2012.07.04

唐十郎の新作『海星』と『木馬の鼻』

 唐さんがアトリエから出る際に頭を打って救急車で病院に搬送されたのは、劇団唐組の第49回公演『海星』の公演中の5月26日だった。本番があるからとすぐ病院を出ようとした唐さんに抑制帯がつけられて動かさないようにした病院の判断は正しく、じわじわと血液が脳内に滲み出しICUに運ばれ集中治療が行われた。脳挫傷による脳血腫と診断され、幸いなことに血腫が自然に消滅したために、その後一般病棟に移され、いまは無事に退院をしてリハビリ中である。唐さんが自分の舞台を休演したのは記憶にないし、いずれにしてもきわめて異例の事態だった。秋までに回復して元気になった唐さんの姿を見ることができることを、ぼくたちはみんな願っている。
 その間、唐組の劇団員たちは唐さんの代役を立てたり、一部の台詞を省略したりして公演を続けた。その追い込まれた必死の気合いは観客たちにも伝わり、後半戦の舞台は一層力のこもったものとなった。
 花園神社での千秋楽には唐さんを愛する多くの知人・関係者が集まり、唐さんのいない千秋楽の宴会に残って、遅くまで唐さんの早い回復を祈っているようだった。唐さんがそこに居ないことからくる空洞がとても大きく全員の心に広がっていた。
 そして、次の週から浅草・花屋敷で、劇団唐ゼミの第20回公演『木馬の鼻』が始まった。
 劇団唐ゼミ☆は2005年の新国立劇場進出以降、大学演劇ではなくて自立した「劇団」を名乗ってはいるが、第一回公演は2001年の唐十郎研究室での『24時53分「塔の下」行きは竹早町の駄菓子屋の前で待っている』からとしてきており、そして第三回公演『ジョン・シルバー』から現在のテントでのスタイルを始めているので、内部的には今年がちょうど劇団スタートから10年目の節目の年ということになり、第20回公演という区切りに、初めて唐さんに新作『木馬の鼻』を書き下ろしてもらっていたのだ。その意味では初日に向けての劇団員の意気込みは尋常ではなかったのだが、療養中の唐さんに来てもらうことはできなかった。
 しかしながら、唐さんの不在がまたいい方向に働いたことも否定できない。過去の作品の再演ではなく、全く新しい戯曲解釈から始められたこの公演には、唐さんの周辺の人たちが初日から沢山の助言やアドバイスをしてくれた。演出にそうした隙があったことも事実なのだろうが、しかし実際に気づかない戯曲の解釈や解読があったこともまた事実であり、それを取り入れることによって、初日から毎日のように、舞台装置や演出が書き換えられ、久しぶりにもの凄い勢いで舞台が変わっていくスリリングな毎日が始まった。後半戦の3日間に向けて現在もまた新しいことが試みられている。
 唐さんは昨年4本の新作戯曲を書いた。春公演の前に書かれた『海星』(意外なことにこの作品が一番古い)。そして、東日本大震災の直後に昨年の秋公演のために書かれた『西陽荘』、新宿梁山泊のために『風のほこり』の続編的な『紙芝居』を書いた後、もの凄い勢いで夏には唐ゼミ☆のための『木馬の鼻』を完成させた。震災がそのひとつのきっかけになったのは確かだが、おそらくはその前、70歳になったのをきっかけとしてまるで追い立てられるように新作を書き続けていたのも否定できない。それは、かつてのように舞台の上で暴れ回ることが難しくなったことへの焦りもあったのかもしれないし、それでもなお新しいスタイルを生み出そうとするあがきのようなものであったかもしれない。
 これらの作品はいずれも上演時間が短い。2幕もので1時間半前後になっている。だが、『西陽荘』、『海星』、『木馬の鼻』の三作品に関しては全くその時間の短さが気にならない濃密で見応えのある作品になっている。さまざまな要素や隠喩が星のように散りばめられており、主要なストーリーを追いかけているうちに全くそこからは離れた迷宮に巻き込まれていくというこの作家の特性はいつも通りであるが、主人公の男性がヒロインに見送られて最後に旅立つという共通のエンディングを持っており、それは唐さんが時代に強い閉塞感をもっていることの現れであるように思われる。60年代以来、バブル時代の消費社会を経て現在に至るまで、唐さんは自己の演劇世界の屹立を信じてそれぞれの時代状況や社会に紅テントという「砦」を通して対峙してきたわけであるが、「西日射す日本の巷から旅立っていく」『西陽荘』や、スカイツリーに代表される見栄とハリボテの都市開発に水底と地の底に埋められた「鐘淵の鐘とそれに人の手のように柔らかにからみつくヒトデ」に回帰して行こうとする『海星』、木馬の鼻とタンスという性的なメタファーの強烈な匂いの中で、「下町の路地のアスファルトのひび割れを抜けて、インカの首都・マチュピチュ渓谷」へ旅立とうする『木馬の鼻』と、それぞれが色鮮やかな反時代的夢想を提示してくれている。
 その上、唐ゼミ☆に書いてくれた『木馬の鼻』には、この劇団の中核である椎野裕美子と禿恵という二人の女優への愛情溢れる当て書きはもちろんのこと、これまで唐ゼミ☆が上演してきた作品への言及(たとえば「鉛の心臓」、「黒いチューリップ」、「蛇姫様」、「海の牙」といった作品への言及や引用)が多数散りばめられていて、明らかに書き分けられていることに気がつかざるをえない。そんなことを考えると、唐さんのいないこの初演が劇団員たちにとって一際重要なものになっていくのも当たり前なのだと思われる。ただ、感慨に耽っている暇はない。あとは、7月6,7,8日の三日間しか残されていない本番に向けてどれだけさらに強度を高めて行くことができるかという挑戦に向かっていくしかないのである。

2011.11.05

「大唐十郎展」始まる

 11月1日から、桜木町「ぴおシティ」地下2階での展示が始まった。「袋小路展示場」、「喫茶肉体」、「野毛トランク座」の三部構成。通路脇の4軒の空き店舗を借りたのだが、喫茶店とうどん屋は居抜きでそのまま営業できる状態。カウンターと椅子席の小さなうどん屋でも展示を考えたのだが、あまりにうどん屋のままなので諦めて事務局スペースにした。

 この企画、去年の秋に唐ゼミの中野敦之に相談を持ちかけたのだが、内容や運営に関してはすべて中野と唐ゼミにまかせて、ほとんどぼくが口を出す必要はなかった。8月のヴォディチコ・イベントが余りにも大変だったので、時々経過報告してもらって意見を言うくらいで、すべて任せっきりにしていたのだが、想像以上の出来映えでとても満足している。北仲スクールでやった、旧日本鋼管体育館での椿昇展、ヴォディチコとのプロジェクションと国際会議に並ぶ大型企画として誇りうる素晴らしい展覧会である。

