« ちくま学芸文庫版・R.ローティ『プラグマティズムの帰結』が出ます! | トップページ | 国立大学がいま大変なことになっている(承前) »

2014.08.28

三輪眞弘「59049年カウンター―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」について

 8月30日のサントリーホールでの「世界初演」に向けてリハーサルが続いている三輪眞弘作「59049年カウンター ――2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」は、同日に上演されるカールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)の「暦年」(洋楽版)に対する「21世紀からの応答」として新たに三輪眞弘に委嘱された作品である。横浜都市文化ラボ「桁人チーム」として学生10人がパフォーマンスに参加している。6月から三輪眞弘が何度も横浜に来て練習を重ねてきた。いよいよ本番である。

 この曲が作られた裏には、とても複雑で味わい深い物語がある。

 この物語は、今回の企画のプロデューサーであり、長年国立劇場の演出室長を務められた木戸敏郎氏(ぼくも記号学会で面識がある)が、ケージやブーレーズとともに20世紀現代音楽を代表する作曲家と言われるシュトックハウゼンに雅楽の楽器を用いた新曲を依頼したことから始まる。こうして作られた「暦年」(雅楽版)は1977年に国立劇場において初演された。

 だが、国内での評価は酷評に近いものだったようだ。誰もこの音楽劇を理解することができなかったのである。

 その後、この曲はヨーロパで洋楽器を用いて上演され、そこでは対照的にきわめて高い評価を獲ることになった。シュトックハウゼンはこの「暦年」をきっかけとして、彼の生涯を代表する上演時間29時間に及ぶ超大作オペラ「リヒト」を作ることになり、そして「暦年」(洋楽版)はそこに「火曜日」として組み込まれた。今回30日に佐藤信による新演出で日本で初めて演奏されるのがこの曲である。


 この曲を作るにあたって、木戸敏郎氏とシュトックハウゼンは長い対話を行った。一度は作曲を断念しようとしたシュトックハウゼンに、木戸氏は粘り強く説得を続けた。ほとんど2人による共作と呼んでもいいくらいである。そして、この雅楽版の「リヒト」は8月28日に37年ぶりに演奏されることになったのだ。そう言えば、2001年の「9.11事件」の時に、「リヒト」を上演予定だったシュトックハウゼンが、「暦年」での大天使とルシファーの戦いに言及して「あれはルシファーのアートだ」と発言して世界中からバッシングされ、「リヒト」の上演が中止になった事件も思い起こされる。洋楽版では年を数えるゲームを邪魔しょうとするルシファーと大天使ミカエルの戦いが描かれていたからだ。

 この「暦年」が誕生した経緯に関して、サントリーホールのホームページや木戸敏郎氏のインタヴューが複数あり、いずれもとても興味深い。木戸氏が一貫して続けてきた仕事である、古代エジプトや正倉院に残された古楽器を復元する作業にも似て、もはやその本来の音楽が分からなくなってしまった雅楽の楽器(唐楽器)を現代に蘇らせようとする壮大な実験のひとつだった。

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2014/producer.html#rekinen

http://ooipiano.exblog.jp/17313520/

 そして更に木戸氏は今回の「暦年」雅楽版、洋楽版の歴史的な再演に当たって、一柳慧と三輪眞弘という日本人作曲家2人に新曲を依頼してきたのである。

 三輪眞弘の新作「59049年カウンター ―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」はこうして作られた。

 この作品は「暦年」への返歌、もしくはアンサーソングのようなものである。というか、タイトルにも表されているように、桁人と呼ばれる10人のパフォーマーは年をカウントしているのであるから、基本的なコンセプトはシュトックハウゼンと同じであり、年を数えながら人類の歴史を振り返るという構想で作られている。ただ違っているのはそれが三進法の数字でカウントされているということだ。三輪が近年多用している「蛇居拳算舞楽」システムによって曲が作られているところから三進法となった。三輪が提唱する「逆シミュレーション音楽」では、コンピュータ上で作られたものを人間が生身の身体を使って上演するということに重きが置かれている。三輪は録音された音楽を「録楽」として音楽からは区別し、聴衆の前で生身の人間が演奏し、神に「奉納する」ものだけが「音楽」だと主張している。「またりさま」も、フォルマント兄弟が行う人工音声による楽曲も、すべてこのような方法論によって作られてきた。

 10人の桁人は10桁の三進法の数字をそれぞれがカウントしていく。舞台上手側の5人が「LST」チーム、下手側のチームが「MST」チームと呼ばれるが、これは通常は二進法で「LSB( least significant bit )」(最上位ビット)「MSB(Most signiificant bit)」(最下位ビット)と呼ばれている最後を三進法だからと「Trit」に読み替えたものであり、それぞれが下位の5桁、上位の5桁ということになる。そうすると10桁の三進法の数値の最大値は「2222222222」となるわけで、これを十進法に直した数字がタイトルの「59049」になる。

