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2012年7月

2012.07.28

石巻、一ノ関、そして平泉の旅(長いです)

 石巻市の立町商店街の一角に、神奈川県の助成を受けて黄金町エリアマネジメントセンターが中心となって展開している「日和アートセンター」というギャラリースペースがある。昨年から事業を開始しているのだが、諸事情もあって名前だけだがそこの実行委員ということになっている。横浜での委員会には参加したことがあるが、まだ石巻には行っていない。気になっていたこともあり、7月21日に石巻まで行くことにした。

 と言っても、石巻に一度も行ったことがないわけではない。去年の6月5,6,7日の三日間、ヴォディチコの作品素材を求めて東北に行った。その時の帰りに立町商店街を車で訪れている。津波で1階が全部破壊され、信号機も暗いままの商店街を抜けて、津波が逆上った北上川河口にかかる破壊された橋を渡ってから仙台に抜けた。この時の壊れた町の印象が強く残っている。

 あの昨年の東北取材旅行のことは忘れられない。まだ、自分の中で解決していないことが沢山ある。

 ヴォディチコとメールやヴィデオ会議で議論をして、そしてパリで開かれた彼の展覧会のオープニングまで足を運び、夏に横浜でやることにしていた「War Veteran Vehicle」というプロジェクション作品の中に、新たに震災と津波の被災者の声を入れようということになった。この判断が正しかったのかどうかは今でもよくわからない。ただ、ぼくもヴォディチコも何かやらずにはいられない気持ちだったし、どうなるか分からなかったのだが、それでも東北にどうしても行きたかったのだ。そこで北仲のメンバー2人と学生2人を連れてとにかく仙台に向かった。仙台駅で卒業生でNHKの仙台支局にディレクターとして勤めている星野さん、それから塩竈出身のIAMASの卒業生で秋田の短大に勤めている阿部さんが来てくれて、初日は仙台駅近くの東横インにホテルを予約して、車で多賀城、七ヶ浜、塩竈、松島などの被災地を見て回った。次の日からはまた津波の取材がある星野さんの話を聞いたり、阿部さんの秋田から4日もかかって実家を訪ねた時の壮絶な体験記などを聞いた。彼女の地元の塩竈では塩竃神社をはじめいくつかの場所を案内してもらった。

 二日目は朝10:00に仙台メディアテークの清水さんと面談し8月の仙台でのイベントの概要を決め、まだ道路に凸凹が残る東北自動車道に乗り、一ノ関インターから気仙沼に向かった。気仙沼では2チームに分かれて、避難所となっている公民館の館長とリアスアーク・ミュージアムの山内さんのインタヴュー。公民館には復興に力を注いでいる地元の酒屋のHさんも来てくれた。気仙沼駅前で合流し、その日に帰られなくてはならないスタッフを一ノ関の新幹線乗り場に落として、残った5人で一ノ関駅西口でビールと夕食。近くのローソンで食材を仕入れその日の宿だった厳美渓渓谷の料理旅館へと真っ暗な夜道を走った。厳美渓渓谷とは一ノ関の郊外にある景勝地で、普段は観光客用の料理旅館なのだが震災で全く客が来ないので素泊まり4000円という格安の値段だったのと、とにかくその時期には被災者とボランティアでどこのホテルも一杯で全く宿が他に取れなかったためにちょっと遠いそこに泊まったのだが、朝ご飯には10品目ものおかずと無料のコーヒーサービスまでしてもらって大感激の宿だった。

 この旅館で阿部さんに問いつめられて苦しかった。家族や友人が被災者である彼女に、戦争がテーマの作品なのになぜ震災や津波の被災者の声を入れようとするのか。彼女の友達に「私たちはステーキの添え物の人参なの?」と言われて、何も言い返せなかったこと。何よりもヴォディチコを知らない人たちになぜそんな見も知らないポーランド人に協力しなくてはならないのか分からないと言われたこと。その日の朝にメディアテークの清水さんにもやはり同じような疑問を投げかけられたこともあって、身が引き締まる気持ちだった。阿部さんに謝って、とにかく明日以降はぼくが身体を張ってインタヴューをしていくことを決心した。ヴォディチコのためと言うよりも、自分自身の問題として引き受けなければ何も先に進まないと思ったのだ。