 桜木町ぴおシティは昭和43年(1968)年。つまり、唐十郎が初めて新宿花園神社でテント公演を行った年に誕生した複合ビルで、競馬・競輪の場外車券場があり、近くには野毛のウィンズ横浜もあるので競馬・競輪の客でいつも賑わっている。地下二階の飲食街には、昭和を感じさせる喫茶店やパチスロ屋、立ち飲み屋が軒を並べ、朝から立ち飲み屋に人が群がるまるで戦後の闇市のような雰囲気を保っている。ただ、ある意味ギャンブルに特化したビルであるために空き店舗も多い。ここで「路地の展覧会」を開くことになった。オープンする時間は一般画廊に会わせて昼13:00から。東京から来る人のために夜8:00まで開けておくことにした(月曜休館。この時間を過ぎると、11:30までやっている地下街なので治安上の不安もあり)。

 まず、パチンコ屋の向かいにある「袋小路展示場」は、元中華料理店跡を全面的に作り替えて、お化け屋敷のような回廊となっている。展示されているのは、状況劇場、劇団唐組の芝居に使われた衣装・小道具や舞台装置。もちろん、観た人にはたまらなくなつかしいものだろうが、見ていない人たちも十分に楽しめる構成になっている。モニターにはそれらの小道具が使われた舞台映像がダイジェストで流れている。ちなみに、「袋小路」とは初期状況時代「腰巻きお仙」シリーズで麿赤兒さんが演じた当たり役「ドクター袋小路」から取られた。

 通路を挟んでその向かい側「野毛トランク座」。ここでは入手することがきわめて困難な状況劇場と唐組のビデオが日替わりで上映されている。どれだけの人が見てくれるのか分からないが、ここではダイジェストをやめて全編上映している。椅子も用意してあるのでじっくり楽しみたい人は通って欲しい。上映プログラムに関しては係の者に聞いて欲しい。かつて市販されたものばかりではなく、独自ルートで入手したきわめて貴重な映像も含まれている。「蛇姫様」、「女シラノ」、「新二都物語」、「電子城1,2」等々。日替わりで丸一日楽しめる無料の映画館となっている。

 そして路地の逆側には「喫茶・肉体」。「少女仮面」の舞台となっている喫茶店から名前をつけた。ここでは、ガラスケースに入った貴重な書籍、ポスター、上演台本などのほか、テーブルの上にはファイルされた雑誌記事やパンフレットが置かれている。また、会場にはいつも状況劇場の劇中歌が流れていて、なつかしい昭和の喫茶店が再現されている。残念ながら会場内は飲食禁止になっており、コーヒーを飲むことはできない。

 そして、11月4日。超目玉企画の第二弾「21世紀リサイタル〜うたと唐十郎『四角いジャングル』2011」が、赤レンガホールで開催された。「四角いジャングル」は、1973年に状況劇場が後楽園ホールでやった一晩限りのコンサート。きちんと唐さんが台本を書いて、録音はレコードとして発売された。その中から、唐さんが歌った曲のうち「さすらいの歌」、「月がかげれば」、「時はゆくゆく」、「ジョン・シルバーの歌」が再演され、その翌年の74年の「又三郎のテーマ」。全5曲を唐さんが歌った。それに「吸血姫」、「鐡假面」、「海の牙」、「蛇姫様」といった状況劇場の劇中歌、「透明人間」、「鯨リチャード」、「夕坂童子」などの唐組の劇中歌、「下谷万年町物語」、「風のほこり」など全28曲が、安保由夫、大久保鷹、稲荷卓央、近藤結宥花、椎野裕美子、渡会久美子などの豪華出演陣によって、芝居を差し挟みながら歌い上げられた。司会は十貫寺梅軒と赤松由美。満員に近い客席には唐組常連の皆さんに加えて、石橋蓮司・緑魔子、松岡正剛、佐野史郎、秋山祐徳太子、松田政男などの錚々たる面々。伴奏には38年前と同じ小室等、NRQ+向島ゆり子、張紅陽(めいなCo.)。そして、新宿梁山泊+唐組の作曲家・大貫誉、劇団唐ゼミの作曲家・サトウユウスケが参加した。唐ゼミの椎野裕美子は「鐡假面」の時の深紅のドレスと鬘をまとい四曲を歌った。2005年の「唐版・風の又三郎」韓国ツアーを最後に引退した、元新宿梁山泊の近藤結宥花が日本では7年ぶりに表舞台に復帰。「吸血姫」から「ガラスにキスをしたら」、梁山泊版の主題歌「ほうずきの歌」、そして2001年に唐組に客演した名作「闇の左手」からテーマ曲と3曲を熱唱。台詞も入って、全く変わらない姿を見せた。終演後の宴会でも復帰を望む声しきり。彼女の最後の舞台に関しては、このblogでも昔いくつか書いたことがある。驚くべきことに彼女が活躍していた中心の時期はこのblogよりも以前の時期だ(ホームページにもどり、過去の短信を参照しなくてはならない)。たとえば、2005年8月のソウル公演の記事と、全州公演の記事。それにしても時の流れは早い。

約400名の観客は、この夢の夜に熱狂し、アンコールで歌われた「ジョン・シルバーのテーマ」を大声で、あるいは小さな声で口ずさんだ。この様子は3組のクルーによって映像で記録されたが、そのうちの一組"TAEZ"さんから、冒頭のシーンの映像がYoutubeにアップされている。続けてダイジェストが紹介される予定なので注意して頂きたい。

 ぼくが唐さんと知り合って15年、中野たちが大学に入って12年。10年以上の長い時間をかけて初めて実現できたことだ。思えば、2001年に唐さんが第一回花園賞を受賞した時、花園神社に張られている紅テントで受賞パーティを開いた。あの時には、中野たちもまだ学生だし、唐組や梁山泊の金守珍さんなどの協力を得て手探りでやった。麿さん、四谷シモンさん、大久保鷹さん、佐野史郎さんも歌ってくれた。公演中だった近藤結宥花さんもやはり闇の左手を歌い、稲荷も歌った。楽しいパーティだったが、それから10年を経て、いろいろな人との関係も深まり、唐ゼミを応援してくれる人たちも増えて、これだけのことが実現できたのだと思う。基本的にはすべて唐ゼミと北仲スクールの学生によって運営されたが、音響に関しては開港博覧会やヴォディチコ・イベントでもお世話になった㈱ドリームの則行さんにお願いして、素晴らしいコンサートが実現できた。ぼくにとってきわめて感慨深い夢のコンサートだった。

