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2009.07.11

新刊『タバコ狩り』平凡社新書

 どうせまた読みもしないで、いろいろな攻撃を受けるのでしょうが、まずは読んでみて下さい。読んでみれば分かります。

 パイプをくわえて下さいと注文されて撮られた写真がかなり悪人面ですが、読売新聞の読書欄に紹介もされました

 この本を書くきっかけとなったのは、いろいろ根も葉もない誹謗中傷の標的となった4年前に書いたこのエッセイ。。元々大学のパンフレットに掲載され、その後日本体育学会の機関誌『体育の科学』に転載される時に改訂版を出し、さらにもう一度ヨーロッパ滞在の印象を書き加えて字句訂正を施したもので、この頃からぼくの主張は何も変わっていません。

 個人的には前半のタバコの話題よりも、第六章と「あとがき」に本当に言いたいことが書かれていますので、そちらを読んでいただきたいと思っています。


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「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

興味深く読ませていただきました。
私は煙草はやりません。というか学生時代に先輩に勧められた一本が最初で最後という人間なので煙草が存在しなくても自分の生活には影響しません。
それでも50を越えたおっさんとしては今の社会は怖いと思います。煙草に限らず、出版物、容疑者家族、悪とレッテルを貼ったものにはリンチ可みたいな風潮が煽られている気がします。

興味深く拝見させていただきました。
私は非喫煙者で喫煙経験はこの30年、大学時代のクラブ合宿で先輩に勧められて試した1本だけです。タバコの煙を直接吸えば咳はでるし、喫煙者は臭いで分ります。
それでも分煙でなく廃煙を迫る今の状況はおかしいと思います。新宿とか自分は正義と言わんばかりの襷掛けの人たちの存在はひどく威圧的で気分が悪くなります。
だいたい大学とか病院のような施設なら敷地内で高い建物の屋上に簡易の屋根を付けて喫煙用に開放すべきだと思います。敷地内で一番高い建物の上で吸うなら誰の迷惑にもならないと思うし。
乱文になって申し訳ありませんが、室井さんのおっしゃるとおり煙草だけの問題ではなく社会や人としてのあり方がおかしくなっている気がします。

アマゾンのレヴューにまたおかしなことがおかしな人によって書き込まれているので、ここでちゃんと言っておく。あちらはオフィシャル(?)な場。ここは、個人的にぼくを知っている人に向けて書いている場所だととりあえずは考えているからだ。したがって、ここではネット内ではいっさい応答しないことにする。

議論や論争の相手に値しないとぼくが判断した人たち(主としてネット住人)とのやり取りをやめたからと言って、「逃亡した」とか「論破した」とか、「自分でも間違いだと分かっているはずだ」とか誹謗されるのはかなり不愉快なことだ。ついでに人格まで否定され、こんな不誠実な人に教えられる学生は可哀想だとまで言われると、ぼくの周りの人たちにもいったい何があったのかと、いらない心配をさせてしまうことになる。

だが、また言い返すと、いちいち相手にしなくてはならないし、不毛で無駄なので、たんに黙っているだけだ。いくら言ってもわからない、相手にしたくない人を相手にしない権利は誰にでもある。ぼくには時間があまりないので、つきあっても無駄な人とはできるだけ人生において関わりをもたないようにしていきたい。誰かが言っているように、現在のシステム(アーキテクチャ?)が変わらない限り、ネットの言説空間ではもはやろくなことは起こらないだろうし、ネットに費やす時間は減らして、できるだけネットの外の世界で動いていたいと考えるようになってきている。

2005年時のぼくの立場は以前のエントリーにあのとき書いた通りだし、何らそれ以上取り消したり、付け加えたりする必要はない。また、改訂版に関しても、それらのネガティブ・キャンペーンを踏まえて注釈を加えたくらいで基本的姿勢を変えたり、大幅に書き換えたりした覚えはない(だから改訂版ね)。

あの時に、Y氏は統計の読み方がどうのこうのというどうでもいい話ばかりしたがったが(それは彼が日常的にそういう仕事をしている人だからだが)、ぼくが問題にしたかったのはそんなことではない。そこを取り上げないのは彼にとっては不本意で、だから「不誠実」だとか「言い逃れ」だとか言うのだろうが、ぼくとしてはそんなどうでもいいことで相手にしたくなかっただけで、「反論できない」とか「論破された」とか言いはやされるようなことではない。たんに相手にしなかっただけである。自分の問題設定に乗って来ない人を一方的に悪罵し、曝し者にしてネガティブ・キャンペーンを張るのは彼の悪い癖だ。そして、そんなことは自分では分かっていると思っていたのに、やはりわかっていなかったらしい。

