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2008年4月

2008.04.21

バッタin水戸芸術館'08

 またしても、水戸芸術館からバッタ公開のお声がかかった。

 今回は5月4-6日三日間の展示だ。

 今回は芸術館でもいろいろと考えてくれて、お揃いのTシャツ、ビデオ上映やトークショーなど、これまでと違った企画でやる
ことになった。天気が良ければとても気持ちのいい展示になるだろう。

 2001年に第一回のトリエンナーレでこのバルーンと出会ってからもう7年‥‥。こいつは、大阪万博公園の太陽の塔と対決したり、金沢の小学校や芸術村、去年はTEXの柏の葉駅前やなんとトロントまでも出かけた。その様子はYoutubeで見られる。


 今回はそうやって船便で戻って来たこいつの検品も兼ねた展示で、場合によっては大修理を行うことになるかもしれない。

 そんなこんなで、今回も水戸のボランティアの方にお世話になるわけだが、どうも今回集まりが悪いらしい。締切は過ぎているけど、まだまだ募集しているので是非ご参加下さい。今回は椿昇デザインの特製Tシャツのプレゼントもあります。

「案内チラシ」を見る

 椿とのトークショーは初日4日の午後2時から予定されています。どちらも入場無料。

 ぼくは三日間ずっと現場にいるので、是非声をかけて下さい。天気が良ければきっと素晴らしい気分転換ができると思います。

 それから、その翌週10-11日の日本記号学会大会のプログラムが固まった。今回は京都大学で「遍在するフィクショナリティ」というテーマで行われる。近くの人は是非ご参加下さい。どなたでも入場できます。

2008.04.16

クロード・チアリ45周年コンサート

 チアリさんには80年代後半から90年代前半までとてもお世話になった。この64年に「夜霧の忍び逢い」が世界的に大ヒットしたギタリストは毎年の日本ツアーで知り合った神戸の女性と結婚し、日本に帰化し、関西を中心にタレント、音楽家として活躍していた。

 付き合いが始まったのは、元々は87年から商用サービスを開始したPC-VAN(現在のBiglobe)でチアリさんが始めたForum"NEC98 by CIARI"(通称チアリSIG)で、Sigop05として彼の手伝いをし始めるようになったことからだ。

 その頃、ぼくはアスキーから出ていた「パソコン通信」本にとても惹かれており、当時のぼくの収入ではかなり無理があった16bitパソコンPC9801-UV2を長期ローンで買ったばかりだった。300bpsのモデムボードを電話線につなぎ、草の根ネットで情報を集めていた頃にNECのPC-VANと富士通系のNifty-Serveがほぼ同時に商用サービスを開始したのだ。立ち上げの時の会員数は両方とも2000人くらいだったと思う。まさしくネットの「開拓時代」だったのだ。

 当時の主流だったNECの9801シリーズはIBM-PCとの互換性がなく標準OSもMS-DOSではなかったのだが、チアリSIGにはプログラマーたちが徐々に集い、オンラインでソフトウェアを開発する動きが加速された。日本初のオンライン・ソフトウェア運動だったのである。ここはよくも悪くもチアリさんの個性によって彩られたコミュニティだった。規模としてはNiftyのソフトウェア・フォーラムには敵わなかったが、チアリさんの人柄に惹かれた多くの人が集う巨大な広場になっていった。

 ぼくもここでいくつかのフリーウェアを共同で制作したり、何と言ってもIBM-PCのソフトを98で動かすことのできるエミュレータ「SIM」というきわめて重要なソフトのプロデュースをお手伝いすることができ、それは日本のソフトウェア文化に大きな影響を与えることになる。この頃はパソコン雑誌によく原稿を書いていた。

 草創期のパソコン文化を創った人たちと沢山出会えたし、チアリさんのご自宅にも何度もお邪魔して家族ぐるみでのおつきあいがあった。いわゆるOFF会(チアリSIG用語ではギャザリング)も何度も開催され、とりわけ89年には名古屋で日本全国から会員が集まった大パーティをしたのも思い出深い。あの頃は、98LT(最初のラップトップ)、東芝のJ3100やDynabook、Macintosh Plus、MacII Ciと次から次へと心惹かれる機械が出現し、貧乏なのも忘れて新しい機械をどんどん買っていた。関西のネット仲間たちとはしょっちゅう集まっていたし、日本中に支えてくれる仲間たちがいた。

 ただ、初めて体験するオンラインのコミュニティのスピードはもの凄く、急速に親しくなって行く人がいると共に、急速に行き違いが起こって対立や誤解が生まれたり、派閥抗争が起こったりもしていた。それをまとめたのは親分肌のチアリさんの人徳によるものが大きい。

 だが、それも93年〜94年頃に起きた内部の対立で、ずっと心を許してつき合って来た人たちとの離反が次々に起こり、ぼくもチアリさんもうんざりするようになってしまい、自然にぼくはSIGOPを止め、チアリSIGも自然に消滅して行った。今になって考えてみるとあの時の対立は、90年代のITビジネス型の文化とハッカー的なアマチュア文化の対立だったような気もする。ギタリストになる前にIBMの大型コンピュータの技師の経験もあったチアリさんにとって、コンピュータはいつまでも夢の玩具だったように思われる。そして時代は進み、インターネットの時代になりPC-VANも終わり、Biglobeは単なるプロバイダになってしまった。

 それから14,5年。チアリSIGの黄金期からは約20年が経過した。今回は六本木でのコンサートに奥様からのお招きを受け顔を出した。チアリさんは少し肥った以外は前と変わらず。昔まだ小さかった二人の子供はもう結婚している。二時間近くの演奏を終えた会場にはぼくたちよりも更に古くからの客たちが沢山詰めかけており、チアリさんを囲んでいるので、簡単に挨拶をして握手をし、外国人たちと若者が群がる六本木の町へと退出していった。

 それはネットワークにパソコンをつないでいた人が、多分全部合わせてもまだ一万人も居なかった時代の話だ。その頃、このイタリア系=ウクライナ系の南仏生まれのフランス人ギタリストが日本のネット文化の基礎を築き上げたことを記憶から消してはならないと思うし、また自分がその運動に関われたことを改めて誇りに思う。080415202651b

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