2014.08.28

三輪眞弘「59049年カウンター―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」について

 8月30日のサントリーホールでの「世界初演」に向けてリハーサルが続いている三輪眞弘作「59049年カウンター ――2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」は、同日に上演されるカールハインツ・シュトックハウゼン(1928-2007)の「暦年」(洋楽版)に対する「21世紀からの応答」として新たに三輪眞弘に委嘱された作品である。横浜都市文化ラボ「桁人チーム」として学生10人がパフォーマンスに参加している。6月から三輪眞弘が何度も横浜に来て練習を重ねてきた。いよいよ本番である。

 この曲が作られた裏には、とても複雑で味わい深い物語がある。

 この物語は、今回の企画のプロデューサーであり、長年国立劇場の演出室長を務められた木戸敏郎氏(ぼくも記号学会で面識がある)が、ケージやブーレーズとともに20世紀現代音楽を代表する作曲家と言われるシュトックハウゼンに雅楽の楽器を用いた新曲を依頼したことから始まる。こうして作られた「暦年」(雅楽版)は1977年に国立劇場において初演された。

 だが、国内での評価は酷評に近いものだったようだ。誰もこの音楽劇を理解することができなかったのである。

 その後、この曲はヨーロパで洋楽器を用いて上演され、そこでは対照的にきわめて高い評価を獲ることになった。シュトックハウゼンはこの「暦年」をきっかけとして、彼の生涯を代表する上演時間29時間に及ぶ超大作オペラ「リヒト」を作ることになり、そして「暦年」(洋楽版)はそこに「火曜日」として組み込まれた。今回30日に佐藤信による新演出で日本で初めて演奏されるのがこの曲である。


 この曲を作るにあたって、木戸敏郎氏とシュトックハウゼンは長い対話を行った。一度は作曲を断念しようとしたシュトックハウゼンに、木戸氏は粘り強く説得を続けた。ほとんど2人による共作と呼んでもいいくらいである。そして、この雅楽版の「リヒト」は8月28日に37年ぶりに演奏されることになったのだ。そう言えば、2001年の「9.11事件」の時に、「リヒト」を上演予定だったシュトックハウゼンが、「暦年」での大天使とルシファーの戦いに言及して「あれはルシファーのアートだ」と発言して世界中からバッシングされ、「リヒト」の上演が中止になった事件も思い起こされる。洋楽版では年を数えるゲームを邪魔しょうとするルシファーと大天使ミカエルの戦いが描かれていたからだ。

 この「暦年」が誕生した経緯に関して、サントリーホールのホームページや木戸敏郎氏のインタヴューが複数あり、いずれもとても興味深い。木戸氏が一貫して続けてきた仕事である、古代エジプトや正倉院に残された古楽器を復元する作業にも似て、もはやその本来の音楽が分からなくなってしまった雅楽の楽器(唐楽器)を現代に蘇らせようとする壮大な実験のひとつだった。

http://www.suntory.co.jp/sfa/music/summer/2014/producer.html#rekinen

http://ooipiano.exblog.jp/17313520/

 そして更に木戸氏は今回の「暦年」雅楽版、洋楽版の歴史的な再演に当たって、一柳慧と三輪眞弘という日本人作曲家2人に新曲を依頼してきたのである。

 三輪眞弘の新作「59049年カウンター ―2人の詠人、10人の桁人と音具を奏でる傍観者たちのための―」はこうして作られた。

 この作品は「暦年」への返歌、もしくはアンサーソングのようなものである。というか、タイトルにも表されているように、桁人と呼ばれる10人のパフォーマーは年をカウントしているのであるから、基本的なコンセプトはシュトックハウゼンと同じであり、年を数えながら人類の歴史を振り返るという構想で作られている。ただ違っているのはそれが三進法の数字でカウントされているということだ。三輪が近年多用している「蛇居拳算舞楽」システムによって曲が作られているところから三進法となった。三輪が提唱する「逆シミュレーション音楽」では、コンピュータ上で作られたものを人間が生身の身体を使って上演するということに重きが置かれている。三輪は録音された音楽を「録楽」として音楽からは区別し、聴衆の前で生身の人間が演奏し、神に「奉納する」ものだけが「音楽」だと主張している。「またりさま」も、フォルマント兄弟が行う人工音声による楽曲も、すべてこのような方法論によって作られてきた。

 10人の桁人は10桁の三進法の数字をそれぞれがカウントしていく。舞台上手側の5人が「LST」チーム、下手側のチームが「MST」チームと呼ばれるが、これは通常は二進法で「LSB( least significant bit )」(最上位ビット)「MSB(Most signiificant bit)」(最下位ビット)と呼ばれている最後を三進法だからと「Trit」に読み替えたものであり、それぞれが下位の5桁、上位の5桁ということになる。そうすると10桁の三進法の数値の最大値は「2222222222」となるわけで、これを十進法に直した数字がタイトルの「59049」になる。

 三輪眞弘自身による解説はこちら

http://www.iamas.ac.jp/~mmiwa/59049.html

 5人2組の「桁人」(けたびと)たちは、横浜都市文化ラボが昨年度実施した「パノラマ・プロジェクト」において三輪が作った「みんなが好きな給食のおまんじゅう」と同様に、サミュエル・ベケットの「Quad」を彷彿とさせる動きを行うが、全員が百均ショップで売っているポンチョ型の雨合羽を着用して、うなだれて移動している。これは、福島原発事故の後テレビなどでよく目にした「防護服」を強くイメージさせる。藤井貞和氏が三輪のために書いた消滅してしまったとされる架空の少数民族ギヤック族の神話「ひとのきえさり」もまた、原発事故を強く想起させる。この言葉は、ルールに基いて対角線を移動する桁人によって手渡されるカードによって伝えられ、テノール歌手とバリトン歌手によって朗々と歌い上げられる。彼らはしたがって「詠人」(よみびと)と名付けられる。

「Quad」の動きはこちら。

 13人の演奏者は「傍観者」と呼ばれる。基本的には洋楽版の「暦年」と同じようにピッコロ、フルート、サックス、チェロといった通常の楽器も使用されるが、シンセサイザーやドレミパイプなども用いられる。また、LSTチーム、MSTチームも全員が鳴り物(桁人はシェイカー、詠人はレインスティック)を持って決められたルールでリズムを刻む。各楽器演奏者はそれぞれの担当する桁人の動きと向きによって異なる音列を演奏する。したがって、桁人が「楽譜」の代わりになっているのだ。また、ドレミパイプは対角線を移動する時にのみ演奏されたり、アンヴィルが叩かれると全員が休み、その間、桁人のシェイカーの音のみが鳴り響く時間帯もある。これもまた、「暦年」のルシファーの介入による中断に対応しているようだ。また、傍観者達は演奏を中断している間、くつろいだり私語をしたりしてもいいという指示がなされている。

 いろいろと説明しても、それでは実際にどういうことになるのか、これは結局全員でリハーサルしてみるまで分からなかった。一応コンピュータ上でシミュレーションはしてあるが、三輪自身にも分からなかったようである。リハーサルで初めて耳にしたその音楽は、まず基本的に雅楽器を用いた舞楽のように聞こえ、また「Quad」を彷彿とさせる打撃音、激しいパーカッションパートや時として激しく響き渡るホーンセクションと、けっして単調ではなく豊かで多彩な音響空間を作り上げていた。不思議なことにエンディング近くではきちんと作られたコーダになっているように思われた。LSTとMSTチームは異なるスピードで移動するが、どちらもゆっくりした動きであることに間違いはない。カッパのフードを目深に下げて俯きながら行進をするその様子は、防護服を身にまといとりかえしのつかない事故を起こしてしまいさまよい歩く様子を思い起こさせ、シュトックハウゼンの元曲が基本的には天使と悪魔の戦いの中から「光=神」の発現を想起させるのに対して、三輪のこの作品の方はより黙示録的な様相を呈しているように思われる。そしてその響きはまぎれもなく三輪眞弘の音楽であり、一人ひとりがみんな異なる身体を持つ若い10人の学生の真剣な動きによってのみ進行するこの儀式はピリピリとするような生演奏の緊張感に貫かれている。

 蛇居拳算舞楽の動きは初期値ですべてが決定される。今回はLSTチームの155ループ、MSTチームの53ループで初期値に戻り、そこが終了地点となる。その時に年カウンターに示される数字に誰しもが衝撃を受けることだろう。上演時間はおよそ24分、登場、退場を入れて約30分の作品である。

 言い忘れたが、舞台上にはさらに「暦年」のルシファーの代わりに、バイキンマンのような衣装をまとった「悪魔」が登場することになっている。悪魔はラップトップ上のシミュレータと舞台の動きを見比べながらもしエラーが起こったら修正を行うことになっているが、「暦年」の悪魔とは違って、年の進行を正しく推し進める役割で登場する。そしてここに大天使ミカエルはいない。あたかも滅びに向けて進む年の歩みを悪魔が事務的に管理しているかのようだ。そしてもしもエラーが起こったら、原発事故と一緒で取り返しのつかないことになってしまう。具体的には無限ループに陥ってしまって終わりにすることができなくなるという、考えるだけでも恐ろしいことになる。だから、悪魔は登場することなくずっと座ったままでいてくれることが望ましい。また、桁人チームの監督であるぼくが、とても平常心では見ていられない理由もそこにある。だが(これを書いている前日時点でだが)、彼らが完璧にやり遂げてくれることをぼくは確信しているのである。

 ということで30日の本番を前にメモ代わりに書いてみた。本番でまた何か気づくことがあれば後で加筆することにしたい。
 

 無事終了しました。コメント欄に感想を追加しました。以下は当日リハーサルの様子。

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2014.02.17

劇団ドガドガプラス、浅草版『ロミオとジュリエッタ』、22日から始まります!

先日通し稽古を見に行かせて頂いた時に、主宰の望月六郎さんから当日お客さんに渡したいのでと応援メッセージを頼まれた。これは書いてある通りに、本当に面白いです。ニッパチと言って2月にはお客さんが来ないと言われているけど、こんなに面白いものを見ない手はない。会場は、かつて渥美清、井上ひさし、萩本欽一、ビートたけしらを生み出した元ストリップ劇場「フランス座」! いまは「東洋館」という寄席になっている浅草六区のど真ん中です。掛け値なしに面白い。大々的に宣伝しますので、是非足を運んで自分の目で体験してみてください。

詳しい公演情報はこちらのサイトをご覧下さい。

また、望月さんのblogはこちらです。

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望月版『ロミオとジュリエッタ』の見所!