 先週「西陽荘」の千秋楽を終えたばかりの唐さんは、疲れが顔に出てリハーサル中は不機嫌だったが、リングの上でのリハーサルからは目に見えて高揚。本番では一番元気に見えた。終わったあとは、2002年に唐組が同じ赤レンガホールのこけら落としの時と同じようにカフェスペースにゴザを敷いて大宴会。100人近い人が残った。ちょっと残った関係者が多すぎたかもしれないが、それだけみんな喜んでくれたのだと思う。唐さんは中野に送られて高円寺に戻った。アトリエで二次会が繰り広げられたことだろう。

 「大唐十郎展」はまだまだ終わらない。12,13日には劇団唐ゼミの「海の牙」。今の青テントのお披露目で「ジョン・シルバー」再演以来、7年ぶりに臨港パークの海沿いにテントを張る。長野公演を経て、芝居の成長が楽しみだ。地元横浜での公演も久しぶり。これも見逃せない。いつもより開演時間が早まるので注意されたい。そして、19,20日には、シネマ・ジャックアンドベティの大スクリーンでの「追跡・汚れた天使」上映会。いわく因縁付きのどこでも見られない貴重な映像だ。70年代の唐が唯一監督し、直前に放映中止となったテレビドラマ。ある意味で、最も唐らしいシュールレアリスティックで怪物的な作品である。全盛期の状況劇場の役者たちにも出会える。まだまだ夢の夜は続いていく。
 

F


2010.07.03

蛇姫様

 さぼっている間に、劇団唐ゼミ☆第17回公演「蛇姫様〜わが心の奈蛇」が始まった。「奈蛇」は無理やり「ナジャ」と読ませる。アンドレ・ブルトンの「ナジャ」のことだ。唐十郎の「ナジャ」は大人になってしまった少年探偵団の小林少年が肩に変わった模様のアザをもつ国籍をもたない少女と出会ったことから始まる。

 本日7月3日に初日が開け、4,9,10,11,16,17,18,19日と9回、浅草花やしき裏の青テントで、毎晩午後6:00開演である。テントなので開場時間の5:30には間に合うようにしようと思うと、まだまだ太陽の高い時間だ。周辺住民に配慮して夜9:00には音響を落とさなくてはならないという条件なので仕方がない。唐十郎が最も旺盛な生産力を見せた1977年春に状況劇場で初演された作品。この時に見に来た歌舞伎俳優の中村勘九郎(現・勘三郎)がまるで草創期の歌舞伎とはかくのごときものかという大きな衝撃を受け、ついには「平成中村座」というテント劇場まで作ってしまうことになるきっかけを作った作品である。本人が執拗に唐さんにそのための新作を書いて欲しいと頼んでいる現場にも同席したが商業演劇システムが嫌いな唐さんには通じず実現はしなかった。とは言え、「吸血姫」、「二都物語」、「ベンガルの虎」、「唐阪・風の又三郎」と立て続けに傑作を繰り出していた少しあとの時期なので、多少マニエリスティックでくどい部分もあるかもしれない。通常の倍のイメージの氾濫に満ちており、普通に読み合わせするだけでも3時間半はかかるこの作品を演出の中野敦之は10分間2回の休憩を含めて3時間にまとめあげた。まるで機関銃のようなスピード感あふれる舞台になった。

 ここ数年、唐ゼミでは主力級の男優が次々に脱退してやや俳優の厚みに欠ける舞台が続いていたのだが、今回の見所は古手として残った安達俊信と土岐泰章の成長だ。特に土岐の成長は著しい。主演の椎野裕美子(いつも素晴らしいが今回は特に技術的に大躍進している)や初演では清川虹子が演った重要な役の禿恵の天来の不思議な怪演が圧倒的にすごいが、安達と土岐にも注目していただきたい。やや若手になるが熊野晋也・井上和也のコンビと水野香苗と小松百合のすりの姉妹、さくら夢羽奴なども急速に進歩している。まあ、この辺りは本番中の成長にも期待したい。あと、今回とんでもないキャラクターだが重要な役を演じている重村大介の日本語がボイストレーニングの成果か少しは聞き取れるようになっているのにも注目(笑)。まあ、とにかくいろいろな意味で「満載」な芝居だ。

 2009年の2月〜3月に、この作品は菅野重郎が主宰するRUPプロデュース、「北の国から」の杉田成道演出で銀座のル・テアトル銀座で上演された。劇団唐組の鳥山昌克君も出演しいい味を出してはいたが、商業演劇仕様で大幅な台本カット、主演もExileのUSAといまひとつの出来だと言うしかなかった。ただ、尋常ではないメタファーの乱射と浮かび上がるおぞましくもぎらつく世界観の片鱗に触れ、唐ゼミの中野は自分でもやってみたくなったようである。

 花やしきは昨年の「下谷万年町」以来2度目だが、浅草花やしきという場所は確かに「蛇姫様」というタイトルとはぴったりのように思われるが、本当はぴったりしすぎていて作品の持っている広がりがあまり伝わらないのかもしれない。何しろ、唐が頭の中に描いていたのは、1920年代のパリでブルトンが出会った、「ロシア語で希望という言葉のはじめの音であるという」ナジャという少女のことだったのだから….。まあ、昭和モダンの頃の浅草であったらそれも正しかったのかもしれない。

 予定の許す限り、毎日現場にいるつもりです。場内はかなり暑いですが浅草散歩がてらどうぞ足を向けてみて下さい。

 そう言えば5月から芝居には結構行った。唐組「百人町」、DogaDoga+「贋作・伊豆の踊子」、南河内万歳一座「びっくり仰天街」、新宿梁山泊「ベンガルの虎」。それぞれ「その筋」の芝居だけど、それが今年はどんどん続く。花園神社に赤と紫、浅草花やしきには青のテントが立ったわけだ。そのうえ座・高円寺での唐組の久保井研演出「少女仮面」も月末には待っている。

 北仲スクールの授業の方ももう終盤で、来週のアーバンアート論Aのゲストは東京芸大の熊倉純子さんをお迎えする。月末で前記は終了。夏休みにはリセットしていろいろなことを仕掛けていきたい。

