あすの飛行機に乗って帰国は火曜日です。
くわしくはそのあとで。また。

2007.06.16

イマトラ

 イマトラはヘルシンキから列車で3時間。どちらかと言うと、ペテルスブルクに近いロシア国境近くの町だ。森と湖、ほかには何もない。予想以上に田舎で驚いた。
 各ホテルからバスの送迎があり歩いてはどこにも行けない。軟禁状態である。
 ホテルは日本の国民宿舎のような山荘スタイル。かろうじて、会議用の無線LANが使える。
 イベント続きでいろんな人と話せて楽しい。
 ここは朝晩が冷え込む。ちょうど信州の高原地帯みたいだ。
 会議も後半に入った。セッションとイベントが目白押しで続く。

2007.06.14

ヘルシンキ終了

昨日でヘルシンキ大学でのセッションが終わり、これから貸切列車でイマトラに向う。
ネット環境は行ってみないとわからない。
ここで帰ってしまう人も多い。Petrilli/Ponzioはバリ大学での別の会議のため帰国。
かわりに去年ウルビノであった院生たちがやってきた。
P/Pはこの2日半だけでなんと6つのセッションに参加。すごい。

パーティでいろいろな人と話す。9年ぶりに会う人とかがいて楽しい。

2007.06.13

二日目

 セッションが始まった。あいかわらず当日キャンセルや変更が多くて混乱している。
 午前中はロラン・ポズナーの写真を使った都市論と韓国のラウンドテーブル。リュウ・ヒョソクという女性がオ・テソクについてやっていた。
 パリでベケットをやったらしい。
 みんなで学食で食事のあと、biosemiticsのセッション、TartuのKalevi Kulがいてあいかわらずて面白い。
 買い物して、一度ホテルに戻って休息。夜は駅前の古い建物でディナー。ジョストらと話す。
 さすがに11時を過ぎると薄暗くなり、歩いて帰る。

 今日はヘルシンキ最終日で、自分の発表もある。あす朝イマトラに移動なので、しばらく更新できない。
とにかくこちらは元気です。

2007.06.12

一日目

 とにかく時差のおかげで目が早く覚めてしかたない。
 ネットを試したあと九時過ぎに歩き始める。駅を通り過ぎて、会場探し。登録を済ませた後、ちかくをぶらぶら歩く。
 大聖堂から海辺のマーケット広場。夏が始まったばかりで、みんな日向を楽しんでいる。結構暑い。
 戻ると日本から来ている有馬さんたちと会う。タラスティ、ポンチオ、ペトリリなど久しぶりに会う人達と挨拶。
 学食で遅いランチを取って、すぐにセッション始まり、場所を移してオープニング。ヘルシンキ大学の大講堂で、オーケストラがシベリウスなどを演奏してくれた。そのままレセプションでいろいろな人と話すが、眠くて疲れたので、吉岡と会場であった東大院生の堀君と外に出て中華を食べて帰る。九時過ぎくらいか
 ホテルの入り口でフランソワ・ジョストとばったり会って立ち話。
 今日から本格的に始まるが、よく寝たので大丈夫だろう。今晩はガラ・ディナーがある。

 大学の閉鎖は大したことなかったようで唐ゼミ☆も無事稽古始められたようだ。よかったね。
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2007.06.11

ヘルシンキに到着

 中部国際セントレア空港からのフィンエアー直行便で10時間。ヘルシンキ空港に到着。
 京都から合流した吉岡洋と名鉄から一緒だった。短いといえば短いし、隣が空いていて楽ではあったが退屈。
 機内食も普通でつまらなかった。
 空港から駅までバスで。そこからタクシーでホテルに。ドミトリーのような簡素なホテルだけど、台所がついいている。吉岡と歩いて近くの繁華街へ。
 地下に大きなショッピング街があるが地上は閑散としていて、とても首都とは思えない。田舎だ。だが国民の人口五百万人の国だし、社会保障が行き届いているせいか豊かな感じだ。

 ここにまだは新自由主義経済の波は打ち寄せていないように見える。
 買い物してすぐ寝るが明るくて眠れない。それに、暑い。予想通りに朝早く目が覚めてしまった。暗いのは2,3時間くらいか。Dsc07265


 今日は初日でレセプションだけ。楽しみだ。

2007.06.09

フィンランドに行ってきます

 6月11日から18日まで、ヘルシンキとイマトラで開催される国際記号学会に行ってきます。明日の朝、中部セントレア空港からの直行便で、19日に帰国予定。Susan Petrilliから声をかけられてRoundTableでしゃべらなくてはならない論文原稿も何とか完成。その間、唐ゼミ☆の通し稽古も、唐組の千秋楽も行けなくなりますが、昨日唐研で「鉄仮面」2幕通しを見た限りでは、何とか本番までに面白いものに仕上がるでしょう。

 一年生のこととか、いろいろ手を回しておいたのに、金曜の夕方突然に11から17日までのはしかによる全学休講及び学生立ち入り禁止が通知。感染者数も状況も正確に把握なんてしていないくせに、何でもかんでも横並びでやらなくてはならないと思っている人、「禁止」がとにかく好きな人が多すぎる。それで「責任」を果たしたと思っているんでしょうかね。

 まあ、いろいろと気になることを残しながら、10日間のんびりしてきます。

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