        劇団ドガドガプラス応援団/横浜国立大学教授 室井 尚

 劇団ドガドガプラスの公演を初めて見たのは、立ち上げから1年後の2007年のことである。あれからもう7年も経つ。その間、この劇団と望月六郎はものすごい勢いで進化してきた。日本中見渡してもこんなにオリジナルな劇団は見当たらない。作家性とエンターテイメント性、さらには歴史に対するしたたかな批評意識を併せ持っているだけではなく、そこにレヴュー形式の華やかな歌とダンスシーンまでが加わる。終わった後には爽快な解放感と沈殿する深い悲しみの両方が胸に残る、そんな不思議な演劇なのだ。
 今回の望月版『ロミオとジュリエッタ』は、劇団ドガドガプラスのこれまでやってきたことの集大成と言ってもいい傑作である! 心して楽しんで頂きたい。
 舞台は元禄時代の吉原/浅草。そこには赤穂浪士を含めた支配階級たる武士たちと、吉原を仕切る忘八者や花魁・女郎たち、中国人、河原乞食=芸能者たちといったさまざまな階級と集団が登場する。それぞれがぬぐいきれない宿業を背負っており、とても魅力的な群像劇に仕上がっている。ゆうき梨菜、前田寛之、そして劇団唐組からの客演・赤松由美、岡田悟一がしっかりと脇を固め、他の客演陣、若手たちもみんな力一杯演じていて気持ちがいい。
 人間は本来的にはただの生身の生き物である。本能が少しばかり壊れてしまってはいるが獣(けもの)であることにかわりはない。文化とか制度とかいうものは、その皮膚の上っ面に張りついた薄っぺらな構築物にすぎない。それなのに、人はいつもしきたりやお金の方がリアルで、恋や性愛は一瞬の幻想、まやかしだと思いたがる。国家とか社会とか経済という自分たちで勝手に作り上げたフェイクの世界にのめりこみ、みんなそれらに押しつぶされてしまう。もっともっと、ぼくたちは生き物として輝かなくてはいけないんじゃないだろうか?
 望月六郎の作品では、いつも「女」と「性愛」こそが、こうした「地獄」から脱け出すための唯一の「媒介」装置となっている。言うまでもなく性愛こそは「交わり=交通」の場であり、本当にリアルなものであり、人間界のしきたりや経済や歴史を垂直に切り裂き、渦巻きのように上昇する旋風なのだ。ああ、生まれてきて良かった、と思わず口に出してしまうのはそんな時だ。普通には「倒錯」と呼ばれるこのような非時間的な性愛こそが本当のもので、人々がリアルだと思い込んでいる制度や社会の仕組の方が実は倒錯なのだと望月は言おうとしている。
 この『ロミオとジュリエッタ』ではそうした人間社会から逸脱した二人の男女が描かれている。主君の仇討ちで死ぬためだけに生きている赤穂浪士・毛利小平太(別名・狼の目を持つ男「狼眼男」)と、忘八者の組織を継がなくてはならない宿命を持つ犬神一家の一人娘「樹里恵」である。最後に二人はさまざまなしがらみをすべて断ち切って「犬」と化して情愛の嵐を作り上げていく。
 この二人を演じている丸山正吾と中田有紀が凄い! 犬のように吠え、獣のように互いの体臭を嗅ぎ合いながら二人が繰り広げる果てしない道行きの場面は、たとえようもなく美しい! 何度でも見たいし、皆さんにも何度も見て頂きたいと思うほどに素晴らしい。
 シェークスピアの『ロミオとジュリエット』という今では紋切り型と化した戯曲が、望月六郎の魔術によって現代に蘇り、ロマンティックな純愛劇を遥かに超えた、美しい二匹の犬の「性愛の暴風雨」を引き起こす。それは、見る者すべてを巻き込み、頭を痺れさせ、上方へと連れ去り、上空から人の世の不自由さと卑小さを改めて見せてくれることだろう。
 そして、最後に(近松)門左衛門が登場する。虚構の中の美しい結晶として二人はいつまでも生き続けていく—-そして、それが望月六郎の選んだ「演劇」の永遠なのだ。
 さて、それではもうそろそろ幕が開きます。
 お楽しみはこれからだ!

2014.01.16

パノラマプロジェクト東京篇、いよいよ24日から始まります

前回のエントリーが8月で、そこで復活宣言をしたものの、88歳の父が緊急入院、89歳の誕生日の一日前の10月21日にとうとう力尽きました。それから葬儀だとか、お墓の手配とかバタバタしていてタイミングを見つけられず、ここまで放置してしまいました。何回かエントリーを書きかけたのだけど、全部中途半端なままになってしまっています。やはり去年は人の死と向き合う巡り合わせの年だったのでしょう。年賀状を頂いた方には失礼をいたしました。結局、寒中見舞いを出す時間もなくなりそうです。

それでも「パノラマプロジェクト東京篇」は着々と準備が進められていました。

一年以上前の2012年9月のエントリーにも書いてありますが、この時ぼくは鳥取市の「鳥の劇場」で上演されたやなぎみわさんの「パノラマ」を見に行きました。日清戦争から日露戦争にかけて台東区の上野と浅草で大人気を果たし、京都や大阪にも出現した「パノラマ館」を題材にしたこの演劇作品は、2011年から突然演劇の世界に登場したやなぎさんがずっとテーマにしている「メディア」「戦争」「芸術」そして「日本の近代」というすべての問題に関わっています。新しい国民国家としてスタートした日本の最初の戦争である日清戦争のパノラマ画は「日本国民」という新しい意識を生み出し、そこから日本は大陸進出の道を歩んでいくのです。そして、その度にそこには新しいメディア、映画、ラジオ、テレビ、そしてインターネットなどが深く関わっていくことになります。もう一人、そこには子供の頃見たパノラマ館の偽物の「青空」の余りにも鮮烈な「青」を語る詩人ハギワラも登場します。ハギワラは、パノラマ画を描いた画家と詩や美術について語ります。2012年の7月に世田谷美術館で上演されたやなぎさんの「1924三部作」の「人間機械」を見て、余りにも感動したぼくはこの作品を見るためにはるばると鳥取まで行ったのですが、その時にはやなぎさんが単独で初めて演劇台本を書いたこの作品が様々な深い洞察や印象的なシーンを生み出してはいるものの何かもう一つ物足りないような気持ちになりました。そして、すぐにやなぎさんにこの「パノラマ」を一緒に再演しないかという提案をしたのです。

「人間機械」の劇評  ==>

元々のきっかけは演劇を始める決意をしたやなぎさんが浅草・花屋敷で上演中の劇団唐ゼミ☆のテントに見に来てくれたことでした。やなぎさんは学生時代に京都下鴨神社で見た状況劇場の紅テントでの「少女仮面」(おそらくは87年の再演)を見て大きな衝撃を受け、憧れの人である唐さんの芝居を見て回っていたらしい。そこから、やなぎみわと劇団唐ゼミ☆のコラボレーションという話になっていきました。詳しくは唐ゼミ☆のチラシの文章などをご覧下さい。 ===>

さて、そういうことでやなぎさんと劇団唐ゼミ☆の中野、椎野たちと台東区のロケハンをしたのが昨年の1月下旬でした。我々としては横浜でやるのが一番力を発揮できますし、本当はテントでやりたいという話もあったのですが、お互いのスケジュールが合うのが今年の1月〜3月。やなぎさんは昨年の6月、8月に新作「ゼロアワー〜東京ローズ最後のテープ」の予定があり、今年は横浜トリエンナーレに向けての準備がある。流石に冬のテントは寒すぎる。ということで、場所を探していたのです。それにはかつて唐十郎が育ち、「パノラマ館」がかつてあった台東区がいいということで、さまざまな場所を見て回りました。その時に、ファミコン草創期に日本初のゲームのサードパーティ会社「ハドソン」を立ち上げ、いまは浅草で隠居(といってもさまざまな活動を繰り広げている)三遊亭あほまろ(工藤裕司)さんにご紹介して、今回私財を投じて作られた映画『ゆめまち観音』のかつ弁士による上映会もすることになりました。

次に、下町の人たちとのおつきあいが始まり、入谷交差点前にある「焼鳥たけうち」や超近代的な葬儀場、葬想空間スペースアデューを始めとする下谷一丁目界隈の人たちとの交流が始まった。入谷朝顔市にも、盆踊り大会にもみんなで足を運んできました。

さらに古くからの友人である小杉+安藤、吉岡洋、稲垣貴士さん、そして「SPACY」などで有名な伊藤高志さんによる「BEACONプロジェクトチーム」による「BEACON」シリーズの新作を作ってもらうことになった。BEACONとはくるくる回るプロジェクターによる映像インスタレーション作品で、一種のパノラマ装置になっています。

さらにさらに、ぼくがこのところ急速に関心を持ち始めている作曲家/パフォーマーである三輪眞弘さんによる「逆シミュレーション音楽」の新作パフォーマンス「みんなが好きな給食のおまんじゅう」がそこに加わり、もう何だか盛り沢山に過剰な凄いアートイベントにまで話が膨らんできてしまいました。これ、学生チームが頑張って練習していますが、相当面白いです。初日の24日には演劇ユニットのアフタートークのゲストに東京大学の木下直之さんが来てくれます。木下さんの『美術という見世物--油絵茶屋の時代』という著書がやなぎみわ版「パノラマ」のインスピレーションの源になりました。25日にはBEACONのアーティストトークが2:00から、26日にはやはり2:00からあほまろさんの『ゆめまち観音』上映と活弁トークショーが無料で行われます。

助成金などの枠が違うので、演劇ユニット「パノラマ〜唐ゼミ☆版」と、それ以外の複合アートイベント「パノラマプロジェクト」はそれぞれ関連はしているけど別々のイベントと言う形になってはいますが、もちろんこれらは一体で切り離せないイベント=出来事です。

それを今回は複数会場や路地そのものを舞台とした「移動型演劇」として提示したいと思っています。つまり、それぞれの作品がバラバラではなく、下町を歩くという一つの行為の一部として相乗的に重なり合っていければいいと考えています。ですので、焼鳥たけうちへに集合してから地図を受け取り複数の場所を巡って頂く趣向になっていますので、どうぞ防寒の準備だけはよろしくお願いします。三日限り、下町の路地が異次元世界へと生まれ変わります。

そうそう、今回学生チームがすごい働きをしてくれています。ウェプもそうですが、こんな派手な煽り映像も作ってくれました。
「パノラマ〜唐ゼミ☆版」も見違えるよう面白くなり、重要な役を演じることになる椎野裕美子もこんな風にblogで宣伝してくれています。

さらにさらに凄いことがあります。実はぼくも今回はメイクをしてある重要な役割をすることになりました。五十数年の生涯の中で初めての経験です。もう二度としないでしょうから、見逃さないでください。演劇ユニットだけは有料イベントで他の単独のイベントは無料ですが、上にも書いたようにこれはまあ一体のものですので、是非予約をして集合場所にお集まり下さい。それだけの価値はあるとお約束できます。3月末には京都の元立誠小学校でもやりますが、路地の迷宮世界は東京篇だけです。ちょっと遠くてもこっちに見に来る価値は十分あると思います。

というわけで、久しぶりに書きましたが、とにかくこれは来てほしい。Wodiczko以来の最も大きなイベントになります。よろしくお願いします。

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2013.03.10

山口昌男さんのこと

 山口昌男さんが3月10日未明にお亡くなりになった。
 享年81歳だった。

 山口さんに初めてお会いしたのは1988年の明治大学での日本記号学会大会の時。

 この時は中村雄二郎、栗本慎一郎、中沢新一さんにも初めてお会いして、その後それぞれお付き合い頂くことになった。紹介してくれたのは細川周平だった。その後、ぼくの勤めていた帝塚山学院大学に中沢さん、栗本さん、そして山口さんをお招きしたりもしたことがある。記号学会ではパネリストに現東京都知事の猪瀬直樹さんも居て栗本さんと激しくやり合ったりそのちょっと以前から知り合いだった田中泯さんがロビーで踊ってくれたりして、とても豪華な大会だったのだ。その頃は「ニューアカ」ブームは一段落していたが、バブルが始まったところで思想界もかなり華やかな時期だった。