2008.03.03

韓国版「盲導犬」公演

 26日、成田から韓国・全州に向かった。だいたい2005年の夏に初めて全州に行った時と同じようなスケジュール。とにかく全州は遠い。

 とは言え、仁川空港からの高速バスはソウルの中心部を避けて通るルートに変わっていて、渋滞もなく休憩も無く3時間ちょっとで到着してしまった。今回、携帯電話を持って行ったのだが、仁川では通話できたのに全州ではつながらない。なぜかメールだけは通じる。これは最後までずっとそうだった。夜になると流石に寒さが身にしみ、コアホテルのロビーに逃げ込み、メールで到着を伝えると椎野と韓国人キャストの一人が車でやってきた。車の中で立派なパンフレット兼ポスターとチケットを見せてもらった。彼らは全員でこのポスターを全州の町中に張りに行ったらしい。

 とりあえず歓迎会ということで、サムギョプサルを食べに町に出る。朴炳棹教授はみるからに体調が悪く、去年の初夏からずっと具合が悪いという。無理をせずに飲まないで早く寝てくれと言うが、この日のために体調を整えて来たのだから大丈夫となかなか帰らない。ぼくも今日は早く帰るからと言って11:00頃には終わらせたが、他のメンバーは照明稽古のためにまたホールに戻っていった。前日から、最初に日本に来た時のメンバーであり、現在はソリ文化センターの照明技師になっているキム・ドンファンが徹夜で照明の仕込みをしていて、結局全員で朝方まで照明稽古をすることになったらしい。翌朝、タクシーでホールに行くと日本組全員がまだ装置の手直しをしていた。中野が、あいつら軍隊に行っているといっても、全然根性ないですよ、と傲然と言い放つのがおかしい。そのまま10:00からはメイクさんが来て、三時間もかけて全員のメイクアップ、その間に弁当を取る。予定より遅れて3:00からゲネプロ。当然のように色々な問題が出てきて、6:30の開場時間ギリギリまで手直しに時間がかかった。

 ぼくはと言えば、春休み中で学生たちの姿がほとんど見えないキャンパスで、本当に客が来るのかどうかとじりじり外を見ていた。それは本番前にようやく顔を見せた朴炳棹も同じらしく、じりじりしながらロビーに立ち尽くしている。以前に日本にも来たなつかしい卒業生たちや、入学が決まったばかりの新入生、演劇科の先生たちや学部長らが顔を出してくれるが、400席ほどあるホールに70人程度しか集まらない。遅刻者を入れると100人弱にはなったようだが、それでも広いホールを埋めるには全然足りない。どうやら、日本も2月で年度が終わる韓国と同じで2月中にやらないと助成金が使えないと思っていたようだが、こんなことなら一、二週間伸ばしても良かったのにと思う。こんなことにも異文化コミュニケーションの難しさがあったわけだ。朴炳棹が元気がなかったにしろ、それにしても韓国人学生たちの制作能力の低さにも少し腹が立つ。分業システムが徹底していて、彼らは役者以外の仕事に全く関心もなければ、熱意ももたないのである。
Dsc07388
 芝居はと言えば、基本的には新国立劇場での唐ゼミのと同じだが、韓国語の台詞や韓国人俳優のきびきびした演技、日本とは色調の違う照明やメイクなど新鮮な感じがした。とりわけ、婦警サカリノ(韓国版ではヤシ)、タダハル役はとても良く、またパク・サンジュンのやった「先生」やフーテン少年もかなり頑張っていた。全体的にはかなり完成度が高かったのだが、リュウ・ソンモクのやった「破里夫」とパク・ダヨンの「銀杏」は少し重かったかもしれない。キャスティングは向こうの指定なので、二人ともとてもまじめに頑張ったのだが、やや彼らには荷が重かった部分もあった。また、擂り鉢形の幅と高さが大きなホールでの中野敦之の演出にもやや不慣れな部分が多く、とりわけエンディングの展開は少し厳しいところもあった。ただ、それは何度もこれを見ているぼくの感想であり、初めて見る観客たちはそれなりのインパクトを受けたようだ。終わった後、すぐにバラシに入る彼らを残して、大人のゲストだけで朴研究室で話をしたが、どの人も大きなインパクトを受けたようで、質問攻めにあった。また地元の新聞社の記者も来てくれて翌日大きな記事にもなった。さらに11過ぎに片付けを終えたメンバーと前回「ユニコン物語」を上演した大練習室で打上げ。みんな弾けまくっていた。この日もぼくが帰らないと朴炳棹が帰ろうとしないので、名残惜しく1:00にホテルに戻る。結局残った奴らは3:00から4:00、そのまま床で寝た者もいれば、最終居残り組は5:00過ぎまで飲んでいたらしい。
Dsc07412

 次の日は轟沈したメンバーを残し、中野と二人で名物のもやしクッパを食べに出て、中心部を散歩する。中野は食べ物に対する天才的な執着心を持っていて、前回ごちそうしてもらった全州一のビビンパ店を自力で見つけ出し、結局昼過ぎに起き出した日本人、韓国人合流組15人で再び全州ビビンパを食べる。ここの店は真鍮の器にいろいろな野菜が入った繊細で極上のビビンパを出してくれる。それを堪能したあと、王宮を見学し、全羅北道南部の春香のテーマパークへ。これは韓国に伝わる春香伝説の場所だったらしいが、要するに観光用のテーマパークだ。そこから戻るとまた朴炳棹のおごりで韓定食。余りに彼の調子が良くなさそうなので、帰るふりをして朴炳棹だけ家に帰して、また大練習室へ。そこで「盲導犬」のことや今回の舞台についてソンモクやダヨンと話し込む。彼らにとっても今回のイベントは大きな印象を残したことがわかり、やった意味があったと思った。
Dsc07419
 全州最終日はまたしてももやしクッパ。昨日とは違ったスタイルで更にうまい。そこから大学に戻り荷造りをし、朴炳棹研究室でお茶を飲んだ後、大学正門前から出るソウル行きのバスに乗る。三時間程でソウルのバスターミナルに着き、景福宮の近くにある大元旅館へ。ここは質素で格安な宿として有名だ。そこから中野とヨンソンは日韓演劇交流センターで翻訳をしている木村さんのやっている坂手洋治さんの芝居へ。

