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2011.05.31

Krzysztof Wodiczkoのこと(4)パリでの邂逅

  たまたま5月23,24,25日にポーランドのクラコフで開かれる美学関係の国際学会に招かれており、調べると直行便はなくヘルシンキか、フランクフルトか、パリ経由便しかないので、2006年に長期でヨーロッパに滞在してから、あれからもう5年も経ったのだなあということでパリ経由にした。1泊だと余りにせわしないので2泊の予定。結局会いたかったソルボンヌのFrançoit Jostには(彼が多忙すぎて)会えなかったのだが、出発前に、ちょうど二日目がWodiczkoのパリでの個展のオープニングだと気がついた。

 4月の29日にスカイプでのグループビデオ会議で、彼の背後に巨大な凱旋門の模型が置かれていて、フランスで個展をやることは知っていたのだが、偶然にパリに行く日がその展覧会のオープニングだとは全く気づいていなかった。彼に連絡を入れたが、すでにパリ入りしている彼からの返事がない。まあ、行けば何とかなるだろうと腹をくくった。

 5年ぶりのパリは相変わらずだった。北駅の辺りは以前よりも落ち着いた感じがしたが、日本よりも蒸し暑く、観光客で溢れている。相変わらず物価は高い。まずは、初めて凱旋門の上に昇ってみた。入場料が高いと思って初めてパリに滞在した1974年から今まで一度も登ったことがない。で、並んで昇ってみた。内部の展示は期待はずれではあったが、さすがに上からの眺めは素晴らしい。ここからまっすぐコンコルド広場とテュイルリー公園のカルーセル凱旋門までつながるシャンゼリゼ大通りが第一次大戦の凱旋や軍事パレードなどが行われた場所だ。そしてそこからずっと歩いてボーブールまで。近いようで一時間以上はかかる。工事中のフォーラム・デ・ザール(全くこれまでと違った建物になるらしい)を通りぬけ、ポンピドー・センターから市役所裏のタンプル通り付近。フリー・カフェといったゲイの聖地のような混雑した場所のある地区に、彼の個展をやっているギャルリー・ガブリエル・モーブリがあった。

 ウェブには2:00から7:00までと書いてあったので、2:00過ぎに行ったのだが、建物の入り口のドアが固く閉められている。ボタンキーを色々いじってみたが使い方が分からない。途中で落ちあって道案内をしてくれた京大の院生でパリ大学に留学している大久保美紀さんが画廊に電話をかけて聞いてくれたが、よく分からない。折角来たのに入れないのではと心配していると、人混みの中から突然ヴォディチコがにこにこしながら現れて、「今、画廊には入らないほうがいい。オーナーがクレージーになっているから」と声をかけてくる。よく分からないままにハグをして会えたのを喜んでいると、「これから3:00にフランスの文化大臣夫妻が来るので、それが終わった5:00くらいにもう一度来てくれないか? 6:00から8:00までオープニング・パーティのようなものがあるので、でなければ8:00過ぎでもいい。近くの角に“Les philosophes”(哲学者たち)というカフェがあるので、今もそこでお茶を飲んできたところだ」と言う。「分かった。じゃ5:00に戻ってくる。オーナーがクレージーとはどういうことなの? 何かトラブルが起こっているの?」と聞くと、「いや、彼女はアウシュビッツの孤児で、今でも戦争中だと思っているような人だから興奮しまくっているだけだ」というような答。小冊子を取り出して、「これは特別にこの展覧会のために作った、長いバージョンのマニフェストだ。これをお前に上げたことは彼女には内緒にしておくように」と渡してくれた。

 それからペール・ラシェーズのホテルまで歩き、ちょっと一息ついてから今度はメトロで同じ画廊に戻った。今度は門があいており、画廊に入ると60代の小柄なおばさんとスーツを着た男の人が居る。「クシシュトフと約束がある」と言うと、「日本人でしょ? さっきあなたに会うと言って外に出たわよ」と言われる。結局、"Les Philosophes」で話すことができた。ボストンから助手として連れてきたという長身の青年ブランコと一緒だ。パリには28日まで居て、ナントにも立ち寄ると言う。ナントには確かポンピドーセンターの別館が作られているはずだ。「6:00からは画廊に戻らなくてはいけない。来た人の相手をしなくてはならないからまた8:00頃に話そう」と言って、二人で画廊に戻るが、余り観客が集まっていない。結局、二人で立ち話を続けた。
Kw

 展覧会は二間ある奥の部屋にろうそくの炎がゆらめいている映像にぼそぼそと呟くホームレスの声が入る「War Veteran Flame」が壁に大きく上映されており、手前のメインの展示室に、スカイプ会議の時に見た凱旋門の模型が置かれ、壁には4枚ずつCGのパネルがかけられている。オープニングなのにパラパラとしか客が来ない。画廊主のガブリエルがやってきて、「これをあなたに上げる」とさっきと同じ小冊子を持ってきた。断れないので、ヴォディチコの顔を見るとウィンクをしてくるので、ありがたくもらった。彼女の母親はアウシュビッツで殺され、父親も終戦の直前にレジスタンスとして殺害されたと言う。本当の戦争孤児だ。「私は広島の時にも日本に行ったのよ。あなたたちのが夏なら私はまた行きたいわ」と言ってくれたのだが、ヴォディチコがごまかそうとしてるので、適当にこちらもごまかした。それでも7:00前になると話しかけてくる客も出てきたので「8時に戻ってくる」と言って一旦外に出た。5月末のパリではまだまだ太陽が明るい。