 まだ33歳で生意気盛りだった僕は、山口さんにずけずけと物を言って少しカチンとされたのかもしれないが、二次会にも個人的に誘ってもらって、吉岡洋と一緒に六本木にタクシーで連れて行ってもらった。めったに酒席には出ない中村雄二郎さんと長い時間話したのが印象深い。雄二郎さんとはその後、松岡正剛さんの会や日仏哲学会などで何度もお目にかかり、92年に編集工学研究所研究所が開いてくれた西垣通さんの『デジタル・ナルシス』とぼくの『情報宇宙論』の合同出版記念パーティではスピーチをしてくれた。もう長いこと活動をされていないので余りお元気ではないと思われるのだが88歳になられているはずだ。

 山口さんだがその後、京都造形芸術大学や帝塚山学院大学に来てもらうたびに声をかけて頂いて、祇園にお連れしたり、定宿まで押し掛けたりと親しくお付き合いして頂いた。山口さんはだいたい生意気な若手が好きな人なのだが、とても可愛がってもらったと思っている。その一方、その頃の山口さんは『敗者の精神史』や『挫折の昭和史』といったトリビアルな歴史学に没頭されていた頃で、その方面には余り詳しくもなく関心も薄かったので、むしろバフチンやイワノフらのタルトゥ学派、シービオクといった記号論の動向やメディア考古学的な話をすることが多かった。だから日本記号学会を通してのおつきあいが一番多い。ただ、その後唐さんのところにも再び足を向けてくれ、バッタの時や唐ゼミ☆の公演にもわざわざ駆けつけてくれたりもした。そのことも含めてとても可愛がってもらったと思っている。

 92年に横浜に移った時に、山口さんの還暦記念パーティに参加し、その後山口さんが福島県昭和村で始めた廃校になった小学校(喰丸小学校)を使った文化スクールの立ち上げにも呼んでもらった。北仲スクールや横浜都市文化ラボをいまぼくがやっていることにも大きな影響を与えてもらっている。山口さんとはその後もひんぱんに顔を合わせるようになり、その度に飲みに連れて行って頂いた。西新宿の「火の子」は必ず最後に山口さんが立ち寄るバーであり、新宿駅西口の歩道橋を何度も一緒に渡った。京都の日文研の泊まりがけの研究会でもずっと一緒だった。

 とても印象深いのは99年にドレスデンで開かれた国際記号学会にご一緒したこと。この時、深夜便で空港に着いたぼくが、第二次世界大戦の廃墟がそのまま残るドレスデン駅からホテルまでの2km近くの距離をとぼとぼと歩いていると、白いコートを着た山口さんと誰も居ない道の真ん中でばったり会って、先についた吉岡洋とバーで一緒に飲んで待っていてくれたとのこと。そのまままた引き返して東ドイツ時代のままの寒々としたホテルのバーでまた飲んだ。山口さんは駅の反対側のIbisに投宿していてそのお部屋でも赤ワインを開けて宴会をした。山口さんにはいろいろな人を紹介してもらったが、特に山口さんを国際記号学会に招き入れてくれたトマス・シービオクとの昼食会にも同席させてもらい、貴重な二人の昔話を聞かせて頂いた。あれは、山口さんなりにぼくを後継者として紹介してくれたのだと思ったが、次の年に山口さんは日本記号学会の会長にぼくをとても強引なやり方で指名した。まだ45歳で会長になるのは自分にも周りにもかなり抵抗もあったし、実際にそれが不満で辞めた人も沢山居たのだが、山口さんが徹底的にサポートしてくれたので何とかやり遂げることができたと思っている。

 もの凄くタフで休みなく元気に動き回っていた山口さんだが、2001年に最初の脳梗塞を起こしてから、何度も脳出血で倒れられた。特に2回目、3回目の時にはかなり脳にダメージを負われて、歩くことも不自由になり、大通りの交差点を信号が変わるまでに渡りきれなかったり、言語障害で話せなくなったり、満腹中枢が壊れたのか際限なく食べ続けたりということもあった。信じられないのは、そんな身体の状態なのに、オペラや演劇、展覧会やイベントにすべて参加しようとする。夕方の記号学会の集まりに出て、そのまま下北沢の芝居に行こうとしたりする。つまり絶対に自分の欲望を諦めないのだ。少し調子が良くなるとすぐに海外に行こうとする。ニューギニアに行こうとして、現地では足の不自由な老人は後ろから棍棒で殴られて金を取られますようと言われてようやく諦めたりしたこともあった。自分の行きたいところには必ず行く。そのためには車椅子でも、歩行困難でもどうしても出かけて行こうとするその姿勢は感動的ですらあった。絶対に自分には真似できないと思った。どんな状況にあっても「好奇心の人」だったのである。新国立劇場の出口で一緒になり30分以上もかけてよろよろと歩いて1Fのイタリアンレストランにたどり着き、ほとんど言語障害でまともにしゃべれないのに赤ワインをボトルでオーダーし、一緒にいた細江英公さんと話をしようとしていた(のに、言葉が出てこない)のも印象深い思い出だ。

 2008年の唐組の春公演の時に、休憩時間にテントの外に出ようとした時に入り口付近でぐったりしている山口さんを見つけた。新宿駅からゴールデン街の花園裏までタクシーに乗り、そこからテントまでの数百メートルを歩くのに40分以上を費やし遅れてたどり着いたと言う。そのまま救急車を呼ぼうかと思ったが、大丈夫だというので車で自宅まで送ってもらった。ところが、その一週間後の京大での記号学会には車椅子に乗って上機嫌で顔を出してくれたのである。二日間ずっと楽しそうに学会に参加してワインもしこたま飲んでいた。

 ただそれが最後になった。その数ヶ月後にまた脳の血管が破れ、その後意識不明状態がずっと続いた。それでも時々は意識が戻ることもあったようだが、4年以上退院することはついにできなかった。2年ちょっと前くらいから完全に意識不明の状態で、1年程前にお見舞いに行った時も意識が戻ることはなかった。ただ目は開いているのである。奥さんが毎日手入れしてくれているせいでヒゲも剃られ、血色もよく、胃瘻で栄養を取っているので顎のあたりは痩せていたが、何か山口さんは根をはやした立派な植物としてずっと生き続けるように見えた。今回も一時は危篤状態と言われたのにその後また劇的に体調が戻るなど奇跡的な生命力を見せてくれた。桜の咲く頃まで持つのではないかと思われたが肺炎の状態がひどくてとうとう今日亡くなられたらしい。

 山口さんが日本の思想界に与えた功績ははかりしれない。もちろん「中心と周縁」理論など文化人類学や記号論などの膨大な知識を駆使した理論的な業績、『敗者の精神史』などの日本近代史の闇の部分を掘り起こした歴史学的な業績などが偉大であったことに間違いはないが、何よりもそのフットワークの軽さと行動力において、書斎に閉じこもるものと思われていた知識人のイメージを大きく覆したことが大きい。テニスが本当に好きで、深酒をした翌日も早朝からテニスに興じていた。また、いつも若い世代の仕事に注目していて、中沢新一、細川周平、浅田彰、今福龍太、坪内祐三、平野啓一郎といった人たちを次々に世に送り出して行ったこと。時には煩わしがられたり敬遠されたりするようになったとしても、面白い若手を取り上げ、知的な磁場のようなものを自ら作り上げて行こうとしたことなど、なかなか他の人にはとても真似できないことだと思う。インターネットには関心はなかったが、「週刊山口昌男」をまじめに出そうとしたり、自分自身を「メディア」として捉えようとしていたりといつも時代を先取りしていた。

 いずれにしても、長い闘病生活を終えて、身体から解き放たれた山口さんの魂はいま自由に色々なところを飛び回っているはずだ。山口さん、ありがとうございました。ずっと忘れません。(2013.3.10) 

#写真は日本記号学会結成20周年を記念して、山口さんとの共編で出した『記号論の逆襲』(東海大学出版会)

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#おそらく文化功労賞の時に作られたこんなウェブサイトも見つかりました。

http://masaoyama.web.fc2.com

付記:ネットでの色々な書き込みを見て、どうしてもこれだけは言っておかなくてはならないと思うことがある。それは山口さんが権力的で学界やジャーナリズムの世界でまるで天皇や将軍のような政治力を発動していたという「誤解」に関してだ。
 確かに山口さんは巨大な子供であり、わがままで、マイペースなところはあった。自分の目をかけている若手を売り込むために、文芸誌や出版社の責任者に恫喝まがいの電話をすることもあったし、それを目の前で見たこともある。編集者に対して注文が多かったのも事実だ。そのために山口さんを敬遠する同業者や編集者も確かに居た。
 だけども、それはその場限りのことで、基本的に全く陰険なところのないガキ大将のようなものであり、実際には山口さんが本当の権力者であったことは一度もなかった。むしろ、いつも手痛いしっぺ返しを受けてきた孤独なリア王のようなものだったのである。札幌大学の学長だって追い落とされたし、政治的な状況ではいつも負け組だった。お金にも縁がない人で、財布には二万円以上入っていないことが多かった。いつも損ばかりしている。
 国際記号学会でも役職についたことはなかったし、自分が作ったようなものなのに、日本記号学会でも権力争いに負けて、ようやく会長になったのは設立後20年近く経ってからのことだった。見世物学会とか温泉学会とか、そういう組織を作ってボスになるのは確かに好きだったが、基本的に権力とは全く無縁の人だったのである。
 確かに怖がる人も多かったし、自慢が好きでいばっていたことも事実かもしれないけれど、そのことと人を権力的に支配することとは全然違う。いつも天真爛漫でお茶目な子供のような人だった。


2012.07.10

国立新美術館『具体』展とパリのももクロ

 浅草での三週間にわたる劇団唐ゼミ☆公演「木馬の鼻」も無事に終了した。千秋楽には遠く大阪、京都屋、長野、茨城などからも駆けつけてくれた観客でテントは一杯になった。唐さんのご家族や唐組、Dogadoga+の役者陣や横国の現役、卒業生たちでテントの中は賑やかだった。金、土と雨に祟られたのだが、最終日は好天でいろいろ課題は残しつつも未来へとつながる良い千秋楽だったように思える。この日はわざわざ京都から駆けつけてくれた親しい人たちと1時過ぎまで一緒に楽しく飲んで浅草に泊まり、そのまま大学に行った。

 さて、その間に乃木坂の国立新美術館で開催されている「『具体』--ニッポンの前衛18年の軌跡」を見に行った。火曜日に開かれたレセプションには大垣のIAMASに行っていたので参加することはできなかったが、久しぶりに開かれる「具体」展だと言うことで密かに楽しみにしていたのだが、期待を大きく裏切られた。つまらない展覧会だったのである。

