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2011年5月

2011.05.31

Krzysztof Wodiczkoのこと(4)パリでの邂逅

  たまたま5月23,24,25日にポーランドのクラコフで開かれる美学関係の国際学会に招かれており、調べると直行便はなくヘルシンキか、フランクフルトか、パリ経由便しかないので、2006年に長期でヨーロッパに滞在してから、あれからもう5年も経ったのだなあということでパリ経由にした。1泊だと余りにせわしないので2泊の予定。結局会いたかったソルボンヌのFrançoit Jostには(彼が多忙すぎて)会えなかったのだが、出発前に、ちょうど二日目がWodiczkoのパリでの個展のオープニングだと気がついた。

 4月の29日にスカイプでのグループビデオ会議で、彼の背後に巨大な凱旋門の模型が置かれていて、フランスで個展をやることは知っていたのだが、偶然にパリに行く日がその展覧会のオープニングだとは全く気づいていなかった。彼に連絡を入れたが、すでにパリ入りしている彼からの返事がない。まあ、行けば何とかなるだろうと腹をくくった。

 5年ぶりのパリは相変わらずだった。北駅の辺りは以前よりも落ち着いた感じがしたが、日本よりも蒸し暑く、観光客で溢れている。相変わらず物価は高い。まずは、初めて凱旋門の上に昇ってみた。入場料が高いと思って初めてパリに滞在した1974年から今まで一度も登ったことがない。で、並んで昇ってみた。内部の展示は期待はずれではあったが、さすがに上からの眺めは素晴らしい。ここからまっすぐコンコルド広場とテュイルリー公園のカルーセル凱旋門までつながるシャンゼリゼ大通りが第一次大戦の凱旋や軍事パレードなどが行われた場所だ。そしてそこからずっと歩いてボーブールまで。近いようで一時間以上はかかる。工事中のフォーラム・デ・ザール(全くこれまでと違った建物になるらしい)を通りぬけ、ポンピドー・センターから市役所裏のタンプル通り付近。フリー・カフェといったゲイの聖地のような混雑した場所のある地区に、彼の個展をやっているギャルリー・ガブリエル・モーブリがあった。

 ウェブには2:00から7:00までと書いてあったので、2:00過ぎに行ったのだが、建物の入り口のドアが固く閉められている。ボタンキーを色々いじってみたが使い方が分からない。途中で落ちあって道案内をしてくれた京大の院生でパリ大学に留学している大久保美紀さんが画廊に電話をかけて聞いてくれたが、よく分からない。折角来たのに入れないのではと心配していると、人混みの中から突然ヴォディチコがにこにこしながら現れて、「今、画廊には入らないほうがいい。オーナーがクレージーになっているから」と声をかけてくる。よく分からないままにハグをして会えたのを喜んでいると、「これから3:00にフランスの文化大臣夫妻が来るので、それが終わった5:00くらいにもう一度来てくれないか? 6:00から8:00までオープニング・パーティのようなものがあるので、でなければ8:00過ぎでもいい。近くの角に“Les philosophes”(哲学者たち)というカフェがあるので、今もそこでお茶を飲んできたところだ」と言う。「分かった。じゃ5:00に戻ってくる。オーナーがクレージーとはどういうことなの? 何かトラブルが起こっているの?」と聞くと、「いや、彼女はアウシュビッツの孤児で、今でも戦争中だと思っているような人だから興奮しまくっているだけだ」というような答。小冊子を取り出して、「これは特別にこの展覧会のために作った、長いバージョンのマニフェストだ。これをお前に上げたことは彼女には内緒にしておくように」と渡してくれた。

 それからペール・ラシェーズのホテルまで歩き、ちょっと一息ついてから今度はメトロで同じ画廊に戻った。今度は門があいており、画廊に入ると60代の小柄なおばさんとスーツを着た男の人が居る。「クシシュトフと約束がある」と言うと、「日本人でしょ? さっきあなたに会うと言って外に出たわよ」と言われる。結局、"Les Philosophes」で話すことができた。ボストンから助手として連れてきたという長身の青年ブランコと一緒だ。パリには28日まで居て、ナントにも立ち寄ると言う。ナントには確かポンピドーセンターの別館が作られているはずだ。「6:00からは画廊に戻らなくてはいけない。来た人の相手をしなくてはならないからまた8:00頃に話そう」と言って、二人で画廊に戻るが、余り観客が集まっていない。結局、二人で立ち話を続けた。
Kw

