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2009.03.28

別れの季節

 定年で職場を去る人たち、卒業していく学生たち−−この時期はいろいろな人との別れがある。毎年繰り返していても、それなりにいろいろな思いがわき起こりメランコリックな気持ちになる。

 今年の場合、それに加えて14年間一緒に暮らしてきた飼い猫の死に立ち会わなくてはならなかった。

 1994年に大学の美術棟の周辺をうろついていた黒いさび色の子猫。人懐っこく、ただし喉を鳴らすこともなく、ただボーッとしているような猫を、いろいろな経緯があって家で飼うようになったのが95年の1月。
 それからずっとこの猫は家に居た。二日以上家を空けるわけにいかず、大阪に長逗留するときとかはそのまま車に積んで連れていった。どんな環境も受け入れ、けっして騒がず、自分の関心の外のことにはほとんど無反応でいる猫で、空気のように家にとけ込んでいた。

 その猫の下あごにしこりができて、扁平上皮がんの診断を受け、末期で手の施しようがないと宣告されたのが去年の10月。がんが広がって食べ物が摂れなくなり、一二週間で死ぬでしょうと言われたのを、最初は新年を迎えるまで、その次は誕生日がよく分からないので仮の誕生日にしていた2月22日の「猫の日」まで、それを生き延びた時には3月24日のぼくの誕生日までと目標を定めて介護してきた。何度も死にかけていたのを、これまた何度も復活を遂げ、全体的には体力がどんどん落ちていき、ミイラのように痩せてしまったのだが、24日の晩に、誕生日ということで買ってきた鰻とまぐろをすり潰した餌を、注射器からではあるがおいしそうに食べた後、そのまま死んでいった。

 体温が極度に下がっていたので、ドライアーをかけて暖めようとしたら、急にカッと目を見開いて、四肢を意外なほどの強い力で動かし宙を掻き、何とも形容しがたいような鳴声を挙げてから、そのまますぐに途絶えた。「断末魔」というのは本当にあるのだなあということがわかった。その後は要するにコンセントを抜かれた機械のような脱け殻が残り、最初はぐったりとしているが、小一時間もすると硬直してきて、今度は剥製のように変わる。それを土の中に埋めると、今度は地中のバクテリアが分解して、きれいに土に還っていく。小さいながらに、生き物としてのサイクルを全うしてくれているような気がして、別れは悲しいが、いろいろなことを教えてくれた。

 さて、それから卒業式。もう来週は四月だ。これまた毎年のことではあるが、桜が咲き、新しい出会いが生まれる。桜の木には毎年同じ花が咲き、すぐに散っていく。それもサイクルなのであるが、同じ花であって、それでいて同じ花は二度と咲かない。この川を流れる水のような、差異と反復の繰り返しの中に、ぼくたちの生き物としての生があるのだ。

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