 それにはいくつか理由がある。まず「18年間の軌跡」をできるだけ均等に見せようとしたのか、50年代から60年代初めの熱気溢れる時代と60年代後半から万博までの末期を区別せずに、グループに属していた作家たちの手頃なサイズの作品をそれぞれ4,5点ずつ時代順に順番に並べていること。野外展や舞台でのパフォーマンスの資料映像を流しているだけで、「具体」の持っていた熱くて規格外のパワーを全く感じられない展示スタイルだったこと。何よりも兵庫県立美術館や芦屋美術館のコレクションが中心で、白髪一雄や元永定正の規格外の作品もなく、ましてや嶋本昭三の巨大なスケールでの多面的な活動も紹介されないという、ダイナミズムに欠け、何の驚きもない不完全燃焼の展覧会だったのである。具体の活動を吉原治良という先生の功績にするのはいいが、吉原の戦前からの活動を紹介するだけで、具体だけが持っていた草創期の若いパワーの炸裂に全く迫っていくことのできない、まるでカビのはえた標本箱を並べたような展覧会だったと言っていい。ミシェル・タピエによって世界に喧伝された具体に惹かれて集まってきたひと世代若い後期メンバーたちの作品が、なるほどこれだけまとまって展示されることは少なかったかもしれないが、彼らの中で現在も活躍している人たちの作品も72年の具体解散時までのものに限定されており、具体の持っていた爆発力や可能性を平面や適度な大きさのオブジェの領域に押し込めるだけの展覧会だったように思われる。確かバブル時代の90年代の展覧会では観客に自由に解放されていた嶋本昭三の「この上を歩いて下さい」も「触らないで下さい」という注意書きと共にだらしない木製のオブジェとして横たえられていた。折角夫人や娘によって再制作された故・元永定正の「水」をビニール袋に入れた作品も、国立新美術館のガラスの壁にまるで捨てられたクリスマスツリーのイリュミネーションのように吊るされていた。白髪一雄にしても巨大で迫力のある作品がひとつも展示されていない。展覧会というものが持っている力を全く信じていない人たちによって作られた、図録やカタログを越えだすことのないとても脱力させられる展覧会だったと言っていい。これからこの展覧会はニューヨークにも巡回するらしいが、「具体」という活動を知る者にとってはとても残念なことだ。もう少しなんとかならなかったものだろうか? 関西にならもう少しものの分かる人たちもいただろうに…。

 その間、パリのジャパン・エクスポ(7月5~7日)に遠征していたももクロのライブ映像を見ていた。彼女たちとそのブレインはついにプロレス流の「海外遠征」路線に本格的に足を踏み入れたようである。ドイツのメディア芸術祭イベント、マレーシアの野外ライブに続いて、ゲリラ的にスタッフの持つiPadから生中継されるUstream映像がライブ前とライブ後に流され、三つのライブをパッケージングした「ニコ生」動画との両方を交互に見ていると、リアルタイムで彼女たちが未知の世界に足を踏み入れていく様子が生々しく伝えられてきて、つい力が入ってしまう。コンヴェンションのメインステージとライブハウスで30分程度の短いライブを2回行ったが、一度目は少し不安定だったが、二度目のライブハウスでは見違える程、乗りがよく切れの良いパフォーマンスを行った(ように見えた。パリでは大久保美紀さんが両方ともステージ近くで見ていたようだが、うらやましいなあ)。「ニコ生」には10万人近くの視聴者がいてすぐにはじかれてしまうので、思わず「ブレミアム会員」登録をしてしまった。うまい商売である。しかも、会員登録すると即座にそれが視聴環境に反映するようになっている。ニコ生、恐るべし。ペイパーヴュー視聴ビジネスを完全に塗り替えていくのだろうな。

 浅草で飲んでいる時にも、ももクロ贔屓をみんなに馬鹿にされた。彼らが好きだったという工藤静香や韓流アイドルを例に挙げられてそういうものに一切はまったことがない「アイドル童貞」とからかわれたのだが、何か違うような気がする。批評の問題だと言い返したかったが、まだ確信が持てていない。もちろん、古くは南沙織や山口百恵、ピンクレディやキャンディーズ、松田聖子や中森明菜に興味を持ったことはあるが、別にライブを見に行きたいとか思ったことはない(違うな。もっと沢山興味を持っていたタレントはいた。仁科明子とか、アグネス・チャンとか、薬師丸ひろ子とかその他大勢。それにもっとミュージシャンぽいJ-Pop系タレントなら、ライブも見に行った。何か、それぞれが時代の空気を反映していたような気がして文章にしたこともあるような気がする。だけど、いずれも一瞬だけでそれほど拘泥したことはない。今回のはそれとは全然違う初めての経験のような気がするのである)。前に書いたように、いわば「アートプロジェクトとしてのももクロ」というものに惹かれているような気がするし、期間限定の少女期の身体を用いて黒子としてのスタッフチームが仕掛けていてるアイドルユニットタイプのプロジェクト・アートとでも言ってもいいだろうか。それは、10年以上唐ゼミという大学発のプロジェクトに自分が関わってきたせいかもしれないし(もちろん、ももクロと違って彼らは勝手に成長して行くし、路線ももはや彼ら自身が決めているところがだいぶ違うが)、バックステージやスタッフの動きまでが映像で逐一伝えられるようなメディア戦略にも関係あるのかもしれない(実際、彼女たちのDVDでも、裏の楽屋ネタ的なメイキング映像が不可欠なものとなっているし、地のままでふざけている映像の方が、彼女たち自身のblogや雑誌のインタヴューなどよりもずっと生き生きとして、思わず中学生時代に引き戻されてしまう。多分この部分が彼女たちの一番の才能だ。普通のアイドルやタレントのバックステージを延々と見せられてもきっとすぐ飽きてしまい、かえって興ざめてしまうに違いない)。また、前のエントリーでも書いたように震災後ということや、現在の混迷している政治状況とも結びついているのかもしれない。というわけで、もう一つ自分でも決定的な理由はよく分からないのだが、とにかく関心は今でも弱くなることはなく、むしろ強まってきている。

 パリでのももクロライブについて言えば、「怪盗少女」や「Z伝説」といった日本のライブでは欠かせない彼女たちのキャラクター物の持ち歌を敢えて封印して、ライブの最後を「労働讃歌」と「ニッポン万歳」で締めたというところに、演出家の知性を強く感じた。"JapanExpo"はフランス人のオタクたちによる「Cool Japan」のイベントだが、この時期にパリのHotel de Villeでは「ニッポンの復興」展と題してフクシマ以降の日本の展覧会が開かれていたと聞く。そうした状況に鋭く対応しているのだ。けっして日本でのライブと同じことをやろうとはしていない。

 さらに、これで彼女たちはいまや世界中のどこに行っても10万人を越える視聴者が確保されることが分かったのだから、おそらく秋にも世界のどこかでこうした「海外遠征試合」が行われるのではないだろうか? あとは、8月5日の西武球場で発表されるであろうクリスマス・イベント(球場、もしくは武道館規模の会場での全国生放送?)、そして大晦日の紅白歌合戦というスケジュールになるのだろうが、その前にもう一度大会場でのプロレスか格闘技イベントへの登場も期待したいところだ。あるいは既に9月末には長崎県の稲佐山公園野外ステージというところでのライブが告知されているが、1万5千人以上入るという野外会場に全国から観客を集めて「ウッドストック」の再現を狙っているのかもしれない。新曲の「Z女戦争」で「少女戦士」というコンセプトを強く打ち出しているのは、アウェイの地にどこでも攻め込んで行く少女戦隊という、これまで見たことのないアイドル・プロジェクトを目指しているからであり、それを異物として社会に介入し、揺り動かしていくプロジェクト型アートとして見ることもできるではないかと思っている。いや、むしろアーティストとコラボして欲しいなあ。椿昇とかヤノベ・ケンジとかどうだろうか? 巨大バルーンのオブジェかジャイアント・ロボットとコラボしている彼女たちを見てみたい。あるいは、今の体調では無理だろうけど、ビン投げパフォーマンスをしている嶋本昭三とかどうだろう?
 

 

2012.04.24

反時代的アイドル「ももクロ」を考察する

 どうしようかな、と思いつつも...
 このところハマってしまっている「ももクロ」についてちゃんと書いてみようと思う。

 こういうイロモノの芸能ネタをについてきちんと書くのはなかなか難しい。単におっさんがアイドルにハマっているとしか受け取ってもらえないからだ。まあ、基本的にはそうなのだろうし、「まさか自分がアイドルにはまるなんて」と思っている多くの大人たちと同じ状態に置かれているだけではある。彼女たちはいわゆる「少女アイドル」というカテゴリーに分類されるのだが、思わず引き込まれてしまったのはプロジェクトとしての「ももクロ」である。だからコンセプト・メイキングの素晴らしさと、それをきちんと形にしているパフォーマーとしてのこの15〜18歳までの少女たちを含めてすべて面白がっている。ちょっと長いが最後まで読んでもらえば、なぜ関心をもち続けているのか(単なる「投影」とか「転移」と言われればそれはその通りなのかもしれないが)が分かってもらえると思う。

 学生から教えてもらって、「YouTube」などでそのアクロバティックなダンスと戦隊物やプロレスのコスプレを見ていたうちは、なるほどこれは爛熟した日本のサブカルからしか生まれない一種のバロキズムだし、まだ韓国には真似できない独自の文化だなとは思ったが、それでも冷静でいられた。ハマってしまったのは、年末近くなって「労働讃歌」と、遅ればせながら「Z伝説--終わりなき革命」のPVを見てからからである。さらに「労働讃歌」発売日の11月23日、仙台ZeppホールでのライブのUstream映像で、彼女たちがニッカボッカと地下足袋姿で歌っているのを見てから、すっかりハマってしまった(これはまだYouTubeでも残っているはずである)。この「労働讃歌」で大槻ケンヂの書いた歌詞は近年のポップスの中では本当に出色の出来である。

 震災で立ち尽くしている日本人たちに向けて、「ももクロ」は4月の中野サンプラザでの「ももクロ〜春の一大事」で早見あかりというチームの中核を担ってきたメンバーが脱退するという「喪失の儀式」を大々的に行った。その後「試練の七番勝負」というイニシエーションを経て、「ももいろクローバーZ」という戦隊物のパロディへと「脱皮」したわけであるが、そこでは大きなものを失っても「力一杯歌って、踊って、みんなの笑顔を守る」使命を通して「世界を救う」終わりなき(ももクロ)革命という、まさしく「永久革命」の理念を提起している。「労働讃歌」では、公金のバラマキとデフレ克服というバブル時代そのものの新自由主義へと戻ろうとする反動の嵐が吹きまくり、完全に錯乱した大衆が、橋下や竹中や小泉といった過去の亡霊にすがりつくという現在の絶望的な政治状況の中で、土地や株式配当などによる不労所得を否定し、「額に汗して働くことからしか未来は生まれない」というメッセージを、労働者に扮した少女たちが全力で伝えてくる感動的なシーンを作り出した。いまだに瓦礫撤去や津波で洗い流された砂漠のような町を前に立ち尽くす東北の地で、ニッカボッカと地下足袋姿で全力で踊りまくる少女たちのライブ映像を見て、思わず「ももクロ」信者になってしまったというのが本当のところである。これは本当に素晴らしい! 多分、ヒットラー・ユーゲントの天使の歌声に魅了されたナチス時代のドイツ人もそうだったのだろうな。ロリコンや百合的なくすぐりだけで全くバロック的要素のないAKB他の少女アイドルたちとはぜんぜん違う。歌はうまくはないし、音程はよく外す。踊りも全力感以外はいまひとつ。みんな背が低くて幼児体形で寸胴だ。しかし、それでも彼女たちの生命感溢れる躍動と輝きは尋常ではない。

