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2010.09.20

Krzysztof Wodiczkoのこと、そして横浜トリエンナーレ(1)

 暑い夏の間、いろいろなことをしながら、来年のことについて考えていた。
 その間、ようやく横浜トリエンナーレ2011の記者発表が行われた。北仲スクールは、都市デザイン系の人たちが黄金町と密接に関わっているし、トリエンナーレと無縁であるわけにはいかない。だが、ぼく自身がいったいどういう形で関わればいいのかとなるとそう簡単に決められない。

 しかも10年目である。2001年に開催された第一回からも、そしてあの「9.11」事件からも。

 「ゼロ年代」は、少なくともぼくにとって、この二つの出来事を清算することでしか終りにすることはできないという思いがある。去年の「開港150周年」イベントで、バッタは8年ぶりに横浜に戻ったし、またこの春の椿昇展でだいぶ自分の中では清算された感があったのだが、後者に関してはそうは言えない。

 考えて見れば、2001年に第一回のトリエンナーレに参加したのもいろいろな偶然の出会いからだった。四人のディレクターの中で、建畠晢さんとは一番古く、もう30年来のつきあいである。もはや時効だと思うから書いてしまうが、実は横浜国大のマルチメディア文化課程を作るときにも、実現はできなかったのだが、彼を呼ぼうとしたこともあった。だからと言って仲がいいというわけではなく、何となくお互いに喧嘩腰で張り合っているようなところがあるつきあいだ。それは、建畠さんがバブル期の現代アートの中心人物となってしまったことに対して、彼自身が一種の後ろめたさと割り切れなさのようなものを持っていて、ぼくが何を言ってもそのことに対する批判のように受け止められていたからだと思う。

 だから、声をかけてくれたのは建畠さんではなく、京近美の河本信治さんだった。そして、その河本さんのやった椿昇の展覧会「Gold/White/Black」を今年の春浜川崎の体育館でやった時に、成田空港へ行く途中に駆けつけてきた森美術館館長の南條史生さんもまたこの時のトリエンナーレ・ディレクターのひとりで、この人もアートバブルの火付け役のような人でありながら、「バッタ」を評価してくれ、その後もいろいろ応援してくれた。そして、その南條さんのかつての右腕であり、バッタを購入してくれた水戸芸術館の学芸主任だった逢坂恵理子さんが現在の横浜美術館の館長であり、また次回の横浜トリエンナーレ2011のディレクターでもある。まあ、いろいろな意味で因果は巡るものなのである。そう言えば、北仲スクールがやる公開講座のゲストとして建畠さんを10月11日に呼ぶことになった。いまやっている「あいちトリエンナーレ」ディレクターとしてだが、実際に会って話すのは随分久しぶりになる。

 そんなことを考えている中、椿展のお礼にと日帰りで行った京近美の展覧会「マイフェイバリット」展(平成22年3月24日(水)~5月5日(水・祝))のオープニング・パーティ(23日)で10年ぶりに出会ったのが、ポーランド人アーティスト、クシュシュトフ・ヴォディチコだった。ヴォディチコは、80年代の冷戦時代に広場にある記念碑や建物に映像を投影する「パブリック・プロジェクション」の作家として知られ、母国を飛び出しカナダやアメリカに移住してからは、移民やホームレスなど社会からはじき出された人々を扱う作家として知られていたが、日本では河本さんが紹介した「ポリスカー」や、広島の原爆ドームでのプロジェクションなどで有名になった。アメリカでは長くMITに務め、今年の夏にはハーバード大に招かれて新しい学科主任を務めている。彼は第一回トリエンナーレにも招待されていて、河本さんが担当した赤レンガ会場のブースで展示をしていたが、それはメキシコのティファナで撮られたビデオ映像を流すだけの作品で、本人は二回準備のために来日したことはしたが、会期中には一度も姿を現さなかった。その時に、野毛にあるブリーズベイ・ホテルのバーで一緒に酒を飲みながら彼と話をしたことがある。