 展覧会は二間ある奥の部屋にろうそくの炎がゆらめいている映像にぼそぼそと呟くホームレスの声が入る「War Veteran Flame」が壁に大きく上映されており、手前のメインの展示室に、スカイプ会議の時に見た凱旋門の模型が置かれ、壁には4枚ずつCGのパネルがかけられている。オープニングなのにパラパラとしか客が来ない。画廊主のガブリエルがやってきて、「これをあなたに上げる」とさっきと同じ小冊子を持ってきた。断れないので、ヴォディチコの顔を見るとウィンクをしてくるので、ありがたくもらった。彼女の母親はアウシュビッツで殺され、父親も終戦の直前にレジスタンスとして殺害されたと言う。本当の戦争孤児だ。「私は広島の時にも日本に行ったのよ。あなたたちのが夏なら私はまた行きたいわ」と言ってくれたのだが、ヴォディチコがごまかそうとしてるので、適当にこちらもごまかした。それでも7:00前になると話しかけてくる客も出てきたので「8時に戻ってくる」と言って一旦外に出た。5月末のパリではまだまだ太陽が明るい。

 戻ると画廊はほとんど閉まりかけていた。ガブリエルを無視して、一緒に外に出る。古い友だちのようなポーランド人の男女が5,6人ついてきた。店で、彼がL'evenment de Jeudiというどちらかと言えばリベラル系の新聞をみているので、「何か展覧会についての記事でも載っているのか」と聞くと、不機嫌そうに「いや、そうではない。正直言ってフランスの知識人が何を考えてるのか分からない。彼はほとんどこの展覧会に関心を持っていないようだ」と言う。確かに、文化大臣は来ても取材はほとんどなかったらしい。「フランス人には文化はないんだ。彼らにあるのは文化の文化だけで、世の中に本当に新しいものなんてないんだと思い込んでいる」と毒づく。ヴォディチコはパリの美術学校(ボーザール)で3年間教えてたこともあるし、フランス語もできるのだが、今日のオープニングの反響のなさには本人も少しショックを受けているらしい。確かに政治的に難しい展覧会ではあるが、たとえばグラン・パレでこの時に開催されているアニッシュ・カプーアの展覧会に長蛇の列が出来ている状況を考えると、これほどまでにメディアが来ないのは異常とも言える状況である。まあ、しかしそのせいで、ぼくは彼をほとんど独占できたわけだし、横浜のプロジェクトに関して彼と長い間議論をすることができた。

 一番印象に残ったのは、ユダヤ人問題である。彼の母親はユダヤ人だったが、宗教的と言うよりも知的な家庭で、彼自身もシナゴーグに通ったりしたことはない。自分がユダヤ人だとあまり意識して来なかったが、40万人いたユダヤ人が5万人しか生き残れなかったポーランドで育って、最近になってユダヤ的とはどのようなことであるかをよく考えると言う。ユダヤ人であることと、ユダヤ的であることとは全く違うことで、彼にとってのユダヤ的なるものの本質は「responsibility」なのだと言う。それを聞いて、ぼくが「そう言えば、昭和天皇のとても面白いエピソードがある。彼が外人記者に“あなたは、ご自身の戦争責任をどう考えるか?”と聞かれた時に、彼は“そういう「文学的」なことは私にはよく分かりません”と答えたのだ。彼は自分のことを人間ではなく神だと思っていたから、人間的な自己責任という概念を理解できなかったのだ」というようなことを言うと、とても面白がって、ポーランド人たちに通訳していたのが印象的だ。そして、真面目な顔をして、「responsibilityとは、その語源からして“私はきちんと答えます”という意味だ。何に対してもきちんと答える責任があるというのがユダヤ的ということだと思う」と言い、「エマニュエル・レヴィナスという思想家が他の思想家と異なっているのは、彼は“自己責任”ということではなく、“「他者」のresponsibilityのresponsibility”ということにこだわったただ一人の哲学者ということだと思う」と言う。また、広島のプロジェクトの時に、「自分はユダヤ人だから、できるだけ素早く行動するようにしている。ゆっくりしていると殺されるから」と言ったら、在日韓国人の組織のリーダーがすぐに彼のことを信用してくれ協力してくれた。彼らはぼくが彼らと同じ宿命を持っていると理解してくれたからだ、というようなことを言った。今回の凱旋門プロジェクトやWarVeteranVehicleについても、この「きちんと答えなくてはならない=応答可能性=責任」というようなことから彼が動いていることがよく分かった。具体的なことをだいぶ詰めることができて、パリでの会談は実りあるものとなった。