 このプロジェクトのひとつの特徴は、インターネットを重要なメディアとして活用していることだ。「にこ生」や「Ustream」での送り手側自身によるネットでの発信はもちろんのこと、「YouTube」での「違法」アップロードされたDVD映像までもが宣伝に使われている。これらの映像はもちろん削除されるが、それでも一週間程度は放置されていて何万・何十万のダウロードは制作側で許容しているように見える。もちろん、プロモーションとしてアップロードされた映像も何百万人もがアクセスしている。したがって、営業戦略としてネットを意図的に使っているとしか思えない。これらの映像はもはや削除されてしまって見られないものが多いが、逆に言えば検索をこまめにかけていればほとんどの商用映像をネットで見ることができる。毎日ネットにアクセスするユーザーにとって、彼女たちの映像を探すことが習慣となってしまい、とても効果的な営業戦略である。映像戦略としてはそれ以外にもインディー系の映画や地方のローカル番組などにも積極的に出演すること、ネット放送で有料配信されている番組「ももクロchan」やCS番組などのインターネット流出をむしろ積極的に許容していることからも、それが意図的なものであることが分かる。とりわけ、ライブの固定カメラによる実況映像はUstreamで生配信されたり、深夜にゲリラ的に突然放送されたり、それらのYouTube転載を黙認していることからもよく見て取れる。つい毎日、ももクロの新しい映像配信を検索してしまうような仕掛けになっている。

 もっとも映像によるプロモーション自体がそれほど新しいわけではない。特徴的なのはこれらの映像が、ひとつの物語性を明確に持っていることであり、その物語とは基本的には「小さな少女たちが路上や大型電器店ライブでの下積みからのし上がって、紅白歌合戦に出演することを目指す」という––それ自体はとても陳腐な––ストーリーから構成されている。彼女たちは、路上でラジカセでのライブから始まり、インディーズ・デビュー後には空き地や大型電器店の店頭ライブなど、ワゴン車で寝泊まりしながら全国各地でCDの手売りや握手会を催してファンを増やしていく。そして一年後にメジャーデビュー。「行くぜっ!怪盗少女」でオリコン・デイリーランキング1位というストーリーが、2008年から2010年にかけて展開されている(インディーズ時代のCDもオリコン20位以内に入っていたのだから、そもそもがインディーズ・デビュー自体が仕掛けられた戦略だったとしか思えない)。そして2010年12月の「ももいろクリスマス」という初のホールコンサートで1000人以上の観客を集め、2011年の4月の中野サンプラザ、8月のよみうりランドで数千人、さらには2011年12月の「ももクリ」ではさいたまスーパーアリーナで一万人のライブを実現する。結局紅白には出演できなかったので、2012年の4月には横浜アリーナで2日連続のライブ(観客動員2万5千人+全国38会場でのライブビューイング)というのが、この一年のストーリーだ。横アリの後はNHKホールや西武ドームが予告されている。

 楽曲も普通の10代の少女たちの不安定な気持ちを表現したものから、戦隊モノのパロディ、アニメの主題歌風のもの、格闘技モノ、「労働讃歌」のように中年の男たちの気持ちを歌わせられているものとバラエティに富んではいるが、基本的にはすべて自己言及的に、こうしたストーリーと結びつけられるように作られており、消費者たちはこの「ももいろクローバー」というサクセスストーリーに自発的に参加するように仕組まれる。サイリウムを振りながらライブを全力で応援するファンたちは「モノノフ」という彼女たちの夢を支える重要な登場人物としてこのドラマに組み込まれていく。芸能人やお笑い芸人が彼女たちにハマるのはそのためであり、しかもそのこと自体がすぐさま、彼女たちのバラエティ番組への出演という営業戦略へと反映されていく。

 しかし、要するにこうした物語は制作側によって作られたフェイクにすぎない。紅白歌合戦に出たところでそれは普通の芸能人になるにすぎないわけで、そんなことを制作側は本当には目指していない(多分それが実現してしまえばこのストーリーは終わりだ。だからそれを望まないのなら、唯一の有効な戦略はこのストーリーをぶち壊し、たとえば「海外武者修行」とかの全く別なストーリーを作り出すことだが、果たしてそこまでできるだろうか?)。ただ、少女たちはその物語を本気で、全力で生きようとしており、そのストーリーを完全に身体化している。この「紅白を目指す」というストーリーは彼女たちによってまるで「甲子園を目指す」高校野球部のように完璧に再現されており、スポ根モノのマンガ、もしくはミュージカル仕立てサクセスストーリーのように構成されている。これは、この仕掛けの中心にいるマネージャーの川上アキラ氏が明らかにしているように、80年代に新日本プロレスの新間寿やアントニオ猪木、そして90年代に団体対抗戦路線を進めてきた全日本プロレス、全日本女子プロレス、さらには「FMW」、「K-1」、「PRIDE」や「ハッスル」などの格闘技イベントが作り上げてきた営業戦略をとても強く引き継いでいる。

 次から次へと現れる悪魔のように強い敵と戦うという力道山以来のプロレスのストーリーを、新間寿とアントニオ猪木はフィクションと現実の境目が分からなくなるほどにまで練り上げてファンを引き付けて行った。ももいろクローバーで凄いのは、「Chai-Maxx」という「明日のジョー」を意識した楽曲で、プロレスラーの武藤敬司の決めポーズを振り付けで使ったことから、中野サンプラザのライブに武藤本人を出演させ、さらには全日本プロレスの会場に「グレート・ムタ」のセコンドとして忍者衣装をまといムタ・メイクをした「愚零闘クローバーZ」を登場させたことである。彼女たちは毒霧パフォーマンスをした上に、何と場外乱闘に参加し、試合後のWWE風インタヴューまでこなした(ちなみにこの時の顔面メイクは相当面白い。なかでも玉井詩織の顔に黄色に赤字で「妹」と描かれていたのには愕然とした)。この辺りの営業戦略は、マネージャーの川上アキラ、ステージ演出の佐々木敦規、振付けの石川ゆみなどによるかなり周到なチームワークに支えられているように思われるが、もちろんこうした大人たちが悪ふざけのノリで作りあげて、言わば少女たちに無理矢理押し付けられた企画コンセプトを、本当にリアリティをもって素直にリアクションし、全力で実現してしまう少女たちのパフォーマンス能力が素晴らしいことは言うまでもない。大きなライブの最後に必ず歌われる彼女たちの路上時代の曲「あの空に向かって」を歌っている彼女たちは本気で涙を流し、それを見る観客もフィクションとリアリティの境目を越えて一緒に涙に飲み込まれていく。これは、新日本プロレスが次々に作り出したドラマ(ex. タイガー・ジェット・シンの池袋路上での猪木襲撃事件、その報復としてのリング上での骨折まで追い込む腕折り処刑、ブルーザー・ブロディがベートーベンの「運命」をテーマに登場したり、たけし軍団がビッグ・バン・ベイダーを引き連れて登場し、いきなり猪木を口から泡を吹かせて失神させてうろたえまくる現場に思わず引き込まれてしまった)を思い起こさせる。これらのドラマは完全に仕組まれたフェイクにすぎないのだが、プレイヤーたちの卓越したパフォーマンス能力によってリアリティを獲得し、ついには虚実が逆転して現実を乗り越えてしまうという共通した特徴を持っており、考えてみればこれは演劇がかつて有していた魔力にほかならない。ももクロは、かつてシェークスピアや鶴屋南北、そして言うまでもなく天井桟敷襲撃事件や新宿中央公園事件を引き起こした唐十郎が持っていたこのような「演劇性」を、「モーニング娘。」や「AKB48」ではなく、歌舞伎や80年代の「新日本プロレス」の形を通して実現させているという点が完全に新しいと思われる。しかし、それがパロディやパスティーシュである以上、コンセプトは本当に新しいわけではなく、「目新しい」だけであることも否定はできない。それは少女たちの持っている本当に短い少女期の不安定な身体だけが実現できる綱渡りのような危うい光景でもあり、「平成のかぶきもの」というキャッチコピーが示しているように、時代の中でかげろうのように実現された一瞬の「ケレン」なのだと言えるだろう。そして、それは、だからこそ愛おしい。多分、コンセプトを作っているブレインたちはそのことも知っている。だが、それが角兵衛獅子のような操り人形にならないところが、あの少女たちの身体のもっている輝きなのだ(しかしながら、どうあがいても角兵衛獅子にすぎないこともまた事実ではある)。

 彼女たちの楽曲もまた、こうしたストーリーに沿う形で作られてきている。とりわけ、「行くぜっ!怪盗少女」や「Z伝説~終わりなき革命」などを提供している前山田健一の存在感は強いが、それ以外にも彼女たちの楽曲には制作側の仕掛けが強く反映されている。戦隊物やプロレスをなぞり、アクロバティックな振付けや全力疾走感を意識的に取り込むことによって、彼女たちは性の垣根を乗り越えて、かつての「光GENJI」が持っていたような疾走する少年性をも併せ持つようになっている。女性のファンが多いのもそのためであろう。「Z伝説」で歌われるように「全力で歌って踊って笑顔を届けること」、「走れ」での「笑顔が止まらない、踊る心止められない」、「猛烈宇宙交響曲」での「ぼくのこと嫌いですか、声は届きませんか?でもこの声を君に届けよう」という溢れんばかりのダイレクトな愛のメッセージに、それがフェイクと知りながらも引き付けられてしまうのが「現在」というこの時代のリアリティなのかもしれない。それも無意識のレベルでである。それはやはり震災と津波、原発事故による大きな喪失感と深いところで結びついている。僕には彼女たちが歌っているその背後に津波の映像が見えるような気がするのだ。

 90年代における女子プロレスをも含むプロレスの抗争劇や、FMWの電流爆破マッチ、K-1やPRIDE、さらにはハッスルといった格闘技イベントは結局ネタを使い尽くして衰退していってしまった。だが、それらは等身大のちっぽけな人間の肉体をメディアやテクノロジーの力を利用して極限にまで増幅して、観客を夢中にさせる技術をいくつも開発していた。ももクロのライブにおいて顕著なのは、少女アイドルという異なるジャンルにおけるそうした戦略の領域横断的で強引なシフトであると言えるだろう。それを今見られるのはとても凄いことだし、何から何まで駄目な今の日本における数少ない希望であるようにすら思えてくる。勿論それはすぐに消費され尽くしてしまうだろう。すべての大人たちの少年期・少女期がとても短かかったように。

 というわけで、4月22日に横浜アリーナに行ってみた。10年程前にK-1に行ったことがあるし、その後はローリング・ストーンズの公演に行ってえらくがっかりしたことがあるが、それ以来である。さて、彼女たちの疾走はこれからどこまで続くのだろうか? そして、それは他の領域や文化にどんな爪痕を残して行くのだろうか。少女たちの肉体がどこまで持ちこたえていくことができるのだろうか? そんな風に考えてみるとこの現象にはまだまだ楽しみが残っている。

# 横浜アリーナのライブはそれなりに楽しかった。ほとんどスタンディング状態で腕と足腰を動かし続けたので疲れた。サイリウムを何本も持つのでこのライブには「拍手」という概念がない。星空のような光と歓声だけが広大なアリーナを埋め尽くす。K-1やプロレスの試合のようなセンターステージだけで、音響はとても悪い。小さな少女たちは全力で疾走していたが、小さすぎて光の波の中に埋もれていた。1日目に色々な演出を施したせいか、2日目はひたすら持ち歌を歌うライブだったので、できることならもう少し音のいい小さなホールで見たいと思った。それにしても、人って(当然ぼく自身も含めて)猿なんだなあと改めて思った。みんな同じような法被やパーカーを着て、グッズを身につけて、同じ合いの手を大声で叫んでいる。360度のパノラマの中で、人はひたすら他の観客がどう振る舞うかを観察し、鏡のようにその真似をしながら、巨大なウェイブを作り出して行く。結局、ぼくたちがあの小さな少女たちの向こうに見ているものって一体何なんだろうということが気になった。ホールだったらまた行ってもいいが、球場や大会場はちょっともう遠慮したいなあと思った。