 残りのぼくたちは小劇場が沢山集まる大学路へと移動。手頃な演劇を探すが、結局インフォメーション・センターで勧められたゴムル・バンド・イヤギ(Junk Band Story)というミュージカル・ドラマを見に行く。これが思いがけず大ヒット。最初は150人程の地下ホールに30人程度しか客が居らずどうなることかと思ったが、時間を忘れるほど楽しくエキサイティングな時間を過ごした。韓国では「ナンタ」(台所ミュージカル)とか「ジャンプ」(格闘技コメディ)など超絶パフォーマンス系の舞台が人気だが、これはそれらとも少し違い、バンドコンテストに出場しようとする若者たちの話。メンバーはリズム音痴だったり音痴だったり、緊張症ですぐに下痢になったりとどうしようもない上に、お金がなくて楽器もない状態なのだが、その辺に捨てられている空き瓶やパイプを使ってコンテストで優勝するというような話。彼らはジャンク楽器や、口ドラム、口ギターなどを駆使して素晴らしい演奏をする。音響技術がすばらしく、後半はコンサートになるものの、きちんと芝居もでき、歌も踊りもすばらしく、すっかり引き込まれてしまう。演出家は「ナンタ」のメンバーだったそうだ。余りにすばらしくて終演後に表に出てきちんと挨拶をしている5人に話しかけると彼らも喜んでくれた。制作の人と話すと、日本語学科の出身らしく日本語も通じる。結局はこの公演に二日続けて行ってしまうことになる。

 ソウル最終日は椎野や禿と景福宮、仁寺洞、南大門、明洞、東大門など忙しく動き、6時に中野や他のメンバーと合流。中野もマチネーでJunkBandStoryを見ていたのだが、他の演目も検討した挙げ句に結局はもう一度これを見に行くことになる。今度はほぼ満員で上の方から見たのだが、メンバーに少し疲れが見え、観客のノリも少し重かったのだが、それでも十分満足できるできばえだった。またメンバーとしゃべり、プログラムにサインをしてもらい、写真を撮って帰る。これ、誰か日本に呼んでくれないかなあ。タイニイアリスとかスズナリとかなら絶対に大ヒットすると思うのだけれども。

Dsc07435

2007.10.23

唐ゼミ☆京都公演終わる

 19日から3日間の公演につきあって、毎晩夜遅くまでつきあい、月曜の早朝新幹線で文部科学省の会議に何とか間に合うというきつい日程だったが、行けて良かった。東京から来て頂いた方や、神戸、大阪は勿論、遠く福井、金沢、長野、名古屋などからも沢山の観客に見に来て頂いた。感激したのは、初日に嶋本昭三さんが見にきてくれたことだ。冷たい雨と京都の底冷えにさすがに途中で退席されてしまったが、80歳の巨匠がわざわざ芦屋から足を運んでくれたのがうれしい。開演前に久々に近況を伺うことができた。その他、京大吉岡研究室の面々にはとてもお世話になったし、京都精華大学の島本浣さんや佐藤守弘君、名古屋大の秋庭史典君、神戸大の前川修君ら札幌美学会で出会った友人が沢山の若い仲間を連れて来てくれた。ほかにも沢山‥‥。

 これだけ来てもらえて、中野敦之とずっと議論してきた新しいエンディングを見て頂くことができて良かった。実は「鐵假面」には二つのテキストがある。72年の公演前に文芸誌『海』に掲載されたバージョンと、単行本、そして「全作品集」に掲載されたバージョンであり、この二つは全く違ったエンディングを持っている。具体的には、前者ではタタミ屋はスイ子を突き刺し、後者では味代を刺す。台詞も多少違っている。これまでは作者の最終校定版を尊重してきたが、京都では「海」版を試みてみたのである。というのも、ジブリの森でエンディングの型が一通りの完成を迎えたと判断したからだ。初日に、完全な「海」版をやってみた後、またまた議論して二日目、三日目にはやや説明的すぎると思われた台詞だけを元に戻したハイブリッド版をやってみたが、これが思っていた以上に素晴らしい出来だった。見てもらった人たちにも大きな衝撃を与えることができたと思っている。

 ほんと、事件的演劇ではなくて、演劇的事件というような意味では、これ以上に面白い演劇なんて滅多にお目にかかれないんじゃないかと思う。

 それにしても、「鐵假面」のこの最後の数分間は、数ある唐作品の中でも高密度の驚くべきラストなのではないかと思う。20回近くやった公演の中で時には日替りで変えながらも全く飽きることがなかった。

 てなことを書いている間に、中野から無事横浜に到着したという電話があった。この半年間、唐ゼミ☆という集団にもいろいろな変化があったが、その多くが大きな成長を果たしたと思う。

 京都ではちょうど同時に公演中だったパレスチナ・キャラバンから大久保鷹さんが一晩合流してきてぼくたちの宿舎に泊まっていったりした。あちらは別な意味で大変そうである。大久保さんを迎えに行く時に、おそらく30年近くぶりに西部講堂の中に入った。色々な意味で複雑な気持ちになる。071021164946

2007.09.22

更新をさぼっている間に本日、唐ゼミ☆初日

 今日から三日間、井の頭公園南の「ジブリの森」で「鐵假面」が始まります。
6−7月とやったものだけど、完全リニューアル版で相当面白い! 本当の森の中で、人間の心の中にある深い森が出現します。
役者たちも新演出も絶好調ですが、ちょっと観客数で苦戦しているようなので、お近くの方は是非足をお運び下さい。

 これは「唐十郎プロデュース・三色テント出で立ち公演」と銘打って、新宿梁山泊「唐版・風の又三郎」、唐ゼミ☆「鐵假面」、唐組「行商人ネモ」/「眠りオルゴール」と、唐十郎四作品を三つの劇団が同じ場所に色違いのテントを張って連続公演をするというもので、九月十月の週末はここに来ると必ず唐十郎作品が見られるという素晴らしい企画です。その上、そこから500メートル北には、大久保鷹さんたちのパレスチナ・キャラバン「アゼリアのピノキオ」のテントが立ち、27日の初日向けて連日パレスチナ人5人を含む役者たちがロバと一緒に稽古に熱を入れている。これもある意味、74年の「唐版・風の又三郎」パレスチナ・キャンプ公演から始まった企画なわけで、これが同じ場所で展開されているというのも凄いことだ。

 というわけでこのところ毎週井の頭公園通いとなっている。遠いので大変だ。梁山泊の初日には中野と椎野と三人で行ったのだが結局終電に乗りはぐれてしまい、新宿駅南口にある某大里俊晴邸に襲来。始発で帰るという学生並みのことをやってしまった。

