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2012.04.30

ネットと監視社会について

 前のエントリーを書いた後、一時は1日5000アクセスとかあって、炎上するのではないかと思ったが、どうやら3日位ですっかり収まった。Googleのような検索エンジンとblogベースのネット内コミュニケーションのあり方が急速に変化していてTwitterやFacebookのタイムラインをベースに、はてなブックマークやまとめ系サイトで拡散するというのが最近の傾向らしい。タイムラインは刻々と変化していく。2日前、3日前の出来事はどんどん下の方にスクロールしていくのでほとぼりが醒めるのも早くなっているのかもしれない。ますますコミュニケーションの分裂症化(「統合失調症化」?)が進行しているようだ。

 ちょっと前には、○や★などを入れるだけで検索エンジンから簡単に逃れることができたのに、最近は全く効き目がないこともよーく分かった。Twitterは日本語が苦手だと思っていたのももはや過去の話のようだ。ハードウェアの進化がこのところ鈍く、3年前、4年前のシステムを変える気になれなかったのだが、ソフトの方は見えないところで進化していたわけだ。

 前に、中国人の留学生に中国でのネット規制の話を聞いたことがある。フランス系のスーパーマーケットや日本政府の批判でネットが炎上した時に、当局の検閲を避けるために、中国では匿名に加えて符牒や伏せ字がよく使われたと言う話だ。その話を聞いた時にも思ったが、当局はそれが見つけられないのではなくて、むしろ外交手法のひとつとして伏せ字による炎上を政治的に利用しているだけであり、本当に政府にとって危険なものに関しては容赦なく弾圧を加えていただろう。問題なのは、ネットを使ってのあらゆる事柄に関する検閲がさまざまなボーダーを超えて可能になってきているということだ。たとえば、こんなことをぼくが書いているというだけで、将来突然中国の空港で入国拒否される事態も考えられなくはない。

 昔、翻訳したマーク・ポスターの『情報様式論』では、スーパーパノプティコン社会(超-監視社会)の到来が予告されていた。ただ、ここから逃れることは今のところは簡単である。それはネットから離れることとネットに近づかないことだ。あるいはネット以外のコミュティを沢山作っていくことだ。だが、監視カメラをどこにでも設置しようとか、ユビキタス環境を町中に展開しようとする勢力は、こうした逃げ道すら完全に塞いで、管理社会化をむしろ促進しようとしている。

 とても不思議なのは、こうした一元的な管理や支配を人々がむしろ求めているように見えることである。ネットのことばかりではない。盛り場やマンションなどへの監視カメラの導入は、住民自身がむしろ希望するようになってきている。2005年に施行された個人情報保護法は、審議中にはマスコミをはじめさまざまな反対意見があったにもかかわらず、いったん施行されると、それを守らない個人に対する集中攻撃が激化するようになった。大学や職場などでの名簿作りが事実上不可能になり、電話帳も無意味になり、メールアドレスや携帯番号の漏洩がマスコミから非難される。レポートを自宅にもって帰るのは禁止、学生名簿などが盗難に遭うとそれも大げさに非難される。スパムメールの増大とか、営業目的の電話による迷惑だとかいろいろ言われるけれども、名簿がないという不便さの方がどう考えても大きい。銀行カードやクレジットカードの番号だとか、パスワードとかに関しては分からなくもないが(しかし、パスワードを三ヶ月おきに変えなくては使えなくなる大学の情報セキュリティ政策は本当に鬱陶しい)、何で試験の答案や成績までが漏洩してはならない「個人情報」なのかがさっぱり分からない。しかもそれが「漏洩」した時のマスコミの大げさなバッシングに関してはもはや狂気の沙汰としか思えない。