# どっとアクセス数が増え、いろんなところからRTされてしまい伏せ字が全く有効でないことが分かったので元に戻してみたが、どうもあまりまともに読んでもらえていないような気もするので、消すこともあるかもしれません。当分コメント機能は停止します。細かい点をいくつか改訂しました。4/24,21:40

2012.02.11

2/14-20@浅草--劇団ドガドガプラス公演へのお誘い

 映画監督の望月六郎さんと知り合ったのは、唐さんの紅テントの中だった。芝居がはねた後の宴会で、初対面のぎこちない感じではあったが、その日の芝居についてお互いに感想を交わし合ったのが最初である。それからもう15年くらいは経っていると思う。
 そのちょっと前に、望月さんは故・原田芳雄さん主演の『鬼火』(97)を監督していて「キネマ旬報」などで監督賞を取っていた。ちょっとシネマ・ノワール風でカメラの長回しなどを入れたお洒落な映画だったので、目の前にいる望月さんのイメージにはちょっと違和感があった。醤油屋の藍染めの前掛けのパッチワークで作られたジャケットを着ていて短髪でモミアゲが長く、無精髭をはやしいる。どちらかと言えば肉体労働者風だ。だが、子供のようなキラキラした目で、中学生時代から見続けてきたという唐さんの演劇世界の魅力について熱く語ってくれたのが印象的だった。
 その時に、「『鬼火』は賞狙いでわざとフランス映画っぽく撮ったんですが、ぼくにはこっちの方が大切な作品です」と言って、自分で監督した「新極道記者・逃げ馬伝説」(96)という唐さん主演のVシネマのビデオを貸してくれた。その後、望月さんは花村萬月原作の「皆月」(99)という文句なしの傑作も世に送り出しているが、同時に「通貨と金髪」(99)というかなりユニークでダーティなアダルト映画も作っており、いわゆる作家系の監督でも職人系の監督でもどちらでもない、独自のモノ作り哲学を持っている人であることがわかった。それが一番よく現れているのが、一般映画での監督の処女作とも言える「スキンレス・ナイト」(91)である。
 主人公はアダルトビデオの監督で、ほぼ望月さんの私小説映画とも言える作品だ。これを見ると、芸術や文学の透き通った世界と通俗的で情欲と妄想にまみれた生活の間に引き裂かれていながらも、そのどちらの側にも行かず(行けず)、聖と俗のはざまのぎりぎりのところでスパークすることによって一挙にその両者を融合させようとでもいうような(まだ、どういう言い方が適切なのかよく分からないが、要するに聖と俗の両方を強引にそして一瞬のうちに超高速で往還させるような)スタイルが彼の持ち味であることがよくわかる。このことを元状況劇場の大久保鷹さんと電話で話していたら「下町のヘルダーリン」という言葉が突然頭に浮かんだ。天空にイカルスのように飛び立とうとしても、大地に引き戻されて虹のような弧を描いて墜落する、古代ギリシャの青空に憧れたあのゲルマン詩人––ハイデガーが何度も論じたヘルダーリンの名前を突然思いついた。古代ギリシャへの憧れは似ていないけれど、それでも青空は見えてくるような気がする。。
 望月さんは映画の世界でだけでは物足りなかったのか、誰にも頼まれていないのに大長編SF伝奇小説を書いたりもしていたのだが、50歳を目の前にした6年前に突然劇団を立ち上げた。それが劇団ドガドガプラスである。最初は若いダンサーたちを集めて浅草軽喜劇とレヴューを組み合わせたようなエンターテイメント演劇を目指していたようだが、回を重ねるたびに、上に述べたような望月さんの独自の作家性のようなものが色濃く現れるようになってきて、それがとても面白くなってきた。それについてくる劇団員たちもどんどん入れ込んできていて素晴らしい集団になってきている。今回は執筆中の台本まで見せてもらったがこの「贋作・春琴抄2012」のホンはとてもよくできている。歌と踊り満載のまるで曲馬館のような美しく楽しいステージなのだが、日本の近代史の中に生きてきた人々と現在のぼくらの状況を見透かすような視線によって貫かれている。浅草の寄席「東洋館」(渥美清、井上ひさしや萩本欽一、ビートたけしらが育ったストリップ劇場元フランス座)を舞台にして、きらびやかで物寂しくも生きる意欲を高めてくれるようなどこでも出会ったことのない真正の演劇空間が繰り広げられるのだ。
 というわけで、宣伝です。というよりも呼び込みです。このところずっと面白いのだが、今回はその中でも特に面白いと思う。浅草に足を運んで、一度は見ておくべき価値のある出来事にきっとなるでしょう。最近、シアターコクーンの「下谷万年町物語」や、富田克也監督の「サウダージ」で何となくすっきりしない感じがしていただけに、Dogadoga+の初日が開くのがとても楽しみで仕方ない。ぼくは何度も行きます。皆さんもだまされたと思って、是非一度足を運んでみて下さい。今回のチラシにぼくが書いた、呼び込みの文章も下に再録しておきます。
 
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『贋作 春琴抄』
http://www.doga2.com
2012年2月14日(火)~2月20日(月)
連日 19:00~公演

作・演出=望月六郎

■ チケット料金 全席自由席

予約サイト
https://ticket.corich.jp/apply/33393/006/
一般  前売料金 4,000円/当日料金 4,500円
学生  前売料金 3,000円/当日料金 3,500円
*学生チケットの場合には受付にて学生証の提示をお願い致します。
*御来場日時変更の場合は3日前までにお気軽に連絡下さい。

お問い合わせはこちら・・・
ドガドガプラス http://www.doga2.com

■ 会場   浅草東洋館(浅草演芸場4F・旧フランス座)
住所 東京都台東区浅草1-43-12
浅草六区交番前
(浅草演芸ホール右隣入口)


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今度はどんな「星」に出逢えるのだろう?   室井 尚

 三度も同じ書き手では飽きられるのではないかと言ったのに、「これで最後にしますから…」と、またしても望月さんに押し切られてしまった。で、また呼び込み文を書いている。
 ぼくは演劇評論家ではない。たまたま、唐十郎さんを大学に呼んで、集まった学生たちと一緒に「劇団唐ゼミ☆」を育ててきただけのことである。望月さんは自分のことを「唐さんのエピゴーネン」と言う。それほど好きなのは凄いけれど、ぼくの目からみるとDOGADOGA+はそれとは別の全くオリジナルな劇団だと思う。これと似たものは世間を見渡してもそうそう見つからない。
 ノリのいい劇中歌と、若い踊り子たちの伸びやかなダンスシーンだけがDOGADOGA+の魅力ではない。有名な文学作品をモチーフにした一連の「贋作」シリーズは、日本の近代史の闇を照射し、そこに加担したり巻き込まれたりしてきた日本人たちの崇高さと卑小さを、「性」と「死」のエネルギーのせめぎあいの中にくっきり浮かび上がらせる一貫したスタイルをもっている。めくるめく肉体の乱舞の中で、ぼくたちは歴史と無意識の闇を下降し、そこから女の子たちの眩しい太腿の間を通り抜けて光へと上昇していく感覚に襲われる(ホントか?)。
 ホンモノの演劇には「異界との交信」が必要である。「あの世」とか「アナザーワールド」と呼んでもいい。そして、その異界への入り口には必ず濃密な性の香り、エロスの霧が立ちこめている。そんなことに…とりわけそんなことだけに…とても忠実なのがDOGADOGA+のオリジナリティだ。
 「贋作・春琴抄」(初演・2007)は、ぼくが初めて観た演目であるだけに一際楽しみである。最強の形に改訂されているに違いないけれども、あの曲馬舘のようないかがわしさとドライブ感はそのままに違いない。そして回を追うごとに進化し続ける女優たち。前回の「贋作・たけくらべ」でむんむんする女の情感と悲しみを全身から放っていた戸田佳世子、コメディエンヌとして小気味よく舞台を回していた浦川奈津子と黒沢美香、サナギから蝶へと変態していく超少女・中田有紀、新人、ゆうき梨菜。そして、前回は休演した小さなヴァンプ・kumiCoも一年ぶりに戻ってくる。みんなとても可愛く、美しい。未知の女優も複数名登場してくるらしいし、ダンサーにも注目だ。  密かに楽しみにしているのが男優たちである。劇団員の奈良坂篤、丸山正吾、菱木聖仁はもちろんのこと、前回突然現れて観客の心をさらっていった赤祖父大尉こと前田寛之、忘れちゃいけない唐ゼミ☆の安達俊信。このところ度肝を抜くような新人に驚かされている。さて、今度は浅草・東洋舘でいったいどんな星たちに出逢えるのか、いまからとても楽しみだ。
(むろいひさし:横浜国立大学教授・劇団唐ゼミ☆仕掛人)

2011.10.25

劇団唐組「西陽荘」と「大唐十郎展」

 劇団唐組の秋公演「西陽荘」が今週末10月29日、30日で千秋楽を迎える。
 唐組は秋には旧作を改訂して上演してきたが、今年に限ってはそれは新作となった。というよりも、唐さんはなぜか今年、4本も新作を書いた。この「西陽荘」のほかに、新宿梁山泊に一本、そして何と何と初めて劇団唐ゼミにも一本、そしてもちろん本家・劇団唐組の来年の春公演の新作まで書き下ろしている。もの凄い創作意欲である。
「西陽荘」はその中で初めて上演された新作。来年の春には残りの三本が見られる。みんな楽しみだけど、何と言っても唐ゼミの椎野裕美子と禿恵のために初めて台詞を書いてくれたのが楽しみ。
 そこで「西陽荘」なのだが、これがとても面白い。二年前の「夕坂童子」、昨年春「百人町」、秋の「姉と弟」、今年春の「冷やりん子」と同じようにコンパクトな二幕もので、一時間ちょっとで終わる。ただ中に含まれているイメージがきわめて多層的でしばらくは消化できないくらいに濃密だ。
 西陽荘というオンボロ・アパートに突然飛び込んで来た女から押し付けられた「残高30円」の預金通帳を返そうと、主人公は京成小岩のおでん屋「ちくわぶ」に赴く。そこで出会ったのは、「氷雨」一曲しか歌わない流し(安保由夫が怪演)、まるでミュージカル「キャッツ」のように「メモリー」を歌って思い出すことを促すおでん屋の親父と客のコーラス隊、自立した入れ歯を探す花屋の親父、「色気のぬか漬け」キャバレー「白粉」のママ・月村とその用心棒、狼二郎(唐)といった賑やかで不思議な面々だ。物語は「サフラン・ミルク」という生乳会社に勤めていた主人公が茨城県の大洗のそばにある涸沼町付近の酪農家の牛乳を買えなかったこと、そして通帳を残した女の弟の漁師と一緒にまるで瓦礫の山のようなゴミ捨て場で漁船に取り付けられていたバックミラーを見つけたことをめぐって展開する。と、粗筋を書いてもかえって分からなくなるだけなのだが、一言も津波や震災に触れていないにもかかわらず、観客はそれと重ね合わせて見るような仕掛けになっている。冒頭にちょっとだけ現れる「西陽荘」だが、それは「西日に照らされる巷」としての日本全体であることもだんだんと分かってくる。「振り込まれることのない」残高30円の通帳は、札を挟む「歯」として、舞台に登場する「爪」や「ウニ」や「入れ歯」といった小道具と重なって、消費の夢に浮かれていた自分たちに対する自罰的な痛みを象徴している。意表をつく隠喩が積み重ねられ、そこに浅草軽喜劇やイタリア喜劇ののような矢継ぎ早の展開が重なり、痛快でありながらもひりひりするような刺激が襲ってくる。
 これらは最近の唐組の新しいスタイルとして意識的に劇作家によって仕組まれたものであることがわかり、唐十郎のしたたかな作劇が冴えまくっているのがこの「西陽荘」なのだ。唐組の若手たちが楽しそうに演じている。それも今週末で終わる。見逃さないで欲しい。
 そして、それが終わるといよいよ来週から横浜で「大唐十郎展」が始まる。1日からの桜木町・ぴおシティ地下2階の路地で開かれる展示会。資料や秘蔵映像、そして何と言っても舞台で輝きを放った小道具たちの展示。そして、何と言っても4日の一日限りの21世紀リサイタルでは、73年の伝説のリサイタル「四角いジャングル」が再現されるボクシングのリングの上で、状況劇場、唐組、梁山泊、唐ゼミの面々による歌が披露される。演奏には小室等までが登場し、観客席には石橋蓮司・緑魔子といったこれまた伝説的な顔ぶれが揃う。まだチケットの残りが少しあるようなので、是非前売り券を予約していただきたい。二度と実現できない伝説のリサイタルになるだろう。さらには、これまた伝説の映像「汚れた天使」の上映会。73年に関西テレビで全国ネットで放映される予定の連続ドラマだが、直前に余りのハチャメチャぶりに放映中止となった作品だ。幻の映像作品であり、将来DVDになったりは絶対にしない貴重な映像なので、これも見逃せない。さらには、7年ぶりに海沿いの臨港パークで上演される劇団唐ゼミ★の「海の牙」最終ステージと盛りだくさんの企画だ。
 宣伝ついでだが、3日から6日まで、神奈川芸術劇場(KAAT)で上演される、やなぎみわ演劇プロジェクト「1924-海戦」も要チェックだ。美術界で国際的に活躍するやなぎさんが、初めて演劇に取り組む意欲作。第一部はモホイ=ナジと村山知義というアヴァンギャルド美術、そして今回は土方与志とメイエルホリドの出会いを築地小劇場の舞台の再現というきわめて知的な実験を行うと言う。横浜でしか見られないので是非チェックして頂きたい

