« 第30回日本記号学会「判定の記号論」と光州事件30周年記念展「The Flower of May」(1) | トップページ | 蛇姫様 »

2010.05.15

第30回日本記号学会「判定の記号論」と光州事件30周年記念展「The Flower of May」(2)

 二日目になると、聴衆がほとんど居なくなった。展覧会に作品を出すアーティストはしょうがないにしても、韓国人の聴衆がほとんど顔を出さない。そもそも最初から普通の聴衆は誰もいないのだ。会議の参加者だけのような感じで続ける。こういうところが、韓国で開かれる文化イベントのどうしようもないところだ。国内政治ばかり考えており、韓国の普通の聴衆や観客のことは全く念頭にない。一応進行役で残っていたイ・ヨンウも頭の中はどこか他のことばかり考えているようで落ち着きがなかった。それでも、ここにいるのは欧米の重要な美術機関に関わっている人たちなので愛想だけはとてもいい。

 ぼくの発表はかなりの反響があった。一日目の段階では謎の日本人という感じだったのだろうが、ライナーや何人かのアーティストは興奮して話しかけて来てくれたし、ジャールやノーブル、そしてアイ・ウェイウェイも面白かったと話しかけてくれた。メリッサをはじめとするキュレータたちはニュートラルな反応だったが、パリのル・コンソーシウム・センターのフランク・ゴスローなどは激高して論争にもなった。コレクションなんてやめて、アートを「口実」として社会にどんどん介入していった方がいいというような話なので、インサイダーたちにとっては耳障りな話だったろうとは思う。しかし、そういうことを言う人が誰もいない以上、必要なことなのだ。イ・ヨンウも黙っていた。彼はビエンナーレのすべてを支配している。オクスフォードで学び、ニューヨーク大学で10年間美術史を教えていたという彼だけが、世界のアートワールドとつながっており、それ以外の韓国人たちは誰も現代美術についての知識も関心ももってはいない。まあ、多分もう呼んでもらえないのでどうでもいいことだが。

 午後はほとんど参加者だけでディスカッション。ぼくの話には触れずに、片岡さんの日本やアジアの美術状況についての発表を問題にする人が多かったが、ライナーの挑発でぼくもちょっと過激な議論をもちかけた。全体的にはフランクを始めとするキュレータたちの現状分析の話に終始した。ジャールやアイ・ウェイウェイはほとんど発言をしなかった。後から彼らは、ぼくの話が面白かったと言ってくれた。
20100511003

20100512
 そこから美術館で開かれる展覧会「The Flower of May」の会場へ。ビエンナーレのために作られた郊外の巨大な公園の中に美術館がある。ロビーでオープニング・セレモニー。次から次へ関係者のスピーチが続き、果てしなくセレモニーが続いてうんざりする。ナム・ジュン・パイクのように来ていない人も含めると30人程のアーティスト。他にキュレータやパネリスト、パフォーマーを合わせると50人規模の外国からの招待者がいる。内覧会ではセシリア・トリップと、Cai Yuan & Jian Jun Xiという二人の中国人アーティストによるパフォーマンス。Cai Yuanは移動中バスの中で話をしたが、とてもいい人で、ロンドンで二十数年過ごしたが今年北京に帰ると言う。本当は絵を描きたいのだが、パフォーマンスばかり人気があってそれしかできないと言っていた。彼らはトマト・ケチャップと醤油を使ったパフォーマンスを各地でやっている。たとえば、こんな感じ。

 光州版では場所に合わせて、ケチャップと醤油を掛け合って戦うパフォーマンス。血みどろになった市民を表現しているそうだ。セシリアのは単に韓国の亀を沢山置いて、韓国の僧侶が亀を連れて散歩するというパフォーマンス。何だかよくわからない。アルフレッド・ジャールは巨大な展示室に生きている花を並べて巨大な墓地を作った。正面には光州事件のモノクロの写真が投影されており、巨大な送風装置が墓に植えられた花を揺らしている。それなりによくできた展示ではあるが、ジャールに聞くと彼はこの作品の設置に全く立ち会っていないという。そういえば、彼はぼくたちと同じ日に韓国に来て、ずっと一緒に会議に参加していた。図面とメールによる確認だけで、作品の設置は韓国人の業者が最初から最後までやった。適切な指示はちゃんと送ってあるから大丈夫と言っていたが、何となく割り切れない。彼を含めて大半のアーティストは次の日の便で帰国したのだから、結局彼らは韓国の普通の観客にはまったく出会っていないということになる。それに、少なくともぼくの見ている限りではメディアにも全く接していない。どうやら、国際的な文化ハブ都市における国際交流というのはこういうことらしい。基本的にはイ・ヨンウとその取り巻きがすべてを統制しており、そこには公衆というものがいない。プサン、インチョン、ソウルでも似たような国際展が開かれているが、それらもこういう感じなのだとすれば、そこにはあまり未来はない。アート・マーケットに開かれたアート・フェアの方がまだしもではないかという気もしてくる。