 ぼくはそれから、ワルシャワ経由でクラコフに移動した。クラコフでは、日本から9人が招待されており、ポーランド美学会の主催する「ポーランド/日本美学会議」なるものが開かれていた。5年ぶりに訪れるクラコフの観光地のど真ん中、フロリンスカ通りに面している大学の豪華なゲストハウスで古い仲間たちと楽しく過ごした。ポーランドの人たちはみんな親切だったが、彼らの日本好き、日本美学好きには少し違和感があったし、大学の体制やテレビ番組などから垣間見られるポーランド社会の現状にも多少の疑問を感じた。23,24と会議を続けて、25日は日本からの参加者だけで近くの塩鉱山に遠足。ぼくはそのままフランクフルト経由で帰国した。

 帰国してから、ヴォディチコに指示された人たちとの連絡を取り、今週末に行く東北ツアーの打ち合わせ、プロジェクターのリハーサル、場所探しなどさまざまな仕事に忙殺されている。企画書もつくり直す必要がある。しかし、協力してくれる人の数も増えてきているし、どんどんと色々な人のパワーが結集されつつある。ワークショップに参加している学生たちもプロジェクトのホームページやツイッター・アカウントを作って活動してくれている。ウェブサイトはこちら。

http://artandwar2011.kitanaka-school.net/index.html

2011.05.01

togetter:横浜国立大学、(旧マルチ)人間文化課程のことについて

 twitter上でのyamasawa8911君とのやり取りがここにまとめられている。編集が不正確だし、関係者の誰にも了承を取らずにアップしたりするのはマナーに欠けるとは思うが、ともかく既にアップされてしまい来訪者数も400を超えているので、ここでコメントしてみたいと思う。なぜなら、元々は「人間文化基礎論IA」という今年から新設された横浜国立大学教育人間科学部人間文化課程の授業における、新一年生からの一連のリアクションにぼくが腹を立てていくつかtwitter上に書いたことがきっかけになっているからで、この授業に現在関わっている一年生諸君や、かつてこの授業の前身の授業「メディア基礎論」に関わった旧マルチメディア文化課程(マルチ)の過年度生たちも関わっていることだからである。たまたまyamasawa君の勇み足でこうなってしまったが、こうなったらこうなったで、どうせならできるだけ多くの学生諸君に読んでもらって、考えてもらいたいと思っている。次回の授業は5月11日だ。

 この授業は98年にマルチが最初の学生を受け入れた時から、3名の教員が新入生と正面から向かい合うという形式で始まった。初期にはぼくと梅本洋一と大里俊晴。梅本さんが腹を立てて5月の授業途中で帰ってしまい二度と戻ってこないという事件があってから、基本的にはぼくと大里君、榑沼範久君の3人で続けてきた。その後、榑沼君が(疲れて)抜け、清田友則君が代わりに入り、大里君が亡くなってから平倉圭君、そして今年は見習いで中川克志君にも入ってもらっている。ぼくも2001年に学生に腹を立てて授業を途中で打ち切ったことがある。こんなことをしているのは、学生たちがどうせ「授業」だし、教員たちも単に「システム」に従っているだけだろうと観客席におさまりかえっているのが耐えられなかったからだ。これはブートキャンプのようなつもりでやっているので、学生ばかりではなく教員側にも物凄いコストとリスクがかかっている授業なのだが、十年以上続けてきて、それだけの価値がある授業形式だと思っていて、「おっさんたちの雑談を聞かされるだけで苦痛だ」という学生たちと本気で闘いながら今年もまた続けている。