2011.08.16

「アートと戦争」の日々

 ヴォディチコが8月1日に来日して以来、怒涛の日々が続いた。13日の午後、彼らを無事成田空港まで送り届けて、ようやく一年がかりで準備してきたこのイベントが終了。次の日は一日中眠っていた。

 何が起こったのか頭が混乱していてよく思い出せなくなっているので、一日ずつ日記風に整理して書いてみたい。

 8月1日は10:00過ぎに北仲に行き、準備でばたばたしている中、宮本裕子と一緒にぼくの車で成田空港第一ターミナル南ウィングへ。渋滞もなく予定よりも少し早めについたのでカフェテリアで昼ごはんを食べ、午後1:30位に到着する便を待つ。かなり後の方から出てきたヴォディチコ、エヴァ、助手のロバート、その友達のコリンを迎え、彼らが携帯電話のレンタルを希望したので北ウィングと南ウィングの連絡通路にあるカウンターへ。エヴァのiPhoneがAT&TでSIMカードがプロテクトされているとか、ヴォディチコのマスターカードがソフトバンクでは一人分しか受け付けられないとか色々面倒なことがあり、時間のロスがあったが、高速を一気に走り山下公園沿いにある彼らのホテルへ。そのまま、チェックインする彼らを待ち、一時間ほど山下公園で宮本と時間を潰し、全員が待つ大学へ。これまた渋滞で遅れ、7:30頃到着。プロジェクションのテストと、歓迎のバーベキューパーティ。ジープを用意してくれた㈱ドリームの則行さんも顔を出してくれていたが、グリッドボードのような平面スピーカーに合わせて、プロジェクターボックスにもグリッドボードをつけたいというヴォディチコの要求に応えることになる。投影フォントの変更や、ヴォリュームのコントロールなど様々な指示をしたヴォディチコをホテルに送り出して、中野に家まで送ってもらう。学生チームも息が合ってきている。

 2日には、京都から加須屋明子も合流して、関連展示の準備、会議のための準備。午後からはヴォディチコも加わり、日本語版プロジェクションの最終調整を、ロバート、中川克志、室井の四人でホワイトボードに投影しながら詰めていく。この時には日本語による11個だけを使い、特にエンディングの調整に苦しみながら議論。ロバートの仕事中に、ヴォディチコにはTシャツへのサインを頼んだのだが、どうやらサイン用のペンの石油系顔料の臭いに極度に弱かったらしく、20枚で挫折。その後彼は建物内には入ってこなかった。サイン問題はまた会議最終日にも持ち上がる。そのまま、現場となるYCCを加須屋明子と共に見学。スライドをするには明るすぎると文句をつけ、近所の「サモワール」でハーブティとフレンチトーストをロバートを呼び出して食し、外に出ると驟雨。椎野裕美子に傘を持ってきてもらい、暗くなった時間になって北仲の駐車場スペースから赤レンガの倉庫に向けてリハーサルを行う。全員が意見を言い、今後の調整に向かうことになる。フレンチトーストは十分に食事代わりになったようでこの日はそのままホテルへ。帰る前に椎野と二人で清香楼で担々麺とスーラータンメン。

 3日にはようやく会議用のパンフレットが到着。夕方に行われる新港ピアでのリハーサルに向けて最終調整。ここで突然に方針変更。日本語版のみだと来場する外国人には何も分からなくなるということから、英語で行われたデンバー、リヴァプール版、ポーランド版で行われたワルシャワ版との三部構成になる。WarVeteranVehicleと差別化するために、Tsunami Veteran(津波経験者)版に関してはラストのテキストと音の効果を変えなくてはならないと、ぎりぎりまでロバートと作業。時間がないので、近所で寿司の折り詰めを買ってきてそれを食べながら作業をした。ヴォディチコは現場でも立ったまま食べていた。現場では、照明の状態や、案内係、受付等の配置をチェック。とりわけ、始まりと終わりのタイミングに関して何度もリハーサルをした。結局、8:00前から9:00過ぎまで、2時間近くずっとループし続けるという形で公開されることになった。車でホテルまで送り届けて終了。

 4日は1Fでの関連展示の仕込み。朝から始めてほぼ形が整ったと思われた午後4:00頃、ヴォディチコがチェックに現れて、全面的なやり直しを指示。ほとんど全面的な作りなおしにはなるが、何とかぎりぎり間に合いそうな微妙なダメ出しだった。夜は、ヴォディチコ夫妻と加須屋、中川、越前さんと一緒に中華街。馬さんの店新館で食事。その後ホテル・ニューグランドの老舗バー、シーガーディアンIIで会話(中川のみサンダル履きで入れず)。しんみりとしたいい夜だった。

 5日が、いよいよ横浜トリエンナーレの内覧会と一回目の新港ピアでのプロジェクション。ヴォディチコはずっとロバートと最終調整作業。急遽、翻訳シートを作成することになり、作られた原稿を本永さんがきれいに整形してくれた。昼、宮本、加須屋と小肥羊の担々麺。この日から暑さはピークになる。3:00頃からBankART-NYK会場、横浜美術館会場と早足で見て回るが、ヴォディチコたちも暑さにやられて疲弊している。この間に関連展示の設置終了。美術館からレセプション会場のパシフィコ横浜へ。千人以上いると思われる人混みを早々に抜けだして会場へ。この間、学生たちがチラシまきをしたり、案内板を抱えて場所に誘導したりと頑張ってくれている。7:30頃から開始したが、ピークの8:30頃には約500人が集まって静かに見てくれた。遠くからもよく見えるので、おそらくは1000人近くの人が目撃していると思う。21:30頃、人の姿がまばらになってから終了。まだ、建て込みが続いている新-港村の中を見て回り、いろいろな人に挨拶をして撤収。カメラマンの首藤さんと、五味香でスーラータンメンを食す。

 6日、7日は、ヴォディチコたちが一番のんびりできるはずだったのだが、6日にフィンランドから呼んだゲスト、ダグラス・フライが来日。吉岡洋もこの日から入る。ぼくはこの2日とも大学でオープンキャンパスがあったために、車で往復をした。6日の夕方にホテルでお茶を飲んでいるヴォディチコ夫妻、宮本と一緒にフライに挨拶。中華街に行くという彼らを残して帰宅。7日は午後から北仲に行くとヴォディチコとエヴァは明日の会議の原稿を準備していた。この日の昼はヴォディチコたちは宮本に連れられて日の出町、野毛坂の蕎麦屋で食事をしていたらしい。北仲では学生たちが会議の準備に大わらわ。ぼくも間に合いそうにないと思って7日はYCC前の東横インに前泊することにしたが、原稿は何とか間に合った。前泊する木幡和枝さんチームが到着。会場設営には東京芸大の学生たちが沢山来て手伝ってくれた。ヴォディチコ夫妻、加須屋、吉岡、中川と馬車道のとらふぐ亭でフグを食べる。

 8日、いよいよ国際会議の初日。思ったよりも人が集まってきている。開会宣言の後、ヴォディチコの基調講演。本当に一枚も画像を使わずに、言葉だけでほぼ一時間の講演を済ませた。お前がスライドなんて使うなというから頑張ったんだと言うが、この辺りの意地の張り方が彼らしい。その後、同じくぼくの基調講演。ランチ休憩の後、フライ、奥本京子、大西若人、エヴァがそれぞれ講演。休憩後、明日からのラウンドテーブルの登壇者紹介。この段階では、室井、吉岡、鎌田、椿、やなぎ、西尾、山出、遠藤、越前、東、范、河本、加須屋、猪股しか顔を揃えていないが、それでも一巡するだけで時間が過ぎた。そのまま、レセプション・パーティへ。ぼくとヴォディチコの挨拶の後、逢坂恵理子ディレクターによる乾杯、在日ポーランド大使、横浜市からは文化観光局の秋元氏、横浜市大の布施学長などのスピーチが続いた。横国の鈴木学長も顔を出してくれた。8:30過ぎに終了。この日は帰宅。

 9日。ラウンドテーブルが始まる。ぼくのテーブルには昨日に加えて大澤真幸そして、藤原徹平、長坂常、坂口恭平の若手建築家チームが参加。午前中に問題提起、午後のセッションではヴォディチコも参加して、建築家チームのプレゼンを中心に議論する。2:30に一旦終了して、3:00から全体討議。椿のラウンドテーブルには、昨日に加えて会田誠、津田一郎が増え、人数が多すぎてまとまらず。プロジェクションがあるので時間を伸ばすこともできず、6:00に終了。自分から参加してきてくれた三輪眞弘さん、吉岡、首藤さんたちと清香楼で軽くスーラータンメンを食した後、各自三々五々会場へ。歩いて行く途中、サークルウォークで観に来てくれた大久保鷹さんとばったり。以外にも観客数は十分で、いいプロジェクションになったが、スタートとエンディングにトラブルがあり、ヴォディチコたちは結構ぴりぴりとしていた。その後、全員を帰してから最低限のスタッフのみでの秘密作業。この日も東横インに泊まる。

