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2007年10月

2007.10.23

唐ゼミ☆京都公演終わる

 19日から3日間の公演につきあって、毎晩夜遅くまでつきあい、月曜の早朝新幹線で文部科学省の会議に何とか間に合うというきつい日程だったが、行けて良かった。東京から来て頂いた方や、神戸、大阪は勿論、遠く福井、金沢、長野、名古屋などからも沢山の観客に見に来て頂いた。感激したのは、初日に嶋本昭三さんが見にきてくれたことだ。冷たい雨と京都の底冷えにさすがに途中で退席されてしまったが、80歳の巨匠がわざわざ芦屋から足を運んでくれたのがうれしい。開演前に久々に近況を伺うことができた。その他、京大吉岡研究室の面々にはとてもお世話になったし、京都精華大学の島本浣さんや佐藤守弘君、名古屋大の秋庭史典君、神戸大の前川修君ら札幌美学会で出会った友人が沢山の若い仲間を連れて来てくれた。ほかにも沢山‥‥。

 これだけ来てもらえて、中野敦之とずっと議論してきた新しいエンディングを見て頂くことができて良かった。実は「鐵假面」には二つのテキストがある。72年の公演前に文芸誌『海』に掲載されたバージョンと、単行本、そして「全作品集」に掲載されたバージョンであり、この二つは全く違ったエンディングを持っている。具体的には、前者ではタタミ屋はスイ子を突き刺し、後者では味代を刺す。台詞も多少違っている。これまでは作者の最終校定版を尊重してきたが、京都では「海」版を試みてみたのである。というのも、ジブリの森でエンディングの型が一通りの完成を迎えたと判断したからだ。初日に、完全な「海」版をやってみた後、またまた議論して二日目、三日目にはやや説明的すぎると思われた台詞だけを元に戻したハイブリッド版をやってみたが、これが思っていた以上に素晴らしい出来だった。見てもらった人たちにも大きな衝撃を与えることができたと思っている。

 ほんと、事件的演劇ではなくて、演劇的事件というような意味では、これ以上に面白い演劇なんて滅多にお目にかかれないんじゃないかと思う。

 それにしても、「鐵假面」のこの最後の数分間は、数ある唐作品の中でも高密度の驚くべきラストなのではないかと思う。20回近くやった公演の中で時には日替りで変えながらも全く飽きることがなかった。

 てなことを書いている間に、中野から無事横浜に到着したという電話があった。この半年間、唐ゼミ☆という集団にもいろいろな変化があったが、その多くが大きな成長を果たしたと思う。

 京都ではちょうど同時に公演中だったパレスチナ・キャラバンから大久保鷹さんが一晩合流してきてぼくたちの宿舎に泊まっていったりした。あちらは別な意味で大変そうである。大久保さんを迎えに行く時に、おそらく30年近くぶりに西部講堂の中に入った。色々な意味で複雑な気持ちになる。071021164946

2007.10.09

美学会@札幌、他

 ジブリの森での唐ゼミ☆「鐵假面」は無事に終わった。一度6-7月にやったものであるが、流石にみんな色々考えて来ていて見違えるような良い出来になった。一幕とエンディングにまだ課題は残るが、それは最終公演となる京都でお見せできることになるだろう。はっきり言ってこんなにスリリングな演劇イベントは他には滅多にお目にかかれないと確信していますし、とにかく絶対お勧めですのでお近くの方は是非どうぞ。おそらく京都だけのスペシャル版のエンディングになると思う。ところで、京都公演は、四条河原町の元立誠小学校で19−21日の三日間である。木屋町通り側に入り口がある。詳しくは唐ゼミ☆のサイトへ。

 その後は、梁山泊のテントで以前からお顔を存じあげてはいたがお話ししたことがなかったシナリオ作家の石森史郎さんが脚本を書いている「東京ピチピチボーイズ」の公演を見に椎野と一緒に赤坂に行ったり、大久保鷹さんたちのパレスチナ・キャラバン「アゼリアのピノキオ」、そして唐さんたちの「行商人ネモ」と忙しく芝居を見て回った。また、大島新監督の「シアトリカル」の試写会にも足を向けた。