 大学の方もそろそろ後期が始まる。こちらもいろいろ新機軸を考えているので、面白いことがいろいろ起こりそう。
 パイプのコレクションもどんどん増えています。

2007.07.18

池袋西口公園での「鐵假面」終了

 この公園に毎日やってくる、ホームレス、外国人労働者、高校生、大学生、チーマー、やくざ、酔っぱらい、他に行き場所のない人たちの群れに囲まれ、金曜のゲネプロ時には、ステージで宴会をしていた酔っぱらいに何度も「オメーラ、ウルセー」と怒鳴り込まれたり、終わり際にコンパ帰りで盛り上がりたい大学生30人以上に囲まれたりと、果たしてこんなところで公演が打てるのかと危ぶまれた池袋公演であったが、四日間無事に終了した。ゲネプロの日には中野と二人で電車で帰りながら、「もうこんなところで芝居はやらない方がいいよ」と言ったものだが、終わってみるとなかなか感慨深い。最初はここの住民の異様さに完全に引いていたメンバーたちもみんな達成感と、この場所や人々への愛着のようなものが出て来たようなのが面白い。何よりもエンディングでは他の場所では絶対に味わえない感動を体験することができた。無事に終われた達成感も大きい。

 初日は金曜日。この日は普通のウィークエンドで酔っぱらいが多く、ピリピリした雰囲気の中、役者たちもやや外の群衆に押された感じで固くなっていた。2日目は台風の影響で一日中大雨。トイレで喧嘩があり、警官が出動する騒ぎはあったものの芝居には集中することができたが、雨の音に対抗して喉を痛める者が続出。それでもエンディングの時には小降りになってくれて助かった。3日目は台風直撃の予報の中、南に逸れてくれたおかげでこれまた無事に。唐さんや、唐組の鳥山君が心配して駆けつけてくれたが、やや拍子抜けの感じだった。とは言え、安心していたら夜になると意外に風が強く、台風の雰囲気は充分以上味わわせてもらえた。4日目。当日客がどんどん増えてやはり大入り満員。幸せな楽日を迎えられた。これで終わってしまうのが名残惜しいくらいであった。この間、ぼくはずっと公園に居たり、お世話になった望月六郎監督がやっているDogaDogaプラスの「贋作・春琴抄」や南河内万歳一座の「滅裂博士」などに顔を出したりしていてなかなか忙しかった。

 当日に来てくれる観客も多く、結局初日以外はすべて立ち見の出る大入り満員。京都や新潟、水戸からもいろんな人が来てくれたし、この作品に強い思い入れをもつ旧状況劇場の面々、とりわけ大久保鷹さんは三回も来てくれたし、堀切直人さん、扇田昭彦さん、高橋豊さんを初め唐さんにゆかりのある方々にも喜んでいただけたようで良かった。やはり、これは圧倒的に面白い作品なのである。

 唐十郎作品にしてはめずらしい硬質な思想劇、というか異化効果を組み込んだメタシアター的構成に戸惑われる方も多かったかもしれないが、(アンチ)ヒロインが軽薄で移り気な女で感情移入しにくい(できない)のも、畳屋の子供じみた妄想が常に裏切られるのも、母よりも昔の時代から生きていた紙芝居屋が「父」の名の下に「夢からさめろ!」と叫ぶのも、大衆の夢魔にうなされながらも、大衆の深層に想像的エネルギーの鉱脈を探し出そうとする彷徨からもたらされる必然なのである。一幕終わりに便所に現れる満州帰りの叔父の亡霊の象徴する歴史の悪夢と、二幕終わりの超速度でめまぐるしく展開する地獄巡りの5分間の中にすべてが凝縮されている。二幕の「鉄仮面裁判」から後の椎野裕美子はほぼ完璧にそれを演じきっている。今回の唐ゼミ☆の「鐵假面」は単なる心理劇やメロドラマには還元されえない非構造的な強度の演劇として成立していると思う。最後の五分間でスイ子も畳屋も、それまでの人物造形とは全く異なる別の生き物に生成=変化していかなくてはならないのだ。中野演出ではそれは花道と舞台の階段を結びつける垂直軸上の「道行き」、あるいは「オルフェウス神話」として見事に造形化されている。それは『吸血姫』のエンディングにもよく似ている。おそらく、今週末の関内公演で、エンディングはさらに形を変えてこれまでとは全く違ったものになっていくだろう。さらに、観客の一人一人が鐵假面という登場人物にほかならないということがもう少しくっきりと伝えられれば、ほぼ完成形に近づくと言っていいのではないだろうか?

 そういうわけで、残り2日の関内公演に是非それを確かめにきて欲しい。一度見ただけでは分からないことも多い筈です。

2007.06.28

劇団唐ゼミ☆『鐵假面』始まる

 『鐵假面』は72年秋、名作『二都物語』と『ベンガルの虎』、そして『盲導犬』に挟まる時期に、上野不忍池で初演されている。それから35年間、一度も再演されたことはない。

 『鐵假面』は新潮社から『二都物語/鐵假面』という一冊の本になっている。以前、唐ゼミ☆の中野敦之が「二都物語」をやってみたいと唐さんにお願いしたことがあった。長いこと待った末に「やっぱり、やれないよ。あれは李のものだから」というのが返事だった。そう言えば年末に李麗仙さんとお話しした時にも、「二都は特別だから、再演は許せない。やるなら私たちが死んでから50年くらいしてからにして欲しい」というようなことを言われた。どこかで無許可でやってしまった学生劇団もあるのかもしれないが、そういうわけで少なくとも唐ゼミ☆に関しては封印されてしまった「二都物語」の代わりに中野が目をつけたのが同じ本に入っている『鐵假面』だったのだ。とりわけ、姉妹が出てくることに惹かれた。椎野裕美子と禿恵という対照的な二人の看板女優を持つ唐ゼミ☆ではあるが、なかなかこの二人ともに魅力的な役のある戯曲となると難しい。初演では李さんと田口いく子さんがやったこの姉妹をやらせてみたいということ。そして、72年という唐十郎が最もエネルギッシュだった時期の荒々しくも豊穣な言語空間に触れてみたいというのが理由だった。

 ところが、これにもなかなかいい返事がもらえなかった。悪い思い出しかない、と言うのである。それと「怖すぎる」。何しろ、生首をボストンバッグに入れて逃亡する話だし、最後にはヒロインが残酷な殺され方をする。この時には、天幕だけ張った野外劇だったので、屋台崩しもないし、何しろ観客論をやるということで、一幕の途中までは本物の公衆便所でやった後、客がぞろぞろ舞台に移動するというような一種の異化効果を狙ったものだった。とにかく唐さんには失敗作というような悪いイメージしかないらしい。だが、実際に関わった人、例えば大久保鷹さんなどは『鐵假面』に強い思い入れを持っており、実際新宿梁山泊で再演したいという話もあった。また扇田昭彦さんも『鐵假面』を高く評価していて、その劇評が『唐十郎の劇世界』にも収録されている。