 10日。会議最終日。午前は大澤真幸、鎌田東二、吉岡洋と四人で議論。鎌田東二の「空気神社」の話が面白く、午後でも紹介することになる。午後はいきなり全体会議。結構な数の観客が残ってくれている。各分科会の報告の後、休憩を取り、「3.11」に関するセッションと「メモリアル」に関するセッション。それぞれ充実していたが、こと原発問題に関しては感情的な議論が多く、まだ時期尚早なのかと思った。ヴォディチコは第二セッション終りで体調不良を訴え、冒頭話した後、ホテルへリタイア。暑さと疲れのせいと言うが、どうもきっかけとなったのは、前の休憩時間にぼくが彼に頼んだパンフレットへのサインのようだ。Tシャツへのサインで体調を悪くしたので、普通のサインペンなら大丈夫だろうと紙へのサインを頼んだのだが、どうやら揮発性の臭いに極度に弱いらしい。盛り上がった最後のセッションと、鎌田東二のパフォーマンスでこれまた異常に盛り上がったパーティに顔を出せなかったのは残念だが、それでも8:00過ぎには「回復したのでパーティが終わったら一緒に食事をしないか」と電話があったので、それほど深刻ではなかったようだ。片付けがあるからと椿さんと越前さん(そして、おそらくは河本さん夫妻も)を送り出した。いい会ができたようで良かった。この日にロバートが離日。エヴァは空港に送り出す荷物の整理と買い物を楽しんでいたらしい。会場撤収後の10:00過ぎ、全体ミーティングをしていたら、明日からの仙台に付いてくるメンバーが9人も居ると聞いて驚く。彼らもここまで頑張ったイベントの最後を見届けたいらしい。

 11日。仙台へ移動。前日の夜、ジープはトラックに載せられて運ばれていった。早朝6:00出発の高速バスで学生スタッフらは仙台に向かい、ジープをセットするためのスタッフも別便で向かう。ぼくたちは、東京駅でヴォディチコ、吉岡洋らと待ち合わせをし、帰省ラッシュで満員の東北新幹線に乗り込む。この日から参加する阿部由布子と合流し1:00過ぎにせんだいメディアテーク到着。様子の分からない建物内でのプロジェクションということでヴォディチコはかなりぴりぴりしている。メディアテーク側が準備した設営を根本的に変更。ジープ前の空間を何も置かないようにして、トークショーの客席も手前側の位置に変更させる。入念にカメラの位置まで決め、リハーサルも何度も繰り返した。その間に学生チームや木幡さんチームも到着。横浜からも何人も来てくれている。6:00からトークショー。6:50頃からプロジェクション開始。7:35頃終了。たまたま通りかかった人たちも含めて、沢山の人が静かに見てくれた。終了後、ただちに撤収。ジープを運び出し、搬入口のすぐ目の前にあるパーキングから、ジープが運びだされる。7月から付き合ってきたジープとの別れに、思わず全員拍手で送り出す。もうあのジープに会えることはないのだ。その後、近くの居酒屋の二階を貸し切り、大宴会。そのまま高速バスで横浜に帰る組も居て、10:30頃解散。ほんの短い滞留しかできない仙台の町を歩いて帰った。この日も震度3程の地震で目が覚めた。

 12日。8:15ホテル発。仙台で借りたトヨタ・ハイエースはデラックス仕様で快適。高速入口から渋滞で1時間半程度の遅れが出る。一関インターから気仙沼の中ほどにある「みちの駅・川崎」で各自弁当を買い、車の中で食事。そのお蔭で少し時間に余裕ができたので、被災地を見学。1時過ぎにミュージアム。その後、火事で全焼した地区を通り、酒屋さんへ行き、彼の案内で漁協の人にもご挨拶し、現地で陶芸をしている方の窯元へ。まだ、時間がありそうだったので、陸前高田、大船渡まで回った。全開は大船渡につながる橋が交通止めだったのだが、今回は復旧していた。全体に、瓦礫などはきれいに片付いていたし、臭いなどはほとんどなかったが、逆にこれをどうしていけばいいのかわからない程に徹底的に壊滅していることがよく分かった。ヴォディチコとエヴァは衝撃を受けながらも忙しくカメラのシャッターを切っていた。疲れきって、大船渡のそばにあるレストラン「まんぼう亭」にて夕食。漁港の一部が機能しているので魚は美味しかった。そのまま仙台到着したのが23時頃。車の中ではヴォディチコとずっと話していた。ホテル前で解散し、ヴォディチコたちは周辺のコンビニに買い物に。吉岡と阿部の三人てぼくたちは近くの居酒屋で軽く飲んでから就寝。

 13日。10:17仙台発の新幹線に乗り込む。上野駅で吉岡と別れ、駅弁を買い、京成スカイライナーで成田へ。その間、ずっとぼくたちは出版の計画に関して議論をしていた。40分ちょっとで成田に到着。預けた荷物を受け取り、レンタル電話を返却してチェックイン。エヴァのことを心配して、ヴォディチコは貯めたマイレージで、座席をエコノミーからビジネスクラスに変更していた。もう、これでマイレージ切れちゃったよと言う。少し、時間があるのでお茶でもと言っていたのだが、エヴァが早く入りたいと言うのであっけなく別れる。これは単に買い物をしたいというばかりでなく、どうやらエヴァが少し神経症的で早く出発ゲートに行かないとイライラするというようなこともあるらしい。おそらくは買い物するエヴァを待っていて暇なのか、彼の持っているBlackBerry端末から何度も電話やメールが送られてきた。たとえば、こんなメール。

Dear Hisashi,

My 30years long experience with public projections including 20 years of working on projects that required active involvement of people some developed under difficult circumstanced and conditions-- tells me that our project has succeeded very well- due to your great commitment, passion, skills and heart.
This is one more reason to thank you one more time.
Thank you!
Krzysztof

 というように、13日間に及ぶ「アートと戦争」イベントは無事に終了したのであった。と言っても、単にこれは起こったことを時系列に合わせて箇条書きにしただけにすぎず、まとめと呼ぶには程遠い。プロジェクションに関しては、もっと適切な会場を見つけることができなかったことに後悔が残る。いろいろと政治的なことがうまく解決できなかったのが心残りである。
 会議に関しては、木幡和枝さんの全面的な協力による優秀な同時通訳チームに支えられ、思っていた以上に素晴らしい会議ができたと思う。とりわけ、最終日の全体セッションは素晴らしかった。ひとえにコーディネータとなってくれた椿昇さんと越前俊也さんのご尽力の賜であり、また悪い条件にもかかわらず熱心に議論に参加してくれたパネリストの方々のおかげである。深く感謝したい。
 そして、北仲スクールでのワークショップで4月からずっと関わってきてくれた学生チームの活躍も素晴らしかった。ヴォディチコたちも、こんなによく働く学生はアメリカでは考えられないと驚いていた。このチームの活躍にも大きく力づけられた。

 それにしても、たまたま出会った一人の日本人との約束を最後まで全力をかけて貫いたクシシュトフ・ヴォディチコに一番の感謝を捧げたい。ここから、彼に何を返していくことができるかというのがぼくの課題である。彼は、最終日のパーティを「クロージング・パーティ」とぼくが呼んだ時に、すぐに否定した。「違う。これはクロージングではない。もうひとつのオープニングなんだ」と。そう。ここからまた何かが始まっていくのである。そして、またここで一つの約束が生まれ、相互の"responsibility"が生まれたのだ。

 長い13日間は終わったが、ぼくたちの暑い夏はまだまだ続いていく。

 「アートと戦争」のウェブサイトは、http://artandwar2011.kitanaka-school.net/ja/index.html

 全体会議の様子のUstreamはアーカイブされ一般公開の予定です。

2011.07.24

「クシシュトフ・ヴォディチコ:アートと戦争」のお知らせ

 なかなか時間が取れず、ここも長いこと放ったらかしにしてしまいました。その間に劇団唐組の「冷やりん子」も終了、浅草花やしきでの劇団唐ゼミ☆の「海の牙-黒髪海峡篇」も終了。全然ここに感想も書いてくれないと愚痴られましたが、両方すごく面白かった。

 8月にには望月六郎監督率いる「劇団DogaDoga+(plus)」の第十回公演「贋作・たけくらべ」があります。またチラシに文章を書かせてもらいました。

 だが、その前にこの一年かけてずっと準備をしてきたあの大イベントが待っています。
以下は、先程いろんな人たちに送った案内のメールです。


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ヨコハマトリエンナーレ2011連携プログラム
横浜市先駆的芸術活動助成事業神奈川県文化芸術団体事業助成事業

 複合的アートイベント・
『クシシュトフ・ヴォティチコ:アートと戦争』開催のお知らせ

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 皆様、室井尚です。今年は第一回ヨコハマ・トリエンナーレから、そしてあの「9.11」からちょうど10年目の年となります。21世紀の最初の十年を振り返ると共に、最近我々が体験した「3.11」の大災害の記憶を胸に、北仲スクール(横浜文化創造都市スクール)では、上記アートイベントを開催いたします。

 来たる8月8日(月)~10日(水)の三日間ヨコハマ創造都市センター(みなとみらい線、馬車道駅1a出口)にて、ポーランド出身のアーティスト、クシシュトフ・ヴォディチコ(Krzysztof WODICZKO)と私の二人の共同企画で上記イベントを立ち上げます。

http://artandwar2011.kitanaka-school.net/

 第二次世界大戦中にポーランドで生まれたアーティスト、クシシュトフ・ヴォディチコとたまたま出会い、それから京都、東京、パリ、そしてネット上での長くて熱い議論を通して、この3日間の国際会議と世界初公開となる彼の新作プロジェクション『Survival Projection 2011』を準備してきました。
『Survival Projection 2011』の公開は、横浜で8月5日、9日の二日間(20:00-21:00)、また8月11日にはせんだいメディアテーク1Fでトークショーとプロジェクションを行います(18:00-19:30)。これは、軍用車の屋根に積んだ強力なプロジェクターとスピーカーで、建物の壁に音声付きの映像を投影する野外作品で、ヴォディチコはこのタイプのアートの創始者として知られています。数々の国際美術展で活躍し、さまざまな賞を授与されてきたこの世界的アーティストの作品が横浜で世界で初めて公開される瞬間に是非立ち会っていただきたいと思います。

 会議には、会田誠、大澤真幸、鎌田東二、椿昇、越前俊也、遠藤水城、大西若人、奥本京子、河本信治、津田大介、藤原徹平、坂口恭平、長坂常、やなぎみわ、吉岡洋ら30名近くの豪華メンバーが自発的に参加してくれることになっており、海外からもヴォディチコをはじめ5名が参加します(同時・逐次通訳つき)。

 共催としてヨコハマ創造都市センター、特別協力として(財)国際交流基金、駐日ポーランド共和国大使館、㈱Dreamほか、協力としてアサヒビール㈱、後援としてヨコハマトリエンナーレ2011組織委員会、横浜市文化観光局などからご支援を頂いております。

 この国際会議は3日間続き、その成果は出版物の形で世界中に発信されます。Ustream中継も予定されております。どなたでも参加できますので、上記ウェブサイトの「応募フォーム」からお申し込み下さい。

 震災後の日本に向けてヴォディチコが発信する熱いメッセージを是非受け止めていただきたく、ご協力よろしくお願い申し上げます。


プレスリリース:http://artandwar2011.kitanaka-school.net/PR.pdf

横浜国立大学教授/北仲スクール代表
室井 尚

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