 旧マルチを作った時に、少なくともぼくは大学を辞める覚悟で自分の時間のほとんどを犠牲にした。だから、ぼくはマルチを愛していたし、それがやる気のない「普通の」学生たちで占められるのはたまらなかった。初期の学生たちは多少はそれに応えようという気風を持っていて、ほとんど既存の学内サークルには入らず、大学祭にもマルチ単位で参加したり、後には学祭に反発して独自の「マルチメディア文化祭」を開催したりしてくれたが、だんだんと惰性に流され風化していった。一部の学生は今でもまだ「マルチ」にこだわってくれているが、大多数は「そういうのウザい」と口にするようになって、最近はもう終りにする潮時かなと思っていたところ、さまざまな学内事情で学部の教員養成系を除いた文系だけが統合され、この新「人間文化課程」ができたのである。これまでの学生定員90名から150名に一気に定員数が増えたところに、震災による後期入試中止のせいで想定外の190名を超える一年生が入学してきた。

 彼、yamasawa君は、アカウントから察するに89年生まれのマルチの学生で、愛すべきところはあるが、根本的に大人や社会の既存のシステムに甘えており、思慮が浅いのに反射的かつ無責任に反応してしまうという欠点をもつ、まあ言わば普通の思春期後期の学生である。彼がぼくに対して基本的には好意をもっていてくれているのは分かっているのだが、最初にぼくが彼に腹を立てた発言は以下のものだった。

>てか室井先生って大学から金もらってるくせに日本の大学は終わってるとか言ってんだよなウケる。
>大学の外から言えば説得力あるけど、そしたらたぶんぼくとは出会わなかったんだろうなあ。そう考えると微妙だ。

 この発言には@がついていない。だから彼は「空中にリプされた」(意味不明)と言っているのだが、それくらいの調べはすぐつく(笑)。ぼくがフォローしていないからと言って学生諸君はけっして安心してはいけない(笑)。

 この言い方や、その次に彼が書いてくる、

>本当は違うのかもしれないですが、でかいバッタを作ったりその他内輪ネタっぽいアート
>的行動全てに授業料なり税金なりが使われてるように見えたりしますよ。
>それあっての「金もらってるくせにウケる」でしたね。

 も同工異曲で、こういう言い方は絶対に見逃さないし、許さない。ぼくが彼に文句をつけているのはその点にほかならないし、逆に言えば一貫してその点だけである。とても失礼である。

 なぜならぼくが「大学から金もらっている」とか、ぼくがやっていることに「授業料なり税金が使われている」というような言い方が含意している当てこすりは、意味が無いばかりではなく無知と無自覚な邪悪さをさらけ出しているからだ。これらの言い方には「金をもらったら批判する権利がない」とか「金を払っている人に還元されない内輪っぽい行動に、(ぼくたちが払っている)授業料や税金が好き勝手に使われている」というようないじけているばかりではなく、自分をクレームをつける権利を留保している良心的市民になぞらえるいやーな姿勢が含まれている。ちなみにバッタ("The Insect World")はけっして「内輪受け」ではないし、事実としてぼく自身も驚くような大きな社会的な反響をもたらしている。『巨大バッタの奇跡』(アートン新社)というドキュメント本も出しているので、これを読んでもまだそう思うのなら批判してもいいが、上記のような、よく知りもしないただの当てこすりや嫌味は一緒に命がけで戦った人たちのことを考えてもけっして許せない。そう言えば先週末に3,4年ぶりに学内公演をした劇団唐ゼミ☆の新歓にも一年生たちはあまり来なかった。一度も見もしない、知りもしないで、馬鹿にしたり決めつけたりする学生にはいつも腹がたつ。北仲スクールにしても、100人以上来る授業の後にも2Fのサロンに降りてきてコミュニケーションしようとする学生はとても少ない。北仲はけっして大学ではできない様々なことを実現してきたし、今も実現している。なぜあれをやっているのかということを理解しようとすらしないで冷笑している学生たちにも本当に腹がたつ。反面、理解者もどんどん増えてきてはいるのだけれど。