 三輪眞弘自身による解説はこちら

http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/59049.html

 5人2組の「桁人」(けたびと)たちは、横浜都市文化ラボが昨年度実施した「パノラマ・プロジェクト」において三輪が作った「みんなが好きな給食のおまんじゅう」と同様に、サミュエル・ベケットの「Quad」を彷彿とさせる動きを行うが、全員が百均ショップで売っているポンチョ型の雨合羽を着用して、うなだれて移動している。これは、福島原発事故の後テレビなどでよく目にした「防護服」を強くイメージさせる。藤井貞和氏が三輪のために書いた消滅してしまったとされる架空の少数民族ギヤック族の神話「ひとのきえさり」もまた、原発事故を強く想起させる。この言葉は、ルールに基いて対角線を移動する桁人によって手渡されるカードによって伝えられ、テノール歌手とバリトン歌手によって朗々と歌い上げられる。彼らはしたがって「詠人」(よみびと)と名付けられる。

「Quad」の動きはこちら。

 13人の演奏者は「傍観者」と呼ばれる。基本的には洋楽版の「暦年」と同じようにピッコロ、フルート、サックス、チェロといった通常の楽器も使用されるが、シンセサイザーやドレミパイプなども用いられる。また、LSTチーム、MSTチームも全員が鳴り物(桁人はシェイカー、詠人はレインスティック)を持って決められたルールでリズムを刻む。各楽器演奏者はそれぞれの担当する桁人の動きと向きによって異なる音列を演奏する。したがって、桁人が「楽譜」の代わりになっているのだ。また、ドレミパイプは対角線を移動する時にのみ演奏されたり、アンヴィルが叩かれると全員が休み、その間、桁人のシェイカーの音のみが鳴り響く時間帯もある。これもまた、「暦年」のルシファーの介入による中断に対応しているようだ。また、傍観者達は演奏を中断している間、くつろいだり私語をしたりしてもいいという指示がなされている。

 いろいろと説明しても、それでは実際にどういうことになるのか、これは結局全員でリハーサルしてみるまで分からなかった。一応コンピュータ上でシミュレーションはしてあるが、三輪自身にも分からなかったようである。リハーサルで初めて耳にしたその音楽は、まず基本的に雅楽器を用いた舞楽のように聞こえ、また「Quad」を彷彿とさせる打撃音、激しいパーカッションパートや時として激しく響き渡るホーンセクションと、けっして単調ではなく豊かで多彩な音響空間を作り上げていた。不思議なことにエンディング近くではきちんと作られたコーダになっているように思われた。LSTとMSTチームは異なるスピードで移動するが、どちらもゆっくりした動きであることに間違いはない。カッパのフードを目深に下げて俯きながら行進をするその様子は、防護服を身にまといとりかえしのつかない事故を起こしてしまいさまよい歩く様子を思い起こさせ、シュトックハウゼンの元曲が基本的には天使と悪魔の戦いの中から「光=神」の発現を想起させるのに対して、三輪のこの作品の方はより黙示録的な様相を呈しているように思われる。そしてその響きはまぎれもなく三輪眞弘の音楽であり、一人ひとりがみんな異なる身体を持つ若い10人の学生の真剣な動きによってのみ進行するこの儀式はピリピリとするような生演奏の緊張感に貫かれている。

 蛇居拳算舞楽の動きは初期値ですべてが決定される。今回はLSTチームの155ループ、MSTチームの53ループで初期値に戻り、そこが終了地点となる。その時に年カウンターに示される数字に誰しもが衝撃を受けることだろう。上演時間はおよそ24分、登場、退場を入れて約30分の作品である。

 言い忘れたが、舞台上にはさらに「暦年」のルシファーの代わりに、バイキンマンのような衣装をまとった「悪魔」が登場することになっている。悪魔はラップトップ上のシミュレータと舞台の動きを見比べながらもしエラーが起こったら修正を行うことになっているが、「暦年」の悪魔とは違って、年の進行を正しく推し進める役割で登場する。そしてここに大天使ミカエルはいない。あたかも滅びに向けて進む年の歩みを悪魔が事務的に管理しているかのようだ。そしてもしもエラーが起こったら、原発事故と一緒で取り返しのつかないことになってしまう。具体的には無限ループに陥ってしまって終わりにすることができなくなるという、考えるだけでも恐ろしいことになる。だから、悪魔は登場することなくずっと座ったままでいてくれることが望ましい。また、桁人チームの監督であるぼくが、とても平常心では見ていられない理由もそこにある。だが(これを書いている前日時点でだが)、彼らが完璧にやり遂げてくれることをぼくは確信しているのである。

