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2011.08.16

「アートと戦争」の日々

 ヴォディチコが8月1日に来日して以来、怒涛の日々が続いた。13日の午後、彼らを無事成田空港まで送り届けて、ようやく一年がかりで準備してきたこのイベントが終了。次の日は一日中眠っていた。

 何が起こったのか頭が混乱していてよく思い出せなくなっているので、一日ずつ日記風に整理して書いてみたい。

 8月1日は10:00過ぎに北仲に行き、準備でばたばたしている中、宮本裕子と一緒にぼくの車で成田空港第一ターミナル南ウィングへ。渋滞もなく予定よりも少し早めについたのでカフェテリアで昼ごはんを食べ、午後1:30位に到着する便を待つ。かなり後の方から出てきたヴォディチコ、エヴァ、助手のロバート、その友達のコリンを迎え、彼らが携帯電話のレンタルを希望したので北ウィングと南ウィングの連絡通路にあるカウンターへ。エヴァのiPhoneがAT&TでSIMカードがプロテクトされているとか、ヴォディチコのマスターカードがソフトバンクでは一人分しか受け付けられないとか色々面倒なことがあり、時間のロスがあったが、高速を一気に走り山下公園沿いにある彼らのホテルへ。そのまま、チェックインする彼らを待ち、一時間ほど山下公園で宮本と時間を潰し、全員が待つ大学へ。これまた渋滞で遅れ、7:30頃到着。プロジェクションのテストと、歓迎のバーベキューパーティ。ジープを用意してくれた㈱ドリームの則行さんも顔を出してくれていたが、グリッドボードのような平面スピーカーに合わせて、プロジェクターボックスにもグリッドボードをつけたいというヴォディチコの要求に応えることになる。投影フォントの変更や、ヴォリュームのコントロールなど様々な指示をしたヴォディチコをホテルに送り出して、中野に家まで送ってもらう。学生チームも息が合ってきている。

 2日には、京都から加須屋明子も合流して、関連展示の準備、会議のための準備。午後からはヴォディチコも加わり、日本語版プロジェクションの最終調整を、ロバート、中川克志、室井の四人でホワイトボードに投影しながら詰めていく。この時には日本語による11個だけを使い、特にエンディングの調整に苦しみながら議論。ロバートの仕事中に、ヴォディチコにはTシャツへのサインを頼んだのだが、どうやらサイン用のペンの石油系顔料の臭いに極度に弱かったらしく、20枚で挫折。その後彼は建物内には入ってこなかった。サイン問題はまた会議最終日にも持ち上がる。そのまま、現場となるYCCを加須屋明子と共に見学。スライドをするには明るすぎると文句をつけ、近所の「サモワール」でハーブティとフレンチトーストをロバートを呼び出して食し、外に出ると驟雨。椎野裕美子に傘を持ってきてもらい、暗くなった時間になって北仲の駐車場スペースから赤レンガの倉庫に向けてリハーサルを行う。全員が意見を言い、今後の調整に向かうことになる。フレンチトーストは十分に食事代わりになったようでこの日はそのままホテルへ。帰る前に椎野と二人で清香楼で担々麺とスーラータンメン。

 3日にはようやく会議用のパンフレットが到着。夕方に行われる新港ピアでのリハーサルに向けて最終調整。ここで突然に方針変更。日本語版のみだと来場する外国人には何も分からなくなるということから、英語で行われたデンバー、リヴァプール版、ポーランド版で行われたワルシャワ版との三部構成になる。WarVeteranVehicleと差別化するために、Tsunami Veteran(津波経験者)版に関してはラストのテキストと音の効果を変えなくてはならないと、ぎりぎりまでロバートと作業。時間がないので、近所で寿司の折り詰めを買ってきてそれを食べながら作業をした。ヴォディチコは現場でも立ったまま食べていた。現場では、照明の状態や、案内係、受付等の配置をチェック。とりわけ、始まりと終わりのタイミングに関して何度もリハーサルをした。結局、8:00前から9:00過ぎまで、2時間近くずっとループし続けるという形で公開されることになった。車でホテルまで送り届けて終了。