 そして最終日には朝から再び気仙沼に向かい、公民館の紹介で地元の漁業協同組合の人たちが25,6人で復旧作業をしている現場に行き、Sさんという方から長時間のインタヴューを頂いた。最初はよそ者が何しに来たという感じでよそよそしかったのだが、だんだんと心を開いて頂きとても貴重な話を伺えた。また、そこまで車で先導して頂いた酒屋のHさんにも体験を話して頂き、さらには地元の人にしか分からない場所を何カ所か案内して頂いた。少年野球場を臨時墓地にしている場所のことは忘れられない。そのあと、まるで爆心地のような陸前高田まで行き、バイパスを南下して南三陸町から何カ所か通行止めになっている海岸沿いを迂回して石巻へと向かった。その後、8月にもヴオディチコ夫妻と一緒に仙台メディアテーク、気仙沼や大船渡、陸前高田にはもう一度訪れることになったが、石巻には行っていない。

 今回の小旅行はだから、そんな1年前に訪れたいくつかの場所を確認する旅でもあった。余りにも沢山のことが同時に起こったので、記憶のつながりが曖昧な場所がいくつかあったからである。とりわけ石巻の立町商店街、一関駅前は一回目にしか行っていないので、記憶を確認してみたかった。1年ぶりに訪れた二つの町は灯りが戻り、人々も普通に歩き回っていた。石巻は復興支援の人々でにぎわい、居酒屋やホテルは満員だった。
Img_0253まだまだ瓦礫や破壊された建物の整理が終わらず、町の復興まではまだまだ気の遠くなるような時間が必要なことは一目で分かる。北上川の河口が見渡せる日和山に登ってみたが、河口の西側は砂漠のように洗い流されていて、点々と雑草が生えていた。展望台で会った二人組の若い女性が「草って生えてくるのねえ」と呟いていたのが印象的だった。5,6歳くらいの孫とおぼしき女の子を連れた老人が「津波が家を持って行ってしまったでしょ? 今度津波が来てまたお家を戻してくれたらいいねえ」と話しかけていた。地元の人たちは、今でもこの見晴らしのいい山にこうやって昇ってきているのだ。Img_0252


 一関の駅前で食事をした居酒屋のビルや、買い出しをしたローソンを見たら、1年前の記憶がだいぶ戻ってくるような感覚があった。Img_0263
そこから、10kmほど離れている平泉の中尊寺と毛越寺にも足を伸ばしてみた。もう大昔、NHKの大河ドラマでブームになった頃に両親に連れられて来たことがあるのだが、その時のまんまの姿で、これまた同じ参道を歩いた記憶がくっきりと残っているのが不思議だった。地震はあったものの、津波や原発事故の被害を受けていないこの岩手県内陸部は半世紀近く経っても全く変わらないままでいることも不思議な感じがした。
Img_0276相変わらず資本主義からは取り残されたのどかな日本の田舎である。

 東北地方以外では地震や津波のことは忘れられ、原発再稼働問題ばかりが注目されているが、改めて考えてみるとあの津波の持っていた桁外れの衝撃力こそが去年のあの災害の一番重要なことだったのではないかと思う。人間の文明など紙のおもちゃのように簡単に洗い流し、人も建物も何もかも消し去ってしまったあの巨大な自然の威力をいつまでも目に焼き付けておかなくてはならない。逆に余りにも巨大だからこそ人はそれを忘却しようとするのだろうが、フロイトが言っているように忘却とは心的機制に他ならないのだから、それはぼくたちの無意識の中に根強く息づいてもいるのではないだろうか?