 戻ると画廊はほとんど閉まりかけていた。ガブリエルを無視して、一緒に外に出る。古い友だちのようなポーランド人の男女が5,6人ついてきた。店で、彼がL'evenment de Jeudiというどちらかと言えばリベラル系の新聞をみているので、「何か展覧会についての記事でも載っているのか」と聞くと、不機嫌そうに「いや、そうではない。正直言ってフランスの知識人が何を考えてるのか分からない。彼はほとんどこの展覧会に関心を持っていないようだ」と言う。確かに、文化大臣は来ても取材はほとんどなかったらしい。「フランス人には文化はないんだ。彼らにあるのは文化の文化だけで、世の中に本当に新しいものなんてないんだと思い込んでいる」と毒づく。ヴォディチコはパリの美術学校(ボーザール)で3年間教えてたこともあるし、フランス語もできるのだが、今日のオープニングの反響のなさには本人も少しショックを受けているらしい。確かに政治的に難しい展覧会ではあるが、たとえばグラン・パレでこの時に開催されているアニッシュ・カプーアの展覧会に長蛇の列が出来ている状況を考えると、これほどまでにメディアが来ないのは異常とも言える状況である。まあ、しかしそのせいで、ぼくは彼をほとんど独占できたわけだし、横浜のプロジェクトに関して彼と長い間議論をすることができた。

 一番印象に残ったのは、ユダヤ人問題である。彼の母親はユダヤ人だったが、宗教的と言うよりも知的な家庭で、彼自身もシナゴーグに通ったりしたことはない。自分がユダヤ人だとあまり意識して来なかったが、40万人いたユダヤ人が5万人しか生き残れなかったポーランドで育って、最近になってユダヤ的とはどのようなことであるかをよく考えると言う。ユダヤ人であることと、ユダヤ的であることとは全く違うことで、彼にとってのユダヤ的なるものの本質は「responsibility」なのだと言う。それを聞いて、ぼくが「そう言えば、昭和天皇のとても面白いエピソードがある。彼が外人記者に“あなたは、ご自身の戦争責任をどう考えるか?”と聞かれた時に、彼は“そういう「文学的」なことは私にはよく分かりません”と答えたのだ。彼は自分のことを人間ではなく神だと思っていたから、人間的な自己責任という概念を理解できなかったのだ」というようなことを言うと、とても面白がって、ポーランド人たちに通訳していたのが印象的だ。そして、真面目な顔をして、「responsibilityとは、その語源からして“私はきちんと答えます”という意味だ。何に対してもきちんと答える責任があるというのがユダヤ的ということだと思う」と言い、「エマニュエル・レヴィナスという思想家が他の思想家と異なっているのは、彼は“自己責任”ということではなく、“「他者」のresponsibilityのresponsibility”ということにこだわったただ一人の哲学者ということだと思う」と言う。また、広島のプロジェクトの時に、「自分はユダヤ人だから、できるだけ素早く行動するようにしている。ゆっくりしていると殺されるから」と言ったら、在日韓国人の組織のリーダーがすぐに彼のことを信用してくれ協力してくれた。彼らはぼくが彼らと同じ宿命を持っていると理解してくれたからだ、というようなことを言った。今回の凱旋門プロジェクトやWarVeteranVehicleについても、この「きちんと答えなくてはならない=応答可能性=責任」というようなことから彼が動いていることがよく分かった。具体的なことをだいぶ詰めることができて、パリでの会談は実りあるものとなった。

 ぼくはそれから、ワルシャワ経由でクラコフに移動した。クラコフでは、日本から9人が招待されており、ポーランド美学会の主催する「ポーランド/日本美学会議」なるものが開かれていた。5年ぶりに訪れるクラコフの観光地のど真ん中、フロリンスカ通りに面している大学の豪華なゲストハウスで古い仲間たちと楽しく過ごした。ポーランドの人たちはみんな親切だったが、彼らの日本好き、日本美学好きには少し違和感があったし、大学の体制やテレビ番組などから垣間見られるポーランド社会の現状にも多少の疑問を感じた。23,24と会議を続けて、25日は日本からの参加者だけで近くの塩鉱山に遠足。ぼくはそのままフランクフルト経由で帰国した。

 帰国してから、ヴォディチコに指示された人たちとの連絡を取り、今週末に行く東北ツアーの打ち合わせ、プロジェクターのリハーサル、場所探しなどさまざまな仕事に忙殺されている。企画書もつくり直す必要がある。しかし、協力してくれる人の数も増えてきているし、どんどんと色々な人のパワーが結集されつつある。ワークショップに参加している学生たちもプロジェクトのホームページやツイッター・アカウントを作って活動してくれている。ウェブサイトはこちら。

http://artandwar2011.kitanaka-school.net/index.html

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