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2011.03.15

地震後の光景

 11日の午後2:30から四谷三丁目にある国際交流基金で打ち合わせすることになっていた。

 Wodiczkoの件が急ピッチで進んでいる。8月8日から10日までの三日間、横浜で国際シンポジウムを開くことが決まり、彼自身は8月4日から12日まで来日することになっている。それに合わせて小規模な展示や路上パフォーマンスの計画も持ち上がり、文化庁や国際交流基金などいろいろな関係部局に支援をお願いしている。相当エキサイティングなプロジェクトになりそうだ。

 11日は、横浜トリエンナーレ2011の記者発表の日でもある。午前11:00から横浜美術館で開かれた記者会見に出席をし、そのまま東京に移動した。四谷三丁目交差点近くの交流基金は移転後初めて訪れたが、9F建ての古いビルだった。そこの応接コーナーで打ち合わせをした。そのプレゼン中に地震。中断し、ヘルメットをつけ、窓の外を眺め、構内放送と悲鳴が鳴り響き、一旦やむと話の続きをし、強い余震でまた机の下に潜り、終わるとまたその説明を続けた。言うまでもなく横揺れはこれまで体験したことのない激しさで、これは大変なことだとは思ったが、不思議に揺れが止むと話の続きを続けていた。多分心のバランスをとるためにかえって集中できたのだと思う。

 打ち合わせは3:30頃に終わり、外に出た。元々、六本木ヒルズで開かれているメディア芸術全体会議というのに顔を出すことなっていたので、連絡をしてみたら、会議は中止になったと言う。早めに京都から来ていた吉岡洋や島本浣、企画者の四方幸子さんらが、エレベータ停止で49階に閉じ込められているらしい。となると、行かなくてもいいのだが、どうやら地下鉄も山手線も動いていないらしいし、六本木は南方向なのでとりあえず歩いて行こうということになったのだ。

 歩いている途中、非常持出袋やヘルメットを被って既に歩き始めている帰宅難民たちの群に出会った。最初は、電車も1,2時間で動き始めるだろうし、ヒルズから脱出したメンバーと飲んでいようかとのんびりとしたことを考えていたのだが、どうもそんな事態ではないらしいことが分かってきた。

 六本木では多くの店やカフェが閉店していた。空いている店には長蛇の列。歩道を歩く人の群と、道路の大渋滞で混乱していた。そこで、諦めて渋谷方面へまた歩いた。ターミナルに行けば代替バスとかタクシーとかあるだろうと考えたのだが、それが甘い考えだったことはすぐに判明する。パスは何時間も並んでたとえ乗れたところで道が大渋滞で動けない。タクシーは絶対につかまらない。結局は歩くか都内で夜を過ごすしかないのである。幸い、渋谷は終夜営業の店がたくさんあってそれらの半分ほどは開店している。

 みんな考えることは同じで渋谷駅には物凄い人が集まっていた。ホームは電気が消されていて全く動く気配がないし、バス乗り場には長蛇の列とうろたえてどんどんと集まってくる群衆とで溢れかえっている。逆に言えば、あの状態でパニックにならなかったことが不思議だが、歩道も歩道橋もまるで花火の日のように混み合っていた。この選択は間違いだったことに気づいたが、既にどうしようもない。7:30頃で、まだ国道246を渡った向こう側は人混みが少なく、居酒屋やレストランのネオンもついていたのでそちらへ移動。雑居ビルの中にある焼肉安安があったので、入ってビールと焼肉で腹ごしらえをする。こういう時の焼肉はすごくよく効く。

 そこからはひたすら歩いた。代官山を抜け、中目黒から駒沢通りを南下。途中で道を間違えて遠回りになったけど目黒通りの方に向かい自由が丘まで歩く。雨が振りそうだった空も晴れ上がり、三日月がきれいだった。さすがにこれだけ歩くと寒さも感じない。足腰が少し痛くなってきたがどうということはなかった。幹線道路は帰宅難民の群で溢れていたがあとは住宅地を通る。途中で自転車を盗みたくなる誘惑に駆られた。

 四谷から六本木まで3.6km、六本木から渋谷まで3km。群衆の中を歩いた。渋谷から自由が丘まで7km、しかし家まではまだ6,7kmある。疲れたなと思ったら踏切から警報音が聞こえてきた。電車が動き始めたらしい。自由が丘駅で東横線に乗る。たいして混んでいなかった。11:00前後から動き始めたらしい。綱島に無事到着。そこから家まで最後の2.5kmは短く感じられた。深夜0:30に帰宅。そこで初めてTVを見て津波のことを知って驚いた。これほどまでの被害は見たことのない、まさしく未曽有の天災としか言いようがない。波に飲み込まれた町や田畑、波にさらわれた、おそらくは一万人を超える数の死者たち。一挙に何十万にも殺した核兵器と比べてみてもあれだけの広い範囲を破壊した自然エネルギーの凄さは比較にならない。北茨城から仙台までの海岸線の風景はよく見慣れているだけに、あそこで起こった悪夢のような大惨事に衝撃を受けた。

 この間に、次の日の後期入試の中止、週末イベントの中止などの知らせがメールで入ってくる。土日は比較的穏やかに過ごしたが、月曜になると東京電力の計画停電発表でまたしても異常事態になっていた。電車が止まり、道路は大渋滞。何よりもパニックになった人々がスーパーやホームセンター、ガソリンスタンドに殺到し、スーパーの棚は空っぽ、ガソリンスタンドには長蛇の列が続き、大渋滞を引き起こした。電車もないし、バスも渋滞で全く動かないという状態で新しい週を迎えたのだ。食料も、ガソリンも少なくとも数日は全く手に入らなくなり、こうしてぼくたちは、地震それ自体によってはほとんど被害を受けていないにもかかわらず、備蓄に頼る避難民生活を余儀なくされるようになっている。北仲スクールも森ビルから耐震基準に達していない建物の使用停止という決定を受け、22日まで一週間の閉鎖を余儀なくされ、イベントも展覧会も中止になった。

 大学も後期入試の延期を取り消して、センター入試による書類選考に変更すると発表した。停電して電車や信号が止まるのではないかという不安と、食料が足りなくなるのではないかという不安が人々を神経症にしている。原発事故による放射能の拡散に対する不安もあり、まるでオイルショックの時みたいなトイレットペーパーやティッシュ、ラーメンなどの保存食の買い占めにみんな走っている。乾電池もコメも、カップラーメンもどこにもない。こんな物資不足になるとは思いもよらなかった。

 さすがに計画停電は部分的にしか実施されていないけれども、これが二ヶ月も続いたら大変なことになる。まともに出勤も通学もできず、トイレもエレベータもない生活は、人々の活力を低下させるだけだ。こんな時こそ、イベントや展覧会やライブが必要なのではないかと思うのに、テレビも似たような被災者番組しか流さない。役所関連の年度内イベントはすべて中止になっている。これもどうなのかと思う。

 最後に、自宅は全く物が落ちたりしないで無事なのだが、何重にも本が重ねて置いてあった大学の研究室はかなり悲惨な状態になっていた。機械類は全く壊れていないし、片付けて元通りにはしたのだけど。

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