 分かるのは、とにかく人々が何か自分が理不尽な攻撃の的になるのではないかと過剰に怖れていること。役所や銀行やクレジット会社以外に自分の電話番号や住所を教えたくないこと。そして、その不安を取り除くためなら監視カメラだろうが当局による24時間監視だろうが何だろうが喜んで受け入れるということである(近い将来、監視カメラの映像データは恒久的に残されるようになり、子供時代の万引きなどの情報までもが個人調査に加えられることになるだろう。「時効の廃止」の動きはこうしたことも含んでいる)。こうして世界はスーパーパノプティコンへとまっしぐらに向かっているのだ。一種の強迫神経症だとしか思えない。だとすると、ここに隙間を何とかして切り開くということがどうしても必要であるように思われる。少なくともぼくにとって、芸術や哲学がまさしく本当に重要なものとなってきているのはそのためだ。システムに裂け目を与える行為は、通常テロとかハッキングとか呼ばれる。しかしすべてのシステムは本質的に脆弱なものなのであり、そこに全面的に依存してしまってはならないのだ。「セキュリティ社会」は、それが完成されれば完成されるほどよりその危険性を増していくのである。

 アクセス数が伸びたことから何で上のようなことを考えたのかというと、考えようによっては、ネット検索を用いて自分の気に入らないことにクレームをつけたり、炎上に群がる人々の行動もまた、実はその動機においてはこのような反システム的な衝動と結びついているのではないかと思うからだ。つまり、ネットでそのような活動をすることは、少なくとも「パッシブ」なシステム受容ではなく「アクティブ」な行動であることは間違いがないと思うからである。しかし、少し前から新聞以外の「マスコミ」がこのような「ネット炎上」を取り上げるようになってからは事情が変わってきている。そのことを理由に責任者が処分されたり、役職を解かれたりする事例が増えるたびに、匿名によるバッシングが社会的な効力を持つようになってきた。たとえば、原発推進を唱える大学教授がネットでバッシングを浴びたり、ひどい場合には「大学に処分を求める」というような動きまでつながりかねない。つまり、それは逆方向の検閲社会、密告による検閲社会へとつながっているように思われる。会社などではTwitterやFacebookの書き込みをモニタリングする部署まで置くようになってきている。

 言いたいことは、匿名での暴力を行使する不健全で卑怯な「自由」に人々が取り憑かれているのではないかということだ。さらにはその「自由」は実は幻想にすぎないのではないかということだ。Twitterでの発言で注意をしなくてはならないのは、キーワード検索で火祭りにするターゲットを毎日探している連中がそこには生息しているということである。さらにたちの悪いことに、自分たちの評判をチェックしている会社や行政組織の担当者までがそこにいる。SNSやblogなどのサービスに参加している人々は実は本当に「匿名」ではない。事件が起これば警察は容易に身元を確認することができる。そのうちに、勤務時間中のツイートを罰する規定が生まれるかもしれない。ネットはけっして「自由空間」ではないし、そこにはますます現実世界の規制が入り込んできている。著作権侵害に関しては、そのうち違法アップロードは削除されるだけではなく、投稿者の逮捕につながっていくことだろうし、ダウンロードに罰則が設けられることも十分にありうる。だとすると、本当は匿名ではない「匿名」のもたらしていた自由や全能感は、比較的近い将来に完全に消滅していくべき運命にあるように思われる。残るのは全員の全員による監視と検閲ということになる。そうならないようにするにはどうしたらいいかということが大切なのだ。

# ところで前の記事には見えるところ、見えないところからいろいろな反響をもらった。「はてな」系が相変わらず邪悪であるとか、2ch.系がほとんどスルーだったのは意外とか、いろいろ考えるところはあるが、一番意外だったのはネガティブで攻撃的な反応が絶対数としては思ったよりもずっと少なかったことだ。「俺たちの好きなものに変なレッテルを貼るな」とか「こんなナルシスティックで小難しい考察よりも夏菜子の太ももについて語る方がましだ」というようなのも勿論あることはあったが、それでも思ったよりは少なかった。基本的にはももクロに好意的なエントリーだったからかもしれない(ということは彼女たちはまだまだファンの数を広げていき、その反時代性が薄められて行くのかもしれないが)。

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