 石森史郎さんは、昭和三十年代から日活、松竹、テレビなど幅広くシナリオを書き続けてこられた方で76歳になるがきわめて壮健で活動的な方である。たまたま1972年の「約束」(斎藤耕一監督)の話が出て、ぼくが高校生の時に感動して池袋文芸座にまで観に行ったという話から、お誘いを受けた。この映画、DVD化もされていないので、一度大学に御呼びして上映会をしたいと考えている。「アゼリアのピノキオ」はとにかく台本と演出がどうしようもない。大久保さんもパレスチナ勢ももっと気持ちいいことをやりたいのだろうに、残念としか言いようがない。三鷹の森での唐組公演「眠りオルゴール」はまだまだ続く。

 また、去年までの三枝健起監督に代わって、望月六郎監督に「舞台芸術論C」という授業をもってもらうことにした。初日の顔合わせ、飲み会に続いて二日目は「皆月」の上映会。これは99年に金沢で見たのだが、そのときの印象を上回っていて、改めて傑作だと思った。とても良く作られている映画である。そのこともお伝えして、これから学生たちとどう関わってくれてどんな形で進んで行くのかとても愉しみだ。こういうことを企んで仕掛けているのが一番面白い。

 大学は始まったが、まだ耐震補強工事が続いていて研究棟が使えない。学内のいろんな場所を放浪しながら居所を作り出そうとしていた。

 そして土曜日から札幌での美学会。京都精華の学長職で一泊しか出来ない島本浣さんのリードで、京大、神戸大、東大の若い大学院生たちを交えての飲み会でいきなり初日2時前まで宴会。北大は建物内禁煙になっていてのんびり煙草を吸いながら休憩できる場所がなく、仕方なく学会に参加して発表を聞いたり、発言したりしていた。二日目は京大の吉岡洋や京大の若手OBたちと軽く。前回日本記号学会で来た時には山口昌男さんのリードでいろいろな名店に連れて行ってもらったが、札幌駅周辺の居酒屋は九州料理や四国料理、あるいはチェーンの居酒屋ばかりで、あまり北海道らしい物にはありつけなかった。初日、二日目の昼間は暑かったが、日が落ちるとさすがに寒い。三日目の午前中の現代美術のセッションは司会。昼過ぎからは円山公園や大通り公園を散歩して夜の飛行機で帰宅。新千歳空港でも学会参加メンバーと多数遭遇し、神戸大の前川修君と喫煙所で雑談をして、飛行機に飛び乗った。

 美学会は以前とはだいぶ様子が変わってきていて、音楽、映画・映像、現代美術、「視覚文化」論、美術史が主流を占め、いわゆる哲学系の「美学」の発表が極端に少なくなっている。そのこと自体は全然悪いことではなくむしろ歓迎すべきことであるとは思うのだが、それらが割と平板な「ブログラム」と化していて、みんなが細分化した領域を何の疑いもなくカバーし合っているような感じがして、これはどうなんだろうなと思わなくもない。方法論や理論的枠組みそれ自体が問い直され、疑われることなく、何となく共有されたOSのようなものの上でいろんな対象について論じるだけなら、それらは以前の「カント美学」が氾濫していた美学会と結局は同じことなのではないかという気もする。つまりは、昔は「ドイツ系美学」について語ることが「正しいふるまい」であると思われていたのが、たとえば「写真」や「視覚文化」について語ることが「正しいふるまい」であると思われるようになっただけのことであるとしたら、それは結局何も変わっていないことになるからだ。20代の大学院生たちは昔よりも「屈折していない」ような感じがする。つまりは、自分たちがやっていることの本質的な「いかがわしさ」や「うしろめたさ」のようなものは余り感じていないような気がする。彼らはとても知的でまっすぐな好青年たちなのではあるが、その辺りがちょっと物足りないところでもある。

 写真は大通公園のテレビ塔と、北海道神宮の七五三の風景。Dsc07330
Dsc07332

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