 ぼくが大学から貰っている給料や研究費は、文科省の大学運営交付金からシステムに従って配分されている。これは大学に着任した時の契約に基づいている。けっして「個別な組織としての大学から金を貰っている」のではない。その時にぼくは大学教員として自由な研究と高度な教育と教授会を中心とする大学運営の三つの業務を引き受けている。これは事務職員とは違い、自由な個人もしくは自分の良心にしたがう研究者としての契約である。2004年の国立大学の独法化に伴い、大学執行部の権限が強化され、教授会の権限が制限された(そのことに抗議して退職した教員たちも全国で沢山いた)が、少なくともぼくは今でも就任時の契約が有効であると思っている。また学長は教職員の選挙で決まるので最低限の「大学の自治」は担保されている。だから大学にいる限り、金もらおうがもらうまいが、自分は自由な人間として行動するし執行部も批判する。それが違うというならすぐに退職する。しかも、国立大学の給与は大企業や私立大学と比べるととても安い上に、このところの公務員批判のあおりを食って毎年減額が行われ定期昇給を入れてもほとんど増えていない。これほど働いているのに割に合わない。もちろんこんなのは比較の問題だから、大量の非正規雇用者や派遣社員、フリーターと比べれば恵まれているとは言える。だけど、長年にわたってそれなりのコストはかけているし、それなりの実績も積み重ねていると自負している。立ち腐れつつある大学を立て直すことができるのは、大学の中にいる人間たち以外にありえないではないか?!

 そもそも税金だろうが、私企業の収益だろうが、いったんそれらが集められ、再配分される時には全く別なシステムが介在して働く。税金が国家という暴力装置が国民から収奪する財であることは確かだが、私企業が消費者から収奪する財の方がより正しい収益であるなどということはない。マイクロソフトを初めとするIT企業や、最近の例で言えばJALや東電によるぼったくりによる収益の方がより犯罪的であり、より悪質な収奪であるとも言える。そこから国家がさらに掠め取る分が税である。山賊と山賊の棟梁のようなものだ。民間が善で国家が悪などというのは新自由主義経済学の広めたデマにすぎない(そういえばyamasawa君も竹中平蔵をRTしてたっけ?)。そもそも、元をたどればすべての財は自然から人間が勝手に収奪してくる「不正な富」にほかならない。ぼくは、自分のやりたいことをやるために税金や企業の寄付金が元になっている行政組織や財団からお金を「自分の力で取ってきている」のであり、そのためには企画書づくりから、面倒な予算書や何十ページにもわたる申請書を自分の時間を何十時間も割いて、何倍か何十倍かの「競争」に勝って助成金を獲得しているのであり(負けることも沢山ある)、何も知らない奴から「税金にたかっている」みたいな言われ方をする覚えはない。だから、「ふざけるな」ということになる。

 多分こういうことを言っても、yamasawa君は「ああ、そうでしたか。すみませんね。でも若い世代にはそんなことは分からなくて当然ですから、そちらにも説明責任があるんじゃないですか」というようなリアクションをしてくるだろう。こういうところも、彼のとてもよくない点である。とにかく「説明責任」とか「コストパフォーマンス」とか「経済原理」とか中途半端な概念を中途半端に使い、自分の責任だけは回避する。甘ったれているとしか言いようがない。それなら、ぼくや相手をしてくれた大人たちのかけたコストについてどう思うのかと問いたいが、まあそれはどうでもいい。コストとかのことをぼくは一切考えたくないからね。ただ、北仲に来るための数百円の「コスト」のことまで持ち出されるとムッとする。金がなければ歩いてくればいいじゃないか。貧乏なのは仕方ないが、貧乏たらしいことを口にするのは本人の問題である。結局彼は、メディアやネットで流通している断片的な知識を適当につぎはぎしているだけなのでこういうことになるのだろう。とても浅薄に見えてしまう。

