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2008.06.30

帝塚山学院大学美学美術史科同窓会

 29日は、大阪心斎橋のホテル日航で、帝塚山学院大学美学美術史科の大同窓会が開かれた。
 ここには88年から非常勤講師を始め、89年から92年の3月まで専任講師を務めた。初めての専任勤めでいろいろな思い出がある。パーティは130人を超えて、とても賑やかだった。結局、四次会までつきあって、心斎橋に泊まったのだが、本当になつかしかった。雨がちな曇り空の大阪は、亜熱帯を思い起こさせるほど、とても蒸し暑く、その湿った、体にまといつくような暑さの中で、あのころの記憶が鮮明に浮き上がってきた。

 小さな女子大で、学科の専任教員が6人、一学年60名のとても贅沢な学科であり、ぼくを呼んでくれたのは、日本美術史の大長老、故・源豊宗先生の愛弟子であり、30-40代にかけて華々しい業績を挙げておられた吉田友之さんだった。この吉田さんと、現在同志社大学に移られた太田孝彦さん、京都精華学長の島本浣さんとは、毎週のように難波で飲み歩いていた。他の学科スタッフや学生たちは言うまでもなく、他学科の先生たち、事務の人たちとも、しょっちゅう飲んでいた。奈良などへの遠足を兼ねた現地講義、ゼミ旅行、ヨーロッパ研修旅行など、学生たちと一緒に行くイベントも盛りだくさんだったし、講演会の企画も多く、ぼくも栗本慎一郎さん、山口昌男さん、中沢新一さんなどをお呼びしたことがある。

 吉田さんは1966年の大学設立以来のスタッフで、美学美術史という超マイナーな学科を一人でこつこつと作り上げてきた。非常勤講師も、関西の優秀な若手たちを集めて、その頃は、帝塚山の非常勤に選ばれることをみんな目標にしていたし、とても名誉なことだと考えていた。だから、神林恒道さんも、岩城見一さんも、加藤哲弘君も吉岡洋君も、他にもとても沢山の人たちが非常勤を経験しており、みんな吉田さんにお世話になっている。それなのに吉田さんは定年をはるか前にして60になる前に大学を辞めてしまった。ちょうどぼくが辞めたのと同じ年で、二人合同の送別会をしてもらった。その会は学生、教員を合わせて100人を超す盛大なものだった。あの三年間の間に、しかも実質週三日しか行っていなかったのに、なんだかとても沢山のことが起こったような気がする。

 今回も久しぶりに吉田さんにお目にかかれるかと楽しみだったのだが、数年前から目の具合が良くないらしく、残念ながら欠席。ていねいな葉書を頂いて、二次会の時に電話をかけ、みんなに代わってもらって話ができた。こんなにみんなが大切な思い出にしているこの学科が存在していたのは、ひとえに吉田さんの力の賜物であり、この学科は吉田さんの最大の作品のひとつなのではないかというようなことを、みんなで話した。

 たった4年しか勤めていなかったし、ぼくの直接担当していた元学生たちは、大半が遠くに住んでいたり、まだ子供が小さいこともあって、4-5名しか来ておらず、少しさびしかったが、他のゼミの卒業生や、一二年で授業を受けてくれていた人たちも多く、声をかけてくれる人も沢山いてうれしかった。美学美術史科と縁の深い元教員も駆けつけてくれていて、それもまたなつかしかった。90年前後の思い出に浸りながら、心斎橋から難波付近を飲み歩き、最後はあのころの定番のカラオケ。

 帝塚山学院は、小学校からあって、その歴史は大正時代にまで遡る。大学の歴史は比較的短いが、「お嬢様大学」として知られるここの学生たちはとても強い個性があり、それは特に下からあがってきた学生たちがそうなのであるが、大阪の良家の子女といったもの。それも、単なる箱入り娘なのではなく、ずっとこの地に根付いている育ちの良さというか、優れたバランス感覚と強靭なコモン・センスに支えられたものであり、学ぶことが多かった。こういうのはいわゆる受験偏差値だけではわからないもので、卒論などでも思いがけない粘りを見せたり、卒業後も美術に関連する仕事についている者も多い。一種の生活知に長けており、現実感覚などは、そのころのぼくよりもずっと上なのだ。彼女たちは、美学や美術史という、現実にはまったく役に立たないことに打ち込む研究者や学者を本当に尊敬してくれていて〔もちろん、本当は大して立派ではないし、彼女たちにも薄々はわかっていたんではないかと思うけど、とにかく「立てて」もらっていて〕、付き合っていると本当に楽しかった。今でも卒業生たちとはたまに会うことがあるし、年賀状だけのおつきあいにしても、ずっと続いている人も多い。もちろん、女子大ゆえの難しさもあるし、ぼくも今よりもさらに未熟だったので、不必要に彼女たちを傷つけてしまったりしたし、後悔することも多いのだが、それでも楽しかった思い出や感謝の気持ちの方が強い。

 辞めた後も、しばらくは集中講義に呼んでもらったり、イベントに招いてもらったりしていたのだが、残念ながら大学の経営が徐々にうまくいかなくなり、その打開策として短大を改組して作った新学部-ここには松岡正剛さんや椿昇が一時居た-に力を入れたことで、元々の文学部の方が弱体化し、しばらく前には美学美術史科自体がなくなってしまい、昨年からは男女共学となり、また来年からは改組して文学部自体が新しい「リベラルアーツ」学部に縮小化されるという。もはや、ぼくたちが共に学び、「卒業」した学科自体がこうして消えてしまったわけなのだが、それでもあの時代に関わった人たちにとって、帝塚山学院大学の美学美術史学科というのは、人の結びつきの記憶としていつまでも消えないのだということを、改めて感じた。だから、こういう大同窓会もそうだし、元のゼミ生たちとも、またこんな形で集まることがきっとあるに違いない。ぜひまたやってください。

 なつかしい難波や心斎橋の辺りを長いことうろついて、横浜に戻る。ここが今のぼくの戦場である。

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