 4日は1Fでの関連展示の仕込み。朝から始めてほぼ形が整ったと思われた午後4:00頃、ヴォディチコがチェックに現れて、全面的なやり直しを指示。ほとんど全面的な作りなおしにはなるが、何とかぎりぎり間に合いそうな微妙なダメ出しだった。夜は、ヴォディチコ夫妻と加須屋、中川、越前さんと一緒に中華街。馬さんの店新館で食事。その後ホテル・ニューグランドの老舗バー、シーガーディアンIIで会話(中川のみサンダル履きで入れず)。しんみりとしたいい夜だった。

 5日が、いよいよ横浜トリエンナーレの内覧会と一回目の新港ピアでのプロジェクション。ヴォディチコはずっとロバートと最終調整作業。急遽、翻訳シートを作成することになり、作られた原稿を本永さんがきれいに整形してくれた。昼、宮本、加須屋と小肥羊の担々麺。この日から暑さはピークになる。3:00頃からBankART-NYK会場、横浜美術館会場と早足で見て回るが、ヴォディチコたちも暑さにやられて疲弊している。この間に関連展示の設置終了。美術館からレセプション会場のパシフィコ横浜へ。千人以上いると思われる人混みを早々に抜けだして会場へ。この間、学生たちがチラシまきをしたり、案内板を抱えて場所に誘導したりと頑張ってくれている。7:30頃から開始したが、ピークの8:30頃には約500人が集まって静かに見てくれた。遠くからもよく見えるので、おそらくは1000人近くの人が目撃していると思う。21:30頃、人の姿がまばらになってから終了。まだ、建て込みが続いている新-港村の中を見て回り、いろいろな人に挨拶をして撤収。カメラマンの首藤さんと、五味香でスーラータンメンを食す。

 6日、7日は、ヴォディチコたちが一番のんびりできるはずだったのだが、6日にフィンランドから呼んだゲスト、ダグラス・フライが来日。吉岡洋もこの日から入る。ぼくはこの2日とも大学でオープンキャンパスがあったために、車で往復をした。6日の夕方にホテルでお茶を飲んでいるヴォディチコ夫妻、宮本と一緒にフライに挨拶。中華街に行くという彼らを残して帰宅。7日は午後から北仲に行くとヴォディチコとエヴァは明日の会議の原稿を準備していた。この日の昼はヴォディチコたちは宮本に連れられて日の出町、野毛坂の蕎麦屋で食事をしていたらしい。北仲では学生たちが会議の準備に大わらわ。ぼくも間に合いそうにないと思って7日はYCC前の東横インに前泊することにしたが、原稿は何とか間に合った。前泊する木幡和枝さんチームが到着。会場設営には東京芸大の学生たちが沢山来て手伝ってくれた。ヴォディチコ夫妻、加須屋、吉岡、中川と馬車道のとらふぐ亭でフグを食べる。

 8日、いよいよ国際会議の初日。思ったよりも人が集まってきている。開会宣言の後、ヴォディチコの基調講演。本当に一枚も画像を使わずに、言葉だけでほぼ一時間の講演を済ませた。お前がスライドなんて使うなというから頑張ったんだと言うが、この辺りの意地の張り方が彼らしい。その後、同じくぼくの基調講演。ランチ休憩の後、フライ、奥本京子、大西若人、エヴァがそれぞれ講演。休憩後、明日からのラウンドテーブルの登壇者紹介。この段階では、室井、吉岡、鎌田、椿、やなぎ、西尾、山出、遠藤、越前、東、范、河本、加須屋、猪股しか顔を揃えていないが、それでも一巡するだけで時間が過ぎた。そのまま、レセプション・パーティへ。ぼくとヴォディチコの挨拶の後、逢坂恵理子ディレクターによる乾杯、在日ポーランド大使、横浜市からは文化観光局の秋元氏、横浜市大の布施学長などのスピーチが続いた。横国の鈴木学長も顔を出してくれた。8:30過ぎに終了。この日は帰宅。