 そこで、次のように書いたわけだ。意味は、ネットをやめるか、せめて一日数時間に限定して、じっくりと物を考えたり、集中して本を読んだりする習慣を付けた方がいいよ、ということである。ぼくに面会しにくる時間がないと言うが、連休中とは言えtwitterだけ見ていてもネットに繋げすぎで、完全にネット依存症だ。これではまともな知的営為ができるはずがない。勿論彼は試しに助言に従ってみるつもりは全くないようだ。

>さっきのようなタイプの学生への有効な助言は「ともかくネットにつなぐのヤメなさい」に尽きる。
>話はそこからだ。本当に滅びるぞ。それができればちゃんと相手をしよう。
>しかし仮想空間に逃避すらせず、ダンスサークルやテニサーに埋没するタイプにその薬は効かない。
>逃げ道を断つしかないが沢山ある。

 ここからが、彼が一番こだわっている(その程度の知識で、本気か?)ように思えるネット論に関わる話である。彼はどうしてもネットで議論したいらしく、ぼくと会うことを極度に避けようとしている。実際はまあ、怖いだけだと思うけどね。大丈夫。退学になんてしない(し、またできるわけない)から(笑)。ただね、ここまで読んでみれば分かるように、きちんと文字で会話をするためにはたいていこれくらいの分量と労力は必要なので、twitterの限られた文字数で「議論ができる」と思っていることの方がきわめて異常なことなのだ。その点でもネット依存から離れることを勧めたいと思う。

>ぼくは大切なのは"論"であって顔晒すとか自己同一性とかどうでもいいと思ってるんだけどね。
>重要なのはその論に対して論破できるものがあるか否か。TL汚して本当にすみませんでした。

>先生が知っている「ネット」というのと、SNSで作られた新しい空間には違いがあるのでは、ということです。
>違わないのならその根拠となる文章が読みたいですね。

 SNS(Social Network Service)とはまた古い話を持ち出したなというのが実感である。もちろん、何の違いもない。ネットはいつの時代でも現実のコミュニケーションではできないことを補完することはできても、けっして現実のコミュニケーションに追いついたり、完全にカバーできたりすることはないし、未来においてもそうだろう。ぼくが昔書いた『情報宇宙論』(岩波書店)や『電脳交響主義』(NTT出版)を読めばいい。80年代からネットを自由な「アゴラ」と考え、夢を賭ける人たちはいた。そして、それはすべて幻想だったことが10年ほど前になるとはっきりした。ちょうど西垣通が東大の「情報学環」を立ち上げた頃で、人々がインターネットを相対化し始めるようになった頃だった。

 ネットでの論争とか議論は、ごく一部を除いていつも不毛である。それは、文字だけが残るために細部の表現に対する当てこすりや恣意的な誤読や悪意の無限連鎖に引き込まれる傾向をとても強く持っているからだ。また、現実なら、話をしてみて「こいつ馬鹿だな」とか「適当に話を打ち切ろう」ということができるが、ネットではしつこく言い募る方が「勝ち」を宣言できるのでたちが悪い。以前タバコの話の時の嫌煙者や山形☆浩生にしても、こっちがこんな下劣な奴らと話は続けたくないと相手するのをやめて議論を打ち切ったら、勝手に「逃走した」とかネットでしつこく言われまくった。だから、「トラップをかけた方が勝利する」仕組みなのだよね。まあ、こんなのも見る人が見ればどっちが正しいかはすぐに分かるのだけど、分からない人たちにはいつまでも分からないようだ。だから、顔を知らない人と議論なんてしない方がいい。もちろん顔を知っていても議論したくない人もたくさんいるけど。世の中には話が通じない人や本当に品性が卑しい人は沢山いる。そんな人たちと関わり合いにならないためにもネットで議論をしかけたり、受けたりしてはいけない。本当に重要なことなら会って話すか、せめて電話で直接話すべきだ。だから、まあskypeは代用にならないこともない。