 その後、光州市内の中心部にある別会場へ。コンテナを積み上げて作られた「クンストハーレ」と呼ばれる施設と、地下室に展示されたレーザー光線の作品を見る。クンストハーレもまたこの日がオープニングで、シャンペンが振る舞われた。なかなかよくできた施設ではあるのだが、何億ドルもある予算をもつビエンナーレ事務局がなぜこんな「アルターナティブ・スペース」を作らなくてはならないのか。よくわからない。要するに「アルターナティブ・スペース」というものも欲しかったから作ったということなのだろう。ライナーのものの含めていくつかの展示があったが、空間をまるで無視した展示だった。誰がキュレーションしても結局同じことだろう。

 そして、50人近くの大人数で日本料理レストラン「佳梅」へ。日本語で何と発音していいか分からない店で、前に全州で連れて行かれた日本レストラン「東京」と同じく、刺身らしきもの、天麩羅らしきもの、寿司らしきものなどが出てくる全くおいしくない店だった。巨漢のアイ・ウェイウェイは座るのがとても難しかったが、それでも自分からぼくの隣に座ってくれていろいろいと話した。あまり接点がなかったノーブルも正面に座っていろいろと話した。ウェイウェイは展覧会場ではうんざりしていたらしく、早々に抜け出していた。「あなたは本当はアートなんて好きじゃないんじゃないか」と聞くと、「自分で自分のことをアーティストと思ったことは一度もない」と言う。彼はぼくよりも1-2歳年下だが、文革で批判された有名な詩人の息子であり、80年代にはニューヨークに留学するなど恵まれた環境にいたが、ほとんど誰ともつきあわず、無為に過ごしていた。93年に中国に戻ってからもほとんど活動をせず、2005年に中国で初めてオークションが開催されるまで、作品が売れたことは一度もないと言っている。北京オリンピックのメイン・スタジアム「鳥の巣」を作ったことで有名になったが、オリンピックには批判的な発言を続け、当局からは今でも監視されている。

 最近は四川大震災をモチーフにした作品を作っているが、今回の展示もとてもスマートなものだった。当局側は彼に一番広い展示室を用意したが、彼は敢えて何の指示もあたえず空っぽなままにさせておいた。そして、昨日の深夜彼は北京のスタッフたちと共同作業で、つい最近中国政府が発表した四川大震災の死者たち数万人の名前をラップトップコンピュータの画面の中で順番にスクロールするだけの作品を作り上げ、それを展示したのだ。だから、巨大な空の展示室の中に小さなテーブルが置かれ、そこにラップトップと小さなスピーカーが置かれて音楽とともに漢字の名前がスクロールしているというだけの作品である。

 ビエンナーレ事務局側の意図も考え合わせてみると、これほどスマートで皮肉な展示のやり方はないのではないだろうか。他のアーティストたちとは明らかに一線を画している。彼は2007年のドクメンタ12で、1001人の中国人をカッセルに連れて行くというイベントを行っている。インターネットで中国全土から集められた中国人1001人が国際美術展に出現するというのは凄い戦略的な発想だ(うち2人は行方不明になったそうである)。この日はだいぶ彼と打ち解けて話ができ、8月に中国に行くといったら是非スタジオに遊びにきてくれと誘われた。

 まだホテルで仕事があるというアイ・ウェイウェイや何人かを別にして、ほとんど全員がホテル最上階のバーに集まり二次会が始まった。ぼくは1:00過ぎに退去したが、ロシアのミンスクから来たというピアニストと歌手がビートルズナンバーを歌うというかなりヘンテコなバーラウンジだった。

 次の日、空港に行くまでの時間を利用して近くの巨大なロッテ・スーパーマーケットで買い物。博物館とかに連れて行かれるのは嫌だと言ってついてきたライナー・ガナールと二人で近所を歩き回った。ここはどうやら新都心地区らしく高層ビルや官公庁・銀行などのビルが並んでいる。だが、都市計画がずさんでかなり醜い町並みになっている。何よりも建物のデザインが悪趣味である。自動車会社「現代」がある町で、高層の団地の棟が無数に並んでいるが、無機質で暖かさのない町だ。そんな中で裏町を歩き回りながら最後に入った人気のあるクッパの店が唯一の救いだった。今回一番美味しかったのはここのクッパである。

 空港で何人かと再び顔を合わせる。帰りは便の接続もよく、金浦空港から羽田に直行。飛行機に乗ってからは4時間ほどで到着した。

 何はともあれ、結構特別な経験をすることができたと思う。普通にビエンナーレに行くだけでは知ることのできない内幕や内部事情も知ることができた。また、アイ・ウェイウェイやアルフレード・ジャールを含めていろいろな人と知り合えた成果も大きい。来週20日の午後5:00から北仲スクールで開くぼくの授業「アーバンアート論A」(学内名・情報文化論B)でその話をしたいと思いますので、関心のある方は是非参加して下さい。どなたでも、またこの回だけでも参加できます。Img_9567alredohisashiai

« 第30回日本記号学会「判定の記号論」と光州事件30周年記念展「The Flower of May」(1) | トップページ | 蛇姫様 »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/48367441

この記事へのトラックバック一覧です: 第30回日本記号学会「判定の記号論」と光州事件30周年記念展「The Flower of May」(2):

« 第30回日本記号学会「判定の記号論」と光州事件30周年記念展「The Flower of May」(1) | トップページ | 蛇姫様 »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31