 9日。ラウンドテーブルが始まる。ぼくのテーブルには昨日に加えて大澤真幸そして、藤原徹平、長坂常、坂口恭平の若手建築家チームが参加。午前中に問題提起、午後のセッションではヴォディチコも参加して、建築家チームのプレゼンを中心に議論する。2:30に一旦終了して、3:00から全体討議。椿のラウンドテーブルには、昨日に加えて会田誠、津田一郎が増え、人数が多すぎてまとまらず。プロジェクションがあるので時間を伸ばすこともできず、6:00に終了。自分から参加してきてくれた三輪眞弘さん、吉岡、首藤さんたちと清香楼で軽くスーラータンメンを食した後、各自三々五々会場へ。歩いて行く途中、サークルウォークで観に来てくれた大久保鷹さんとばったり。以外にも観客数は十分で、いいプロジェクションになったが、スタートとエンディングにトラブルがあり、ヴォディチコたちは結構ぴりぴりとしていた。その後、全員を帰してから最低限のスタッフのみでの秘密作業。この日も東横インに泊まる。

 10日。会議最終日。午前は大澤真幸、鎌田東二、吉岡洋と四人で議論。鎌田東二の「空気神社」の話が面白く、午後でも紹介することになる。午後はいきなり全体会議。結構な数の観客が残ってくれている。各分科会の報告の後、休憩を取り、「3.11」に関するセッションと「メモリアル」に関するセッション。それぞれ充実していたが、こと原発問題に関しては感情的な議論が多く、まだ時期尚早なのかと思った。ヴォディチコは第二セッション終りで体調不良を訴え、冒頭話した後、ホテルへリタイア。暑さと疲れのせいと言うが、どうもきっかけとなったのは、前の休憩時間にぼくが彼に頼んだパンフレットへのサインのようだ。Tシャツへのサインで体調を悪くしたので、普通のサインペンなら大丈夫だろうと紙へのサインを頼んだのだが、どうやら揮発性の臭いに極度に弱いらしい。盛り上がった最後のセッションと、鎌田東二のパフォーマンスでこれまた異常に盛り上がったパーティに顔を出せなかったのは残念だが、それでも8:00過ぎには「回復したのでパーティが終わったら一緒に食事をしないか」と電話があったので、それほど深刻ではなかったようだ。片付けがあるからと椿さんと越前さん(そして、おそらくは河本さん夫妻も)を送り出した。いい会ができたようで良かった。この日にロバートが離日。エヴァは空港に送り出す荷物の整理と買い物を楽しんでいたらしい。会場撤収後の10:00過ぎ、全体ミーティングをしていたら、明日からの仙台に付いてくるメンバーが9人も居ると聞いて驚く。彼らもここまで頑張ったイベントの最後を見届けたいらしい。

 11日。仙台へ移動。前日の夜、ジープはトラックに載せられて運ばれていった。早朝6:00出発の高速バスで学生スタッフらは仙台に向かい、ジープをセットするためのスタッフも別便で向かう。ぼくたちは、東京駅でヴォディチコ、吉岡洋らと待ち合わせをし、帰省ラッシュで満員の東北新幹線に乗り込む。この日から参加する阿部由布子と合流し1:00過ぎにせんだいメディアテーク到着。様子の分からない建物内でのプロジェクションということでヴォディチコはかなりぴりぴりしている。メディアテーク側が準備した設営を根本的に変更。ジープ前の空間を何も置かないようにして、トークショーの客席も手前側の位置に変更させる。入念にカメラの位置まで決め、リハーサルも何度も繰り返した。その間に学生チームや木幡さんチームも到着。横浜からも何人も来てくれている。6:00からトークショー。6:50頃からプロジェクション開始。7:35頃終了。たまたま通りかかった人たちも含めて、沢山の人が静かに見てくれた。終了後、ただちに撤収。ジープを運び出し、搬入口のすぐ目の前にあるパーキングから、ジープが運びだされる。7月から付き合ってきたジープとの別れに、思わず全員拍手で送り出す。もうあのジープに会えることはないのだ。その後、近くの居酒屋の二階を貸し切り、大宴会。そのまま高速バスで横浜に帰る組も居て、10:30頃解散。ほんの短い滞留しかできない仙台の町を歩いて帰った。この日も震度3程の地震で目が覚めた。