 京近美のパーティで、ヴォディチコは着物姿の女性や女子大生に囲まれて記念撮影の中心だった。その隙を見て彼に話しかけた。「9年前、あなたと横浜で話をした。バッタの構想を話したら、あなたは愉快そうに笑って、『深夜映画で巨大なバッタの群がシカゴを襲う映画を見たことがある』と教えてくれた。その映画を探してみたらそれは、"The Beginning of the End"というタイトルだった。そして、バッタは大変な冒険だった。バッタが風で壊れて落ちた日に、家に帰ったら貿易センタービルが崩れるライブ映像を見た。"The Beginning of the End"というタイトルが頭の中で何回も点滅していた。そして、いったいアートに何ができるんだろうというようなことを考えた」というような話をした。ヴォディチコは疲れているような、怒っているような複雑な表情をしてぼくの話を聞いていた。その顔を見て、これ以上邪魔しちゃいけないのかなと思って、ぼくは退いた。再び沢山の女性たちが彼を取り囲み、彼の小柄な姿は人ごみの中に隠れていった。

 ところが、ヴォディチコはしばらくして自分からぼくのところに近づいてきて、「お前は今日時間があるか?」と聞いてきたのだ。「いや、今日の新幹線で横浜に帰る」と言うと、「私は夜ホテルで人と会う約束があるが、それまで時間はあるか?」と聞いてきたので「大丈夫」と答えて、美術館の近くの喫茶店まで雨の中を歩いたのである。一緒にいたのは、北仲スタッフだった児玉智美と、ポーランド美術の専門家で京都市立芸大准教授の加須屋明子の二人だった。岡崎の喫茶店で彼は、日本に来てたまっていた不満のようなものを一気にまくしたてた。

 昨日、ぼくは講演会で話をしたのに、パーティで誰もそのことに触れてくれない。去年やはり日本に呼ばれてやった「アーティスト・サミット」でも、ぼくは重要な提案をしたのに全然議論をしてくれない。だが、去年ぼくは『逃れの町』という「9.11」をテーマにした本を出版しているんだ。そこでは哲学者や社会学者や心理学者がぼくの提案した「戦争記念碑」のプロジェクトについてコメントをしてくれている。ぼくは、ブッシュ政権が終わって、これから本当に人類がこの血塗られた戦争と暴力の歴史について本当にきちんと議論すべきではないかと思っている。ぼくは3つの国籍のバスポートを持っている。戦争と暴力の歴史の中でぼくは生きてきたし、そのことに対してぼくたちは正面から向き合うべきではないかと思っている。ぼくがいまやっているのは、パリの凱旋門を人類全体の戦争記念碑にしようというプロジェクトなんだ。凱旋門をそれをくるむ大きな建築物の中に入れて、そこにさまざま国際機関が集まって、どうやったらこの血塗られた歴史を終わりにできるかということを議論する。このぼくの提案に関してフランス人は何人か興味を持ってくれたが、日本では誰も意見を言わないんだ。お前、どう思う? 

 日本でもこういうことができないだろうか? たとえば靖国神社はどうだ?

 こんな話をまくしたてた。「靖国?、それは絶対に無理だ」というようなことを言うと、「なぜだ? どこが違う。凱旋門だってナショナリストや右翼の象徴だし、困難は同じだ」、「お前が、ムキになって否定することで、靖国がとてもいい提案だということを確信した」。「しかし、あなたは本当にそれで人類の血塗られた歴史が終わると思うのか? ぼくはそれが人類の本性なのだから乗り越えることは無理だと思う」。「いや、そんなことはない。人類がこれほどまでに暴力的になったのは国家の誕生以降だからせいぜい数千年前のことだ。それ以前は我々はもっと平和に生きてきた」。「そうかな。クロマニヨン人の時代から、人は大量殺戮を繰り返してきたのではないか?」。「いや、そんなことはない」。というような議論をした。

 横浜に帰ってから、話ができて楽しかった、というメールを出した。するとすぐに返事が戻ってきて、「ぼくは28日の朝の便で帰る。金曜までは予定があるが、土曜日なら日帰りで東京に行くことができる。お前の都合はどうだ? 一緒に靖国に行かないか?」と言うので、ちょっと予定はあったがキャンセルできそうだったので、「大丈夫だ」と返信した。

 そして、3月27日の土曜日、ヴォディチコは新幹線に乗って東京にやってきた。それは快晴で桜が満開になっている日。そして偶然にも100万人近くの人が集まり、椿昇がメインとなっている「六本木アートナイト」が開催された日だった。(続く)

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