« 蛇姫様 | トップページ | 北京の7日間(その2) »

2010.08.17

北京の7日間(その1)

 8日から14日までは、北京大学で開催されている第18回国際美学会。3年ぶりに開催されている国際学会だが、2回行っていないし、最後は2001年の日本で開かれた幕張大会で、ちょうどバッタと格闘していた時期なのでほとんど顔を出していない。実際には98年のスロベニア大会以来ずっとご無沙汰していることになる。だから、知り合いもほとんど居ないしアウェイの気分で参加した。次の2013年はクラコフだし、ちょっと行きたいかな。

 そもそも中国に行くこと自体が16年ぶりである。何となく気持ちの中で中国を避けている部分があった。

 92年の10月、東アジア記号学会設立のためということで、湖北省武漢市にある湖北大学で開催された第一回の東アジア記号学会に参加した。日本からは当時記号学会の会長だった坂本百大さん、藤本隆志さん、川田順造さんをはじめ8名が参加した。吉岡洋とぼくはまだ30台半ばで「若手」であり、ぼくはこれが人生初めての「国際学会」だった。北京では中国科学院の人たちの出迎えがあり、天壇公園や万里の長城、故宮、北京ダックのご馳走、友誼商店や王府井の観光などをして、飛行機で飛んだ先の武漢は、タラップを降りると、鉄道の駅のような小さな空港。埃だらけで、タクシーなど一台もおらず、ワゴン車とトラックしか広場に停まっていないような田舎。凸凹だらけの道をワゴン車に揺られながら、湖北大学の「招待所」に連れていかれた。この時の印象は強烈だった。遠足で全員で赤壁などに旅行したが他に、ポーランドからペルチ、フランスからデルダール夫妻と当時の国際記号学会の会長、副会長も招待されていたが、外国人が参加する学会自体が珍しいらしく、この地方のテレビ局がわざわざ取材に来ていた。

 この時の中国体験は大きなショックだった。学会というものが、単なる政治的な権力誇示の道具であるということをまざまざと思い知らされた。いろいろ書き出すときりがないが、とにかく中国には驚いてしまった。単に前近代的と言うのとは違う。何かものすごくあからさまな支配と抑圧が至る所に噴き出していた。ほとんど別な太陽系の惑星を訪れた気分で世界がこれほどまでの異質性に満ちていることに唖然とするばかりだった。その後、94年まで毎年中国を訪れ、いくつかの町にも旅行したが、驚くべきスピードで進行する経済発展や、インフラの整備を目の当たりにはするものの、この国の政治体制と、おそらくはもっと昔から綿々と営まれてきた中国の封建的なシステムに関しては全く変わらないし、これからも変わることはないだろうと思われた。

 というわけで、16年ぶりに訪れた北京も、道路や地下鉄、林立する高層ビルとはかかわりなく、全く以前と同じ印象を受けた。北京大学で開かれた学会も、これまた前と同じような政治ショーの印象。短期間の滞在だと疲ればかりが残る。この冷たい、理不尽な校則だらけの高校のような町では、なかなか本当の人の心の中にまで踏み込んでいくことはできない。1000人以上参加した巨大学会だが、その半数以上を占める中国人参加者たちとの交流はほとんどできなかった。もちろんひとりひとりの中国人の優秀さや素晴らしさは確信している。だけども、彼らと本当に交流することなどはできないのだ。彼らの発言や行動は最初から巨大な枠の中で押えつけられており、その本音を引き出すことはとても難しい。

 泊まったのは王府井と東単の真ん中辺りの胡洞にあるちょっと薄汚れたビジネスホテルのようなところ。古い北京がそのまま残っているような(ということは取り残された)地区だ。北京大学近辺に泊まるのが嫌だったからだが、やはり、遠すぎた。地下鉄でも1時間、タクシーを使っても40-50分近くかかる。タクシーに乗っても、この巨大な町のすみずみまでを知る運転手はほとんどいないのか、必ずと言っていいほど迷った。また、場所がよく分からないからと乗車拒否する車も多かった。

 着いた翌日、アイ・ウェイウェイのアトリエに行くことになっていたのだが、798芸術区よりちょっと南にある草場路に1時間半遅れでたどり着いた。王府井で2台のタクシーにその辺はわからないと乗車拒否されたあげくに、3台目は雲助タクシーで、走りだした途端メーターを入れずに「500でどうだ?」と言い始める。ふざけるなと怒ったが、約束の時間に完全に遅れそうなので「300で」と手を打った。普通の料金の4-5倍高いがまあ仕方ない。ところが、このタクシー、全く場所がわからずぐるぐると回るだけ。携帯で道案内してもらっても、それでもわからず大幅に遅れてしまった。

 まるでビバリー・ヒルズの邸宅のような広大なアトリエは二棟あり、その広い中庭に十人くらいのスタッフに囲まれて、アイ・ウェイウェイは打ち合わせをしていた。顔色はすこぶる悪く、こちらが笑顔で手を振っても表情は変わらない。金髪の秘書のような女の子に、これは誰だと聞いてようやくわかったようで力なく笑った。あと5分待ってくれと言われて、スタッフの間に座らせられる。どうやら9月のスケジュールについて打合せしているようだった。そこに、欧米人の男性と中国人の女性が訪問してきた。彼らをちょっとここで待たせるようにと指示すると、左側の台所のついた建物の中に招き入れてくれてようやく会談。その間にも、また別のグループがアトリエに入ってくる。まるで日本に来日するハリウッドスターのように分刻みで訪問客がくるようだ。話している時に携帯に着信があり、また話が中断する。

 お茶をスタッフに頼みながら、「大丈夫だ。お前のことは覚えている。光州で会って、二回食事をした。そしてお前は面白い発表をした」。しかし、笑顔はない。「日本はどうだ?」と聞くので「どうしようもない。あなたが去年展覧会をした六本木なんて最悪だ。日本人は伝統も心も失ってしまった」というようなことを言うと「俺もそう思った。お前が全く違うことはよくわかる。」と答える。「どうせ、日本には行かなくちゃならないから、お前が何かやるのなら出てみたい。ただスケジュールが自分では分からないので、スタッフとメールで確認を取ってくれ」というような話。戻ってくるからちょっとその辺を見て待っていてくれ、とまた来客の接待。しばらく見学していたが、次の客の相手になったので、もう帰ると伝えると、「妻のアトリエも近くだから見ていってくれ」と握手。「体に気をつけてください」というと、ニヤリと笑って「みんな、ぼくにそう言う」と言った。彼の置かれている状況について、ある程度の想像はできるものの、本当のところは分からない。だが、とてつもないプレッシャーと戦っていることだけは確かだ。

 しばらく、中国人の男の子に案内されて付近を回ったが、草場国際芸術村はあまりに広々としていて全部を見るのは諦めた。そこからタクシーを捕まえて、今度は無事に北京大学に到着。途中で彼の設計した巨大なオリンピック・ドーム「鳥の巣」が見えた。ここはチープでキッチュな未来都市だ。

« 蛇姫様 | トップページ | 北京の7日間(その2) »

「旅行・地域」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/49167135

この記事へのトラックバック一覧です: 北京の7日間(その1):

« 蛇姫様 | トップページ | 北京の7日間(その2) »

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31