 そんなことがあったからだろうか、一月の山中湖で中野がもう一度『鐵假面』をやらせて下さいと頼んだら、唐さんはようやく許してくれた。そんな経緯があったのである。

 そこで川崎市民ミュージアム前広場で先週末上演された劇団唐ゼミ☆の『鐵假面』。

 場所柄を考えて普通より一時間早い6時開演としたため、一幕は照明が効かずやや散漫にはなるも、素晴らしい幕開けを迎えた。ゲネプロ、初日、二日目と中野と一緒に議論しながらもの凄い勢いで演出を変えて行ったが、二日目で何かが見えてきたように思われる。初日に来てくれ大絶賛してくれた唐さんの話からも沢山のものを頂いた。

 これは、唐ゼミ☆史上最高傑作になりそうな予感がする。

 絶対に見逃さないで下さい。おそらくは二度、三度、四度見ても飽きることの無い大傑作です。

 思った通り、椎野と禿の掛け合いのドライブ感が凄いし、初演で大久保鷹が演じた満州帰りの叔父をやっている杉山雄樹、彼もまた群を抜いていい。久々に椎野と組む土岐泰章の純粋なひたむきさも悪くない。他の役者たちもその後を追い上げており、これから池袋、関内とどんどん調子を上げて行くことだろう。また10月にはこのまま京都公演に突入していくことが予定されている。燃え上がる夏秋のテント公演の行方が楽しみだ。

 鐵假面とは「顔の無い民衆」のことだと扇田さんは書いている。それは民衆の「無名性」を指しているばかりではなく、仮面を外しても顔が無い、のっぺらぼうの大衆のことをも指している。乞食から兵隊や大会社の社員まで、民衆は時代と状況に流され、ころころと変質し、どんなことでもやってしまう信用のならない「群れ」である。その彼らの仮面の下には何があるのか? そこにはまた、いつももう一つの仮面があるにすぎない。大衆にはいつも「表層」しか存在しないのだ。キャバレーを渡り歩く「姉妹」もまたそういう民衆そのものである。だが、彼らは「犯罪」というパスポートによってそこを垂直に切り開く裂け目を作り出していく。切り取った首をボストンバッグにいれた旅がそれだ。それが地獄巡りとしての「森」のエピソードとして語られる。水平な大衆論では見えては来ない、大衆の根源的な生命力が、歴史とノスタルジーの闇と猥雑な現実を、まるで鋭いナイフのように切り裂いていく瞬間をどのように作り出すかというのが演出上の最も決定的な問題なのである。そして、中野敦之は川崎の二日間でその答えをどうやら発見したらしい。

 そんなわけで、リハーサル代わりの大学学内公演2日間を経て、唐ゼミ☆はこの作品を抱えて池袋ウェスト・ゲート・パークに進出し、そしてそのまま秋まで駆け抜けて行く。それはひとつの「事件」となることだろう。

2007.04.14

「ジョン・シルバー 愛の乞食」

海賊版舞台芸術論・山崎組
『ジョン・シルバー 愛の乞食』

日時 : 4月18日(水)、19日(木)、20日(金)
時間 : 開演 18時半 (18時開場)
場所 : 横浜国立大学教育人間科学部
    8号館裏原っぱ特設青テント
料金 : 入場料無料
詳しくは唐ゼミ☆サイトへ。

 これはイケるかもしれない。もうそう書いても大丈夫だろう。

 久保井授業の試演会がきっかけで始まったこの企画。実際には授業に出ていた者は二人しか残っておらず、後は唐ゼミ☆の山崎雄太がひとりひとり声をかけて集めてきた、異常にキャラが立っている普通の学生たち。舞台に立つのはほとんどが初めての経験である。主役の田口は山崎が自分で奪い取った。

 唐ゼミ☆の協力でテントが立ち、毎日雨風の中、夜昼なく働き、稽古をし、テントを守る。顔つきが変わってきた。こういうのに立ち会っているのがとても面白い。テントは確かに人を育てるのである。

 通し稽古を見る度に全く変わってくる。まるで昆虫の変態を見ているみたいで、三日前とは全く違う舞台を見ていると、本番でどこまで行けるのかがとても楽しみになる。

 今日は久しぶりに大学に顔を出した椎野裕美子と一緒に、彼らがこの二三日、徹夜で作っていてエンディングの決め手になるある「ブツ」を見せてもらう。椎野がこの「ブツ」に乗ってポーズを決めてみると、予想を遥かに超えて超いい感じ。実際には違う万寿シャゲが乗るのだけど、これはかなりイケそうな予感。その傍らではやはり兄貴分の安達俊信がシルバーの肩に乗るオウムの「フリント船長」を徹夜で作ってやっている。これも「やり過ぎ」なくらいにいい。唐ゼミ☆が初めて『腰巻お仙』をやった時のことや最初にこの場所にボロボロの赤テントを立てて『ジョン・シルバー』をやった時のことを思わず思い出してしまう。横浜国大のヒュルヒュル風吹く丘の上のテント——これに立ち会えるのはとても貴重な体験になるかもしれない。平日の大学構内での公演だけど、外からも是非見に来て欲しいところだ。

 海賊版でも「授業」と銘打っている建前、入場料は取れないが、もう既に彼らの持ち出しの金額がだいぶ膨らんできています。投げ銭やおひねり、カンパ、差し入れは大歓迎。面白かったら是非、じゃらじゃら百円硬貨でも渡してやって下さい。涙ぐましいです。

 名残桜と春の夜風、丘の上に翻るテント、若い学生たちの持つ新学期独特の臭い、そして何と言っても唐十郎作品中でも屈指の超名作! 役者の技量不足を差し引いてもおつりが来る程、エンディングは心に突き刺さってくるでしょう。そして、技量不足でもあの生の素材があれば十分楽しめますし、何と言ってもエンディングで出て来るあの「ブツ」があれば絶対無敵! 伝説になるような公演になると思っています。

 てなわけで、新学期一週間のいろいろあった疲れも吹っ飛ぶほど、教室棟前の「はらっぱ」では熱い血潮が沸騰しています。

2007.03.22

ジョン・シルバー(続)終了

 演劇を評価するには色々な視点の取り方があってなかなか難しい。

 なぜなら演劇とは雑多な層の交じり合った複合的ジャンルであり、戯曲、演出、俳優、美術、音楽、照明、劇場などのさまざまな要素が重層的に重なり合っているからだ。評価軸をどこに置くかによって、同じ体験の意味内容は著しく違って来る。実際にやってみるとはっきり分かることは、その上にさらに「観客」の存在もきわめて大きい。だが、それらはばらばらに存在しているのではない。