 前回も「ももクロ」のことを書いたが、最近ぼくが彼女たちに惹かれるのは、そのステージの向こう側に押し寄せてくるあの津波の映像が瞼の裏に浮かび上がってくるからではないかと思うようになった。抵抗しようのない津波の中で、そしてその後の喪失感の中で、人間はどうやって生きて行くべきなのか、生き続けて行くべきなのかということを、優秀なブレインたちによって支えられた彼女たちのステージが示唆しているように思えてならない。まあ、これも「深読み」に過ぎないのかもしれないが、元気な少女たちが全力疾走で歌って踊る光景がなぜこれ程までに心を打つかという理由の一つは明らかにぼくの場合にはそこにある。だから、「労働讃歌」と「ニッポン万歳」で終わったパリでのパフォーマンスに感銘を受けたのだ。その思いがもし裏切られることがあるようなら、ぼくの関心も失われることになるだろうと思うが、少なくとも2011年の彼女たちの活動はこの津波のイメージと切り離せないのではないかと思っている。

2012.07.10

国立新美術館『具体』展とパリのももクロ

 浅草での三週間にわたる劇団唐ゼミ☆公演「木馬の鼻」も無事に終了した。千秋楽には遠く大阪、京都屋、長野、茨城などからも駆けつけてくれた観客でテントは一杯になった。唐さんのご家族や唐組、Dogadoga+の役者陣や横国の現役、卒業生たちでテントの中は賑やかだった。金、土と雨に祟られたのだが、最終日は好天でいろいろ課題は残しつつも未来へとつながる良い千秋楽だったように思える。この日はわざわざ京都から駆けつけてくれた親しい人たちと1時過ぎまで一緒に楽しく飲んで浅草に泊まり、そのまま大学に行った。

 さて、その間に乃木坂の国立新美術館で開催されている「『具体』--ニッポンの前衛18年の軌跡」を見に行った。火曜日に開かれたレセプションには大垣のIAMASに行っていたので参加することはできなかったが、久しぶりに開かれる「具体」展だと言うことで密かに楽しみにしていたのだが、期待を大きく裏切られた。つまらない展覧会だったのである。

 それにはいくつか理由がある。まず「18年間の軌跡」をできるだけ均等に見せようとしたのか、50年代から60年代初めの熱気溢れる時代と60年代後半から万博までの末期を区別せずに、グループに属していた作家たちの手頃なサイズの作品をそれぞれ4,5点ずつ時代順に順番に並べていること。野外展や舞台でのパフォーマンスの資料映像を流しているだけで、「具体」の持っていた熱くて規格外のパワーを全く感じられない展示スタイルだったこと。何よりも兵庫県立美術館や芦屋美術館のコレクションが中心で、白髪一雄や元永定正の規格外の作品もなく、ましてや嶋本昭三の巨大なスケールでの多面的な活動も紹介されないという、ダイナミズムに欠け、何の驚きもない不完全燃焼の展覧会だったのである。具体の活動を吉原治良という先生の功績にするのはいいが、吉原の戦前からの活動を紹介するだけで、具体だけが持っていた草創期の若いパワーの炸裂に全く迫っていくことのできない、まるでカビのはえた標本箱を並べたような展覧会だったと言っていい。ミシェル・タピエによって世界に喧伝された具体に惹かれて集まってきたひと世代若い後期メンバーたちの作品が、なるほどこれだけまとまって展示されることは少なかったかもしれないが、彼らの中で現在も活躍している人たちの作品も72年の具体解散時までのものに限定されており、具体の持っていた爆発力や可能性を平面や適度な大きさのオブジェの領域に押し込めるだけの展覧会だったように思われる。確かバブル時代の90年代の展覧会では観客に自由に解放されていた嶋本昭三の「この上を歩いて下さい」も「触らないで下さい」という注意書きと共にだらしない木製のオブジェとして横たえられていた。折角夫人や娘によって再制作された故・元永定正の「水」をビニール袋に入れた作品も、国立新美術館のガラスの壁にまるで捨てられたクリスマスツリーのイリュミネーションのように吊るされていた。白髪一雄にしても巨大で迫力のある作品がひとつも展示されていない。展覧会というものが持っている力を全く信じていない人たちによって作られた、図録やカタログを越えだすことのないとても脱力させられる展覧会だったと言っていい。これからこの展覧会はニューヨークにも巡回するらしいが、「具体」という活動を知る者にとってはとても残念なことだ。もう少しなんとかならなかったものだろうか? 関西にならもう少しものの分かる人たちもいただろうに…。