 12日。8:15ホテル発。仙台で借りたトヨタ・ハイエースはデラックス仕様で快適。高速入口から渋滞で1時間半程度の遅れが出る。一関インターから気仙沼の中ほどにある「みちの駅・川崎」で各自弁当を買い、車の中で食事。そのお蔭で少し時間に余裕ができたので、被災地を見学。1時過ぎにミュージアム。その後、火事で全焼した地区を通り、酒屋さんへ行き、彼の案内で漁協の人にもご挨拶し、現地で陶芸をしている方の窯元へ。まだ、時間がありそうだったので、陸前高田、大船渡まで回った。全開は大船渡につながる橋が交通止めだったのだが、今回は復旧していた。全体に、瓦礫などはきれいに片付いていたし、臭いなどはほとんどなかったが、逆にこれをどうしていけばいいのかわからない程に徹底的に壊滅していることがよく分かった。ヴォディチコとエヴァは衝撃を受けながらも忙しくカメラのシャッターを切っていた。疲れきって、大船渡のそばにあるレストラン「まんぼう亭」にて夕食。漁港の一部が機能しているので魚は美味しかった。そのまま仙台到着したのが23時頃。車の中ではヴォディチコとずっと話していた。ホテル前で解散し、ヴォディチコたちは周辺のコンビニに買い物に。吉岡と阿部の三人てぼくたちは近くの居酒屋で軽く飲んでから就寝。

 13日。10:17仙台発の新幹線に乗り込む。上野駅で吉岡と別れ、駅弁を買い、京成スカイライナーで成田へ。その間、ずっとぼくたちは出版の計画に関して議論をしていた。40分ちょっとで成田に到着。預けた荷物を受け取り、レンタル電話を返却してチェックイン。エヴァのことを心配して、ヴォディチコは貯めたマイレージで、座席をエコノミーからビジネスクラスに変更していた。もう、これでマイレージ切れちゃったよと言う。少し、時間があるのでお茶でもと言っていたのだが、エヴァが早く入りたいと言うのであっけなく別れる。これは単に買い物をしたいというばかりでなく、どうやらエヴァが少し神経症的で早く出発ゲートに行かないとイライラするというようなこともあるらしい。おそらくは買い物するエヴァを待っていて暇なのか、彼の持っているBlackBerry端末から何度も電話やメールが送られてきた。たとえば、こんなメール。

Dear Hisashi,

My 30years long experience with public projections including 20 years of working on projects that required active involvement of people some developed under difficult circumstanced and conditions-- tells me that our project has succeeded very well- due to your great commitment, passion, skills and heart.
This is one more reason to thank you one more time.
Thank you!
Krzysztof

 というように、13日間に及ぶ「アートと戦争」イベントは無事に終了したのであった。と言っても、単にこれは起こったことを時系列に合わせて箇条書きにしただけにすぎず、まとめと呼ぶには程遠い。プロジェクションに関しては、もっと適切な会場を見つけることができなかったことに後悔が残る。いろいろと政治的なことがうまく解決できなかったのが心残りである。
 会議に関しては、木幡和枝さんの全面的な協力による優秀な同時通訳チームに支えられ、思っていた以上に素晴らしい会議ができたと思う。とりわけ、最終日の全体セッションは素晴らしかった。ひとえにコーディネータとなってくれた椿昇さんと越前俊也さんのご尽力の賜であり、また悪い条件にもかかわらず熱心に議論に参加してくれたパネリストの方々のおかげである。深く感謝したい。
 そして、北仲スクールでのワークショップで4月からずっと関わってきてくれた学生チームの活躍も素晴らしかった。ヴォディチコたちも、こんなによく働く学生はアメリカでは考えられないと驚いていた。このチームの活躍にも大きく力づけられた。

 それにしても、たまたま出会った一人の日本人との約束を最後まで全力をかけて貫いたクシシュトフ・ヴォディチコに一番の感謝を捧げたい。ここから、彼に何を返していくことができるかというのがぼくの課題である。彼は、最終日のパーティを「クロージング・パーティ」とぼくが呼んだ時に、すぐに否定した。「違う。これはクロージングではない。もうひとつのオープニングなんだ」と。そう。ここからまた何かが始まっていくのである。そして、またここで一つの約束が生まれ、相互の"responsibility"が生まれたのだ。

 長い13日間は終わったが、ぼくたちの暑い夏はまだまだ続いていく。

 「アートと戦争」のウェブサイトは、http://artandwar2011.kitanaka-school.net/ja/index.html

 全体会議の様子のUstreamはアーカイブされ一般公開の予定です。

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