人はネガティブなことを発話する時に、それとは対立する自らの立場を浮き彫りにさせていくことになる。彼らがぼくに浴びせる悪罵––「反文明的」「反近代的」「反科学的」「統計学がわからない」等々––という言い方が示しているのは、彼らが自分たちを「文明」「近代」「科学」「統計」「知識」の側にいると考えており、それが「正しい」と信じているからだ。そして、それは新自由主義的でグローバリズム的な世界観や歴史観に自らの生を重ね合わせているからだということになる。しかし、だからと言ってそうではない人たちに向けて、それを「醜い」とか「不誠実」とか「システムに寄生しているだけ」とか言いたがるのは、自分たちの考え方に自信がもてない(あるいは逆にそれだからこそ、自信過剰になっている)だけのことである。

「嘘まみれの嫌煙キャンペーンを大学人はどう考えるのか?」にしても、「タバコ狩り」にしても、瑕疵や細かい間違いはあるとしても、基本的にはどこに出しても自ら恥じるところは微塵もない。だからこそ、ネット上にも残してあるのだし、「タバコ狩り」でさらに議論を展開しているのである。

疫学統計にはすべての「交絡因子」を組み込めないという原理的な欠陥がある。だから、せいぜい彼らに言えることはいつまで経っても「蓋然的な相関関係」でしかない。統計から「因果関係」を読み取るのは、主観的な思い込みであることが多い。そうである以上、問題はそれを政策に反映する時にどれくらいの時間をかけ、どれだけの検証を加えていくべきかという問題となるしかない。つまり「推定有罪」は「有罪」であると言いたい不安神経症の人たちが、それを政治権力を用いてどこまで押し付けていいのかということであり、しかも勤労者男性の約半数存在する喫煙者たちにそれを押し付ければ「迫害」になりますよというだけのことだ。こういうことに関しては、名前は明かせないが最近日本の医療統計学の権威の方とも何度か話し合ったが、ほとんどの点において同意して頂いた。科学的な統計をできるだけ正確に作ることと、それを「読み解く=解釈」することと(この方によるとアメリカでも10%程度の医者しか統計をちゃんと読める人はいないらしいし、日本はさらに低い)、さらにそれを「政策に反映させること」(言うまでもなく統計の読める政治家はほとんどいない)とは、全く別のプロセスなのであり、それは「科学」や「科学の真正性」とは全く関係がないことなのである。まあ、本文にも書いたように「文明」は往々にして「間違える」ので、個人的にはタバコを吸えない世界を生き抜く対策はいろいろ考えますけどね。

ということで、これで終わり。あとは何も書きません。

どちらが正しいかは「タバコ狩り」をちゃんと読んでいただければわかる(わからない人は永久にわからない)。

編集からの要請で前半は統計が結構出てくるけれど、前にも書いたように本当に書きたかったことは後半である。あえて「あと書き」と「第六章」から読んで頂きたい。

moharizaさん、書き込みありがとうございます。
拝読させていただきました。

貴著の『タバコ狩り』を読み、弊ブログにて、<室井尚著の「タバコ狩り」について>と題し、20日から4回に渡り、記させていただきました。

自分たちだけが正しく、<全く反論や異質性を認めない>世界は、まやかしの「正義」しか無い<不自由>な世界になることを知る必要があると思います。
100%正しい政策が行われる世界は無いと思います。
人間世界(社会)は、矛盾を内包 し、必要悪も是認した、混沌な世界であってこそ、その世界で、人間が「人間らしく」暮らせると思います。
中世の<魔女狩り>のように、「タバコ狩り」をやっている世界は、どこか、<精神が病んだ>世界のような気がします。

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なんか、このブログのカテゴリを選ぼうとしたら、禁煙っていうカテゴリが目に入って・・・(笑) せっかくだから禁煙にチャレンジしようかと。。。 実は数年前に、3年間ぐらいタバコを辞めて... [続きを読む]

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