 その間、パリのジャパン・エクスポ(7月5~7日)に遠征していたももクロのライブ映像を見ていた。彼女たちとそのブレインはついにプロレス流の「海外遠征」路線に本格的に足を踏み入れたようである。ドイツのメディア芸術祭イベント、マレーシアの野外ライブに続いて、ゲリラ的にスタッフの持つiPadから生中継されるUstream映像がライブ前とライブ後に流され、三つのライブをパッケージングした「ニコ生」動画との両方を交互に見ていると、リアルタイムで彼女たちが未知の世界に足を踏み入れていく様子が生々しく伝えられてきて、つい力が入ってしまう。コンヴェンションのメインステージとライブハウスで30分程度の短いライブを2回行ったが、一度目は少し不安定だったが、二度目のライブハウスでは見違える程、乗りがよく切れの良いパフォーマンスを行った(ように見えた。パリでは大久保美紀さんが両方ともステージ近くで見ていたようだが、うらやましいなあ)。「ニコ生」には10万人近くの視聴者がいてすぐにはじかれてしまうので、思わず「ブレミアム会員」登録をしてしまった。うまい商売である。しかも、会員登録すると即座にそれが視聴環境に反映するようになっている。ニコ生、恐るべし。ペイパーヴュー視聴ビジネスを完全に塗り替えていくのだろうな。

 浅草で飲んでいる時にも、ももクロ贔屓をみんなに馬鹿にされた。彼らが好きだったという工藤静香や韓流アイドルを例に挙げられてそういうものに一切はまったことがない「アイドル童貞」とからかわれたのだが、何か違うような気がする。批評の問題だと言い返したかったが、まだ確信が持てていない。もちろん、古くは南沙織や山口百恵、ピンクレディやキャンディーズ、松田聖子や中森明菜に興味を持ったことはあるが、別にライブを見に行きたいとか思ったことはない(違うな。もっと沢山興味を持っていたタレントはいた。仁科明子とか、アグネス・チャンとか、薬師丸ひろ子とかその他大勢。それにもっとミュージシャンぽいJ-Pop系タレントなら、ライブも見に行った。何か、それぞれが時代の空気を反映していたような気がして文章にしたこともあるような気がする。だけど、いずれも一瞬だけでそれほど拘泥したことはない。今回のはそれとは全然違う初めての経験のような気がするのである)。前に書いたように、いわば「アートプロジェクトとしてのももクロ」というものに惹かれているような気がするし、期間限定の少女期の身体を用いて黒子としてのスタッフチームが仕掛けていてるアイドルユニットタイプのプロジェクト・アートとでも言ってもいいだろうか。それは、10年以上唐ゼミという大学発のプロジェクトに自分が関わってきたせいかもしれないし(もちろん、ももクロと違って彼らは勝手に成長して行くし、路線ももはや彼ら自身が決めているところがだいぶ違うが)、バックステージやスタッフの動きまでが映像で逐一伝えられるようなメディア戦略にも関係あるのかもしれない(実際、彼女たちのDVDでも、裏の楽屋ネタ的なメイキング映像が不可欠なものとなっているし、地のままでふざけている映像の方が、彼女たち自身のblogや雑誌のインタヴューなどよりもずっと生き生きとして、思わず中学生時代に引き戻されてしまう。多分この部分が彼女たちの一番の才能だ。普通のアイドルやタレントのバックステージを延々と見せられてもきっとすぐ飽きてしまい、かえって興ざめてしまうに違いない)。また、前のエントリーでも書いたように震災後ということや、現在の混迷している政治状況とも結びついているのかもしれない。というわけで、もう一つ自分でも決定的な理由はよく分からないのだが、とにかく関心は今でも弱くなることはなく、むしろ強まってきている。

