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2016.10.30

地方から見た「アートフェス」のリアル。

山形大学准教授の貞包英之氏によるネット版「現代ビジネス」の記事を読んだ。


国家や行政に「動員される」、「元々自らの中に国家や権力に対抗する姿勢を持っていなかったアーティスト」という視点は耳に痛い人が多いのではないだろうか? 大阪万博の時とは、国家と個人の関係は違うとは思いながらも、確かにオリンピックに向けて更に乱立していくアートフェスを見ていると、その光景がだぶって見えてくる。ディレクターがいつも、北川フラム、南條史生、芹沢高志といったような同じ人の名前が出てくるのにも、誰も批判すらせず、黙っている。

80〜90年代に地方活性化の目的で、観光用の「◯◯太鼓」がどんどん作られていった。指導していたのはみんな同じ人達。伝統も、背景も何もないところにどんどん地域おこしのための「◯◯太鼓」が生産されていった。子供たちが一生懸命太鼓を叩いているのは確かに美しいが、結局は彼らは大人たちの政策に「動員」されていたのだ。今のアートフェスはそれと同じ臭いが確かにするし、「目玉」の傍らで、いかにも口実として展示されるしょぼい「地元作家」や「その地域の風景や町並み」に対するこの人の眼差しも共有できる。確かに、まるでアートフェスが開かれていなければ、この地域は来るべき何の価値もないと言っているようなものだからだ。

その一方で、この人も疲弊する地方のために「アートフェス自体には反対」できない。やはりそれを肯定しながらも、こうした大きな流れに「敵対する」アーティストの登場に期待するしかないというのがいかにも苦しい。

しかし、そこまでアーティストに期待するのは酷かもしれない。彼らにできることはせいぜい参加しないことくらいだけれども、招かれたのにそれを断るというのは、特に活動の場所が少ないアーティストにとっては難しい上に、問題を起こしてもう二度と呼ばれなくなるリスクをおかすことはもっと難しいだろう。

唐十郎はけっして「演劇祭」や「演劇フェスティバル」に参加しようとはしなかった。「なぜですか?」と聞いたら、「だって芝居はそれ自体がお祭りなのだから、お祭りが沢山集まっちゃったら面白くなくなっちゃうじゃない」というようなことを言っていた。

自分の作品のことしか考えないアーティストと違って、唐さんはいつも観客の視点で物事を見ていたことが、今なら分かる。確かにお祭りばかり沢山集めたって、一つ一つの意味は弱められてしまう。あるいは「沢山一度に見られて面白い」というようなアートの消費者たちとは異なる観客を求めるアーティストにとっては、アートフェスはむしろ敵対しなくてはいけないものだということにはならないだろうか?

アートフェスに参加することで新しい発見が生まれ成長するアーティストは確かにいるし、この人が書いているように、ようやく文化にお金が流れるようになった今の状況を全否定することは、ぼくにもできない(第一、最初の横浜トリエンナーレで共犯者になってしまっているし)。しかし、同時に腑に落ちないことや、「空気を読める」人たちによる大政翼賛会的ないまのアートフェス流行りに対して、胸の奥にどんよりと溜まる違和感はいつまでも消えないのである。

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