 まず基底には戯曲がある。戯曲が凡庸なのに、俳優や美術がいいから最高の演劇になるということはけっしてない。もちろんストーリーのないパフォーマンスもあるが、台詞のある演劇の場合に戯曲の役割は決定的である。

 その上に、空間・音楽プランも含めた演出があり、最後に舞台美術、照明、そして俳優による演技と観客との相互的空間創造が演劇の最終局面となる。それでもこの図式が必ずしも単純でないのは、最後の俳優によるパフォーマンスがなければ、そしてそれに応えることのできる観客がいなければ、そもそも演出や戯曲がいいのか悪いのか分からなくなってしまうということだ。つまり、本当はいい台本なのに、俳優(と観客)が悪ければそれが伝わらないということになるわけである。

 世の中には文学作品としてそのまま通用する戯曲と、上演されなければ理解できない戯曲とがある。一般に近代戯曲は「文学」としての性格を強く押し出しており、その意味ではチェーホフもテネシー・ウィリアムスも三島由紀夫も別役実もテキストとして読める。ただそうではないものもある。鶴屋南北やシェークスピア、そして唐十郎の戯曲は読んだだけではほとんど分からない。イメージが石化したような言葉は、俳優の肉体によって具現化されなければ、文脈を追うことすら困難になる。それは演奏されなくては分からない楽譜のような戯曲なのである。音楽の場合にも楽譜があって、指揮者(第一の解釈=演奏家)が居て、演奏者がいる。それは戯曲作家と演出家と俳優の関係と似ている部分をもっているが、それでもちょっとばかり違っているような気もする。なぜなら、演奏家が駄目でも名曲は名曲だが、俳優が駄目だと戯曲の善し悪しは絶対に分からなくなってしまうからだ。

 エイゼンシュタインは歌舞伎のロシア巡業を見て、彼の「モンタージュ」のアイディアを得たと言われている。彼は日本文化や日本語に関心を抱いており、たとえば漢字の中の会意文字や、俳句や歌舞伎のあり方が「モンタージュ」的=つまりは二つ以上のものがそこで出会い、全く新しい第三の意味を生み出す、と考えた。複数の要素、重なり合うさまざまな層が衝突し合い、単なる加算ではなく乗算的な意味融合を作り出すのが演劇の醍醐味なのかもしれない。エイゼンシュタインはメイエルホリドの弟子だったが、唐十郎の演劇はスタニスラフスキーよりもメイエルホリド的なものにより近い。

 唐ゼミ☆の「続ジョン・シルバー」は相反する極端な評価を受けた。唐十郎を含めたある人々は、顔を紅潮させ興奮して喜んでくれた。とりわけ「状況劇場」の過去を知る人たちは相当面白がってくれたことがよく分かった。だが、唐ゼミ☆を続けて見てくれていて、場合によっては唐組や新宿梁山泊よりも贔屓にしてくれている人たちの中には否定的な感想を述べる人も多かった。難しいところである。ぼく自身は、今回はこの戯曲の底知れぬ深さに出会えたということが大きかった。テキストを読んだ時にちょっとバカにしていたのである。若さと情念が先行して、まとまりのない作品だと思っていたのが唐ゼミ☆が実際に上演することによって裏切られた。相当練り込まれて唐以外には書けないユニークな戯曲だということを再認識した。これは、三年前の1965年に上演された「ジョン・シルバー」や、それ以前の「腰巻お仙」物と思った以上につながっているし、その後の「少女仮面」や「吸血姫」のモチーフが原形質のまま全部盛り込まれている。唐十郎の作品世界の再発見につながるような発見がいくつもあった。

 他方、演出や演技においては、普通の「演劇」につながるような方向性が強すぎたようにも思える。普通の「演劇」では、役者の「自然な」演技における技量や唄や踊りのうまさや存在感などが評価される。ストーリーや文脈をつなげる横軸を織りなす方向性(記号論で言えば統辞論的軸)が強くなると、「分かりやすく」はなるが、イメージが石化したものが溶け出し、文脈とは無関係に屹立するような方向性(範列論的軸)が弱まってしまう。

 ぼくは前々から言っているようにジャンルとしての「演劇」はきらいである。「劇場」も嫌いだ。そんな狭苦しい檻のようなジャンルの中で勝負することはとっても貧乏臭いことのように思われてならないのだ。今回は、みんなが「うまくなった」と言われたが、逆に言えばそういう評価軸から見られてしまうという弱点があったということだろう。「演劇」以外のものにならなくてはならないのだ。唐十郎という現役ではあるが、百年に一人出るかどうかわからない才能に正面からぶつかり合う「武者修行」を、彼らにはずっと続けて行って欲しいし、そういう落ち着きのなさ、不安定な荒々しさを失ってしまっては唐ゼミ☆は普通の(プロの)劇団になってしまうし、下北あたりでやっている連中と同じ範疇の集団になってしまう(ますます痙攣的で、断片的な強度を強めている最近の唐組は全く違うけど)。そうした中途半端さが今回の欠点だったと言えるだろう。「前の方が面白かった」と言われてしまっては続ける意味が無い。少なくともぼくにとっては面白くない。もっとも前に戻ることはできないのだから、別なものを手にすることで「先に」進まなくてはならない。

 役者やスタッフが「うまくなる」ことは危険な兆候である。それはすべてを「段取り」に変質させてしまうからだ。滑舌が悪かろうが、唄が下手だろうが、音楽がうるさかろうが、客席が狭かろうが、そんなことは本当にどうでもいいのだ。それらを上回るものがそこに現れなければならない。そうなれば、誰も役者の技量のことなどは口にできなくなるはずである。椎野裕美子や禿恵はよくやったし、当たり屋の少年をやった佐藤千尋は幸福なデビューを果たした。それ以外のメンバーも皆それなりに頑張った。だが、それらをどのように一時間半のパフォーマンスにまとめあげるかという演出における総合的な戦略が足りなかったと言うか、やや方向性が違う方向に引きずられていたのかもしれない。それでも、この戯曲が素晴らしいと思わせてくれた演出家の力量はなかなかのものなのだが‥‥。そんなことを考えながら中野敦之と本番中からこの数日間ずっと議論を続けている。この時間も大切なのだ。

 久保井授業のはぐれ組が4月18-20日に学内テントでやる「海賊版・舞台芸術論/ジョン・シルバー愛の乞食」が楽しみだ。それが、ぼくたちにも新しいヒントを与えてくれるような予感がするし、唐ゼミ☆の次の公演「鐵假面」にもいい刺激を与えてくれるだろう。

 舞台の写真は夜光さんのblogなどを参照してください

より以前の記事一覧

最近のトラックバック

2017年8月
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31