 パリでのももクロライブについて言えば、「怪盗少女」や「Z伝説」といった日本のライブでは欠かせない彼女たちのキャラクター物の持ち歌を敢えて封印して、ライブの最後を「労働讃歌」と「ニッポン万歳」で締めたというところに、演出家の知性を強く感じた。"JapanExpo"はフランス人のオタクたちによる「Cool Japan」のイベントだが、この時期にパリのHotel de Villeでは「ニッポンの復興」展と題してフクシマ以降の日本の展覧会が開かれていたと聞く。そうした状況に鋭く対応しているのだ。けっして日本でのライブと同じことをやろうとはしていない。

 さらに、これで彼女たちはいまや世界中のどこに行っても10万人を越える視聴者が確保されることが分かったのだから、おそらく秋にも世界のどこかでこうした「海外遠征試合」が行われるのではないだろうか? あとは、8月5日の西武球場で発表されるであろうクリスマス・イベント(球場、もしくは武道館規模の会場での全国生放送?)、そして大晦日の紅白歌合戦というスケジュールになるのだろうが、その前にもう一度大会場でのプロレスか格闘技イベントへの登場も期待したいところだ。あるいは既に9月末には長崎県の稲佐山公園野外ステージというところでのライブが告知されているが、1万5千人以上入るという野外会場に全国から観客を集めて「ウッドストック」の再現を狙っているのかもしれない。新曲の「Z女戦争」で「少女戦士」というコンセプトを強く打ち出しているのは、アウェイの地にどこでも攻め込んで行く少女戦隊という、これまで見たことのないアイドル・プロジェクトを目指しているからであり、それを異物として社会に介入し、揺り動かしていくプロジェクト型アートとして見ることもできるではないかと思っている。いや、むしろアーティストとコラボして欲しいなあ。椿昇とかヤノベ・ケンジとかどうだろうか? 巨大バルーンのオブジェかジャイアント・ロボットとコラボしている彼女たちを見てみたい。あるいは、今の体調では無理だろうけど、ビン投げパフォーマンスをしている嶋本昭三とかどうだろう?
 

 