 歴史を見れば80年代の草の根のパソコン通信時代にBBS, Mail, Chatという基本サービスが始まり、95年頃からWebを中心とした現在のインターネットの形態が定着した。このころぼくはフリーソフトウェア運動と関わり、地域BBSによるネットコミュニティ作りの手伝いをしていた。その後、日記を統合する八谷和彦の「メガ日記」やメールのコミュニケーションをデザインした「ポストペット」、クリエーターだけを会員にした「タイガーマウンテン」BBS、ヴァーチャル・ワールドを作ろうとした「World Chat」や「ハイパーメディアクリエーター」高城剛が始めた「フランキーオンライン」、松岡正剛の「イシス」など数多くのネットコミュニティ作りの試みがあったが、結局はWebだけになってしまった(濱野智史の『アーキテクチャの生態系』はこの辺りのことを全く知らないらしく議論の前提が間違っており、単に2ch.とニコ動を自慢したいだけの無内容な本としか言いようがない)。その後2003年ころにRSSを用いたblogが始まり(このころNTTのGooの設計思想に研究会で関わったりもした)、次に2005年頃からSNSブーム。当初はGreeのようなセレブと業界人たちのプレミアム・サービスだったのが、大衆化されたmixiのような匿名許容のサービスになってしまった。ただ、韓国のCyworldやMySpace、Facebookのような個人ページを中心とし、現実の人間関係の拡張につながるようなシステムから、当初は有名人やジャーナリストがリアルタイムで情報を発信する速報メディアとして始まったtwitterのように、匿名の大衆が無数の呟きを発信する「呟きの海」のようなメディアに変質していく流れにはかなり日本の特殊性が見られるように思う。結局は、それは2ch.やニコ動のような匿名による会話空間に接合されていることによって無責任なゴシップ雑誌のようなダメな方向に流されているように思われるのだ。

 端的に言って、匿名による個人批判や告発は常に「卑怯」である。トイレの差別落書きと同じく、自分が安全な位置に居て他人を攻撃したり中傷したりするのは人としてやってはいけない行為だ。yamasawa君は「匿名だから企業の内部告発とかできるんでしょ?」と書いていたが、あれだって「卑怯」で人としてやってはいけないことに変りない。ソフトの不法コピーに対して「密告」システムが作られているが、「内部告発」って卑劣な「密告」であることに変りない。自分のリスクを賭けて告発すべきなので、まるで内部告発が社会正義のように言い繕う社会の方が間違っているのである。その点で「尖閣ビデオ」を流出させた職員は辞職したし名乗りでたのでまだしも筋が通っている。もっともあれを有罪にできない社会はおかしいと思うけどね。というわけで「弱者」や「被害者」や「学生」だから、「匿名」で社会批判していいということにはけっしてならない。なぜ、もっと誇りをもって生きられないのかと思う。いつでも顔を晒して話すべきなのだ。余りに耐え難い状況に置かれて、口を開けなくなっているのでなければね。アウシュヴィッツのユダヤ人や奴隷はけっして話すことすら許されていなかったのだから。

 ただ、yamasawa君が「しがらみや、利益や、立場に縛られない自由な言説空間」を求めるのは正しい。ぼくたちもそういう古代ギリシャの広場のような空間(アゴラ)や、すべてを話すこと(パレーシア)について、ちょうど今ヴォディチコと一緒に考えているところだ(ミシェル・フーコーの『真理とディスクール:パレーシア講義』筑摩書房は読むべきだ)。

 けれどもそうした自由な言説空間はけっしてネットではないし、ましてやtwitterでもない。そんな安易なものではありえない。また、そうした空間は環境としてあらかじめ誰かによって用意されるものではなくて、自分自身を危険に晒しながら血を流して創りだしていくものでしかありえないと思う。パレーシアはつねにリスクの中に身を晒しながら自分の考えを話すことなのである。まあ、もはやyamasawa君や彼と会話を交わしているマルチの上級生たちのツイートは、下らないシモネタや情けないぼやきも含めて、ぼくに全部モニタリングされているからね。ある意味君たちはツイッターを続ける限り顔は晒さなくても、中身を晒されているとも言えるけど(笑)。

 というわけで、これだけ長い文章をぼくに書かせたのだから、yamasawa君は勝ったのだと言うこともできる。だから論争はもういいから、一度研究室でも北仲にでも挨拶に来なさい。来たことないのなら北仲に来ることを勧める(笑)。

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