 ということで30日の本番を前にメモ代わりに書いてみた。本番でまた何か気づくことがあれば後で加筆することにしたい。
 

 無事終了しました。コメント欄に感想を追加しました。以下は当日リハーサルの様子。

Img_0592


Img_0595


« ちくま学芸文庫版・R.ローティ『プラグマティズムの帰結』が出ます! | トップページ | 国立大学がいま大変なことになっている(承前) »

「文化・芸術」カテゴリの記事

コメント

サントリーホールでの三輪眞弘「59049年カウンター」無事終了。

リズムが少しもたついたり、危うく悪魔の出番になりかけたり、冷や冷やしましたが、それも作者の企みのうち。8割がたうまく行ったということで、全員で祝杯をあげました。

パーカッショニストやダンサーではなく、普通の素人の若者が演奏するというのは最初から三輪さんの意図にあったことで、そのためにいつ間違えるか、いつ事故が起こるかはらはらさせるというのも構想のうちだったとはいえ、そこは全員が必死で完璧にやり遂げたいと頑張ることが前提ですので、ナマの緊張感は相当ありました。「一度限りの奉納の儀式としての音楽」という三輪眞弘の音楽美学に貫かれた素晴らしい演奏だったと思います。これは「8割がた」と書いたのと矛盾はしていません。

舞台上の数人以外誰も気づかなかったのですが、事故が起こりそうな瞬間もあったそうです。上手側の暗がりにはシミュレータで監視している「悪魔」が居て、万一動きを間違えた時には出動することになっていました。一度だけ、立ち上がりこそしませんでしたが、腕を振って動かない桁人に合図を送っていたそうです。この「悪魔」君は暗がりにいるために、よく見えなかったかもしれませんので、貴重なオフショットをつけておきます。

演奏者たちは「傍観者」と呼ばれ、福島以外の土地に住む私達のように
、私語をしたり、スマホで記念撮影したり、ツイッターをしたりしています。実際に2つほどツイートがあったそうです。

傍観者は一人の桁人の動きを見ながら演奏をします。楽譜で進行を止めたり進めたりする中央のパーカッションと、対角線上に動くときのみ演奏する左右の「ドレミパイプ」奏者以外は、桁人と一対一対応しています。学生たちはそれぞれの担当の演奏者とのペアになりますので、みんな自分担当の演奏者の名前をちゃんと把握していました。一期一会の出会いをみんなちゃんと把握していたのが素敵でした。

始まる前に全員の背中を叩いたのですが、「俺達は野球部じゃないだから、みんなで気合を入れるようなことはしない。一人ひとりが今回のことを噛み締めて舞台にのぼるんだよ」と言って送り出しました。教師としてこんな出会いを彼らに与えることができてとても幸せです。

うまく行くことばかりではありませんが、今週の京都精華との合同セミナーやその後の四都市での野外演劇公演もこの調子で成功させたいと思います。

終わった後はサントリー財団主催の華やかな打ち上げパーティ、さらに近くの居酒屋での三輪さんを囲む二次会にも全員が参加。3,4人はなかなか席を立とうとせず、ぼくと一緒にJR最終で何とか帰りました。残留組と三輪さんは3:00まで続けていたそうです。

それと祝詞のように詠み上げられる歌詞がわからない。字幕を出してほしいという話には、三輪さんは絶対にそれはしたくない、テキストから意味を読み取るのではなくて、たとえ分からなくても音を聞いて欲しいからという意見でした。ここは難しいところで、どんなに過剰でも意味が完璧にわかるということを求めるぼくのようなタイプと、その奥に何かあることを感じさせながら、わからないまま必死で意味を音の中に探し求めることを必要としているという三輪さんとの違いかもしれません。ただ、本当は歌手の方のことばがことばとして聴衆の耳に入っていくことができたら、それが一番だったのかもしれませんが、おそらくあの音響空間ではそれはかなり難しいことだったと思います。

今回の作品は三輪さん自身にとっても大きな転機となる作品だと思います。少なくともぼくには前半のシュトックハウゼンの演奏よりも優れているものだと思われました。

個人的には、機械的なプログラムの中にエラーを生じさせる(かもしれない)この危うい素人たちによるパフォーマンスは、要素としては結構重要なのではないかと思うので、もしかするとこの次にも「蛇意拳算舞楽」の新曲がが作られるかもしれないと思っています。その時は今回以上に完璧なチームを作りたいと思いますので、三輪さんいつでも声をかけて下さい。

関わってくれた皆さん、聴きに来てくれた皆さん、ありがとうございました。

コメントを書く

コメントは記事投稿者が公開するまで表示されません。

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/16230/60222875

この記事へのトラックバック一覧です: 三輪眞弘「59049年カウンター―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」について:

« ちくま学芸文庫版・R.ローティ『プラグマティズムの帰結』が出ます! | トップページ | 国立大学がいま大変なことになっている(承前) »

最近のトラックバック

2017年4月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30