2012.07.04

唐十郎の新作『海星』と『木馬の鼻』

 唐さんがアトリエから出る際に頭を打って救急車で病院に搬送されたのは、劇団唐組の第49回公演『海星』の公演中の5月26日だった。本番があるからとすぐ病院を出ようとした唐さんに抑制帯がつけられて動かさないようにした病院の判断は正しく、じわじわと血液が脳内に滲み出しICUに運ばれ集中治療が行われた。脳挫傷による脳血腫と診断され、幸いなことに血腫が自然に消滅したために、その後一般病棟に移され、いまは無事に退院をしてリハビリ中である。唐さんが自分の舞台を休演したのは記憶にないし、いずれにしてもきわめて異例の事態だった。秋までに回復して元気になった唐さんの姿を見ることができることを、ぼくたちはみんな願っている。
 その間、唐組の劇団員たちは唐さんの代役を立てたり、一部の台詞を省略したりして公演を続けた。その追い込まれた必死の気合いは観客たちにも伝わり、後半戦の舞台は一層力のこもったものとなった。
 花園神社での千秋楽には唐さんを愛する多くの知人・関係者が集まり、唐さんのいない千秋楽の宴会に残って、遅くまで唐さんの早い回復を祈っているようだった。唐さんがそこに居ないことからくる空洞がとても大きく全員の心に広がっていた。
 そして、次の週から浅草・花屋敷で、劇団唐ゼミの第20回公演『木馬の鼻』が始まった。
 劇団唐ゼミ☆は2005年の新国立劇場進出以降、大学演劇ではなくて自立した「劇団」を名乗ってはいるが、第一回公演は2001年の唐十郎研究室での『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』からとしてきており、そして第三回公演『ジョン・シルバー』から現在のテントでのスタイルを始めているので、内部的には今年がちょうど劇団スタートから10年目の節目の年ということになり、第20回公演という区切りに、初めて唐さんに新作『木馬の鼻』を書き下ろしてもらっていたのだ。その意味では初日に向けての劇団員の意気込みは尋常ではなかったのだが、療養中の唐さんに来てもらうことはできなかった。
 しかしながら、唐さんの不在がまたいい方向に働いたことも否定できない。過去の作品の再演ではなく、全く新しい戯曲解釈から始められたこの公演には、唐さんの周辺の人たちが初日から沢山の助言やアドバイスをしてくれた。演出にそうした隙があったことも事実なのだろうが、しかし実際に気づかない戯曲の解釈や解読があったこともまた事実であり、それを取り入れることによって、初日から毎日のように、舞台装置や演出が書き換えられ、久しぶりにもの凄い勢いで舞台が変わっていくスリリングな毎日が始まった。後半戦の3日間に向けて現在もまた新しいことが試みられている。
 唐さんは昨年4本の新作戯曲を書いた。春公演の前に書かれた『海星』(意外なことにこの作品が一番古い)。そして、東日本大震災の直後に昨年の秋公演のために書かれた『西陽荘』、新宿梁山泊のために『風のほこり』の続編的な『紙芝居』を書いた後、もの凄い勢いで夏には唐ゼミ☆のための『木馬の鼻』を完成させた。震災がそのひとつのきっかけになったのは確かだが、おそらくはその前、70歳になったのをきっかけとしてまるで追い立てられるように新作を書き続けていたのも否定できない。それは、かつてのように舞台の上で暴れ回ることが難しくなったことへの焦りもあったのかもしれないし、それでもなお新しいスタイルを生み出そうとするあがきのようなものであったかもしれない。
 これらの作品はいずれも上演時間が短い。2幕もので1時間半前後になっている。だが、『西陽荘』、『海星』、『木馬の鼻』の三作品に関しては全くその時間の短さが気にならない濃密で見応えのある作品になっている。さまざまな要素や隠喩が星のように散りばめられており、主要なストーリーを追いかけているうちに全くそこからは離れた迷宮に巻き込まれていくというこの作家の特性はいつも通りであるが、主人公の男性がヒロインに見送られて最後に旅立つという共通のエンディングを持っており、それは唐さんが時代に強い閉塞感をもっていることの現れであるように思われる。60年代以来、バブル時代の消費社会を経て現在に至るまで、唐さんは自己の演劇世界の屹立を信じてそれぞれの時代状況や社会に紅テントという「砦」を通して対峙してきたわけであるが、「西日射す日本の巷から旅立っていく」『西陽荘』や、スカイツリーに代表される見栄とハリボテの都市開発に水底と地の底に埋められた「鐘淵の鐘とそれに人の手のように柔らかにからみつくヒトデ」に回帰して行こうとする『海星』、木馬の鼻とタンスという性的なメタファーの強烈な匂いの中で、「下町の路地のアスファルトのひび割れを抜けて、インカの首都・マチュピチュ渓谷」へ旅立とうする『木馬の鼻』と、それぞれが色鮮やかな反時代的夢想を提示してくれている。
 その上、唐ゼミ☆に書いてくれた『木馬の鼻』には、この劇団の中核である椎野裕美子と禿恵という二人の女優への愛情溢れる当て書きはもちろんのこと、これまで唐ゼミ☆が上演してきた作品への言及(たとえば「鉛の心臓」、「黒いチューリップ」、「蛇姫様」、「海の牙」といった作品への言及や引用)が多数散りばめられていて、明らかに書き分けられていることに気がつかざるをえない。そんなことを考えると、唐さんのいないこの初演が劇団員たちにとって一際重要なものになっていくのも当たり前なのだと思われる。ただ、感慨に耽っている暇はない。あとは、7月6,7,8日の三日間しか残されていない本番に向けてどれだけさらに強度を高めて行くことができるかという挑戦に向かっていくしかないのである。

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